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2013-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20130613094716

「障害児を生むのが恐い」氏が抱える問題は、障害児に対する考え方の問題ではなく、つきあっている恋人をどれだけ信頼し恋人から信頼されるか、本当はダメ自分をどれだけ愛してくれるのか、という愛情問題に起因している。しかしたら将来自分は愛されないかもしれないという恋人との関係性が一番不安なのであって、そういう愛情に対する不安を「障害児が生まれたらどうしよう」という言葉表現しているにすぎない。 だから恋人との関係性が改善すれば、「障害児が生まれたらどうしよう」といった問題は自然と無くなる。

という意味で考えると、鬼畜馬鹿氏の議論がいかに的を外したトンチンカンな議論であったかがわかると思う。鬼畜馬鹿氏が敵意に近いあのような強い感情をむき出しにした理由は、おそらく「障害児を生むのが恐い」氏が抱いた恐怖感や自己否定感と似た不安感情をずっと持っていて、自分と似た部分を持った人が、安全であったはずの増田という空間でいきなり現れたことで動揺し、激しい嫌悪感を感じたからだろう。その心理は、はじめて鏡を見て興奮し敵意を表す子猫のような心理に近い。

そういう意味では、鬼畜馬鹿氏は「障害児を生むのが恐い」氏よりも可哀想な人だと思う。なぜなら「障害児を生むのが恐い」氏が抱える問題は、努力で解決できる問題であるのに対し、鬼畜馬鹿氏の孤独の深さや自己否定感は、努力で解決できるという保証は無く、精神病臨床医でも簡単には治療することができない病理からだ。(私は臨床医ではない。念のため) 

まあ、いずれにせよ、障害児が生まれたらどうしようという悩みは、努力ちょっとしたアドバイスで解決可能な問題で、そう心配する問題はない。障害児が生まれたら、その時にふたりで話し合って考えればよろしい。大事なことは、「障害児を生むのが恐い」氏が、いま愛している人と真剣に愛し合うということだ。増田で書いたり読んだりする時間があるなら、愛する人のために料理一品でも作る方が、ずっと早く確実に問題解決に近づくだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20130616155205

鬼畜所業によりこんな世界に生まれたくなかったと、おぎゃあおぎゃあって今でも哭いてるんだもんねw

2013-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20130615220340

出産頑張って下さい。

ただ、もし知的障害児が産まれた場合兄弟を作ろうとするのだけはやめて下さい。

それだけは本当に鬼畜所業なので。

もうすぐ子どもが生まれます

ここ最近盛り上がっている、子どもを産むことに対するネガティブな言説を読みあさってしまったが

私は来月出産予定の臨月妊婦だ。

子どもを産むことは鬼畜所業馬鹿、親のエゴ、生まれない方がマシ・・・

そんな言葉の渦のなかで、私のお腹からまた一人子どもが生まれようとしてる  

これらの増田には強く非難される鬼の所業だろう この増田共感するとブコメしてた人たちにも

私は20代のころうつ病にかかって、毎日死にたいと思っていた

同級生のようなキラキラした20代を送ることができず、引きこもって鬱屈としていた

それこそ、生まれてきたことが間違いだと思ったし、自分みたいな人間は生きる価値もないと思っていた

その時すごく思ったのは、こんなに毎日死にたいと思っているのに、どうして自分はなかなか死なないのかってことだったんだけど

何度か自殺未遂を試みるんだけど、どうしてもうまくいかなかったんだよ

怖くて恐ろしくて泣いてしまって、途中でやめてしまった。

あとちょっとだっていつも思うのに。そうしたら楽になるのに。

ネットで楽な死に方をいっぱい検索した。その手の掲示板に出入りして、死にたい人の集まりみたいなところで死ねない自分嫌悪していた。

自殺志願者を励ますような言説にたまに会うと吐き気がした。

それなのに。

死にたいと思うのと同時に、「怖い、やっぱり死にたくない」って思ってしま

死にたいはずなのに、どうして「死にたくない」って思っちゃうんだろう、だってこんなに生きることが辛いのに。

毎日朝起きることが絶望しかないのに。今すぐやめたいと思ってるのに。なんでこんな矛盾ちゃうんだろってすごく考えた

本当にさ、自分が心の底から自分意志で死にたければ、死ぬのが楽しみなはずだよね。

ワクワクして楽しみで、指折り数えて待っちゃうくらい。多少痛くたって怖くたって、気にならないくらい、楽しみなはず

でも自殺する人って、みんなためらい傷とかあって、死ぬのを周囲にほのめかしたりして、誰かに止めてもらおうとする素振りを見せたりしてる

死ぬ」という選択は「よりよく生きること」が否定されて初めて生まれるものから

「よりよく生きる」「楽しく生きる」「生きていて心地良い」が実現されない、「だから絶望して、初めて「死のう」となる。

生まれたことを賛美されなかった障害者は、死んだほうがいいのか

生まれてすぐ周囲から虐げられる被差別者は、死んだほうがいいのか

不細工は、性的不能者は、貧乏人は、部落出身者は、在日は、デブは、ゲイは、障害者

生まれて来なければよかったんだろうか

命そのものが悪なのか

でも、その人の死を望んでいるのは本当は誰なのだろう

世の中でうまく生きられない人が死を望んだ時、

本当にその死はその人の自由意志で選択された死なのか

誰かに、「よりよく生きること」を阻害された結果の、「押し付けられた死」ではないのか

死ぬことが楽しみに思えない以上、私は本当は「生きたい」んだと、20代の私は気づいた

「生きたい」のに、毎日のしく生きられない、生きるのが苦しいと思う。

「だから仕方なく死にたい」んだって

死にたい」んじゃなかった。私は、「よりよく生きる」ことこそを切望していて、それが叶えられないから苦しかったんだった

今、生きていること。

呼吸をしていること。

匂いかいでいること。

触れていること。

見ていること。

考え、感じていること。

それは、忌避すべきものでも悪でも善でもない。

ただただ、自分がそこに在るだけ。命そのものに、生きていることそれ自体、そこに絶望はないと思った

の子が、もし生まれたことを後悔して、死んでしまいたい、どうして生んだんだと私を責めたら

生きることが辛すぎる、こんなことなら生まれたくなかったと、残酷すぎると絶望していたら

あなたの命は、悪も善もない、ただそこに在るだけではないかと言いたい

あなたが生まれたことを後悔するのは、生まれてきたからではない

あなたが「よりよく生きたい」のにそれが叶えられないからだと

あなたが「よりよく生きる」ために、私は努力を惜しまないと 一緒に苦しんで考えようと

死にたい」と思うのは、「生まれて来なければよかった」と思うのは、「生きていたい」という切ない願いの裏返しだと

http://anond.hatelabo.jp/20130615110041

子ども本人には自身の出生を事前に左右する事ができなかったんだから、自身の出生自体を「鬼畜所業」などと断定する権利はない。

彼らは「生まれてきたくなかったのに無理矢理生まれさせられた」のではなく、「生まれてから生まれない方がマシだと思うような酷い目にあわされた」のだから、恨むべきは産んだ親ではなくそこに被害感情をもつ余地はない。

元増田の主張はそれを誤認しているので明白に間違っている。証明終わり。

http://anond.hatelabo.jp/20130615105451

親にはそもそも「殺して食わなくていいように子どもを作る」という選択はないんだからその理屈おかし

「俺自身は殺して食うように出来てるけどだからこそ子どものお前は殺して食ったりしなくてもいいように念じて作ったんだからそう出来あがってるはず、故に殺して食ってるのはお前自身の選択であり鬼畜なのは俺のせいじゃなくお前自身のせい、嫌ならやめろ」とか親が主張し始めたら受け入れなきゃなんなくなるじゃん

哲学者に頭おかしいのが多いのは確かだがこんな考えの足らんのまで哲学的主張に含めたら哲学に失礼だろ

http://anond.hatelabo.jp/20130615105114

「子作りすんな」っていう主張じゃなくて、「子どもを作るのは鬼畜所業」「生まれない方がいい」という主張

子ども本人が更に子どもを作るかどうかはその人のライフスタイルと思想信条に基づく自由についてという全くの別問題でありまるで関係ない

鬼畜所業とまで言うんなら作らなければいいじゃん、で終わり

あなた例の増田本人じゃないんでしょ?

内容読解ができてないんだから、そんなに必死に反論してこなくていいですよ

http://anond.hatelabo.jp/20130615104532

でもぶっちゃけ唯一神鬼畜だよな

「殺されて肉にされて食われるために牛を用意したよ!」とか言っちゃう奴だし

http://anond.hatelabo.jp/20130615104125

から

原罪の概念を「殺して食う自分鬼畜」という反省に持ってくるのはまだしも

「殺して食うように産みつけた親鬼畜」と言い出したら頭おかしいじゃん

「嫌なら食わないで死ねば?鬱陶しい」っていう話にもなるし、産みの親どころか唯一神から雷落ちるじゃん

http://anond.hatelabo.jp/20130615103827

人類まで敷衍しようと「私」は「私」。

なぜ生まれたことがあなた責任ではないと主張できるのか?

それは事前に防げなかったからです。

なぜ生まれたことが生まれた本人の責任ではないと主張できるのか?

それは生まれた本人自身には事前に防げなかったからです。

と書き変わるだけで、論理の根幹は変わらない。

増田の「鬼畜外道所業」というのは「生まれた本人」の立場からしか発し得ない台詞なので増田自身にも同じ論理適応可能で、だからこそ増田の主張は間違っておりアホ。という話に帰結するだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20130615103404

普通

殺されて食われたりしたら殺して食った奴を鬼畜だと思うわけであって

「生まれなかったら殺されて食われたりもしないんだから産んだ親が鬼」とかいうのは

ちょっといろいろこじらせすぎとしか

http://anond.hatelabo.jp/20130615102141

どこ読んでんだか知らないけど、全ての生が「悪」だって主張してるのはリンクされてるアマゾンの本の著者であってこの増田ではない。

実際に「私の責任ではない」と書いてるし後半は自意識の話だしそもそも「鬼畜外道所業」というフレーズの被害感からして、むしろ「私」の責任の有無以外の何事も語っていない。

2013-06-14

「生まれない方が良い」の現代性、正当性

子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

はじめに言っておくと全面的に同意する。

ずっと自分も考えてきたことだった。

そのうえで、この「生まれない方がマシ」というこの主張は時代性というか、現代体現しているように感じる。

なお、他の「生まれない方がマシ」言説として、学術レベルではこんなのがある。

http://www.amazon.co.jp/Better-Never-Have-Been-Existence/dp/0199549265

この人は比較最近知ったのだが、2ちゃんねるでもスレが建てられるなど、徐々に認知度は上がってきているらしい。

あとシオランは有名だよね。

話を戻すと、はっきり言って,少しも異常な議論だとは思えない。

快を善とし苦を悪とする功利主義的前提を徹底すれば不可避的に行き着く結論だからである

そしてこの前提、そして言うまでもなく「他者危害原則」が現代スタンダードからである

他者危害原則は、普通愚行権(「他人に迷惑かけなければ何やってもいい」)という話だが、裏を返せば「他人に迷惑かけることはしてはならない」ということでもある。そして、出産とは根源的な他者危害行為である

というか、他者の存在のもの害悪なのだ

「生まれない方が良い」の現代

すでにその一部を書いたところだが、根本的には「ネオリベ」。これに尽きる。

「なんだまたはてサか」と思わずに聞いていただきたい。

話は簡単である

現代とは、社会の改良(福祉的な方向での)に対する希望がまったく失われた時代である

というか“社会存在しない”ので、そもそも改良することも、異議申立てをすることもできない。

こうして一切が「自己責任」となるなか、昨今の科学的知見は、遺伝子・幼少期の環境といった本人にどうしようもないレベルで「人生運ゲー」というミもフタもない事実を、私たちに突きつけてくれる。つまり自己責任」とは自由意志がどうのといった話ではないのである

資本主義はもう近代自由主義とも無関係になってしまった。

しかし、唯一これだけは私の責任ではないと主張できることがある。

しかもそれは事前に防げたことである

もちろん、生まれたことである

まずはこれがひとつ

(なお、これに対し、「現に生きていることをもって出生の事後承諾とみなす」という主張が考えられる。裏を返せば「生まれたくなかったんなら、死ねば?」というわけであるしかし、自らの意志によって生まれたのでない者が、自らの意志によって死なねばならないとは甚だ不条理である。というか、この場合、死に方については論議できない。つまりその人が「大量殺人を犯して死刑になる」という死に方を選んでも文句は言えない。実際、この種の通り魔たちは<生まれない>という行為?に及んだのだと私は考えている。私のいう<生まれない>とは、あらゆる自発性・主体性能動性の拒否であり、したがってその者は「生かされる」か「殺される」しかない)。

自我に倦む

現代自意識肥大していく時代である

これはさまざまな要因が絡んでいるが、ぱっと思いついたものを挙げるとこうなる。

①個人化

生活上の選択肢の爆発的増加

生活の具体性の消滅

最後のものだけ説明すると、人類は生まれてこの方、空間時間を縮めることに専念してきたといえる。

少しでも速い移動手段を求めた。空間を均質化し、通信技術を発達させ、どこにいても同じように振る舞えるようになった。

あらゆる場所は「ここ」になり、あらゆる時は「いま」になった。

「いま、ここ」とやたら耳にするように、実のところ時と場所とが極限までに抽象化されてしまった。

こうして「私」が場所と時にかかわらず重要になったのだ。

ところがこの「私」とは主観的には唯一存在だが、客観的には「いま」「ここ」と同じくらい抽象的なものである

まり「私」にも何ら内実は伴わない。

自我の内実を埋めてくれる具体的な生活空間経験は、多くの現代人には得がたいものになった。

やがて人々は「私」にウンザリし始めた。

思えば、多くの娯楽作品が「私の抹消」を描いてきたのは、偶然だっただろうか?

このテーマ近年になって伊藤計劃ハーモニー』が完成させたのだが……私自身の話をすると、自分のなかの「モヤモヤした気持ち」を「生むという鬼畜外道所業発見」にまで至らせてくれたのは、ほかならぬこ小説であった。

英語でも日本語でも、生誕は受動態で語られる。

では、人間はい能動態になるのだ? 

あるとき「なった」と勝手に見なされるだけだ。現代人は何よりもまず、自由を強制されている。

自由の強制から逃れ、自由から自由になるために、「生まれないこと」を要求する人は今後も増えるだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20130614154659

そのお二方にスターをつけたので書こうと思ったが文がまとまらなくなってしまったので要点だけ。とか言いつつやっぱ長くなった。すみません

自分は「子供を作るのはエゴ鬼畜馬鹿所業である」は正しいと思っている。でも『それだけ』が真実だとは思っていない。

子供を作るのはたいがいの生き物があまり深く考えんと概ねやっている自然行為である」ことや、「子供を作るのは幸せで種族反映の目的に叶った正しい行為である」ことと同じくらい、当たり前に並び立って存在する事実なのだと考えている。

エゴで〜」だけではこの世はただの地獄になってしまう。「たいがいの〜」だけでは人間が理性と避妊概念を持った生き物であることと矛盾してしまう。「幸せで〜」だけではこの世に不幸や苦しみを伴う死が存在している現実無視してしまう。

どれかひとつけが正しいとか、これは間違ってるから除外しようとか考えてはいけないものなのに、そこを見落とすから立場の違う人を傷つけたり、価値観押し付け不快にさせることになってしまうんじゃないかと思った。

キリン逆立ちしたピアスの人が「たいがいの〜」「幸せで〜」という繁殖の一面だけを押し付けられて不快になったのと、ブコメ元増田を非難してる人たちが「エゴで〜」という繁殖の一面だけを押し付けられて不快になったのは、まるっきり鏡合わせのように同じことが起きただけの話じゃないかな。


そういう意味ブコメの反応はある意味素直というか、元増田の主張を「子供を作るのはエゴ鬼畜馬鹿所業である。これだけが唯一絶対無二の事実である」とストレートに読んでいる(あまりに過激な文体なので脊髄反射でそう読んじゃった)人が相当に多いように感じた。

増田もおおもとの増田を子作り否定派だと誤読しているようだけど、それは読み違えで「子供を作るな、子作りは悪だ」という主張は元増田ではされていない。ただ「作るなら不幸の可能性から目を背けるな、正当化するな」「『それが出来ないなら』作るな」ということだけしか書いていないんだよね。

つか元増田って2chの「子供作る奴が一番子供のことを考えていない!」スレやその姉妹スレのまとめだと思う。親に産まなきゃ良かったって言われたとかの下りも実際は元増田経験じゃなく、名無しの誰かがどこかのスレに書き捨てたことの焼き直しじゃないかと。特に後半は句読点の付け方や文体もばらばらだし。

この記事にブコメ同意してる一部の人たちへ

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

スルーまたはフルボッコされて終わりかと思ったらそうでもなくてびっくりした。

以下のブコメおよびそれにスターをつけた人に考えてほしい。

id:tai21

かなり自分意見に近いのでブコメで納得できる反論を期待したけど、投稿者が馬鹿にされたり中二病扱いされたり心理分析をされるなど、「子供を作るのは良い、または普通」の価値観が前提になってて凹んだ。2013/06/14

子供を作るのは決して当たり前ではない。産まないという選択もあるよ」というのは個々の人生なので構わないが、それがいきなり「子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿。」となるのはどう考えても飛躍しすぎだろう。そんな元増田にたいして「自分意見に近い」ということはあなたも子作りする人間鬼畜馬鹿と考えているのだろうか?

後段の「「子供を作るのは良い、または普通」の価値観が前提になってて凹んだ。」についてはどのブコメがそうなのか分からないが、少なくとも人気コメントに上がってきているものの中には、そういった価値観が前提になっているものは見当たらなかった。それ以外のブコメで散見されたということであれば凹む気持ちは理解する。

id:Sion96

全部読んだ。子供を作ることは100%親のエゴで、子供のことなんて考えてない。変に子供を作ることを美化したり、正当化するなって主張。同意する。その通りだと思う。2013/06/14

これも上と同じで「変に子供を作ることを美化したり、正当化するな」と主張したいならそういえばいい話で、そうではなく「鬼畜馬鹿」と言っている元増田同意するのは飛躍しすぎでおかしな話だ。

生物学的な話はさておき、現代社会においては「子作り≠当たり前」というのは一般的な価値観となりつつある。そんな中で依然として残る子作りしない人に批判的な一部の意見に、子供を作らない/作れない人たちが反発したくなる気持ちはよくわかる。しかid:tai21氏とid:Sion96氏の場合は反発が先鋭化しすぎて「子作り=鬼畜馬鹿」(という元増田同意してしまう)まで振り切れてしまっているところは問題ではないか

元増田のような極端な主張に同意を表明することは、多様な生き方が認められるべきと考えている人間がとる行動としては矛盾しており、考えが足りない愚かな行為だ。

あなた方が子作りを否定する考えに同意するならば、子供を作らない生き方も同様に否定されても仕方あるまい。そんな社会で本当にいいのかよく考えて欲しい。

あるいはもし以上が私の思い過ごしで、「多様な生き方なんてどうでもいい。子作りはすべきでない」と考えた上でのブコメであれば、なにも言うことはない。このエントリ無視して欲しい。

最後になぜ元増田意見せず、ブコメ意見たかについて。

元増田意見は是非はともかく、子作りを否定している点において一貫しており、こんなことを考える人もいるのかといった驚きを感じた程度で、反論したい意見したいとまでは思わなかった。

ブコメおよびそれにスターをつけた人たちに対しては、矛盾に無自覚な点を指摘したくこのエントリを書いてみた次第。

http://anond.hatelabo.jp/20130614150336

そうだ。

人間が生きていていいことなんてない。

幸せエゴの発露だ。これを是とする奴は鬼畜だ。

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

人間はいなくなればいいってことですか?

もしくは、鬼畜が産んだ不幸=人間からいらないよねってこと?

中学生くらいの時そういえばこんなこと考えてましたなぁ

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

懐かしい。

いから失礼ながらちゃんと読んでないし、正直時間無駄だと思いました。

そもそも正しいか正しくないかなんて基準自体が今の私にはよくわかりません。

自分が正しいと思ってたら正しいんだろうし、子供が欲しくないならそう思ってればいいと思います

ただ生んだことを罵倒するには些か根拠が弱すぎるとは感じました。

(相手を鬼畜かバカだと断定するのは罵倒と捉えられても仕方ないと思います)

生まれた子供幸せだと思ったらこの罵倒はどこにいくんでしょう。

幸せだと感じる子供の親は鬼畜か?

この理論はその子供においては正しいとは明らかにいえないということになりますよね。

つの世の中だって生きやすくはなかったはずだし、今だけが生き難いということもないのではないかな。

あと、未来のことをおそれるあまり何もできないと、死ぬ間際に後悔しそうで私は嫌です。

人に迷惑をかけずに生きることも結局のところ不可能なのだから

自分道徳の許す限り自由に生きたほうがいいとも

生むのが親のエゴだということには同意しますが、そういう感情的な話を排除したら、生む事自体は

生き物として責められる行為ではないとも思います

子どもというのは一人で生きられない時期をすぎれば親とは違う単独の生き物だと思います

私が今どちらかというと貧しい生活をしているのは親のせいではないし、

学費返済の為に貯金がほぼ無いのも親のせいではない。

親は親という独立した個体で、私はわたしの好きなように生きていく権利をもらっただけです。

勝手言い草ですけど、結局は親離れできてないのではないかしら。

どんなご境遇でいらっしゃるのかはわからないけれど自分が恨んでるから親は鬼畜馬鹿だと断じているように見える。

親にひどい重荷を背負わされたのなら理解できる考え方ですが、そんな人ばかりではないので一般化できない意見だと思います

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

産むかどうかではない。産まれるかどうかだ。

親は子を選べないというのは知覚概念で「産まれている」ことが前提だ。

産む産まないもそうだ。

既に産まれている。

子は親を選んで産まれてこれるかといえば否だろう。

気がついたら産まれているわけだ。

生まれなかったら気付くことはない。





皆気がついたときには地獄に落ちてきているわけだ。前世や他の惑星では知らんがこの地獄でどう生活するかその価値観は知らない。




ここに産まれて来たと認識できた時点がスタートだ。

これから地獄の住人を増やして寂しくないようにしよう。そんな風に考える生活もあるだろう。


生まれた子供のことはどうたらこうたら考えたり親がするものなのか。

自分地獄に引き釣り込んだだれかというのは子供のことなのか。


そんなことは知らん。地獄の淵で這い上がろうともがいてつかんだら人の足だったって話だ。


産まれて来た子供だって自分と同じ処遇なわけだろう。どこからともなく地獄におちてきた。


親のせいとしたいところだが、何千年何万年と前からつながる連鎖の結果で自分が発生したという地獄の淵で足首のつかみ合いの結果自分も巻き込まれたって話だろ。


自分の親一代が何億年とつながる生命連鎖反応を起こしたわけじゃないだろう。

親の親の親が産まなければ結果自分は生まれてこなかったわけだ。



産むかどうか考えて結果産んだり産まなかったりしてもいい。産まなければまた産まれなければ産まれてこないだけ。




地獄が終わるときには地獄に投下される人口ストップするだろう。それはせいぜい100年足らずしか生きられない人間コントロールできるところではないだろう。

何億年と続いた地獄の釜の口が塞がりますとなったら産まれてこないだろう。



産むことが幸せ子供が愛らしいといった感情も自ら規制して「子供をまもるため」という理由で制限していっている。地獄の釜の口も狭まってきているのかもしれない。




なにをどう考えても産まれるときには産まれる。親が考えた考えてないとかいう人ひとりの抵抗で地球という地獄に抗ってもその勇気を称えられたり結果がでたりするものではないだろう。






産むかどうかとか知らん。どうでもいい。殺すかどうかとか盗むかどうかとか勤勉に励むかどうかとか友愛に勤めるとか知らん。どうでもいい。



ただどうでもいいけど結果なぜかしら産まれてきてしまったわけだろ。


同じ地獄に落ちたもの同士でもがき合うだけだろ。

人が人を産むのも人が人を殺すのも出来るわけだが人が人類の発生を停止させたり行動を統一したり人類創造したりすることはできないだろ。


私たち地獄を作っているとかいう大層な世界観ではなしに自分たちの生まれてから死ぬまでの経験すべてはこの地獄で起きてる悲惨な現象ということだけだ。

たまにいいことがあるからとか幸福なことがあるからかいうこともあるだろうけどそれは親がつくってくれたもの人類が作り上げたものなのか。

地獄におちてきた自分がそこで見聞きした風景を語っているにすぎない。






まり幸福で満ちている世界ってのはここじゃないってだけの話だ。自分たちの幸せ子供が生まれるのだとしたらここじゃないってだけの話だ。


自分が生まれてくるのが幸福にあるのだとしたらここではないどこかだって話だ。


地獄法則その1セクロスを執り行って肉を孕むという悪行をなしたものはそこに招き入れられる魂をこの地獄に引き釣り込むって話だ。

ほかにも地獄になんらかの形で落ちてきた魂を搾取すると呪われるため地獄に据付の植物しか食べてはいけないとか会則もあるぞ。

ということで世界は神の世界から鬼畜世界までいくつかに分かれてそれぞれにシフトしたりとかいオカルトとか妄想古代から人間にはあるわけで今しっかり「生きることの不幸」を熟考しても気がついたら「それ先に考えて結果なんかほんのりいい感じに仕上げてるやつがいる」と洞窟を掘っていったら先住民の高度な文明を見つけるみたいなことになるので嵌まるなら先に宗教はどの系統にするか考えておけ。

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

うっかりマジレス。というか思ったことを忘れないためにメモというか。


前提。

子供産んだ。なんで生むか産む前に考えた。親にもいろいろ聞いた。

私個人は割とのほほんと生きてたタイプから元増田とは全然違うだろうとは思うけど。

それだからこそ書いておきたい。


私は私のために子供産んだ。間違いない。子供いたら楽しいだろうと思って産んだ。

増田から見れば鬼畜だし、子供から見ても鬼畜になるかもしれない。(今のとこまだ鬼畜とは思われてないと思う)

から責任もって子供幸せにするために頑張ってる。子供にとって正しいかからないけど、

からないなりに子供の様子見ながら頑張るしかないと思ってる。


私自身は親を呪ってない。人生けっこう楽しいし、要するに現状を肯定しているから。

産んだことを特に感謝してるわけじゃないけど、大事に育ててくれたことは超感謝してる。


あなたが書いたことはあなたにとっては真実かもしれないけど、

私にとっては真実じゃない。

私と子の関係においても(とりあえず今は)真実じゃないし、私と親の関係においても真実じゃない。


増田が言うとおり、不幸も鬼畜もそれぞれの人にとっては真実であり、可能性だ。

だけど真実であることと可能性であることは大きく異なる。

少なくとも私と親の関係のおいては可能性というより否定だと思う。今後の不幸は親のせいじゃなく私のせいだ。

要するに、あなたにとって真実からといって、世の中の親が全員そうだと一般化しないでくれ。

増田に書き込むのは鬼畜所業。それか馬鹿

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

あなた増田を読んだことで不幸になる人がいるかもしれない。

増田に書き込まなければそんな可能性は無かった。

から増田に書き込むべきではない。

あなた友達になったことでその人が不幸になる可能性がある。だから友達を作るべきではない。

あなたはなしかけたことでその人が不幸になる可能性がある。だから誰にも話しかけるべきではない。

「他人の人生を巻き込むな」って、

要は「誰にもかかわらず一人で生きろ」ってことだよね?

でもそんなのまず無理だし、つまりは「生きるな」って言いたいの?

まあでも、「子供を生むのは親のエゴ」には同意

からこそ、親はできるかぎり子供幸せになれるよう努力すべきだし、それをしない親は虐待といわれても仕方ない。

http://anond.hatelabo.jp/20130613154103

勝手に産むのは親のエゴかもしれんけど、生まれた子供が生きるか死ぬかは子供勝手。生まれてきたのが嫌なら勝手死ねばいい。

極論を言ってしまえばそこまで親が責任を持つ必要はない。

 

子供は嫌なら勝手死ぬことができるけど、親は嫌でも子供を殺すことはできん。死ねないのは子供の問題。

そういう意味では子供にとっては本来ほとんど勝ちしかないゲームで、どっちかっていうとギャンブルなのはしろ選べない親のみ。

死にたい人は死ねばいいけど、生まれてきたい人がいるならその機会を与えられるのは親しかできん。

そういう意味では産むのはある意味義務のようなもの子供が選択する機会を与えられたことに文句をいうのは筋違いのような気がする。

  

なので親が計画して子供を産むってのはエゴとか鬼畜からくるものではなくて親のみリスクを背負う方務契約みたいなものから

本来途方も無い愛情からくるものになるだと思う。まあ初めから嫌なら生まないだろうけど。

 

というか死に恋焦がれているのになんで寿命による死を悪いことと捉えるんだ?

そもそも生きていない(生まれていない)状態は死だろ。生きてなけりゃ死んでんだよ。希望が叶うならば自分は苦楽ともに生きることに十分満足して寿命とともに死にたい。もしくは勝手死にたい寿命がなかったら元増田が恐れている自殺をしなきゃならんのだから寿命という機能が付いていることは人によっては制限だろうけど、考えようによっては人生に潤いと安心を与えるプレゼントみたいなもんじゃいかな。

 

ちなみにあえて増田論法に沿うと、人によっては子孫はある意味では自分の一部になるので、人によっち子供を産まないのは親殺しの親不孝や自殺同意義。増田の通り生きるも死ぬも自由だよね。けど生きたい奴を無視して産むなと言って、死にたくない奴に死ねというのはこれも不条理。産むなは子供の都合。そもそも死ぬ思い切りも持ってないからどんなに勝ち目が有る賭博でもなんでも出来ねえと思うんだよ。

 

結論としてエゴといや親のエゴだろうけど、子供に取っては機会が与えられるだけで本来win-win関係になってエゴ押し付けには成り得ないだろうと思った。まあ反論が書きたいだけで少しはわからんこともないのは確ちゃ確か。

2013-06-13

子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿

子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリン逆立ちしたピアス

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716

子供を作るのは鬼畜所業

両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります

子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。

作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。

この増田趣旨

子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。

この観点から子供を作るという事について述べます

これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要観点であると思われます

この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。

特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います

というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。

「子作り」とはどういうことか。「子作り」とは全て自分の都合。

「子作り」とはどういう事か。

よ く 考 え て く だ さ い。

生まれた子供はどういう目に遭いますか?

また、どんな目に遭う可能性がありますか?

想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。

また、親の想定外幸福も有り得ますが、

想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。

自分の子に限って…」とか「ウチは大丈夫」とか…。

本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。

全ての苦痛は生まれる事によって生じます

悲惨な状況を色々とイメージしてください。

生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。

子供悲惨な目に遭った時。原因は誰にあるのでしょうか。

どんな場合でもハッキリ言える事は、

親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。

親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。

この問題から逃げないでください。

子供が欲しい方へ。

何故子供が欲しいのか、よく考えてください。

考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。

子作りは2つの意味博打である

一つ目はまんま、「子作り=博打」。

即ち、親の目的は己の利益利益を得られるかどうかは運に依存する。

賭け物は子供

要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。

賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。

賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。

(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)

二つ目は、「人生博打」。

即ち、子供人生がどうなるかは博打的要素(運)に依存する。

生まれた子供博打に強制参加させられ、

勝てば(運が良ければ)幸福人生を。

負ければ(運が悪ければ)苦痛に満ちた人生を送る。

(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)

子作りとは、この2つの博打を別々に行う事と理解して欲しい。

この博打の性質として、一つ目の博打二つ目博打も常に絶えず打ち続ける事になる。

その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である

まとめると、

己の利益を求めて親が子供を作る。

の子供は「博打人生」に強制参加。

せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。

子供への思いやりが無いからこそ子供を作る』

子供を作る事を決定するのは両親である

そして、実際に交尾をして作るわけだ。

では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。

交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。

可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。

その辺は理解出来るよな?

例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ日本人の男女が子供を作る場合その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップル子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えばこの世では、病気、障碍、事故犯罪災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。

子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」

と思って子供を作るわけだ。

子供を作るとは、そういう事である

子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険子供に「無理やり」背負わせるのだ。

子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである

『子作りは子供への死の強制である

まり子作りは殺人であるという点について。

別に法的な話をする気はない。

出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。

生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。

事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。

人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから子供死ぬ

出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。

人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。

だが、親はその時期に子供死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。

そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。

『つまり…』

人生子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。

この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。

それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。

わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、

そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。

子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。

しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。

ありがちな反論に対するあらかじめの反論

反論

何を不幸と感じるかなんて子供主観次第では無いのか。

どんなに悲惨な状況であっても

それを幸福に感じる子供も居るかも知れないだろう。

反論に対する反論

その通り。逆に言うならば、

どんなに恵まれた状況であっても

それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。

子供が不幸になる可能性」とは、

子供が置かれる環境に対しての言葉では無い。

子供主観が不幸を実感する可能性を指した言葉である

反論

子供を作らない事もエゴなのではないか

反論に対する反論

エゴですよ。

子供を作らない場合

自身のエゴによって子供が不幸になる事は無い。

子供を作る場合

自身のエゴによって子供が不幸になるという事態が起こり得る。

あなた子供自分エゴ犠牲になる事を容認するのか?

ここではそういう話をしているのだ。

反論

まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。

反論に対する反論

「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。

本人の主観依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである

強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である

絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。

まり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。

よくある出産のケース

世間体タイプ

自分の考え、例えば「子供が欲しいか、いらないか」などを

自分たちで真剣に考え、きちんと相談し合ったことが無く、

子供作らないの?」「孫の顔を見せろ」などという外圧

ただ流されるままに子供を作ってしまタイプ

感情的タイプ

避妊具の存在も知っており、使い方も知っている。

将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。

だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で

己の「ほとばしるもの」におまかせのタイプ

自分では情にあつく、人間味があると思い込んでるが

他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。

現実逃避タイプ

感情的タイプの親戚のような存在

子供でも産めば何か変わるかもしれない」という

何の根拠もない理論に任せて出産するタイプ

「今自分がすべきことは他にある」という現実からは逃げ

手っ取り早い一人前扱いにすがる。

たいそうな目標を持って海外留学に旅立ったはずなのだ

留学先で男を作り妊娠、当初の目的も半端のまま帰国し

シングルマザーになるような者もここに分類される。

ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで

己の人間としての中途半端さをごまかすわけである

これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。

無能連鎖タイプ

自分が駄目だったか子供に期待するタイプ

駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。

いくら期待をかけても、結果も親そっくり。

そんな基本的なこともわからず、無意味連鎖を繰り返す。

自己実現利用タイプ

子供自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ

おかし名前をつけてみたり、下品なブランド物を着せてみたり

自分趣味押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ

彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である

お国の為タイプ

上記のような理由だけではかっこ悪いか

社会貢献などを持ち出して、さも自分先見の明があったかのように装い

己の人生歴史を美しく書き換えようとするタイプ

子孫を残したことしか自慢するものがない冴えない男親や

子供を育てたことぐらいしか自慢するものがない主婦に多い。

科学者タイプ

「何億もの精子の中で自分が選ばれ生まれてきた」

生命神秘「奇跡」などと、現象の面白さばかり取り上げ

「そうして生まれてきたもの果たしてどれだけのものなのか」

という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、

ただ己の好奇心にのみ生きてるタイプ

・番外編・ オカルトタイプ

「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ

自身の信仰する宗教宇宙観を押し付けるのもこのタイプ

よくオカルト世界では「人生は魂の修行の場」と言います

なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?

前世の罪を償う為」という理屈もよく聞きます

善悪なんてものは元々人間ルールとして決めたものに過ぎず

人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに

魂を管理する神はずいぶんと粘着体質ですね(笑)

私が神ならもっと良い修行方法を考えますがね。

よくも産みやがって

強制的にこの世に産みだして、面倒見るのは可愛い子供の時だけ

大人になれば人生の大半を労働に費やすことを義務とされ

何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う

頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても

最期は大半の人間病気なんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う

こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己

自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない

生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

生まれる事幸せ、みんなで子供を守る見たいな倫理観。

でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

みんな辛いのか・・・矛盾

基本、生るの幸せしか言ってはいけない。

別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任

でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。

助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。

支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。

あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。

その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。

から、そんな理由で産むな。と言ったことがあります

傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います

そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

とも言われました。

この負の遺伝子はここで終わらせるべきだと思っています

でも産まれてきてしまったので、自分死ぬのは怖いです。

怖い思いして自分死ぬ為に産まれたのなら、

最初から産むな。って気持ちです。

寿命いっぱい、希望も無いのに、自分だけの為に働いて

自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います

そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。

産まなければ何も起きなかった

そもそも子供を産まなければ何も起きなかった

頼んでもいないし産む必要もない

根本の問題から目を背けるのはなぜだろうな

自分も将来同じ罪を犯すつもりでいるから?

親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?

この世界地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな

全て消化され記憶に残るのは成功例だけか

中絶される胎児が羨ましい

自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると

心底怨みがこみ上げてくる

親が産まなければこんなことしなくても良かったのに

自殺しなくても、どうあがいたって最後死ぬ

そのとき自殺よりもっと苦しむかもしれない

子供を産むことは人殺しと変わらない

どうして私の子がこんな目に

子供がひどい事故や事件、病気などになり

「どうして私の子がこんな目に」

という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。

 

”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。

何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。

運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。

 

子供を産む行為、それは子供がこの世界で”こんな目に”いや

”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像覚悟するべきだ。

「私の子に限って」なんてのはそれこそ身勝手な妄信。

でもこれらを全て受け入れて

それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。

 

ああ、だから麻痺して思考停止状態で産めるのか。

それが人間の、種の本能的な仕組みなんだな・・・残酷すぎる。

同情することない。

子供を産んだら生まれてくる子供が苦労する。親も苦労する。

から子供を産むべきでない」と主張すると子産み派は、

  ・そういう考えはネガティブ思考だ

  ・人間苦労して成長する

  ・人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともある

  ・頭でっかち

  ・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの

  ・うつ病じゃないの

と、偉そうなことを言うのである

しかし、実際に苦難・災難が子供自分自身に降りかかると

  「どうして私の子がこんな目に」

  「どうして私がこんな目に」

とこうである

本当に都合のいいおめでたい頭してるわ。子供産む奴って。

子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。

  「ポジティブ思考で苦しんでください」

  「人間苦労して成長する」

  「人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともあるでしょ」

と言ってやればいい。

子供自殺する、これもまた自然のうちだと。

親の都合と自然の欲求で子供を作るのだったら

いつ子供自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。

自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合

子供の意思で死ぬのを許容してほしい。

確率でも自殺はあるので、どうかお願いですから

親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。

子供自分死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。

不良品は廃棄されるものなのですから

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。

「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。

最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。

それで何の問題も無い。

生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。

生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。

ただ、言える事は、

生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。

人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、

人生を悲観して絶望しながら生きるヤツになるかも知れん。

子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。

何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。

子供の事なんか考えちゃあいない。

この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。

美化などしなくていい。

子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」

と思えるヤツだけが子供を作ればいい。

子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。

この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。

どちらにしろ自分のためだが、

自分のための行動に子供を巻き込むのか、巻き込まないのか。

その点が異なる。

子供を作る事が一番子供の事を考えてない

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?

自分子供を作った時or作るとしたら

どんな心理でか考えて見ればいい。

どう足掻いたって自分(親、今生きてる側の人間

の都合しか出てこない。

子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。

そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。

子供を作るなと書いてる訳でもない。

ただありのまま事実として

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

これがあるよね、ってだけだ。

不条理

子供を作ることを是とすると不条理が生じる

子供を作ることを非としておくと不条理が説明できる

それだけ

矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿勝手にすればいいだけ

不条理も込みでね

作ることを是とするために正しい見解を捻じ曲げてはいけない

2013-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20130525112359

釣りだと思うが

ということを書くと「二次元は性欲の発散が云々」とかいう連中が湧いてくるけど、ソース呈示を求めるといなくなる。

立証責任は禁止する側にある。二次ポルノ規制によって鬼畜犯罪が防げるというソースを提示しろ

2013-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20130517222849

まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。未婚化は進むかも。

そして欠陥が判っていて政策が通った場合、同時に「政策を通した=国民としてその政策にある程度合意した」と見なされるため、「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。

女は必然的に流れに従うか或いは逆らうかに分類されるが、男はそもそも流れの渦中にすらいない。

>まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。

なんで断言できんだよ。お前は預言者か何か?お前の中では、晩婚・晩産の原因は「社会的環境が整わない」と「男に覚悟ができない」”しか”ないんだな。ある現象が起こるのはいくつもの原因があって起こると思うんだけど。俺が思うほかの原因は「適齢期の無知」な。俺だって「適齢期の無知」が改善されれば、晩婚・晩産が”すべて”解決されるとは思ってない。原因の”ひとつである「適齢期の無知」を解決すれば好転(=歯止めがかかる)するかもと思うから女性手帳を支持しているだけなんだが?

>「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。

もう一度言う。お前が批判されることはないか安心しろ

>晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。

晩婚・晩産した人は勝手にどうぞ。不利益を被るのは自分だし、高齢出産で苦しんでいる人を叩くような鬼畜人間ふつうはいない。

「適齢期を外れた女性結婚できなくなる問題」と「男が無知で終わってる問題」を意図的に混同している。

かっこつけただけじゃん。説明になってない。

全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。

客観事実とは「そう思う」人数が多いか客観事実なのではない。「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、ある特定の不利益の黙殺はすべて上から目線である。これは誰がどう思うかで変化することではなく、論理的にそうなのである

それがわからないと、「こいつは頭が悪いな。幼稚だな」と思われるよ?

>全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。

知ってるよそんなこと・・・。そんなわかりきったことわざわざ書かなくていいから。

客観事実とは「そう思う」人数が多いか客観事実なのではない。

客観事実とは「”みんな”がそう思うこと」って書いただろ?なぜ”人数が多い”に変えた?おまえわざとやってるだろ。

>「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、

脳内ソース乙。「上から目線」を辞書で引いてから出直せ。

どこが論理的なんだよ。「私がそう思うからそう」って言ってるだけだろお前は。

何も変わらない。「不適齢期だから子どもを産むな」という従来の学校教育に対立する「適齢期だから子どもを産め」という女性手帳の内容、という対比にすぎない。

気に入らないなら「適齢期に」と読み替えても良い。

「適齢期だから子供を産め」→適齢期になったら有無を言わず子供を産め

「適齢期に子供を産め」→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産め

何が変わらないんだ?

年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保証にはならない。

適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、実際責任が取れるようになっているかどうかは誰にもわからない。どうすれば確実に責任が取れるようになれるかさえわからない。

そのルートを提示することができないのならばそれは教育足り得ない。

責任が取れるようになったら適齢期に子どもを作れ」は指示であり教育ではない。

>適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、

その通り。責任が取れないなら子供は産むな。

>そのルートを提示することができないのならばそれは教育足り得ない。

いや働いて子供を養えるだけの経済力を得ればいいだけだろ

議論というのは授業において、子どもたちが「適齢期に子どもを産む」という解に辿り着くには「どうすればいいか?」を検討する議論のことだ。

先述した通り女性手帳の内容と現在性教育内容とは真っ向から矛盾するので、授業で深く掘り下げて取り扱うことはできない。元々の設問が悪すぎる。

敢えてやるのが筋というものだが「大人は馬鹿無茶苦茶を押しつけてる」と言われたらぐうの音も出ない。

から手帳の配付で事足れりとするばかりで、性教育の内容を充実させるという方針は出てこない。

>先述した通り女性手帳の内容と現在性教育内容とは真っ向から矛盾するので、

女性手帳の内容→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい

現在性教育の内容→子供を養えないのなら子供は産むな、つまり、養えるようになったら産んでよい

合わせると→子供を養えるようになったら、高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい

どこが真っ向から矛盾してんだ?

「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。

お前は代わりに性的マイノリティに向かって「年をとると子どもは産めなくなる。これ特に女性は絶対知ってなきゃいけないこと」と吹聴してこい。

>「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。

おし、言って来い。テレビドキュメンタリーで見たからな。「ネット検索すれば情報を得ることができたのだから、それをしないのは自己責任。たとえお前が高齢出産で苦しもうと、受け身であったお前の自業自得」ちゃんとこう言って来いよ。

お前、負けず嫌いだなあ。悔しいから俺が言ったことの文字を入れ替えて反論してんの?違うというのなら、自分言葉で反論してみろ。

あと、お前は論破した気になってるけど、してないからな?無駄に堅苦しい言葉を使ってそれっぽく論じているだけで穴だらけ。ところどころお前の思い込みも見られる。

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