はてなキーワード: 保育園とは
都内30代共働き、息子2人保育園、親はワクチン2回済み、上の子だけ陽性で10日の隔離+最終日から7日の自宅待機中。先が見えてきたので書いてみる。疲れたよ旅行行きたいよ行けないけど!
注:たまたまごく軽症だったけど、コロナは風邪派ではないよ!結果は運ゲーだよ!!後遺症も気になるし打てるようになったら子にもワクチンすぐ打つよ!
はてなーには耳が痛い話系。
こんなタイトルなのだが、けっこうなページ数を父親を育児の世界に引き込むことに割いていた。あと、お堅いタイトルだが論文の類いというよりは筆者の心の叫び的な内容で、主張の根拠となるようなデータとかは出てこないし、なんならたまに間違えたこと言ってる。日本は年々犯罪が増えてるとか(減ってるよ!)。
国策によって日本の保育が雇用政策の為のサービスと化してしまった。それにより、保育園と親が協力して子育てをしていく伝統が崩壊し、親が子育てをする機会が失われ親として育つことも子供と共に生きる喜びを感じることも出来なくなりつつある。そんな現状に著者は警鐘を鳴らす。欧米では既に半数の子供達が実の親に育てられておらず、親による虐待、近親相姦や少女の妊娠、学級崩壊やいじめなどの問題が深刻化しているというのに、日本はその欧米の惨状に目を背けつつ無批判に追従しようとしているという。
半分くらいは規制緩和で改悪されて行く保育制度への嘆き。虐待同然の非人道的な保育が現場でなされていることの告発なのだが、後半は子供と共に生きることの喜びとか保育士という仕事から得られる幸福、親の幸福、そして最も大切な子供の幸福について書かれていた。
読み始めは眉に唾つけてこ、と思ったけど案外共感できる部分もあった。自分の子供達の小さい頃のことを思い出して涙した部分も。シンプルに、子供という存在は人に生きる喜びを感じさせる。決して子供は邪魔なお荷物でもない。子供と暮らすということは人を不自由にさせるが、その不自由さを補ってあまりあるものをくれるのも子供であり、人を前を向いて生きようと立ち上がらせてくれるのだ。
「保育園落ちた日本死ね!!!」という名作があるじゃないか。
保育園からの流れで学校も後者の気がする。保護者から言われるから、ってのもある。
われわれの世代はもっぱら駄菓子屋でガンケシ筋消しにカードダスで、ミニ四駆は親に買ってもらうものだったが
「OOさん異動らしいよ」とか
ワンオペ育児で母親がわが子3人を手にかけた事件に対して、予想通り「母親の辛さ」がフィーチャーされている。
小児科医が人を殺したこの母親に同情し、すべての母親のためになんとかしようみたいな話をしているし、
育児垢が「私とこの母親は地続き。批判してる育児垢見たら実家住みだった、人生いろいろ育児もいろいろ」とか言ってる。
まるで母親の自己実現のために育児してるかのような言い草に失笑を禁じ得ない。人生いろいろだから生後数か月で親に殺されてもしょうがないってか。
法の下の平等に準じて我が子を手にかける所業には重きを置かないにしても、「そんなに辛けりゃ一人で勝手に死ね」と言われもおかしくないはずなのに。
そもそもワンオペになるのに3人も産むなとか、共助を拒否した結果だとかは白饅頭界隈にでも譲ります。
どんな事情があったにせよ、世の保護者に「私も我が子を殺すかも」なんて思ってほしくないので私はもうちょっと優しいアプローチをしたいと思い文章を書いてみます。
簡単に言えば、必要なのはリソースの適切な配分と多チャンネルの開設である。
親のリソースは有限である。よっぽど特殊な環境でない限り、一人の子どもに対してかけられる親の労働力は最大2人だろう。
一方で育児が要求する労働力は2人でも足りない、というのが私の過去の経験からの感覚である。
無論最低限の生存レベルではなく、「親としてしてあげたいこと」がこの要求を無限に引き上げていく。
清潔で快適な環境においてあげたい。たくさん眠らせてあげたい。写真を撮っておいてあげたい。たくさん食べさせてあげたい。
親として最初に考えないといけないことは、この全部を完全に達成することはほぼ不可能であるということだ。
何をしてあげないか決める。何を与えないか決める。何を切り捨てるか決める。これを明確にしておくだけで全然違う。
一度捨てたものには未練を残さない。再びそれに手を伸ばすことは禁忌とする。このルールを守るだけで育児の負担は確実に減る。
しかし往々にしてこれができない。特に母親は。これは善悪の問題ではなく、本能的なものだろう。
体力があろうとなかろうとリソースを延々と子供に注ぎ続け、判断力を失い、ときに鬱になり、最悪の場合子に手をかける。
自分がいかに寝不足でも泣いている子供を無視できない。これはもうそういうものとしか思えないから、無視せよと言っても無理なのだ。
かといってこれが美しいものかと言われれば全然そうは思えないのであって、これを美徳とすることは全く肯定できないのだが、
結局親と子供を引き離す他に親の労働力無限供給を解決する術はないのだ。
古い価値観ではこの役目を同居の祖父母等が担っていたのだが、現代人は他人の干渉を拒絶しているためそんなものは贅沢品扱いだ。
保育園だってパワーカップルのキャリア維持に使われて全員が入れるわけもなく、近所の人は顔も覚えていない。
カネも縁も知恵もない親だとあとはもう根性頼み、運頼みで闇雲に突っ込んでいくばかりなのだ。
だからもう自分で事前にやるしかない。自分は子育てを始めるとまともな思考はできなくなると予想して、安全装置を設置しておく。
それが多チャンネル化、平たく言えば外界と繋がりを複数持つということだ。
必要なのは自分の判断力が弱ってるときにそれを検出してくれる繋がりなので、理想的なのは昔からの友人や兄弟姉妹だ。
親とか義理親は母親自身より子のケアに寄る場合がほとんどだろうからあてにしてはいけない。
相手が独身だろうが不妊だろうが繋がっておく。子供の話はしない、自分の話をする。
ネタ画像を共有したり、腹が立った話をしたり、ふと思いついたときに声をかける相手がいればいいだけ。
そういう保険をかけられる相手との関係をメンテしておくことは普段からの心がけとしか言えないが。
ストレスを逃がし、自分と子を別の存在であることを認めてくれる相手が複数いれば最悪の事態に至るリスクはぐっとさがるだろう。
休日に外を歩けば小学生や保育園児が目につくような街で、「本当に世間は少子化なのか?」と思うくらい、子どもが多い。
保育園入るのが大変とかそういうデメリットはあるけれど、個人的に一番ありがたいなと思っている点が一つある。
それは、子育てに男性が参加している比率がとにかく高いことだ。
保育園の送り迎えやイベントに行けば父母の参加が半々くらい(コロナ前は両親二人揃って来ている家がほとんど)、保護者の集まり(コロナ禍でほぼ無くなったが)にも男性が当たり前のように参加している。
この男性が育児に積極的に関わっているかは、かなり地域によって格差があるのではないかな、と感じている。
夫の会社は割と当たり前のように男性も育児をする人がほとんどで、保育園の送り迎えなども当然のように夫婦で分担できている。
お迎えに行けば半分は男性が迎えにきているから、疎外感を感じたこともなさそうだ。
ただ夫はそんなに意志の強い方ではないので、「夫の会社や地域の環境が『当たり前のように男性が育児に参加する雰囲気』ではなかったらどうなっていただろう?」とときどき考えてしまう。
実際、夫が最初に子どもを一人で小児科に連れて行ってくれたとき、「お母さんじゃないのか」みたいな反応をされたらしい。
(他の小児科ではこのような反応をされたことはない。また、この小児科にはその後二度と行っていない。)
夫はこの経験が一度きりだったから今でも予防接種やら何やら子どもをきちんと病院へ連れて行くが、どの小児科でも同じ反応だったとしたら、心が折れてしまったのではないかと思う。
「親なんだから強い意志を持て」と外野が言うのは簡単だけれど、わたしは仕事で「大変不本意な女の子扱い」を何度もされて心が折れた経験があるので、正直人間は折れる時はかんたんに折れてしまうなあと思う。
(なおその職場からは転職して、現在はそういう考えとは無縁なところで楽しく仕事をしている)
とはいえ、夫がこんなふうに「なんとなく」できちんと育児を担当できているのは、確実に先陣を切った男性たちがいるからだろう。
小児科や健診など、「やっぱり母親じゃないと」みたいなことを言う人たちを言葉や態度でしっかり説き伏せてきたからこそ、今の「男性が育児をして当たり前」の環境があるのだと思う。
わたしはそれに敬意を表しつつ、夫に感謝しつつ、自分も適当に手を抜きながら細く長く育児をやっていくか、と思っているのである。
朝は早くから起こされ食事の準備して洗濯をし遊んでやったり勉強見てやったりして
昼になったら食事を作り片づけをして遊びに連れてってやり買い物をして帰ってきて
大学時代の知人、一見ふつめんだけどめちゃめちゃ対人能力高かった。家庭教師やってたけどその人の教え子なら2ランク上受かるわ、みたいな気持ちになったのを覚えてる。
その人が数年前に結婚した。あれだけ気遣いできる人ならこんな美人と結婚できるんだーと思った。福岡出身でひとつ下だったかな。奥さんもしっかりしてるけど気遣いの鬼。
ところで最近奥さんの呟きが流れてきてびっくりした。フォローしてないけど友人の友人なので流れてくる。匿名で知人側は把握してないようだし、奥さんの本音なんだと思う。
いわく、保育園落ちるかも、不安だ。保育園落ちた。夫は完全に知らんぷりで何もしない。嫁がどうにかすると思ってる。どうしよう。
え、あの人?と疑った。完全にイメージ違いすぎた。2人正社員なのにほぼワンオペ?勝手な理想を見てたというか、あれだけ気遣いできる2人なんだからいい家庭なんだろうなとか信じてた。ガチ内弁慶だった。
息子3歳9ヶ月が賢い。
数字アルファベットひらがなカタカナは完全に読めるし、よく見る漢字も30個くらいは読める。
一桁の足し算引き算もできるし、掛け算も少しできる。(ほとんどYouTubeで得た知識だと思う。)
今日「1週間は7日なんだよ、2週間って何日かわかる?」と聞いたら、10秒くらい考えて「14日?」と答えてくれた。天才?
あと結構前の金曜日に「日曜日のあさっては火曜日だよね?」とか聞いてきた。何その質問!
最近は保育園からの帰宅時毎回「どうして影は大きくなったり小さくなったりするの?色が変わるの?前にいったり後ろにいったりするの?」とか聞いてくる。その着眼点いいね〜。
まぁ親の学歴も現状も大したことないので、いずれ人並みになるとは思うけど、とにかく今この瞬間はかしこ〜〜い!!!かわいい!!すごい!!
大人になってからはそんなことないけど、子どもの頃はじっと座っていることが苦手だった。
急に立ち上がったりウロウロするようなことはなかったが、もじもじして何度も座り直したり貧乏ゆすりを我慢していた(未だに家ではめちゃくちゃ貧乏ゆすりする)
4歳くらいの頃のビデオを見ると、公園でくるくる走り回り、遠くにいるシートを敷いて座っている知らない家族の元へ向かい、男性が持っていたボールを急にむしりとり、いきなりそこの父親とキャッチボールをしているのが記録されていた。
実際自分は、幼少期は近所の人の家に招かれてもいないのにダダダーっとあがりこみ、過剰なほど人懐こかった。
今の時代なら、子どもでも嫌な顔をされるだろうが、何十年も昔なのでそこまで煙たがられることはなかった。
大人は「小さい子だから」で無礼も許してくれたが、幼稚園に入ると同年代の子達とはいまいちコミュニケーションをとるのが上手とはいえなかった。
ただ人懐こさがあるので、周りの子たちから煙たがられてるのもあまり気づいていなかった部分がある。
それでも中にはハッキリとノーをつきつけてくる子達もいて、それはさすがにわかった。子どもは大人と違って接するのが難しいな、と子どもながらに思った。
勉強は成績がいいとは言えないが、極端に悪くもない、ただ算数が特別苦手だった。
小五くらいになると、友達に答えを聞かないと宿題を提出できないくらいだった。
幸い運動神経が良かったのと、得意な分野は勉強を頑張っていたのでまぁ、問題なく学生生活は遅れた。
友人もいた。でも、今思うとやっぱり人間関係が得意とは言えなかったが。
あんなに人懐こかったのに、歳を重ねるごとに人見知りになった。
ただ、初対面が得意なので人見知りと言ってもあまり信じてはもらえないのだが。
とにかく大人になるにつれ、暗黙のルールみたいなのがわからなくずいぶん苦労した。
ハッキリ言ってくれたらいいものを察しなきゃいけないのが難しい。
それは仕事でもだ。普通このくらいわかるだろう、とりあえずやっといて、みたいなのが苦手だ。
それをやる意味をまずは教えてくれと。
あと、やってみてわかったが正確さを求められるマルチタスクが極端に苦手だ。電話応対なんて最悪だ、頭が真っ白になる。事務作業はてんでダメ。手順なんか何も頭に入らない、受付事務はとくに最悪だった。来客対応もしなければならない、もう大パニックだった。あと飲食店のホール、これもマルチタスクで大パニックだった。
続いたのは、スーパーの品出しと学童のバイトだった。品出しの接客は、商品の場所を聞かれるくらいだからストレスはあまりなかった。やることは大雑把なルーティン作業だ。ただ、棚卸しと発注は苦手意識が強く避けていた。数を数えるのが苦手。途中でわけがわからなくなる。
学童は人間相手だけど、自分が子どもっぽく人懐こい部分があるので子ども達とは馴染んでいた。みんな小学生なので、ある程度自分達で自由に時間を過ごすことができるので、子どもから一瞬も目が離せないという状況じゃないのも良かった。
マルチタスクの連続で、作業をこなしながら子どもが怪我をしないように最新の注意を払いながら、保護者対応、連絡帳や報告書、パニックだ。
自分は無能なんだと、何をやってもダメなんだと引きこもってしまい。もう8年。
家では家事をしている、大雑把な身体を動かすルーティン作業というのは自分には向いてるんだな〜とつくづく思ったが、すっかり対人恐怖で社会復帰が怖い。
当事者の話を聞くとそこまでじゃないな…と。
片付けは確かにできなかったんだが、
(小学1年の時に靴下を持って帰ってこないから探してみてくれと親が連絡帳に書いたらしく、担任に引き出しを開けるよう言われて開けたら、まるまった靴下やら教科書、ぐしゃぐしゃのプリント、給食の食べかけのパンなど(当時は持ち帰って良かった)が詰まっていて、ゴミ箱のようだった。自分でも驚いた。自宅の部屋は親が掃除していたが、思春期以降は片付けてもらえなくなり、ゴミ部屋だった)
片付けの仕方を勉強してルーティン化するようにしたら、できるようになった。
物忘れや無くし物も多いが、ものすごく気を張って気をつけていればそれもまぁ、大丈夫。
ずっと思ってたことなんだけど、保育園とか学校とか休園・休校になって親が休みを申請しても、企業も自治体も助けてくれないじゃない?
でもさ、人は産むじゃん?
自治体が助けてくれないのも、世間が妊婦や子育てに関して冷たいのも別に今に始まったことじゃないよね。
結構ずっとずっと子育て支援を訴えてて、少子化が問題でって言ってるけど、ちっとも良くならないよね。
多分だけど、それでも人は出産をするから国は危機感を持たないのではなかろうか。
何もしなくても産んでくれるから、ちょこっとやる気出してる体でいればいい、考えてますよー子育て支援、みたいな。
誰も出産しなくなったら(当然それはあり得ないことないんだけど)、さすがに国は危機感を持つんじゃなかろーか?
いわゆるストだ。
今産みたい人とか出産年齢考えた人とかから怒りしかでないだろうけど(そしてストとしてはまとまらない)。
長い意味での先を考えたら、それぐらいしないと明るい出産事情の未来はないような気もする。。
ま、無理です。
だって、人はそんな国の少子化のために子供産むわけじゃないから。
ただ、ずっと謎ではあったのよね。
起こった後に改悪されたら怒るのわかるけど、そもそも環境悪いのにそこに飛び込んで行く(そして今さら分かり切った不平不満をだす)のは何でなの?