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はてなキーワード: ジャスコとは

2013-06-29

また都会-地方論争だよ

今回の引き金になったのはこちら

インターネット都市部地方格差を縮めたか - グダちゃん日報

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/133844

それに反論した白熊先生のがこちら

国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ - シロクマの屑籠

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130628/p1

その再反論がこちら

地方論の反応に対する反応みたいなもの - グダちゃん日報

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/232556

この上記の論争を引き起こしid:gudachan過去にも地方に関するこのようなエントリーを書いている。

巨大ジャスコ化する地方途上国

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/03/28/160727

似て非なるアジア若者」と「地方若者

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/04/01/213654

引用はしないで置くが、この二つのエントリーから読み取れるのは、id:gudachanのある種の権力性への無自覚、そして地方民(と途上国の人々)への「疑問に似せた蔑視」(及び都会の人々の称揚)である

日本中央集権国家であり経済文化東京一極集中していることを忘れているのではないか

2013-05-01

地方の死

この連休帰省だった。同級生葬式に出た。

彼は酒と煙草パチンコセックスジャスコ家族を愛し、そのために死んだ。脳溢血だった。享年35歳。自分死ぬなのだな、と今更ながらに思い知った。

彼はスーパー鮮魚担当毎日朝3時から夕方3時まで働き、その後6時まで酒を飲む。「ただで腹いっぱいだ」とスーパーづとめを楽しんでいた。鮮魚の仕入れから店に出すまですべてをこなしていた。

体重は120キロを超えていた。「まだメタボリック診断の歳じゃない」と笑っていたのを思い出す。その歳まで生きなかったじゃんかよ……。

ひいて自分省みる大学進学と同時に上京し、院を出てSI屋に入った。救われない上司と救ってくれる同僚、どうしようもない営業と客に囲まれて、毎日毎日限界だ。今日も22時まで働いた。連休中は終電じゃないから早いと思えるくらいに毒された毎日を過ごしている。体重は平均をはるかに下回る。もう一日一食、昼だけだ。一人で昼を食べるのももう10年だ。働く前からこれは変わらないけどさ。彼とは違った病気死ぬのだろう、と今回のことでぼんやり思った。誰が僕の死体を見つけてくれるのだろう。彼は仕事中に倒れたようだ。大勢の中で死ぬのなら働いている途中に限る。不謹慎ながらそう思った。自宅で死ぬなんて、誰が見つけてくれるのだろう。

だきまくらを買う勇気はないけれど、もし、「ただいま」に反応して「おかえり」と言ってくれる人形が出たら買いそうだ。

今日も誰もいない部屋に「ただいま」。

2013-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20130414115211

自分が書いたのかと思った。ほんとに。最近そういう話を知り合いとしたばっかりだ。

生まれてこの方、服を買うのにジャスコしまむらユニクロg.u.以外の店にまともに入ったことがない。

いわゆる「服屋さん」は怖くて入れない。店員に話しかけられるのも怖いし、服を見て自分で着るところを想像すると残念な気分になる。あと、洗濯めんどくさいなあとか。

ファッション誌もこの前初めて買った。でもマジでみんなこんな服普段着で着てるの?って驚愕した。本当に女の人ってすごい。

化粧品初めて買うときドラッグストアのお姉さんに1から8くらいまで聞いて(お姉さん優しかった)、全部その通りに買った。化粧あんまりしないから未だに使い切れずにそれを使い続けてる。

持ってない化粧品を新しく買うときは(す、すいませんお化粧とかそういうのこんないい年なのに全然からないんです、すっぴんで買いに来てすみません)と心の中で言い訳しながら…。

美容室1000円カットみたいなところじゃないと、「えっ、こんなもっさいやつがこんなとこくるの?」って思われそうなのでいけない。

雑貨でもかわいいモノが売ってる店は大抵入るとどぎまぎしてお店の半径1メートルぐらいから近寄れずに遠くから眺めている。

でも、面と向かって罵られたこともないし、「もうちょっと見た目に気を遣えば良い感じなのに」と言われることすらある。

と、ここまで激似(たぶん。ここまでじゃねーよと思ったらごめんなさい。)


自分場合原因になりそうなことを考えてみたんだけど、まず親が「服屋さん」に行っているところを見たことがない。だから服屋でどう振る舞って良いかからない。ファッション誌も見たことがない。

それから趣味がおおかった。ゲームパソコン読書お絵かきあたりが趣味でおしゃれに向ける分の興味は残ってなかった。

そういう生活を続けていたら、いつの間にか女っぽいことをするのが恥ずかしいとすら思うように。自分の思い描く自分とかけ離れてしまうのが怖いんだろうね。だから恋愛とかも怖かったしそういう話をすることすら避けていた。

歳とってちょっとこだわりから吹っ切れたらおつきあいしてくれる人ができて、ようやくそういうのに目を向けるようになったけど、やっぱり抵抗がある。若いわけではないから変化が怖いのもあるかもしれない。

2013-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20130117142759

俺が昔住んでたところは、ハンバーガー屋がモスバーガーしかないド田舎だったから、ブルジョワな感じが一切しない。

価格、味など、すべてを含めてモスバーガーハンバーガー屋の絶対的基準になってた。

おかげで、ジャスコが出来て、フードコートマクドナルドが出店したときは、一瞬賑わったけど、すぐに客足が遠のいた。

2011-10-28

文章の脱臭を試みる

ウェブ上で、読んだ後非常にモヤモヤする文章を見つけることがあります。この言葉にならない感覚は一体何なのか…書くことで言葉に変換して正体を突き止めたい!

ということで以下に絶好のサンプルを引用し、モヤモヤしないと思う文に脱臭してみたいと思います

20才の頃、お金も無く、良くてユニクロ、下手するとジャスコで服を買ってた。いや、ジャスコでは正確には買っていない。帰省した時に、親が僕の服装のみすぼらしさを不憫がって、近くのジャスコに夕ご飯の買い物に行ったついでに、安売りの服を買って恵んでくれてただけだ。当時、今で言う「リア充」は、わざわざバイトして、そのお金で好きな服を丸井伊勢丹で買って、お洒落少年をやっていた。リア充爆発しろ、とはこのことだ。当時の僕は、バイトしてまで服を買う程ファッションに興味が無かったし、そんなお金が有ったら、少しでも出たてほやほやの初代Pentiumマシンメモリを増やしたかった。

脱臭後】20才の頃はお金がなかったのでユニクロで服を買っていた。親が僕の服装を見かねて夕飯の買い物ついでにジャスコで安売りの服を買ってくれることさえあった。当時のおしゃれな友達アルバイトしたお金デパートの服を買っていて、妬ましかった。一方僕はそこまでおしゃれに興味がなく、服よりもPC部品を買いたいと思っていた。

20才の頃はユニクロジャスコの服を着ていた。だけでも良いと思いますが、お金のなさの強調にジャスコは外せない一方で、親の話を入れてさすがにジャスコで買うほどはダサくなかったと言いたいのだと考え、残しました。親に対する「恵んでくれた」という表現は、卑屈なうえ親を小馬鹿にするようで、反感を覚えました。後半、あえてネットスラングを使ったり、Pentiumマシンという単語をわざわざ出すことにあざとさを感じました。できれば、PC部品の方が欲しいのにも関わらず服を買う友人を妬ましく思う心理にもう少し詳しい説明がほしいです。両方同程度に欲しいが自分アルバイトでそこまで稼ぎきれなかったというもどかしさで、苛立っていたのでしょうか。

25才の頃は社会人3年目。デパートにはバーゲンなるものが有り、その時期だと安くお洒落な服を買える事をやっと発見した僕は、なけなしのボーナスを手に、デパートで服を買う様になった。しかし、その頃同世代のリア充は更に先に行っていて、バーニーズVIA BUS STOPとかの、やや高級なセレクトショップで服を買っていた。デパートで買うDCブランドの服は、自己主張が強く、どことなくDQN感が漂う時も有ったが、リア充達がセレクトショップで買う服は、大人の余裕に溢れていて、僕はそこにファッションスキルの差を感じざるを得なかった。

脱臭後】25才、社会人3年目になる頃にはボーナスも入り、デパートバーゲンがお得なことに気づいて、デパートで服を買えるようになった。しかしその頃、おしゃれな友達はもっと先を行っており、高めのセレクトショップやで服を買っていた。デパートブランドはこれ見よがしでかっこ悪い気もして、おしゃれな友達に対し相変わらず劣等感を覚えた。

※「なるものが有り」「やっと発見」「なけなしの」等がうるさい印象を受けました。後半は単に劣情を述べていると思うのですが、固有名詞言い回しでおしゃれに精通していると強くアピールしているように感じられ、鬱陶しく思いました。

30才になると、そこそこお金も出来て、時代もバブってくる事になる。この年代になってやっと、ストラスブルゴやアリストラティコみたいな通っぽいセレクトショップで買うようになり、欧州の古いメゾンオーナーデザイナーが来日しての採寸オーダー会みたいなのをチェックして買ったり、ディオールドルチェ&ガッバーナなど、自分のスキニ―な体型でこそ生きる服を多く揃える店によく行って、しまいには自分担当が出来たり、いつしか服の買い方に関する変な劣等感は無くなった。

脱臭後】30才になると収入がずっと増え、通好みのセレクトショップの服やヨーロッパデザイナーオーダーメイドを買ったり、超高級ブランドに通い詰めてお得意様扱いしてもらえるようになり、劣等感を克服した。

※この部分は特に鼻についたため、思い切って大幅に割愛しました。特にこれ見よがしなファッション用語が嫌らしいと思いました。

その頃、手練れのプロ独身みたいな洗練された女性と知り合った。外資系企業に勤め、日本SATCみたいな感じの子だった。ある時彼女は、服を買いたいときニューオータニに行くと言っていた。余り意味が分からなかった。少なくとも、これまで僕が経験してきたプライスタグともろもろの質が正比例するマッチョ世界とは違う軸の話なのだろうとは感じた。正直、服を買いにホテルに行くのは、想像力の範囲外の事柄だったので、その言葉に対し、僕は極めて曖昧な返事をした覚えがある。

脱臭後】その頃、外資系企業に勤める独身の、非常に洗練されたおしゃれな女性と知り合った。彼女は服を買いたいときニューオータニに行くと言っていた。当時はホテルで服を買うなど考えてみたこともなく、彼女の真意もわからず、曖昧に返事をするしかなかった。きっと、高い服ほどおしゃれに違いないという僕の考え方とは次元が違う話なのだろうと思った。

※「プロ独身」とはどういう意味なのか、ぜひ説明してほしいです。「プライスタグともろもろの質が正比例するマッチョ世界」という表現も、何度も読み返さないと意味がわかりませんでした。高尚な雰囲気を醸し出そうとしすぎだと思いました。

そして、35を少し過ぎた今、やっと彼女が言っていた事が何となくは分かる。確かに、オータニやオークラは服を買いに行くには快適な場所だ。静かで、邪魔されず、店員は控え目な一方、二回目の訪問なのに僕が前に買ったものと、何とどういう軸で迷ったかを覚えてくれている。古いホテルに入っている、いつも客が入っていないアパレル系のお店は、なぜ成立しうるか長年の疑問だったが、プロ独女性みたいな「お金のある、うるさ方」が太い顧客なのだろう。こういう人は服はもう十分に持っている。だから、服そのものけが買い物の目的では無く、服を買うプロセスにもこういう人はスペシャルを求め、そのプロセスを消費している。そうすると、単に服の品揃えが良い店より、自分の好みを知っている店、静かに買える店、客筋がいい店、みたいな所の評価が上がり、結果的に高級ホテルに入るに相応しい接客レベルのお店が、その種の人々に刺さることになる。

脱臭後】そして今、35才を少し過ぎて、彼女の言った事がわかるようになった。ホテルに入っているアパレルショップは静かで、店員も控えめで、落ち着いて服を選べる。そのうえ一度の買い物でも、次に行ったとき前回どの服を迷ったかまで覚えていてくれる。なぜホテルアパレルショップはいつも空いているのに商売が成り立つのか、長年疑問に思っていたが、お金持ちで服にこだわりがある少数の独身女性が単価の高い買い物をするために赤字にならないのだろう。そのような客層は服はもう十分に持っており、服そのものよりも服を買う過程を楽しみ、消費している。このため品揃えの良さよりも、接客レベルの高さを求めて店を選ぶことになる。

※「太い顧客」という表現が一般的ではなかったため、少々無理に直してしまいました。「お店が刺さる」という言い方は、変ではないのでしょうか?

服を買うという行為目的は服だけでは無い。オフィスワーカーは弁当が好きでコンビニ弁当買っている訳じゃ無いってことと同じだ。コンビニは、「少しでも長い昼休みの自由時間」「同僚との面倒な連れランチを断る口実」を弁当という形で500円のプライスタグ付けてオフィスワーカーに売っているのだ。モノじゃなくて、イミを売る時代とは、人口に膾炙した言葉だが、きちんとその意味合いを理解すれば、正しくビジネスチャンスを捉えられる。コンビニは、より安くより美味しいお弁当を作るのではなく、より長い昼休み提供し、より判りやすいランチを断る口実を提供する為に、オフィスワーカー向けの定時デリバリーサービスでも始めた方が、ビジネスチャンスは拡がる事だろう。外食に行って戻る45分を、コンビニで買って戻る15分にしたい人は、それが気軽にデリバリーされて0分に出来るなら、もう500円余計に払ってくれるに違いない。身の回りで、愛妻弁当とか手作り弁当とか持ってきている人種は、本当に妻や料理を愛しているのだろうか、顔を思い出して考えてみよう。節約という人は居るだろう。でも、単に一人でランチを食べたいだけという人も結構居ないだろうか?そうだとしたら、そこに市場がある。

脱臭後】服を買う行為目的は服だけではない。会社員弁当が好きでコンビニ弁当を買うわけではなく、昼休みに少しでも長く自由時間を得るためや、面倒な同僚とのランチを断る口実のために、500円払って弁当を買いに行くのである。よく、物ではなく意味を売る時代と言われるが、きちんとその意味合いを理解すればビジネスチャンスにもなりうる。コンビニは、より安くより美味しい弁当を作るだけでなく、上記のような理由で弁当を買いに来る会社員のために、定時の弁当配達を始めるべきである外食に行って戻る時間コンビニ節約したい人は、配達弁当でさらに時間節約できるなら、500円の弁当でも1000円で買ってくれるに違いない。愛妻弁当手作り弁当を持ってきている人も、多くは妻や料理を愛しているのでも、ただの節約でもなく、単に一人でランチを食べたいだけなのではないだろうか。そうだとしたら、そこに市場がある。

平易な文に直してみると、「配達で500円弁当を1000円で売る」「弁当持参派の多くは一人で食事をしたいだけ」とは随分無茶な気がしてきました。また、「物ではなく意味を売る時代」という言葉と、この最後段落は、実は無関係なようにも思えます。配達弁当を買う人は、弁当と同時に時間を買っているのではないでしょうか。

誰でも自分臭いはわからないといいますニンニクも食べてしまえば臭くない。私の文章も、どなたかによって脱臭可能に違いありません。

2011-09-16

かつて商店街中の人だった立場から見た商店街

ごめんよ。偶然そこに生まれてしまったんだ。農家長男が偶然そこに生まれてしまったように。偶然に。

その事実を受け止めて商人として、生きていく道を究めることができたのであれば、商店街もそれを使う人たちもハッピーだったんだろう。

30年で街は変わってしまった。

田んぼを埋め立てて商業地が増えてしまった。

渋滞していた中心地の道路バイパスができて、渋滞は解消された。

実は渋滞は賑わいだったのだ。それがなくなったもの痛手だった。

それまでは、商店街に空き店舗ができるまでは、新たな出店ができなかった。

田んぼを埋めれば、それも容易になる。

新規参入者が恐ろしい数で増えた。

跡継ぎと呼ばれた子供たちは、街の変化をみて、どうするか身の振り方を小学生のころから考えていた。考えていなかったかもしれないけど、自然選択肢は絞られていった。金がないからだ。

商店街の中でも意識の高い人は一定はいた。

アメリカの大規模ショッピングセンター見学に行った人、勉強会を開いて、ドラッグストアコンビニという新業態を学んで、実践していった人たちだ。

この人たちは、その手の商売の研究をして、郊外に出て新しい商売を始めていった。

すでに20年前にはジャスコのような巨大新規参入者と地元資本として真っ向勝負をしていた。もしかするとすでに合従連衡の渦に巻き込まれたかもしれない。

の子供たちは、その背中を見て、それぞれ別の道を歩んでいった。

で、問題は残った人たちだ。

うまく立ち回った人たちは、商売を縮小して、土地と家を残した状態で廃業した。その子供たちは月給取りになって、街を出ていった。

何も手を打たずにうまくいかなかった人たちは、土地を家を手放すことになった。

どちらにしてもシャッターは閉まったままだし、空き地駐車場になる。

あと、商店街というか旧市街地には、戦前の大地主の生き残りの人もいる。商業地農地解放の対象とならなかったからだ。この人たちは、本業地主なので、趣味のようにコミュニケーションの手段として店をやっているかもしれない。さらに土地持ちの人の相続が紛糾した場合、所有者が増えて、再開発は困難になる。

飲食や食品加工はそれなりに残りやすかったし、ただ仕入れた商品を売るだけの業態はなくなった。多少の技術がいる電気店みたいなのは、大手家電店の作業の下請けをやっていたりする。

育っていく過程で、衰退する状況にどう対処するかを考えたら、勉強して進学することも別の業態対応できるように技術を身につけて別の職業に就くことは、順当な判断だと思う。

新しい道で生きていくよ。

2011-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20110911135918

大分県のド田舎だけど、イオンは聞かないなあ

店と言えば「マルショク」ていう西日本オンリースーパーとか、超ローカルの「スーパー青木」とか(フードストアあおきじゃないよ)、あと微妙ドラッグストアとか

でも山を降りれば・・イオン・・? あったかな・・?

追記。

俺の通常の行動範囲内では「イオン」じゃなくて「ジャスコ」という名前でやってるのか。しか大分市の駅周辺には無いのか。どうりで縁が無いと思った。結局、お世話になる予定は無いんだけどね。

2011-06-13

http://www.qetic.jp/blog/pbr/?p=3851

私は東京就職しようと思っているのですが、就職活動を通して「ああもうここは私の手のつける領域なんて、ないや」と何度も思ってしまった。高等ビジネス遊戯はもうたくさん。

だけど地元はほーんとなーんもなさすぎて、手のつけどころがありすぎる。

就職口はないけれど、仕事なんていくらでも作れそうだった。

地元のひとたちこそもっと起業すればいいのにと思った。そしてジャスコ徒歩30分最寄駅推定徒歩1時間半という環境からこそもっとネットを使った仕事をつくって、ひろく商売をすればいいのに。

東京にいると当たり前にある娯楽が地方には無いんだろうな だけど地方で成功しそうな娯楽ビジネスって思いつかないや

2011-05-06

夫がダサい・・・・・

表題の通り。

夫は、機能的で丈夫で暑くも寒くもなければそれでいいというレベルの服飾感覚

洒落でありたいという志向を全くもっていない。

在宅の仕事だし、必要な場面があってもスーツでしのいできたので、社会的私服センスをまともにする必要にかられたこともない。

着ているのはユニクロジャスコ等で買ったありあわせのアイテム必要最小限。

しかも長持ちするものは10年以上着るのでヨタヨタになってるしサイズに統一性がない。

お気に入りひとつピッチピチのYシャツがあるのだけど、いつだったか「それどこで買ったの?」と聞いたら

これ中学の時母さんが買ってきたやつだから、わからない。と返されて、驚愕したことがある。

靴はスーパーで購入の運動靴、カバンは高校の時使っていた通学カバンエナメル

ひとことで言えば、年齢不詳。更に言えば、夜歩いてたら職質されそうな感じ。

デートは正直言って辛い。小学生くらいの幼い弟と歩いているみたいな気分になるから

結婚以来ますますしなくなった。

家で部屋着でいるぶんにはダサいことは気にならないかますます好きになる。

たまデートすると以前より輪をかけてキツイ

7年前に出会って告白された当初、短所はこの服装だけだと思った。

でも服装なんてたかだか布数枚の問題だし、服装を理由に交際を見送るのは残念すぎるほど、他の面は相性がよかった。

付き合っていくうちに私がうまく褒めたり小物をプレゼントしたりして長期的に誘導していけばお洒落になれるんでは?と気楽に考えていた。

から、いい年した男性が「服は全部女房が買ってきて用意するのを適当に着てるからわかんないんだよ~」と言うのを

なんどか見てきたので、服にこだわりがない男の人ってそういうもんだという楽観があった。

積極的にファッションの話題を振ったし、彼が負担に思わない程度のプレゼントした

から思ってたけどこのパンツ似合うよね!これに合うと思ってこのシャツ買ってきたんだ、どお?

でももし要らなかったら兄にあげるから、気にしないで。とか言って。

「なんかお洒落な感じがするから気恥ずかしくて嫌だ、いらない、ごめん」と返された。

他人から、あ、コイツお洒落な服を着てお洒落しようとしているな、と思われるのが果てしなく苦痛しい

わたしの当初の目論見は甘かったと思い知った。

夫はただファッションに興味がなくてダサいわけではない。

ダサいことにポリシーがあってダサいんだ。

もしファッションになんのこだわりもない無風人間なら、妻の促すままに着せ替え人形になってくれただろうけど

夫にはお洒落でありたくないというマイナス方向の強いこだわりがある以上、彼の服装を矯正することは誰にもできない。

今はもうそういうことは全て諦めて、夫が服を買わない分、金が浮いていいやと思うことにしている。

夫自身も、俺は服にお金は使わないから、そのぶん君がおしゃれしていいよ、と言ってくれるし。

良い夫だ。

あれ、ノロケなっちゃった

2011-03-27

もう一度家族暮らしたい

地方から上京して9年になる。

大学から一人暮らしを始め、それから会社に入り、会社の借り上げアパートに住んで3年ほどたった。

一番下の妹が大学に進学するので、いろいろな準備に付き合わされた。

妹の住むところが決まらない間は、自分の1Kのアパートに泊めた。

そうしているうちに実家兄弟親がそろって暮らしていたころのことを強烈に思い出した

共働きの両親がいて、みな忙しそうに朝御飯をかきこんで

休日ジャスコに買い物に行って、

家ではNHKばかり流れていて、

コンビニで買ってきたデザートを家族みんなでお茶を飲みながら食べる。

こんなとりとめのない日常だ。

あまり懐かしすぎて妹が帰ったあとひとりで泣いてしまった。

もう一度家族暮らしたい

なんか、それ以外何もいらない。

2011-03-08

ジャスコサティといった店名もあっけなく「イオン」になったが、

簡単に名前を変えたりしてブランド価値は低下しないか

2010-10-28

静謐なロリコンの思索

最近幼女萌えることが出来ない。

かつて僕は、幼女の肢体に魂を奪い尽くされた男だった。人間が生まれた、その初期の段階にしか持てない無垢さ、そういったものが僕の頭脳に濁流となって押し寄せ、圧倒的な浄化(カタルシス)をもたらしてくれた。今の幼女にはそれがない。最初から現代のギャル文化に支配されている。分厚い化粧をしている幼女もいるとか。やめておくれよ。僕の膝元に座りなよ。泣きながら化粧をぬぐいとってあげよう。

しょうがないから『はてなランドに僕のおにんにんが~突撃~』とか下らない書き込みを2chにしていたらはてなランドが潰れてしまった。僕のせいだろうか。

こんなことしている場合じゃなかった。今日ロリ映画を紹介したいんだった。

もっとも、有名なやつだけど。『エコール』って映画

幼女のビチクが芸術という名の元に拝めます。しかしそれよりも、この映画の不気味さ、怪奇

というものは、見ていて鳥肌が立つレベルです。これぞロリ映画最高峰です。

いやーしかし、最近少女は本当にレベルが上がってるよね。僕もこの前日曜日ジャスコに行ったら

かわいい幼女がいっぱいいて、恥ずかしながら……その、勃起しちゃいましてね。

家にまで帰ってきた次第です。

さて、そろそろあの人が帰ってくるし、『ポク』なんて言葉遣いは止めよう。

ガチャ。「おーい、帰ったぞ」「おかえりなさい。あなた」(勃起しちゃいましてね がミスリード

2010-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20101024031431

南区幼稚園ヒグマが出た事例があったと記憶するので、クマに関しては間違いとはいえないかもね。

最寄のスーパーまで数十分も「ジャスコまで80キロ」なんて看板が実在する土地だから、あながち間違いとも言えない。

大きめの一軒家だとナチュラル暖炉(しかし中身は灯油ストーブ)があったり、灯油タンクが庭にあったりそれなりに個性的土地ではあるんだから。

まぁ、なんていうかさ。

幻想を持っていただくのも観光地の勤めなわけですよ。我々北海道の人はそれを食って生きてる比率もそれなりにあるわけで。

別の土地人間に「正しい理解」なんてしていただく必要なんか全然無い。

出来る限り豪快に幻想を持って、富良野喫茶店を開いた挙句に見事潰して地方お金を落としてほしいわけです。

「車の保険にちゃんと特約つけておきなよ。シカ特約入っておかないと、シカ轢いたとき保険降りないよ。あ、シカ特約って一般に言われてるけどキツネでもヒグマでも野生動物ならなんでも対応するんで、レンタカー借りたりするときは気をつけてね」

とか大嘘ぶっこいておけばいいんだよ。あとはジンギスカンキャラメルでも持たせて帰ればよし。

北海道旅行するときに知っておくべき知識なんて「ラーメン横丁はやめとけ」くらいなもの。

2010-10-03

エステが世の中の女性の中で流行っているみたいですが、

一番大事なのは、規則正しい生活をして、健康な体を作る

リンゴダイエットがいいとかいいますが、それを聞いた人は

カオスな思考だ…と思っていますよ。

マット運動、昔体育の時間でやったかと思いますが、結構いい。

ジャスコに良いマットがあるので、運動用マットくださいと言えば

天下一品なマットが手に入ります。私も使ってみましたが、

使用感は良くて、こんな値段でいいの?と思いました。

2010-09-06

トナカイクリスマス

re:anond:20100902202345

 

・・そんな過去の実話を夢と二次元と一緒にこね上げたストーリー一冊の本に仕立て上げ、

コピーして用意して発送して指示して用意して描いて書いて払い込んでアップロードしてコピーしてあかしやさんたみながら裁断して袋にいれてわくわくして

イナカで手に入る一番気のきいた菓子をひそませた荷物をかかえて夜行バスに乗って

自分たちは毎冬、年のどんづまりに、トカイの海辺の大きな平たい建物に集まるようになった。

 

真性オタクトナカイたちが愛を持ち寄る同窓会バンザイ

(もはやジャスコに何ら関係のない文章であることをお詫びします)

2010-09-02

田舎とは両親の実家の事だった

http://anond.hatelabo.jp/20100831203134

千葉の県境の手前にあって、未だによく千葉県に間違えられる23区の辺境で育ち、自転車ジャスコに通っては家電売り場の展示品のパソコンPC-6001」にべーマガや「こんちにはマイコン」のプログラムリストを打ち込んで実行して遊んでいたそんな小学生時代を過ごしていたオレは、きっと真の田舎を知らない。

あと「山の手」と聞くと、世田谷とか大田区の南か西側の方を連想してしまい、本来の「山の手」に違和感を覚える

世田谷とか大田区も“郊外”の新興住宅地だったはずなのに。

トナカイジャスコ

Re:http://anond.hatelabo.jp/20100902013402

何となくたどり着いた先はジャスコだった。クリスマスの近いジャスコ家族連れでごった返しているが、カップル比較的少ないように思う。カップルはもっと雑誌に載っているようなこぎれいな場所に出かけてしまうに違いない、と僕は思う。高校生カップルが目に余るほどいちゃいちゃして通り過ぎていくのは特に気にならない。若さは取り返せないから、あちらの世界は違う世界だと認識できるのだ。同年代のつつましいカップルが一番心をかき乱す。なぜ僕ではないんだろう。なぜ、僕にはないんだろう。そういう考えが頭に浮かぶのはあまり幸せなことではない。

ぶらぶらと歩きながら適当に服を見繕う。別にどこに行く当てもないけれど、良さそうな服があったら買っておくのだ。特に趣味のない僕にとってそれはささやかな散財だった。たまには甘いものとお酒でも買おうか、ということを僕は頭の片隅で考える。

クリスマスソングが流れる店内も、店内のきらきらとした飾り付けも、売り子が張り上げる声もすべて予定調和で心地よくすらある。エスカレーターのそばには大きなツリーが飾られていて、子供がその下を走り回っている。僕は肩からずり落ちてきたマフラーを外しながらぼんやりと巨大なツリーを見上げる。

けえきいかがですかぁという間延びした声に僕はなぜかびくりとして振り返った。売り子の女の子プラカードのようなものを持って呼び込みをしている。この時期にしかみられないサンタクロースコスプレをした、きれいな黒い髪の毛の女の子高校生大学生か、多分バイトなんだろうと僕は思いながら女の子を視線から外す。別に珍しくも何ともない光景だし、あんまりじろじろ見るのもなんだか変な気がしたのだ。

「けえき」

僕が横を通り過ぎるその瞬間に彼女はすぅ、と息をすってそういった。舌足らずな甲高い、売り子特有の耳障りな声の合間に人間らしい呼吸音が聞こえたことに僕は少し驚いた。思わず振り返ってしまって、彼女と目が合う。

言葉を言いかけたところで目が合ってしまった彼女は、その先の言葉を忘れてしまったみたいに目をしばたたかせた。そして、ちょっと照れくさそうにいかがですか、と小さな声で言う。

思わず振り返ってしまった僕も照れくさくなってちょっと笑う。

あまりの決まりが悪さに僕は、ください、と小声で言った。女の子はぱぁっと誰がどう見ても作り物ではない笑顔になってありがとうございます!と元気よくいう。僕は頭の中でちらりと一人で過ごすのにケーキを買ってるなんて寂しいやつだな、と思われたらどうしようと考える。

家族用ですか?と彼女はいった。僕は首を振ってこっちのを二つ、とショートケーキを指して嘘をつく。長年一緒に暮らしている彼女か、もしくは結婚してしばらくたってるけどまだ子供のいない夫婦のふりをして、彼女は忙しくているからささやかなお祝いでもするんだという顔をして、僕は嘘をつく。堂々としていればそういうものは相手に伝わらないんだ、と僕は思い込むことにしている。女の子は透き通った黒い目で僕を見て、にっこりと笑った。

この子は、と僕は頭の片隅で下世話なことを考える。彼氏とかいないんだろうか。カップルであるている同年代をどう思いながらケーキを売っているんだろうか。案外気にしていないのか、気にしないようにつとめているのか。それとも単にサンタコスプレがしたかっただけなんだろうか。思い出の一つとして。

女の子は何も言わずにフォークを二つつけてケーキをひどく大事そうに箱の中にいれた。少しでも雑に扱うと爆発でもしてしまうのではないかと危ぶむほど丁寧な動作だった。なんてことはない、明日になったらたたき売られるだけのケーキだというのに、その動作は不自然にすら思える。僕はもう一度彼女をみる。

ただ僕が消費するだけのケーキをなんでこの子はこんなに丁寧に、大事そうに扱うんだろう。テレビを見ながら感慨もなく食べるだけなのに。

お持ち帰り時間はどれくらいですかぁと相変わらずの舌足らずな口調で彼女マニュアル通り言った。僕は何となく30分くらいです、と答えた。30分もかからずに家には着くけれど、これだけごった返していると駐車場から出るので一苦労だろう。子供たちに配るためのプレゼントをたくさん載せた車が、さながらどこかの国から出発するサンタ便のように、たくさんたくさん行列をなして出口へと向かう。その中で、僕は待つ人のいない家へ食べる人のいないケーキを運搬する一人のトナカイなのだ。プレゼントを贈る相手がいないから、サンタクロースもいらない。トナカイのえさがありさえすればいい。でもたまにはトナカイだってケーキが食べたくなったり、その贈り物を自分のものにしたくなることだってある。僕はそういう不届きなトナカイでかまわない。そんなことを考えて僕は誰にもわからないように唇を緩める。

女の子ケーキと同じように釣り銭を丁寧に数えて、その硬貨が実は純金やダイヤなのではないかと錯覚するほどそうっと僕の掌の上にお釣りをのせた。そしてぴょこりと頭を下げてありがとうございましたぁ!とやたら元気のいい声で言う。その動きがあまりにも厳かだったものだから、僕は神聖な儀式に立ち会ってしまったようなある種の居心地の悪さを感じてもぞもぞとする。腕の中のケーキも何かとても特別なもののように思えてくる。僕は何事も起きないように大事に腕の中に抱えこんで、どうもと口の中で言った。箱はたった二つの小さなケーキしか入っていないはずなのにいやに重く感じられた。役目のないトナカイになぜかとても重大なミッションが課せられたような、そんな気がしたのだ。

ひっきりなしに開閉する自動扉のむこうにはちらちらと白い雪が降り始めていた。ぼんやりと口をあけて僕は空を仰いでいたけれど、忍び込んできた冷気に思わず身を縮める。白い息が鼻からゆらゆらと立ち昇っていく。ジャスコの中のざわめきは自動扉がしまると遠くなり、再びあくとまた耳に飛び込んできて、なぜかひどくさびしい気持ちになるから僕は片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手で大事にケーキを抱えて、歩き出そうとした。また自動扉が開いて、そしてあの女の子の声が聞こえる。振り返った僕の目に、あの女の子は映らなかった。かわりにたくさんのトナカイ子供を追いかけたり、疲れた顔をしてベンチに座り込んでいたり、なぜかピリピリとした顔をして怒っているのが見えた。僕は少し笑った。クリスマスジャスコにはトナカイがたくさんいる。そして、贈り物を待つ子供のために疲れたり悩んだり怒ったりしている。時間も体力もないトナカイのためにジャスコ今日も開いている。

雪はもう静かに積もり始めている。

※この話はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは一切関係ありません。

くそあついのに冬の話かよという苦情は受け付けておりません。

http://anond.hatelabo.jp/20100831203134

anond:20100831203134

全くどうでもいいのだが「トナカイジャスコ」に見るたびに空目しちゃってしょうがない。

あと、自分は真性オタクなのでアニメイトらしんばんメロンかKかとらかだらけかそのあたりの店がかたまってる地域に1時間以内で行けるかどうかが都会基準。今ギリギリ都会だけどもうメール便宅配がとどけばどこでもいいや。あとイベント的には東京大阪以外全部田舎

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20100825115455

いやいや、帰りもなんとかしろよwww

まあ、インテリジェンスとか言い出すくらいだから年寄り相手じゃないのは分かった。

年寄りには無理って説明要らないよな…?)

分かったが、無理だ。

増田の考える運用ができるのは、「町内に一台」レベルだ。

いや、一台でも足りない。

その町内でも同時刻に

ジャスコピンポイントだな!)に行きたい人も毎日何人も居て

病院にいきたい人も何人もいるんだ。

だが、ジャスコ病院がその町内からは反対方向で何キロもあるんだぜ?

田舎であればあるほど、効率よく目的地がまとまってなんていない。

特に大きい病院なんて、病人がたどり着けないような所にあるのが田舎だぜ?

元増田は、そんな学生の団体一斉行動みたいな生活を自分自身してるのか?

(もしかしたら、地方工場勤務とか?

それなら、感覚的にピッタリだが…)

しかも病院には予約時間が合って、

ジャスコにはタイムサービス時間もあるんだぜ?

それに、個人宅に来て欲しいって要望の理由は、自分の生活時間に合わせて欲しい、って事なんだ。

そうした利用目的が足を引っ張るような運用じゃ本末転倒だろ?

2010-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20100817230944

東京生まれ東京育ちとはくっつかなくても、千葉とか埼玉とかに住む女性結婚するんじゃないかなぁ。

実家に近からず遠からずの所に住んで、遠距離通勤ってとこじゃないかな。

朝は少し早いし、あんまり遅くまで夜の街を楽しんだり出来ないけど、ほどよく喧騒から離れたベッドタウンに安いマンションを買って慎ましやかながら平穏な日々。

当初は共働きの予定が、やっぱり専業主婦となり、小学校入学した頃に派遣パートとして社会人復帰。

田舎だから車は一家に1台必須。

安いファミリーカーを普段は主に嫁が買い物なんかに使って、休日増田の運転でジャスコに行ったり。

年に一回は海まで車で連れて行ってあげたり。

子供が1人なら大学まで出せるんじゃないかな。

どう?気分は楽になったかい?

2010-08-12

http://d.hatena.ne.jp/inuimon/20100809

どうでもいいが

ジャスコがどの程度の規模でどの程度の頻度で設置されるものなのか知らないが

イオングループは、最近まで鹿児島に店がなかった

2000年代になってイオングループ壽屋やらサティを買って、2007年に初めて鹿児島ジャスコが出来た

50km圏内にジャスコがないのは当然である

ほんとどうでもいいが

2010-07-11

ジャスコが儲けることをやめると、どうなるのか?

ジャスコみたいに、全国に大規模店舗を抱えた、巨大組織が、利潤を追求しない方針に転換したらどうなるのかなー。

既に成熟した組織じゃあ、経営陣も株主投資家もいなくても、今やうまく回るようになっている気がするんだけど。

利潤を追求しないっていうのは、決して店員タダ働きって意味じゃなくて、投資家に儲けさせない。利益は全て給与、商品価格に反映する形で労働者と客に還元される、という意味

今の会社の仕組みっていうのは、店員と客だけじゃなくて、何故か投資家も儲けさせないといけないから、結果的に店員と客が投資家お布施を払ってる状態にあるわけよ。

もちろん投資家がいないと会社はなかったし、店員も客もいなかったのだから、そういう仕組みが完全な悪だ、不当な搾取だ、というつもりはないのだけれども、いなくなっても回るようになってからも、いつまでも「あの頃のお礼」を払いつづける必要ってあるのかなぁ。既に当初とは関係ない人も多いでしょう、どうせ。それだったら、そういうのを断ち切った方が幸せになれる人は多いんじゃないかなぁ、と思うわけよ。

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