という話
これは長らく自分もそうだと思ってた
当たり前のように標準語イントネーションで話せるはず、とこれまでは思ってた
けど、それは当たり前ではないらしい、それなりに意識して訓練する必要があるらしい、と認識を改めた
自分は地元に愛着はあっても、周囲の言葉を無視してそのまま方言で押し通すような強いものはないし
それよりは周囲と言葉が違うことを引け目に感じる
だけど砕けた関東方言を話すのも逆に恥ずかしいと感じるので、努めて標準語に近い形で丁寧な言葉で話すようにしてきた
それが一番、違いが目立たないからだ
けれど地方出身者が必ずしもそうするわけではないのだなと、旦那を見て思った
旦那は九州の田舎出身で、東京に出てきて長いのに訛りが抜けない
私よりは地元へのアイデンティティが強く押しが強いところも確かにあるのだけれど
とはいえ客商売にもかかわらず、イントネーションが変わらないというのは、さすがに意図してやってるというよりは出来ないのだろうなあと思う
周囲と言葉が違うことが恥ずかしいと思う気持ちが私よりは圧倒的に弱くて、
伝わる範囲での最低限の矯正にとどまった、という感じなのではないかなと思っている
たまに「俺がなおし… 片付けるから」とか言ってるくらいの、通じない単語を置き換える程度の矯正というか、環境適応なのかなと思っている
要は、自分が当たり前に出来ると思ってたことは、周囲に合わせようと自分が無意識のうちに訓練していたからであって、恥ずかしいと感じないタイプの人はその訓練をしないのだろうなということだ
同調圧力がたりてない 方言をやめないのは環境が悪い