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はてなキーワード: アニミズムとは

2016-10-19

ピューリタンなき国のピューリタニズム

 最近公共の場における(いわゆる)萌え絵についての議論が盛んだ。

 風潮として議論がもりあがってる背景は主に三つあると思う。


 一、日本でも一般レベルフェミニズム意識されるようなり、ああいのものが「女性に対する抑圧」である認知されるようになったため。

 二、特に twitterマイノリティの声(とそれに対するバックラッシュ)が広まりやすくなったため。

 三、もともとセクシャル画像で溢れているお国柄。


 日本特殊で、かつ問題を一番ややこしくしているのは三だ。

 欧米なんかではそもそも歴史を通じて公共の場性的イメージがあまり氾濫してこなかった。

 なぜかといえば、キリスト教性愛セクシャルものに対してとても潔癖な宗教で、そういうものを基盤に文化を作ってきた人たちはそもそも「えっちな絵を描いてそれを世間に出しちゃいけないんだ」と自制が働いていた。フリーセックス時代を経てさえそうだった。エロ文化がないではなかったが、それはあくまで秘すべきものだった。

 だからラリー・フリントというおじさんが高級誌気取ってる『プレイボーイ』につばはいてお下劣エロ雑誌を創刊したときは大変な大問題になって、「表現の自由」論争が沸き起こった。


 そこへきて日本他力本願宗教の国だからエロを抑えるのはお坊さんに任せていればいい。

 嫌悪するにしろ称揚するにしろ庶民エロに対する政治的な定見など持ってない。

 西洋エロ絵に対する嫌悪には良くも悪くも宗教的な裏打ちがある。だから保守勢力マジョリティ)を説得しやすいし、そのためにエロ擁護派はカウンターカルチャー側に位置していきた。

 日本人にはエロ絵の感情に対する何のバックボーンもない。ただ、「その人がえっちなのを嫌悪している」か「その人がえっちなのを好き」か、それだけだ。完全に感覚。だから、互いに互いを説得しにくい。嫌悪側はフェミニズム議論を援用して、擁護側は70年代的なフラット表現の自由標榜して、それぞれぶつかりあうが、そのどちらも西洋から輸入品で、結局は自分感性へのお仕着せでしかない。


 宗教は無根拠であるけれど、それ自体がなぜか強力な根拠となりうる不思議な道具だ。

 こういう方面文化は、結局ロジックよりそうした宗教的文化の気分の勝負になるんだと思う。

 キリスト教国家性的規範が強烈に強いか規制が働く。

 日本はなんとなくのアニミズム自然っていいよね=セックスって自然だよね=セックスで溢れてて何が悪い? という土壌が保存される。

 事実これまではそうなってきた。


 性的イメージがこれほど突出してしまった国は他にない。

 裏を返せば、ここに至るまで揺り戻そうとする力があまり働かなかった。

 実は文化の隆盛を決定づける大きな要因は政府と法だ。法で規制されると文化は意外にもろい。

 政教分離を謳われながら、キリスト教団体は古くから西洋国家の主要なロビイング団体であったわけで、政府としてはそういう人たちの意をくまねばいけなかった。ただしい清い方向にふらないといけなかった。

 もちろん日本にも宗教団体を背景とする政治団体やロビイ団体がいくつか存在するけど、それらはあまり庶民の性規範にあまり興味を持たない。

 日本の不幸(あるいは幸福)は、その性的放縦を増幅させるだけの表象文化レベルの高さを持ってしまったことになる。

 この世をエロ絵でうめつくす土壌と技術を兼ね備えた国は歴史上、まだ日本以外に登場していない。


 これから日本規範や法がどういう方向へ動くのかはまだわからないけれど、あと四五年は肌感覚disったり擁護したりみたいな実のない喧嘩が続くんだと思う。実のない喧嘩自体は悪いことじゃない。そうやって問題認知され、議論の場が醸成されていくのだから

2016-08-27

一神教多神教の違いが分からない

一般的ユダヤ教キリスト教イスラム教一神教で、日本のようなアニミズム多神教って言われるけど、よく分からない。

一神教絶対的存在の神がいることで、それがヤハウェアッラーなんだろうけど、じゃあ聖母マリア信仰とかって何なのさって思ってしまう。

日本人天照大御神を最高神として祀ってる一方で、トイレの神様~♪ってはしゃいでるのと何が違うのかよく分からない。

唯一神以外のものに神性を見出すって一神教って言えるの?

誰か教えて。

2015-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20150107232231

君が「気持ち悪い」と言ったところで世界宇宙)の有り様は変わらないってことなんだけど、

そういう発想は無いというか、心の奥底の根本的な発想としては「変わりうる」と思ってるのかもと。

その辺がアニミズムっぽいなって話。

http://anond.hatelabo.jp/20150107231045

今日のまとめ

http://anond.hatelabo.jp/20150107222230

俺は散々西洋思想的な教育を受けてきたから染み付いちゃってるんだけど、確かに、そもそも「基本原理」という考え方自体西洋的で日本国民には受け入れ難いものかもしれない。アニミズム的な、個々の神様が個々の宇宙を持って生きている、みたいな感覚なのかもな。確率概念とは全く関係ないが。

日常のあまねく事象に基本原理として確率概念を置く」という発想は、もうどこから突っ込んでいいかも分からないくらい日本国民感性とはかけ離れているのかもしれない。

2014-01-12

はてな脳」は感性を殺す?

はてな村の住人は分析論理を重んじる。重んじ過ぎている、とすら言える。

先日、昔投稿していた小説サイトを久しぶりに覗いて、過去自分の作品を読んでみたのだが、技術の如何はさておき、小説としては今はてなで書いている自分の文章よりはるか面白い

当時は自分小説がそんなに面白いものだとは考えていなかった。プロの書くものにはかなわないと思っていた。

歴史ものを書くときには史料にしっかりとあたるように心がけていたが、それ以外のジャンルを書くときには、感性の赴くまま、理性のたがを外すようにして、心の隙間から生まれ出てくるものをそのまま創作物にしている感覚だった。

それは謎を謎のままとして楽しんだり、不可解なものごとに理由を付けず、ただ気味の悪いものとしてそのまま恐れるような感覚を文章にしていたといっていい。

それに比べて最近自分が書いている文章は、論理的分析的かもしれないが無味乾燥だ。なぜこんなに心が乾いてしまっているのだろう。

2chはてなで論争を繰り返し、理論武装するようになってからこうなってしまったように思う。

謎や不可解なものの裏側にある秘密を暴いて、構造を明確にしてゆくと、圧倒的なものに触れたときに生まれた表現への初期衝動は薄れていく。「セックスなんて所詮脳が生み出す電気信号のやりとりに過ぎない。脳の特定部位に電極を突き刺せば同等の快楽は得られる」などという、大脳生理学にかぶれた輩の物言いにも似た事態だ。

はいえ、その物言いは、事実無根だと切り捨てられないのがもどかしい。たしかセックスとき人間が感じている感覚は、脳の反応を見ればただパルス適当な部位にはしっているだけのことだろう。いや、そうではないのだ、といくら強弁したところで、科学的な根拠は提示できない。ネット言い回しを使えば「ソースはない」ということになる。

学研「ムー」という、オカルトの有名雑誌がある。どう読んでもネタしか思えない。だがしかしひょっとしたら事実かもしれない。そんな虚実の入り混じった面白さを楽しむことが、かつての日本の言論状況では可能だった。しかし、はてな村以降の世界では、虚実の虚には完膚なきまでに論破され、挙句、あんな曖昧雑誌はなくなってしまえばよい、という科学原理主義者の物言い正当化される。

別に私もあんな雑誌がなくなっても日常生活に不都合はありはしない。しかし、日常を彩るエッセンスひとつとして、タバココーヒーのように、害を知りつつもほどほどに付き合い、楽しむことが出来るものとして存在していてもいいのではないか、と思うだけだ。

都市伝説ひとつ存在しない、川口浩探検隊のような種類のエンターテインメントがまったくない世の中が、今よりも素晴らしいといえるのだろうか。

サブカルチャーの中で描かれる妖精精霊は認めるのに、一方で、その源流たるアニミズム的な発想はくだらないオカルトとしてバッサリ切リ捨てるような状況には、矛盾したものを感じなくもない。

散漫になった。まとめると、創作に感動をもたらすのはうさんくさい「隙間」だ。隙間なくびっしりと埋められた世界からは、感動するものは出てこない。逆に言えば、感動は理由づけした時点で死に絶える。批評重要だが、創作物には作者すら理性的には踏み込めない部分があり、そこは尊重する必要がある。

目に見えない可能性を潰して回っていると、人類世界を見る目は皮相的な、浅いものになっていくばかりだ。何もファンタジーに限らない。全部理論的に何一つ矛盾なく説明できるSFは突飛さがなくつまらない科学読み物になってしまうし、予測不能の事態が起こらない歴史もの教科書を読んでいるようであくびが出る。

この文章にも反論はあるだろう。論破しようとすればいくらでも出来るだろう。理屈と膏薬はどこへでもつくのだからしかひとつだけたしかなことは、隅から隅まですべてを認識し、理解し、分析しようとする態度は、感性を殺す。仕事ときならそれもいいだろう。仕事感性関係がない。しか仕事と離れた場所で、つまりはてなブックマーク匿名ダイアリーで、仕事のように論理的な態度を崩さずにいることは、不健康だ。もっとはてな村は気楽になったほうがいい。クリエイティブ空間としてはてな村再生されることを望む。

元ネタhttp://anond.hatelabo.jp/20140112071842

2013-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20131101050226

宗教」という単語が直接、宗教団体と結びついてさらにそこに強烈な反発がくる、

これってかなり日本に固有の現象な気がするがどうなんだろ。

一般に宗教信仰している人は他の宗教を攻撃しやすい、

てのがあるように思うけど、この話題周辺で強烈な反発が起きてるのって、

まさに日本人アニミズムという(宗教)を無意識信仰しているからだと俺は思うんだけど。

2013-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20131101091839

宗教信仰する(自制する)」と「対象を崇める(幸運を求める)」との違いがあるから

アニミズム宗教といえるかどうかは、なんともいえないな。

高齢者はわりとアニミズムで「神社自然を崇め」たり、「権威を崇め」たり、

資格者や教授を立て」たりして、それらを批判することが少ないようだから

神社はさておき、どうも「大きく見えるもの」を神格化して、ただバチがあたるのを恐れているのみだという気もするのだよね。

2013-11-01

みんな大学に何しに行ってるんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20131031224610

「例の宗教の記事について」を読んで、概ね同意した。

「俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。」は上から目線で言い過ぎかなぁと思ったけど。私は同じ気持ちにはなれないけど理解はできる。こういう人、私の周囲にも多いから。

「こういう人」っていうのは、アニミズム信仰宗教に含まれるとか、宗教学的にはこういうのも宗教に含まれてねって話をされて、「だからなんだよ、学問的にはどうこうとか知らねーよ、俺の中では宗教じゃないんだから宗教じゃねーよ」みたいに感情的に否定する人、って意味なんだけど。

宗教どうこうに限らず、「俺の価値観を揺さぶるんじゃねーよ」って人、ってことね。

そういう人の学歴を誰かに統計とって調べてみてほしいと思う。煽りとかじゃなくて。

その中に大学生大学卒業者が結構いたら、その考えって損してるなあと思う。

大学に何しに行ってるの?or行ってたの?と感じる。

大学って、新しい知識や考え方を好きなだけ学べる場でしょ。

そういう知識を得るって単純にわくわくしないかなあ? 「こういう考え方もあるんだー!」って気づきを貴重だと思えないのかなあ?

件の教授が教鞭執ってる大学学生だって、新しい知識を得るために大学入学したわけでしょ。で、文化人類学的なことが学びたくてこの教授講義履修したわけでしょ。

(違うのかな? 就職のためだけに大学入って、単位取るためだけに履修したのかな。それってえらい時間お金無駄だな)

それで最初の授業で、無宗教だと思っていた自分の根幹に実は宗教的なもの存在すると知らされる。

「おー!」ってならない? 面白いなーってならない?

自分価値観が絶対で正しい、だから他者に否定してほしくない、そういう自分大好き超大切!な人でも、生きていくうえで普段困ることとかは特にいかもしれないけど。

でも、その凝り固まった考えで大学行くのは絶対勿体無いよと思う。

別に大学で教わることを全部鵜呑みしろって話ではないよ。

大学教授から教わるものって、最先端から、逆を言うとまだ定説として確立してないものも多い、すごく危ういものもある。

から「この教授アニミズム的なものを含めて宗教だって言ってるけど、それって正しいのかなあ」って疑問を抱くことは否定しない。

それを議論するのはいいことだと思う。そうやって学問成熟するんだから

でも議論にもなってない、「宗教学上の定義とかどうでもいいんだよ、気づきなんていらねーんだよ」派の人は本当、大学で何がしたいんだろうと思う。

今までの自分価値観を否定されるのは怖いって気持ちは分かるけど、だからって「教授むかつく」「態度が気に入らん」って個人攻撃に走られてもなあ……

もっと冷静になろうよ。

自分教授の言うことの何が受け入れられないのか。それはどういう素地から来る感情なのか。

そうやって自己を見つめ直す体験って貴重だし面白いと思うんだけどなー。

面白いと思えない人でも、そういう考え方ができないでどうやってレポートやら論文やら書くのかなと思う。ネットの丸写し?

あと、ちょっと違う話になるけど「『宗教信じてますか?』と言われて『信じてます』と言わないのは現代日本人として正しい」みたいな意見は正しいかも。

私も初対面の人に「はじめまして! ところで私、××教の信者なんです!」とか言われたら、勧誘されるかもと思って身構えるし。

そういう日本人宗教アレルギーと、実は根付いている宗教的な考え方や風習との関係って、真面目に勉強したら面白そうだなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20131031224610

なんとなく実感としてあるアニミズム

Religionの訳語としての宗教ってのを当てはめられると

不快ってのがあるかも

あと、特定の政治宗教なりの団体に所属することを表明するのが

生活してる家族学校クラスなどのコミュニティの中では

とてもリスキーであるってのはあって

こうした問題に対し感情的に反論にならない反論をするのが

社会動物としては正しいサバイバルなのかもしれない

2013-10-31

例の宗教の記事について

http://www.tokuteishimasuta.com/archives/7385048.html

宗教信じてる?」 「いいえ」 「じゃあ持ってるお守りハサミで切って」 「できない」 「は?」

 

最近、上の対談がすごく話題になって、件の大学教授が叩かれているが、俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。

この記事で大学教授を叩いてるやつは大体以下のどれかに分類されるが、3以外全て批判として的外れだ。

 

1. 日本八百万の神っていうアニミズム信仰があるのをこの教授は理解していないよね?

2. 宗教信仰は別だろ?無宗教であっても、こうしたアニミズム信仰を持っているのはおかしくないし、その点で無宗教信仰は両立可能。

3. 「思い入れ」があるから切りたくないだけで宗教の問題じゃないんじゃね? 

  これって「ものを大切にしたい」という道徳感情に由来しているだけなんじゃないの?

4. そもそも他人のものを切ろうとすること自体がおかしい。この教授キチガイ脅迫罪。お守りの金払え。

  つーかそもそも、この教授自分母親遺影無宗教なら壊せと言われたら壊すの?

5. なにこいつドヤッってんの?ムカツク

  

1.日本八百万の神っていうアニミズム信仰があるのをこの教授は理解していないよね?

  

→理解しています

 この教授は「神を信じている?」ではなく「宗教を信じている?」と学生質問している。

 その「宗教」のなかには当然、日本の伝統的なアニミズム信仰が含まれている。

 この学生とのやり取りの本質は、自分宗教であることに無自覚学生の中にも、そうしたアニミズム信仰が生きていることを明らかにすることにある以上、

 その教授に対して、「日本八百万の考え方を理解していない」などと叩くのは明らかにおかしい。

  

2.宗教信仰は別だろ?無宗教であっても、こうしたアニミズム信仰を持っているのはおかしくないし、その点で無宗教信仰は両立可能。

  

→これは一見まともに見えるが、宗教学における「宗教定義」を理解できていない。

 一般人は、キリスト教のように「神」を信仰していないと宗教じゃないと思ってるやつが多いがそれは間違いだ。

 宗教といえば神、みたいな浅はかな発想がこうした勘違いを生み出す。

 宗教学では、アニミズム原始宗教に分類されるように、アニミズムも立派な「宗教」の一つだ。

 だからアニミズム宗教じゃないとか言ってるやつは大間違い。

 繰り返すが、宗教といえば神みたいな馬鹿な発想は無知晒すだけだから、さっさと捨てたほうがいい。 

   

3.「思い入れ」があるから切りたくないだけで宗教の問題じゃないんじゃね? 

 これって「ものを大切にしたい」という道徳感情に由来しているだけなんじゃないの?

  

 これは上の2よりも「宗教とは何か」という「宗教定義」の問題に密接に関わってくる。

 結論を言えば半分間違いで半分正解だ。

 少し長くなるが、宗教定義について記述しよう。

 宗教定義は細かな部分で未だに議論が続いているが、近代宗教学の親とも言われるオットーは『聖なるもの』のなかで宗教本質をヌミノーゼという言葉表現している。

 オットーによればヌミノーゼとは「それ自体が非合理なもの」で「概念として説明できないもの」であり、また従って、「それは、ある種の特定感情によって人間信条を捉え、動かすようなもの」だ。

 これだけだと、何のことか分かりにくいという奴も多いと思うが、次の例を読めば大体理解してもらえると思う。

 荘厳な儀式を見て、いつもと違う気分になった。

 母親が死んで、その葬式感情的な高ぶりを覚えた。

 森の中を一人で歩いていたらなんだか不安になってきた。森の中に視線を感じる。

  

 これって宗教でもなんでもなくて、ただの「感情」じゃね?って思うやつがいるかもしれないが、それは半分正解で半分間違い。

 結局宗教体験も人の経験である以上、感情的ものと切り離すことはできないし、そういうただの感情アニミズム信仰の「原型」だというのが、現在宗教学とか文化人類学での基本的見解。(以下追記)

 

 *あくまで原型であって、感情宗教では決してない。

  儀式葬式、森といった対象がいかにして(宗教的)感情喚起するのかは専門的な議論になるため省略(11/1追記)

  

4.そもそも他人のものを切ろうとすること自体がおかしい。この教授キチガイ脅迫罪。お守りの金払え。

 つーかそもそも、この教授自分母親遺影無宗教なら壊せと言われたら壊すの?

  

 このやり取り自体を教授は「いやがらせ質問」と言っているが、別に本気で学生にお守りを切ることを強要しているわけではない、

 教授別に学生がハサミでお守りを切ることを目的にしているわけでもないし、それを望んでいるわけでもない。

 むしろ、この教授はこの学生にハサミでお守りを切ってほしくない とさえ思っている。

 なぜか。それはこの教授目的は、自分宗教であることに無自覚学生の中にも、そうしたアニミズム信仰が生きていることを明らかにすることにあるからだ。

 もし学生が、本当にハサミでお守りを切ったら、教授の目論見はあえなく失敗に終わる。

 もしこの教授が、嫌がって泣き叫ぶ学生に対して、お守りをハサミで切ることを怒鳴り散らして強要していたとかなら分からんでもないが、

 本人が「いやがらせ」と自覚してやっている行為を「脅迫」というのは言い過ぎ。

  

5.なにこいつドヤッってんの?ムカツク

  

 学歴コンプ乙。

 

(以下11/2追記)

後記 http://anond.hatelabo.jp/20131102094842

2013-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20130630165433

自分プログラム勉強したての頃はそんな感じだった。自分特にオブジェクト指向のあたり意味がわからなかったなあ…。

でも先生言葉はそういう人間には正解だと思うよ。

どちらも同じ先生で、質問してもそのうちわかってくる!って言われるからそうか…ってほっといてるけど、
言語の詳しい説明はいつになったら理解できるようになるか不安になる。

最初は「おまじない」として書いてても大丈夫。要は、動けばいい。

でもプログラムをずっと書いてるとそのうちもっとトリッキーなことがやりたくなってくる。そのときに嫌でもどんなことなのか知らなきゃいけなくなる。そういうのを繰り返してちょっとずつちょっとずつ知らないうちにぼんやりしてた概念が身についてくる。

こういう概念ってわかってる人には説明できる。でもわからない人に説明するのは用語の面でも概念の面でも難しい。一神教のひとにアニミズムの考えを理解してもらうような…(ちょっとちがうか)。だから教える側も最初は「おまじない」が限界なんだよね。

プログラムの自習は自分が作りたいものがあるとか作らざるを得ない状況だとかじゃないと課題を見つけるのが難しいかも。でもとりあえず今は習った範囲でできることをいろいろ試してみてごらん。macがあるなら試しにiPhoneアプリ作ってみてもいい。作り始めるといろいろ必要になるから勝手勉強ちゃうよ。

2013-05-01

韓国には「神隠し」に代わる言葉がない。つまり

神様がいないってこと。

神様がいないということは宗教存在しないことを意味する。

日本とは違って文化どころか国家アイデンティティである宗教がない。

韓国には外来キリスト教中国支配下における仏教道教の類しかなく、神道アニミズム的な信仰の類がない。

「神隠し」の代わりに「行方不明」が用いられたのは、暗に神がいない国だから

韓国には文化宗教も他国の借り物だから「神隠し」をそのまま用いることができない。

故に、韓国の無価値証明である

2013-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20130319025540

まぁそれも誤解なんだけどね。実際には、彼らが言う厳格な無宗教無神論人間なんてほんの一握りしかいないよね。

(最近は「いただきます」の意味すらしらない馬鹿が増えてるらしいが)

実際、海外仕事するにあたって、それなりに日本のことを説明できるようになる必要が出たので、日本人宗教観については英語で聞かれてもちゃんと説明できるつもり。一神教多神教の違いから入り、日本では8ミリオンゴッズだと言い興味を引き、トイレにすら神さまが宿ると信じられているという話で笑いを取り、そこから日本人宗教観相対主義(relativism)に近く、仏教アニミズム太陽信仰ルーズにミックスした状態でどちらかというと日常に暗黙的に(implicit)存在するのだ。だから日本人はあまりあなたがたが言うような信仰の形式は持っていないが、日本の街は比較的(遠慮した言い方)安全だし、おおよそ清潔が保たれるし、時刻にも正確だし、コミュニズム流行らなかったし、個々の人間職業倫理が高いのだ(と私は考えている)。」という話までするよ。

2012-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20120806205751

他者や動物果てはしゃもじや唐傘にまで人格や神性を見出すアニミズムとよばれる現象があるけど

別段それは悪いことじゃないし、それを利用して他者とのやり取りを円滑にしてきたのが人類だし

哀れみや優しさをどこにどう向けようが悪いことじゃない。

まぁ、そこからさきその運用が下手か上手かはあるだろうね

運が良ければその考えのままでも幸せに生きれるだろうし

考え過ぎないほうがいいと思うよ

考えを詰めると論理的に哲学の高度な議論が必要になるから主の考え方からたどり着くには大変そうだし。

結果だけ言えば自分が得をする考え方をすればそれでいい。

2012-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20120715053525

アニミズム自体に呪術的とか生殖器崇拝とかはないよ。弥生期のそれは朝鮮宗教根付いてるからだよ。少なくともシャマニズムが誕生する以前をアニミズムなんて言う。アニミズム根付いてる神社で有名なのは奈良大神神社

てか勉強不足どころかアニミズム意味を理解してないよね。ググるなり何なりした方が賢明だよ。

以下は全く別問題なので切り離して考えよう。

>疑問を抱くのは、どうして男根を祀る生殖器崇拝が多いのかということにある。多産、豊穣を願うのならば、どちらかと言えば女性性的なる象徴を崇めたほうが自然な成り行きなのではないだろうか。

東北地方神道は基本的に女性が豊穣祈願の役割を担ってる。東北の代表的な山岳信仰の一つである出羽三山恐山などとは異なり乙女に田植えをさせる風習があるけどね。神様女性に喩えられてるし。大阪では、住吉信仰(海神信仰とすべきか)が有名かな。

一方、東北女人禁制信仰が多く残ってるけど、女人禁制のもの神道でなく仏道から、基本的に男根祭も仏道になる。神道論といいながらも実際は仏道だったりするのが神仏習合の結果なんだろうね。ちなみに弥生時代までは女尊男卑が通例だったけど、仏教伝来から男尊女卑になったのは皆知ってるよね。

愛知は有名な仏教都市。三大稲荷ひとつである愛知豊川稲荷がその例。曹洞宗ね。

結論からいうと、弥生期までは女性が豊穣祈願の担い手だったけど仏教伝来以降は男性主義になったってこと。女には穢れがあるなんて発言したのは時の権力者の都合の良い方便だったと解釈するのが無難かもね。実際は女性に穢れはないって思想観念こそがわが国固有の神道なんだよ。

アニミズム信仰

日本生殖器崇拝は男根の方が多いらしい。生殖器にの形を模した造形物に、多産、豊穣をもたらす呪術的な力を認めて、崇め奉るのだそうだ。

愛知県小牧市にある田縣神社で毎年催されている豊年祭など、その最たるものだろう。男根神輿で担いで通りを練り歩く姿は、日本人であっても衝撃的な光景に映るに違いない。

まあ、そんなことはどうでもいい。男根の形をした飴を女の子がねぶっている画像とか、思うところはあるけれどそういう文化と捉えてしまえば受け入れられるものだと思う。

疑問を抱くのは、どうして男根を祀る生殖器崇拝が多いのかということにある。多産、豊穣を願うのならば、どちらかと言えば女性性的なる象徴を崇めたほうが自然な成り行きなのではないだろうか。

地母神の描写が世界各国の神話に現れているように、古来人は生命を肉体から生み出す女性性に、多産、肥沃、豊穣といった大地の母としての信仰をあてていた。

全然知識が足りないからもう気取って書くのは止めよう。

疑問は簡素で、どうして男根信仰が多いのかってことに尽きるんだよね。女陰信仰もあるにはあるみたいだけど、そんなに見聞きしたことがないし。

なんでなんだろうって思うわけで。日本で言えば、汚れの思想が理由に当たるのかしらんとは想像するのだけれど、まあわからないわな。

そもそも汚れなる思想が難しいし。なぜ血が汚れにあたるのか。血っていうのは、人間的な範疇に捉えられてしまうからなのかしらん。超越者に、血は似合わないからなのかしらん。

何にしろ、昔らから人ってばギャップが大好きだったんだなあって思う。矛盾なきギャップを有したキャラクターは、羨望の的だったのかもしれないなあ。嫉妬の間違いかな。

なんか面倒になってきた。やめる。

2011-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20110603075650

フィクションにおける古代文明はわりと人類共通の「黄金時代神話(昔はよかった神話)」によるもので、

黄金時代」の言葉ルーツギリシャ神話であるヘシオドスの『仕事と日々』によると、かつてクロノスが神々を支配していた時代が、黄金時代である

黄金時代には、人間は神々と共に住んでいた。世の中は調和平和に満ち溢れて、争いも犯罪もなかった。あらゆる産物が自動的に生成され、労働の必要はなかった。人間は、不死ではないものの不老長寿で、安らかに死んでいった。

その後、ゼウスクロノスに取って代わると、黄金時代は終わりを告げ、白銀時代が始まった。白銀時代の人間ゼウスに滅ぼされ、青銅時代が始まった。以後、神話英雄活躍する英雄の時代、歴史時代である鉄の時代と続くにつれ、人々は堕落し、世の中には争いが絶えなくなった。

そうした理想郷崩壊した理由を行き過ぎた科学に求めるのはSFの手法で、人口に膾炙したのは Final Fantasy のようなRPGゲームの影響が大きい。また、日本社会アニミズム親和性のある社会だったし、RPGゲームが出た頃には初等教育公害問題を学ぶのが普通になっていたので、「理想郷崩壊した理由を行き過ぎた科学に求める」ことの下地はあった。

Final Fantasy は、「奇跡の力を独占・横領する、あるいはそれを使うことで暴走する」存在が倒すべき悪として描かれているが、これはニューエイジ思想がファッション化され、エンタテインメントに組み込まれたもの。根底にあるのは科学に対する不信感。正確には科学に対する期待外れ感。これは、マルサス的な人口容量の限界を感じる精神と表裏一体。

科学に対する期待外れ感がフィクション作品にどのように反映されているか岡田斗司夫「失われた未来」あたりで。

今、生き残っている文明は、環境負荷の増大による文明崩壊リスク人口制限や科学技術進歩で乗り越えてきているので、TYPE-MOON作品の「抑止力」と呼べるような精神性を持っているように思う(オカルト的発想だけども)。それがフィクション作品に「古代文明崩壊」という形で表象している。

2011-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20110120212121

資本主義純粋に言えば操作出来るものじゃないし

人が作ったものではあるけど、人によってデザインされたものじゃない。いわば自然現象

もちろん、世界各地に中央銀行があるようにある程度人によってコントロールの試みがなされてるけど、

それは海に防波堤を作ったり川に護岸を作ったりする程度のものに過ぎない。

から資本主義の失敗っていうのは「資本主義経済コントロールの失敗」であって、

別に洪水は川が失敗したわけじゃないし津波は海が失敗したわけじゃない。資本主義は失敗しようがないよ。

資本「主義」って言い方がこういう誤解を生む元だよなぁ。

資本主義宗教で言うとアニミズムのノリだよね。逆に、共産主義はモロ一神教系。

どっちもある種の宗教には違いない。紙幣って言葉も、紙の「幣」(ぬさ)だからね。祭祀が使う儀礼アイテムですよ。

2010-08-20

キリスト教は糞!多神教最高!神道最高!っていう奴は

もちろん必ず『いただきます』『ごちそうさま』を言ってるんんだよね?

厳密には神仏習合儀式だから仏教の影響もうけてる挨拶だけど

これすら実践できない奴がアニミズム語っていいの?w

2010-08-08

処女厨って、処女が嫌いなんじゃなかろうか

逆説的だが。

理由は、日本母権社会だから。

そもそも父権社会が生まれる前の、母権社会における処女というのは、今みたいな清らで優しいなイメージとはほど遠いものだったようだ。

処女神は地母神の対義的存在であり、まぁ端的に言えば、流血と死を好む、闘争的でヒステリック存在だ。

例えば偶然迷い込んで自分の裸を見ただけの男を、残酷な手口で殺す女神アルテミスだとか、

血と死にまみれた道を自分の領分として、平気で歩き進む娘だけが、処女神のよりしろとして選ばれるクマリだとか。

荒ぶる御霊のご機嫌をとって、味方に付けるというアニミズムの発想から、彼女たちは崇拝されるのだが、基本的にはとても残虐な、あらゆる男を自らの処女性を犯す穢れとして殺害しかねない存在。それが処女神だ。

これ、処女厨が忌み嫌い、思い描いているらしい「フェミニスト」の絵にぴったり嵌る。

で、彼女たちを優しく穏やかで、男達を包み込み、育む豊かな存在である「地母神」にする手段があると、昔の人々は信じた。

それが最初セックスだ。

処女セックスすることは、荒ぶる神である処女の怒りを買うことだから、彼女たちに対抗できる呪力が強い、呪い師や長みたいな人が、村の処女と一度セックスして、それから他の男とセックスしてもイイコトになる、みたいな風習もそこかしこにあったらしい。

要は、もう男を受け入れて、優しくしてくれる地母神になったので、セックスしても祟り殺されないよ、ということだ。

これが男根崇拝にも繋がるのだろう。すなわち男根には、女神達をコントロールできる呪力があるという信仰だ。

ところが現実の女はそうはいかない。

女にとっては最初セックスなど、他のセックスと同等以上の価値はない。別に特別でも何でもないという。

男根には、女をコントロールできる呪術など何も備わっておらず、ただの生殖器にすぎないのが現実だ。

セックスしてもセックスしても、地母神にはならず、処女性を失わない現実の女が、多分処女厨は恐ろしいのだ。

なぜなら、セックスに女を母に変える呪力がないことを、すなわち「自分だけを愛してくれるお母さん」を新たに獲得する術などないという事実をつきつけてくるからだ。

さらに不公平感も誘発する。

女の子宮は生命コントロールする力を持ち、男の男根はその女をコントロールする力がある、という幻想が、「男も女も生命の営み、流れに影響する呪力がある」という幻想の源だった。

だが、実際に男根に呪力がない現実がつきつけられているにもかかわらず、「女の子宮は生命コントロールする権限」だという幻想は、未だ効力を失っていない。

人工精子は作れても人工卵子は未だ作れないし、人工子宮は未だ夢のまた夢だ。

昨今は病院出産するため、嬰児殺しは簡単に出来ないし、そもそもそうしたいのなら堕胎するのが普通だが、その気になれば女は一人で産んで、その子供を捨てることも、完全に不可能ではない。すなわち、確実に出産に立ち会えるという保証から、生まれてくるべき生命とそうでない生命を決める原初からの権限を、未だ女達は失ってはいない。

母権社会であった日本では、生まれてくる赤子を育てるか否かの決定は、出産儀式のうちに組み込まれており、当然その判断は母親や義母などの、出産儀式に参加する女達で決められた)

少なくとも処女厨たちはそう思っているのではないだろうか。

2010-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20100628005342

神話を読む限り、神の原型は祖先信仰なんだから、おじいさんのおじいさんとかと思っておけばいいのでは。

あ、アニミズムとかだとちょっと違うか。あれは自然の持つ力への信仰だから、現代だと天候とか地震とかかなあ。

2009-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20091204134847

フィンランド移民率は2%くらいだから、ほとんど考慮しなくて良い数字だと思うよ。

しかもフィンランド男女平等伝統的なところがあるから、移民なんてほとんど無い時代でも人口破綻していなかった実証として、今ここに滅びず存続している時点で、人口減には関係ないってところだろ。

あとフランスに関しては、一度移民した人はもうその国の国民なんだから、別に移民してきた女が出産したって構わんだろ。

次から次へと移民しないと人口維持できないなら、いずれは移民元の国の人口も尽きるから問題だが、一度移民してきた人が子供を産むのは、ナショナリストでもない限り特に問題だとは思わんよ。

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伝統的で思い出したので追記。

そもそも日本だって、男女不平等になったのは、ほとんど明治維新以降だからね。

江戸時代以前も外国から輸入してきた儒教仏教なんかの流れをくむ部分は男尊女卑だったけど、土着の神道男尊女卑どころか母権崇拝的なところが強いし、概ね仏教の方が土着のアニミズム価値観に合わせて変化したおかげで根付いたような所がある。

日本ガチガチ男尊女卑なんてわりと最近思想なんだよね。それで今まで日本が滅びてこなかったんだから、それこそ女が権限持つと人口が減るなんてあり得ないよ。

2009-12-03

人間の獣性がなくなったとしても、多分誰も困らないし、人類も衰退しないし、下手すればむしろ繁栄する」という絶望

レイプ関連で連呼されているので獣性と呼んだけど、その呼び方に限定せず、要は感情についての徒然。

嫉妬だとか、闘争心だとか、焦りだとか、そういう人を焚きつけて動かす衝動、みたいなもの全般のことについて、ちょっと書いてみようと思う。

これらは、良い面で見れば、誇りやプライドを生み出すものでもあり、美学を生み出す原動力でもあり、勇気や度胸の源でもあると私は思う。

生命に「今ここに生きている」という実感を与える、命の万能感を与えてくれる、人によってはその感情こそが自我の一部だとさえ感じられる、そう言う類の物。

命のありかたそのものだと思うのだ。

でも、そういうのが全てなくなっても、多分人類は何も困らないと私は思う。

これはSFなんかでもさんざんテーマにされてきた、絶望的なけれども大いにあり得る推測なんじゃなかろうか。

普段性欲が無くても、必要な時だけ薬を使ったり、人工授精したりで、もはや子供は作れる。将来的にはもっともっと安価で簡単になるだろう。

恒常的な性欲のせいで、心理的傷を負い社会生活に支障を来たし、生産力になれなくなる人が出るくらいなら、恒常的に性欲をなくしておいて、必要な時のみ、必要な量だけの生殖活動が行うようにした方が、社会はより生産的に上手く回るかもしれない。

「いい女とエッチするために出世したいから人は働くんだ」と言う人もいるが、性欲が弱い人だけしか世界にいなかったとしても、明日おいしいご飯を食べてあったかいベッドで寝て、趣味まったり楽しむ、という目的だけで、充分働くことが出来てしまうから、別にエッチをご褒美にしなくても社会は回ってしまうだろう。

セックスだけじゃない。

人は何かを誇るから、何かを差別する。何かを誇ってしまった時点で、それはそれ以外の物に対する差別そのものだからだ。

誇りを捨ててしまえば、差別もなくなる。差別がなくなれば、しがらみに囚われない裁量により、適材適所を推し進めることが出来、社会生産性を上げることが出来る。

感情や衝動。そういうものがなくなったら「人はきっと何かとにかく、生物として致命的な欠陥を負って、駄目になるかも知れない」と、いう意見をしばしば目にするけれど、今までの歴史を振り返ると、どうも実際は「一定の技術力がその感情を代替できるようになれば、人類はその感情を捨てることによって、駄目になるどころか、むしろ繁栄する」が正解な気がする。

人類は大まかに分けて、原始社会中央集権社会資本主義社会 と発展していったのだけど、その度に一つずつ「大切」だと言われていた感情を捨ててきたんじゃないかと思う。

原始的な社会では、恥の概念がとても強く、恥を避けて生きることに、美学を見いだす(細かいことは文化人類学とか、まぁそんな感じでググってくれ)。

今でも原始的な生活を続ける部族は、自然をあるがままに受け入れ、その範囲内で最適な行動を取ることが美しいとされる世界観を持っている。自然に逆らって、環境が気にくわないとがなりたて、書き換えようとするのは、みっともないと感じる価値観だ。

だが、恥も美学も捨てることによって、自然に従うのではなく、抗ってコントロールし、支配することに成功した中央集権社会が、おおよそ原始社会よりも高い生産性を持ち、彼らを歴史の影へ追いやった。

文字の発明によって、数万人単位人間が法によって共同作業できるようになったため、分業化が進んだからだ。自然を理解しそれに合わせて生きなくても、ただひたすら法に従って生産活動していれば、自然を逆に支配できるほどの力を得られる。

これによって人は、恥の概念を捨てて、支配者の定めた法からはみ出すことのみを恐れる、罪の概念を得た。

日本先進国では珍しく、原始アニミズム信仰を未だに強く残している国だが、これは明治維新時に、中央集権的な思想を一部取り入れつつ、資本主義シフトしたからこそ発展できたわけで、江戸時代以前のままの体制を続けていれば、今の日本はなかっただろう。

一方、中央集権社会の、剥き出しの支配欲の元となっている「誇り・プライド」さえも捨ててしまったことで、発展したのが資本主義社会だ。

資本主義を支えるのは単純な損得勘定と、それを支える「リスクへの恐怖感」だけだ。もはや罪の概念すら必要でなく、ただひたすらリスクを避けるために踊り続けていれば回る社会だ。

人が人を支配しなくても、代わりにお金がそれを代替してくれるようになったから、人に誇りも意地も必要なくなったのだ。

資本主義社会戦争が起こるのは、おおよそデフレの時くらいであり、つまりは高すぎた生産性を下げるために、わざと誇りや意地を煽って生産性のない破壊活動を行う始末であり、当然その背後にある有り余るほどの生産力は、中央集権社会を八割方駆逐した。

この流れが続くとしたら、多分、人はそのうち、リスクに対する恐怖心が無くても、うまく社会を回せる発明品を手に入れるのかも知れないと、私は思う。恥も、支配欲も捨てることで発展してきた人類が、次のステップへいつの日か進むことも、充分あり得ると私は思う。

そしてそれらを突き詰めていくと、人類の発展とは、感情を一つ一つ捨てていく作業に他ならないのかも知れない。

感情を捨てたことで人類が滅びれば、まだある意味人類は救われる。私達の中にある、自我の一部とも言うべき様々な感情は、必要な物だったと証明されるからだ。

でも実際はその逆に進むのではないかと私は思う。

人間がただ計算するだけのコンピュータの用に生きるようになったとしても、多分人類は何も困らず、むしろますます発展していく。していってしまう。

人間システムを動かすための素子であり、人類としての主体はむしろ、社会システムの方にある、そんなSFみたいな世界も、案外本当にいつの日か実現してしまうのではないかと、そう考えてしまう。

それでもって、人の獣性を肯定して、「人の獣性はなくなるわけないんだ!! なくなることを期待しちゃいけないんだ!! むしろ自衛本能という女の獣性を駆使してそれに立ち向かえ」みたいに説いている人というのは、社会システムが支配する世界が訪れないように、戦っている人なのかも知れない。

システムを挟まず、主体性を持った命と命がぶつかり合う、システム主体性を譲り渡さない世界を、願っているのかも知れない。

最近の流れを見て、ちょっとだけそう思った。

まぁ、だからといって、セカンドレイプを看過していいわけではないと私は感じているし、それを制するためのシステム発明する必要があるだろう。

ただ、そんな私自身の発想自体が、多分世界システム化していく原動力なんだろうな、とも思うのでした。

以上。

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