はてなキーワード: 棺桶とは
夫と一緒に見に行ったんだけど、なんか夫は納得?満足?してて、余韻に浸ってるのかなんなのかわかんないけど、そっとしておいて欲しい…みたいな空気出してるから聞けない
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
アスカってなんで眼帯してるの?あの眼帯の中はどうなってたの?中から出てきた青いのはなんなの?
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?なんか私が見てないだけでウィレ?ができるまでの映画とかアニメとか設定とかがあったの?
どうでも良いけど、ミサトさんと加持さんガンダムSEEDのマリューラミアスとムウラフラガみたいだなって思った
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
いや、若え衆使えよ。なんで棺桶に片脚突っ込んでるのばかりなんだよ。
気持ちの整理をしたくなって書き始めたのに、言葉がうまくまとまらない。
寝てないからかな。ちゃんと夜に寝て朝起きる生活がしたいんだけど、今日はなんでか眠りたくなくて、ずっとスマホを弄っていたらこんな時間になっていた。
やっぱり寝ないと思考力が低下してだめだな。ママが恋しいポエムを書き連ねるはずが、派手に脱線事故を起こしてしまっている。
まあいっか。匿名だし。顔も名前も知れないどこかの誰かとしての吐き出しだから、見苦しい気持ち悪い文章であっても、まあいっかー、って。
で、そろそろ当初の目的を思い出そう。
私の母は、2ヶ月程前に急に倒れて意識不明の重体となり、それから数日後に帰らぬ人となった。周囲の誰もが普通の元気なおばさんだと思っていた母は、高血圧が原因で脳出血を起こした。そして死んだ。
高血圧ってめちゃくちゃ怖いんだな…と、母が倒れるまで全然知らずに生きてきた自分をぶん殴りたい。
母の血圧が高いらしいとは知っていた。それなのに、高血圧のリスクを知ろうとせず、なんとなくまだまだ生きているだろうと思って、ろくな親孝行をせず、むしろ親不孝者でありながら開き直って生きてきた自分を、過去に戻って変えられたらどんなに良かっただろう。
いくら願っても母は生き返らないし、私の人生は明日へと進み続ける。過去には戻れないし母がまだ生きているパラレルワールドにも行けない。
母の死に目に合えずに泣いて、冷たくなった母に触れて泣いて、棺桶に入れられた姿を見て泣いて、火葬場で最後のお別れをしながら泣いて、ぼろぼろに焼けたお骨を拾いながら泣いた。
葬儀が終わっても、母とよく行ったスーパーを見て泣きそうになり、母が好きだったお菓子を見かけて泣きそうになり、母のことを語る時に「母は生前…」と口にしたら母は死んだのだと改めて実感して泣きそうになり、母が喜びそうなスイーツを見つけて「母はもう食べられないんだよな…」と思った瞬間に泣き喚きたくなり、とにかく何かにつけて泣いたりこらえたりしていたら2ヶ月以上経過していた。
最近はだいぶ落ち着いてきたと思っていたが、さっきから涙と鼻水が止まらなくて、鼻をかむために文字を打つ手が度々止まっている。そもそも真に落ち着きを得ていたのなら、気持ちの整理と称してメンヘラポエムを書き始めたりしないのでは…?
私の母は病院や薬、医療というものがとにかく嫌いな人で、血圧を下げる薬などは一切飲まずに暮らしていた。食事なども血圧に配慮することなく、食べたいものを食べ、好きなように生きていた。
……好きなように生きていた、と言い切っていいんだろうか。
なんというか、血圧を無理に下げようとはせず、ありのままに生きていたのは確かだと言えるだろうけど、人生そのものは全然好きなようにできていなかったんじゃないのか、と考えてしまう。
私がこうしてうじうじめそめそしている様を、母はあの世から見守っていたりするんだろうか。
母よ、娘は元気じゃないです。もし霊界なるものがあって、母がそこから私を見ているのであれば、あれば…なんだろう…今更求めることは特にないような気がする。
私が母の死に対して気持ちの折り合いをつけるのは、私が一人で考えるなり周りの生きてる誰かにこぼすなりしてどうにかしていくことであって、死んだ人間に助けを請うたところで不毛でしかない。
だいたい生前幸せだったのかを疑問視する母に対して、死して尚何かを求めようというのがもうだめ。発想がだめ。
なんだか疲れてしまったよ。気持ちの整理はあんまりできてないし、むしろあれこれ思考が飛んで収拾がつかないし、泣いてたらちょっと頭いたくなってきたし。
ここ10年というもの、表現者の端くれとして、気の合う仲間とライヴ演奏活動をしたり、パーティーなどに神出鬼没して自由気ままな音楽のやり方を実践したりしてきましたが、今年2月にコロナ禍が到来してからはそんなわけにもいかず、ただひたすらに自分が今までやってきた音楽表現を反省することに時間を費やしていました。
それをするため、都内にあるとある「ライヴハウス」に度々寄らせてもらい、お客さんを呼んで行うライヴの域に達しない程度の弾き語りをさせて頂いたりしていましたが、思うところあり、本日12月6日を最後に、その場所及びそこを活動拠点とする音楽仲間との接点を、表現者としての自分が精神的に落ち着くまでの間、解除させていただくことを自主的に決心致しました。
端的に理由を言うと、自分がその場所と関わり続けることが、何かの妨げとなっているとしか思えなくなったからです。
2017年の夏にその場所に初めて足を踏み入れてから、自分の表現者としての振る舞い方の幅が広がっただけでなく、より広義な音楽仲間との付き合い方を手に入れた気がしていました。過去作って恥ずかしさのあまり封印していた曲を掘り起こして堂々と歌ったり、慣れない類の音楽演奏に自分なりのやり方で絡む術を手に入れたり、色々と楽しい思いをしてきましたが、コロナの到来後、こうした音楽実践方法論が意味を持たなくなったばかりか、それによってある種の人を遠ざける結果になったのではと思わせる気配を、周辺人物数名の言動から感じ取れずにいられなくなり、その度に苦しい思いに駆られるようになりました。
なら、その事を一切考えずに人生を歩むのがベストなのです。そのために、自分が謝らねばならない相手が何人現れようが。
しかし、この決意をするにあたって決定的要因となったのは、つい2日前に目に飛び込んだあるニュースでした。
詳しいことは、そのニュースで告知された出来事の執行が遥か先の話ということで、ここでさえ語ることができません。基本的には、非常に目出度いニュースであり、自分もそう思ったはずです。もし、昨年11月のある日に「その場所」にいなければ。
その日、その場所で私は例によって、封印されていた昔の自作曲を歌っていました。本来なら、誰の心をも動かすはずのない曲の群れです。故に封印されていたのですから。しかし、その夜だけは違っていました。その後しばらくの間、かつてない規模で音楽的幸福を味わい、そして散りました。コロナのコの字も伝わってこないうちにです。その短い間の出来事が、まるで兆候のように感じられました。決定的な終幕は、「その場所」に導いてくれたある人に対して、自分が過剰に心配してしまったせいで訪れたのです。
その時に「その場所」との縁を切っておけばよかったんだと思いましたが、自分の音楽哲学を唯一受け入れてくれる場所を、そう簡単に蔑ろにできるわけがありません。そんな、自由な戯れへの捨てきれない思いを、コロナがぶっ壊しました。表面的には、です。
でも、結局一番情けないのは、自分の信頼されなさです。だからこそ、いい結果が出ないのです。
先の目出度いニュースに対して寄せられた嬉しいコメントの数に、改めて心を痛めました。そこまで見守られているのなら、自分如きに寄りかかる必要なんかなかったんじゃないかって。それに比べて、自分は何なんだ。いかなる建設的意見を呼びかけようが、誰も反応してくれない。
もう、自分は人に信頼されるために表現を行える身ではないのです。単に年輪を重ねた生きる屍ですから。文頭で一旦「表現者としての自分が精神的に落ち着くまでの間」としましたが、どうやらその時は自分が棺桶に入る時だと思われます。
以上、極めて個人的な見解になりましたが、従来行ってきた対外的音楽活動再開への道が益々狭まる一方なのは否めなく、今後は全く別のアプローチを探ることになるのは目に見えています。コロナの終息をそう簡単に願えないからには、今まで捉えてきた「絆」の在り方そのものを劇的に見直さねば始まらないのです。
「その場所」が誘ってくれた、全ての絆に愛をこめて。何よりも、命を大切にね。
他にも書いてあるけど、「お焚き上げ」に見られるように「焼くことで供養する」という感覚は日本には古くから存在している。
お盆の迎え火、送り火もあるように、「火」は古来日本の宗教観ではむしろ聖性を持った存在で、祭りにも多く取り入れられている。(火葬は明治以降なので違うのだが)
仏教に限ればさらに、死んで仏となったものは何かを燃やした「香り」を食べるともいうな。だから線香。
そうした感覚の持ち主(である自分)からすると、ご父君のご友人方の行為は、「思い出を煙と化して、天に昇った友人に届けようとする」、手紙のような行為だろうなと想像される。
生き死にの場面で「何かを焼くこと」が侮辱になるのは、棺桶に収めた上での土葬が中心の、キリスト教的な価値観ではなかろうか(いつか来る復活の日のために遺体はそのままにしておく。焼くのは復活を不可能にしてしまう行為)。