はてなキーワード: ガールズラブとは
R18。
ガールズラブって要は百合・レズものエロ小説なんだけど、これがほんっとーーーーーに人気ない。特に、男が出てこない、純粋に女の子だけの作品はもう本当に人気出ない。
女の子同士の性描写がある作品には「ガールズラブ」のタグをつけないといけないんだけど、女の子同士の絡みを期待してこのタグで検索すると、
なんと上位は「男が主人公で、百合の間に割り込んで女の子とエロいことをする」作品か、「男主人公ハーレムもので、ハーレム構成員の女の子同士での絡みもある」作品、あとは「触手プレイなどで複数の女の子がエロいことをされる描写がある作品」で上位が埋めつくされる。本当にひどいものだから参考までに見てみて欲しい。メインキャラに男も触手も出てこない、かつ女の子同士の恋愛を描いていると言ってよさそうな作品は、なんと4~5ページ目まで出てこない。
純粋百合・レズエロが読みたい勢としては本当に困るので、「女の子同士の性行為がある作品」には何か別タグを用意して、「ガールズラブ」は純粋な百合レズ作品にのみつける方向にして欲しい、と強く主張したい。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
GL:これ
ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念(もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分のステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。
BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画や少女小説を摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別な名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。
その後、オタクとして成長すると共に、だんだんと百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。
覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネの女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。
自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家の小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係。女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛、嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち。
そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。
そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係は友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸の小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。
タイトル | 蛇行する川のほとり |
作者 | 恩田陸 |
本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天で彼女が主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女の過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女は大人になる。
本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人と子供の奇跡の狭間をうつろう毬子、過去を持たない完成された香澄、彼女の相棒で天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさない香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件がきっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。
本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄と芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手が香澄で良かったと思っている。
門外漢の自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄の肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。
ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。
同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生の恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄と芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。
物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあんな事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去の事件に因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。
この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしかし自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友の彼女だからこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。
香澄と芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生の親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。
付け加えて言えば、ボーイズラブもガールズラブも、ますそれらを描くという前提から始まって、その読者が好きそうな容姿なり物語の筋なりに作品の各要素を最適化していると思う。
パンセクシャルが、というより性愛対象が同性か異性かで差別する感覚自体がない世界観を描いた結果論としてこの世界でいう同性愛が描かれる場合とはだいぶ作品のあり方が違ってくると思う。
なんといえばいいか。たとえば現実の恋愛でも背が高い人が好きな人もいれば少数派だが小さい人が好きな人もいる。ほっそりなよい人が好きな人もいればがっちりマッチョが好きな人もいる。
私の想定する世界観で男を愛したいか女を愛したいかというのがもしあるとするなら、つまりその程度のこだわりとしてあると考えている。
背が小さいのが好きというのと同じ次元で男が好きというだけ。
でも何にこだわりをもってるか人それぞれかつ、同性愛異性愛の概念がないから、基本的には男か女かにこだわりを持たない人が多いために、この世界で言う同性愛も異性愛もランダムに発生してるって感じかな。
ただ唯一同性か異性かで考える場合も作品に込めとかないとやはり作品として不自然にはなると思う。やはりそれは生殖問題になってくる。
これはちょっとどうししてもsfかファンタジー的な要素を世界観に持ち込まないと物語を動かせないところで、たとえば人間には二種類の繁殖過程があって、一つは各地に偏在する木からなる実から生まれるとして、もう一つの方法としていわゆる異性間のセックスがあるとする。
人々は木からの繁殖で十分労働力等確保しておて人口的には満足しており、社会的に子作りせよとかプレッシャーをかけられることがないとする。
それでも自分が誰かを愛するならその人の血のつながった子が欲しいというこだわりがある人ぐらいが、直接的に異性かどうかにこだわりを持って恋愛対象をあらかじめ絞るという感じ。
別に木じゃなくても、たとえば人類が文明を持つはるか以前に宇宙人が地球を支配して後の人類に無胎盤繁殖の技術を授けたとかなんでもいいんだけど、別にsfを見たいわけじゃなくあくまで物語を円滑に進めるための最序盤の舞台装置に過ぎないので極力主張が激しすぎない設定がよい。現実の恋愛の延長というかちょっと文化が違うだけのもう一つの地球として描きたいぐらいなのでsf要素不要に描ける方法あるなら即そっちが選ばれるべきだし
保健の教科書でも男と女がばらばらに描かれてて、それらの間で性交関係にあった人の矢印が男同士でも女同士でも普通に結ばれてる箇所があるみたいなページがあったと思うけど、ああいう感覚を漫画に落とし込めたらいいじゃないかって思う。
売れる見込みないならそれはそれでそもそも啓蒙要素が強いからnpoでも作ってそこで出版するのがいいかもしれない。
漫画はあくまで表現手法でしかなくて、娯楽目的以上の漫画を描いてはいけない理由も、娯楽以外の目的を漫画に持たせてはいけない理由もない。
Q.創刊前に思い描いていたビジョンと、実際に創刊してからのきららの姿を比較して感じたことはありますか?
これは2010年ごろ特に感じていたことなのですが、「女子高生」があそこまできららの代名詞になるとは想定していませんでした。創刊前の企画書にはむしろ「SF」や「ファンタジー」という言葉を使っていて、今までのファミリー4コマが描いてこなかった題材を積極的に取り入れていこうという趣旨の雑誌だったんです。
ただ、最初に『ひだまりスケッチ』がアニメ化し、『けいおん!』、『GA 芸術科アートデザインクラス』と続いていって、きららといえば女子高生4・5人の学園ものという印象が我々の想像以上に強くなってしまった。もっと4コマに多様性を見出そうと思って企画したきららが、いつの間にか多様性のなさの象徴みたいになってしまっていたんですね。どこかで一度その固定観念を壊して、新しいきららの形を作らなければいけないと思い、2011年に「まんがタイムきららミラク」を創刊しました。
ミラクのキャッチコピーは「もっと自由に、4コマを。」というものでしたが、きららの原点に立ち返る意味も込められていたんですね。
初期のきららって、いい意味でおかしな作品がたくさんありましたからね。ミラクの場合も、4コマや、そもそもマンガを描いた経験がないイラストレーターさんを中心に声をかけ、従来の枠組みにとらわれない4コマを描いてもらいました。日常の中にSF要素が入り込んだ『月曜日の空飛ぶオレンジ。』、女子高生ものだけどアクション要素もある『Good night! Angel』、目覚めない人たちが訪れるファンタジー世界が舞台の『夜森の国のソラニ』。あるいは『桜Trick』のように、ガールズラブの方向に振り切ってみたり。片方の足は「笑い」と「魅力的なキャラクター」というきららのコンセプトを踏襲しつつ、もう片方の足をどこまで遠くまで広げて踏ん張れるかに挑戦してみたかったんです。
長々としたお気持ちは三行まとめのあとにあるので結論だけ見たい人は三行まとめだけ見てくれ。
三行まとめ
腐(マイナスなイメージの一文字)=BL=マイナスなイメージになってしまう。
BL以外の二次創作にはマイナスなイメージ一文字で表すものはない。
自称も他称も含めひとつの嗜好カテゴリをマイナスで呼称はよくない。
下記はSNS上で見かけたものや一次二次含めて長く活動してきた中での所感を含め短くまとめていない方。というかなにもかもまとまっていない方。
(※あくまで二次創作の嗜好というカテゴリの話であり現実の同性愛者やLGTBやジェンダー論とは一切無関係として読んでほしい)
今回の発端は例の漫画(作品自体を貶す意図はないので出典の明記は避けますが)。
まず最初に感じたのはこれがこの出版社から発表されていいのか・という点。
幾人かがSNSで言及していたように同出版社はBL嗜好の女性に対して辛辣なコメントを出した過去がある。また女性は読者ではない・本誌の対象者は少年であると明言した過去もある。
増田がまだ物心つく前には本誌アンケートの意見は性別欄で女性を選択すると反映されないとの噂もあった。これは噂の域をでないが記憶にある限りで公式から真向な否定等はない。どの年代でもそういった操作がなかったかしっかりと調べて声明を出してくれなければ当時男性と偽ってアンケートを出した必死な応援は成仏できないとの発言も見かけた。(これは噂のでどころや真偽のほどは本当にいつか確認されたらと願う)
つまり同出版社には女性読者(とくにBLを嗜好とする)に対する姿勢へ信頼がない。
にもかかわらずBLを嗜好とする女性をネタにする漫画を是とした。話題になるようにCPのアンケをとるなどもしていた。
バズらせ・面白がっている部分が作品ではなく完全に『二次BLを嗜好し争う女子』だった。
こうなってくると作品の出来がいい悪い・面白いかそうでないは問題でなくなってしまう。
(作品自体が面白かった・上手いという意見もかなり多くみられたがそれでもその部分単体でべたぼめしている人はほとんど存在していない。)
二次創作BLをしている女性の多くはプロフィールに「腐」というマイナスなイメージの言葉を明記しており・自己紹介の意味で使っている。本人たちが自称しているのだから腐女子と呼んでバカにしていいのだという土壌を作ってしまったのは責任の一端がある。
かつて腐女子という単語が出始めた頃・自虐の意味が込められているとされていた。確かに原作にない関係や性的嗜好を捏造し形にする行動は正しくはない。しかしそこにBL・GL・HL・の差をつける意味はあるのか?と増田はここ数年で疑問が大きくなっている。
エロ妄想をするので・・と卑下になる方もいるかもしれない。しかしその卑下はエロのみのHL・GLがマイナスな単語で表現されない理由にはならない。
二次創作内で登場人物を傷つけたり辱め・節度をもたずに垂れ流し見たくない層まで届く形で発表しているならばそれはある意味腐っていると称して間違っていないがそこにBL・HL・GLの区別すべきではない。
上記注釈の昨今風潮の波に乗るのは格好悪いと思いマイナス呼称を名乗り続ける人も存在しているがこれは本件に限らず意識高い系wwと笑う層なので別問題とする。
二次創作は確かに原作をねじまげていて人の威を借りて作品を作っているからどんなに時間をかけて作品を作っても堂々とすべきではないとの意見も勿論間違っていない。(二次創作を悪用したりさも自身の実力であると勘違いするのは別問題)
腐とつけている一定数の方の多くは原作への敬意をはらうべきとして自省・自虐を込めている。
原作への敬意をはらう・同性愛及び登場人物の性的嗜好を変えた創作物を見たくない層への配慮と・二次創作を楽しみ同士の創作物を尊ぶ行為は両立できる。
問題は自虐や軽蔑が二次創作によりつくられた他者の世界へも向いていて・尊いとほめているうらで所詮二次創作だと嘲笑っているのと同じではないかとも感じる。
自虐・自省の言葉を入れずとも原作を尊重し配慮を忘れない創作は可能だし・逆に尊重も配慮もしない人間が堂々としている場合もある。
自虐的な単語を自称する事で先に版権もとに悪い事をしていますが勘弁してください・と謝っているのだろうかと疑問を持った折・過去に二次創作BLを嗜好する女性がそれ以外の二次創作者からひどく迫害された記憶が蘇った。当時増田はまだ叩かれるほど自分で創作を行ってはいなかったが二次創作BL創作者が匿名掲示板に晒された事実は見ていて・自分もBLを創作するのであれば隠れなければいけないと強く刻まれた。(これはBL好きだけではなく夢等も悲しい歴史があり今なお根深い問題があるけれどそれはまた別なので割愛)
自虐を名乗り先んじて謝っている対象は原作だけではなく大きくカテゴライズすれば同じ『オタク』である人種でもあった。彼ら彼女らがBL以外の二次創作で活動していても・だ。気持ち悪くてごめんなさい。と。
気持ちの悪さでいえばオタクそのものが気持ち悪いでしょう。と言ったら怒られるかもしれないがこれは何かに夢中になっていると気持ち悪さは生まれるので仕方ない。TPOをわきまえずに騒ぐのがよくないとの意見もあったがどんなジャンルや嗜好であってもマナー違反なので二次創作BL者に限った話ではない。TPOはわきまえようね。18歳以下が見れてしまう状態でR作品を掲示するのはやめようね。
話が逸れた。
同類の中で嗜好のカテゴリが違うだけで謝らなければいけない・マイナス呼称を使うべきなのはおかしいというだけの話だ。
二次創作BLが原作をねじまげているという理由でマイナス的な単語を自称する弊害として大きく同人女子やオタク女子・ひいてはアイドル好きの女子まで何故か『腐』と呼ばれている問題がある。詳しくない人間からすれば同じなのも想像に難くない。好きなものを好きなだけで蔑まれる・しかも他人が勝手に自虐でつけている呼称を利用してというのは理不尽ではないか。
そもそも二次創作BLを好きだとしてもマイナス的な単語を名乗らなければいけない謂れはないのはつらつらと書いた文で理解してほしいが。
『オタク』がマイナス呼称とされる時代もあった。今もマイナスとする場面はあるが『オタク』という文字列自体にはマイナスはない。隠れるべき特殊性癖とされるグロ・リョナ・NTR・ロリショタ等もその作風を指す単語であり厳密にマイナスな言葉を使ってはない。オタクが最も嫌う転売ヤーですら転売という行為を表す言葉であって単語自体のマイナスではない。
特定の何かを好きというだけでマイナスな呼称を名乗る・名乗らせる風潮・そろそろやめませんか。
ついでに
話が戻り例の漫画への疑問なのだが掲載媒体を長く愛読しているオタクであれば絵を見ればすぐわかるのにナゼ作家の名前を過去作と変えたのか。二次創作BLを扱うデリケートさを危惧してならばそもそもなぜ今変えていこうとしている層が存在する『腐』を使ったのか。起こるかもしれない炎上から作家さんを守りたかったのか・『腐』を扱う上で名前を変えなければ恥ずかしいと感じたのか。どちらにせよやはり『腐女子』という単語は新たに広めてしまう可能性があるって意味でも大手出版社が今使うべきではなかったよね。
おわり
ツイッターに疎いこのあたりの皆さんに愚痴るのも恐縮ですが、note開設めんどかったのでこっちで。
BLは腐ってないとか、NLはおかしいとか、一部の腐女子とツイフェミとセクマイに理解ありますよが合体した人達が今ツイッターで声をあげている。
それは別に構わないと思う。彼女らが否定的な意見を検索して噛みつこうがブロックすりゃいいわけだしね。とりあえず私は腐女子と自称するのをやめません。
そちらが腐女子というワード自体が地雷と化しているならミュートにしたらどうですかね、あと「BL好き」は長いから百合豚→姫男子くらい印象良くなりそうで呼びやすい名前そちらで名乗ったらどうでしょうか。そしたらそれを私はミュートにするので。
話がそれたが言うのは勝手だしやるのも勝手だし名乗るのも勝手だから好きにしたらいいよ。
NL(ノーマルラブ)はセクマイに失礼だからHL(ヘテロラブ)にしろ!って言われても、嫌どすとしか言わないよ。NL(ノンケラブ)もダメらしいし話通じなそうだからね。
あとヘテロって使うならBL(ボーイズラブ)GL(ガールズラブ)じゃなくてGL(ゲイラブ)LL(レズビアンラブ)とか揃えた方がいいんでないかな。自分がなんでヘテロラブって言い方が嫌なのかは全部フィクションのジャンルで、フィクションのBLが不快な人がいるとわかってるからだ。そういう人達を言い訳に名称変えようとしてる人達が嫌いだからだ。絶対呼び方変えません。
あとAセク?の人がたまに「結局セ〇クスか!」と発狂しているのを見るのでついでにラブがない何かのジャンルでも作ってあげてください。
オタク的な文化に触れていると、時折聞こえてくる「男女の恋愛のことを"NL"と呼ぶのはやめろ」という主義主張。言っていることは分かる。
男性同士の恋愛「BL(ボーイズラブ)」、女性同士の恋愛「GL(ガールズラブ)」に対して、男女間の恋愛が「NL」と呼ばれること。
その「N」に「ノーマル」という由来があるであろうということに疑問を覚えるのは理解ができる。(近年では、その主義主張を受けて他の意味を込めて使われていることも多いが割愛する)
しかし、その言葉狩りに何の意味があるのだろうと思ってしまう。
そもそも私は「障害者」ではなく「障がい者」を使おうという主義主張に対しても不思議に思っていた。
近年、スマホの変換にも「障害者」とならんで「障がい者」が出てくる世の中になった。
それは主張をしている人たちが多くの人に広め、共感をよんだ結果なのだろうと思う。
でも、その「害」に良くない意味を込めて人は使っていたのだろうか。
大半の人は差別的な意味も悪意もその「害」に込めてはいなかっただろうし、それを漢字にするか平仮名にするかで言葉の持つ意味も意図も変わらない。悪意を込める人は、それが平仮名であっても悪意を込めるのだ。
その上で人は「障害者」という言葉を用いていたはずが、主張が広まるにつれ「障がい者」と表記をしないと配慮の欠けた人間かのように思われる世になった。全くその「害」に対して意図は込められていないのに。
そこに差別も悪意もなく、語源や文字に対して込められた意味がそのまま残っているわけでは無い。そもそもその言葉自体も、差別的な意味合いを込められ生み出されたものでもない。記号として残っているだけに過ぎないのだ。
言葉に差別の意味を持たせるのはいったい誰なのだろうと時々思う。
次々と言葉に差別の要素を持たせて、果たしてその先に何があるのだろう。
いつか、「"嫁"という漢字は"女は家にいるべき"という考えが込められているようで多様性に欠けるし、女性は働くべきでないという差別的な考えが込められているのだから使うべきでない」などと言う人も現れるのかなと思ったりした。
単語はともかく、漢字の成り立ちや組み合わせまで辿ると結構ショッキングな成り立ちや、現代の考え方にはそぐわないものも多いと思うが、その辺りはどうなのだろう……。
私は言葉狩りをすることで、その言葉に大半の人が意図しない意味合いを持たせるべきでは無いと考えるし、言い換えられる言葉は何でも言い換えるべきだとは思わない。
その言葉を使わないようにしている人の配慮もご立派だし、考えも勿論理解はできるが、やっぱり納得はできない。
何も考えていない配慮の欠けた人間だと思われるのは心外だが、それでも私は何も無いところに悪意を作って演出するようなことはしたくないなと思ってしまう。
電子書籍は女性が買ってる。ボーイズラブとガールズラブ合わせて市場全体の5割~6割くらいだと思うよ。
男性だとエロ本を本屋で買うのは抵抗感ないけど、女性は抵抗感がある人が多い、
あと自分の部屋にエロ本があるのが嫌って女性は多い(not 腐女子)
まぁ、そういう女性が自分の性欲を満たすために電子書籍を買うわけです。
実際にアクセスのピークは24時から25時。寝る前に読んでスッキリ。この辺は男女おなじって事。
電子書店側も苦慮していて、キャリアのコンテンツパトロールあるし、あからさまな出し方はできないけど、
ギリギリのラインでコンテンツを出してくる書店はランキングを上げてる。
もちろん本当に漫画好きが欲しがるようなコンテンツが提供されなかった訳じゃない、
まぁ書店側の品揃えが少なかった、という批判は正しいとも思うが。
あと
電子書籍推進派からも「○○がウン十万ダウンロード突破!」みたいなニュースも聞かないし。
ケータイコミック配信サイト「コミックシーモア」累計10億ダウンロード突破! NTTソルマーレ
http://www.nttsolmare.com/press/2011/0805.html
↓この辺りを読むと答えが出るかも。
「なんでGL(ガールズラブ=レズ)は女性向けジャンルなの?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1142124856
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1439658554