はてなキーワード: 学園祭とは
大学のイラスト描いたりするサークルで、学園祭に出すイラスト同人誌の編集をしてた時、後輩の女の子が焦げたクッキーをつまんでた。
話を聞くと、友達と交換するって言う事で練習したけど、見事に焦げちゃったらしい。
何となく1個貰って、なんだよ美味いじゃんってポリポリつまんでたら、それ以来めっちゃ懐かれた。
PC作業してたらちょこんと横に居たり、イベント前の徹夜作業明けで部室で仮眠してたら後輩のジャケットがかけられてたり。
イベント前日に売り子で着る予定のメイド服着てて、俺をマスターにみたててめっちゃメイドさんごっこする始末。
(お茶とか淹れてくれたり、メイド服のまま学食いっしょに行ったりしてた)
手軽に馬鹿にしたいからキャッチーで伝わりやすいフレーズが珍重されてるだけ。
それ以上でも以下でも無いのに何をそんなに怒ってんのか分からん。
お前はガキだろうから知らないだろうけど、別にデビルマンに限った話じゃなくて、
邦画なら「北京原人」とか「シベ超」、洋画なら「死霊の盆踊り」とか「プラン9・フロム・アウタースペース」といった
「駄作と言えば」という代名詞的な作品は古くから存在してて、「〇〇はシベ超並み」みたいな表現も存在してる。
なんというか、学園祭のバンドでクラスの地味な生徒がステージに立ち、有名な曲をコードを間違えながら噛みながら唾を飛ばしながら汗を撒き散らしながらもそれでも最後まで演奏し切ったものの、結果ひどい有様で曲のファンから有名な曲を汚したとブーイング。それが下手にクラスの中心人物だったから結果的にその後生徒はそのことでステージに立つ気すらなかったような奴や、曲に思い入れもないやつ、そもそもステージを見てないやつにまで馬鹿にされている、みたいな気持ちの悪さを感じる。楽器を弾いたことも、弾けるように努力したことも、どんな努力が必要で誰がしたのかも知る気がないくせに。
結果出せてない奴が「向き合う姿勢や頑張った過程を評価して!」っていう方が死ぬほどダサいけどな。
むしろ馬鹿にされまくった方がそいつの為になるから周囲の連中は泣くまでコケにするべきだと思う。反省無くして成長無しだからな。
今の邦画界隈がまさにこの病気に現在進行形で罹ってるんだろうけど、オナニーのし過ぎでジリ貧になって吠え面かいてるのは自業自得だわな。
大怪獣のあとしまつを観て、「令和の実写版デビルマン」と溢れかえる感想に対する思いが募ったので、吐き出させてもらう。感想はここから。
https://anond.hatelabo.jp/20220206022647
出会いは2018年、湯浅政明監督作品のファンだったため、「デビルマン クライベビー」を見たところ、そのシナリオや訴えているテーマの凄まじさに圧倒され、原作を読んで、やはり圧倒されたことから始まった。
実写版については、評判が悪かったのと、ネットのおもちゃにされてるのが気に食わないので見ていなかった。
が、親しい友人が「一緒にみよう」と誘って来た時、いい機会だと思って手に取ったのだ。見てないくせに映画をどうこう言う資格もないだろうし、と。
それも結構前なのであまり覚えてないが、以下は「邦画が好きな原作ファンが実写版デビルマンを見たらどう思ったか?」という感想と、「“令和の実写デビルマン”という文句について思うこと」である。これもまた長いし、後者はめちゃくちゃ攻撃的なので、お気をつけて。
二時間に収めてるからすごいことになっているとは言え、凄惨なシナリオや、「人間こそが……!」のシーン、「アルマゲドン(アーマゲドン)まで描くんだ!」とは感心した。原作準拠のOVAではそこまでやらないらしく、映像でラストまで描いたのはこれが初めてとは聞いていたので。
シレーヌなんだったん?
ノーcgだとアレだけど、cgによるアクションもあんまり悪くない。cgの質がどうのこうのという話も聞いていたけれど、気にならなかった。
ハッキリ言うけれど、俺はこの映画に対する「姿勢」については評価をしてる。
原作の内容を、(整合性がおかしくなっているとはいえ)二時間でまとめようとしているところや、内容を変に茶化さずに「ちゃんとやろう」としているとは思った。(「ちゃんとやろう」としていない例。「福田雄一作品」「大怪獣のあとしまつ」)
つまり、悪い点はあるし多いけれど、いい点が無い映画では決してない。人間こそが悪魔と叫びたくなるようなシーンや、ラストのどうしようもない虚無感。やろうとしていることは好印象に写り、「嫌いじゃない」
ただ!ただ、なんです。
それこそネットでおもちゃにされて話題になっているから一つ一つ挙げていくようなことはしないけど。
ボブサップも三連になってたし!
この辺にしておくけど、やっぱり、ツッコミどころが多すぎる。この映画は。
そりゃまあ……おもちゃにされるわなぁ……と
原作の圧倒されるようなシナリオを見せようとしているのに、演技力や演出、その他の点で「ん?」となるところが多すぎて、集中できないのは擁護のできないマイナスポイントであることは確か。
というわけで総評は「好きにはなれなかったが嫌いじゃない。けどツッコミどころが多すぎる」
ただ、つまらないと思った邦画を「ケ〜ッケッケ!令和の実写デビルマンだ〜!」「これは実写デビルマンに匹敵するクソ映画だ〜!ヒヒヒ〜!」とさも上手いこと言ってやったと言いたげに吹聴している人は、そいつ自身が実写デビルマンよりクソつまらないし気持ちが悪い。百万回おんなじことを言われてる使い古された文句を自慢げに言うな。気持ちが悪い。少しは別の例えや言葉を使えよコピペ人間が。絶対バズってるツイートに使いまわされすぎて画質ガビガビのコラ画像貼ってる。自分で作る気もセンスもないから。
センスがあるやつだけがなんか上手いこと言えってわけじゃないけれど、自分が思ったことを表現するために死ぬほど擦られてる言葉を我が物顔で持ち出して来るのは単純にダサくて痛くて見てられない。
なんというか、学園祭のバンドでクラスの地味な生徒がステージに立ち、有名な曲をコードを間違えながら噛みながら唾を飛ばしながら汗を撒き散らしながらもそれでも最後まで演奏し切ったものの、結果ひどい有様で曲のファンから有名な曲を汚したとブーイング。それが下手にクラスの中心人物だったから結果的にその後生徒はそのことでステージに立つ気すらなかったような奴や、曲に思い入れもないやつ、そもそもステージを見てないやつにまで馬鹿にされている、みたいな気持ちの悪さを感じる。楽器を弾いたことも、弾けるように努力したことも、どんな努力が必要で誰がしたのかも知る気がないくせに。
この時、「有名な曲を汚したと感じて怒った」人に関して俺はどうとも思わない。演奏を聴いて、汚されたと感じて、結果怒ったのであれば、それにおかしいところはない。
ただ、それに追随するやつが嫌いだ、と言う話だ。
実写版デビルマンの感想を乱暴に言って面白いかつまらないかで言えば正直つまらなかったけど、「つまらなかったです!」で終わるところを何度も何度も出して来るのは単純にクソダサい。(当時の原作ファンが見て今でも怒ってるんだったら別)
それもその映画の評価ではなく、「別の映画の評価に関係ないタイトルを持ち出して来る」あたりが目も当てられないほど気持ち悪い。ニコニコの立木文彦ボイスが流れる動画で「マダオw」ってコメントしてそうだし、櫻井孝宏が出てるアニメに「おそ松〜!」ってコメントしてそう。
きみがしってるものをみんながしってるわけじゃないんだよ。ゆっくりおべんきょうしていこうね。
「ほならね」理論は嫌いだから「おんなじように映画作ってからものを言え!」なんて微塵も思わないけれど、そうでなくとも視聴者として感想を抱き、それを発表しようと思ったならば、良かった点を探そうともせずに、あるわけないと決めつけて無視して、目につきやすい悪い点ばかりに飛びつき突き上げ、鬼の首ならぬミキちゃんの首を取ったように茶化して馬鹿にする姿勢は、俺は大っ嫌い。面白くない。不快。ダサい。
悪魔化した俺が
「お前たちこそが……クソつまらないんだー!」
って炎で焼きに行くぞ。
ダウンタウンも、女に笑ってもらうよりも、同世代の普段笑わないおっさんを笑わせろ、という旨を言っていた。
芸人に関して言えば、女がキャーキャー言うファンの8割9割はミーハーで言ってるだけでブームが去った2年後は芸人の前から去る。大して面白くなくても周りのすぐ笑うから女は。
売れ出すと、劇場にキャーキャー女の子が来よんねん。これがじゃまやねんな。
いっつも相方に言うててん。こいつらはキャーキャー言うてくれて俺たちを追いかけてくれて人気のあるような感じを作ってくれてると。こいつらは俺らにとってすっごい必要やと。すっごい必要な客やけどめちゃめちゃジャマやと。こいつらが俺らをダメにしよると。
なんでかって言うたら、こいつらを笑わすことは簡単やから、こいつらを笑わしにかかってまう。
こいつらを笑わしにかかった瞬間に俺たちは全て終わってまうと。
だからテレビでもカメラの奥でコタツで見てる兄ちゃんがおもろいと思ってくれる感覚でやる。いつもそこに客はいないと、向こうにいんねやと。
あいつらが笑えば笑うほど、一番後ろで見てる俺たちが一番笑わしたい人たちが「何やっとんねんこいつら」と。「学園祭でやっとけお前ら」「身内だけで集まってやっとけよ」って状況になんのよ。
年に一回、飲食がからむあるイベントの主催をやっている。といっても、仕事よりは趣味に近い、利益はほぼ出ないようなレベルのもの。
いまはちょっと大きくなったけど、最初のころは規模も小さくて、自分はボランティアどころか持ち出しもしていた。ただ、他の仕事に繋がったりもしていたし、なにより自分が楽しく、参加してくれる人もポジティブで、規模もまあ大きくなっていって、自分にとっては大切な仕事だった。
コロナ禍になって、去年は中止にした。今年はとても迷った。迷って、少し進行して、でも結局止めた。他のイベントとかよりも判断する悩ましさは少ないかもしれない。飲食からむと、どうしようもないというか、諦めがつく。
自分が怖いのは、そこにあった「強制力」のようなものが失われている感覚があることだ。また来年ねと、参加者と別れたのにその来年がなくて、行くか行かないか、選ぶ時間ができてしまう。毎年バイトしてくれていた人へ中止の連絡をしたら、返事がこないとか、地味に辛い。別に行かなくてもいいんだよな、と冷静?になってしまうんだと思う。
去年はまだ繋がっている、次に繋ごうという気持ちが感じられたけど、今年はみょうに、ぷつんと糸が切れたような感覚がある。だからか、自分はFUJI ROCK開催は、今はないよなと明確に思いながら、怒れなかった。こんなに小さいイベントでもそうなんだ、大きくなったイベントは、断絶は怖いだろうと思う。
やるかどうするか悩んでいたときは、飲食のイベントはもちろん、音楽イベント、物販イベント、舞台や講演会、展覧会、学園祭お祭りまで、色々な規模、種類の人が集まるイベントのサイトをいくつもまわっていた。対策の参考だとかいうより、同じように悩んでいる人たちを探していたような気がする。誰か正解?にたどり着いた人はいないかなとか思ったりもした。
来年、イベントができるような状況になったとして、自分はイベントをするだろうか。したとして、それは前と同じイベントなんだろうか。
島田紳助「売れだすと、劇場に女の子キャーキャー来よんねん。 で、これが邪魔やねんな。こいつらが俺たちをダメにしていくから。
あの、いっつも相方に言うてたけど、この、こいつらはキャーキャー言うてくれて
俺たちを追いかけてくれて、人気のあるような感じを作ってくれてると。
で、こいつらを俺らにとって、すっご必要や、すっごい必要やねんけど、めちゃめちゃ邪魔やと、で、こいつらが俺らをダメにしよると。
なんでか言うたら、こいつらを笑わすことが、簡単やから、 こいつらを笑わしにかかってまう。
で、こいつらを笑わしにかかった瞬間に俺たちはすべて終わってしまうと。
だから、テレビでも、カメラの奥で、コタツで見てる兄ちゃんがおもろいと思ってくれる
だから、今でも劇場あるやんか。吉本のちっちゃい劇場、女の子来るやん。もうついてる。
女の子はあの女の子笑わしたらええけど、男はああいう女の子を笑わしてたら、もう絶対無理。うん。
あいつらは笑えば笑うほど、一番後ろで見てる俺たちが一番笑わしたい人たちが、何やってるんこいつらと。うん。
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
もう十年ほど前の話になるだろうか。私は携帯小説が大好きで、あらゆるサイトを日々めぐり巡っていた。
毎日を彩ってくれる、素晴らしき作品たち。創作者の方々に感謝を捧げつつ、作品を美味しくいただいく幸せな時間を過ごしていた。
そんなある日、神に出会った。
特別、文章が上手かった訳ではない。話の内容だってオリジナリティに溢れているかと聞かれたら、そうではない。けれど惹かれるものがあった。素直に面白かった。作品を好きになる理由なんて、それで充分。何より出会って数週間、神は一日も休まず作品を更新し続けていた。すごい人だな、応援したいと思った。私はもうすっかり神に魅了されていたのだ。
感想を送ると、次の日には返事が来た。
神から自分宛に言葉が送られる、これはとても嬉しいことだ。一度でも感想を書き、返事を頂いたことがある人には、わかって貰えるだろう。返信の喜びに味をしめた私は、そこから感想を送り続けた。数ヶ月もすればコメント欄の常連さんとして、神に認知されていた。憧れの存在に少しだけ近づけた気分だった。
そして向かえた運命の日。
その日のことはよく覚えている。私は大学生で、ちょうど学園祭が催されていた。イベントの都合で浴衣を着ており、朝からずっと着通しの状態で、終わる頃にはぐったり疲れていた。ソファにもたれかかかりながら、携帯を見た。返信が来ていないかなと、なんとなく開いたログインページ。神の作品の書籍化が決まったことを知った。
泣きそうになるのを堪えた。嬉しかった。
だって私は知っている。この数年間、見てきたのだから。神が今まで、どれだけ頑張ってきたのかを。休むことなく作品を更新し続け、感想のほぼ全てに返信をし、神の文章力は最初と比べ、見る影もないほど上達していった。コメントを書かなければ、と思った。この喜びを今、書き残しておきたい。伝えたい。けれど私には時間がなかった。今から学園祭の片付けをして、サークルのみんなで打ち上げをして、夜遅く帰る予定。そんなもの放り出したいところだけれど、そうは問屋が卸さない。迷った末、変なひねりは加えず、素直な気持ちを伝えることにした。
神の作品も、神自身も大好きだ。だから嬉しい、本当におめでとうございますと、それだけ告げた。
翌朝、メッセージが届いていた。神からだった。いつもの感想への返信ではなく、私宛に個別のメッセージ。
あなたの感想からいつも勇気を貰っていた、ありがとうと。だからよければ今回刊行される本を送らせて欲しいと。
気づけば泣いていた。
私が今まで送ってきた、感想とも言えないようなもの。けれどそれは決して、無駄ではなかったのだと。その時いただいた本と手紙は、今でも宝物だ。もちろん本は、いただいた分とは別に発売日に三冊は購入した。某密林にレビューだって投稿した。神は本当にすごい人で、それからも毎日作品を更新し、送られた感想全てに返事をし、一日だって休むことはなかった。
そこは偶然にも神の地元であり、ツイッターであそこへ行った、これを食べたと呟けば神からコメントがあった。他愛もない内容のリプライが続くのが、飛び上がるほど嬉しかった。
帰りのバスに乗って、今から帰ります、と呟いた。ほどなくして通知がきた。神からだった。
「本当は会いたいと思っていたけれど、会って幻滅されないか心配で、会おうとは言い出せなかった。情けないです」
確か、そんな旨が書かれていた。少しも情けないとは思わなかった。ただ、会いたいと思ってくれていたことが嬉しくて……私もいつか、お会いしたいと思った。
もしも神が男性だったのなら。私はこの感情を、恋だと勘違いしていたと思う。けど違う。こんなことを言うのは少し恥ずかしいけれど、私が抱いていたのはきっと、恋よりもずっと大切にしたい何か。
それは決して、恋ではなかった。
ある日なんとはなしに零した、「いつかサイン会で会えたらいいですね」。
本当に叶うとは思ってもみなかった。訪れた会場で私は神と出会った。その他大勢のファンと同じように、私も列に並びサインを貰った。
私が名前を告げると「泣きそうです」と神は言った。「会えて嬉しいです」なんて決まり文句を返して、その場は笑って過ごした。
サイン会はあっという間に終わった。
エスカレーターで一階の御手洗を目指して、静かに降りていく帰り道。ようやく辿り着き、扉に鍵をかけて蹲った。声を押し殺して泣いていた。朝早くから、張り切って化粧をした顔がぐちゃぐちゃになっていることは、鏡を見なくてもわかった。多分この時、私の中で張り詰めていた糸が、ぷっつり切れてなくなってしまったのだと思う。
私は次第に感想を書かなくなっていった。
あらゆる物事にいえるが、人はそこに義務を感じると楽しめなくなる。私は知らず、作品を読んで感想を書くという行為に、義務感を抱いてしまっていた。それが少し辛くて、神の作品を純粋に楽しむためにも、感想をやめることに決めた。
そもそもどうして、私は数年もの間、感想を書き続けていたのだろうか。
英世さん2分の1を軽く超える数。それだけ書いてきても、感想を書くのは一向に苦手なままだった。ほんの数行、ワンツイート分にも満たないようなものを書くのに数十分かかることだってあった。
解釈が間違っていないか、失礼な言葉遣いをしていないか。硬くなりすぎず、適度に密度のある文章を……などと、私のような拗らせた人間は、感想ひとつ送るのにこんなに面倒なことを色々と考えてしまう。
好き!最高!面白い!感想なんて、本来これだけでいいはずなのに。素直にこの言葉を伝えられる人を、私は尊敬する。羨ましい。
少し話が逸れてしまった。
どうして、そこまでして感想を書いていたのか? 単純に神の作品が好きだった、応援したかった、返事が来るのが嬉しかった。理由は色々とあるが、一番はきっと、神を失いたくなかったから。
そう私は一度、自分にとっての神を失ったことがある――さて、ここまでは少し長めの前置き。本題はここからです。
上記の神と出会う前、私には原始の神とも呼べる方がいらした。私を携帯小説の沼へと引きずり込んだ偉大なるお方。この方を追いかけて行った先で、神とも出会ったのだ。
原始の神の作品は、それはそれは素晴らしいものだった。丁寧で優しくて綺麗な文章、練り込まれた世界観。もう随分と前に読んだものなのに、未だによく思い出すくらい大好きな作品だ。
原始の神は言っていた。書くことが好きだと。感想を貰えるのは、とても嬉しいと。けれどある日突然に、ぱたりと姿を消してしまった。
私は後悔した。
好きだという気持ちを、しっかりと言葉にして、伝えられていたら。もっと感想を送っていたのなら、違う結果になったのかもしれないと。
以来、自分にとっての神には惜しまず感想を送ろうと決めた。その教訓を胸に、私は数年に渡り感想を送り続けてきたのだ。もっとも神は、私の感想などなくても書き続けていたのだろうけれど。
つい最近、原始の神の作品を読み返した。そして思った。やっぱり私は、この作品が大好きだ。
けれど数年前に送ったコメントに返事は来ておらず……私はもう二度と、原始の神に感想をお伝えすることができないのだろうかと嘆いた。けれど諦めきれない。私はもう一度、あなたの作品がどれだけ素晴らしいものであるか、感想をお伝えしたい。伝えさせて欲しい。ただの自己満足で、あなたはそれを望んでなんていないかもしれないけれど。今からサイトの方に、メッセージを送りたいと思います。あなたの作品が大好きでした。
この文章が広く世に出回れば、きっとあなたがそれを見てくれるだろうと信じたい。
以下の言葉の意味がわかる方がいらしたら、どうかそっと、サイトにログインしてみてください。
ラベンダーは青と緑
あの花の名は?
アニメ化にあたって青切符のくだりやナンパ男を蹴るなどの毒成分が抜き取られさわやか路線で展開しているのに、ニケツのストーリーをそのままに違法性を排除しきれなかったのは制作としての落ち度だろうし、そもそも原作そういうハートフルストーリーじゃねーよなーと思うのでぶっちゃけアニメは知らん、まあ商業成功も重要、そういう解釈で作るのも悪くないし、アニメ化での腕の見せ所なんだろう。終わり。
んで、元々の原作でのシン・主人公の子熊だが、そこらで言われてる通りのマイルドヤンキー、アウトローを進むキャラで、ジメジメした青春を描くものだと解釈している。そもそも後ろ盾のない、無目的で生きる少女が原付選ぶあたりからぶっとびの片鱗はある。学園祭でクラスメイトの困りごとへの無関心、一方で原付をバカにされたときの苛立ちと行動などがあったので、ナンパ男を蹴るという行為も他者への無関心、気に入らないことへの攻撃性からして違和感はなく感じた。こいつは一貫してあたまがおかしい。
そう感じたのだが、どうやら他の人を見ていると、この行動に違和感や嫌悪感、そして作者への批判が集まる結果になってるのかなと思った。何でだろう。考えると結局はあのビジュアルの少女だからなんじゃないかなと。
例えば「内気な性格の女の子がケリをいれることの違和感」みたいな、それあなたの感想ですよね、と。内気な描写はあったか?それは絵のイメージからくるものではないか。
例えば「もし男女逆だったら問題ある行為だ」みたいな、いやいや逆じゃなくても問題行為だろ、と。そういう作品なのになんで今更その行為が許されるかどうかを問うのか。それは少女があんな見た目だから、その行為は理屈的におかしいとなっているのではないか。
元の議論のニケツ違法問題がピックアップされたのも結局は少女たちが行う行為としては不適切という考えからなのかな。
するとこういう作品を少女主人公で書いたからヘイトを産んでることになってるわけで、ヘイトの向き方も「作者が元々あたまおかしい人間」という結論となったりするのは(作品として見れなくなっている理由は)、このビジュアルの少女が問題行為を行うことを受け入れることを無意識に拒否した結果にも感じる。女子かくあるべし、の結果として世に存在が許されていないのではないか。
男女平等でもっと女性が脚光を浴びるようになるのもいいけど、逆に、ダークヒーロー、アウトローな、それでいて、(敢えて言葉を選ばず)フツーな女性って描かれてもいいんじゃない?
追記)
ヘイトという強い言葉を使ったのはすまない。アニメへの批判はヘイトというつもりはなかった。作品(原作)の議論以外に作者への言及がちらほら見えたのでなんでだろうな、と思い書き連ねた次第だ。
追記2)
繰り返しになるけどアニメへの批判はヘイトというつもりはなかった。作品の批判を越えて作者の人となりや学に言及するコメントに対する言葉。それも言い過ぎなら失礼した。
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。