はてなキーワード: 迷彩服とは
チートですかね。
なぜならば私はチートというのはプログラム仕様上可能かどうかにかかわらず、
たとえば、見た目にのみ影響を及ぼすとしても迷彩服というアイテムは、
設計書の中では視認性を落とすことでそれを持つプレイヤーに優位をもたらすという定義が
されてるはずなんだよね。
しかし画像認識フィードバックを使えばその優位性を消すことができる。
これはやっぱりルールの不正な回避であり、チートだと思うのよ。
上位プレイヤーが迷彩服を着てる人を目ざとく見つけられるとしても、それは注意力などのリソースを
そこに費やしているからであって、そこをノーコストで実現するツールを使っていいという話には
ならないと思う。
豪華客船の状況が報道され、どこぞのコミュ症と呼ばれた先生がYouTubeに動画を投稿した時、この騒動は自分と関係しないものとたかをくくっていた。コミュ症先生が日本の危機管理にはプランBが無い、などと警告していた時、自分は鼻をほじりながら「本堂町ちゃんはアリ寄りのナシかな」などとのん気なことを考えていて、まさか自分が意味を痛感することになるとは思っていなかった。
普段は包丁を作っていたような自分が、兵器開発局っぽいところにあれよあれよという間に徴兵され、はいとイエスから選択肢を選んだ結果今回の戦争のために新しい銃をASAPで作れと言われている。俺に作らせると穴が空いていて切っても野菜が張り付かないような銃しか出てこんぞ、と言ってもお構いなしである。人的資源の浪費の甚だしさについて、どこぞの幼女とコーヒーを酌み交わせそうである。
新兵器もとい薬の開発というのは本当に難しい。本騒動で勘亭がAという薬に前のめりになっていることは皆さんご承知のことと思う。このAという薬、おそらく効かないわけではないのだが、むちゃくちゃ効くわけでもない(なお、数日前にホットエントリに上がっていたNoteは色々間違っている)。Aはこの騒動で最初期から治験がスタートしている。日本に限らず中国でも欧州でもだ。なのに未だに速報すら出てこない。むちゃくちゃ効くんだったらサンプル数増やさんでも有意差が出るはずである。つまりはそういうことである。
一方で、 艦艇はこの日本発の薬で戦いが終わり世界が救われる、というバラ色のストーリーを信じ切っている。Aの治験! 効果はバツグンだ!
でも包丁しか作ってないとはいえ、一応専門家名乗っている自分から見れば、こんな使いにくい薬はない。vitroでの活性も、他の薬より100倍オーダーの濃度が必要で、つまり量が必要で生産性が悪い(合成stepsが少ないのが救いではあるが)。そして何より、催奇形性があるから、軽症例に気軽に投与できない。町医者で処方して患者が残った薬を融通したりしたら悪夢である。それなのに、これまで抗ウイルス薬など複製を止める薬は重症例に全般的に効果が薄いことがわかっている。
こんなの、見滝原市から魔法少女が応援に来ると聞いてもう安心だと胸をなでおろしていたらバーさやカーちゃんが来たようなもんである。
少なくともコイツが某インフルエンザの薬ぐらいに手軽に使えることはない。そりゃ強制労働省の医系技官たちも反発するわけだ。
プランAの状況を見たとき、そして鑑定が次に打った手が布マスク2枚と聞いた時、そんな中で自分が引っ張り出されているとわかった時の心境を察して欲しい。ハイクソー、二度とやらんわこんなクソゲー。ところがどっこい……ゲームじゃありません……! 現実です……! これが現実……!
なにがプランBだ。プランAから腐ってんじゃねぇか。しかも最初から腐ってんのわかってんじゃねぇか。
クソゲーを連呼しつつ、それでも仕事はせねばならない。某Rxivと某Rxivに毎日目を通し、世界に追いすがろうとこれまでの研究を漁っているうちに妙なことに気づく。
日本からもご老人の排尿のごとくちょぼちょぼと論文が出ているのだが、日本ですら、だれもAを調べていない。みんな、別の薬を作ろうとしてる。
で、予算の割り振りを見てみると、調整費からのAの検証は驚くほど少額で、強制労働省は大部分を新たな薬の探索に突っ込んでいる。基礎研窮者がこうなのはわかるとしても、拘牢すらA全く期待してねーじゃん。なにこれ。
あ、こいつらがやってるの、プランBじゃん。
今思うと、コミュ症先生を船に乗せたのは狸先生だった。日本の誇るガバガバナンスを最大限に活用したルートで外の人間を船に入れ、爆発させて現状を改善する。プランAは爆発で粉砕されたので誰も責任を取らなくて良い。プランは更新された。
誰かが現場の裁量を悪……活用して既成事実を作ることで、実質的なプランBが機能する。
そういえば昔、災害出動要請がないと出動できないから、「訓練」名目で出動した迷彩服の人たちも居たっけか。
でもさぁ、この方式、事前準備が必要だったり、部署をまたいでリソース集めないといけないプランBには使えないよね。
ああ、だから医療資材の生産とかはプランBに入らなかったのね。珪酸と拘牢の暴s……もとい事前準備が両方必要だからね。
そこまで考えたところで、ふと気づいた。
え、もしかして、今から銃を作れと言われている理由、しかも包丁職人の自分が集められた理由、それ?
まじかよ。
それでも、プランAの成就を祈るよりは少しはマシなクソゲーかもしれん。ウンコ味のウンコがウンコ味のカレーになったぐらいはマシである。銃は作れないが、切れ味の良いスコップぐらいはもしかしたら作れるんじゃないだろうか。「できちゃった……///」とか既成事実作ればいいんだろ。
あーーーーほんとこのクソゲーやめてーわ。これっきりにしてくれ。
何故か知らないけど、私の勤め先にはやけに自衛官なお客様が来店する。別に駐屯地が近い訳でもないのだが。
自衛官なお客様が時々迷彩服のままでご来店するのだけれど、普段着の時と違ってすごくスタイルが良かったりする。
あと、夏場は一般人だけど筋肉自慢な服装でご来店するお客様がしばしばいる。レジに精算に来るとき、ちょっと斜に構えてロビンマスクみたいな立ち方をなさる。
自衛官のお客様も一般人で筋肉自慢なお客様も、普段着やスーツだとボディの逆三角ぶりが目立たないばかりかただの中年太りにしか見えない(巨乳が肥満体に見間違われる的な)。
けど私は知っているのである、彼らが実はすごくナイスバディであることを……という、誰向けなのかわからない優越感を秘めて、レジを打つ私だった。
ところで最近思うのだけれど、もしかして、お金払った印として商品にテープを貼ってもらうのは子供がしてもらうことだ、と思っている人が、けっこういるのではないだろうか。
4일
4日目
チェックインした当日に見つけられなかったアメニティは、不注意で見落としていただけで、実は室内の革のバッグに収納されていた。
芸術の都らしく、こういったところもオシャレだ。
遅めに起きたが、チェックアウトが12:00なのでまだ余裕がある。
散歩と軽い朝食ついでにロッテマートでお土産のインスタント麺を買う。
広いとは言えない韓国は地域の対立意識が強く、特にこの光州の人達は他の地域の人々から嫌われているらしい。
曰く「手先が器用で芸術の才能がある。日本人に似ており、社交的でソツがないが、計算高く、最後には裏切る」
近世の新羅・百済・高麗の対立からともいわれているし、朴正煕時代の選挙戦の影響とも言われている。
観光でちょっと撫でただけ、その上言葉も不自由なので、深いところは全く分からないが、顔つきは日本人に似ている人が多いし、ソフトムードの人が多いなとは感じた。
韓国社会に深くコミットすれば、違う印象も持つのかもしれないし、逆にそれが偏見だと感じるのかもしれない。
男同士で楽しそうに談笑していたが、やがてオバちゃんの一団が乗り込んでくると、座っていた一人が席を譲る。
青年は非常に自然に席を譲ったが、オバちゃんは日本だったらまだ席を譲られるほどの歳ではない。
光州を出発したバスは東に向かい、窓の外の景色は再び緑豊かな山道となった。
バスの車内では、民主化運動に参加し、5.18の時には予備で拘束されたという現職の文大統領について調べる。
5.18民主化運動の地を訪れた後、テキストを読んで感じることは、韓国社会には「強者の韓国」と「弱者の韓国」の2つがあり、彼のアイデンティティが一貫して「弱者の味方」であるということだ。
日本・韓国双方の財閥や日韓間の慰安婦合意に否定的なのも、「弱者の韓国」にとっては日本や旧日本統治時代の流れをくむ財閥は「開発独裁主義で弱者を顧みなかった強者」であり、そこで立ち上がってくる彼の願いが「強者に虐げられた弱者を救う」事だからだろう。
大統領の権力集中にも否定的で、権限の縮小や任期の変更も主張しているというし、地域対立の解消も目指しているという。
上手くいけば、韓国行政の積弊である大統領の悲劇的な破滅の歴史に終止符がうたれ、光州の人達への差別意識も和らぐかも知れない。
うまくいかなければ、諸外国に振り回され、経済を停滞させ、反動で韓国社会の分断をさらに進めるかも知れない。
果たして彼を待っているのは、改革の英雄の未来か、理想主義者の蹉跌か。
実際に地域を訪れて、テキストの背景の感覚が色彩を帯びて見えてくることもある。
日本人にとってメジャーな観光地とは言えない光州だが、是非訪れて見たほうがいいと思う。
釜山へ
3時間半の乗車ののち、バスは最終目的地に到着したようだった。
乗客がどんどん降りていく。
「しまった、周りの動きに合わせて降りてしまったが、実は釜山に着く前に降りちゃったかな?」
さっぱり分からないので、チケットカウンターに行って、お姉さんに状況を説明した。
「I'm going go to Busan, but I had mistakes. I had put down bus.
Do you mind teach me How to go to Busan?」
お姉さんはキョトンとして下を指差して答えた。
「Busan.」
西部バスターミナルとのあまりの違いに驚いたが、自分が降りたのは釜山北部郊外の総合バスターミナルらしい。
比較的街中にあって小綺麗な西部バスターミナルと違って、総合バスターミナルは山間にあり、設備も古め。
ともあれ、釜山市内であれば地下鉄で市の中心部にアクセスできる。
東横インは日本語が通じるので、ホテルの免税の手順や、空港の早朝便に間に合うようなタクシーの手配など複雑なコミニュケーションを取ることができた。
これで不安はかなり減った。
夕食を食べに行こう。
地下鉄に揺られ、西面駅で降りる。
地上に出るとすごい活気だ、夜の西面は若者でごった返している。
そうか、そう言えば今日は金曜の夜だ。
対戦筐体を見ると、鉄拳では対戦が繰り広げられていた。
日本では下火になりつつあるゲーセンだが、韓国では若者の娯楽として健在だった。
西面のメインストリートの反対側、飲食店街を歩くと「ソンジョン3代クッパ」は見つかった。
韓国語で聞いてくるオバちゃんに「テジクッパ ジュセヨ」と伝えると、すぐにお盆に乗せられた一式がやって来た。
豚肉入りのスープご飯。小皿の薬味を混ぜて、自由に取れるキムチをつまみながら食う。
名店の名物だけに間違いなく美味かった。
美味くて一気に食ったために、詳細な味の分析は忘れた。
やっぱアレは特別辛かった。
一気に食い終わって、会計を済ますと、レジのおじさんがアメちゃんを勧めてくれた。
釜山は韓国の大阪と言われるらしいが、こんなところもなんだか似ている。
22:00を過ぎた西面はまだ若者でごった返している。
黒いマスクをした10代の若者から、ワンレン肩パットのお姉さん(マジでいる。しかも結構いる)、恋人たち、果ては迷彩服の青年兵まで、ありとあらゆる若者のエネルギーで通りは充満している。
日本で10代の特に少女に韓国カルチャーが人気な訳が少しわかった。
韓国社会では、まだ若者の存在感が大きく、ユースカルチャーを駆動しているエネルギーの絶対量が多い。
そのさきにあるものを少し思いながら西面の街を歩く。
メインストリートの入り口では、2人組デュオがストリートライブをしていた。
2人とも上手いのだが、太っているほうがより歌が上手かった。
2일
2日目
疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。
チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。
初日の釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。
「近代化している韓国だからなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。
今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。
ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。
どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。
チェックアウトして釜山駅へ。
「近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参やナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。
昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこが工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。
ネット環境やK-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。
絶賛工事中の釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。
これで移動が便利になって一安心だ。
釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。
西面で降り、繁華街の路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃんと作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。
路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。
両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。
カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜、ニンニク、ゴマがトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。
見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。
味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。
良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。
韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。
昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。
腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでんの屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。
「屋台で出されたものを屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景。
「社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。
西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。
メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。
異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。
バスは直ぐに発進した。
窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんのクルクルパーマや韓国女子のファッションについて考える。
若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。
よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック。
この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。
光州へ
3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。
熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。
韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。
すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。
「自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。
そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種がちょっと違う。
かつて日本にやってきた渡来人は、この地方の朝鮮人だという話を聞いたことがある。
日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。
ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン。
部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策。
地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。
夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。
予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業の食べ放題の店に向かう。
地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。
「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。
どうも殆どタクシー運ちゃんや地元の人しか来ないような店らしい。
席に座ると、自動的にオバちゃんがご飯とスープとデジカルビを持ってきてくれる。
ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題の白飯が進んだ。
初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。
「マシッソッダ(美味しかった)」