はてなキーワード: 菓子とは
なぜ夢嫌いを克服したの
しかし世界一を目指す割には、横浜で修行してフランス行きが決まったら、フランスにはいかない……
が、回転数カ月であっさり子どもを作る
せめて、悩んでるところを旦那が慰めて……みたいなシーンが入っていれば納得できるのに……
旦那も妻の片手間っぷりに悩みもしない
妻は世界一なんて忘れて、自分ちのこどもを客と混ぜて菓子を食わせるケーキ屋で大満足
結局、妻は夢を追いもせず、
最終的には結婚式だけして、
あれなの、女なんて結局大きな夢とか言っても日常で追われて何もできないんだろ?っていうドラマだったんですかね
幾ら悩もうと夫は何もしてくれないし、親が協力してくれるのは家事だけ
なんだったんだろうこのドラマ
スープカレーの札幌での大成功の原因を考えてみると、あれが札幌におけるカフェブームだったんじゃないかと思う。
オシャレっぽい店でオシャレぽいものを食べる。
それがスープカレーだった。
札幌の物価水準からすると、一食あたりの単価として高いと思う。
そのぶん、ボリュームを出して、薄利多売よりは客あたりの粗利を追求した。
加えて、スープカレーの店舗が札幌中心部ではなく、郊外にあることも多かった。
最近の郊外型喫茶店、つまり星乃珈琲、コメダ珈琲に代表されるような、暇で小金を持った層に時間をたっぷり潰すような場所を提供するような店と構造的には似てたかもしれない。
コーヒーのマグが大きく、豆菓子や朝ならトーストがついてて満腹は得られる。
原価を考えると、コーヒーを倍のサイズにしたって、トーストをつけたって、値段をほとんど上げる必要なんかなく、むしろ長居されることだけが問題なのだが、それを郊外に店舗を置くことでクリア。
それと同じことを、やってたと思う。
居心地のいい空間を求める層と、オシャレフードを欲する層を取り込んで、満腹感を与えてリピーターにする。
でも、それを都心でやろうとするとけっこうきつい。
値段はボッてるとは思わない。
世界中のほとんどの国では、出汁も発酵調味料も使わず、具材を水で煮込んで塩と香辛料を入れただけで料理として成立する。
具材から出る出汁と、それに合わせた香辛料の組み合わせで料理が成立するわけだが、料理の基本技法であるにも関わらず、日本においてこの技術は半分途絶えてる。
出汁取りは別の材料を使い、そこに発酵調味料で味を決める。香辛料はあってもなくても構わないアクセントでしかない。
一言でいうと、スープカレーはスープ料理としては未熟な部分がある。
具材は別に調理して乗せるだけであり、具材から出るエキスは考慮したわけではない。
メニューの違いはトッピングの違いであり、スープの違いではない。
それをやると死ぬほど金がかかるので仕方がないのだが。
スパイスについても未熟なところはあった。
巷のカレー屋では、○○種類のスパイスとか書いてあって、どうもスパイスの数が多いほど上等かと勘違いしてる場合が多い。
店側がそうおもってるのか、客がそう思ってるからそんな書き方をしているのか。
スープカレーはそれがひどくて、20種類以上は当たり前、30種類とか40種類とかを売りにしている。
複雑さと美味しさはイコールではないはずなく、むしろ味をボケさせ、またコストに跳ね返ってくるわけだが。
殆どの店で、シーフードカレーとチキンカレーで、スパイスの構成がガラリと変わったりはしない。
アクセントとなる部分は変わるが、ベースはスープに合わせてつくられている。
スープカレーは悪くはない、悪くはないのだが、食材の旨味を活かしきれず、出汁取り用の食材の大量投入の力技で旨味を、スパイスの大量投入、多種投入で複雑さをプッシュしすぎている。
食材を殺しているとは言わないが、もっと安いコストで同じかそれ以上のものを作ることは可能である。
総括すると、札幌近郊と都内の客層、地価等、外部環境の違いにより、札幌で取り込んでいた客層を都内では取り込むことができなかったこと。
スープ料理としての未熟さが、美味しさ以上のコストを生んでいる。
スープカレーだけではないが、カレー屋、あるいはインド料理店の評価は食べログにおいてはかなり甘いと思う。
イタリアン、フレンチは辛辣なレビューもあるが、カレーについては好意的な書き込みしか目立たない。
食べログが街の評判とは思っていないが、いまだカレーというジャンルはボーナスステージであるといえる。
今でこれだと、たぶん10年後には消えてる。
朝ドラの「まれ」を見ているのですが、なんかいらいらするストーリー展開だったので、妄想を吐き出します。
大悟は息を吐いた。
自分にいつも文句と皮肉しか言ってこなかった倅の大輔が希とひっついたのが始まりだった。大輔と希が結婚した後、希を2年間の前提でフランスに修行に出した。
「俺、嫁さんとフランスに行くわ。やっぱ、新婚が離れるのはよくないでしょ。で、ついでにむこうでMBAとってくるわ。」とあっさり、大輔もフランスに発っていった。
フランスでの2年間は、パティシエの希にとてつもないものをもたらした。菓子を作る技術だけではない。センスとか感覚とか、現場でなくては学べないなにかだ。希は明らかに自分がもっていないなにかをフランスから持ち帰ってきた。大輔は帰国後、コンサルティングファームに仕事を見つけた。
大輔と希が帰国後、2年経った頃、大輔が話があると自分を呼び出してきた。マシェリ・シュ・シュの多店舗経営と研究(修業)店舗の分離をしようと言ってきたのだ。そして、経営を自分に任せろという。通常の店舗で利益を出し、その利益を研究店にぶち込むというのが大輔の構想だった。店舗を展開するための資金繰りも付いているという。
「おれ、菓子の味、わかんないから、その辺は親父と嫁さんに任せるわ。で、おれが経営をみる限りは、二度と、あんなことにはしないから。」
マシェリ・シュ・シュが倒産目前になり、自分が料理の巨人に出演せざる負えなかったことだ。結果的にこれはうまくいった。大輔が言うところの経営と芸術の分離がうまく回っている。新しい支店は浅井と弥生にひとつずつ任せている。大悟の目から見れば、どっちも想像力のかけらもないパティシエだが、大悟のルセットに従い、菓子を作ることはできる。自分にはない常識的な金銭感覚もある。そして、大悟への忠実も厚い。店には大悟と希が週1-2回、顔を出している。
研究店は大悟と希の精進の場だ。大輔は明言した。「この店、親父のためのもんじゃないから。嫁さんを世界一のパティシエにするためのもんだから。」それでも、菓子のことだけを考えればいいこの店は大悟にとって理想郷のような場所だ。この研究店では、材料費はほぼ青天井。新しい機材もどんどん使う。仕込みに時間もかける。希と一緒に思いついたルセットを作り、客に出す。ダメなら、また作る、客に出す。その結果、一切れの菓子が3000円になることもある。それでも、客が来てくれる。海外からも、どこからか聞きつけて来る。
この研究店では、時には夜中の1時、2時まで希といっしょに菓子を作ることもある。外に出た陶子も休日には顔を出し、新しい技術、味を持ち込んでくる。そして、盗んでいく。大悟は60を過ぎた。この場所で希と菓子を作っていると、自分はパティシエとしてまだやれる。世の中をあっと言わすルセットを作れる。そんな自信があふれてくる。
多店舗展開と研究店が軌道に乗った頃、希が妊娠、出産した。男の子と女の子の双子だ。希は出産後、半年で店に復帰した。「パティシエの勘がぼける。」がその理由だった。ためらいはまったくなかった。大悟は希が出産後、母になることを優先するのではないかと恐れた。ヒトは多くのことはできない。それが大悟の信念だ。だが、希については杞憂だった。この義理の娘は自分が思っていた以上に菓子の神様に魅入られている。希はきっと世界一のパティシエになる。自分がしてみせる。自分の師匠であり、希の祖母であるロベール幸枝も自分も到達できなかった場所に希はきっと行ける。大悟はそう確信している。
そんなこと言う奴には菓子やらねえぞ!!
2008年の原油の異常高騰を契機に各メーカー一気に実質値上げを始めた
8年で30枚から20枚へ…カントリーマアム徳用袋の内容量削減の歴史 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133924622360980901
どんどん少なくなるロッテのチョコパイ 内容量削減の歴史 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2134132802264273001
北ヨーロッパのあたりでよく食べられている「リコリス菓子」という分類のお菓子の一つなんだけど、
これがもう黒光りする体躯にケミカル臭バリバリで日本人は食えたもんじゃない
おいこらてめえ、塩化までは良いがアンモニウムってなんだよホンオフェかよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AD
サルミアッキのキャンディは、北欧周辺地域では伝統的に食べられ、北欧5ヶ国ではその国を代表する菓子といってよいほど、子供から大人までに食べられている[2]。しかしその独特な味から、それ以外の地域ではあまり食べられない[3]。
ブレインストーミングをするとき、アイスブレイクや疲れを取るためにお菓子を用意しておくのが定石ですが、そのとき用意すべきお菓子はどんなものが良いかあまりセオリーが無いようです。
というわけで、少し考えてみました。
甘いけど、カロリーOFF!というのは元も子もないです。
甘くなくても、糖質が含まれているお菓子(米菓など)ならOK?
ブレストの手法にもよりますが、仕事中に会社とかでやるなら大前提でしょう。
また、パッケージを開けたままにする必要があるものは衛生的にちょっとイヤ。
思いついたらすぐに発言できるように、ちょっとずつ食べてすぐ飲みこめるものが良いです。
当然ですがガムやアメはNG。
のどが乾かない。たくさんしゃべることになるので。
高価で無い。用意しやすさ以上に手を出しにくいです。
安いしどこでも買える。
そんな高くないしどこでも買える。
わりとアリなんだけど、ちょっとボリュームがありすぎる気もする。
みかんのような手で食べれるものや、カットフルーツはかなりアリ。
準備・後始末が少し手間、お菓子に比べるとちょっと高価、という弱点はあるけど、リッチ感がうれしい。
お菓子ではないが、甘い飲み物を用意しておくのははずれが無い。
一気に一口で食べれない、ポリポリ音がする、などの弱点。
コップなどに立てておくと場所を取らないというメリットがある。
ポリポリ音がするのが微妙だが…、しょっぱいものも食べたい!と言う人がいる場合はアリかな。
代案として柿の種とかでも?
割と弱点はないけど、単純に好き嫌いがありそう。
あと、なめてじわじわ味わうタイプの人は、しばらく発言しにくくなっちゃうかも。
きのこたけのこ戦争を勃発させアイスブレイクする、などのネタにも使える。
が、チョコのにおいが気になるかも。
逆に、いくらなんでもこれはアウト、というものを考えてみた。
机汚れるし食べるのめんどくさいしもうめちゃくちゃだよ!
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ
ということで、ひとまずはカントリーマアム一強であると言えると思います。
女性でも気軽に口に放り込めるサイズのもの(4等分するなど)を作り、「カントリーマアム for ビジネス」などとして発売するのがいいと思います。
このほか、こんなのがオススメだよ!というのがあれば教えてください。
また、増田はブドウ糖とか果糖とかそういう生化学の知識が全然ないので、根本的なポイントへのツッコミなどもいただけるとうれしいです。
エロゲの有名作品をいくつかやってみたけど、純文学や前衛的な現代文学とクロスオーバーを自覚的に試みているような作品は存在しないと思う。
文学的に頑張ってるエロゲ作品って海外のハードSFやハイファンタジー、日本のミステリの新本格(特に京極夏彦とか)等を美少女とのセックスや俺TUEE!系の中二病設定などの砂糖菓子でコーティングした劣化コピーという印象だった。
むしろ当時、文学に対して真面目でストイックなオタクはエロゲの作り手やユーザーを見下す傾向にあったと思う(故・伊藤計畫とか)エロゲのイラスト等ビジュアル方面にしてもハイエンド系に影響を受けた世代のhukeなんかは自身のブログで「エロゲからは絶対に影響を受けない」と拒絶の意思を表明していた。
そう言った事実から意識の高いオタクはハイエンド系ブームを支持し、エロゲブームは絵が理解できない低リテラシーなヌルいオタク達のなんちゃって選民思想表明で正解だと思う。
ただKeyのAirとかは文学的にポンコツで稚拙過ぎて逆にアンチ文学としてものすごい凄みを持ってしまった作品のような気がする(映画で言うと塚本晋也の初期作品のような)。
大多数は無垢で純粋な美少女が死ぬ単純明快な感動ポルノなプロットで泣きながらオナニーするような豚野郎だったと思うけれど、ヒロインの名台詞「永遠はあるよ」を始めとする要所要所の演出により稚拙ないたる絵のグラフィックを映し出すパソコンモニタの向こう側に永遠を見出してしまうナイーブな性格で高リテラシーなオタク層である沙村広明や西E田がいたのも事実だ。
もっとエロゲやオタク事情に詳しいKanose大先生あたりに余裕ぶっこいてないでさっさと当時のムーブメントの詳しい解説や反論をして欲しいですね。
一般的に食費と外食費・交際費は分けて計算し、菓子や酒は食費に入れる。
なぜなら家計簿とは何に金を多く使っているかを可視化したい(節約目的)という動機に基づいて作られるものだから。
いざという時に真っ先に減らす対象となる酒や煙草、菓子などの贅沢品項目を
生きる上で必要不可欠な食費から分離独立して計算することは普通のテクニックなのよ。
回答者は食費を聞く行為が節約目的であることと酒や外食が特別な贅沢であることを理解しているからこそそれらを分離して回答しているのであって、
その観点からなら回答者の姿勢や考え方はおかしくもなんともない。
視点の違いってやっちゃ。
学生。夏休みに入って5kgくらい痩せた。まだ標準体重域。方法としては簡単で、お腹が空いた時に炭水化物を食べるだけ。炭水化物抜きの方が正しいと思うんだけど、食べ物を見ても怖くてあまり手が出せなくなった。デメリットとしては、体力が落ちることと思考が鈍ることかな。体重のある人は体力にも余裕があるし、精神的にも安定して深い思考ができる。摂取カロリーが少なかったり食材の品目が少なかったりする人は、話が単純で反応も鈍いしアンテナも低い。
朝は食べない。昼はパンか米か麺に適当に塩味をつける。お茶を淹れた時はそこら辺の菓子をつまんで、晩は忘れる。家族がいてすすめられた時だけは他のものも食べられるけど、そうすると猛烈な勢いで食べていて自分でも怖い。ビタミンが足りてなくて、舌先が痛くなったりしてちょっと困る。
期限付きの必須タスクがなくなって、自分で望まなければ何も求められなくなった。普段は自分から他人にコンタクトを取らないし、勢い、困ったときのセカンドオピニオン以外に何かを求められることもあまりない。自分のためじゃなければ精神的活動がほとんどいらないし、自分のために何かすることに喜びを感じない。だから自分ではほとんど何もしてないつもりでいる。結局、自分の望みがよく分からなくて、それを集中させることもできない。起きて着替えたら暗くなるまでネット見たりゲームしたりしてるけど、そこから得る刺激が全然ない。楽しいとかじゃなく、始めることに精神的な負担が少ないことだけができる感覚。本も読まなくなった。