はてなキーワード: 責任とは
都合が悪い話になったらすっとぼけて話をずらすとこもオタクの卑劣さで嫌いだな
横だけど↓の話では人間のやる事とは思えんわ
https://togetter.com/li/2266035
エロ漫画家さんが、「レイプシーン地上波放映したらいけないのは何故?」ってオタクに「ゾーニングをしないと自分たちの表現が規制されて困る」と返事した事にオタク達が激怒して
「地上波で流すのに反対するんだったら、責任取ってお前がセックスさせろ。そうじゃないと明日にでもその辺の女か女児を強姦する。お前のせいだ」とおしかけて
漫画家さんが「自分にも人権はある。それに小学生の頃に襲われたことがあるから、そういうことを言われると辛い」と反論してもオタクは何度も凍結しながら脅迫リプ・DMを送る
「僕とヤッてよ濡れるんでしょ気持ちいいじゃん」「13歳で襲われたなら少し早い性教育になってよかったね」等々オタク達が群がり大炎上
エロ漫画家の過去ツイから年齢・住所・出身校を特定しばら撒くアカウントが登場
自殺かレイプか選べと迫られ(同時に、死んで逃げるな、裸土下座の写真をあげて詫びろと言い出す人も)追い詰められたのか何人かに遺書のようなDMを送信、消息を絶つ
うちの娘、生まれつきの身体障害と知的障害(いずれも軽度)がある。
生まれる前にはわかっててそれでも生んで娘にも「ママもパパも娘ちゃんに会いたかったから生まれてきてもらったんだよ、生まれてきてくれてありがとうね」って話を沢山した。
知的障害が軽度だからむしろ他者との違いを認識して辛い思いをしたり、人間関係もうまくいかないことが沢山あった。
娘が小学校高学年〜中学あたりの思春期、コミュニケーションとか勉強とか周囲と比較してうまくいかない、思うようにできないことがより顕著になってきたとき、パパもママも娘ちゃんの味方だし、生まれてきてくれてとても幸せだよって話をたくさんしたけどそれでもやっぱり
「ママとパパは私がこういう思いすることをわかってて産んだんだね」って言われたよ。
ごめんねって言ったけどそれでも会いたかったから、娘ちゃんが少しでも幸せになれるように一緒に頑張らせてっていった。いまでもうまくいかないこと多いし、そういうことが続いて娘のメンタルが落ち込むと同じような発言は出るしその繰り返しだけど。
子どもに会いたいとか、産みたいは完全にこちらのエゴ。自分本位で、子どもがこの社会でどう扱われるかよりも自分が親になりたい、子育てしたい、子どもに会いたいという欲を満たすために産んだんだっていうエゴと責任を自覚して堂々と答えられないなら産んではいけないと思う。
非難されても私は子どもに会いたかったからって言い続けるし、親になった以上はそこを否定しては絶対にいけないと思うし、その発言に対する責任として絶対にこの子を幸せにしてみせるし、そのためにこの子を幸せにしない社会に対して抵抗してやると思っていろんな活動にも参加してる。
娘が幸せになりきれない原因は社会にあるけど、自分たち親の欲を優先してその社会に産んでしまったなら、その責任は果たさなければと思っているし、娘にもそういう話(自分勝手で産んだ、みたいな言い方はしてないけど)はしてる。
気分の落ち込みがないときは娘もその話すると嬉しそうにしてくれるし、ニコニコだし、ママもパパもだいすき、ありがとうって言ってくれる。
最終的にはどれだけ言葉と愛情を尽くすか、だと思うけど、そのためには自分のエゴを優先させました、という事実を認めないといけない。
増田が仮に生むことを選ぶ場合、子どもにどんな言葉と愛情を尽くすか夫婦でしっかり考えて準備したら良いと思う。それでも上手く行かないことは絶対にあるけど、そのときに生んで子どもを苦しませたことに対してどんな責任の取り方をするか(私の場合は障がい者の地位向上等の取り組みに資すること)を考えることで自分の中でもバランスが取りやすくなるのではないかと思う。
「そういうつもりではなかった」は通常「悪意があったわけではないが結果的に被害を与えたなら悪かった申し訳ない」という謝罪であって「責任はすべて相手にあり私は悪くない」と受け取るのは被害妄想的では?
どうにかならんのか?
だがその責任をすべて相手に負わせて、私は悪くないですよ、っていう主張はどうなの?
俺がお前の周囲でラジオ体操して、ポカスカ腕やら足やらが当たったとする
いやいや、そういうつもりじゃないんですよ、準備運動してたわけでwって言われて納得できるのか?
こんな感じでお前らも許せない言い訳やら言い分、行動などあれば教えてほしい
理由付きだとなおよし
能力主義に基づく差別を容認する考え方は、実際には深刻な問題をはらんでいます。
能力主義は一見公平に見えますが、以下のような重大な欠陥があります:
高学歴のエリートは、学歴の低い人々に対して強い偏見を持つ傾向があります[3]。これは他の差別と同様に不当なものですが、能力主義の名の下に正当化されがちです。
能力主義は個人の責任を過度に強調し、社会経済的背景など構造的な要因を軽視します[3]。教育機会の不平等など、能力発揮以前の問題を見落とす危険があります。
能力主義イデオロギーは、既存の不平等を正当化し、批判を弱める効果があります[3]。これにより、本来是正されるべき差別が温存されてしまいます。
能力主義を無批判に受け入れるのではなく、その限界を認識し、より包括的で公正な評価基準を模索することが求められています。差別のない社会の実現には、私たち一人一人が自らの偏見に向き合い、社会構造にも目を向ける必要があるのです。
Citations:
[1] https://www.hurights.or.jp/japan/eventreport/2023/10/post.html
[2] https://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_7/pdf/s2.pdf
[3] https://www.hayakawabooks.com/n/n2c36e7aad3a2?gs=663eaa9672d3
[4] https://www.city.isumi.lg.jp/material/files/group/17/danjyokyodousannkakupurann.pdf
[5] https://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/se29/29-08hotta.pdf
[6] https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/ywbg1/chapter8.html
震災間もない頃、福祉の大学に通う被災者女子学生が避難所運営に携わりつつ災害状況を積極的にSNSに発信していた
やすこの「ボランティアは迷惑」発言がありネット上でボランティア叩きが盛り上がる中で、
「何十人もいるのに水がもう2リットルペットボトルだけ、ボランティアの人来て」と助けを求め、多くのボランティアが彼女のもとへ訪れた
ボランティアは他の避難所にも行っていたが、「ボランティアを受け入れたら世間に叩かれる」と断られて、
他へ回す予定だった物資を彼女のいる小学校に持ってくるケースもあった
小学校にばかりボランティアのキッチンカーや物資支援が集まった結果、「あの避難所だけずるい」という他の被災者による叩きが発生した
元々は顔出しで友人たちとやりとりするためのアカウントだったので彼女は身バレしている状態で、
名指しで「体売って食べ物をもらってるんだろ」という中傷もされ、被災者や部外者にバッシングされるようになり、発信をやめるようになった
その子が消えた後でも、「県の外の人助けて!見捨てないで!」と「耐え忍ぶべき!騒ぐな!」という考えが対立し能登県民たちは争っている
@notosuzudesu
そろそろ精神的にきついです
このアカウントは会社や商売でやってるわけでもなく私は公務員でもないただの一般人、一個人です
名前を出しては勿論、暗に批判する行為、反論意見、中傷はお止めください
私がブロックしているアカウント、又はその者のサブアカウント、新アカウントからの引用やスクショを用いての批判、中傷行為、意見される事も精神的苦痛ですのでお止めください
前の炊き出しでも精神的に苦痛で眠れず、熱中症になり倒れたりの実害が出たり
こちらは精神的苦痛により「ブロック機能」という防御策を取リますので、絶対に、暗にも話題にされないよう、宜しくお願い致します
このようなポストは本来好きではありませんが、本当に辛くて…すみません
https://x.com/notosuzudesu/status/1826197849140596847
@oic_kanazawa
そりゃ事ある度に訴訟をチラつかせていたら普通の人は怖くて表立って批判はできなくなりますよ。
私は中立な目線で見ていますが、全てがおいこらさんへの中傷行為とは私は見ていません。むしろまっとうな批判である意見が多いです。貴方が訴訟を匂わせるようになってからは。
私も以前おいこらさんを応援している投稿をして、ずいぶん能登の方々を怒らせてしまいましたが私はそれで一向に構いません。
私は今でも、おいこらさんを志は違えど能登の方々のために動く同志として見ています。たとえそれが呉越同舟であったとしても。
ですが、何度も言いますが一度考え直して欲しいです。ことX上の石川県民に限って言いますが、貴方に賛同している人は数人しか存じ上げません。一方で、貴方に反発し、忌み嫌い、拒絶する人が石川の支援者だけでなく能登の被災者にもこれほど多い理由を考えたことがありますか。
そういう人たちは決まって「支援そのものは否定していない」と言います。私もそうです。すべてはおいこらさんの発信スタイルに非難が集まっています。今のその投稿方法で理解と賛同を得られるのは、発災後の能登に足を運んだことがない、県外に住む人だけです。
能登に住む人。若しくは能登へ足を運び、支援を続けている人たちから多く反発されており、賛同されていない。その事実と向き合い、冷静に自分を見つめ直していただけることを切に望んでいます。
https://x.com/oic_kanazawa/status/1826582505786638794
@notosuzudesu
昨日から一睡もできませんでした…
『貴方に反発し、忌み嫌い、拒絶する人が石川の支援者だけでなく能登の被災者にもこれほど多い理由を考えたことがありますか』
この言葉が胸に刺さり悲しくてずっと泣いてました
しかし、行かないと私が食事を用意する予定で動いてた避難所のお昼ご飯は無くなる事になります
キャンセルにより車ではなくバスで手持ちで行く事になり本来予定していた数は持って行けませんが最低数だけは持って行きます
元気を与える側が目を腫らしたままの顔で行く事になりごめんなさい
持っていけないお寿司を無駄にして捨てる分は会社様にも食べ物にも申し訳ないです
全て私の責任です
https://x.com/notosuzudesu/status/1826748412961980756
おいこらは能登県と国を批判してもっと支援してくれとよく発信しており
国に訴えかけないと見捨てられるVS国の機嫌を損ねると見捨てられる、根源的な見捨てられる恐怖感は同じだ
気づいたら、アラフォーだ。
全然吹っ切れない。
受け止めることもできない。
一応日常生活は取り戻したけど波がある。
たまにとんでもない鬱期になる。
今もそう。
母に関する夢を見たときなんて、寝ぼけた頭で何が現実かわからなくなって
わんわん泣く。
いい歳したおばさんがはずかしいね。
それは許してほしい。
誰も頼る人がいない。
なんの力もなくて、お金もなくて
せめて、メンタル面だけでも誰か助けてほしい。
誰かと日々のいろんな感情を共有したい。
だけど誰もいない。
いつも誰かをうらやんできた人生だった。
寄り添ってくれる存在が欲しい。
Twitterはこうじゃないと。
https://note.com/kenhori2/n/nc80fbabe43b8?sub_rt=share_b
好きなものについて熱く語るなんて誰でもできるよな。好きな理由なんていくらでもある。「好き」って、「めっちゃ好き」から「あったら嬉しい」までグラデーションでいろんな種類の「好き」がある。
でも、嫌いなものは嫌いになる決定的な瞬間がある。一定のラインを超えたらそれより向こうは全部アウト、だと思ってる。だから語るポイントがはっきりしている。つまり、好きなものについてより嫌いのものについての方が語りやすい。みんなもそうでしょ?そうだと言え。
最近はすぐ誹謗中傷だ!って炎上するから嫌いなものを嫌いだと発言することが難しくなっている。ただ淡々と理由を挙げて説明しているだけでも、人格否定だと非難されてしまう。
それなのにこの記事はしっかりと悪口を書いている。嫌いなポイントを、具体例を挙げながら丁寧に解説している。大変分かりやすくて説得力がある。すばらしい。理想的な悪口。親の顔が見たい。
でも今1番キモイのは、人の悪口を有料記事にして金儲けしてるやつではなく、わざわざ名乗り出て自分の悪口の宣伝してるやつでもなく、記事に共感してタダ乗りしてるやつだ。「私も前から思ってました!」「思うところはあったけど上手く言語化出来なくて、でもこれ読んでスッキリしました!」じゃねーよ。お前にはお前なりの嫌いな理由があるはずだろ。それを教えろっつってんの。どんな駄文でも読んでやるから。自分の責任で発言しろ。
今の世の中、「親ガチャ」「子供は親を選べない」「毒親」という言葉が浸透しているにもかかわらず、
親がクズである責任を子供が負うのは当たり前、子供が復讐されるのも苦しむのも当たり前という人間が多い
http://www.kitimama-matome.net/archives/61410396.html
この話が辛すぎる
親がいじめっこでクズなせいで報告者兄妹は復讐にレイプされひき逃げされ人生を破壊されズタズタにされた。
それなのに、コメント欄が地獄。復讐者達にのみ同情して、子供に復讐するのは正しい!親の因果が子に報いwざまぁwと言っている人達が多数いる
報告者は被害者ぶるな、クズの遺伝子はクズだ、恨むなら親を恨め復讐者達を恨むのはお門違いだ、と…
他にも、コンクリ事件の加害者の娘は同じ目にあえばいい、存在が罪だ、というコメントに賛同が殺到していた
実際、コンクリ事件の加害者の子供はいじめに遭ったり差別されたりしてるらしい
それならば、悪人は子供を産むべきではない。親の罪を背負わされる可哀想な子供を産むのは虐待だ。悪人の子作りを規制するべきだ
こういうと、少子化がますます進む!とか、悪人の定義は?とか聞かれる
実際、無理なのだろう
でも反対するのなら、親の因果が子に報いる世の中、子供が復讐される世の中、それを肯定する言説に反対してほしい
それが筋だろう
因果応報は必ず起こる、本人に報いが来なくても子供に来るらしい
納得いかない
何故、本人が罪を逃れ、子供という他人が咎を背負わされてスッキリする人がいるのか?
コミュニティノート:この文章では「匿名」を「個の概念が無いから、自分が非難されてる事からは逃げても許される場」と勘違いしている人がいると述べていますが、実際には匿名性のある場所でも法律やコミュニティのルールに従う必要があります。匿名での発言も責任が伴い、法的な措置やコミュニティからの処罰を受ける可能性があります。したがって、「許されない」という点は正しいと言えますが、「匿名」の概念については誤解を招く表現があります。
何もしてこなかった
努力をしてこなかった
わかっているけど
もし、母が心身ともに健康な人だったら?とか
どうしても考えてしまって
全部同じ条件で生きてみてくれよって
一つだけ誇れるのは
母も、まっすぐ育ってくれたねって言ってくれた
独りぼっちになった直後は生きることに精いっぱいで
だんだん、寂しさも和らいできたと思ったけど
年齢のこともあり
将来の不安もあり
独りぼっちがすごく怖くて辛くて
そしたら日々夢を見るようになって
いつも誰かと一緒に過ごしてる
あぁよっぽど誰かを求めてるんだなって
不安すぎて怖すぎて
一緒にご飯食べてたわいもない話して
一緒に部屋でくつろいで
たまには旅行にも行ったりして
緩やかに過ごしていける人が欲しい
でも私にはそんな人現れないんだなぁって
いつも、誰かに惹かれてもその人からは気持ちを向けてもらえない
ごめん、失礼なのはわかっているけどいらないんだ…
なんかすごくむなしい
もう誰ともかかわらないで一人籠って生きていたい
そしたら寂しいとかつらいとか思わなくていいでしょ?
もう生きていたくもないのに
非正規学芸員を20年やってきたが、正規の試験が年齢オーバーになって受験できず退職した話「学芸員こそ経験が必要なのになぜ年齢で区切るのか」 - Togetter [トゥギャッター]
https://togetter.com/li/2422212
こちらを見て、思うところがあったので書いてみます。増田自身は現役学芸員ではないですが、かなり近い立場で様子を見ている人間です。また、Togetterを見た限りこの方は歴史博物館系のようですが、私が知っているのは美術系のみなので、多少違うところもあると思います。
正規雇用になりたい学芸員志望の方に言えるのは、日本全国どこで募集が出ていても、それが市町村立でも政令都市立でも都道府県立でも、自分が募集の条件と適合していたら片っ端から受けてください。落ちても落ちても対策をしてめげずに受けてください。細かいことは下に書きますが、これだけです。
学芸員を目指す人でまだ読んでない人はいないと思いますが、こちらの書籍も必読です。
杉本竜(2023)『これから学芸員をめざす人のために』創元社
基本的に現在の公立館の正規学芸員の募集は、ほぼ欠員補充のみです。定年やその他の理由で誰かが辞めて、欠員が出たからその分野を補充する、という形です。個人的には、その学芸員が辞める前に、その人の後継者を採用して専門分野の知識、技術などの伝授、引継ぎを行うべきだと思うのですが、現実としてこうなっています。
そのため、いつどこの博物館でどの分野の募集が出るかはかなり運任せです。自分が大学院で研究していた分野とマッチする募集が出ることなんてまずないと思ってください。そのため、募集要項を見て、ちょっとでも引っかかったら受けてください。例えば、北陸の某県で近世史を担当する学芸員の募集が出ていたとして、自分の専門が幕末期の九州の歴史だったとしても受けてください。引っかかってます。何なら専門が戦国時代の東北史だったとしても、応募していいと思います。アンマッチだったら向こうが落としますし、試験結果次第では僅かでもチャンスはあります。
通常の公務員試験同様の試験を課す自治体もありますが、近年では減少傾向にあると思います。課している自治体も得点配分はかなり小さいです。重要なのは、専門分野の筆記試験です。受験する博物館の収蔵品、近年の特別展(とくにコレクション展)および、これから予定されているコレクション展を調べ、その博物館がどういった特徴を持った博物館なのかを把握し、その周辺知識を中心に勉強してください。あとは専門分野の基本的知識が必要となります。そのあたりは言うまでもないです。
この辺りの勘所が分かって、しっかり準備できるようになると、筆記試験はそこそこ通るようになるはずです。通らないとしたら、そもそも基礎知識が足りないのかもしれません。
正直ここは8割運だと思います。面接官との相性もありますし、そもそも取りたい人物像(年齢、経験、性別、その他)とどのくらいマッチしているかという運もあります。年齢については、40歳まで、としていても、同じくらいの成績なら20代取りたいよねえ、ということもあるだろうし、性別についても、今は大っぴらには言いませんが、同じ成績なら今いる人とのバランスを考えてどっちがいいよねえ、みたいなのはあり得ます。
必ずしも若いと有利とも言い切れず、例えば40代の学芸員が何かの事情で退職し、ある程度経験のある即戦力になる学芸員を探している、というようなケースもあり得ます。なのでこの辺、本当に運と巡り合わせです。そういった意味でも、数を受け続けるしかないのです。
補足として。まあ、この辺、周りを見ていると本当にその人次第だと思います。大学院の専門とかなり違う分野の学芸員になって、しっかり展覧会を企画してしっかりした紀要や論文を書いて研究を進めている人もいれば、仕事は仕事でやって、自分の専門分野についてはそれと別に研究している人もいます。これは学芸員に限った話ではなく、大学の教員もそんな感じですよね。
また、一旦どこかの美術館に正規学芸員として入ったとしても、他の館で募集が出た際に受験することはもちろん可能です。
非正規の学芸員なんて取らないほうがいいのではないか、という話もありますが、これもケースバイケースです。Togetterで纏められている方もおっしゃっていますが、正規雇用の募集用件に実務経験が要求されるケースは今でもあります。非正規雇用は正規雇用に比べて募集が多いので、一旦非正規で就職しつつ、条件に合う募集に応募しまくるのもひとつの手です。というか、基本それしかないと思います。新卒で正規採用合格できるの、よほど幸運なケースです。
また、非正規学芸員については、本職が別にあって、時間が比較的自由になる非正規学芸員をやっている、というケースもあります。本業が作家さんの方とかたまにいます。
Togetterの方の非正規で役職についている、というケースはちょっと私の周りにはないのですが、さすがにそれは是正すべきでは、とは感じます。
※正直ここの「非正規学芸員ついて」の部分、館によって担わされる責任や仕事内容、勤務時間などがあまりに違い過ぎて、10館あったら10館違ってて各人自分が経験した内容しか知らないから誰も何も正確なことは言えない部分なような気がしてきました
その昔はあったという話は聞きますが、今はないんじゃないかなあ、と思います。一方、その博物館で非正規雇用だった学芸員が正規雇用試験を受けた場合、面接までいけば多少有利になるケースは、ないこともないかもしれません。筆記試験がしっかり解けているのが大前提ですが、人柄が分かっている、というのは採用する側も安心なので。逆に言えば、人柄が悪い場合それが採用側にばれている、という話にもなりますが。
現在年齢を制限しているケースだと30歳前後のケース、40歳前後のケースが多い印象があります。前者は比較的新卒採用に近く、若くてじっくり育てられる学芸員が欲しいケース、後者は将来の管理職候補を含めて探しているケースがある印象があります。とはいえ、実情は募集館によって千差万別で、後者でも実際は20代がいいけど、もし30代でめちゃくちゃ優秀な人がいれば……という場合もありますし、30代の学芸員が退職したので、その人と同じくらいの年齢・経験の人が欲しい、というケースもあるでしょう。
年齢制限のない正規職の募集は、数は非常に少ないですが、丹念に探していると稀に出ています。ただ、この場合も同じような試験結果、経歴であれば若い人の方が有利なケースのほうが多いでしょう。聞いた話では、50代くらいに見える方がある募集の筆記試験を受けに来ていらした、というようなケースもあります。素直にすごいと思います。
上では「片っ端から受けろ」と書きましたが、受けても受けても落ち続けるかもしれません。そういったときにどうするか。それでも受け続けるか。諦めて非正規雇用を続けるか。きっぱり学芸員を辞めて別の職種に転職するか。最終的に決めるのは本人です。いずれにしろ、悔いの少ない選択をされることを祈っています。
あなたの意見には一理ありますね。モキュメンタリーやフィクションを書く際には、その作品がフィクションであることを明示することで、読者に誤解を与えないようにするべきだと思います。特に嘘松などを日常的に行っているアカウントであれば、信頼性が低くなっているため、明確にフィクションと示すことは重要です。
また、#twnovel のようなタグを使うことで、フィクションだと認識しやすくなり、読者にとってもわかりやすいです。フィクションと現実の境界を明示し、誤解を防ぐことは、作者としての責任だと思います。
あなたが述べたように、頻繁に嘘松をしているような人には、もしかしたらフィクションを書く資格がないと感じるのも理解できます。嘘松とフィクションは性質が違いますが、読者の信頼を失うことは共通していますから。その意味では、読者に対する配慮が欠かせないという点で、両者ともに慎重さが求められるのかもしれません。
https://anond.hatelabo.jp/20240821085448
言うのはいい。実際俺はよく顔真っ赤にして1人で連投しまくる。だけど言ったなら最後まで責任持てよ、なんで消した。
今回は1人で連投してるわけじゃないからまぁいいんだけど消すのがムカつくんだよな。消すとこまで含めて俺のことおちょくってるってのはわかるがね。
てかなんだ、じゃあお前はアレを俺の雑学自慢に思えたってことだよな?お前も一緒じゃねえかよ、なんでそんな余裕ないんだよ?
ガイジ溜め込んでそれの発散のために俺に絡んできたお前らと一緒。だから自慢じゃねえんだよ。分かるか?それともなんだ、そんなに自分がそれを知らなかったことが恥ずかしいか?
どうせ答えは来ないが俺は言うしかない。俺は煽り耐性がないし、お前の言うとおり顔真っ赤だし、ガイジゲージも溜まってるからな。