はてなキーワード: あやふやとは
35歳職歴無し無職ワイ乙4受けてきたで。ちな直前に解いた模擬問題の正解数は全て合格ラインに達してた。
でも本番は危惧してた通りヒネた問題出してきやがって面食らったわ。
確定して間違えたのは3問。
・1つめ
C6H6の構造式を見せられ「これ第一石油類やで、どれや?」って感じの問題で
アセトン、ベンゼンに絞ったはいいものの化学式までは覚えておらずアセトンを選び轟沈(アセトンには酸素が含まれている)
化学式までは覚えられませんやで殺すぞっていうか26回ぐらい模擬問題解いたのに1問も化学式を問うてくる問題はなかったやで殺すぞ
・2つめ
1類はなんやらかんやら云々
2類は還元性物質で酸化性物質と同じとこに置くと摩擦や衝撃でクソ燃える
の2択に絞る。
可燃性って還元性物質なん・・・?そんな文言テキストで一度も見たことねえぞ…ってなって
1類の方を選びおそらく轟沈。
・3つめ
思い出せんが間違えた気がする。
・怪しいやつ
定期点検は所蔵やなんたらかんたらが技術上のなんたらに適合しているかどうかについて行う。
みたいな2択に絞り給油取扱所の方を選んだ。多分合ってるけど
後者もそれっぽくて間違えた感がある。
あと
タンクに補充しに来たタンクローリーのあんちゃんが違うタンクにガソリンぶちこむ事故が起きた。対策としてどれがふさわしくないか?
みたいな問題でも
「補充する前にタンクのあんちゃんと危険物取扱者が立ち会ってから補充する」とあと内容忘れたけど2択まで絞って
そもそもタンクの中身は見えねえし移動タンクと注入先タンクが適合してるかどうかは危険物取扱者じゃなくても表記を見れば判断できるくね?って思って前者を選んだけど間違えた感がある。でも取扱者でもダブルチェックという意味では予防にはなるよな?
みたいな感じで一応事故の予防になるやろって選択肢ばっかで困った。
他はガソリンの性状や重油の性状でサクッと選べる問題で余裕だった。
○○を完全燃焼させたときの熱化学方程式である。係数の合計はいくらか?
みたいな問題でけけ係数?ってなったね。(正確な化学式は忘れたけども)
A+B+C+Dで両辺の分子の数が合致する組み合わせを探すだけって気づいて力技で見つけ出して2+4+5+2=13にして勝ったなって思った。
他にも静電エネルギーを問われてE=QVだったかE=QV^2だったかあやふやだったり。
ちゃんと前者にしたけども。ていうか静電エネルギー云々ってそこらのテキストでも一問も出なかったぞこれ。
過去問常連の指定数量が1を超えるのはどれか?問題も0.96だったり0.93だったりギリギリを攻めてくる選択肢が複数。
乙4の合格率が調整期間に入ってて記憶があやふやな奴らを振り落とすためか過去問からズラしてきてる問題がそれなりにあって
確かにこれなら落ちる奴も増えるだろうなって思った。
ペイル社の4人のCEOやケナンジが元気に生きてて、スペーストランプも元気に生きてて、フェンが死ぬのも意味不明なんよな
ジジババは世の中が勧善懲悪じゃないことを知ってるし、ジジババになっていくほど遺伝や幼少期の環境の影響を重視して血統差別者になっていくから。
いい加減いつまでこの話を続けるんだ?と言われてしまいそうだが、
このツリーの感想を読んでいて思ったことを性懲りもなく付け加えてみることにする。
水星の魔女は若者向けを目指したと言われているが、あまり若者向けの作りになっていないのではないか?という話だ。
ツリー内に共感できる感想が多かったので、引用が多くなることを許してもらいたい。
この投稿の「スレッタが酷いことを言われても耐えるキャラのまま終わった」、
この投稿の「スレッタとグエルの毒親受容」「ウテナ要素の中途半端なサンプリング」に同感である。
特に、決闘による花嫁争奪戦という現代の価値観では人権侵害でしかない制度を否定せずに終わったのはいただけない。
スレッタとミオリネがお互いの意思で一緒にいようとする・グエルが自分の意思でミオリネをスレッタに譲るという展開では駄目だったのだろうか?
そもそも何故そんな制度がまかり通っているのかということにも、制度に反対していたのがミオリネ一人だけという異常な状況にも、詳しい背景の説明がない。
正直なところ、本編の描写だけではべネリットグループやレンブラン家が政略結婚を必要とするほど切羽詰まっているようには見えなかった。
ミオリネだけではなくスレッタやグエルも当事者なのだからデリングに制度のことを問いただすシーンがあっても良かったし、
最初はデリングに反抗的だったミオリネも制度は父なりに娘を思ってのことだったと納得してしまったように見え、非常に残念だった。
この投稿の「格差描写が無意味、作品としての倫理観が粗末だった」、
中でも子供ばかりが罪を負い、大人は罪を償ったはっきりした描写がなかったことが引っかかる。
(オリジナルエランは自分の影武者として作られたエラン4号や5号ら強化人士たちの扱いをどう思っていたのか?
ラウダが学生たちの乗った宇宙船を攻撃し、グエルを殺害しかけたことはどう処理されたのか?という点も確かに気になるのだが)
デリングはテロ事件で一時昏睡状態に陥り、プロスぺラも体が不自由になり、一応痛い目に遭っていると言えるかもしれない。
それに比べてペイル社の4人のCEOたちは、財産は失ったらしいもののなぜか私服でティータイムを過ごしているシーンで終わった。
この4人にネタ人気が出たせいなのか分からないが、非道な人体実験を行い(少なくとも)4号を殺害した罪を曖昧にしてはいけないだろう。
御曹司のグエルがやたら視聴者に持ち上げられる脚本になっていて
(それこそスレッタが落ち込んで行動不能になるのを繰り返していた2期中盤などは、グエルこそが真の主人公だ!貴種流離譚だ!なんて言われていた)、
シャディクの掘り下げがなかったことで、「イスラエル可哀想!パレスチナ人は死ね!」の目線だけで終わった感があるんだよな水星の世界観。
シャディクが学園の生徒を殺したのは犯罪だが、スペーシアンがアーシアンを一方的に搾取する構造がなければシャディクは何もしていなかったわけで。
その辺りの掘り下げがなさ過ぎて、ただ視聴者のヘイト集めて終わって、水星の魔女って何が言いたかった物語なんだ?になってしまってる。
フィクションには、特に子供が見るようなアニメには、「愛人の子なだけあって全部がグエルに劣ってる」といった差別には反論できるように作る義務があると思うんだわ。
しかし本編を見る限り、ラウダを擁護できない。ラウダを擁護している人々は憶測と願望といった本編に無いものが主な根拠になっている。
フィクションは意図によってコントロールできるものなのだから、現実で差別や不利益に晒されがちな非嫡出子の扱いはもっと考えて欲しかった。
愛人の子だからジェターク姓でなくニール姓を名乗らされ、23話で「ラウダ・ジェタークが!」と叫んだのに、
客観的には「状況が分かっていない人による迷惑な横やり戦闘」でしかなく、3年後でも当たり前みたいにニール姓のままだったのは酷い話だよ。
兄は正妻の子なのにスレッタに振られ、弟は愛人の子だけどペトラに好かれているようだという点以外、一切の救いがない。本当に酷い。
ある程度年齢の行った視聴者なら、「紛争地帯出身の孤児でスペーシアンとアーシアンのハーフであるシャディク」
「正妻の子・グエルと同い年の異母弟で愛人の子であるラウダ」という設定を聞いた時点で
シャディクやラウダがどんな目に遭ってきたのか、これまでの知識や経験から何となく想像できる人が多いのではないかと思う。
シャディクは「アカデミー」に入るまでは貧困生活に加えて危険と隣り合わせの毎日だったかもしれないし、
ラウダはジェターク家に引き取られてからも「愛人の子」という本人には責任のない中傷に苦しんだかもしれない。
こう考えればシャディクがテロを起こした理由や、ラウダが神経質で他責的な性格になった理由にもある程度納得が行く。
ただこれらは本編に描かれていない以上想像にすぎないので、「そんな描写はない」と言われてしまえば反論できない。
個人的に、兄のグエルと比べて弟のラウダは大した苦労をしていないかのように言われがちなことにも無情を感じる。
ラウダも兄のグエルが行方不明になり、そこへ父親のヴィムが死亡し、10代にして経営が傾いた大企業のCEOに担ぎ上げられるという
なかなか壮絶な経験をしているのだが、何せ絵的には地味であり直接的な命の危険はなかったため主に若者の共感を得にくかったのだろう。
(恐らくペトラはそんなラウダをそばで見ているうちに助けたくなり、それが恋に発展したのだと思うがこれも描写がないので想像でしかない)
寮を追い出されて野外でキャンプをする、家出をして偽名でアルバイト生活をする、事故で父親を死なせてしまう、地球でテロリストに監禁される、と
視覚的にわかりやすくバズりやすい描写があったグエルの方が同情を集めたのも無理もないのかもしれない。
制作側としては「シャディクやラウダの過去を詳しく描くと生々しいのでカットしてしまおう、
描かなくても視聴者が何となく想像で補ってくれるだろう」という考えだったのかもしれないが、
果たして若い世代が本当にそれを想像できるのかどうか、もっと熟慮してほしかったところだ。
大人であれば「御曹司で純血スペーシアンで正妻の子であるグエルが視聴者に持ち上げられ、
そうではないシャディクやラウダがグエルと比較されて叩かれる」という状況の倫理的なまずさに気が付いても、
若者であればそれが分からず無邪気にグエルを持ち上げシャディクやラウダを叩くこともあり得る。
(というか、実際ネット上でもこのツリーの中でもそれが起こってしまっている)
グエルのような(中略)キャラクターに自己投影して持ち上げて、それに比べて貧困アーシアンを鉄砲玉として使い捨てして学生大勢殺したテロリストシャディクや
例えば15話なんて、グエルはもう他に充分良いシーンをもらっているのだから
それこそシャディクやラウダ、スレッタのフォローに時間を使った方が良かったんではないか?
最終的に、こう言われても仕方がない脚本になってしまったと思う。
シャディクやラウダへのヘイトも酷かったが、グエルは人気キャラクターであるのと同時に
「主人公であるはずのスレッタを食っている」とアンチも多く、グエル役の声優がSNSで攻撃される事態にまでなっている。
人気キャラだからと言って持ち上げすぎても作品のバランスを損なってしまうのだ。
本題からはズレるが、特定のキャラクターを活躍させすぎるとプラモやキャラ商品の販売にも支障が出る。
できるだけ多くのキャラクターを魅力的に描いた方がそれだけ多くの種類のプラモやキャラ商品が売れることに繋がるはずだが、
シャディクやラウダは本編内の描写だけを見るとさながら「お星様(グエル)の引き立て役B」になってしまっており、
(グエルと比較されることこそあまりないが)やはり悲惨な境遇であるエラン4号や5号も目立った活躍や掘り下げが少なかった。
その割にスレッタ・ミオリネ・グエル以外のキャラもそれなりの人気を獲得しているのは、ファンが想像でキャラの過去や長所を補っているからだろう。
だからと言って制作側は視聴者の想像に頼りすぎず、必要な描写はアニメ本編内でしっかり描くべきだったと思う。
・子供が大人から受けた酷い仕打ちを許し、大人の分まで罪を被ってくれるという大人に都合のいい形で終わったアニメだった
・「信賞必罰」「勧善懲悪」があやふやであり、血統による差別を推進する、道徳的に子供や若者にふさわしくないアニメだった
と言わざるを得ない。
制作側に良心があるなら、今からでも作中の大人の罪やモラハラ行為をきっぱりと否定し、
作中で不遇だったキャラクター(特にシャディクとラウダ)について何かしら擁護できるような情報を出してほしい。
そして次回こそは上記のようなことに気を配った、一本筋の通ったアニメを制作してほしいものである。
行政の仕事に多少なりとも関わった経験があるなら分かると思うんだけど
別に某Cに限った話でも何でもなく、活動実態もバックもあやふやな団体が(界隈の言葉によると)公金チューチューしてる例なんて多々ある訳ですよ。
現場も馬鹿じゃないからこいつら絶対怪しいだろって思っても、上から外部団体からの圧力などをチラつかされると黙ってスルーして怪しい輩に公金をスルーパスせざるを得ない訳で……
故に某Cもそこらの有象無象のNPO団体と同様で、公明正大な会計してたらあそこまで騒がんやろとかは思うがこの点は裁判でハッキリ……しないんだろうなぁとは思う。
結局頭の回る輩がブレーンにいるなら誤魔化す事はいくらでも出来るし、何なら今かの団体がやっている様に、誤魔化す事すらせずに世間に対し「我々は正しい」というメッセージと概念を植え付ければ勝ち。
もちろん世間といっても狭い世間ではあるのだが彼らが接する「世間」を騙されば勝ちであり価値という概念でやっているのだからまともな社会感覚してたら理解する事すら難しいんじゃないかな?知らんけど。
某Cに落ち度があるとすれば、せいぜい内輪に向けてやる様な男叩きオタク叩きコンテンツ叩きを、団体の顔が主導・扇動する様な形で只管騒ぎまくった事。
結果はオタクの中でも取り分けヤバい奴に目を付けられた。左翼界隈全般に言える事だけど、「オタクの男」(またはオタクコンテンツに対し好意的な層)に対して
「ニート、フリーター、派遣社員等の社会カーストが底辺な連中ばかりでネットで騒ぐだけで何の行動も出来ない」
という昔ながらのイメージを抱いていたのが原因だろう。その辺の感覚のアップデートがマジで出来ていないと感じる。
オタク叩いて騒いで支持を集めていたつもりが実は世間を叩いていた、というオチ。
結局の所、同類の団体から積極的に擁護が出てこないのが一つの答え。
大抵の団体が探られて痛くない腹は無い状態なので、目を付けられる様に騒いでた某C周りと関わり合いになりたくないのだろう。
某Cからしたら「他もやってるのに何でウチだけ!?」という憤りはあるだろうし、支持者は党派性と男やオタクコンテンツへの悪意で騒いでいるのは理解出来るのだが
さすがに問題全てを陰謀論で片付けて「何の問題も無かった!いいね!?」と開き直るのは、さすがに筋が悪すぎるんじゃないかと思う今日この頃。
近隣に配慮して叫ばないように気をつけてはいるが、頭の中でずっと絶叫しながら見ている。
いや多分無意識のうちに多少叫んでると思う。
とてもとても疲れて体力を消耗するから1度につき1話しか見れない。
立て続けに見ると興奮と動悸で死ぬかもしれない。
もう15年以上前の作品だが、そんな感じでたまに1話だけ見て、興奮して、うおおおおおおおおという気持ちになる、というのを作品が終わったあともずっと繰り返している。
好きすぎてずっと同人誌を描いている。
作品のこともキャラのことも好きすぎて、頭がおかしくなりそうなのでアウトプットしている。
アウトプットされた話は、絵も下手で、読み返すと稚拙で、本当にこのキャラはこんなことをするだろうか?言うだろうか?という疑問が出てきたりしてまだまだ納得がいかない。
一生納得はいかないだろう。
二次創作なんてそんなもんだ。
今はもうファンもかなり減ったが、それでもたまに同人誌を手にとってくれる人がいる。この作品を知っている人がいてくれた!と思って嬉しくなる。
そんなことをずっと繰り返しているうちに主人公の両親の年齢に近づいていることに気が付いた。
それでもこの先もおそらくずっと好きだろうなと思える。
このアニメに出会うために生まれてきたのかもしれないと思う時さえある。
全ての話が好きだし全てのキャラが大好きだ。
ウニは磯臭さを凝縮して受肉させたみたいで不味い。キャビアは凝縮した塩っぱすぎるイクラみたいで不味い。
珍味が美味ではなく珍味であるように、コロッケとか焼き鮭とかその辺に転がってるフツーの美味しさに飽きを覚えた人間が珍しさを求め始める。そういう類の食べ物ってあるんじゃないかと思う。
値段と味は関係ない。
希少だから値段が高い。手間がかかるから値段が高い。ブランドの演出として値段が高い。
広く好まれる食材は常に希少か。食べすぎたあまり希少になってしまう事はあるかもしれない。
手間をかければ美味しいか。
大抵の人にはきっと生のジャガイモよりも茹でた方が美味い。でもキュウリを刻むか丸齧りしたいかは好みの問題。
手間をかければその方が常に美味しくなるというもんでもない。まあ気分の問題もある。30分煮込んだカレーより3時間煮込んだそれの方が食べてて満足感はある。身体的な反応としての美味しさとはまた別の部分で。
おれは嫌いだけど、まあ好みだろうなって思える食いもんもある。コレを素朴に美味しいと思う人間が本当にいるのかって疑わずにはいられないもんもある。おれが総じて苦味やエグみの嫌いなお子ちゃま舌なのを差し引いても。
珍しさへの欲求は素朴な味覚に勝るのか。
そもそもそういうメタ情報抜きに、いわゆる珍味の美味しさを舌の上だけで感じているのか。
サンマのワタを食う親父は果たして本当に美味しいと思っていたのか。親父もまた親父の真似をしてカッコつけてはいなかっただろうか。
おれは珍しいものより高いものよりイイとされるものより好物よりも、気分に沿ったものを食べたい。
コンビニへ行くにはサンダルをつっかけて、ギターを担いでる日はスーパースターを履いて、マウンテンパーカーを着たい日にはサロモンを合わせるように。
ラーメンの口だなと思ってたら、数時間後にはペペロンチーノの口になってたりもする。その波を逃さずにしっかり捕まえたい。
おれがフツーの美味しさに飽きる時は来るのか。ワッパーに飽きるとは思えない。でも最近唐揚げはちょっと飽きてきたかもしれない。20そこらで胃の問題というんでもないと思う。
最近はアレがキツいわ〜ってキャッキャとはしゃぐ人はよくいるけれど、還暦過ぎて米も唐揚げもバクバク食う親父を見るにそこは大いに個人差があると思う。
フツーの食べ物にも飽きてしまった。しかし珍しいものを食べても別に美味しくはない。これでは食の楽しみを失うも同然だ。恐ろしい。
他人の味の感想ばかり参考にして自分の好みがあやふやになってしまうのも不安だけれど、食のレンジを広げていく態度も必要かもしれない。
受け入れ難い他人の好みも、慣れさえすれば自分の好みに取り入れられるかもしれない。好きが増えるのはいいことだ。
でもおれがサンマのワタを喜んで食うようになる日は多分来ない気がする。
[B! 事件] ジャニーズ 元タレントら“子どもへの性犯罪 時効撤廃を” | NHK
このニュースには反対。性犯罪には時効があるべきだし、過去に行われた時効撤廃についても再考するべきだ。
理由は、「時間はあらゆる証拠を洗い流してしまうから」に尽きる。その証拠には、有罪の証拠だけではなく、無罪の証拠も含む。
あなたは昨日の夕食、誰と何を食べたか言えるかもしれない。行きつけのお店で友達とご飯を食べました。これがインスタに上げた写真です。店長も友人もそう証言してくれています。アリバイ成立。送検すらされない。よかったよかった。
だが、30年後にその店は残っているか? 店長や友人は生きているか? インスタの垢は削除していないか? そもそもインスタがサ終していないと誰が言えるのか? っていうか、その日に友達とレストランに行ったことを思い出せるのか? 増田は30年後に自分のアリバイを証言できる自信がない。
そうはいっても殺人であれば、たとえば凶器に残された指紋であるとか、第三者の目撃証言とか、そういったことが無罪の決め手になるかもしれない。
しかし性犯罪の多くは、証拠が残らないことが多い。親密な関係性で行われる性暴力というものは多くあり、その場合、証拠が残ることは極めて少ない。それはある一面では「訴追に足る証拠がないので、被害者が泣き寝入りを強いられたり無罪判決が出ることが多い」であるということだが、もう半面は「証拠が足りない状況でも訴追され得る」ということでもある。これは、無力な一市民にとってみれば、恐るべきことではなかろうか。
ジャニー喜多川による性暴力は、おそらく実際にあったのだろう。そこは疑わない。だが、性暴力について偽証する人というのは残念ながら存在するし(ウトロー事件、会津若松虚偽告訴事件、草津町長に対する冤罪事件)、被害者が間違った人を犯人として名指ししてしまうこともある(氷見事件)。被害者の家族が間違った人を警察に突き出したという事件もあった(貝塚ビニールハウス殺人事件)。そういった冤罪は、いつでも、どんな犯罪でも起こり得るのだ。自分が被害者になる可能性については多くの人が想像しているだろうが、自分が容疑者になる可能性についてはいったいどれだけの人が真剣に考えているんだろうか? あなたが何もやってなくても、警察が容疑をかけたら、あなたは容疑者になるのだ(容疑者というのは、「犯人」という意味ではなく「犯人ではないかと疑われている人物」のことである)。
増田は教職に就いていて、子どもたちと個別面談をしたことが何度もあるが、何年何月何日に教員室で身体を触られました、と言われたときにどう防御したらよいのかわからない。数ヶ月前のことだって記憶があやふやなのに、まして30年、50年も前のこととなったら。草津町長の冤罪事件では、「町議の訴える被害の状況と実際の町長室の家具の配置が違う」という点も町長側から反論として出されたが、何十年も経ったら教員室も模様替えしていて、「こんな犯行をできたはずがない」という弁護はできなくなっている可能性が高い。
もちろん、あまりに昔の事件の捜査・訴追については何らかの物的証拠(被害者を縛り上げたロープについた指紋とか、採取された精液とか、防犯カメラの映像とか)を必須にする、という運用がなされるなら、そこまで恐れる必要はないのかもしれない。しかし、残念ながら増田は日本の警察の良心をまったく信用していないので、時効によって、そもそもそんな昔の事件については捜査がなされないことを望む。