はてなキーワード: 生き甲斐とは
増田の「〜を教えて下さい」系の記事につく「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」のコメント主の人生を想像。
何かを成し遂げたいという思いは強いが、何もできず、ワナビーのまま幾星霜。
SNSで誰かの絵がバズったら「正直絵を描く能力は今どき普通」
「増田で簡単に情報を得ようなんておこがましい」という思いのもと、
質問形の記事にはすべて「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」を書くと決意。
プログラムを組んで自動化する能力は無いので手動で頑張っている。
Python には 2 度入門したが、「俺が作りたいのはこういうやつじゃない」と思って挫折。
自身でプログラムを書ききったことは1度も無いが、ホッテントリのIT系を見ているので自称IT系には詳しい。
「自分は何者でもない」を認めることができないまま今に至る。
今では「△△△<教えてあげないよ! ジャン♪」に反応してもらえることが生き甲斐。
がんばれ、お前。
blueboy
・少女漫画好き
・メイクも好き。ジルスチュアートみたいな少女っぽいコスメが好きだけどお金が勿体ないと思うタイプの人間なので、結局キャンメイクなどのプチプラに戻る
・一時期巨乳になれるサプリを飲んでいた(プエラリアミリフィカ)(効果はよく分からなかった)
・エッセイが好き
・衣類に頓着があまり無く、白と黒のモノトーンで大体揃えているが、逆にオシャレと言われる
・実際は貧乳なのに、パッド付きキャミのせいでそこそこ胸があると思われている
・巨乳だがやや垂れている
・女子のガチロリコンだが、だからといって小学校や幼稚園で働く気にはなれず、大学時代に始めた夜職(キャバ)を続けている。
・全身脱毛、二重整形(埋没)、涙袋ヒアルロン酸注入済み。元々自分の容姿は嫌いではないが、商売として必要だと考えている。
・友人も多く増田会で一番陽キャであるが、ロリコンであることを誰にも話せずにいる。Twitterの垢も男として呟いている。
・貧乳細身童顔の20~30代独身バリキャリ女子(ノーブラ派)
・職場での成績はかなり良い。
・淫夢ノリがガチで面白いと思っており、ストレス発散法であり生き甲斐。
・歯を食いしばる癖がある。肩こり持ち。
・気がつけば増田を開いている
・鬱の影響か言葉が出にくくなった
・気がつくと涙が出ている
・薄幸そうな美人顔
いつのまにか触れあえない体質になっていた
犬猫鳥のいる実家に帰ったとき、呼吸できなくなるくらい鼻腔が閉塞して全身に発疹ができたのがきっかけで検査した
姪の飼ってるハムスターの爪がひっかかっただけでグロいミミズ腫れもできた
うさぎやチンチラの餌となる牧草なんかの稲科植物もだめになった
子供はできないとわかっている
変な言い方かもしれないけどこんなにも動物の里親の条件満たしてるのに飼えないなんて!
数年前同棲していたときは小動物の里親になって目に入れても痛くないほど可愛がり、
長生きしてもらって看取りまで全身全霊を捧げた
お互いの実家で犬猫飼育してて、受診やトリミングなど手伝えることは喜んで手伝った
今回念願の一戸建てを建てて「よし!いまこそ好きなだけ動物と暮らそう」と思ったらコレだよ
犬を外で飼うなんて絶対無理だし、飼ってみて無理なら...なんてクソ無責任なと死んでもしたくないし、爬虫類系は懐いてくれないだろうしアレルギーだってあるかもだし
すごく凹んでる
第一志望校落ちたときやだいすきな祖父がなくなったときより凹んでる
動物と暮らせる人がうらやましい!
動物との暮らしを夢見て在宅で稼げるように努力してきたのにさ。
みんなペットを大切にしてね
人は未来に希望がないと生きていけないと今更ながら強く思ったので色々書いてみる。
俺は昔鬱病で通院していた。
昔から、今さえ楽ならそれでいいという考えで行動しがちだった。
楽な方の道を選ぶということは未来へ繋がる道を捨てるという事だ。
その繰り返しの果てに、未来へ繋がる道が何も無くなり、明日を迎える意味が無いと思うようになり、もう今日で死んでもいいやという思考になったため病院に行った。
人は明日を迎える意味を持っていないとダメなんだなとその時悟った。
辛くても何か努力をして未来に繋がる道を自分の中で残しておかないと人は生きられない。生きる希望とはそういう事だ。
よく学校のお偉いさんが生徒に対して、学生時代とは植物に水をやる様なものだという例え話をしていた。
また、鬱病当時を振り返ると、薬を毎日飲み続けるという行為が生きる希望になっていたのだと思う。
今日薬を飲む事で明日は今日より良くなるかもしれない、という希望が湧くのが治療になるのではないだろうか。
飲んでた薬の成分なんてどうでもよかったのかもしれない。毎日飲む事が大切だったんだなと思った。
明日を迎える意味について気づきを得た時、眠れない理由についてもわかった気がした。
明日に希望がないから、寝て明日を迎えようという気になれないのだ。
どんなに小さくてもいいから明日を迎える意味を作る事で寝やすくなる。
楽な生き方でも全然良いが、最低一つは努力してでも未来に希望がある道を残しておけよというお話。
メンタルやられてる人の話を聞いたので少し考えてみた事を書いた。
この手のヒーロー物は敬遠してきたけど、まさかこんな面白いとは。
ストーリーなんてあってないようなものだけど、最高の冒険活劇だ。
かなりトホホな敵の造型や、ドルに乗ると急に市販のソフビになるギャバン、
子役たちの緩すぎる演技、お粗末で何が目的かよく分からないマクーの作戦、
などツッコミどころを挙げたらきりがないが、それがどうした。
スタイリッシュなヒーローが敵をバッサバッサ倒してく、他に何が要るのだ。
テンポや見栄えを重視した作風で、考える間もくれないのでサクッと見れる。
世の中、複雑な作品が増え過ぎたんだよ。細けぇことは良いんだよ。
健全な男性やフェミニスト女性が、いわゆる「女性差別」「性犯罪」「痴漢」「痴漢冤罪」「トランスの女子トイレ問題」「共同親権」etc……に猛反発して、理解してくれないネット住人を説得にかかり憤るページをよく見受けるが、彼ら彼女らには決定的に見落としてる点があると思っている。
それは、「男性差別」とは比にならないほど、
「女性差別」「性犯罪」「痴漢冤罪」「痴漢」「トランスの女子トイレ問題」「共同親権」に、強いモチベーションを感じる男性が一定層いるということだ。
これらを広める活動のために一日中女性の人権アンチ活動やプロパガンダに明け暮れることを生き甲斐とし、逮捕されてでも、何年も選挙活動をしてでも、軽い拒否では強姦罪を成立させず、男性が女子トイレに侵入しても違法にならず、14歳の女性には性行為の同意ができるとし、政治家となり痴漢の無罪判決を出やすくするために、「人生を捧げる価値がある」と考え全てを注ぐ男性が一定層いるということ。
長い年月をかけてそのために永遠に毎日活動し続けてる人がいるということ。
女性の皆さんはご存知かもしれないが変態性犯罪者は24時間密室で張り込み、4年間毎日ストーキング、7年間毎日女性を監視、48時間女性の部屋のベット下に隠れ続ける、こういうことは平気でやる。
つまり日本人が頑なに他人に求めたがる「相手の気持ちを考えて強くものを言わないような」「穏当で平穏な」「さまざまな他人の気持ちに配慮した」「変な人はスルー」「大事にしない物分かりのいい大人の対応」とは、まさに性犯罪者ならば長年かけてでも望む世界観である。
世界一労働時間が長く、空気を読んで、どっちつかずで強い主張をすることを厭う日本人が、「そんなに強く言わなくても」「相手にも人生や考えがある」「いきなり訴えたり毎日デモなんてちょっとやりすぎ」「こんな小さなこと言っていいのかな」などとやってる間は、人生を全て捧げてくる犯罪者の望む政治が必ず勝つ
勝ち目などないということ。
なんとなく触っちゃいけない話のような気がしているんだけど、ずーっと考えていることがあるからちょっと聴いてほしい。
「認知症」って、"その人が1番幸せだった時に戻る"って話を聴いたことがあるんだ。だから、大人になった自分の子の顔が分からないとか、ずいぶん若い頃に戻っちゃったみたいになるとか。その考え自体はなんか素敵だなって思ってたの。ちょっと救われる気がしたの。
うちは何年か前に父が亡くなって、その翌年に子供ができてさ。母も初孫で嬉しくて、年金と貯金で生活しているのに、なんのかんのと服を買ってくれたりプレゼントくれたりしてて。それが生き甲斐で楽しみなんだろうから、他で物入りになったらこっちで出すとかしようと思ってるんだけどね。
それで、話は戻るけど、もし母が認知症になったら、孫がうまれる前の父がいた頃と、孫がうまれたあとの今と、どっちに戻っちゃうんだろうなって考えちゃったんだよね。
今のところその兆候はないんだけど、子供は子供で、こういうご時世であんまり会えないんだけど婆ちゃん大好きなんだって。
今更遅いし、病気なんていつどういう形で出るかなんかわかんないけど、こういう時もっと早く子供もっておけばよかったなぁって思うよ。
「新入生の女は酒も弱いし、ゲームも弱いから、すぐにでも回せるんだ(輪姦できるんだ)」
「回し(輪姦)に参加しないスタッフは一人前ではない」
(ミーティングで輪姦をやめたらどうかという意見が出された際)「あり得ない。二次会(輪姦)はおれの生き甲斐だ」
「回し(輪姦)によって連帯感を高める。そうすればやる気が出る。それがイベント成功の秘訣である」
(輪姦被害者が自らの着衣に付いた精液をトイレットペーパーで拭くなどといった惨めな作業をしていた際)「みんなの前で泣かない方がいいよ」
文字通り、存在しないネコちゃんをいると仮定してかわいがる行為のことだ。
一人暮らしのあまりの寂しさから2年くらい前からエアネコちゃんをはじめた。
静かにしていてほしい時には静かにしていてくれるし、臭くないし食費もかからない。
賃貸の壁も傷つけない。
いつでも撫でさせてくれるしひっかいたりもしない。
長く続けすぎたのか最近本当にネコちゃんを買っている感覚になってしまい、
仕事中もネコちゃん大丈夫かなと気になってしまい仕事に集中できない。
スーパーやホームセンターに行くとついついペットフードのコーナーに長居してしまう。
検索履歴もネコちゃんがかかりそうな病気とその対処についてで埋まっている。
もしかしたら僕は本当にネコちゃんを買っているのかもしれない。
僕の今の精神性はネコちゃんが存在している人のそれと同化していると考えられる。
つまりそれはネコちゃんが存在していると言えるのではないだろうか。
中学生の時に精神を病んで、もう死のうとおもってたけどなんか怖くて死ぬことができなくてずるずる生きてる。
精神疾患は今も治ってない。病院に通院して先生と話して薬もらってなんとか生きてる。働いてないから自分の収入はなく親にお小遣いをもらっている。
そんな自分の現状が後ろめたく、生きている価値なんてないと思っている。中学生の時に思い切って死んでおけばこんな苦労はしなかったのか?と考えてさらに苦しくなる。
高校時代に後輩が自殺して、自分自身も精神の状態をさらに悪化させた。それから、自分のことを傷つけたりするのも、周りに迷惑をかけるような気がしてやめた。自傷行為は不適切な行動ではあるのだが、しんどい気持ちのはけ口がなくなった。
自分の病気はあまりメジャーなものでなく、説明しても分かってくれることはほとんどなくてそれも悩みの種だ。学生時代は長らく不登校だったこともあり勉強もついていけなかったし、体調が悪化して大学にも行けなかった。よくよく考えればやりたいこともなかった。同じ世代の「うまく行っている人たち」は就職して仕事に慣れて、日々の生活や恋愛などを楽しんでいるのかなぁ…と思うと私の人生ってなんだろうなと思う。なにも楽しくない。いつも戸惑うことばかり。