はてなキーワード: 感情移入とは
伊集院光さんがラジオで「最近のFFは感情移入できない。主人公がイケメン過ぎる。俺ブサイクなのに」という主旨の事をラジオでたまに言ってる。
聞いてる分には納得なんだけど、俺は真逆で、主人公がイケメンな作品見てる時は自分までイケメンになったかのような気分で見てる。
そして自分がブサイクだからこそ、その擬似イケメン体験が気持ち良かったりもする。
こういうのってもしかして少数派なんだろうか?
ルックスに限らず、例えば腕っ節が強い主人公の作品見ると自分まで強くなったかのように感じるとかってあるあるだと思うんだけど、その感情移入の度合いが強いとか?
http://anond.hatelabo.jp/20150912234706
「鬱展開」って手垢がつきすぎててNGワードにしたいくらいなんだけど、本来的にはアニメで(もちろん映画やマンガや小説でも)つらい目に遭っている登場人物と同じくらいつらく感じること(感情移入)って、悪いことじゃないだろ? むしろそれこそが傑作の必須条件じゃないか。逆に、他人ごとに感じさせる作品は駄作とすら言ってもいい。アイドルという浮世離れした世界を描きながら、普通の人にぐさりと刺さる心の痛みを描いてるという意味で、すごい傑作が誕生している瞬間に立ち会えてわくわくしてるな、おれは。
しかもこの作品はなんといってもアイマスだよ。最終話はまちがいなく、華々しいライブシーンとともに輝きを取り戻した卯月が120%の笑顔で復活するはず。いま、卯月と同じくらい落ち込んでいればこそ、その輝きもまた自身のものとして感じられるんじゃないかな。だからおれは、いまはつらくてしょうがないと同時に、この先の2話がもたらしてくれるだろうカタルシスが心底楽しみ。
映画の内容がわからなかった。27歳になり無職になった子がヒロインなんだけど
なぜか、その子に感情移入をし過ぎてしまった。その子のパートになり目が滲み鼻をすすってしまう。
隣に座ってた人が、それに気付いてこっちに視線を飛ばすのがわかった。めっさ、恥ずかしい。
もう、こうなってしまうと、スクリーンとの焦点はブレブレで、思い出が勝手に蘇り、その間だけ話が飛ぶ。
完全に迷子になることは無かったが、ヒロインが立ち直る理由が飛んでしまった。
前向きになるヒロインに対して、感情移入しすぎた自分は、ただ置いてかれる。
隣の席からすすり泣く声が聞こえて、感動するシーンだとやっとわかる。
シートに沈み込んでしまったので、だるくて立ち上がるのを億劫にしてると、隣の席も立ちあがらない。
映画の終わりの余韻に浸ってるのだろうか。
終わった実感さえ無い自分には、何かを強制されてるような感覚になり億劫になる。
劇場を出ると、風が冷たい。ぽーっとする。頭が痛い。
小さな子供である自分は、入院している病院から一時帰宅することになった。暗くなった頃に病院を出て両親と歩道を歩く。嬉しくて仕方がない。途中ケーキ屋にも寄る。
街路樹が並ぶ道は、右側に大きな病院、左側はよくわからないけど普通に建物が立っている。少し先には路面電車が走る通りがあり、そこにケーキ屋もある。路面電車には乗らない。ケーキ屋をすぎてさらに少し歩くと地下鉄の駅があるので、そこから地下鉄に乗って家へ帰る。
こんな嘘の記憶が昔からある。実際には入院したことなんてないし、この記憶の中の両親は実際の両親とは違う人だ。たぶん子供の頃、映画かドラマに感情移入し、その中の子供の立場で嘘記憶として頭にこびりついているのだろう。
それでもなぜかこの記憶は大切に思え、2chのスレでそういう話の流れになっていたとき、上記のことを大雑把に書き込んだこともあった。(ググってみたけど、どういう言葉で書き込んだかわからず見つけられない)
しかしある日ストリートビューで、これってあの記憶の中の場所じゃないか?というぐらい似ている場所を見つけた。その都市自体は好きで何度も行ったことがあるが、その場所は観光客が行くような場所ではなく、もちろん近寄ったことがない。
大きな病院を出て、病院を右に見ながら移動すると、ケーキ屋ではないけどお菓子屋のある角で路面電車と合流する。それを少し過ぎて左に曲がると今度は地下鉄の駅。あの記憶ととても似ていて心がざわつく。
でも同じ地下鉄路線の別の駅のほうがはっきりと病院から近いので、普通お菓子屋に寄るにしても遠いほうの駅までは歩かないだろうなと思う。また、ストリートビューで見るそのお菓子屋は、外観の雰囲気こそ記憶のイメージに近いが、ケーキ屋ではないようだ。
それでもなぜか少し泣けた。細かいことはどうでも良く思えた。
そして今日、その街に住んでいる人からたまたま、ストリートビューで見たお菓子屋の話を聞いた。あちらではそこそこ有名なチェーン店なので、そのチェーン店全体の話であって、該当店舗の話ではない。
そのお菓子屋は今でこそ和菓子中心だが、昔は必ずケーキを大々的に扱っており、そこのケーキが懐かしいという思い出の話だった。
まーだ繋がるのかという感じだ。
馬鹿馬鹿しいかも知れないが、一度そこへ行って歩いてみようかと思ってる。客観的に考えると、嘘記憶の元になった映画かドラマのロケ地かも知れないが、そうだったとしても歩いてみる価値はあるだろう。
「投票したやつ責任取れよ」とか民主制権樹立後の執政でも言ってた奴いたけど、大多数が「投票したやつ」だったから政権取れたんでしょ…。まぁ、僕は民主政権の時は自民、自民政権が拡大しそうな時は共産に入れて見事に責任を回避してますが。最近は前評判で政権が決まりすぎるからさ
まぁ、「誰々に投票したやつ責任取れよ」とか言うやつにいいたいのは、いちいち責任とってたら誰も責任のある発言ができなくなっていくし、そうなってしまって「老害」と呼ばれてるのが今の政治家であり経営者だよってこと。別に失敗したり流されてもいいけどそこから学んでくれたらいいじゃない…
リーガルハイ2とガッチャマンクラウズインサイトは本質的には同じ話なのか…。空気が作った正義と戦う人の話という意味で。ただ、こういう話は人気でないんだよな…。社会批判であるようで自己批判だから。娯楽としてそれを肯定した時、それは自分自身を疑う、自分の嫌な部分を投影した作品鑑賞だから
リーガルハイ2って羽生ハルキを限りなく実在しなそうな奴、リーガルハイのファンには少なそうな「いわゆるFacebookにいそうな意識高そうな奴」に設定してるが、それでもなお良さそうに聞こえるから飲まれていく人がいて、感情移入した人は終盤には自己批判する。でも古美門はもっと共感できん
腹の中なんかその人にしかわからないからアレですが、彼女は口ぶりも考えも私の知る女性達…いや、男性よりも性悪で男(ネット民)臭い。ああ言う人を少なくとも僕は女性扱いもしたくないし、丁重にも扱いたくないです
クラウズファンから顰蹙を買いそうですが、一ノ瀬はじめ(またはベルクカッツェ)は「共感できんけど、本質を理解して正義や聞こえのいい話に加担しない(自分は自分であることを貫いて他者を良くしたいとか言い出さない)古美門」なんですよね…
なんだろうなぁ…インサイトは面白いんだけど、どうも宗教じみているんだよ…。いやさ、「自分で考えろ」という人が多すぎて、「自分で考えた結果として自分に同意するように誘導している教祖様」が多すぎてさ…。自分で考えろという言葉がどうも胡散臭いんだよなぁ。いい言い換えがあるといいのだけど
ガッチャマンクラウズインサイトは本当に今の政治情勢からできてきたもんじゃないかなぁ…と思う。五輪のロゴ問題で騒いでたネット民もネットから少し遠い反戦デモの左翼も本質的には「くー様」と同じで彼らが世の中を良くも悪くも賑わせて、時々大きな決定をしちゃう現実がよく似てる
ただ、リーガルハイとガッチャマンクラウズインサイトの少し違うところは空気に流されてる人間が空気に賛同したり、内側にいる時の心地よさ(恩恵)を受けてるケースや、空気を作った人が元々悪意があって作ったわけじゃないことを書いているところ。
例えば、評論家のしんかい(山川賢一)さんは東浩紀批判をするときに「東さんが悪意があっていかにも騙そうとしてる」という前提でカレの批評を書いているんだが、「それはお前だろ」としか言いようがない暴論なわけだ…。悪意に基づいた行動が10数年見破られなくて自分だけが見破ったとかバカ丸出し
悪意に基づいて行動してる人間って案外いないもので、実は良かれと思ってたり、自己正当化するメソッドを持っていたりして、純粋に人を貶めてやろうという執念よりは「そいつを貶めることが正義」という良かれと思ってるさまが前提にあるわけ。それを描いてたところがとても良かったと思う
大きな枠として見れば1期と同じ。
「安定」に「不確定要素」が入ってかき回すっていう。
1期だと凝り固まった偏見しかないガッチャマンに新風を吹き込んでかき回したカリスマはじめちゃん。
2つの違いを比べると、引っかき回す担当への感情移入がしにくいのが原因だと思う。
1期のはじめちゃんもまあ感情移入しにくいっちゃしにくいけど、あれは引っかき回す行動自体が面白かったし痛快だった。
2期のゲルは引っかき回すは引っかき回すけど、結局みんなが思うようなことを無理やり押し通そうとしてるだけで見苦しさしかない。
物語を動かす存在の特性と、動かし方が両方とも魅力ないのが2期。
テーマ重視になりすぎちゃってる感があって、エンタメとしてどうなの?という感じがする。
大人が見ても滑稽にしか見えない。
1年くらい前からかな、もうあらゆるエロ動画、エロ漫画を見尽くしてしまって、普通の男と女のセックスは何も感じない悲しいココロを手に入れた。んで、最初に興味を持ったのはふたなりだったんだ、で、ふたなり系の漫画をひたすらAmazonで購入して読みまくって抜きまくった。次に興味を持ったのが男の娘で、こっちは漫画もAVもかなり蒐集した、ってのはもともと蒐集癖があるっつーか所有欲があるというか。大島薫とか良かったな。漫画でもAVでも、男の娘ってアナルを犯されたらハチャメチャ気持ちよさそうに喘ぐわけ。おれってもともと女に感情移入するタイプだし、アナルに興味を持ってしまい、数か月前からアナルを開発し始めた。正直、ショタちんぽなら今のおれのアナルにも入るし、めっちゃ気持ちいいと思う。うまい具合に前立腺を刺激するとほんとうにもうやばい。正直挿れてほしい。おっさんは嫌なの、ショタが良いの、かわいいショタちんぽでアナル犯してほしいの。
辞書でひいたら書いてあること聞いてたの?
ここで話していること ってのは どういうものかって…
説明というか そんなことまで話すのは無意味だよね
その辞書って どういう存在でどこが発行してなにが辞書だと定義しているもので
ひくっていうのはどういうことなのか それはだれがおこなってわたしは何の動作をおこなえばいいのか
そしてその情報を元に定義どおりの文言をふくめて話題や文章を構成しないといけない理由は何なのかは
わたしはまだ気づいてないのだけれども
すくなくともあなたひとりのためにはなるのね
わたしには 辞書を読んだ限り 辞書という物体を引きずる人がでてきやしないか心配になっちゃうけど
密接というのを例にするけど
夫婦間でも ろくに会話しない状態を密接でないとして 婚姻関係を維持するに困難であるため審判離婚の事案対象になる としたら 婚姻関係という状態にある二人は「密接でない」ことになる?
夫婦とは密接な関係だけど人間としては密接でないとか 言い得る? 言い得たとしたら相関の関係にある夫婦と人間二人という関係は どう表現するの?
密接だ と明示していないから密接でない または密接だと言っているそれは 誰かから密接だとはいいきれないと判断される可能性はない?
そういう言葉のあやとりで実際の話題である婚姻関係と離婚問題を先送りにする価値がそこにはある?
「辞書的には」で済む? 済むなら法廷には六法全書と辞書が完備で辞書にない表現をすると法的に無効とされたりする?
テレビでみかけたかわいいアイドルとわたしの関係性が 熱狂的であっても密接でないこととか それは密接とするとか そういう定義は辞書でみつかるのかしら
わたしは 密接の定義とか 密接の度合いについてとか 密接であることを明示的にする必要が話題にあるとは思ってなかったんだけど
あなたは 辞書を用いて それを必要とすべきと 判断したわけね
変化についてもおなじ 時間経過が存在するといえば変化とか明確に表現する必要はないと思うんだけど
それを議題にもってくる意図はなに?
学者の定義や学者として定義づける機関やその存在規模やそれらの価値認識なんかを話題にするつもりもなかったんだけど
そこですこしだけ話を戻したいのだけど 相対関係だってことにもどるのでいいの?
もうそれ相対でいいよ
テレビのむこうの学者と自分が なのか 学者とコメンティエーターが なのかわかんないけどさ
テレビ局が お迎えした学者の って紹介するのをみて テレビ局はその人を学者と認識して呼称していて
学者も テレビ局には学者として呼ばれてるって認識されてて その姿をみての感想だから
テレビ番組と視聴者は密接でもないしテレビ情報で人は変化したりしない とか
所詮出演者とテレビ局なんて密接なんかじゃないしお互いなんの変化もない ということをふくめて相対としたいとか
あったのかしら
密接でも変化でもない というのは文中にふくまれていないことから考察される って言ってもいいものね
わたしは テレビに学者ってよばれてる人をみて この人が学者って価値があるの?とかなり高い評価基準を持って見ている感情移入の大きい人を
一方的に密接度が テレビをみていない みても大して関心がない 関心はあるけど気にしない という人よりも上であることは
話題にするつもりもなかったし前提としてあるものだとおもっていたけど 明示的に表記されていないからそんなの伝わらない
他の表現も辞書を片手にこれ違うって 足りてないって 意図が読み取れないって 思われてるんだろうね
しょうがないや
好きにとってもらったらいいよ
そのとおりだもん
それもたぶん辞書に定義されてるんだよね どこ開けばいいのかわかんないけど
いつのまにか辞書に定義されている内容に即して明確に表現に盛り込んだ作文しようって話題になってたの気付かなかったのわたしだし
http://anond.hatelabo.jp/20150824201952
これは悲しいほどに同意。残念ながら話しがぜんぜん面白くないよね。
まあPでもない自分がいうのもなんだけど。
唯一渋谷凛だけがわれら一般人が感情移入できるキャラクターだったから、1話のテンションでしぶりんを主人公にした物語にしてくれていれば、より多くのファンを獲得できたんじゃないの。
登場人物に順繰りにフォーカスしただけのストーリーでは没入できない。それがアイマスのアニメのフォーマットなんだってこともわかってはいるけど。
常務とかいっていることが結構まともだから、悪役具合が中途半端で全然アイドルたちがんばれって気持ちにならないんだよなあ。こんな敵役ならいらんよね。
面白かった。
大槻っちかわいすぎ。
河合克敏作品はモンキーターン→帯をギュッとね!→とめはねっ!と読んできたけど、とめはねっ!が一番全体として面白かった気がする。
モンキーターンはプロになってからと最後のgdgdがいまいちでバランスとれてないし、帯をギュッとね!は面白いしキャラに魅力あるけどギャグ偏重でしいて言えばワンパターンで長すぎた気もするし。
その点とめはねっ!は全体のバランスがすごくよくとれてて、感情移入がすごくしやすかった。
ユカリが徹夜で仕上げた書を見たとき、部員らには及ばなくてもすっごく感動したし。
それだけとめはねっ!の空気が自分のものになるくらい入れ込んでいたんだなあと改めて思った。
単純に自分が男だから女の子がたくさんでてきて百合風味もほんのりある作品がすごく好みだったってこともあるとは思うけど。
マンガってことで成長早すぎたりうますぎたりうまい人間多すぎたり都合よすぎってのもまああるっちゃあるけど。
あと1年の後輩についてのカラミまわりももうちょっと見たかったけど、全体のメインテーマからはずれるからあえて削ったのかなと思えばまあ。
それなりに出番とかはあったしね。
あーそれにしても大槻っちかわいすぎる・・・
この記事について。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/05/news107.html
全く専門家ではない、ずぶの素人の憶測なんだけど、興味があったら聞いてってください。
性行為において、能動的に愛撫する側である「攻」と、受動的に愛撫を受けて反応を返す側である「受」では、
ロボットを作る難易度が全然違う気がする。「受」の方が作りやすいと思う。
「攻」の場合、バグった時の危険が相当怖い。ハグの勢いで抱き潰す、手コキやフェラの勢いで引きちぎる・握りつぶす、などなど…。
機械には悪意も慈悲も無いものだと思ってるし、普通の人間の力を超える力(物理)を持ってる慈悲ゼロの存在に身を預けるって結構なリスクだよなと。
あと、「ユーザーである人間(受)の反応を見て、気を利かせて動くAI(攻)」っていうのも、非常に難しいと思う。
だいたい、攻めるのって人間にも難しいだろ。男女共に大半がヘタクソだよ。
検索ワードをサジェストしてくれるGoogleや、商品をレコメンドしてくれるAmazonは非常に「攻」っぽい在りようだなと思うけど、
それが性行為になると、現実的に可能なの??って思うわけです。まず入力が曖昧だろうし。
だからセクサロイドは「受っぽいSiri入りの抱き枕」である期間がかなり長いのかなと思っている。マグロというか。
スピルバーグの映画A.I.では、ジュード・ロウが「攻」っぽいセクサロイドを演じていたけど、これは遠い未来なのではないかなと想像してる。
そして「攻」のセクサロイドが技術的に可能になると、人間相手よりセクサロイド相手の方が行為の満足度は高いものになると思う。
デジタルデータにしやすい視聴覚情報のエロは、誰もが過激なもの・クオリティの高いものに接して慣れていて、
一方で「官能的な触り心地」みたいな領域になると、非モテ男は経験値も興味もゼロだったりする。
デジタルデータにしづらい=ネットで無料配布がされない情報だから、得られる人と得られない人の格差が大きくなりやすい。
見る・聞くことについては、もうかなり平等に得られていると思うんですよ。
昔はモテ男と金持ちだけしか美女の裸を見られないまま死んでいくのもザラだったのが、
今ならXVIDEOSやFC2動画で無料で観放題だから、視聴覚情報においてはモテ度や金持ち度による格差がなくなった。
セックスロボットが出てくることで、触覚の上質な性的情報も、平等に誰でも得られるようになっていくんじゃないかと思う。
「ロボットとの間に子供も作れる」だと、ロボットに遺伝情報は無いし全く意味がわからないのだけど、
自然妊娠しか子作りの方法が無い場合、一人の女性が作れる子供の数は非常に限られるけど、
iPS細胞で人気の女性(アイドルとか)の卵子を大量に製造できるようになった場合、過去に類を見ない事態が起こり得るのかなと思う。
チンギスハンかな、男性で大量に子作りした人はこれまでにも居るでしょう。光通信の人間牧場の人もそうかな。
それが、遺伝情報が盗まれて、日本中に石原さとみの子が、世界中にスカーレット・ヨハンソンの子が…って可能性も生まれるのか。
同じ女性の子供がiPS細胞×人工子宮で物凄い数になっていった場合どうなるのか、遺伝子プールとかその辺り詳しい人、教えてください。
(良い卵子と良い精子と人工子宮で良い子供を生産することを試みる人も居そうだな…。
しかし「良い子供」が欲しかったらロボットを買うのかな?家族がロボットでなく人間でなくてはならない理由って何?)
本当に馬鹿げた発想だと思います。ペット等を含め、生き物には主体があるけど、ロボットに主体はない。
ロボットに感情移入しすぎた人が団体になって活動なんかをするのかもしれないけど、まあ馬鹿げている。
ロボットは道具ですから。人権があるわけがない。靴やハサミと一緒。
自分のロボットは自分の好きなように大切にすればよく、他人が他人のロボットをどう扱おうが勝手というのが当たり前の話。
人権が無いからと言って、人間に似せて作られた存在を虐待する人間が居るであろうことは、悲しいことではあるけど、
ロボット虐待を規制しても、そういう人間は家族などの別の人間や生き物を虐待するんですよ。
堕胎が難しかった時代は、男性にとって強姦が遺伝子をのこす方法として優れていて、そういう状況だと強姦を好む性質が次世代に受け継がれてしまう。
堕胎が可能になることで、和姦の方が遺伝子をのこす方法として優れたものになる。「世の中に適応している性質」は、世の中の状況によって変わります。
虐待を好む性格の人が、生身の人間と違って「完全所有」することができるロボットにのみ性的関心を寄せて、
ロボットがある時代においてもあえて生身の人間との生殖を行う人が、攻撃的でなく正常な人間関係を形成できる人々に絞られていけば、
要は「虐待好き」の精子を受け止めるゴミ箱としての役割を、ロボットが果たしてくれれば最高と思っています。
その役割を風俗嬢など、たまたま貧困家庭に生まれただけの生身の人間が、負わざるを得ないところに追い込まれる状況こそ人権侵害。
経済格差を利用して、発展途上国の少年少女に負わせようなどという話もいよいよ醜い。そこは「生き物」ではなく「道具」が負うべきところだ。
モザイクなしでいいと思うよ。あってもなくてもそんなに大きな差はないと自分は思う。だから無修正をありがたがる理由がわからなかった。
荒ぶったり可愛がられたりしているちんこを無修正で見ることで、ちんこに感情移入するという需要があるんだね。
おねえちゃんの表情にそそられるように、怒張したちんこにそそられる人たちがいるんだね。
まんこのバランス容姿を格付けしてAV女優の顔と比較して喜んでる友人の気持ちは、いまだによくわからないけど。
でもジャニーズとか若手人気男優のちんこ画像が流出したら、需要はありそうな気がするよ。
そういうことかな~?