はてなキーワード: 古本屋とは
そういうのは古本屋が買ってる
言及どうもです。
彼らは、単純にphilosopher(=知恵を愛する者)ということでいいんじゃなかろうか?
『「知」に対して極めて能動的な人間』、というより、『新しいことを知ることが好き』、ただ単に好きって感じで。
だから、はたから見ると、増田も『知らない話題に対しては、無知な者として、目を輝かせて知識を吸収する』スタンスで行けるといいのではないか?と思う。
そう、そこなんだよね。
俺が「怪獣映画を見ること」を苦に感じたことないように、彼らにとって
『新しいことを知ること』はまったく苦じゃなくて、むしろ何よりも楽しいことなんだろうな。
だから知識を毎日のように流し込んでも頭でっかちにならずに教養として心身に身に付くのだろうな。
彼らにとってはソルジェニーツィンを読むのもゴジラを観るのも同じ『新しいことを知ること』なのかもしれない。
自然体で「philosopher(=知恵を愛する者)」として振る舞えてる人達への劣等感や羨望みたいなのは正直あるよね(笑)
ああ、彼らには「おし、勉強するぞ!」って喝を入れる感覚すらなくてこれが自然体なんだ!って気付いた時には震えたね。
実はこの土日で奮起して古本屋で有名な哲学書やらロシア文学をしこたま買い占めてきたよ(笑)
「地下室の手記」はなかったけど、カラマーゾフの兄弟や罪と罰は買ってきた。
ソルジェニーツィンも何冊か買ったし、デカルトやらカントやらあるだけ買ってみた。
古本屋の店主はすげえ偏屈そうなオッサンだったが、購入ラインナップを見たら笑顔になってた。
何度もお礼を言って店を送り出してくれた。彼も「philosopher(=知恵を愛する者)」なのかもしれない。
手始めに薄いゴーゴリ「外套」を読んだけど、思ったより易しくてすぐ読了した。
すっげーヘンテコな話だったけど、不思議な後味が残って楽しめたよ。どんどん読むぞ。
私はいわゆる腐女子です。私には好きなジャンルがある。そのジャンルで二次創作を行っている。自分で同人誌を作ったことは数えるほどしかないが、そのジャンルのイベントで本を買ったりしている。Twitterでその作品が好きな人と話したりしていた。
そんな私の好きなジャンルで悲しいことに同人誌が転売されるということが起こった。某フリマアプリに売られていた。
私は悲しかった。自分の本が転売されていたわけではなかったが悲しかった。私はイベントも遠方のために参加できなかったので作者さんが通販してくださるもの頼みで、通販のなかったり完売したものはTwitterのその本がいかに素敵だったかというTLの感想をうらやましく眺めていた。
そんな本の数々がフリマアプリで売られていた。転売について気がついたひとが報告して何度か削除され、また出品されるということが3度ほど行われた。
その出品しているアカウントを見てみると、過去にはそのジャンルの同人誌、他ジャンルの同人誌、グッズ、限定グッズのいくつかも売買されていた。
同人誌の出品物のコメントを見てみると「一度だけ読んだ」や「暗部に保管」などそんなことが書かれていた。
それを見て、同じジャンルが本当に好きな人間なんだということは分かった。だからこそ余計に怒りを覚えたし、悲しかった。
転売目当てではなく、本当に本が読みたくて買って、一度読んで満足して、中古屋では高く買い取ってもらえないから原価近くで売れるフリマアプリやオークションで売っている、ということであろう。
そしてそのフリマアプリのアカウントではサークルチケットも売られていた。つまりは、サークル参加する人間だったのだ。
同じジャンルにこのような人間がいるということはひどく恐ろしく、たとえこの先本を出したとしてももしかしたらこの人が買っていくかもしれない。サークルも参加するのかもしれない。
昨今、奥付にオークションやフリマアプリでの転売を禁ずる文面を載せることは当たり前となっている。しかしながら、これに法的な強制力はない。同人活動は性善説に基づくものなのだと実感する。
転売された方々はせめて同人誌専門の中古屋等に売ってくれ、と言うがそれでも本当は自分が一生懸命、命を削って作った作品を簡単に手離してほしくはないだろう。
せめて見えないところで、ということだろう。いくら中古屋に売るからと言って面を向かって「売ってきます」や「処分します」なんて言われたくないだろう。古本屋で自分の本が並んでいるのを想像すると胸が締め付けられそうである。
自分が転売されたわけではない。しかしながら、この一連の騒動で創作意欲を削がれるという気持ちもありありと分かってしまう。自分だったらと想像したくもない。
転売されてない私にも、これほどまでにダメージがあるのだから転売されたひとの気持を想像するとただただ辛い。
転売はやめてほしい。
一般向けのイラストも徐々に萌え絵寄りになってきたよね。少年〜青年向けの小説表紙なんか見ててそう感じる。
この間のラノベ表紙は巨乳ってか奇乳すぎて、んん??とは感じたけどまあ全年齢の範疇かな〜って思う
少年ジャンプとかも結構お色気多いし、それと比べたら書店の棚に並んでても大丈夫かなあ
自分が小学生の時気まずかったのは、コンビニのエロ本コーナーと、古本屋の成人向けコーナー。
使ってる色が黒とショッキングピンクとかで激しいし、煽りの文字もすごいんだよね…。
全年齢だけど、安野モヨコの脂肪という名の服を着てって漫画は表紙が女の全裸だからレジに持っていくの恥ずかしかった(当時高校生)
あとケロロ軍曹のお色気シーン…親が自分の漫画読む時気まずかった(当時中学生)
単純に自分が男の子向け、オタク向けのコンテンツにも小さい頃から触れてきたから違和感無いだけなのかね。
イラスト描くのが趣味なんだけど、体を肉感的に描くのが好きで胸や太もも強調するし、恥ずかしい格好させたりもする。
ただ、描いてる絵に対して自分もこうされてみたいんでしょ?こうなりたいんでしょ?のような事を言うウンコだけは決して許されない。
昔々のことだが中学生くらいになんとなく樋口有介の小説を読んで好きになった。
しかし本屋でも古本屋でも同じ「ひ」の並びにある東野圭吾とはスペースも注目度も違う
ある時、本屋のPOP商法で樋口作品の一つ「ピース」が飾ってあった割と広い範囲で同様に
展示されてたらしいPOPにはありがちな読んだ後、驚愕の真実に驚くみたいな感じだった
一応ミステリー作家でミステリー小説ではあるが、POPを読んだ時、嘘だと思った。
現に期待はずれだった、大したことないってレビューをよく見たものだ
樋口作品のミステリーでミステリー的なおもしろさなどない、ファンも期待していない(多分本当にそう)
ファンが好きな樋口作品の2作も読めばトリックはともかく犯人は解るくらいテンプレとなっているからだ。
そうじゃなく中々犯人がわからない変化球作品の感想は余計な事をするな、奇をてらうなだ。
樋口作品のテンプレは学生の主人公が殺人事件に関わり、美少女と仲良くなるor
読み返すと恥ずかしくなる事もあるが当時は気障っぽくて好きだった
この2パターンどころか1パターンを会話文のテンポの良さとおもしろさと
風景描写の見事さでどうにかしている、主人公像はいわゆるやれやれ系だ
若い子は興味があれば暇なら読んでみて欲しい。
大学図書館がやるなんて世も末だなと衝撃受けたけど
記事読んだら通常業務してるだけじゃねーか!と二度びっくりしたので
図書館書架が有限である以上、図書は買った分だけ捨てないと書架に収まらない。
(オプション)
複本、新訂版有無、電子版有無、利用頻度、連携先図書館・国立国会図書館所蔵有無
大学にもよるだろうけど、本当の貴重書・重要度の高い図書は図書館にはなく研究室にあったりする。
特定専門分野の第一人者が定年退職し、後任研究者がいないと研究室所蔵図書の価値がわかる人がいなくなり、あえなく廃棄処分になるケースも何回か経験してきた。
大学図書館にとって図書の価値基準は教育・研究対象関連であるか否かである程度決まってくる。
そもそも大学図書館は図書館法下の図書館ではなく、学校教育法下の図書館である。
大学図書館の役割は第一に研究者、学生のための図書・雑誌等を所蔵し供与することであり今後も変わらないだろう。
郷土資料の保存や収集は公立図書館や博物館の役割で、県立であっても大学図書館が担う必要はないように思う。
ただ、郷土資料を大量に廃棄するときは、公立図書館や博物館に一声かける配慮はあってよかったようには思う。
最近は偉大なる文科省中教審様の御宣託であったり千葉大の成功事例であったりで大学図書館に
「主体的な学修を支える図書館の充実や開館時間の延長、学生による協働学修の場の充実」を求められるようになった。
以降、大学図書館を新設・改修するとラーニングコモンズとしてグループ学習設備と内装に予算とスペースが割かれるようになった。
既存改修で閉架書架を潰してグループ学習室設置した大学図書館もある。
余談だけど、千葉大西千葉の猿真似でラーニングコモンズ作ってる多くの大学図書館がファミレス化してて残念な気持ちになる。
ただただ自分の信条や感想を断言してスター稼ぐ前に、ご自身で周辺情報をある程度把握をした上でコメントしませんか。
ネットで検索しても周辺情報に辿り着けない場合は最寄りの公共図書館にご相談ください。
司書がレファレンスサービスを提供しています。
「故人サイト」という本がある。
慣れ親しんだブログやサイトが突然更新されなくなっても、多くの場合は理由など分からないが、その本に出てくるサイトは、タイトル通り、管理人の死去によって「故人サイト」になったものばかりである。
例えば主が病没した場合も家族などがその旨を報告すれば、読者は悲しいけれどブログ主との別れを受容することになる。
刑事事件や不慮の事故、海外旅行先の病気などで命を落とされても、報道された人物と、ブログに綴られた情報とのシンクロに誰かが気づくことによって、多くの読者がブログ終焉の理由を知るに至るケースもある。
まさか、私が最も長い期間読んでいたブログが、これ以上ない衝撃的な形で、NHKのトップニュースになるような(6/26朝)経緯で、「故人サイト」の仲間入りをしてしまうなんて。
6月25日朝7時、いつものように「Hagex-day.Info」をチェック。更新されていない。予約投稿であろう「本日の一曲」もない。
いつだったか、数日単位で更新がなかったときは、「Hagexを心配する人の声まとめ」みたいなのもできる位マメに、精力的に更新されていたブログなのだが、朝イチでは更新されていないことは時にあるので、この時点ではいつもの朝だった。
25日の朝9時前、Twitterのトレンドに「hagex」を発見し、「へ~、何で?」と見に行ってみたら、とても信じられない、悪夢のような文字が。字は読める、意味は分かるのだが頭が理解しなかった。
確かに、地元の福岡で24日夜に勉強会をする旨を彼は告知していたが、まさか。
Twitterで「この被害者はHagexさんでは」という書き込みを読み進め、「福岡でセミナー講師が刺された」「講師とはHagexさんだったらしい」ということは飲み込めたが、「刺殺」ってなんだ。もう生きてないのか、死んじゃったのか。
どうしても飲み込めなかった。とてもじゃないが咀嚼できる情報じゃなかった。
刺された人がいたとしても、「人違いでした」というオチが絶対にあると思っていた(”ロング・グッドバイ”みたいに、仕組まれた替え玉じゃないか…と。代わりに死ぬ人がいなければ成立しない、酷い願望なのに本気で考えた)。
タブレットに表示されたHagexさんのお顔、お名前、知りたくなかった。知る必要なんてなかった。Hagexさんが自ら開示されるならともかく、いったい誰が、こんな形で彼の素顔を知りたいと考えるだろうか。
25日は他の事が手につかなかった。たまたま仕事を休んでいたのは幸いだった。26日の朝も、目覚めてすぐに「あれは夢だったのでは?」と思った。
夢ではなかった。
私が読み始めたのはいつ頃だっけ?と、記憶に残る最も古い記事を検索してみたら05年のこれ。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/20050813/p1
この少し前から読み始めていると思うので、約14年間の「Hagex-day.Info」の歴史のうち、約13年間、ほぼ毎日読み続けていたことになる。
その頃よく発言小町を読んでいたのだけど、Hagexさんやトピシュさんの言うところの「もやもや」を抱くことが多い。
「いや、これ創作でしょ」「これ、トピ主が変でしょ」等々、突っ込みを入れて楽しみたかった私が見つけたのが「Hagex-day.Info」だったのだ。
その他、発言小町のまとめサイトも複数あったのだけど、小町の運営会社から抗議があったらしく、ある時期に全てなくなってしまった。
Hagexさんも、「小町の運営会社からはてなに削除依頼があったが、削除依頼があってもきちんとユーザーサイドの意見を聞いてくれるのは大変嬉しかった。」と仰っていた。
その後、ブログで批判したサイトの運営会社から「名誉毀損、信用毀損」を理由に削除要請があった際も、即削除することなく、ユーザーの意見を聞いてくれたはてなに対し、「ユーザーに対して誠実な対応をしてくれた、はてなに感謝!」と綴られている。
それらを読んでいたので、私も「はてな」には良い印象を持っていた。
Hagexさんのブログ、ごく初期は普通の日記、その後は発言小町からの抜粋、発言小町からの転載が禁じられて以降は2ちゃんねるからのコピペが多くの割合を占める。
事件で初めてHagexさんのブログを訪れた人は、「ただのまとめサイト管理人じゃん。何を騒ぐことがあるのか」と思ったりするのだろうか。
そういう方(はてなにそんな人はいないか…)は、是非右側の「人気記事」に並ぶエントリーをクリックしてほしい。特に「Facebookはバカばかり」とか。
私は、2ちゃんからの転載も別に嫌いじゃないし、読み物として読んでいた。面白いと思ったものはブックマークもした。
しばらくの間は、「Hagexさんは、時折投入する渾身のエントリーをより多くの人に読んでもらうために、せっせとまとめサイト的な投稿をしてるのだろう」と思っていたのだけど、「三度の飯よりインターネットが大好き」な彼は、まとめ的投稿も結構楽しんでいるのだろう、と考えるようになった。
でも、Hagexさんの真骨頂は、やはり時折アップされる舌鋒鋭いネット批評。
Hagexさんのお蔭で、仕事と子育てに追われる私も、「デマは怖い。デマは、面倒でも火消ししなければすぐに広がってしまう」とか、「これ、掘って行ったらココと繋がるのか。やばいよね」等、ネットと、それに連なる世間の怖さを垣間見ることができた気がする。
あるいは、TwitterでRTされてきて、「何これ、こんな安い話によく食いつくよね」と鼻白む思いで見たサイトが、Hagexさんによってコテンパンに貶されているのを読んでスッキリしたり。
「“落としどころ”なんて言葉はオレの辞書にはない」と言わんばかりの、どこまでもしつこく、容赦ない筆致に、「これ、食いつかれたら大変だわ…」と嘆息することもしばしばだった。
一方、Hagexさんの映画や音楽評は実にユーモラスで、「観て(聴いて)みようかな」と思わせるものだった。Hagexさんのエントリーが切っ掛けで観た映画は少なくない。
その中でも最も素晴らしく、紹介してくれたHagexさんに感謝しているのは「ザ・フォール 落下の王国」である。
ハゲ子の社畜ぶりを自嘲するエントリーや最近飼い始めた「猫先生」を含む、Hagexさんの身辺雑記も楽しかった。
そういえば、「古本屋さんで買った本にかなり昔の写真が入っていた。アップしたら持ち主が見つかるかな?」というエントリーを写真とともにアップされていたこともあった。「写真、アップしちゃって大丈夫?」と思う一方、「Hagexさんロマンチストなのかな」と微笑ましく感じたエピソードだった。
Hagexさんは福岡出身で、貶しながらもこよなく故郷と博多弁を愛していること、タバコが大嫌いなこと、小児を性の対象にする行為を断じて許さないこと(当たり前の事ではあるけど、これに関しては殊に強いHagexさんの意思を感じた。)など、ブログを通じてHagexさんの人となりが、断片的にだけど見えてきたような気もしていた。
そんなHagexさんが、故郷で開催する初めての勉強会、その終了直後に問答無用で殺されてしまうなんて。
あれほどネット上の戦いに精通し、危機管理に自信を持っていたように見えた彼が、理不尽な暴力の前にはあまりにも無力だった(というか、誰だって無力だ)。
Hagexさんは、容疑者とされる人物が、自分と同郷だということを知っていたのだろうか。
酷すぎて、酷すぎて。
使い古された言葉だけど、これまでの人生で使う機会もなかった言葉だけど、「神も仏もないものか」という叫びが、私の中で暴れ続けている。
心中で叫ぶだけでは、やりきれなくて辛いので、心の赴くままにだらだらと綴ったのがこのエントリーです。
東京で行われた一回目の勉強会、結構本気で行きたかったのだが、幼い子を持つ身なので諦めていた。「これから勉強会を定例化するのであれば、いつか行く機会もあるだろう」と思っていたが、その機会はもう訪れない。私はHagexさんに会えない。
「落下の王国、素晴らしくてソフトも買っちゃいました!」と、なぜコメントを入れなかったのか。
明日も明後日も、ずっと続くはずの日常は、いとも簡単に、あっけなく断ち切られるものでもある。その理不尽さに、恥ずかしながらこの歳になって初めて接した気がする。
十数年の間、ブログへのアクセスが毎朝の日課だったので、今朝もついアクセスしてしまった。「注目記事」のトップにある記事のタイトルにまた悲しい気持ちになる。
「お前は一体彼の何だからこんなに湿っぽい記事をアップするのだ」と問われれば、「スミマセン、コメントも1~2度つけただけの一読者です」としか言えないのだけど、「それなのに、どうしてこんなに辛いのかな、悲しいのかな。」と自問自答しながら、べそべそと泣きながら、Hagexさんにこの駄文を捧げます。
日常どころか人生を、あっという間に断ち切られてしまったHagexさんはどれほど無念だろう。「安らかに」なんて白々しく言える心境じゃない…と思いつつも、それでもHagexさんの眠りが安らかであることを祈らずにはいられない。
「長い間、本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください」
古本屋みたいな……。かなしい。
・ぽんこつヒーローアイリーン(絵もギャグも非常に秀逸。大まじめに奇行しまくるアイリーンが可愛い)
・うちの姉様(結構な変人でもちゃんと弟・妹を可愛がる姉が可愛い)
・だめよめにっき(この手の絵、夫婦物としては珍しく1本1本が独立していて、それらがちゃんと面白い)
・ワンダフルデイズ(可愛い顔して真顔で毒を吐くキャラが殆ど、でも不快にはならないという凄い面白さ)
・ともだちマグネット(絵が可愛い、仲良し兄妹、ストーリー物として読みやすい。ギャグは微妙)
・みそララ(セリフが異様に面白い、絵が今の綺麗な絵よりしっくりくる。お仕事物としては最高)
・BB Joker(ギャグのセンスが突出している、絵とギャグとのギャップが凄い)
・初恋症候群(セリフがちょくちょく捻くれていて面白い、姉が好きすぎる弟が面白い)
買って翌日古本屋に売った4コマ(理由は基本"ギャグがつまらないから")
・あつあつふーふー
・小森さんは断れない
東大の理川です。
ぜひ電子化すべきです。
どうせ、ずっと持っておくことなどできはしないのですよ。
リタイアした研究者の膨大な文献は、大抵捨てられるか、よくて古本屋おくりにされています。
図書館にも、自宅にも置いておくだけのスペースがないからだそうです。
ただし裁断すると扱いづらいので、よく開く本は2冊買うか、頻繁に読まない本を優先的に裁断するとよいでしょう。
あまりよくないことですが、私も炊いたデータを先輩に貰ったりしましたから、2冊買ってもおつりが来るくらいに、本を入手できました。
資料性の高い文献は、本の形のまま高速で自動でスキャンできる装置が一般化するまで温存するのがベターだと思います。
なお、私は文系の研究者ではなくホームレスですが、増田に文系の研究者がいるとは思えなかったので、僭越ながらインテリ代表で言及させてもらいました。
これからも頑張ってください。
祖父が亡くなってしばらく経ち、骨をお墓に納める日が来た。
その前日、久しぶりに祖母の家に泊まることになった。
骨壺(結構重い)を抱えて運んだり、タクシーを呼んだり、雑用係だ。
祖父の部屋はまだ沢山の本が置いてあり、もう何年も使っていない一眼レフのフィルムカメラも置いてあった。
・
祖父は晩年認知症が進み、会話が怪しくなり、最後には私の顔もわからなくなっていた。
あまり祖父母と会うこともなくなっていたが、祖母がケアしきれなくなり、施設に入ってからの方が合う頻度は増えていた。
(半年に一度が2、3週に一度程度に)
とは言っても、会っても会話にならないため、少しでも喜んでもらおうと、好きだった飛行機の模型や写真集を買っていくことにした。
ふだん足を運ばない模型店に行って品を選ぶとき、会話の通じない孫や甥におもちゃを買っていく大人の心理状態はこんな風だったのかと思ったりした。
同じ写真集を二、三年以上繰り返し読んでいるので、一度に渡しても消化しきれないだろうと思って、まず一冊渡した。
祖父が喜んだかどうかは定かではないが、祖母は喜んで、祖父に孫からのプレゼントについて話しかけていたようだ。
その後、ちょっと具合が悪そうだと聞いたあと、すぐに亡くなってしまった。
愛読していた写真集は棺に入れて燃やしてしまったが、次に渡そうと思っていた二冊目の写真集はまだ手元にある。
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鮮明な夢を見た。
髪は真っ白だったが、背筋が曲がる前のしゃきっとした姿だった。
(あれ?祖父はまだ死んでいなかったのか)
と夢の中で思った。
祖父の死亡を知らせる印刷したはがきが数十枚重ねておいてあるのが見えた。
(やっぱり)
と思ったところで目が覚めた。
6時ころだった。
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