ごめんよ。偶然そこに生まれてしまったんだ。農家の長男が偶然そこに生まれてしまったように。偶然に。
その事実を受け止めて商人として、生きていく道を究めることができたのであれば、商店街もそれを使う人たちもハッピーだったんだろう。
30年で街は変わってしまった。
渋滞していた中心地の道路はバイパスができて、渋滞は解消された。
実は渋滞は賑わいだったのだ。それがなくなったもの痛手だった。
それまでは、商店街に空き店舗ができるまでは、新たな出店ができなかった。
田んぼを埋めれば、それも容易になる。
新規参入者が恐ろしい数で増えた。
跡継ぎと呼ばれた子供たちは、街の変化をみて、どうするか身の振り方を小学生のころから考えていた。考えていなかったかもしれないけど、自然と選択肢は絞られていった。金がないからだ。
アメリカの大規模ショッピングセンターを見学に行った人、勉強会を開いて、ドラッグストア、コンビニという新業態を学んで、実践していった人たちだ。
この人たちは、その手の商売の研究をして、郊外に出て新しい商売を始めていった。
すでに20年前にはジャスコのような巨大新規参入者と地元資本として真っ向勝負をしていた。もしかするとすでに合従連衡の渦に巻き込まれたかもしれない。
その子供たちは、その背中を見て、それぞれ別の道を歩んでいった。
で、問題は残った人たちだ。
うまく立ち回った人たちは、商売を縮小して、土地と家を残した状態で廃業した。その子供たちは月給取りになって、街を出ていった。
何も手を打たずにうまくいかなかった人たちは、土地を家を手放すことになった。
どちらにしてもシャッターは閉まったままだし、空き地が駐車場になる。
あと、商店街というか旧市街地には、戦前の大地主の生き残りの人もいる。商業地は農地解放の対象とならなかったからだ。この人たちは、本業が地主なので、趣味のようにコミュニケーションの手段として店をやっているかもしれない。さらに土地持ちの人の相続が紛糾した場合、所有者が増えて、再開発は困難になる。
飲食や食品加工はそれなりに残りやすかったし、ただ仕入れた商品を売るだけの業態はなくなった。多少の技術がいる電気店みたいなのは、大手家電店の作業の下請けをやっていたりする。
育っていく過程で、衰退する状況にどう対処するかを考えたら、勉強して進学することも別の業態に対応できるように技術を身につけて別の職業に就くことは、順当な判断だと思う。
新しい道で生きていくよ。