はてなキーワード: イントネーションとは
おっちゃんは、元は関東出身やけど人生の半分以上が関西やから、
通じればなんでもええんちゃうかな。
女の先輩に「~やんか?」って詰め寄られて恐怖したり、
同期の男性の京都弁に、この人もしかしておかま系?とか壮大な勘違いをしてたけど、
どうにかなっとる。
最近、気になることがあった。
同窓会で久しぶりに中学の同級生と再開したときに「お前相変わらず変な関西弁やな」と言われたのである。
ただ母親が関東出身のせいか、家庭では父親も含めて明らかに関西弁ではないイントネーション+語彙で会話が行われる。
もちろん家庭外で私の語彙は当たり前のように関西弁に染まった。
そんな自分の言葉に違和感を覚え始めたのは大学生に入ったとき。
私の大学は関西にありながら全国から人が集まっていた。なのでもちろん関西弁以外の方言で話す人が多々いるわけだが、そこで自分と同じ"ような"イントネーションで話す人はみな関西弁ではないのである。
入学以前はそんなことを一切気にしてなかったが、
ここらへんから自分の話す言葉はいわゆる「エセ関西弁」なのではないかという疑惑が自分の頭をよぎるようになっていった。
そして同窓会での一件がこの少しあとにあり、私の疑念は確信へと変わっていった。
一応、話そうと思えばいわゆる関西弁のイントネーション+関西弁の語彙で話すこともできるのである。
しかしそれは何か別の言語を喋っている感覚で、明らかに自分の母語ではない。
かといって自分の言葉が母親の出身の方言なのかといえば、語彙がある程度関西弁に支配されてしまっているのでそういうわけでもない。
母親はといえば近所の友達と話しているのを聞くとやはりエセ関西弁語彙+関東方言のイントネーションである。
である。
よく怒ると地元の方言がでるみたいなキャラクターいるが私はその方言が出る/出ないという感覚があまりわからない。なぜなら自分の話す言葉が何なのか自分でもよくわからないから。
こんな人、他にもいるのでしょうか?
時代に追いつけてねえぜ?(決め台詞が終わったのであとは蛇足デフ)
まず、最初に語ろう。
「一瞬を語るには一瞬より長いときがいる」とはギリシャ時代にはすでにあった詩人の言葉だとか。
動画は違う。
一瞬を映すのが一瞬で終わる。
ただし、それを使いこなせてないものは多い。
ニュースをただ読み上げているだけの動画など、写真がある点でラジオに勝ってるだけで、ヤフーニュースに劣るだろう。
しかし、使われているのがニュース動画で、その動画への解説が濃密であれば、その情報密度は文字を遥かに超える。
ニュースですらこれだが、面白さ優先の娯楽用の動画ともなれば、文字では絶対に追いつけない密度となろう。
漫画の方が早いと思うなら、それは単に読み込んでないだけだ。
言葉の僅かなイントネーション、間、能動的カメラワーク変化、コマ割りのテンポ、演者の表情の変化、そういったものを感じ取る力がないだけだ。
得てして、文字の情報密度を語る者たちは、速読もどきの雑な流し読みしかしてなかったり、くだらん装飾に意味を見出したりしてるのだ。
ネットに飛び交う文字列など得てして、雑な要約に雑な要約を重ねて元の意味が消えたたキメラの集合か、滑りっぱなしの寒いギャグのキメラだ。
「背後から強烈な爆発音がしたので、俺はまためんどうなことになったなぁ、とかそういや昼飯も食っていないなぁとか色々な思いを巡らせつつも振り返ることにしたのである。」みたいなもんだ。
アホか
MIU404というドラマを見たら菅田将暉さんがコテコテの関西弁の悪そうな役を演じていた。
昔、ひこ・田中さんだったかの、小学校高学年くらいが読むような小説作品で、
「関西のちょっとハイソなところに住んでいる友達の母親が、関西弁のイントネーションで標準語をしゃべっている」みたいな描写があって、わかるなそれ、と思ったことがあった。
「また遊びに来たってな~」とかじゃなくて、「また遊びに来て頂戴ね」みたいなことばをしゃべるけど、イントネーションは関西弁のそれになっちゃう感じ、昭和の関西の一般家庭ではちょっと気取ったふうに聞こえそうな感じ。
なんかそれだけで母親のキャラ付けができてるなと思ったものだ。
なんかねーそれくらいの弱めの関西弁を聞きたいのよね。
菅田将暉さんの役で言えば悪そうな感じ、小ずるそうな感じを出したいのかもしれないけど。
毎度ながら関西弁のキャラってすごく漫画的な描かれ方をするよね。
そのへんについてはもう諦めたが。
まず、文化の盗用、と主張するに足る背景がある、認識している当事者や賛同する人達が、もともと結構いるのよね。
それはお辛いでしょう
「補聴器や人工内耳があれば、手話は必要ない」「手話を使うと日本語を覚えない」みたいに言われて育ってきた聞こえない人は沢山いるし、
大変でしたね
結構なことです
続き)人達がいて、過去の同じ様な人達の活動により、街中で手話を使って話すだけで奇異の目で見られることは少なくなり、
大変でしたね
ただ、手話が一般的に普及していくのと同時に、まず最初に、聞こえる人が覚えやすい手話表現が広がった、という問題があったんですよ。
それを問題と言われても
何が問題なんですか?
アニメで日本語に触れる外国人は「キサマ」とか変な二人称から覚えるし、「アラアラ」という言葉をセクシーな年上女性と結び付けています
そんなもんでしょう
それはそうでしょうけど
それを、どこまで許容するかってのは議論があって…(続
聞こえない人が使ってる手話表現こそが正統派って思ってる人から、いやー少しくらいヘンテコでも手話が広まる方が大事だよーって人まで、いろんな考え方の人がいるんですよ。
その二者って衝突してなくない?
「普及は大事」「このバージョンが正統」これ衝突してないよね?
え、お話一通り終わり?
何がどう複雑であるのか、健聴者が手話学ぶことの問題が那辺にあるのか、お話聞いてもさっぱりわからなかったのですが
どこかで示されていましたか?
まとめると
1~4は「手話はこんなに抑圧されてた歴史がある!」というお話なんですよね。
はあ。
大変でしたね。
同情します。
でもそれが
本題である「健聴者のガキが手話を学ぶことは不当である」「文化の盗用である」という主張をどう後押しするのかさっぱりわからないんです。
本当にこれだけなら、ただの未整理のモヤモヤしたお気持ちの八つ当たりに見えるのですが…
5~7は「健聴者の手話には独特のクセがある」「それをどこまで許容するか」というお話。
はあ。
そりゃ聞こえない人と違うクセが出るんだろうなってことは言われるまでもなく想像できることですが
それの何が問題なのか、なんで許容するとかしないとかいう話になるのかがわからないんです。
中国人の日本語は独特のイントネーションや助詞のクセが出ますが、「それをどこまで許容するか」なんて話しますかね?
もちろんあまりにクセが強くて意志疎通出来ないとか、凄く失礼な雰囲気になってるとかで、「ここはこう治した方が役に立つよ」ってことはあるかもしれませんが
そういう話じゃあないんですよねえ。
じゃあなんなんですか?
8~9は、何も衝突してない2つの立場が対立的に書かれてるのでこの人大丈夫かってなります。
「Aが正統」と「Bが正統」なら戦争ですが、「普及は大事」と「Aが正統」は何も衝突してない。
さらに問題を複雑にさせてると思うのは、長いあいだ手話がしいたげられてきたからか、聞こえる人の手話感におもねる判断や行動をする、聞こえない人がけっこういまして。
少なくとも解決は聞こえない人の精神変革でしか達成しないですよね
おもねるのはやめよう!おわり
この人どうも「問題は複雑」って言うのが好きみたいなんですが、書いてること見る範囲ではそんなに複雑じゃないんですよ
自分が物事を整理整頓せずに思考してるだけなんじゃないんですかね。
文化の盗用って主張は、そういった聞こえない人達に対して、手話は自分達のものだよ!!って呼びかける意味もあったりするのよね。
はあ?
聞こえない人達に、「聞こえる人へおもねる必要はないでしょう」と呼び掛けるべき話を
聞こえる人達に、「手話を使うな!文化の盗用!」と言う。それが何故なのかがわからないんです。
例えば、年配の人に多いんだけど、普段はとても魅力的な活き活きとした手話を使う聞こえない人が、
痛ましい話かもしれないけど
それって聞こえる人間が手話を勉強しようとしたことが悪いんですか?
って聞くと、えー?ただ単に初心者向けに、わかりやすく表現してくれてるだけじゃないの?って思うかもしれないけど、そうじゃないの。
手話は文化であるって主張する人の本とか読んでると、聞こえる人が使う手話のほうが正しい表現だと思っていた、ってエピソードはわりとでてくるのよ。
それ聞こえる側にどうも出来ない問題ですよね?
その問題は「聞こえない人がちゃんとしよう!自主性を持とう!」 としか言いようがないことでは。
むしろ手話教室に出席しにきた聞こえる人達は生徒として教わる側なので
「あんたたちに教えてる手話は実はあんたたち向けに文法変えてるんです」とかも、言ってあげないと困るじゃんわかんないんだから。
彼等彼女等に何かできるの?それ。
はあ、大変でしたのね
でもご説まるまる拝聴しても
結局何が「文化の盗用」なのかさっぱりわからなかったんですよ。
耳聞こえるガキが手話勉強したことの何が問題なのかも結局全然言えてないですよね?
手話界隈のTwitterをゆるく眺めてる人としては、「お、また、いつものやってるな」って感じだったけど、話題が大きくなったので、
っていうから長々読んで、結局これだぜ
→さっぱりわからない
→さっぱりわからない
アホちゃう?
主張を~
ま・と・め・ろ!
これが基本形。な。
ポエムはどうしても書きたいなら基本を済ませた余白で書け。
なんでいっちょ噛みして「自分の言葉で語ってみます」からの、長文費やしながら全く何への説明にも回答にもならないポエムなの?
それってバカじゃん?
でさあ、この人個人がどうこういうより、このタイプのバカが多すぎない?世間。
私はバカだと思った相手について、相手が何故バカなのか、どうバカなのか、
逐一当人の言葉を引きながら、ちゃあんと理屈で説明してるでしょう。
私へ異論反論したい人は「待て、ここの論理がおかしい」「ここの前提が間違いだぞ」って簡単に反論出来るんですよ。
(まあ本格的バカはそれすらできないので「こいつなんかムカチュク!」という概観的お気持ちを喚くだけで終わりですが)
おバカさん全体に言いたいのは
「自分の気持ちを上手く表現できる言葉が出てくるまでもうちょっと考えてから言葉にして、文にしようよ」
ってことなんです。
全然理屈が整理できず論理も通ってないまま」「文化の盗用」みたいな大雑把なバズワードだよりで発表するなと。
自分が整理する気ないだけなのに「問題は複雑で~」とか言って投げっぱなすなと。
口での会話なら頭の回転とか語彙力とかでその場で上手く出てこないってのはある、それは酌量しますよ
でも文で発表してるのにお気持ちそのままボヤボヤ思考そのままで論理がなんにも通ってないのは甘えだと思うんですよ。
私は表面的にはちょっと口汚いけど、それなりに礼儀正しく書いてるんですよ。
お前のその整理されてないお気持ちや全くまとまってない思考をそのまま他人様に見せるなと。
つうか、よくそんな脳内がゴミ屋敷のような状態のまま生きていけるな、気持ち悪くねえのかなってバカを見るたび思います。
oka_mailer 知らない事ばかりだった。こういう背景を理解しないで「文化の盗用」に文句つけても話にならんわな。
2020/07/31
これ全く栄養の無いスナック菓子みたいなコメントですけどこれが1位なんですよ。
誓ってもいいですけど、こんな無内容なこと書くの、別に何もわかってないし、何も理解してないし、
そもそも読んだもの咀嚼して自分なりに考えるということすらしていないんですよ?
全然脳細胞動いてないけど、なんか殊勝で感心な態度に見せるテンプレートを使ってるだけ。
そして同じぐらいのレベルの人たちが「立派な人だ!」って☆を付けてトップにするわけ。
「うーん、もんだいはふくざつなんだ!」「しんしなたいどがだいじだ!」
全員なんにも考えてない。
考えること頑張る前に、”殊勝に見える仕草"だけ身に着けたんだね。
ゾンビみたいだよね。
こう挑発しても誰一人として意気地を見せないですよ。
ponpon_qonqon おまえも反論できてないじゃん。
私は「こいつらは何を主張してるのかすら不明」と言ってんのに反論出来てるわけないじゃん。
1.一行目と二行目繋がってなくない?
2.その押し付けについて、「ガキが給食中黙って会話出来るように手話を学びましょう」って話がどう関係してくるの?
あの小学校のガキが手話でコロナ飛散を防ぐと(そこまで上達すると思えないけど)、聾者が口話法手話を押し付けられて混乱するの?
なかなかにすごいバタフライエフェクトだけどそれちゃんと検討してから発表してる?
3.あんたのその主張はかなりチョウチョが飛び回ってるけど、少なくとも一つの反論可能な主張ではある。
元のカッキー氏やさらに大元の文化人類学者氏はそういう一定の主張すらちゃんとやってなくて、何が何だか全く分からない。
「文化の盗用」というコンテンツ不明のバズワードで威嚇し、そのワードの定義は何だと聞かれると怒るという糞仕草をいい加減にしてほしい。
maruX 全く持って分かる気がないくせに、自分に分からせろ自分が分からなければお前の主張は論理的でないという良く見るやつじゃん。「ガキ」呼びといいあらゆる方向に敬意がない酷い増田。
2020/08/01
どうダメなのかこれだけ粘着長文書いて説明する人間に「分かる気がないくせに」ィ?
失礼ながら、どんな話題についてもあなたよりは真剣に分かろうとして読んでると思うよ。
maruX 2020/08/01
意味わかんね~~~~ ふわっふわ。
でもこういう「何となく殊勝な感じに見える態度」を取ることにだけは長けてる感じがすごい伝わってくるよね。
何故直接聞いたらいかんのですか?簡単に聞けるツールと環境があるのに。
聾者様に失礼だぞみたいな話?
この「なんで?」はしーらいおにんぐに当たるんですかね?
ちゃんと根拠と思考を持って発言してる人ならノータイムノー負担で答えられるようなことしか聞いてないんだけど。
これぐらいが不当な問い詰めだと感じる人は自分の脳のフローを見直した方がいいと思うんよ。
otihateten3510 なげーよ。
なげーなすまん。
それならそう書いてくれりゃいいと思うけどね。(もちろんその危惧の妥当性は検討するし怪しすぎたら突っ込むけど)
そういう風に何かをはっきり書くこともなんか避けてねえ?
rci 聾者よりも健聴者の数が圧倒的に多いから、でしょ。そのせいで、本来は聾者のものがどうしても健聴者に乗っ取られがちになるということが、この増田はなぜわからないのだろう。
2020/08/01 リスト
健聴の手話利用者が聾の手話利用者を上回るなんてまるで考えづらいねというのがまず一点。
そんでカッキーさんはあなたのようにはいってません。抑圧の歴史があるせいで聞こえない人が卑屈になってしまいがいなのが問題だといってます。(手話人口が逆転するなんて仮定は荒唐無稽なので採用しなかったのかもね)
ドラマで技能実習生や留学生の就労をテーマにした話をやっていて、昔に感じていた疑問や違和感がまた膨れ上がっていった。
5年前、地元で技能実習生が買い物をしているところを見たことがある。
クタクタになったツナギを着た東南アジア系の人達が10人くらい、黄色の腕章を付けて偉そうな人に連れられてスーパーを歩いていた。
他の人の迷惑にならないようにとかで、ちゃんと整列して歩いていたと記憶している。その様子がまるで軍隊の行進のようだったと強く印象付けられた。
どう見ても自由に買い物はできそうになかったし、他の買い物客はみんなして、異様なものを観察するようにチラチラ見ていた。
何で同じ人間なのにこんな思いさせなきゃいけないんだろう。あの時から日本に住む外国人に対する考え方が変わった。
でも、世間は自分が思ってるような感覚を持って無かった。コンビニや居酒屋では、外国人バイトを日本人が怒鳴りつけたり、その人の話す独特なイントネーションをからかったりする。
誰のおかげで日本がギリギリやっていけてるのかも知らずに。その人たちが私たちの知らない言語で、どんなことを考えているかも知らずに。
時々そんなことを日本人の同僚に話してみたりもしたけど、そんなことより自分の飯を食うので精いっぱいだろって言われた。その時の仕事机には山積みの紙の束があった。
あれから今になってようやくドラマでこんな国おかしいよねって話をしてくれた。けど、私がたまたま5年前にあの行進に出会っただけで、歴史はもっと根深かった。
さっき「技能実習制度 歴史」で検索したら、外国人技能実習制度 30 年の歴史と今後の課題というタイトルのPDFを見つけた。その見出しを見ただけでもう吐き気がした。
30年も前から、日本人は海外の人を労働力だと思っていたのか。いや、恐らくはもっと昔から、戦争が起きた頃や、そうなるずっと前からそういうことが起きていたのだろう。
PDFの内容はここでは伏せる。見たい人だけが見ればいいと思う。ただ、「今後の課題」というタイトルがつけられている以上、この制度が消えることはないという胸糞悪い内容でしかないことだけは説明しておく。
日本ほど、知れば知るほど嫌いになっていける国は無いと思う。
そもそも、ドラマというお茶の間のエンタメになってしまえる自国の闇ってどういうことなんだろう。
人間が棒上の物体を使って、平面に言葉を表現するっていう時点で、そもそも世界中の文字がだいたい線だけで構成されることは確定なんだよな
顔料だって豊富じゃないから単色で使うこと前提になる。だから文字を書くときに、色の違いは考慮されない(赤い「あ」と青い「あ」はどちらも「あ」という音を表す意味)
もちろん人間の顔だとか表情みたいな複雑な絵は誰もが書けるわけじゃないし、いちいち言葉を記すためだけにそんな面倒なもの書きたくないので、とりあえず「?」で終われば疑問文ということにして、読むときも語尾のイントネーション上げて読む。みたいな規約を作って運用しました。
これがもし入力インタフェースとして棒を使わないで、サクッとどんなに細かい絵も一瞬で書けるような時代になるとどうなるのか。
絵文字とかLINEのスタンプとかが流行ったのは必然だったのかもしれない。昔の人も本当はわざわざ言葉を文字にするのかったるかったと思う。
「つぎ、パーティーいつ?」
この発話における不定冠詞(a party)と定冠詞(the party)を峻別する役割を日本語ではイントネーションが概ね担っているのではないか。
パーティー(↑↓)と発音すれば、普通の(つまりは一般的な概念としての)誕生日パーティーや社交パーティーのようなものを指すが、「パーティー」をフラットに発音すれば、仲間うちのクラブイベントっぽい。つまりは、"あの"パーティーという定冠詞的なニュアンスが出せる訳だ。
いわゆる一般に流通しているその語のイントネーションとは違う(しかし、かといって、それについて無知である素振りはないどころか、それについて独特の了解を持っていそうな)独特の(話者同士にのみ共有された"あの"を指す)符丁感がある。わざわざ「あのパーティー」なんて野暮な言い回しをしなくても、ちょっとアクセントの位置をズラすことで、ほら、あれだよあれ、って目配せしているような。
という話
これは長らく自分もそうだと思ってた
当たり前のように標準語イントネーションで話せるはず、とこれまでは思ってた
けど、それは当たり前ではないらしい、それなりに意識して訓練する必要があるらしい、と認識を改めた
自分は地元に愛着はあっても、周囲の言葉を無視してそのまま方言で押し通すような強いものはないし
それよりは周囲と言葉が違うことを引け目に感じる
だけど砕けた関東方言を話すのも逆に恥ずかしいと感じるので、努めて標準語に近い形で丁寧な言葉で話すようにしてきた
それが一番、違いが目立たないからだ
けれど地方出身者が必ずしもそうするわけではないのだなと、旦那を見て思った
旦那は九州の田舎出身で、東京に出てきて長いのに訛りが抜けない
私よりは地元へのアイデンティティが強く押しが強いところも確かにあるのだけれど
とはいえ客商売にもかかわらず、イントネーションが変わらないというのは、さすがに意図してやってるというよりは出来ないのだろうなあと思う
周囲と言葉が違うことが恥ずかしいと思う気持ちが私よりは圧倒的に弱くて、
伝わる範囲での最低限の矯正にとどまった、という感じなのではないかなと思っている
たまに「俺がなおし… 片付けるから」とか言ってるくらいの、通じない単語を置き換える程度の矯正というか、環境適応なのかなと思っている
要は、自分が当たり前に出来ると思ってたことは、周囲に合わせようと自分が無意識のうちに訓練していたからであって、恥ずかしいと感じないタイプの人はその訓練をしないのだろうなということだ
関東方言(といっても幅広いけど)と標準語の差異として、例えば、
ら行が撥音になる 例:わからない→わかんない、食べられない→食べらんない
間投詞としての"さあ"の使用 例:あのさあ、君さあ
”では”が"じゃ”になる、”ではない”が”じゃん”になる 例:それでは→それじゃ、ではないか→じゃんか
などがある
"ない"が”ん”、"へん"になる 例:わからない→わからん、わからへん、食べられない→食べられん、食べられへん
"まう"や"もう"の使用 例:食べてしまう→食べてまう 食べてしまった→食べてもうた
間投詞としての"な"の使用 例:あのな、君な
”だ”、”では”が”や”になる 例:それだと→それやと、ではないか→やんか、 やないか
となる
標準語→「見た目ではわからないけれど、いちど食べてしまえば思っていたよりもうまいではないか」
関東方言→ 「見た目じゃわかんねえけど、いちど食べちゃえば思ってたよりうめえじゃんか」
近畿方言→ 「見た目やとわからへんけど、いちど食べてまえば思おてたよりもうまいやんか」
口語を文字に書き下したときの標準語からの距離はどんぐりの背比べだろう
もちろん、標準語にない語彙や言葉の変化はどの方言にも有るし、
イントネーションも東京方式は京阪方式に比べて標準語に近いとはいえ、違いは多い
関西弁が標準語とかけ離れているというなら、関東方言含めて他の方言も標準語とかけ離れているし、関東方言が標準語と離れてないなら関西弁も標準語と離れてないとみなすべき。