はてなキーワード: イントネーションとは
大阪で生まれ育って26年、東京に出てきてもうすぐ丸7年になろうとしているんだけれども、すっかり東京弁が板についてきたな、と思う。特に仕事中はかなりスムーズに東京弁がすらすらと出るので、しばらく会話した相手に自分が大阪出身であることをいうと「分からなかった」と言われるまでには東京弁をマスターしてきたかな、と思う。東京弁とは、べらんめぇの江戸訛りというよりかは、一般的には標準語というのかもしれないが、ここは関西人の言う「東京弁」のことだと思ってもらいたい。
7年前に東京に出てきた最初の一瞬は、特に意識することもなく相手が誰であろうと関西弁で会話していたものの、これを続けるのはやはり難しかった。というのも、いわゆる「でんがなまんがな」までとは言わないまでも、それなりにもともと関西弁が強い方なので、人の名前を呼ぶときも関西弁丸出しのイントネーションで声をかけるんだけども、聞き慣れないイントネーションで呼ばれても、相手に自分のことだと思ってもらえない。何度か声をかけるうちに「あ、もしかして俺のことを呼んでたの?」と言うふうに、そもそも聞き慣れない方言はすんなり頭の中で処理できない人が多い、と言うことに気づき、無意識のうちになるべく聞き取りやすい言葉=東京弁で喋らないといけない、という意識が湧いてきたと思う。すると今度は、自分の中に東京弁が無いので、思っていることがスッと言葉に出てこず、頭の中で変換するのに時間が掛かる。そうなると、話すこと自体が億劫になったり、ストレスに感じたりして、一時期比較的無口な時期が続いたりもした。比較的喋る方だと思っていたのに。
当然ながら東京では日常が東京弁に溢れ、自身も多少頭で変換しながら東京弁を話す、という作業を続けること数年。触れる関西弁といえばテレビに出ているお笑い芸人のみ。関西芸人の露出も大阪にいた頃の比ではない少なさで、東京弁が少しずつ耳に馴染んでいくにつれ、いつのまにか頭の中の思考もハナから東京弁で行われるようになり、すっかり東京弁をマスターした、と言えるようになった。
すると今度は、たまに関西人と会話するときに、関西弁がすんなり出ない、ということが増えてきた。これは他の地方出身者なら気にならない人も居るのかもしれないけども、本来大阪の東京へのライバル心たるや凄まじく、文化においては関西の方が上、つまり江戸に対しての上方であると言っていたり、ただの対戦相手のひとつである読売巨人軍に並々ならぬ敵対心を燃やしたりというので、関西人に対して東京弁を話すと「もうおまはんは大阪の人間ではない」「東京に心を売ったんか」というようなことを言う人もあり、アイデンティティが薄れていってると言う心持ちがして少し寂しいな、と思うことがあった。
一方で、ここ最近芽生えてきた思いがある。それは「東京弁、ありじゃないか」というので、実は結構東京弁が好きになってきている。
というのも、最近芸人がパーソナリティを務める深夜ラジオをradikoで聴くようになって、関西芸人関東芸人問わず色々聞いてるんだけども、関東芸人の話すエピソードトークが、どれも壮絶なオチがあるわけでもなく、とはいえしみじみと相手に訴えかける話が展開されて、これが滅茶苦茶に良い。これは恐らく、良くも悪くも方言にサービス精神が乗っかる、例えばとにかく大袈裟にであったり、少しでも相手に面白おかしく伝える関西弁の悪いところが一切排除されているからで、このサービス精神の要素が無く、かつ話術に長けたエピソードトークは、粋を感じさせて良いな、という気がしてきている。
自分が大阪に居た頃、いかに会話を話しかたで誤魔化してきてたか、曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝えていたか、勢いのある方言に頼っていたか、という反省と、東京弁だからこそ活きる言葉の選び方の妙、相手に与える印象みたいなものの面白さに趣きを感じつつ、この感覚は東京と大阪を両方を体感して初めて味わえるものだし、言語化が難しそうだけれども、稚拙でも良いから明文化して残しておこう、そして自分は東京弁と関西弁のどちらの良いところも扱いながら、言葉の妙を使いこなすバイリンガルを目指していこう、と心に決めたのでした。
そんな矢先。毎年実家から年末年始の関西ローカル番組の録画をブルーレイに焼いたものを送ってもらっており、週末に計10時間以上の関西弁を浴び続けた結果、東京で育った家人に「なんか急に早口な関西弁になって、心なしか性格までキツくなった気がする」と言われました。わずか7年では、たった10時間のテレビ番組に打ち負ける。バイリンガルの道は程遠い。
この手の話題のブコメはいつもそうだが、「京阪式アクセント」というものを理解してない文盲しか集まらないな。
元記事や引用してるTwitterの人は「アクセント違うから関西弁を真似るのは難しい」という話しかしてないのに、なぜかその最大のテーマを無視して、関西の更に細分化された地域ごとの「方言」の話をしている。
そうではない、これは京阪式アクセント(分布図: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Japanese_pitch_accent_map-ja.png )の話をしている。
[B! 言語] 2015年日経記事「エセ関西弁、なぜバレるの」から抜粋・分類4の名詞の存在 - Togetter
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1646569
不正解例です。
natu3kan 関西弁ですら、地方ごとにイントネーションが微妙に違って、別の地方の関西弁を似非だって言い出す別の地方の関西弁を知らない関西弁警察が居て更に混迷を極める。 twitter togetter
yaneshin 南河内出身ですが、社会人になって泉州のお客さんと話した時の衝撃は未だに忘れられません。大阪府下でもそれほど言葉に違いがあります。
sds-page 関西人同士でエセ関西弁扱いしてるのを見て全てを察する togetter 関西 方言
camellow 京都の山奥、神戸、大阪府北部(東京在住長い)、奈良、和歌山などが混在する職場では誰の関西弁が正しいかなんてわからないと言われている。むしろお互いに微妙な違和感を持ってすらいるらしい。
WinterMute 「関西弁」のバリエーションに無自覚な関西人が、自分のと違う!みたいなクレーム入れてくる(そして別の関西人はまた別のことを言う)だけなので無視に限る
Wafer 関西弁と一言で申しましても、神戸、大阪、京都で違いますし、大阪と一言で申しましても和泉、河内、摂津とそれぞれで個性がございますな。(脳内の米朝さんに読み上げてもらいました)
gnta 関西弁と一括りにする乱暴さ。大阪と兵庫と京都と奈良と和歌山じゃ全然言葉が違う。さらに同じ府県でも北と南と東と西で言葉が違う
tekitou-manga こんなの別に関西弁に限らなくて、相当聞きこまないとちゃんと真似るのは無理。大学で仲いい友達の使う福岡弁や佐賀弁を真似しようとしても全然ちゃんと真似できなかった。回り皆その言葉レベルならそのうちできる
RIP-1202 ドラマ「カーネーション」に出演してた京都出身の安田美沙子でさえ、河内弁とはずいぶんムードが違って違和感あったし、関西の中でももう一つ二つ分類あるんじゃないかしら。アタックの問題?
akikonian 関西てどこやねん。さんまのあれは河内弁。住んでる人には申し訳ないけど言葉の響きがアレなのであれを代表的とかやめてほしい。ちなみに米朝師匠のは船場言葉。
aa_R_waiwai そもそも関西って行っても広いしな。自分も一応、関西圏の出身だけど、さんまの喋り方は正直、馴染みがないし、大阪人の喋り方が自分たちと似てると思ったこともない。 文化歴史
mutinomuti まず関西弁って雑すぎない?(´・_・`)
これは正解例です。
behuckleberry02 古代の日本語は声調言語だった。東に進むにつれて声調が無視されるようになったが、西日本には未だに声調が残っている。声調は一般的なイントネーションよりも厳格なものなので間違えると違和感がすごい。
今やってる朝ドラもそう。大大阪時代の栄華にすがってる時点で寒いと思ってしまう
ほんとそれ。
朝ドラ大阪制作の、わざとコッテコテの、今時芸人しか使わないような大阪弁をわざと使うのとか、面白くない滑りギャグとか織り込むのなんなんだろ。
大大阪時代というより、製作陣の「大阪制作やから、大阪らしくオモロくしないと!」という変な方向に気合入ったプライドあるよきっと。だからいつも脇に吉本芸人てんこ盛り。ほんまに寒い。みてて恥ずかしいからみなくなった。
たとえば「それおいくらですか?」は大阪弁だと「それなんぼでっか」になるよね。
大阪差別の一つとして、よく関西人は「東京でも関西弁を直さなくて郷に従わない」とか言ってディスられるけど、東京の人間こそどうなんだ。
違うだろ?
「標準語だから」「無理に関西弁使ってもうまく話せなくて怒られるから」とか言って、自分の言葉を通すだろ?
標準語イントネーションだとうまく話せなかったり、おかしな日本語になったり、本人は標準語のつもりで話してても直ってなかったり、いろいろあるんだよ。
それを「直す気がない」とか「郷に従え」とか、何様なんだよ。
別にどこで何弁話してもいいでしょ。
現時点で、国際語となっている英語には、すでに多数のバリエーション(つまり方言)が存在しているのだ。イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語が違うことはよくネタにもされるので普通に知っているだろうが、英語を母語とする話者が一定いる地域が誕生すればそこには必ず方言が誕生するのだ。仮に日本が公用語を英語と定め、数世代あとに日本人が英語を母語とするようになっても、気候、歴史、文化等々が他とことなるこの地で話される英語は必ず「日本的英語」、ジャパニーズイングリッシュ、英語の日本弁になってしまうのだ。つまり「統一」など最初からできないのだ。(そして、極めてリアルに想像すれば、方言である「日本的英語」は、英語話者の中では、おそらく社会的に差別される方言になるのだ。日本でも、方言話者がどのように扱われるかを見れば、それは簡単に理解できるのだ。)
なぜなら、言うまでも無く、日本という地や文化、歴史等々についてこれまで書かれた文献はそのほとんどが「日本語」で記されているのだ。日本に住む者にとって極めて重要な情報源のほとんどが「日本語」なのだ。にも関わらず、それらの文化的リソースを、数世代後の我々の子孫はそれを母語レベルで理解することができなくなってしまうのだ。これはものすごいロスなのだ。もちろん、「その代わりに膨大な英語圏に関する文化的リソースを手に入れられる」じゃない?と反論したいのだろうが、それは怪しいのだ。なぜならば、言葉と文化はセットだからなのだ。文化的な背景、自然、文物に対する理解がない中で言葉だけを習得しても、それは月面で育つ地球人のようなもので、言語的文化的資産の十全な継承などおぼつかない、それは単に「全く新しい文化を一から作る」のとほとんど同じことなのだ。それは「古文・漢文」がかなりの割合で読めなくなってきている現代の日本が抱える問題でもあるのだ。
移行期間といっても、切り替えるだけなら実はそれほど時間はかからず、おそらく数世代で完了するのだ。上で触れた「文語→口語」の切り替えなど、一世代もかからなかったのだ。つまりそういうことは大した問題ではないのだ。ただ、その先に誕生するのは、上で述べたように「日本語的英語を使い、英語文化のバックボーンはなく、かつ過去の自分たち自身のリソースへのアクセス力までも失った、新しい文化を一から創出しなくてはならない1億人」なのだ。人口1,000人の小さな島で起きたことなら、その悲劇を理解する人すらやがていなくなるだけで終わるだろうが、世界に大きな影響を与えるそれなりの規模の国家で行ったらどうなるか、想像するだに悲惨なのだ。まあ、日本が没落することで喜ぶ国があるとすれば、その国にとっては喜ばしいことなのだ。
英語が公用化された第一世代は、日本語が入り交じった、たどたどしい英語を使うのだ(これを「ピジン」という。)一部の人は、留学などを通して「正しい英語」を身に付け特権階級化するが、だいたいの人はピジンの方を使うのだ。そうして次の世代になると、最初からピジンを母語として使いこなし始めるのだ(これを「クレオール」という。)上の方で、日本の公用語を英語にしても、使用されるのは「日本語的英語」になる、というのは、つまりこの「クレオール」のことを指しているのだ。
たとえば「洋食」。カツ。カレーライス。いずれも食のクレオールなのだ。仮に「正しいカツレツとは○○である」とか「カリアー&ライスは一バリエーションであってそもそも英国式はカリアースパイスドシチューだ」みたいな蘊蓄を並べて啓蒙しようとする人がいても、残念ながら世間では「かつ丼」やら「カレー」が登場し、オリジナルの「カツレツ」や「カリアー&ライス」とは全く別の料理が定着し文化になってしまうのだ。かつ丼もカレーもうまいから仕方ないのだ。言語でも、それと全く同じ事が起こるのだ。仮に最初に一所懸命カツレツを作るフランス料理人を招いて教えてもらったところで、最終的に定着するのは「かつ丼」なのだ。従って、「日本語を廃して英語を公用語化しよう」なんて主張しても、「日本の食を全て『フランス料理』にするために和食を廃止する」ことにはならなくて、単に「日本の食を全て『かつ丼』にするために、和食を廃止する」みたいな訳分からないことにしかならないのだ。そもそもかつ丼がうまいのは、和食がうまいからなのだ。つまり本末が七転八倒なのだ。
ここまで書いて何だが、元ネタの話に戻るなら、結局「言語は滅ぶもの」なのだ。これは避けられないことなのだ。日本語だって、10年前と現在ではかなり違うのだ。むしろ、言語は日々滅びており、そして日々滅びることをやめたとき、言語は「死ぬ」のだ。方言が生まれるのも、見方を変えれば「標準語の滅び」だし、方言が消えるのも、見方を変えれば「標準語(という新たな方言)の誕生」なのだ。そこに貴賤はないのだ。だから、言語学者は「言語が滅びてはいけない」というような価値判断をもって言語に向き合うべきではないのだ。もちろん、自分が研究対象としていた言語の話者が絶滅したら途方にくれるのは理解するが、それは文化史論的な見地から言うと、一つの現象に過ぎないのだ。たとえば、関西では最近TV等の影響もあり、日常的にかなり関東風のイントネーションで話す姿を多く見かけるようになってきているのだ。これは、一種の「滅び」でもあるし「誕生」でもあるのだ。なのに、「滅び行く関西弁を守れ」とか言い出したら、それは愚かなのだ。そういうのは、たとえば生物多様性が失われる……といった話とは全く違ってただの懐古厨なのだ。そのあたりを勘違いすると、元ネタの言語学者のように妙なエッセイを書き散らすことになるのだ。
日本語廃止論への反論は、上に書いたように政策的にマイナスであり、そして現実的にも不可能だという話に尽きるのであって、「滅び行く言語を守れ」みたいな感情論に落とし込んではいけないのだ。感情論は現実の利の前には極めて無力なのだ。
これだけ多くの人が注目しているにもかかわらず
二人とも「本当にその地方の人にしか分からない言葉」などは使わず、
ただイントネーションだけが標準語とは違っているという状態だっただろ。
ロアやめいろが言う「方言」はその独特のイントネーションを指すのか?
それすらも分かっていないのに「別の方言ならそれに変わるだけ」とは言えないだろ。
この増田を見てからずっと気になってて定期的にトラバとかブコメ確認してるんだけどコメントが無くて悶々としてる
試しにYouTubeで九州弁とか福岡弁とか博多弁で検索して九州弁話してる所を聞いてみたんだけど、全然違うんだよな
上の増田の言う通りロアもめいろもイントネーションが独特なんだけど、動画で見るかぎり九州弁はイントネーションは普通の関西弁と大して変わらん(語尾とか言葉が変わるイメージ)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201023182949
このブコメ欄だとめいろの方言が九州弁である事を前提としているコメントがかなりあって☆も集めてるんだけど
九州弁だと思った根拠を教えてくれ、みんなそんなに九州弁に詳しいのか?と言うかロアとめいろの配信見た事本当にある?
夢月ロアの語尾である「でよ」は単に滑舌が悪くて「だよ」がそう聞こえた(ので本当にそういう語尾にしてしまった)というものだが、一般に「〜だでよ」と言えば名古屋じゃないのか。
二人とも単語選びよりイントネーションが方言っぽいのが特徴なんだけど、それが実際にどこの方言なのかよくわからんし、「九州弁のイントネーション」というのもわからん。
Vtuberオタクたちならとっくに解明してるものと思ったがググっても「特定の方言じゃない」というくらいでよくわからなかった。
京都弁が混じってる(と金魚坂本人も言ってる)らしいが、別に「京都弁だ」とはっきり感じるわけでもないんだよな(この増田は大阪人)。
VTuber金魚坂めいろの契約解除に関する対応がツイッターで話題になっていて運営会社がめちゃくちゃ叩かれている。
しかし、この件に限らず、個人の問題から発展したトラブルへの会社側の対応に本当に誤りがあったのか、というのは常々疑問に思ってる。
そこで各視点でどう見えていたのかを考えつつ、さっくり情報を整理してみた。
運営は本当にそこまで悪いのか?という疑問に自分なりの結論を出すためなので、色々端折ってる。
◎ロア視点
・独自に作った訛りが、金魚の訛りと似ている点からキャラ被りを不安視→運営に相談
・動画タイトルなどから自分を意図的に模しているのでは?と金魚に不信感が募る→Twitterをブロ解
・運営と金魚の話し合いが進んでいる様子が見えず、直接連絡を取る
・標準語で配信を行うつもりだったが、緊張でロアの訛りと方言が出る→運営から注意
・変更を試みたものの、意図した行動ではないため、改善が難しい
・運営に改善が難しい事を訴えたものの、認められず、追い詰められて辞めると宣言
・慰留されたため、残る
・復帰後、視聴者に休んでいた理由説明を行うために運営に許可を取り、暴露話をする
・前段で許可を取った暴露話にNGが出た事に不信感を抱き、卒業を決意(同時に鳴神に情報漏えい?)
・面接時点ではロアと明確に被る方言を確認出来なかったため、金魚を採用
・ロアからの申告を受け、動画を確認し、個性が被るという主張に正当性があったため、金魚に改善が出来ないかと提案
・その後、金魚から退職希望があり、受理したものの、退職を撤回したい旨の希望→これまでの経緯から退職の決定は覆さず
・鳴神の動画で金魚からと判断できる情報漏えいが確認出来たため、完全に解雇
■【全員の主張を出来るだけ汲んだ流れ】
①面接時点では金魚はロアの訛りとは異なる方言+標準語で受け答えをしていたため、採用
②標準語で話すことを意識して金魚は配信を行ったものの、ロアの訛りに近い方言が出る
④運営から金魚へ注意(恐らくここの伝え方or受け取り方が悪かった)
⑤ロアから見て変化がないように感じられたため、直接コンタクトを取る
⑥金魚が冷却期間を置いて復帰→暴露動画(恐らくここも運営と金魚の双方で認識の齟齬がある)
※※推測※※
④について
◎運営
キャラ被りしないように個性を変えてくれないか?と言うような事を言ったと思われる。また、面接では別地方の方言を使用していたため、そちらで対応出来ないかというような事を伝えたとも思われる。
⇒ キャラ被り自体を気にする事は商品(Vチューバー)を管理するという点で理解できる。が、そもそも本当に被っていたのか?という精査が甘く、被っていたとしても方言に限らず、よく使用する語彙やイントネーションなどの癖が簡単に治らない事への認識不足は否めない
◎金魚
自分の意思では変更が難しい点をいじってくれと言われているように受け取った。同時に自分で変えられないものを変更するように言う運営に不信感を覚え、運営が相手(ロア)に肩入れしているとも取り、運営・ロアのどちらの意見も聞き入れないという頑なさが芽生えたと思われる
⑥について
◎運営
所属ライバー間のどろどろした内情を暴露する事を許可するとは思えない。また、ロアに肩入れしているのであれば、ロアが絡んでいると匂わせるような事は一切言うなと釘を指すはず。
そのため、仮に運営がその件について許可を出したのであれば、(他のVとのいざこざを出さずにVを辞めようかと悩んでいたと言う程度の事なら)視聴者に休んでいた期間についての説明をしても良いという意図で許可を出したものと思われる
◎金魚
休んでいた期間についての説明をしてもよいと運営から言われていた場合、どのような内容でも話して良い、もしくはロアの名前を出さなければ休んでいた理由をほぼ正確に話して良いと認識したものと思われる
該当のVチューバー二人のファンではない、会社に勤める一社会人として、Vチューバーよりも運営を行っている社員にどうしても感情移入してしまう。
そのため、
状況をまとめてみわけだが、結果、ロアもそこそこ面倒なものの、金魚の行動は何倍も輪をかけて面倒くさいなーと思う。
完全に運営側に立って見てみると、
・面接の時点では別の方言を使用しており、問題の方言を出していない(運営からすると後出し。また、面接と言う一般的に緊張する場で方言を抑えられるなら、配信でも出来るのでは?と考えるのもわからなくはない)
・改善できないというだけでなく、運営に公式声明を出せと負担を強いる(内部で問題が起きている事を露呈する事になるため、声明なんか出せっこない)
・説明を拡大解釈される(説明の意図を正しく汲み取ってくれない)
・先輩に広く意見を求める、辞める辞めないなどで内部不和をもたらすような行動が散見される
とかなり扱いづらい人物だ。
担当者も早い段階で金魚が地雷だと判断していたのではないかなと思う。
運営の対応が甘い部分があったのは、確かだろうが、実績のあるロアからの指摘が入って視聴者からも同様の指摘があるのであれば何もしないという選択は出来ない。
かと言って運営から発表されている金魚の要求や行動を考えると、理路整然とした説明を受けて引き下がるようなタイプではないように見受けられるため、実質積み状態だったように感じる。
運営に明確な落ち度があるとすれば面接の時点で金魚の扱いづらさを読みきれなかった事、もしくはロアの不安定さを甘く見ていた事だろう。
完全に忘れたというわけではない。ただ、ところどころイントネーションがあやふやになってしまっている。
時の流れというか、漠然とした寂しさを感じる。
府民の方なら分かると思うが、あの辺りはもともと関西弁が薄い。もちろん、南大阪に比べて、という話なのだけれど。
中、高、大と進むにつれて関西弁を使いこなせるようになった。
今は地方中枢都市の会社に勤めているし、プライベートでも滅多に関西弁を出さない。
地元の友人と会う度に、自分だけが「大阪」という都市から疎外されている気がする。
やたらハイソな千中の駅前、だだっ広い万博公園、高校行事で無駄に長い距離を歩いたこと。