はてなキーワード: 生き甲斐とは
コロナ前から夫婦喧嘩が絶えなかったし、何かあればすぐ離婚だって言い出していたから、事実上の別居状態。一週間ずっと子供の顔をほとんどみない。寝顔も見ない。週末に俺が一人で家族の食料を買い出しにいって、子供のおもちゃを買いに行く生活。
夕飯は俺が仕事部屋にこもっている間に運ばれてくる。朝昼は自分で作っている。会話は基本的にLINE。ごくまれに娘の寝顔が送られてくる。
顔を合わせれば必ず文句を言われる。嫁も働いていて、職場で嫌なことがあった日はとても分かりやすい。
買ってきたおもちゃが危ない、娘のことを考えていない、教育方針ちゃんと考えているのかなどなど。娘と遊んでいると「甘やかしすぎている。父親の威厳がない」などと私への罵声が飛んでくる。娘はものすごいかわいい。天使だ。親バカだが、もう何されても笑顔になる。ダメダメいわれてパパダメっていわれても嬉しくなる。
仕事に集中できてよいもなにも、他にやることないのだ。仕事する以外に何があるのだ。オンラインゲームを10年弱やってたが、やめた。「いい大人がゲームなんて」という罵声にもう耐えられなくなった。結婚前から分かってたし同意してたはずなのだけど、もうそんな記憶はなかったことになっている。私の生き甲斐はこのゲームと車と猫だった。猫は前に失った。オンラインの仲間を失った。もうあと車しかない。車の仲間も失っているけど、まだ車がある。
いまは月曜日の2時。眠れない。「寝かしつけ大変なんだから!あなたは気楽ね。やる?どうせできないよ」。こんな感じのLINEが1時間くらい前に飛んできた。最初からすべてうまくやれたとでもいうのだろうか。ずっとやってきた側と初めての人で同じようになぜできると思うのだろう。
何度も「私が寝かしつけやろうか」といった。そのたびに「どうせできない。なぜできると思うのか?」が飛んできた。なんだろう、どうしてそんなにも否定したいのか。
最近もう何もかも嫌になってきている。月のものが近くなってくるとだいたい機嫌が悪くなってちょっとでも琴線に触れると爆発する。一回も爆発せずにのりきったときには「爆発するんじゃないかっておろおろしてみっともない」という小爆発が飛んできた。そうか、そんなにも怒りたいのか。友人は「何かの病気だよ、医師の診断もらおうよ」とアドバイスしてくれたが、自分が正常だと信じている人を医師の前に連れていける気がしない。無理だろう。
この生活が始まって数か月は日々頭を抱えていた。何でこうなった、どうしてどうしてどうして・・・。悩みに悩んで、人のアドバイスも聞いたけど結局好転はしなかった。
手はずも決めて、必要なものの準備も始めた。終わらせる準備。その日まで、あと何日。カレンダーに日付を書いている。書いてもはがして消えるんだけどね、また書く。あとxxx日って。それまでに身辺整理を終わらせるって決めたら、何か心が軽くなった。嫁に月のものが近づくとまた怒りが降ってくるけど、あまりこたえなくなった。良いのだ、もう終わりの日は決めているのだから。ちょっとずつ物を捨てていっているけど、ほぼいないから嫁は気づかないだろう。最後までバレない気がする。
娘の笑顔だけが心残り。4歳になったら、いろいろ分かってしまうのかな、もう1年早ければ記憶に私は残らなかったかな。記憶にいさせてほしいような、記憶から消えてほしいような。なんだろうな。
書くだけ書いたら何かすっきりした。あってよかったよ増田。こんなことツイートできないしFacebookにもかけない。ありがとう増田。
オリンピックは官だからNG、フジロックは民だからOKなら一貫性という点では正しい。
しかし、オリンピックを、さらに感染を増やしかねないイベントを開くなど言語道断! と批判した人が同じ口で、
オリンピックより感染状況が悪化してる時期にオリンピックより感染対策がガバガバのフジロックを、アーティストやファンが一生懸命頑張ってやりたいと言ってるのだからやらせよう、感染が広がってもそれは政府の責任! 運営・出演者・観客は無罪! と擁護するから叩かれる。
あとスポーツは嫌いだからオリンピック反対、ロックは生き甲斐だからフジロックに行く、と好き嫌いで利己的に振る舞うのは個人が黙って行動してるなら好きにすればいいんじゃないですかね。
俺は利己的に生きるだけと言うなら、最初から「感染拡大防止」という理屈や正しさを振り回してオリンピックを否定する主張をするなという話。
湯沢町ではないが、新潟県内の若者の一人の気持ちだ。この一年と数ヶ月ずっと真面目に我慢していた。それが馬鹿みたいだ。友人との飲み会やおでかけもしていない。今まではライブだ舞台だテーマパークだとしょっちゅう行っていた県外へも一度も行っていない。祭りやイベントもない。あっても行っていない。県外に暮らしている友人が帰省してきても会っていない。今までの楽しかったこと、生き甲斐のような気持ちでいたもののほとんどを我慢して生活していた。
それでも、世間やテレビのニュースに影響された中高年たちには若者のせいで感染が広まっている、若者はコロナなんか気にせず出歩いている、と言われ続けてきた。そういう人たちも確かにいるけどそれは若者だからではなくてどの世代にもいる、と訂正しつつも受け流してきた。
それでも国内、県内の感染者は増えている。でも、はやくこの時代を終わらせるためにと努力と我慢を続けていた。一人ひとりがそうしていればいつかきっとと思っていた。
しかし、明日からフジロックは開催される。私が我慢してきたことを踏み躙るように県外から客がくる。私だってこんな世でなければ行きたい。どうして、県内の人間が行くことを我慢しているのに県外の阿呆たちがそれを楽しむのだろうか。許せない気持ちしかない。
主催者に対してはどうして中止しくれなかったのだと怒りはあるものの、出演者やスタッフに関しては仕事であるのだから事情がある場合もあるだろうと怒りはない。
観客はどうだろう。ただ自分が楽しむ以外の目的で来る人しかいないだろう。どうしてそんなことができるのだろう。ワクチンを打ったとしても罹っている人もいる。陰性だったとしてもそれでも潜伏していたという例もある。変異種もある。何が対策だ。来ないのが一番の対策だろう。
チケットの払い戻しも行われているし、ライブ中継もされるのだ。家で騒げばよいだろう。生で観るからこその価値があることは分かるが確実に今じゃない。フジロックの未来へ繋げるためにチケットの払い戻しを行わずに自宅で楽しむという方もいた。その方は立派で正しい姿勢だと思う。
苗場の経済を回すため?それならばネット通販で何かを買うなり、募金をするなりしてくれ。何のためのインターネットだ。
また、東京五輪に関しては反対していたのにフジロックには賛成、参加するというお花畑みたいな人々もちらほら見かける。思考が分からなすぎて、気分が悪すぎて笑える。五輪が開催されたのだからフジロックもとは?何のために五輪の開催に反対していたのだろうか。五輪開催に関しては反対ではあるし、実際感染も広まっているが、無観客で行っていた五輪の方がまだましではないだろうか。
実際、フジロックの開催地が別の県だったら、疑問や怒りを感じるにしても、ここまで怒っていたかは分からない。私だって結局は自分が自分がと思う人間ではある。自分が我慢しているのにどうして、という気持ちが結局のところ一番ではある。でも、その気持ちを持つ人間は私一人でないはずだし、開催地がどこで同じ気持ちを抱く人間は必ずいるだろう。
フジロックには来ないでください。来る人間は全員地獄に落ちてください。人間一人ひとりはその行動で感染を広めることはできる、しかしちっぽけだからその責任を取ることなんてできないのだから。私はこれからも真面目に感染対策を続ける。
追記1 タイトルと内容の一部の言葉が乱暴で過激なので、自身のことを批判されていないにしても気分が悪いという方がいるかもしれないのはごめん。たぶんあなたのことは悪く言っていない。
追記2 フジロックに限らず、大型イベントは国内(新潟も)の感染者数が一番多い今やるべきではないと思う。ただ、地元で開催される全国から数万人という人が集まるイベント、ということでフジロックには個人的に特に怒りがあるだけ。たぶん、あなたの地元で同じようなイベントが同じように開催されたらあなたも思うところがあるんじゃないかな。
追記3 自分に関係ない地元の人間がどうなろうと関係ない的なコメントがあった。感染を広めることだけではなく、参加者自身が感染して苦しむこと、またそこから参加者の親しい人間たち、またその親しい人間たち…へ回してしまう可能性も考えてほしい。地獄に堕ちろなんて呪詛は吐いているけど、参加者たちが苦しむことも私は望まない。いい人ぶってごめんと思うけどそれもまた本心です。タイトルがしねころすの互いでないのは、いつかバチが当たれという意味を込めての地獄に堕ちろだから。
追記4 地元や主催者への抗議は済んでいます。それでも開催されるのだから、もう参加者へ来ないでと言うしかない。ここで前日になってから文句垂れている理由はそれ。
追記5 県内、または感染者の少ない地方から参加する人たちは自身が感染し、持ち帰る可能性が高いので感染者の多い所から来て広めてしまう可能性が高い人と同様におかしいと思う。
追記6 我慢しないで遊べば、という意見もあったけど、周りの目が気になること以前に私自身だけでなく家族や同僚、またその家族(特にその中にいるかもしれないご老人、疾患のある人、子どもや妊婦)にうつってしまったら…と思うと無理。
追記7 まあ、現在開催中なわけだけど、都会と地方(と限らず、まあ人によるけど)ではこの感染症に関する意識が違うので、村八分による感染者の自死、県外ナンバーの車への嫌がらせなどなどがあり、病気になって身体が辛いだけではないだけではないから来た人も地元の人も本当に気をつけてね。
ただの吐き出し。
今まで生きてきて色んなものを好きになったけれど、俳優を好きになることはなかった。基本的にドラマを見ていても役としてのキャラクターは好きだけれど、だからといって中の人が気になることは一切なかった。アニメを見ていて良い声だなと思っても、中の声優さんには興味ない。そんな人間でした。
だから俳優さんに興味が出るなんて微塵も思わなかった。ましてや最近流行りのたくさんいる中の2.5次元俳優さんで気になる人が出来る日がくるとは。
初めて応援したいなと思える人が出来たけれど、俳優さんを推すには1番致命的なことが私には出来なかった。
このコロナ禍での医療職。職場から県外への遠征は控えるようにと言われてもう長い。ワクチンは打ったけれど、未だにそれは解禁されていない。
だから俳優さんの舞台やライブ、イベントには当然行けなかった。今はありがたいことに配信を検討してくださる方も多い。だからもちろん配信は全部購入した。
だけどそれでも俳優さんを推してる人から見ると私はいわゆる茶の間らしい。
「茶の間が偉そうに」とか「茶の間の分際でファンをよく名乗れるな」「お金も落としてないくせに」みたいな声があった。
このままじゃ永遠に茶の間で私は俳優さんのファンとして失格なんだな、茶の間はファンからも嫌われる世界なんだなと思うとこの世界にはいられないと思った。
医療職を辞めたらいいじゃんと思う。だけど私には私が担当してる大事な患者さんがいる。何ヶ月も経過を追ってる方が、何人もいる。
ようやくご飯を食べれるようになって、一緒に喜びを分かち合えた患者さん。片麻痺でやっと歩行出来るようになった患者さん。
そんな人たちをぽっぽって辞めることも、危険な目に合わせることもできないんだよなあ。
趣味はもちろん生き甲斐だし、世の中なにかのために仕事をしているものだと思う。
でも私は趣味のためだけにすべてを投げ捨てることは出来ないんだよね。オタクとしては致命的なのかも。仕事が生き甲斐ってわけではないけれど、趣味だけのために生きてるとも言えなくて。
そんなこんなで俳優さんを推すことが、現地に行けないことが苦しくなってしまって、ファン失格だなと思って離れてしまった。
そんな声気にせずいたら良かったのかもしれないけど。どこにも行けないし、友達にも会えないしでそこまでの元気もなかった。
遠征に行ける人を批判してるわけでも、医療職だから神聖化しろなんて思わないけど。
同じようなことで苦しんでる人がいませんように。
別にどこだって炎上するし、正直いつか炎上するんだろうなとは思っていた。
この間、沼は三つ作れみたいなツイートあって、あーそうだよなそりゃそうだよなって思いながら見た。今そのたった一個が炎上しただけで精神ズタボロで自分の支柱が無くなったような生き方をしている。
勝手に推しと名付けて、勝手に依存して、勝手に病んでいるのだからあちらとしてはたまったものではないだろう。理解はしている。けれど、イベントがあるだとかそういうことを生き甲斐にしてたのだ。今週頑張れば週末には配信があるとか月末にグッズが届くとかそんなちっぽけで、毎回一万円もかからないようなお気軽な支柱だったのだ。
他人に勝手に支柱を預け、お気軽な金しか出さないくせに全体重で寄りかかって、いつか起こるかもしれない炎上を見ないフリしていた。
結果勝手に生き甲斐を失い、毎回少額とはいえ金を落としていた自分の元には推しが写った様々なものに溢れて生活をしている。正直苦しい。好きだった事実を否定したくはないのに、好きでいる自分が嫌いだ。
自分が落とした金でああやって遊んでたのかなとか色々考えては地に落ちていく。
好きだったのは事実なのに、それさえ否定したくなるほどたかが一つの何かで崩れると思っていなかった。数年好きだったものを見たくないほど嫌いになるってこんなに苦しいのか。
去年職場で色々あって以来、めちゃくちゃ仕事がしんどい。というか全くやる気出ない。
嫌なことも辛いことも沢山あったけど、自分の特性にあった仕事見つけて以来、転職後も重宝されたしおそらくその業務についての才能があったので、年収も3年で倍になった。
その出来事以来、全く仕事というものに楽しさや面白みを見いだせなくなってしまった。
目の前にある業務をやる気にすらならない。
辞めればいいじゃんと思うが、今の生活レベルを落としたくないのでナマポ生活は避けたい。
転職はまだ早いというか、コロナ禍のいま高待遇のところを見つけるのは難しいし、そもそも新しい環境で仕事をしようというモチベーションがない。
仕事なんて好き好んでやっている人の方が少ないとは思うが、吐き気を催すほどやりたくない人もまた大勢はいないと思う。
少しでも何かモチベーションになればと思って、別の業務内容にも手を出させてもらったが、本当に何やってもつまらないんだなということを確認するだけだった。
正直、自分は今の仕事に特化してるだけの無能なので、どこでも使えるという訳では無い。
無趣味だし友達も少ないし、家庭もないので仕事辞めたところでやりたいこともない。
本当にただの愚痴だけど、あまりに変わってしまった自分自身が虚しい。
今週残り1日。
昨日のNHKの逆転人生の中で大学教授が登場し、彼の行った6万人を対象とした調査によると
いやそんな感じ全然しないんだけど
というかこれって多分「芸能人に対して誹謗中傷する人」ってことなんじゃないかな?
似て非なる存在としてわれわれ「一般人同士で口汚く罵りあうことを生き甲斐とする人」がいて
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。
40代男。とある分野のクリエイターをやっているが、コロナになってから、大きな仕事がキャンセルになったり、作品を作るペースが遅くなってしまいまったくいいものが残せていない。
ようやく力を振り絞って出したものも、全く話題にもなっていないしヒットもしてしない。依頼は減っているがまだ声がかかる公演や取材では、5年も前の受賞だったり、過去の栄光ばかりを紹介されて、それが更新できないことにほんとに嫌気がさす。
以前は、社会に認められることを生き甲斐していた時期もあったが、今は他人に褒められるたびにこれは今回が最後になるんじゃないかとか、自分の才能のなさはばれてしまうのではないかと心の中で動揺してしまう。
正直今の仕事を辞めて、同級生のように企業で会社員をしてみたい人生想像してしまうが今更職種は変えられない。昔は大好きだった製作が苦痛である。子育てや家事に追われる毎日が唯一の救いだ。安定した職に就いている妻は私の才能を信じてサポートしてくれているが、毎日何か申し訳ない気分でいっぱいである。かつては僕にも収入があったが、今は妻に支えられている。結婚当初彼女は僕の作品のファンだと言ってくれたが、いまやその作品の人気もおちめであり、新たな作品も少ない。
家族のことさえも喜ばせることができなくて自己効力感がどんどん下がっていく。
こういう気分になっても、作り続ける奴ら才能があるやつだと思う。私は違うのかもしれない。いつか忘れ去られると思うと恐ろしくて仕方ない。どうしたらいいのだろうか。