はてなキーワード: 時代錯誤とは
ネットオタクじゃないよ、俺。日常的にアマゾン使ってるだけでネットオタクにされちゃったよ。普通の男だって例えば大人のオモチャとか電気カミソリとかスマホとか家電とか買うでしょ?
アマゾンで買ったことある?っていう質問は、もはや時代錯誤的に聞こえるのよね。もうその会話聞いた時、何年前の会話って思ったわけよ。そう思わない?
そして、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのファーウェイを知らないなんてありえなくない?知ってて「俺、中華スマホはちょっとね...」だったらわかるのね。世の中広いなと思ったわ。
「本質的な意味や目的が同じであれば、一つの体系にこだわらなくてもいい。むしろ拘ることこそ、視野を狭くする要因になる」
宗教という体系から生活の意義を教えたくて、立ち上げたらしい。
だけど、周りには「ただのウザい奴」だと思われている。
生活教に入信していることを自称する人間たちも、9割は面白半分でやっているだけだ。
なぜなら俺たちの町では……いや、現代社会において宗教は時代錯誤だから。
長い歴史によって文化として根付いたケースもあるけど、その隙間を新興宗教が入り込む余地は全くない。
科学で大体のことは説明できるし、俺たちはそれを深く理解していなくても生きていける。
おんぶに抱っこだと、たまにエセ科学に引っかかることはあるけど、それは別に科学が悪いわけじゃない。
体系にそういった“ノイズ”が入り込んだり、未熟な人間が邪魔をするのは他のことにも言える話だしね。
「さあ、皆さん。生活をより良くするためには、何が必要だと思いますか?」
「健康ですか」
「正解です。より厳密に言えば、この“健康”とは身体と精神の両方を指しています。まず身体に必要なものは何でしょう?」
「野菜とか、ですか」
「そうですね、野菜。身体に良いとされているもの全般。ですが、それだけでは足りないですよね」
教祖は、相も変わらず二流ブロガーのライフハックみたいなことを説いていた。
信者たちも面白半分で付き合っているのに、良くあんなの笑わないでいられるな。
「さあ皆さん一緒に、目を瞑って。森羅万象に宿る精霊と魂で共鳴し……おっと、呼吸をすることを忘れないで。愚か者は呼吸することを忘れます」
けど、これに真面目に付き合う人は誰もいなかった。
信者の間では、教祖がこれで目を瞑ったら一斉にその場を離れる、という遊びが密かに流行っていたからだ。
ガキの俺が言うのもなんだけど、ガキくさい遊びだ。
まあ、大真面目に付き合ったなら、それはそれでどうかって気もするけど。
「花の精霊が、皆さんの目や鼻、口から入り込むのが感じるでしょう……」
恐らく気づいているだろうに、それでもやり続ける教祖も大概だよな。
「……さて、今日の布教活動はこんなところですかね。あまり悪目立ちすると通報されかねないですし。私個人のせいで、生活教に泥を塗ってしまっていけない」
教祖は、いそいそと退散を始めた。
この教祖が世間では「ちょっとウザい奴」で済んでいるのは、こんな風に謙虚なところもあったからだ。
大仰に場所を占有したりだとか、商売紛いなことをしているわけでもない。
普段は地域のイベントに精力的に協力したり、善良な市民であることをアピールしているのも効いている。
ただ街中で声高に叫ぶ、ストリートミュージシャンみたいにしか思われていないってことなんだろう。
教祖的には不服だろうけど、これが生活教の、俺たちの街での日常だ。
……だけど、その日は違った。
「え? 自治体って……どこのです?」
「ここら辺の自治体です」
「いや、『ここら辺』と言われても、たくさんありますし……」
教祖は警戒している。
なにせ、この町には自治体が多い。
中にはヤクザに片足突っ込んだようなのまでいる。
「我々のことはいいんです。こちらの質問に答えていただきたい。生活教が最近、“寄付”という名目で商売紛いのことをやっていると連絡を受けましてね」
「ええ!?」
おおっと、いつかはやると思っていたが、とうとう馬脚を現したか新興宗教。
親の方も、まともな人はそれ分かってるから子供と同居なんかしたがらないのが普通だしね
詳しそうだから教えて
わいせつ図画頒布罪は『最低限の性道徳』を守るものという判例があり(チャタレー事件&四畳半の襖事件。この判例について時代錯誤その他の理由で批判する意見は多数あるし、俺も疑問に思っているがとりあえず今現在もそういうことになっている)、最低限の性道徳はマンガや絵であっても含まれる(松文館事件)。ちなみに刑法のこの条文に触れると、R-18などではなく根本的に出版したり売ったりすることそのものが犯罪になる。
じゃあその『最低限の性道徳を侵害する、わいせつな図画』とは何かというと、現在は実写でも絵でも、『例外(医学書とか)を除き、性器を直接的に描いているもの』が事実上の基準になっている。
AVを見れば分かりやすい。男性器&女性器はモザイクがかけられているが、肛門やおっぱい等はセーフになっている。
(余談だが、女性器の中を内視鏡で見るシチュエーションでは、一定より奥になるとモザイクが外されている。どうやら外性器が問題らしい)
そういうわけで、エロマンガでも男性器&女性器でも修正は必要になっている。
どの程度修正するか、については警察がどこまで取り締まる&取り締まらないかの裁量との兼ね合いでやっているとは思うがどのように決めているのか詳しくは知らない。
それとは別に、今でもカリ部分だけの修正で大丈夫なのか。この辺はコアマガジンの家宅捜索(2013年)で多少厳しくなったとされていて、俺の手元にある2014年以降に出たエロマンガでは竿部分まで修正が入っているのばかりだが。(※サンプルは一桁)
なお、ダビデ像や春画などの古典芸術は基本的に最低限の性道徳には触れないようだ。もっとも、ダビデ像にモザイクかけたらそちらの方がよほど猥褻だとは思うがw
読み返してみたら引きずられて論旨がおかしくなってたな。
としたつもり。
だからレスで言っているのは対応策の案Aのみ取り出して騒いでいるだけ。枝葉末節ではなく、全体を見て欲しい、と言いたかった。
まあ、この女人禁制というルールについては、個人的には相撲をスポーツとして扱えない理由の一つだろうし、やっかいだなあ(時代錯誤だとも思うし)、くらいの認識。
我ながら、言葉足らずだったなあ。
ここ数年における現実の対話相手の能力が高すぎたおかげで察してくれるので、
フェイクニュースが流行している昨今, 適正なリテラシーを持ち合わせない人の選挙参加によって悲劇的な結果を招く事は実際に起こり得ると思う.
昔は知識階級を定めて選挙権を制限する事が行われたのかも知れないが, 時代錯誤で非合理的である事は明らかである.
という訳で, 選挙で候補者や支持政党を書くだけではなくて, クイズも同時に行うのはどうか.
そのクイズの正答率によって票の重みが変わるようにするのである.
ここでのクイズの内容は
等を想定している.
他には歴史的事実についてのクイズも考えられるが, 私がその方面に明るくないため上の例に挙げなかった.
クイズの問題決定が課題となるが, 例えば各党から独立に問題を持ち寄って第三者機関が解答を決めるという方法は良いかも知れない.
お返事どうも。
女性はフェミニズムという既得権を守ろうと必死な割に、「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という大昔のジェンダー観を後生大事に持ち歩く。
ですね。電車に限らず駅構内で「無実の男性」と「女性」を比較すると、女性の方が強い。 http://biz-journal.jp/i/2016/03/post_14463_entry.html この男性は自殺してますね。他にも有罪になった男性はいます。政治的な正しさ、という観点では無辜の人間を罰している段階で男性を救済すべき方向に振れるべきだと思うんですが。男性にはポリコレが与えられにくい。
どっちもどっちなのですが、そこで男性はずっと女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切るのはもうかなりの時代錯誤
今までも、これからも感謝されない、価値も認められない、のであれば、なおの事、女性に何かする理由が無くなっちゃいますねw いやそれが悪いと言ってるんじゃなくて、そういう時代なんだなー、と。
私は嫁さんが料理を作ってくれると感謝したり褒め称えたりしてますけどね。
あと嫁さんも私が何かすると感謝してくれたり誉めたりしてくれる。
そういった感謝のやり取りのない、無関係で無実で疲れているかもしれない男性に「それでも男性は女性は守られるべき」って言うのは、マッチョだな、と思いました。性役割分業での「男性は強いので女性を守るべき」というマッチョ。
もう、そういう押し付けから男性は解放されてもよいかなー、と。今回の女性専用車の件で。
ここ面白いですね、これ私は逆だと思っていて「男性が女性を守らなくてよい(守るのは自由意志)」のは新しい価値観だと思います。
「男性は女性を守るべき」という意識が男性の中で確固たる状態にあるなら、そもそも女性専用車の議論って発生してないんです。それは「男らしくない」と断罪される。今はその辺が揺らぐくらいには性役割分業から解放されつつある。
引き続き、元増田です。
ただそういう人たちのことは置いておいて、今回の件は反対する側も強引だったように思います。
たまに障碍者が何かしてもらったときの態度が横柄だと叩かれることがありますが、人の助けを通常より多く受けなければならない境遇にある人間は、常にこうべを垂れて生活しなければならないのかということが問題になります。
その言い方に敢えて乗るなら、「常にこうべを垂れて生活しなければならない」のであります。
むしろ「こうべを垂れる」程度で守られるというのは恵まれたポジション。大半のひとは「こうべを垂れ」ても守られやしない。
現状、女性が守られるべきでない理由はこれとはちょっと違うと思っていて、
女性が女性側の分業を放棄したうえで「守られる」のはフリーライド以外の何物でもなく、であるならば「こうべを垂れる」しかないのでは?
確かに社会的にはもうそろそろ庇護は要らなくなってきた女性に対して、腕力の面では、腕力のある男性と比べて庇護対象である場合が多いという理屈は、
何回か書いているが、男性に対して望んだわけでもない「腕力」を持ち出すのは、「暴力」であります。
例えるならそれは、子供を産めることを特権だと主張する様なもの。
現代社会では基本的に使い道のない、女性に向けて振るわない「腕力」を持ち出して「守れ」と迫るのは男性への「暴力」。
どっちもどっちなのですが、そこで男性はずっと女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切るのはもうかなりの時代錯誤であるし、
差別という言葉もちゃんとした定義がなされていないまま宙ぶらりん、
女性はフェミニズムという既得権を守ろうと必死な割に、「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という大昔のジェンダー観を後生大事に持ち歩く。
ここも一緒くたにするには無理があると思っている。
男性が「女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切る」ことは一応の筋は通せる。これからも女性を守る前提ではあるが、「大昔のジェンダー観」という規範に基づく。
こういう主張の男性が、「女性は守らない」と主張すると途端に筋は通らなくなるが。その場合は当然、非難されるべき。
しかし、女性が「フェミニズムという既得権」によって得たのは「大昔のジェンダー観」とトレードオフなので、まったく筋が通っていない。
「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という価値観を放棄するのはフェミニズムである以上、フェミニズムで得られたものを持ったまま「守られるべき存在」にはなりえない。
まあ確かに、ここで口汚く罵る女性の姿も決して褒められたものではありません。
女性も男性も、こういうのが無駄なヘイトを生むのだろうなと苦々しく思います。
ただそういう人たちのことは置いておいて、今回の件は反対する側も強引だったように思います。
たまに障碍者が何かしてもらったときの態度が横柄だと叩かれることがありますが、人の助けを通常より多く受けなければならない境遇にある人間は、常にこうべを垂れて生活しなければならないのかということが問題になります。
確かに社会的にはもうそろそろ庇護は要らなくなってきた女性に対して、腕力の面では、腕力のある男性と比べて庇護対象である場合が多いという理屈は、普段から女性に対してよい印象がない男性にとっては、飲み込むのにちょっと抵抗があるだろうなということは、想像に難くない。
どっちもどっちなのですが、そこで男性はずっと女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切るのはもうかなりの時代錯誤であるし、差別という言葉もちゃんとした定義がなされていないまま宙ぶらりん、女性はフェミニズムという既得権を守ろうと必死な割に、「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という大昔のジェンダー観を後生大事に持ち歩く。
だから女性専用車両の話もそれらをごちゃ混ぜにして拗れまくっているのでしょう。
今は社会からみたら若いほうの人間として年上の人の時代錯誤的な振る舞いや言動にギョッとすることがたまにあるけれど、
・今はギリギリ許容されてる差別的な言動に自分で気づけなくて、それが許容されなくなった未来にハラスメント老人になってたり、
・長生きして自分の世代が多数派になったときに将来の若者世代の痛みを理解せずに、経済的に逃げ切るためのような行動をとってしまったり、
・加齢が原因で体力が落ちて精神的な余裕もなくなりあらゆることにイライラして周りの人の余裕を失わせたり、
そんなふうに気づかないうちになってしまうことが怖い。
思いやりの気持ちでそうならないように対処していきたいけど、精神力の源泉は健康・財力・体力だと思うと身もふたもない感じでつらい。
アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観て思う,「そういえば最後に手紙を書いたのはいつだったろうか」.
インターネットが発達して,わざわざ人が紙に文字を書き,数日かけて離れた人に届く『手紙』という文化は久しくなった,と思う.現に郵便局での郵便物の扱う数は減っている[1].少なくとも自分はTwitterであったり,このように誰が書いたかも分からない匿名日記として言葉を残すだけ,鉛筆を握ることもあまりなくなった.若い世代では皆そうなのではないか.年に一回の年賀状というものさえ減少傾向にある[2].
そんなご時世に,このアニメだ(正確にはこの基となったラノベは2015年に出版されている.が,いずれにしても手紙の文化は消え始めているように思う).自動手記人形という職人が,文字の書けない人・上手く言葉にできない人の思いを書き起こす,というちょっと昔のヨーロッパといった感じの世界観.
時代錯誤だ,と最初は思った.しかし時代相応でもあるのだ.と今は思う.
手紙は限られたリソースの中で,自分の思いを伝える手段であった.羊皮紙にペンで丁寧に書き,封筒に入れて封蝋をする.一つでも間違いがあればやり直しだ.インターネットのある今ではそれが分からない.2chでは罵倒の嵐,Twitterではクソリプが飛び交う...ACジャパンすら懸念を表明しているゾ.
だからなのか,丁寧に書かれた人の思いを(アニメの中ではあるが)目にすると何故か泣ける.いつからか,こんなにもマトモに人に思いを伝えることをしなくなったのだと思い知る.
そして手紙を出したくなる.
[1] http://www.stat.go.jp/data/nenkan/66nenkan/zuhyou/y661503000.xls
[2] https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20160110-00053278/
成人式のニュースを見るたびに、昭和のヤンキーが登場してくるのだ。
インターネットがここまで普及すればどんなに田舎で生まれ育ったって、時代錯誤なことがわかるだろう。
100人が見れば99.99人はダサすぎて死ねるって思うレベルだ。
そこで仮説を立ててみた。
これはなかなか有力だと思ったが、嫌がっているように見えない。。。なぜだ??
これは幾分可能性がある。情報が完全に遮断されているのだ。貧乏な家庭しか築けない、つまり親は低知能なDQNの可能性が極めて高い。
DQNであるということは、差別的な発言になって申し訳ないが、これは一種の重度な知的障害であり、結果一般人には理解できない。
ってのは、相手の女性が両親ともに居ないか居ても遠方で滅多に会えないか毒親で縁を切っているとかでない限り無理だろ。
嫁に出したら実家の敷居は跨がせないなんて時代はとっくに終わってて、今は母方実家の手助けを借りながら共働きするのが普通だから。
そこで父方実家が出て来るのは、何らかの理由で母方実家が機能していない&母親本人が父方実家の手助けを望む場合くらい。
(母方実家が頼れなくても、父方実家を頼るくらいなら一人で育てた方がいい、と言う母親も多いからね)
そこで母方実家より父方実家を優先する事を妻に強制したら、下手すりゃ離婚要因になりかねない。
なのでむしろ父親しかいない&毒親風味なその女性は、増田にとっては都合がいいんじゃないの。
育児支援という意味では役に立たないだろうし、毒親なら縁を切らせる事も出来るだろうから。
縁切るまではできなくても、父親の生活費を出す代わりに自分の親の面倒も見ろと言えば相手も仕方ないと思えるはず。
これが普通に両親が揃ってて裕福で良親なんて女性だったら、自分の実家より夫の実家を優先する事はまずないし
親の面倒見ろなんて言ったらお前が自分で面倒見ろと言い返されるだけだよ。
それ以上強制したら離婚されるだけ、裕福な親持ってたら離婚しても困らないから。
と言うか、時代錯誤な自分の親に現実を教える方が早いと思うが。
今の年寄り間では「息子しかいないなら孫にはろくに関われない」が常識になってると思ってたけど。
(逆に「娘が子供を産むと孫育て要員としてめっちゃこき使われる」も)
よっぽど田舎在住とか?