はてなキーワード: 災害とは
この話もいくつかの段階があると思う。
① 電動車椅子ユーザーが、どの駅でも自由に乗り降りしたいと思うのは妥当か?
③ 妥当でない②の作業を、法律に「合理的配慮」があることを根拠として行わせることは妥当か?
→これは実際に体を張る労働者の立場とそうした経験のない立場とで意見が分かれそうなところ。
個人的には、今回の状況であれば、法的な義務はないけど本来あってほしい設備がないからって、その代償として危険な作業をさせることが「合理的配慮」だとは思わないが…
中には、「経営者が設備を設けていないのが原因だから、危険な作業を行わされた人が経営者の責任を問うべき、行わせた人は悪くない」という意見もあるが、それはテロリズムではないか?
④ ③の顛末を「成果」として、それも模倣を期待して手法等を細かに公表することは妥当か?
→そういうことを行うこともあるだろうし、まあまあ妥当なのかな…
⑤ ④は、『共感』を得られるか?
細やかに経緯や手法を公表する以上、その目的は共感を得て世論の支持を受けることだろうが、共感するかどうかを決めるのは記事に触れた人それぞれであり、教条を掲げて左右できることではない。
昔だったら知らず、2021年の社会においては、どうやら今回のようなやり方は共感より反発が大きかった。
今や、「カスハラ」なんて言葉が生まれるようなモンスタークレーマーの存在や、公務員批判の結果として行政機構が疲弊し災害対応も学校教育もままならなくなったことが社会に知られるようになった。
国力も衰退し、災害のたびに廃線が増えるの見て、鉄道も維持が難しくなっていると知られている。
「全力で敵を批判してれば後は自然になんとかなる」と都合良くはいかないらしい、社会の構成員としてそれでは不味いらしい、という認識が広まったのではないかと思う。今回の場合に直接当てはまるかは別として、社会にそうした流れがあるとしたら、共感を得るには流れを踏まえる必要があるだろう。
⑥ ③について反発があったとして、批判するのは避けるべきなのか
→政治家が政治活動として、明確な意志をもって、電動車椅子ユーザーを代表して③を行った以上、その結果得られる共感も反発も、その政治家が引き受けざるを得ないと考えるのが妥当ではないか。もちろん脅迫的なのは即警察案件だ。
この映画は2016年……つまり5年前に放映されて爆発的ヒットを記録した。もちろん、当時の私も観に行った。
面白かった。
昔観ていたゴジラの記憶がチラついたが、「災害(ゴジラ) vs 日本人」というわかりやすい構図は、東日本大地震を乗り越えた日本人にとって心に響くことも多かっただろう。
だが、面白くなかった。
映像や内容自体は何も変わらない。変わったことはただ一つ……いまがコロナ禍だということだ。
コロナウイルスの流行によって世界が一変したことは当然のことながら、皆さんもご存知であろう。
その「コロナ世界」の私にとっては、シンゴジラは全く面白くなかったのである。
劇中では、少し頭が固いけど責任は取れる政治家たちと、有能で頭脳明晰な官僚たちが頑張りまくってゴジラを退治する。
そしてゴジラによって破壊された街を前にして「日本人は何度だって復興してきたんだ」的なことを言って終わる。
保身と欲望に塗れた後手後手の対応、全く追いつかない旧式のシステム、税金に群がるシロアリたち、不透明な意思決定プロセス、「雰囲気」で全てを決める無能な政治、硬直的で汚職に塗れた無能な官僚たち。
これが私たちが実際に目の当たりにした「災害に対応する日本人」の姿である。
この現実を見てしまえば、劇中で一致団結して災害(ゴジラ)に立ち向かう姿が滑稽に見えてしまう。
いちいちシーンごとに「いや、この官僚は左遷させられるんだろうな」「いやこの作戦は中抜きされてうまくいかないんだろうな」とか思ってしまう。
元の記事と思われるものを読んできたが、元の記事は学問や知識がどういうものか、「知る」という営みにどういう意味があるのか、に重点をおいて語っていた。他方でこの記事は学校教育がなぜ必要かを語っていて、少々論点がズレているような気もしなくもない。
「教育の受益者が社会だ」、この主張には概ね納得。ただ勿論、教育にも功罪があって、例えば優生学や社会進化論を下敷きにして作った教育はファシスト的なものになるかも知れない(それこそ周りを見下すための教育になりうる)。或いは、歴史教育。隣国との領土問題や過去の戦争問題を語ったり聞いたりする時には、歴史の知識を使うわけだけれども、教育で与えられた知識をそのまま(或いは自己流に解釈して)使った結果として、隣国との対立が続いたままになっていたりはしないだろうか?この記事も学問や教育の善を部分的に語っているわけだけれども、その悪も合わせて知らせないと、そこから生まれる社会は少々歪になるかも知れませんね(ここが我々の現在地かも知れません)。
教育制度の論点からするなら少々話がずれるかも知れないが、主体的な学びであるならば、広義の「学ぶこと」「知ること」「考えること」それ自体は社会のためであれ、個人のためであれ良いように思う。個人的な興味から幼少期に好きだった昆虫や恐竜を探究するもよし、文学を学ぶもよし、災害から街を守るためにインフラ整備について学ぶもよし、娯楽である家庭用ゲームについて個人的に考えるのもよし。
教育から与えられた「勉強」がなくても生きること自体はできるだろう。しかしながら、自分から何か(扱うものは極端な話なんでもいいんです)を知ろうとする時に「勉強」がないと困るのも事実だ。我々が文章を読めるのは、どんな形であれ共通のコードとして教育があったからだ。映画や音楽、詩や文学、(極端だが)ブログなどの娯楽を楽しめるのも、部分的にそのコードに沿いつつ「主体的に何かを学んだ人」がいるからのように思う。「勉強」がみんなで楽しめるものの基礎の部分を作っていること、社会や文化の一部を作ってきたことも否定できない。
ざっとまとめるならば、「勉強」と「主体的な学び」に乖離があるのは事実かも知れないけれども、「勉強」が個人も社会も(物質的にも内面的にも)豊かにしうることは事実かも知れない。勿論、どちらにも功罪はあるけれども、一見無駄に見える「勉強」であれ、「主体的な学び」であれ、我々が何らかの形で日常的に使うものであることは否定できないはずだ。
(長文失礼しました)
・街に「ヤバい勢力」が攻めてきた想定でいかにして生き残るかの妄想
・「ヤバい勢力」のせいで世界人口が極端に減少した世界でいかにサバイブするかの妄想
・知人や親戚が集まる場でクイズ番組を見て自分がことごとく正解し称賛される妄想
・災害に遭ったらどうするかのイメトレ
・その場でポッと生まれた名前もないキャラ達のコメディを何度もリピートする
・カッコいい人名を考える
・荒唐無稽な嘘を考える[例:冬の白い息を集めて作った綿は暖かくて快適ですよ]
・歌が上手くなる妄想
・ハリウッド映画に一癖ある脇役として出演し一躍注目を浴びるがほとんど素性を明かさずミステリアスな存在のままでいる妄想
・たいめいけんみたいなすごいふわとろのオムライスを作る妄想(実際に何度か試みて失敗した)
・世界中の犬が狂犬になって人を襲い始めたらどうやって逃げるかの妄想
・モンスター的な存在を処理する機関の飄々としたベテラン隊員が跳ね返りの強い新人のピンチを余裕で救う妄想
・いない妹に慕われる妄想
・いない妹を見舞う妄想
・いない妹を看取る妄想
・閉鎖的な集落で行われる残酷な儀式から逃げ延びた子が大人になって復讐に戻る妄想
・いない妹に慰められる妄想
マキシマムザホルモンかと思ったり
まあ、本当に日本は終わってるというか平和ボケしてる感あるけどな
歴史的に考えても、ちゃんと戦争もできない国が生き残れるわけがないわけで
ということを証明した、日本は生き証人みたいになってしまった感がある
原発事故は核戦争への備えがあるか、援軍に来た米国にはちゃんと想定されたマニュアルがあり、日頃から訓練されていた
コロナは、米国の疾病対策センターみたいな組織はバイオ兵器、化学兵器に即時に軍と連携して対応することも兼ねているわけで、
軍需=軍国主義みたいな短絡な考えが間違いであることを十分に証明していると思う
今になって国産戦闘機だのアビオニクスはNECだのみたいな話になってるが、
韓国や中国はパクリだろうが何だろうが、国産戦闘機開発は完全に日本よりリードしているように思える
パクリだろうが真似て作ってちゃんと飛ぶとか動くってのは、それだけで十分に凄いと俺は思ってる
サイバー攻撃だの産業スパイだので設計図面を入手したからって、それを理解する脳みそがないならコピーさえできない
だから、ロシアでさえスホーイのアビオニクスを抜いたものを中国に売りつけてる
機体はゴミとか戦場で墜落した機体を回収するとかすれば、いつかはコピーできるだろうけど、
アビオニクスや特にソフトウェアは上述のようにコピーできてしまうわけで、
しかし、中国は曲がりなりにもアビオニクスを独自に埋めてちゃんと飛ばすところを世界に報道した
米国の人工知能による爆撃機の空母への離発着とレベルの差は雲泥ではあるが、
公式に中国政府が粗大ゴミになった建造中の空母を買いたいと言ったら拒否されるだけだろう
上述のように、同じ共産圏とはいえ、空母建造のノウハウを渡したくはない
粗大ごみを買ってくれるのか、どうぞどうぞ、みたいな話になってしまったわけだが、
もう半完成品の遼寧は完成させ、遼寧のノウハウ+αの山東も完成し、
これから完全にゼロベースからの巨大空母が複数建造されるのだろうし、
トランペッターのプラモをネットで眺めてて色々思ったのだけど、
世界でもユニークなサリン事件があり、テレビドラマのERでも会話の中にサリン事件で日本の名前が出たが、
極めて稀なテロ事件に遭遇していながら、コロナへの対処もショボいのが今の日本の現実である
普段から災害や国難があるのなら、それに対処する知見、蓄積があるはずなわけで、
例えば、建造物の耐震、免震構造などは日本は他国より優れているのではないかと自分は思うが、
千葉の台風でもゴルフ場のフェンスが倒れ住宅街の一部を破壊したが、
そもそも、あのフェンス外側に倒れてもおかしくない設置してなかったかとも思ったし、
なったらなったで、あの件はゴルフ場の女性経営者がゴルフ場を完全に売却し補填に当てることで決着したようだけど、
そもそもの設置基準、国側の監督責任、ゴルフ場を売っても金が足りない場合どうするか、
みたいなものが意外にこの国は未だに脆弱なように思えてならないし、
そういうことが回り回って、国民が安全安心に暮らせる社会になってない、としか自分には思えない
そういう話をすると、いやいや他国だってそんなに理想的ではない、日本なんかより酷い問題がある、みたいに話を折る人が出てくるわけだが、
まず、中途半端なところで満足するというのは、初学者が俺天才と錯覚するダニング=クルーガー現象みたいなもので、
自己満足した時点で成長は止まってしまう、だから日本は国として成長が止まってしまうのではないか
それから、仮に日本が最も豊かで恵まれた国だったとしても、それを更にブラッシュアップして、最強、最最強、最最最強の国家にするべきであって、
これも同様に自己満足が成長を止める
こういう自己満足や逆に米国だけを礼賛するような竹中○蔵みたいな輩が成長を止めているように思える
少なくとも米国側からも指摘されているように、台湾において米中がなんらかの武力的衝突をするのは避けられないと思っている
当然ながら在日米軍がある日本も無関係ではいられないわけで、ロシアのように第三次世界大戦を想定していかなければ困る
半導体製造においても、NVIDIAは台湾から韓国サムスンに製造委託を移すようだし、
日本は蚊帳の外感がずっと否めないのだけど、中韓のダンピングに負けたような経緯もあった気がするが、
半導体においても負け、半導体製造装置が今のアドバンテージであるが、その牙城が崩されるのも時間の問題かもしれない
比較的最近だったと思うが、ファナックは第二の創業として産業ロボットの次に射出成形機に乗り出してたと思う
作業服着て現地へ行っているニュースに対して「現地に行って何かやってるポーズをとっている」的なことを言われていたような気がする
(その時の記事の写真がなぜかやけに首を前に傾けた写真でコラ画像が大量に作られていた)
あれから10年ということで少し前いろいろ記事が出ていたが、それに対してついていたコメントにめちゃくちゃ違和感があった
今の政府を批判するために、当時を引き合いに出して「当時はよくやっていた」というコメントがついていて、なんかな……
今と当時のどちらが悪夢かなんてどうでもいい
しかし、当時の政府の対応はいつのまに再評価されていたんだ?自分が無勉強なのか?
えてして政治家の評価は後世から見ないとわからないものだとは思うけれど
鈴木宗男とかムネオハウスとかなんとかめちゃくちゃ叩かれたけど北方領土問題頑張ってたらしいし
小泉の郵政民営化とか当時は熱狂的支持されてたけど今から見ると下策だったようだし
それとも現政府を腐すためだけに「当時はよくやった」とか言ってんのか?だとしたら適当なこと言ってんじゃないよ
と思いました。(日記)
すると、そら大地震よという人がおおい。
いやワイも覚えてるはずなのだがフツーに仕事が忙しかったせいかよく覚えてない。
なんか列車に並ぶサラリーマンもいつもよりえらく暗かったのを覚えてる。
奇妙なぽんぽんぷぅ~んみたいなCMばかりが流れて、なんか世界がバグった感じで気味が悪かった。
TVやらネットも平常運転だし、むしろ株高のせいかみんな元気にみえる。
もちろんキャンパスライフが思ったものと違った新人大学生とかは可哀想だと思うけどな。
なにか別の方向に人類がシフトするための段階のような感じがして、メリットも多いと思う。
たとえば無駄な会議が減ったとか、無駄な手続がシンプルになったとかさ。