はてなキーワード: ウェブとは
一時期YouTubeでよく見かけた、微妙な絵に微妙な声が乗ったFlashアニメみたいないわゆるマンガ動画。(マンガといってもマンガのコマが順番に出てくる程度のものから、吹き出しもなく立ち絵がピョコピョコ動くほとんどエロゲのオートモードみたいなものまで幅広いが、とりあえずここでは「漫画っぽいイラストを多用した動画」ということで漫画動画と呼ぶことにする)
フェルミ研究所なんかが大手だったよね。広告として流れる場合もある。
5ch読み上げスクロール動画に毛が生えたような感じで、ネットの体験談やバズったトリビアをサクッと動画にしたようなものも多かったが、オリジナルストーリーを連載するものも結構あって、一部にはコアなファンもついているようだ。ちょっとVTuber文化に近いような感じもある。源流はやる夫スレなんだろうけど。
で、今それがバンバン打ち切りになってるっぽい。やっぱり儲からないのだろうか?今思えばフェルミ研究所は損切りが早かったのか。
「円満解決!閻魔ちゃん」なんか、最終回のサムネがトレス疑惑で謝罪してて、有終の美とは言えなかった。このままグダグダで消えるんだろうなぁ。
https://yutura.net/news/archives/81747
で、連中が次に目をつけたのが韓国風縦スクロールマンガのウェブトゥーンてやつ。マンガ動画には見切りをつけ、これに参入を表明する企業が出始めた。次の狩場はここか。
元々漫画動画はフルカラーで何カットも描かせてたったの数千円など低賃金で問題になってた業界のようだが、そんな体質で参入してやっていけるもんなんだろうか?
しかもだ。YouTube動画には動画マンも声優もいたはず。静止画の縦スクロールコミックにはそれらは必要ないよね。彼らはどこへ行くのだろう。やっぱゲーム?こういうのって時代の徒花だよなぁ。大多数は夢から覚めて日常に戻って行くんだろうか。
ただFlashが死んでも、今アニメや動画業界で活躍してるクリエイターの中には実は元Flash職人なんて人も結構いるから、身体だけは壊さないように気をつけて頑張ってほしい。面白い人ってのは媒体が変わっても生き残るもんだ。面白ければね…。
ここ数日、韓国で炎上しまくってる件だが、普段「韓国の縦スクロール漫画はスゴイスゴイ!もう日本の見開き漫画はオワコン!時代はWebtoonですわ!!」って煽ってる層が完全にガン無視決め込んでてヤバい。ロクサナっていったらピッコマではエース級の作品なのに。
韓国語がわかってて無視してるとしたらクズだし、韓国語がわからなくて気づいてすらいないとしたらそれもおかしい。お前ら韓国の最新事情をお届けするんじゃなかったの?「流産」や「鬱病」みたいな簡単な韓国語すら読めないの?韓国語やってる人ならわかると思うけど「流産」なんか漢字語だから日本語話者ならほぼ初見で読めるんだよね。
っていうか韓流界隈で「鬱病」が頻出単語な時点で終わってるけどな…。芸能界だとこの間も女優さんが「極端的選択」で亡くなったし。あ、これも頻出単語ね。
韓国語わかんな〜い!って言い訳するんだろうけど、若手漫画家はお前らの情報に振り回されて人生を左右されるんだからな。BBCの動画でも「もうこの歳になって、これ以外の仕事を知らない」って言われてるわけでね…おっと、この程度の韓国語もわからないんでしたなw失敬失敬wwwブフフォ
LINE漫画の案件で配信したVTuberが「もうちょっと来てくれると思ってた…」ってぼやくレベルで同接ヤバかった件も、「重版出来!」の韓国版リメイクドラマ「今日のウェブトゥーン」の視聴率がヤバい件も、きちんと伝えないと誠実とはいえないのでは?この間のダイヤモンドのこの記事(https://diamond.jp/articles/-/308193)なんか、指摘(https://hon.jp/news/1.0/0/36817)を受けてこっっっっそり訂正してるし…。誰が気づくんだこれ…。っていうか日経の記事が完全にブーメランになってるのもウケるな。編集者中心主義なのはどっちだよw
https://twitter.com/yoton_kuu/status/1564183736731979777?s=21&t=UMFr2EtQ81ep1fGVwpIhHQ
https://piccoma.com/web/product/60171
ずっとこんな絵描かされてたらそりゃ体壊すよ…。お大事に。
ご存知とは思うのですが、Google Chromeの既存の拡張機能は本年の12月末日をもって利用できなくなります。
それまでに、あたらしい記述方法(MV3)で書き直してウェブストアに提出しなくてはなりません。
MV3のルールとして、サービスワーカーを実行主体として機能を実現させる必要があるのですが、現状ではそのサービスワーカーがまともに動作しません。
とりわけ致命的なバグが、2019年に報告された「サービスワーカーが停止すると(一部のケースを除いて)もう二度と起動しない」というものです。
このバグは非常に有名なのに3年近く放置されており、このためにMV3への移行に二の足を踏んでいる開発者も多いのではないかと推察していました。
FYI: We are targeting fixing this bug this quarter.
一行だけ。
そしてこんな状況で12月までにMV2を切ろうっていうGoogleの姿勢が恐ろしい。
絶対に間に合わないでしょ、これ。
私はスマホゲーの「ウマ娘プリティーダービー」を遊んではいない。
漫画をざっと見たりウェブ上のまとめ記事などを見た程度だということを先に断っておく。
私が思った作品の世界観について考えたことをだらだらと述べてみる。
ウマ娘世界の我々の知る現実とウマ娘世界は差異が小さすぎる。
ウマ娘用の受話器の描写などを「芸が細かい」として評価する人もいるようだが、私はむしろ雑だと思った。
ウマ娘が人間の社会に混ざって生活しているのが当たり前であるなら受話器はそもそもあんな形でデザインされないはずだからだ。
ヒトミミ用の受話器を後付けでウマ娘用に対応したように見える。
衣服もそうだ。
我々の知るようなごく普通の服にシッポ用の穴が明いているだけの差しかない。
ウマ娘が普通の世界であるならウマ娘が着るための様式の服は発生するだろうし、トレセン学園の生徒はウマ娘しかいないのだから制服にはその様式が採用されるのが自然な流れだろう。
まあこれについては日本からキモノが (ほとんど) 消えてしまったように廃れたという解釈でもよいかもしれない。
作品としてわかりやすく成立させるためではあるだろうが、あえてこの受話器の描写が世界観の一部であると捉えるなら、ウマ娘に対する対応は後回しにされやすい世界なのだろうと想像する。
ウマ娘の地位が低いか、数が少ないか、あるいはその両方か。
現代になってようやく人権概念が定着したといったところだろう。
逆に有益に働いてもらうための機嫌取りの意味で好待遇になるといったこともあったかもしれない。
ウマ娘が圧倒的に強力なフィジカルを持っている。
これが古代であればヒトミミとウマ娘の対立は確実に起きる。
しかし一方がもう一方を駆逐しなかった (できなかった) のはウマ娘はヒトであるからだと思う。
ウマ娘はウマソウルを宿して生まれる。
ウマ娘の不思議パワーの源泉はウマソウルであって、直接的な遺伝的形質ではない。
ただ、ウマソウルに適合しやすい (宿りやすい) 肉体というものは存在するだろうから結果的にウマ娘はウマ娘の親から生まれる傾向がかなり強いのだと想像する。
ウマソウルが宿りやすい子供を作るための交配も行われただろう。
その過程で有益な能力を持ちつつ御しやすい性質 (のウマソウルが宿る) が選択されて共存できる程度に落ち着いているのではないだろうか。
新海誠は2004年に「雲のむこう、約束の場所」という映画を製作している。
本論では、この映画から政治性が巧みに隠蔽され、特にアイヌ民族が消えてしまっていることを論じる。
北海道をソ連(作中ではユニオン)に占領された世界。藤沢浩紀と白川拓也はそこに建造された不思議な塔まで、自作の飛行機で密航することを夢見ていた。その秘密がふとしたことで同級生の沢渡佐由理に露見してしまうが、彼女は二人の共犯者となり、いつか彼女も塔まで連れて行ってもらうことを約束する。しかし、彼女は突如姿を消し、飛行機の話もそれっきりになってしまう。
三年後、拓也は塔の破壊を企てる反ユニオン組織ウィルタ解放戦線に内通しつつ軍属で研究し、塔の秘密を探っていた。塔の目的は並行世界の観測による高度な未来予測であった。そして、塔の設計者であるエクスン・ツキノエには孫娘がおり、その孫娘たる沢渡佐由理が原因不明の奇病で三年間眠り続けていると知る。
一方、東京に出た浩紀は、佐由理の夢に悩まされていた。そんななかで彼女の痕跡を追い、かつて入院していた病院にたどり着くと、突如佐由理と浩紀は夢の世界で心を通い合わせる。浩紀は佐由理を救うには三年前の約束を果たさねばならないと悟る。
だが、拓也側の研究の成果により、佐由理は眠り続けていることで塔からの並行宇宙の浸食を防いでいると明らかになる。彼女が目覚めれば、この世界はあっという間に浸食されるだろう。
浩紀は青森に戻り、拓也と再会する。浩紀は拓也に「ヴェラシーラに佐由理を乗せ、塔に連れていくことで佐由理は目覚める」と伝え、協力を求める。佐由理の目覚めによりこの宇宙の消失を恐れる拓也は、一度は協力を拒絶する。しかし葛藤の末、佐由理を軍の病院から連れ出してきた。浩紀は佐由理を後部座席に乗せ、米ソ開戦直前でヴェラシーラを発進させる。
緊張が極限に達した米ソは開戦し、その混乱の中で浩紀はヴェラシーラを飛ばす。塔の傍で目を覚まし、涙を流す佐由理。浩紀はウィルタ解放戦線に託された爆弾を投下し、塔を壊して宇宙の消失を食い止める。
佐由理は目を覚ました。しかし、目覚めと共に浩紀に対する思いは消えてしまっていた。
さて、先ほど述べたように、作中では日本がソ連の侵攻によって南北に分断されている。そして作中のテロ組織は(南北統一のため?)北海道の塔を破壊することを目的としている。
そこで、「ウィルタ解放戦線」という名称が問題になる。ウィルタというのは北海道ではなく、サハリン(樺太)の先住民族の名前なのだ。確かにウィルタは北海道に数名居住していたが、北海道の解放を願うなら、「アイヌ解放戦線」とならなければ筋が通らない。
アイヌ民族に言及することによる政治的問題を避けるために事実を歪曲させたのではないかと疑われる。樺太開放も目標としていたと仮定すれば、考えられなくもないが……。
祖父の名前、エクスン・ツキノエは、日本語話者にとっては異質な響きを持つ。また、ロシア語風でもない。元々新海誠は多少いい加減なネーミングを行うことがあるので、深い意味はないだろうと思って数年間はこの名前に注目してこなかった。しかし、私がたまたまアイヌ民族に関する書籍を読んでいたとき、ツキノエは国後島アイヌの首長の名であると知った。同様のことを述べたツイートがあったが、現在は消えてしまっている。
そこでエクスンとはどういう意味かというと、ここによれば「向こうへ」という意味らしい。「沢渡」という姓はここに由来している可能性がある。
http://tommy1949.world.coocan.jp/aynudictionary.htm
浩紀はラストで単身ヴェラシーラに乗り、北海道中央部にそびえる塔を破壊する。すべては佐由理の目を覚ますためであり、並行世界が流れ込んでくるリスクを引き受けてのことだった。
しかし、実はまことに政治性の強い作品である。SFっぽさと感傷的な恋愛描写がまぶされているが、描かれているのは間違いなく世界を変える(少なくとも一国の軍事施設を破壊し、地域のパワーバランスを崩壊させる)テロリズムである。米ソ開戦中の混乱に乗じてのことであり、もしも両国が責任のなすりあいを始めたらと考えると恐ろしい。
新海誠がこの件についてどの程度自覚的であったかは疑問である。どちらかといえば気分的なものでプロットを作っており、作品の政治性についてはあまり深く考えていなかったのではないか。
実際、朝鮮半島やドイツの分断に伴う深刻さは、出会えなくなった家族に言及されることもあるが目立った悲痛さはなく、この作品では過去の背景に退いている。
米ソ戦のなかで時に死体が降ってくる場面はあるけれども……?
作中では「ヴェラシーラ」とは「白い翼」の意味だと説明されていた。
はじめ、自分はこの言葉をスペイン語だと思っていた。つまり、Bella Cielaだ。アルゼンチン方言ではbをvで発音することがあるらしいし。しかしよく調べてみると、スペイン語の語順や活用の形としてはおかしい(当時のウェブ翻訳は今と比べてずっと貧弱だったし、単語の原形で検索するしかなかった)。
そこで、ロシア語ではないかと思い、いろいろなつづりを試みた。すると、「白い」は「белый」ベリイ、「力」で「сила」シラとなり、それっぽい。ソ連にいる祖父がいるのだから、彼女にロシア語の知識があったとしてもおかしくはない。意味は「白い力」になるが、「白い翼」には十分近い。ベラルーシの「ベラ」が白なので、そこから取った可能性もある(同じことを言っているページを見つけた)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216740382。
ただし、これもまた活用の問題がある。「白い力」はロシア語では「белая сила」ベラヤ・シラとなる。それに、よく考えればbとvの音の混同が起こっている。
もっとも、「星を追う子ども」では潜っても呼吸できる水を「ヴィータクア」、世界の果てを「フィニステラ」とラテン語としては語順が逆の形で名づけているので、そのあたりはいい加減なようだ(それぞれアクア・ヴィタエ、テラ・フィニスが標準的なラテン語の形である)。
また、同作の中では深い意味もなくセフィロトの樹が引用され、シャクナ・ヴィマーナやケツァルコアトルなど無関係な神話がコラージュ的に用いられている。その背景には明確な思想を読み取ることはできなかった。
「雲のむこう、約束の場所」では感傷的なまでに甘い思春期の心情を描いてみせた。一方で、この作品はかなり政治的な危うさをはらんでもいた。危うさの一つはテロリズムの肯定であり、もう一つはプロットに入り込んでいるはずのアイヌ民族の存在を背景に退かせたことであった。後者に関しては少なくとも筆者の知る範囲について、ヒロインがアイヌ民族のクォーターであることに言及した資料は見当たらなかった(註:とあるウェブサイトで、佐由理は恐山かどこかの巫女の家系だという初期設定に言及したところがあった。興味深いのでここにリンクを貼るhttp://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/anime/promisedplace2.html)。
しかし、2004年には許された描写だったが、ゴールデンカムイなどで正確なアイヌの描写が出てきた2020年代にあってはどうだろうか?
最近筆者は新海作品からは遠ざかっている。映像が十分雄弁なのに、台詞で説明しすぎてしまうからだ。あるいは加齢による感受性の変化かもしれない。あるいは、この感傷マゾから「卒業」しようと自分を鼓舞したからかもしれない。本稿を書いているうちに、少し懐かしいような苦しいような気分を思い出しかけた。
作中では、北海道に建設された塔が東京からも(かなりの高さで)見える描写がある。しかし、それにしては塔が細すぎやしないだろうか? 以下、視聴当時にした計算を抜粋する。
塔が経っていたのが北海道の中央部、都心から道央まで凡そ1000kmはある。
かなりいい加減な推定だが、視力1.0を有するとは視角60秒の二点を見分ける能力があるということだ。つまり空気による散乱だの屈折だのを度外視すれば、主人公がそれだけの視力があると仮定することで塔の直径を算出できる。それにウィキペディアによれば大きく見えるときの金星がこれくらいの視角だそうだ。塔が自ら光っているわけではないだろうし、このくらいの値でいいだろう。映像を見てもそのくらいだったし。
sinθ=tanθ=θ(ラジアン)の近似を用いると、都心から道央まで凡そ1000kmはあるので1000km×(2π)×(1°/360°)×(1′/60′)= 290.8m程の直径が必要になる。荒っぽい計算だが、作中のヴェラシーラとの比較から見てもそこまでずれていない。ただ、空気があることからはるかに太いと考えたほうがいい。北海道全体が映るシーンでも塔はしっかりと見えていたし、直感的にも300m程度の太さの道央の物体が都心から見えるとは考えにくい。
なお、仰角は30°はあろうかという様子であった。三角関数で考えれば577.3km以上の高さだ。地球の自転の影響でこれだけの構造物は大きくたわむことであろう。ソビエト連邦にそれだけの物資があったかどうか。一応ユニオンは全共産圏を統合した国家だそうだし、この世界では宇宙開発の代わりに並行宇宙が研究されているとすれば、なんとかなる……かな?