はてなキーワード: 声かけとは
各種SNSに「死にたい」とつぶやくことで、悲劇のヒロインを演出するファッションである。
それは所詮ファッションだから一々真摯に親身に真剣に反応するやつは野暮天だ。
例えば包帯巻いて眼帯して目玉柄のリュック背負ってM字バングしてる人間がいたとして、
「そのファッションはやばいよ」って言おうと思うのは、どこの関係性の人間からだろう?
そこまで仲良くない人だったら言わないんじゃないかな。スルー。
そんな距離感、SNSになるとなんでもかんでも「身近な人」にカテゴライズしちゃう人間がいる。
他人の死にたいファッションに逐一「大丈夫?」とか「うぜえ死ね」とかさあ・・・。
なんでそういう、どうでもいいことに対して、一一真摯に務められるのかな?
話変わるけど
こっちが「どうでもいいこと」と思っていることにも真摯になる人って一定数いるよね。
毎週体調悪くなる仕事場の人間に、毎回「大丈夫?」って声かける人とか
自分がそういった人に対して何等かの行動をするコストのパフォーマンスに無関係で
「身近な人」の基準がやけに広いんだよなあ。
奥さんから見たら
→1人育児に奔走することになり、身なりに気を使う余裕もなくなる
→女性としてみれなくなった。と言われる
→手足がないのでオナニーもできないし不倫も仕方ないよね?みたいな雰囲気
と、いうことみたいで。腹立つ。
確かにホヤホヤの赤ちゃんの世話は無理でも、お絵描きしてる子供に「上手だね」って声かけはできるよね?
1人でトイレに行くのを怖がる子について行ってあげることもできるよね?
女性を何人も口説き落とすことができるほどの話術があるなら、例え手足がなくても子供をコントロールして、しつけることもできるよ。
奥さんのことを女性として見られなくなるのは仕方ないけど、そのことを公表するなよ
奥さんにだけ「今は大変な時で俺の性欲処理をさせるのも申し訳ないから風俗でも行ってくるよ」
って言って週3で風俗通えばいいじゃん。
女と高いレストラン行ったり海外旅行行ったりする金があるなら余裕でしょ。
「20歳なんですけど!」のやつは読んでないので,それに関しては当てはまる話なのかもしれないけど,ちょっと話を一般化しすぎかなーと思うところはあるので指摘.
話に戻るけど、エロ漫画とかエロゲってこの辺ものすごい勢いで肯定的に描くよね。エロ小説とかもか?
レイプしてるうちに悦くなっちゃうとかさあ。ジャンルとしてもロリとショタって確立してるし。
あれじゃん、昔のお笑い番組とかバラエティとかで、アレやってること実質的にイジメだよな、みたいなのあるじゃん。
笑えるとか笑えない以前にダメなんじゃん?みたいな。そういう感じ。
イエスロリータノータッチ、それでいいじゃんと思ってたけど、イエスかノーかをそもそも決める立場じゃなくね?的な。だって俺幼女じゃねえし幼女の親ですらねえし。
ネットでたまに見かけるエロ漫画画像で、視覚障害がある男と小学生女児が仲良くなってセックスするまで行って最後に通報されて逮捕で終わるみたいなのあるけど、アレだって現実にタッチされた子どもの心理をおもっくそオタ向けファンタジー寄りに捻じ曲げてるんじゃん?
現実に性犯罪被害にあった子どもの言動は全体的にもっとヤベェっぽいもん。あんな、悲劇の純愛に殉じたみたいなんじゃなくて、それこそその後の人生狂うくらいの混乱とか罪悪感とか万物に対する不審感みたいなトラウマ残ってるらしいし。
http://anond.hatelabo.jp/20160319135117で指摘されてるけど,同じ作者の他の作品だと被害者に凄惨なトラウマが残ってるのはあるよ.インターホン鳴らして業者と偽って家に上がり込んで犯行に及んだから,被害者は友人が鳴らすインターホンに怯えてパニック起こしてとうとう引っ越しちゃうってやつ.最近の作品だと被害者は加害者がちょっと手を振り上げただけでごめんなさいごめんなさいって怯えてたり.少なくともその辺の作品(タイトルは伏せておく)では一貫して被害者はひたすら嫌がっててそれを外道な主人公たちが……って話になってると思うけど.もちろんそういう「レイプ・ファンタジー」に合致する作品も描いてるだろうから,あくまでその作家の作風に対する反例を上げただけで一般論としてそういう傾向を否定する気はない(論じられるほど読んでないし).
で.
調べてみたら、なんか有名な代表作みたいなのが「要約すると『女児をレイプして捨てながらゆく逃避行』」みたいなことが書いてあってワロタww胸糞悪すぎるわwww
もはやまったく「イエスロリータ」ですらないだろこれ。ダメじゃん。どこがイエスなんだよ。
(中略)
エロ漫画とかは大抵そんなレベルにも行ってないじゃん。何つうか、万事が性欲準拠みたいな。
いや読んでから論じようよ,というのはさておき.そこで増田が例示した作品って,「社会性のないクズ2人が出会って小さな悪から徐々に悪に染まっていって最終的に悪行の限りを尽くして自殺する」って内容なのね(ネタバレになっちゃうけどどうせ読まないからいいよね).いや胸糞だよ? 胸糞なのよ? ほんとこいつら何人の人生を狂わせてるんだよそんなの“成果”じゃねーよ,っていう.でもそれを基本的には,バイトもして単位も真面目に取る小市民である主人公の目線で描くことで,人が悪に飲まれて引き返せなくなっていく過程を描いてる作品でもあるのよね.
主人公の行為は最初は携帯でのささやかな盗撮だった(もちろんそれも立派な性犯罪なわけだけどそれは措いておく).それも誰何されて慌てて逃げ出してしまう程度の覚悟.でも主人公の行動は彼の友達に承認され,許されることで,行為がどんどんエスカレートして女児への声かけまでやっちゃう.それをエスカレートさせたものは「もっとすごいことやろうぜ!」っていうまあすごいホモソーシャルな虚栄心と,「自分たちはゴミクズなんだ」という疎外感なんだよね(もちろん彼らの小児性愛の所為もある).ふたりきりの閉じられた世界で止める人もいなくてどんどん箍が外れて最終的にはレイプ行脚にまで至る主人公たちの行為,もちろん最低最悪の外道だし現実世界に置き換えたら苦しんで死ね以外の言葉が出てこないんだけど,自分が同じ環境にいて果たして「悪に染まらずにいる」ことができるかって考えると慄然とするよ? 別に性犯罪じゃなくてもいい,たとえば万引きでも詐欺でもいいんだけどさ.あ,割と簡単に人間って「あっち側」に堕ちちゃうんだな,ていうか.でも絶対に引き返す場所はあったはずなんだよ.あったはずなんだけど主人公は友達との関係性の中で引き返すことを選ばずにズブズブと悪の道に踏み込んでいくわけだよ.そんでこの作品では性暴力を「主人公たちにとっての快楽」として描いていて(上述したが被害者が悦びを感じるようになるとかそういう描写は一切ない),実際にわれわれの性欲も満たしてくれる作品なわけだけど,性暴力を振るいながら自分が堕ちてしまったことを自嘲しこんな大それた犯罪に手を染めずに生きていった可能性を夢想したりもする.もちろん胸糞作品だし結局はエロ目的で読んでるんだろ? と言われれば否定はしないけど,そこに一片の文学性も無いみたいに言うのはちょっと違うんじゃないかな.
(ところで何がヤバいって,そこで夢想する「ありえたかもしれない人生」ってのがロリ漫画を即売会で頒布して「平和に暮らす」世界なんだよな(そこでも女児を視姦する計画を立ててるから本当に性暴力と無縁な暮らしというわけではない,というのは指摘しておく必要があるけれど).ロリ漫画家と性犯罪者が――道を踏み外したかそうでないかの違いだけで――同じ次元にいるって自分で言っちゃってるよこれ.色んな意味で目をつけられたらまずい)
犯罪者に寄り添う形での“文学性”はけしからん,という意見もあろうけれど,じゃあこれまでミステリで「同情できる犯人」みたいなのを描いてきたのは何だったんだ,という話にもなるよね.復讐譚(往々にして被害者もクズ)以外にもそういう作品ってあるよねえ? 殺人者の最後の美学,とかさ.理不尽に殺された被害者にとってはふざけんなクズさっさと死ね以外に言いようがない,けれどどうにも憎みきれなかったり同情してしまったりかっこいいなと思ってしまったりする犯人ってけっこう提示されてきたわけじゃないですか.そもそも「舞姫」が名作として教科書に載ってる国だぜ.並み居るクズ文学のあいだの何処で線を引くんだい? あちら側では描いただけの人が逮捕され,こちら側ではクリエイターとして賞賛を受ける,そんな線を引くだけの覚悟があるのかい?
もちろん,「うらやまけしからん」みたいな形で現実の性暴力に対してエロ漫画に対するのと同じような態度を採ることに対しては強く批判されないといけないし,そういう啓発が必要だろうというのはその通り(twitterを上で挙げた作品名で検索したらちょっと眩暈がした).あと,そうやって描かれた犯罪が実際に起こり得る,というか脅威として眼前に存在しているかという蓋然性の違いや男女の非対称もある.そこは無視できない(さっきから語ってる漫画家がヤバいのは手口のリアルさだよ……).けれどやっぱり,そこは法規制以外で折り合う道があるはずだし,それを探りたいとも思うんだよな.
何のことかわからない人は、今日タイトル戦してるからそれを参考にしてくれ。
羽生さんの色紙が当たればなあと思っていたが、
握手もしてもらった。
その帰り
「???」
話を聞くとその方は羽生さんの色紙何枚も持っているそうで。
そりゃあ欲しかったよ。
ただ、糞真面目で天邪鬼な俺は素直になれなかった。
抽選の結果なんで。この棋士のサインもほしかったんです(半分ウソ)等々。
結局交換せずに岐路についた。
しかし未練がましい俺の脳みそは微かな記憶を引っ張り出してきた。
「あの人観戦記者じゃね?」
「まさかそんな」
観戦記者だったよ。それならサイン色紙は一般参加者に譲るだろうよ。
てかなんで抽選会に参加してんのさ。
考えすぎてチャンス逃すこと多いなあ、と肩を落とす俺。
ただ救いはあった。
抽選会で色紙をもらった棋士が、某国営放送主催のトーナメントで優勝したのだ。
小さなことで気持ちが揺れ動く矮小な人間だが、うれしいものはうれしい。
結局どうなんだろうね
思わぬ機会に直面して決断を下さなければならないときに後悔しない方法とは。
その時後悔しても長い目で見ればどちらでもよかったというケースもあるけれど。
たいてい後から見るとどっち選んでもよかったんだけどね。
どっちも選ぼうとして中途半端になってしまうのは人間の性なのかね。
何が言いたいかというと
失恋したよ慰めて
ロックバンドのライブと違ってモッシュみたいなものはないからね、持ち場で延々と身体揺さぶってるんですよ。
そしたらねえ、俺の左側に可愛い女の子がいたんだな。ちょっと影がある感じの。あんまり楽しくなさそうに踊ってるんですよ。でもたまに手を降ってワイワイしてて。
そんなの惚れるよね。
ゲーム感覚で恋愛できる人なら声かけたりなんかするんでしょ?でも俺は違うんですよ。
隣に可愛い女の子がいて、踊ってるっていう、それだけで幸せなのね。
ピエール瀧がガンガン盛り上げてさ、石野卓球のコールで会場が沸いてさ、VJはとってもキレイで楽しい感じなんですよ。昔の曲もガンガンかかってテンション上がってね。
その場にいられるってだけで幸せなのに、隣に可愛い女の子がいるんですよ。
声なんてかけられるわけもなくライブが終わって、ぼんやりと電車に乗って帰ってきたんです。左耳の感覚がおかしいなーなんて思いながらこれを書いてる。
別に後悔もないのね。良いライブに可愛い子がプラスされて満足って感じ。
この気持分かってくれる人のほうが少ないんだろうな。気持ち悪いし。
せっかく書き起こししたけど画像付きで全部スクリプト読めるサイトあったから時間の無駄だった こっちで供養しとく
オソ『いや~。それにしてもトッティ。働きたくないね~。こうして誰かに養われる日々を貫き通したい』
トド『おそ松兄さんはどうしてそんな素敵なことしか言えないの。マジ長男頼りになるわ~信頼できる好き~』
チョロ『ねぇ。他のみんなは?』
トド『多分死んだ』
チョロ『あぁ…そう。まぁいいや。ちょっと真面目な話があるんだけど』
チョロ『僕さ。アイドルのファン辞める』『いやそろそろ本気出そうと思って。この生活から抜け出したいんだ。いつまでも無職でいられないしいい加減遊ぶのはやめてちゃんと就活して自立する』『目標は高く一人暮らし!』
チョロ『ちょっと真面目な話があるんだけど。僕さ…』
オソ『いや聞こえてるよ!聞こえた上で無視してんの!』
チョロ『無視?何で?』
オソ『そうそう』
トド『そっか…』
トド『じゃあ勝手にやって!いちいち周りに宣言しないでやって!』『勝手に「私ダイエットのために夜6時以降は何も食べないでおこっかな~」「俺煙草辞める」「あたし今までの自分リセットするために電話帳に入れてた友達全部切ろうと思って~」』『何のアピール!?知らないよやって勝手に!』
チョロ『いや…そんな言い方ないだろ。こっちは真剣に考えてさ…』
トド『ほんと?宣言した時点で満足してんじゃないの?』
オソ『まぁまぁ。分かったよチョロ松。就活かぁ。頑張って。応援する。みんなには俺から言っとくから。はいじゃあこの話はもうおしま~い』
チョロ『ちなみに何から始めればいい?』
トドオソ『『だから言わなくていいって!』』
チョロ『いきなり就職って無理があるからまず街に出てフリーハグから始めようかと』『仕事って人とのコミュニケーションが大事でしょ。だからその力を養うためにも…』
オソ『何こいつわざとなのこれ!』
トド『逆にわざとだと言ってほしいよ!じゃないと今すぐ縊り殺しそうだよ!』
オソ『縊り殺しそう~!』
チョロ『あとは海外に自分探しの旅に出てその後は語学留学。そのあたりで彼女敵な人を作って…』
トド『マジ何なんだよお前!どんだけ自分の事上に置いてんの?自分探しの旅?語学留学して彼女?』『であれか!?フラッシュモブしてプロポーズか!?』
オソ『落ち着けって…フラッシュモブやるとは一言も言ってないから…』
チョロ『え?僕何か間違った事言ってる?』
オソトド『『間違った事しか言ってねぇ!!』』
チョロ『まぁ確かにちょっと意識高い系のこと言っちゃったけど…』
オソ『見てみチョロ松』
チョロ『うわ何あれ!?』
チョロ『プライドの塊ってこと?』
おそ『いや亜種』
オソ『ちなみに俺の自意識はこれ』
チョロ『ちっちゃ!何それゴミの塊?』
オソ『確かに見た目はひどいけど扱いやすい』
チョロ『トッティのは?』
トド『僕のはこれ』
トド『まぁね。スタバァで慶応の学生って嘘ついちゃうぐらいだから』
チョロ『なんだよ俺と変わんないじゃん』
チョロ『はぁ!?全然違うから!痛いほどキラッキラしてるけど自分の手元にあるから!扱えてるから!わかる?迷惑かけても友達か家族ぐらい』『見てあのライジング!位置高すぎ!あんなの悪でしかないから!』
オソ『なぁライジングシコースキー。あれマジで直したほうがいいよ』
オソ『これふざけて言ってないから』
チョロ『ど…どうすればいいの?』
オソ『いい方法がある』
チョロ『無理だよ、帰ろうよ』
オソ『フリーハグやるって言ってた人が何びびってんの?』
オソ『声かけてきて早く』
チョロ『無理。死んじゃうって』
トド『(自意識的な意味で)死んでいいんだよ。むしろそっちが目的なんだから早く死んでこいよ』
チョロ『んなこと言ってお前らはナンパとかできんのかよ!』
オソ『できる』
オソ『ただいま』
チョロ『え~早!ボッコボコじゃねぇか。どういう声のかけ方したの』
オソ『でも連絡先はゲット』
チョロ『かっこいいか…?』
オソ『そしてつながらない』
トド『かっこよすぎ!』
チョロ『で、トッティもできんの?』
トド『僕はやんないよ。だって僕は勝ち戦しかしないもん。ね~』
チョロ『最悪だなお前…』
トド『最悪だもんね~』
おそ『おいチョロ松。あの人は?すんげかわいくね?』
チョロ『一軍の人は無理だよ。望みが薄すぎる』
オソ『じゃああの人は?そこまで美人じゃないし。あでもスタイルはいいよね~』
チョロ『じゃあ駄目でしょ。絶対モテるでしょ。相手にされないよ』
オソ『じゃああれは?顔もスタイルも普通。ただオシャレだけど』
チョロ『オシャレ!?それ一番無理なやつ。こっちの劣ってる感が増すだけ!』
オソ『じゃああれは?そこそこブス!性格はよさそうだけど』
チョロ『じゃあ無理でしょ。僕は人間的に同じレベルの人がいいんだから』
オソ『くびり殺してやるよ童貞の中の童貞が万死に値するんだよ』『死ね、死ねー』
(数日後)
(空中に浮かぶ巨大な自意識の球体とその下にいるトッティーの姿の描写)
トド『扱いが難しいんだよなぁ……』
いわゆる「披露宴」ってやつじゃなかったけど、
親族だけの式の後、一応コース料理の出る食事会ってのをやった。
最初は親族のみっていってたけど、彼女がどうしても友達呼びたいって言い出して
「だったら呼べばいいよ、僕は呼ばないので」ということで、
僕の側は親族のみで友人ナシで決行することにした。
友達はゼロってほどではないけど、わざわざ来てもらうのもなーって思ったし、
なによりそういうの嫌いだったし。
でも彼女の方にまで自分の考えを押し付けるのは申し訳ないので、「お互い好きなようにやろう」で通した。
当日は、規模的にはたぶん20人ちょっとのこじんまりした宴だったけど、
それぞれ通ってみた。
人が声かけてくれる順
神秘的順
風貌
・とにかく優しい人が多い
・風変わりの人の率が普段生活してる時に関わる割合より少しだけ多い
まあ数ある教会の中で10にも満たない所に通って何が分かるかってところだろうけど。
■追記
初回参加時に挨拶を求められる
カトリック(4つの教会に行きました)については出席の時に、記名を求められないので、一番入りやすいです。
大きめの教会でしたら、さらっと入って何事もなく帰ることができます。
大きめのカトリック教会は規模の大きさを活かしてクリスマスミサを複数回開催していたり、
初詣のような年明けミサがあるので忙しい日本人の生活リズムにあわせやすいと思います。
仕事で教会のミサや礼拝に参加できないという状態にはカトリックが一番陥りにくいと思います。
また、バチカンをトップとする階層構造であるのと引き換えに、所属教会概念には縛られづらい印象があります。
一方で日本キリスト教団は日本の家族的な温かさの雰囲気があります。
1ヶ月前には数億円もの大金を手にするチャンスを掴んだと思えば、今は数百万円ほどの借金ができて来月には千万のレベルまで増えそうだ。
しかし、今週末の結果によってはキャッシュではないが数億円分の資産ができる可能性も充分ある。
2週間前まで楽しそうにデートしていた女が今は一緒に居ても楽しそうな素振りは何もない。
先日まで笑顔で媚を売ってきていた奴らが、今は相談を持ちかける雰囲気を感じ取ってか反応がどこかぎこちない。
あいつらは金や地位を持っている男にはヘラヘラと近寄って来るが、何も無くなればサッと引いていく。
そんなことは前々から予想が付いていたし、前にも経験したことがあるからわかっては居たけれど、あいつはそのタイプじゃないだろうと思っていた奴でやはりそうなのだ。
「辛いことがあったら声かけてよ、いつでも力になるから」と1ヶ月前には言っていた奴らに相談を持ちかけ、何人に断られたことか。
雪崩が起き、登ってきた山を駆け足で降りている。
出来ることならば真下に降りず、横へ逃げて助かりたい。そして、また山を登りたい。
まだもう少し走ればどこかに避難場所があって、しばらくそこで耐えればまた山を登れるのではないかという希望もある。
しかし、一緒に山を登ってきた仲間は雪崩に飲み込まれたのか、上手く逃げたのか周りには居ない。信頼していたガイドも雪崩が起きるや否やすぐに逃げ去っていった。
あそこに見えるのはコンクリートで出来た安全な建物なのか、それとも木で出来たボロい建物なのか。
一か八かあの建物まで走ってみるか。もしかしたら、仲間もあそこに居るかもしれない。
いやいや、このまま真下へソリで滑れば今回の登山は失敗にはなるが自分の命だけは助かる可能性は高い、こっちにするか。
悩ましい選択だ。建物を目指して助かる見込みは50%、登山を諦めて逃げればほぼ100%命は助かる。
どちらを選んだ方がいい、と自信を持って決めることはできない。
仮に建物まで走り、助かったとしてもいつ同じことが起きるかわからない。
これまで数々の困難を乗り越えてきた登山ではあるが、一緒に頑張れると信じていた仲間やガイドがこれほどまで簡単に逃げるのを目の当たりにすると、正直山頂に辿り着く気が失せても仕方がないとも思う。
誰のために登っているのか、何のために登っているのか。
仲間のためか、金のためか、地位や名誉のためか、応援してくれた人のためか。
私自身、生活費はそれほどかからない人種だし、地位や名誉にはこれっぽっちも興味はない。車も欲しくなければ、時計も欲しくなく、服にも興味がないし、食べ物にも興味がない。
それでも平凡な道を歩いていれば、苦しむことがなかったであろうに、険しい山を登ってきたのは何かを成し遂げたいという漠然とした目標と、お世話になった人達への恩返しという理由があったと思う。
だが、すでにお世話になった人へは逆に心配ばかりかけてしまっているし、これ以上登り続けるのは迷惑をかけることになるかもしれない。
何かを成し遂げたいという目標は人生を長い目でみれば、今下山しても再度挑戦できるだろう。
こうして考えると、大きなリスクを背負い今あそこに見える建物に避難する選択を取るメリットはないのかもしれない。
しかし
もし、あそこに仲間がまだ1人でも残ってくれているのなら、
もし、まだ諦めずにオレと登り続けてくれる仲間が山のどこかで耐えてくれているのなら、
マッサージへいくと揉み出しのころに強さはどうですか?と聞かれる。
ここでは、臆することなく「すこし強いです。もう少し弱めでお願いします」と告げられる。
もみ返し悲しいし。
で、例えば最初が腰ですこし弱くしてもらった後、自分が特にしてほしい首に来た時に「首はもうちょい強くがいいなぁーーー!!」となったときが問題。
みんな「あ、ここはも少し強くお願いします」とかを緊張せずに言えるのだろうか?
さっき弱くしてって言ったじゃん!て思われないかめちゃくちゃビクビクしながらでもせっかくだからと思って勇気を振り絞る。あの時の心的負荷はマッサージの効果を半減させるくらいに思えてしまう。
理想は、強い!弱い!ボタン(または脳波などを読み取ってほしい)があって押す。それをみて変えてくれる。
そして大事なのはマッサージ師さんはそれをみた時言葉で反応しないでほしい。
「あ、強かったですか、弱くしますね」とか声かけられた日には「うわーやっぱうざいとか思ったのかなー自分で言えないんだーとかかまってちゃんに思われたのかなー」等を気にしてしまう。
どうか何も言わず、そっと強弱を変えてほしい。
強烈なもみ返しによせて。