真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
つまり、あくまで筆者個人の語りを代弁させているというわけだな。
なので会話の内容は覚え書きが不可能なほど、不自然に長いことがほとんどだ。
まあ、本当にやっているとしたら録音でもしないとダメだろうな。
内容なども加味して、パブリックな場所でそれらの会話を他人が聞き取れて、なおかつ記憶できるというのは考えにくいため、まあ十中八九は架空だ。
その会話の内容の導入部分や、場面が不自然なことがウケて、この方式をとる人が多いというわけだな。
このあたりは媒体によって様々で、動画だと「総統閣下シリーズ」とか、「ゆっくり解説」など語り手に加えて仮想の聞き手も同時に配置することがあるな。
歴史を辿れば、別の人物を複数設けて作り手の主張を代弁させるというやり方は、ずっと前から普及している。
なぜ個人で語ればいいことを、わざわざそのような形式でやるかは諸説ある。
聞き手と話し手を配置することによって、話の構造を理解しやすくするため、だとか。
「自分」という存在を、その話から排除しつつ語りたいから、とか。
自分以外の誰でもいいから、そういった代弁者を求めているのかもしれない。
自己主張と、自分という個のギャップに苦しんだ結果かもしれないな。
まあ対談形式であろうが、なかろうが、本質的には同じなのだが。
おっと、念のためにいっておくが、「同じ」というのは私はもちろん君も含まれているぞ。