はてなキーワード: 畜産とは
xevra 畜産に問題があるのはその通りで減らす努力は必要。だがヴィーガンは人類の敵なので激しい怒りを禁じ得ない。菜食したいなら勝手に静かにやってろ。なぜ殴ってくるのか?
誰も殴ってないし動物を食ってるという罪悪感で自分で自分を殴ってるだけ。
殴られてる、んじゃなくてハナから結論がわかってる自分の無意識が自分を殴ってるだけ。
そのやりばのない怒りをヴィーガンに向けてるだけ。
そもそもが動物ころさない宣言してるやつと、他者の命はどうでもいい俺がくう肉がうまければええわ、
「ウイグル人の臓器を抜いてレイプするのは教育であり解放だ、それにケチをつける外国の暴力を許さない」
みたいな論になるから気をつけたほうがいいぞ。
ちょっとした疑問なんだが、アニマルウェルフェアを理由にヴィーガンを推奨して食肉産業を非難するのって、論として成立するのか?
食肉産業やめたら、当たり前だけど食肉になるはずの牛・豚・鶏とかなんて増やすわけないし、育てるわけないよね。
環境負荷と考えるなら、むしろ間引かないといけないよね。植物食っちまうし、鹿みたいな害獣になって農地を荒らすだけなんだから。
つまりアニマルウェルフェアを理由にした食肉産業批判と、環境負荷を理由とした食肉産業批判とは両立しないよね。
害獣問題で野菜農家とアニマルウェルフェアも利害対立するよね。
あと、アニマルウェルフェアを理由に畜産をやめるなら、それって「生まれて来なくなる」って事だよね。
こういう風に肉食者とかヴィーガン関係なく、頭の良い人は客観的に公平に分析できることがわかり単純にうれしい。
いろんなスレでも書いてるがヴィーガンになると食費は3割~5割減になる。
肉にさいていたエンゲル係数を米とか他のものに費やすことになる。
自分はオーガニックとか無知だけど、ヴィーガン女性がオーガニックにこだわるのはよく目にする光景。
なのでそれは余裕といえば余裕だし、1食分を丁寧に食べるので、はたからみてリッチに見えるのも事実である。
また一般論として教育水準が高いことによって自分で畜産や環境の現状を調べることができるというのはあると思うので、
なお自分は平均以下の低所得者であり親戚家族にもヴィーガンは皆無である。
とくにヴィーガンを開始した時期は明日の生活にも困る生活であったので、人によると思うが、
自分の場合は低収入で苦しいことで逆にヴィーガンのメリットに気づき、継続しているという事実もある。
たとえばスーパーの男爵イモよりキタアカリという通販で買うイモのほうが1.5倍ほど高いのだが、味が全然違う。
また白米より玄米で購入してぶづき米や胚芽米にするとコメ自体が美味いのでおかずがいらないということもある。
こんなことは肉食を続けていたら一生気づくこともなかったと思う。
このようにヴィーガンのメリットは知識がつく(=料理もうまくなる)ということもある。
ヴィーガンを横目から見る人はいかにも上から目線で高慢のように見えるかもしれないが、
それは縛りプレイをしていることで否応なく食生活の知恵がつき、一見金持ちの享楽のようにも見えるからであろう。
実際は自分のように低所得の理由からヴィーガンになる人もおり、
そして低所得でもそこそこリッチな食生活になるということが可能、という意味で、コントロールができている満足感がある。
全部ぜんっぜん効かねえんだよ俺にはよ
助けてくれ
これに関して俺の答えはひとつ
「いい」
健常者は障害者になりうるし、若者は老人になりうるし、マジョリティはマイノリティになりうるが、人間は動物になりえない
「動物に優しくしておかないと、そのうち人間にも冷たい態度がとられるようになってしまう」ってのはさすがにメチャクチャだろう
だいたい、動物に優しい人が人にチョー厳しいことって結構あるしな 関係ないっすよ
動物をいくら酷く扱っても、それは人間同士の倫理にはそう影響してこないと思う
だいたい、畜産の場で何やってるかなんて普通にしてると見えないしな
魂も死後の世界も存在しないんだし、動物がせいぜい数年苦しんだから何だというのか
俺はそれより食材の幅をとりたい
子供いねえから残したい未来とかないし、俺自身長生きもしたくねえし、人類が栄えていくべきだとも思わないし、人類以外の生物が栄えるべきだとも思わない
温室効果ガス!地球温暖化!つったって明日突然気温が100度になって全員焼け死ぬってことはない
まあ夏が暑くなるのは嫌だし、水害にやられたら悲しいけども、許せる範疇
だいたい肉食わなかったら豪雨が来ないってこともなかろうし、世の中何がどうなって何が起こるかわからん
つか、環境が悪くなっていくのはむしろちょっと面白くもあるんだよな
この2本が、俺の人生における長期的な変化要素として存在してくれている
毎夏だいたい同じような気候じゃあ実際つまらんと思う 20年後の夏は50度とかになってくると、変化があって面白い
期待しています
ンなわけなくない?と思う
野菜ばっか食う食生活のほうが全面的に優れてるなら、さすがに現代に至るまでに人類全体のヴィーガン度がもうちょっと高まってそう
「野菜も食った方がいい」「たくさん野菜を食え」は全然わかるが、「野菜しか食わないほうがいい」ってことはなかろう
実際、家畜の死骸や排泄物は肥料として大いに用いられているはずで、
それが無くなったら困る面はあると思う。
ただヴィーガンの目標(例えば殺生をなくす、環境負荷を減らす)は
畜産を減らせば減らすだけ達成されるものであって(もちろんいかなる殺生も認めないという人もいるだろうが)、
私はあのオーナーの発言は自己正当化のために特に深い考えもなく受け入れている都合のいい考えだと勝手に思っている。
1.ヴィーガンが広がる
→3.高価で高品質な肉は売れなくなり、安価で質の悪い肉だけが売られるようになる
→4.牛の待遇のいい、高価な牛肉を生み出す牛舎は潰れ、劣悪な環境の牛舎が残る
→5.苦痛に満ちた生を送る牛が増える
という感じだと思う。まあ分からなくもない。
まず前提としてオーナーの発言はアニマルウェルフェアの観点から言っているのは文脈上間違いない。
アニマルウェルフェアの観点から言って畜産の問題点は、私のすぐに思いつくものでは(元の文章にも書いたが)
の2つ。
で、ヴィーガンといっても一枚岩ではないから、前者と後者のどちらに重きを置くかは人による部分があり、
その意味で「殺すのは悪(1の論点)」というのを完全に否定する人は殆どいないだろうが、
しかし実際には「殺すのはよくないが仕方ない面もあるので、可能な限り牛の生に配慮すべき」ぐらいの立場の人も割といると思う。
で、先のオーナーのロジックによればヴィーガンが広がることは後者の問題点を逆に悪化させるらしい。
私としてはオーナーの論理は可能性としては言い得るが、あまりに単純すぎると思っていて、
どうなるかは割と不確定だと思っている(もちろんこの回答は曖昧で不誠実だ)。
例えば、ヴィーガンが広がることによって待遇のいい牛舎がむしろ増えるロジックも展開できる。
1.ヴィーガンが広がる
→2.ヴィーガン市場の規模が拡大し、商品の生産・流通が拡大、安く扱いやすいヴィーガン食材を手に入れられるようになる
(実のところそもそも現在でも豆は肉よりも安価ではあるが)。また食肉の消費が減り、肉の価格が上がる
(現在は基本的に畜産は政府によるバックアップがあるのでそれが減れば一層値上がりするはず)。
→3.低所得者にとってヴィーガン食が現実的な選択肢になり、広がる
→4.畜産業界は安い肉を売っても利益が薄いので、富裕層向けの高付加価値肉の生産が増す
という風に言えるわけだ。
ただここではある程度「肉の付加価値」と「畜産環境の良さ」が正の相関を持つと仮定しているけれども、
和牛生産を見ても分かるように必ずしもそうではないので、少しペテン的ではある。
まあでもヴィーガンが増えると食肉業界に嫌悪を抱く人が増えるだろうから、
それに対するエクスキューズとして、「でも可能な限り牛に配慮しています」というポーズは今以上に必要になるはず。
ともかくヴィーガンが増えると言っても、ある日突然増える訳でなく、徐々に増えるはずで、
それにつれて市場も変化していく。その変化につれて、食肉業界とヴィーガン食材生産業界の広告宣伝が活発化するはずで、
その広告戦争の勝敗によって人々がどっちに流れるかがかなりの程度決まるのではないかと思う。
ここからは余談になるが、そもそもヴィーガン生活は経済的余裕のある人しかできないというのは一面では真理だが、嘘でもある。
嘘というのは、実際、豆や野菜は安い。カルディでも大きめのスーパーでも乾燥豆は売っているので、
是非一度見てほしい(料理に使うには大豆は結構使いにくいのでひよこ豆、レンズマメ、ムングダールあたりがおすすめ)。
あとご存じの通り、豆腐も納豆も安い。非常に安い鶏肉と比較すると流石にたんぱく質効率で負けるかもしれないが、
今の段階でも豆によって安価にたんぱく質を十分量摂取するのは現実的に可能だ。
というわけで経済的余裕のある人しかできないというのはネガキャンだと思うのだが、
一応真理でもあって、それは豆を使った料理というのがあまり浸透していないということだ。
つまり、乾燥豆を渡されてもどう調理していいか分からないし、料理のレパートリーもないという人は割と多いはず。
で、そういう情報にアクセスするにはある種のリテラシーが必要で、経済格差と教育格差に正の相関があることを考えると
ある意味では経済的余裕がないとヴィーガン食は作れないというのは真実になる。
また慣れ親しんできた食生活を捨ててヴィーガン食を作るというのには、ある種の趣味的な精神も必要になるはずで、
(追記)
もう今更読む人も少ないかもしれないが、いくつかコメントをもらったので返信する。
コメント自体を引用した方がいいのは分かっているが、面倒なのである程度類型化して返答する。
・君は全くヴィーガンじゃないよね
そうです。肉も乳製品も摂っているので似非ヴィーガンというのもおこがましいかもしれません。
私はヴィーガンどころか様々な菜食主義者の範疇の大体から外れるものだと思っています。
タイトルに「ヴィーガン」の文字を入れたのはインパクト重視です。
ただ私は畜産のサステナビリティを重視しており、この観点から言えば
肉食をやめなくても減らせば減らすほど意義があるとは思っており、
私は生活スタイルや経済状況の許す範囲で消費を減らすようにしています。
ヴィーガンと肉食のどちらが健康か(もしくはどちらでも健康維持は可能か)という
未だに様々な研究がなされている内容に対して一人の意見を聞いて信じること自体が危険ということです。
顕名の方が自らのキャリアに対して責任を負った発言をする動機が生じるため、信頼性は高いとは思っています。
あと何故か「匿名の栄養士を批判している」ならば「顕名のヴィーガンのインフルエンサーを支持している」というロジックが
成り立つと考えている方もいましたが、私はあのインフルエンサーのことは知りませんでしたし、
元記事での言動は断定的で、対話を拒絶するような印象を受け、全く支持していません。
「3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。」
と書いたのに引っ掛かりを覚える人が多かったようです。言葉少なですいません。
ここで言いたかったのは
「そもそも健康の追求は個人的な幸福追求の一つの側面でしかないため、それをどれほど重視するのかは個人の自由である」
ということです。
つまり(そもそもヴィーガンが肉食よりも健康かどうか自体不明なことですが)
仮にヴィーガンの方が健康であったとしても、食べる喜びや畜産業界への思い入れなどの理由で
健康よりも肉食を重視するという選択は当然あり得、その選択はかなりの程度個人に委ねられているということです
(例えば酒とかタバコを長期的な健康を害することを知っていても飲む人がいるように)。
(注:他の2つの論点も勿論考えなくてはならない義務があるということではない。
ただ、ヴィーガンを検討するのであれば他の2つの論点はそれに対する態度を表明する必要性が高い(と私が考える)のに対し、
3の論点は、ヴィーガンの検討において重要な判断基準とはなるものの、取り立ててそれに対する立場を表明する必要性が薄いということ。)
(追記終わり)
はてなブックマークのトップを見たら、ヴィーガン関連の記事がトップに上がっていた。
https://locafra.com/2021/02/27/anatanoketsudan/
この記事はヴィーガン的な価値観とそうでない価値観を検討して、
こう要約すればありがちな記事で、探せば類似の記事も容易に見つけられるだろう。
ただこの記事の特色としては畜産の現場まで行き、そこで短期間ではあれ働いたレポートを含んでいる点で、
労作であると思うし、実地に行かなくては得られない知見も含まれている。
しかし私はこの記事はヴィーガンを検討するという意味では良いものではないと考える。
こんな面もある、こんな面もある、とばらばらと提示するばかりで、
何を犠牲にし、何を選び取るかを明確にしないまま、最終決定をしているからだ。
具体的に言うと、当該記事でも扱われていたが、ヴィーガン関連でよく論点となるのは以下の3つだろう。
2.畜産は環境負荷が過大で、持続可能性がない(サステナビリティ、食糧問題)
で、ヴィーガンを検討するというのであれば、少なくともこれらの論点に対してどのような立場をとるのかを明示すべきだろう。
(注:ヴィーガンを批判するときに、アニマルウェルフェアのみに反論して論破したつもりになっている人が
未だに散見されるが、さすがに時代遅れなので価値観をアップデートした方がいい。)
1の論点であれば、例えば
このときにヴィーガンを選ばない(もしくは肉食を減らさない)ということは、
ある程度動物に苦痛や犠牲がでるのは仕方がないという判断をすることだ。
結局、自らがそのように苦悩したことが贖罪にでもなるかのように、
「アニマルウェルフェアには反するかもしれないが、○○という理由で肉を食べる」
と言うべきではないか。
(注:私は誰もがこのように自らのあらゆる行動の理由を説明できるべきだと考えているわけではない。
あくまでもヴィーガンを検討するというのであれば、この点に関して立場を明らかにするのは必要だということ。)
アニマルウェルフェアに気づいていないなら仕方がないかもしれないが、
筆者はアニマルウェルフェアに触れておきながら最終的な結論を言明しないのだ
(害獣や害虫を殺すのと並列して肉を食べるのも仕方がないかのように言っているが、
これは欺瞞ではないだろうか。
2の論点であれば、
・地下水の枯渇や森林伐採による砂漠化や温室効果ガスによる気候変動を考慮すべきでないか
(注:農耕地の大部分は家畜の飼料栽培のために費やされている。家畜の排せつ物やゲップが温室効果ガスを生みだす。
3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。
「論点をごちゃごちゃにして丸めたら、なんだか分からないがヴィーガンにはならないという結論ができました」
という個人の感想程度のもので、読んで共感や反感を抱く程度ならいいが、
これをヴィーガンの価値観の判断に用いるのは知的でないと思う。
・元記事のブクマの上位に良識派みたいな、(知的でない)よくわからんコメントが並んでいるのには正直苦笑した。
・名前も伏せてある一人の栄養士の意見を信じるのは普通に危険では。
・畜産のサステナビリティについては映画『カウスピラシー』がプロパガンダ映画っぽくはあるけど
とりあえず最低限の知識を図示しながら説明してくれるのでいいと思う。ネットフリックスで観られる。
・私はヴィーガンではないがもっぱら自炊はヴィーガン基準で作っている。
メリットとしては乾燥豆や豆腐は安いので、食費が安くなったこと、
肉を使わないのでいちいちまな板を洗わなくていいことがある。
・肉を日常的に食べている人にとってはヴィーガンはあまりに不可能に見えて、
しかし意外に難しくはないので、縛りプレイぐらいの気分で一週間でもやってみるといいと思う。
私も最初はヴィーガンは何となく意識高くてキモいと思っていたが、
試しにやってみるとそんなに大袈裟なものでなく、大抵の人にとってはやろうと思えばできる程度のものだ。
・肉食をやめるというとあれも食べられない、これも食べられないと失うものばかり考えてしまうかもしれないが、
菜食には菜食の面白さがあるので是非一度は試してみてほしい。
・インド料理は野菜、豆料理で美味いものが色々とあるのでおすすめ。
私はもともとインド料理をよく作っていたので、菜食に抵抗が薄かったのかもしれない。
どれくらいそれらを摂っているかというと、筋トレをしているので日に2回飲むホエイプロテイン、
サイゼリヤ(週に5回は行っている)に行くときに頼むチキンとブロッコリーのサラダとミラノ風ドリア、
たまにワインのつまみに買うチーズと鶏肉系のテイクアウトぐらい。
というわけで、割と食べているんだけども、大抵の人よりは少ないと思う。
でもどう考えてもヴィーガンではないので、特に菜食主義者を自称もしていない。
・半年以上、ヴィーガンスタイルの食生活(ただし一部のサプリは摂った)で生活したが、
特に不調はなかった。現在、上に書いたように肉や乳製品を摂っているのは、
生活スタイル上、一食は外食になるのと、筋トレをしているので安価にたんぱく質を摂るため。
ワインのつまみに関しては完全に嗜好品だが、最近ワインを飲み始めたので食べ物との相性を
見るために食べているという感じで、今後も食べ続けるかは分からない。
・ヴィーガン的な食生活をしていたときも、今も特に肉をどうしても食べたいと思ったことはない。
食べれば普通に美味いと感じるが、それだけ。その後も尾を引いて食べたくなるということはない。
ただサシの入ったような脂の多い肉は少し受け付けにくくなった。ただの加齢による嗜好の変化かもしれないが。
畜産は環境負荷が大きいっていうけど、大豆だって連作障害があるから対策に大量に肥料が必要だったりするんじゃなかったっけ
つーか人間が大量に生きてる限り、自然環境を破壊し続けるもんでしょ
人類社会ってのは外敵たる自然環境と対峙する為に発展してきた訳だし
環境問題を根本的に解決するには人口を減らすしかないし、その意味で環境問題の改善に近年で一番貢献したのは新型コロナって事になっちまうんだよな
ヴィーガンに賛同する人が増えることによって環境負荷を抑えられれば、畜産も持続可能になる道が開ける
肉食をやめられない野蛮人こそヴィーガンを攻撃すべきじゃないんだよ
フィッシュオイルをありにするかなんてのは、ヴィーガンの中でもそれぞれで基本的には必要ないならとらない人が多く医療的に健康上必要なら摂取するというだけの話
横だけど浅いなお前
肉食ってのは環境負荷が大きいからみんなが好きなもの食うってスタンスだとそのうち金持ちしか肉食出来ない社会がくる
まさか畜産の環境負荷の大きさ知らずに語ったりしてないだろうな
ヴィーガンってのはそういう観点からも普及するべき優れた思想であり習慣なんだよ
分かる?
じゃあなぜお前はスマートフォンをイチから作れないのにスマートフォン使ってんだ
「自分で生産できないものは消費してはならない」みたいな事実、まったくないだろ
そんなこと言われたら俺は裸で飢え死にすることしかできないぜ
俺が犬を食べないのは、カエルを食べないのと似たような理由 売ってないし、食べたことなくて不気味だから
俺は破滅主義者で反出生主義者なので、環境を保つことにはまったく意味を感じない
むしろ、自分が生きてる間にクソ長い時間をかけて育まれた生命の歴史が終焉に近づくんだったら、いいもの見れてラッキー感がある
未来を託したい子供もいねえ いまの生活もどうせ苦痛だし結構どうでもいい 全部メチャクチャになったら多少は困るだろうけど、それはそれで面白いので可
生きてる間は肉が食えるといいなと思う
普通のやつは隣のやつが何喰おうと興味ないし、何か言うモチベーションはないよ
でもヴィーガンは違うでしょ。隣で動物の死体食われたら黙ってられないんじゃないの?沈黙は同意とかなんとか考えてさ。何か言うモチベーションは高いよね
だからケンタッキーとかの企業に抗議するんじゃん。本当に肉食に寛容なら抗議しないよね?
つまり、ヴィーガン側から喧嘩売ってんだよ。ニワトリか卵かじゃない。ヴィーガンが先だ。
で、ヴィーガンの言う事って動物さんかわいそうみたいな感情論でしかないよね?別に人権のない畜生が殺されようとかわいそうとは思わないが?
五体不満足かつ池沼だろうと人間のまんこから這い出てきたんだったら人間だし我々と同種だし人間が作り出した法の下に置いて保護されるべき存在ではあるが、我々と別種の意思疎通も当然できない畜生なんてどう扱われてもいいんだが?
豚を殺して犬をかわいがることも矛盾しないよね。畜生をどう扱おうと人間様の気分次第なんだから。
畜産は非効率だしそこに回す食料を人類にいきわたらせれば食糧難は解決する?
それは畜産の話であって、魚やイノシシやシカを食べない理由にはならないよね?
ヴィーガンから喧嘩売ってる割に理屈がボロボロなんよ。まじで。
せめて喧嘩を売るな。肉食のやつに寛容になれ。