「命題」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 命題とは

2024-09-18

エレメンタリートポスによるモデル

エレメンタリートポスの枠組みを用いることで、情報存在関係数学的にモデル化できる。このモデルでは、存在トポス対象として、情報をその間の射や、内部論理における命題として表現する。

定義1(圏)

- 対象クラスOb(𝓔)。

- 射の集合:任意対象 A, B ∈ Ob(𝓔) に対し、射の集合 Hom𝓔(A, B)。

- 合成写像:∘ : Hom𝓔(B, C) × Hom𝓔(A, B) → Hom𝓔(A, C)。

- 恒等射:各対象 A に対し、idA ∈ Hom𝓔(A, A)。

- 合成の結合律:f ∘ (g ∘ h) = (f ∘ g) ∘ h。

- 恒等射の単位性:idB ∘ f = f、f ∘ idA = f。

定義2(エレメンタリートポス)

  • 圏 𝓔 がエレメンタリートポスであるとは、以下の条件を満たすことを指す。

1. 有限極限の存在:𝓔 は有限極限(特に、積と等化子)を持つ完備な圏である

2. 指数対象存在任意対象 A, B ∈ 𝓔 に対し、指数対象 BA存在し、以下の自然同型が成り立つ。

Hom𝓔(C × A, B) ≅ Hom𝓔(C, BA)

3. 部分対象分類子の存在特別対象 Ω ∈ 𝓔 と単射 true: 1 → Ω が存在し、任意のモノ射(単射) m: U ↪ A に対し、一意的な射(特性射) χU: A → Ω が存在して以下の可換図式を満たす。

U ↪ A

↓ ↓

1 → Ω

ここで、! は終対象 1 から U への唯一の射である

存在モデル

情報モデル

1. 射としての情報存在間の関係や変換を表す射 f: A → B は、存在 A から存在 B への情報の伝達や変換をモデル化する。

2. 部分対象としての情報対象 A の部分対象 m: U ↪ A は、存在 A の特定性質や部分構造情報)を表す。これはモノ射として表現される。

3. 特性射と命題:部分対象 m: U ↪ A に対応する特性射 χU: A → Ω は、存在 A の要素が部分対象 U に属するかどうかを示す情報提供する。

内部論理による情報論理構造

トポス 𝓔 の内部では、高階直観主義論理が展開される。ここで、以下の対応が成立する。

- 論理積(AND):P ∧ Q は積対象を用いて、χP∧Q = ⟨χP, χQ⟩ : A → Ω × Ω → Ω。

- 論理和(OR):P ∨ Q は余積(和)を用いて表現される。

- 含意(IMPLIES):P ⇒ Q は指数対象を用いて、χP⇒Q: A → ΩΩ。

- 否定(NOT):¬P は、χ¬P = χP⇒⊥ として表され、⊥ は偽を表す部分対象である

ヨネダの補題による存在情報の同一視

ヨネダの補題

シーブと層による情報の集約

  • シーブ(sheaf):圏 𝓔 上の前層 F: 𝓔opSet であり、貼り合わせ可能性と一致性の条件を満たすもの
  • 層の条件:

1. 一致性:開被覆 { fi: Ui → U } に対し、各 F(Ui) の要素が F(Ui ×U Uj) 上で一致するなら、それらは F(U) の要素から誘導される。

2. 貼り合わせ可能性:F(U) の要素は、その制限が各 F(Ui) の要素に一致する。

統一的なモデルの構築

以上の構造を組み合わせることで、情報存在関係統一的にモデル化できる。

- 射 f: A → B は存在間の情報の伝達や変換を示す。

- 部分対象 m: U ↪ A は存在部分的情報性質を示す。

- 特性射 χU: A → Ω は存在に関する命題情報)を表す。

2024-09-08

anond:20240908112200

ミラーリングってのは「もしその説を認めるべきだとしたら」という仮定のもとにその逆を見てみるものなので

批判者がミラーリングによって生まれた逆命題を認めている必要はないんですよ

anond:20240908111724

まり牛角で「男は損をしてないけど女が得をしていること」を批判したんですよね。

それは元増田命題への批判材料になるのでは?

男がしたら「批判」、女がしたら「感情的になってる」ですか?

2024-09-06

ダニングクルーガー効果データアーティファクト

この説明は、ダニングクルーガー効果に対する批判的な見方数学的に表現しようとしたものです。以下にその内容を解説します:

数学解釈

この説明では、ダニングクルーガー効果を以下の変数表現しています:

命題「A~Oであることを証明せよ」は、実際の評価(A)と過大評価(O)に相関関係があることを示そうとしています

証明では、O(S,A)という関数定義し、OがAの関数であるため、自動的にAとOに相関関係が生じると主張しています

批判見解

この説明は、ダニングクルーガー効果が単なる数学的な関係から生じる現象であり、実際の心理学的な意味を持たないという批判示唆しています

具体的には:

1. 変数定義方法によって、自動的相関関係が生じる

2. 実際の能力自己評価の内容に関わらず、統計的に成立してしま

3. これは心理学的な現象ではなく、単なる「数字マジックである

平均以上バイアス考慮

さらに、平均以上バイアス(多くの人が自分を平均以上だと考える傾向)を加えることで、この相関関係がより強くなると述べています。具体的には、100点満点の評価自己評価(S)を60点程度に設定し、実際の評価(A)をランダムに与えることで、A~Oにより強い相関が得られるとしています

この説明は、ダニングクルーガー効果が実際の心理学現象ではなく、単に数学的な関係性や統計的な偏りから生じる見かけ上の効果に過ぎないという批判的な見方を示しています

シミュレーションする

import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
from scipy import stats

def simulate_correlation(n_samples=10000):
    # シナリオ1: AとSが一様乱数(0〜100)の場合
    A1 = np.random.uniform(0, 100, n_samples)
    S1 = np.random.uniform(0, 100, n_samples)
    O1 = S1 - A1

    # シナリオ2: Aが一様乱数(0〜100)、Sが60周辺の正規分布場合
    A2 = np.random.uniform(0, 100, n_samples)
    S2 = np.random.normal(60, 10, n_samples)
    S2 = np.clip(S2, 0, 100)  # 0〜100の範囲制限
    O2 = S2 - A2

    # 相関係数計算 (AとOの間)
    corr1 = stats.pearsonr(A1, O1)[0]
    corr2 = stats.pearsonr(A2, O2)[0]

    # 結果のプロット
    fig, (ax1, ax2) = plt.subplots(1, 2, figsize=(12, 5))

    ax1.scatter(A1, O1, alpha=0.1)
    ax1.set_title(f'シナリオ1: 相関係数 = {corr1:.3f}')
    ax1.set_xlabel('実際の能力 (A)')
    ax1.set_ylabel('過大評価 (O)')

    ax2.scatter(A2, O2, alpha=0.1)
    ax2.set_title(f'シナリオ2: 相関係数 = {corr2:.3f}')
    ax2.set_xlabel('実際の能力 (A)')
    ax2.set_ylabel('過大評価 (O)')

    plt.tight_layout()
    plt.show()

    return corr1, corr2

# シミュレーションの実行
corr1, corr2 = simulate_correlation()
print(f"シナリオ1の相関係数 (AとO): {corr1:.3f}")
print(f"シナリオ2の相関係数 (AとO): {corr2:.3f}")

https://anond.hatelabo.jp/20240906145002

anond:20240901012953

数理モデルちゃん理解してればお前みたいな曖昧理解にならないよ。

まりAとかSがなんであろうと、統計的に成立するってわけ。数字マジックみたいなもの。だから心理学とは無関係

平均以上バイアスを加えたシミュレーションをするには、100点満点で、Sを60ぐらいで設定しておけばいい(ただしAは乱数)。そうすると相関がさらに強くなる。

anond:20240906103407

女性にとって、異性にモテる・同性にモテる家族隣人親族モテる ことは人生の大命題なのであって、

そのために本音と建前を使い分け、みんなにモテ続けられるように命をかけて生きてるんだわ。

彼女らは、モテない=社会的死ぬ同義なので、男が考えている以上に「モテない」は重い言葉なんだ。

2024-09-01

anond:20240827141027

世代の方の悲痛な叫びだと思います若い頃は目の前の事をクリアしなければならないことに必死で、考える必要がなかった命題だと思います。走り続けていてもふと何かの拍子で何のために生きているのかと考えてしまうのかなと思います

私は何のために生きるのかということに対して『あらゆる方面自分は貢献できるようになった。世間に対してできる限りの範囲で貢献したい』と考えるようになりました。

家族、親、兄弟会社PTA自治会など、我々は年齢的に非常に貢献度の高い動きができるようになったと思います

高齢化社会の中で我々の世代が果たせる役割は大きい。なので様々な貢献を皆様に提供できるのかなと考えております

僕らには様々な局面で皆様に貢献できることがあるという確信を僕は持っています。本当に小さな事ですが例えば自治会の一斉清掃で力仕事に精を出したりすることなどです。高齢者から見たら若い我々は、本当に頼りになる存在だと思います

一方で自分時間が少なくゲームネットフリックス時間を使って不完全燃焼されてるとのことですが、何か継続して積み上げていくような事に時間を使われるのはいかがでしょうか?

私は筋トレをやっているのですが、自分努力の成果が目に見える形で現れるために非常にメンタルを良くします。他人評価世界ではなく、自己満足世界で積み上げ作業をやることは40代にとって重要かと思います他人干渉されない自分世界で積み上げていく事は生きる意味を豊かにしてくれます

長文失礼しました。

2024-08-31

人生意味なんてあるのか by 負け組中高年」の意味ちゃんと伝わってないな―と定期的に感じる

本当の命題は、「毎日仕事で嫌な思いをして、休日家族サービスのために連れ回され、特別趣味もなく、子供や伴侶から特に好かれている感じもなく、身体も少しずつだめになっていき、昔楽しめことも少しずつ飽きてきた。生きることで得られる幸福度は下がっていく一方だけど、仕事で求められる責任や面倒くささはドンドン増えていってる気がするし、かといって楽な仕事をすれば「年齢の割にこんなショボイことしかしてないのか」と冷ややかな目を向けられ結局辛い思いをする。進歩する技術や変化するルールについていく能力も失われ、ただただ生きるということに必死にならなければいけない。こんなにも辛い思いをしてまで生きるほどの価値が今の人生にあるのか?表層をただ眺め回しただけでは、毎日苦痛釣り合うだけの幸福毎日得られているなんて思えない。人生の深層にはなにか素晴らしいものが埋まっているのだろうか?私がまだ気づいていない生きるに足る何かが。そういった妄想にすがることでなんとか日々の無聊を慰めてきたが、いい加減ただ苦しくて退屈で先の見えた人生なんて終わりにしたほうが幸せな気がしてならない。

死んでしまえば今ある日々の幸福は失うが、同時に今ある全ての苦痛から逃げられる。

生き続ければ日々の小さな快楽を得られても、同じく日々の苦しみを味わい続けることになる。

表面上だけで電卓を叩けばプラスマイナスに勝っていると思えなくなったこ人生、それでも何か、まだ死ぬべきではないと思えるものがあるのだろうか(なお、住宅ローン子供養育費については十分な貯蓄があり、伴侶や子供再婚理解があるため自分が死を選らんでも家族が路頭に迷うことはないものとする)」

なんだよなー。

ここがちゃんと伝わってるとは思えない回答が多いんだよな―といつも考えてしまう。

それをギュっと圧縮するなら「死ねば全てが終わるが、生きれば全てが続く、続けるだけの価値がこの人生に残っているのか?」って言い方のほうが正しい気がするんだよねーといつも思ってしまう。

素行の悪い者によって心を害されたなら、その人は前世で徳を積み損ねた人間見習いだったのだと思いなさい」との教えは、

まりそう言うあなた前世でさぞ徳をお積みになられた高貴なお方なのだろう、という命題示唆する。

そのようなお方にご教示を賜れるとは、ありがたい、ありがたい。

2024-08-30

anond:20240830214335

見直すことはないので命題が誤りだね

命題: まともな国ならば左翼を殺している

逆: まともな国でないならば左翼を殺していない

裏: 左翼を殺しているならばまともな国である

対偶: 左翼を殺していないならばまともな国ではない

2024-08-29

anond:20240828005248

そもそも老人が東方から離れているという命題自体が間違いだと思うのだが、

消費者側の目線だとそう見えるのかな

2024-08-28

anond:20240828120856

文系脳はこれだからだめ。なんの命題だろうが証拠に基づいて話せよ

anond:20240828120819

からさ、今言ってるのは哲学命題だろ?どうして科学が出てくるんだよアホか

哲学の「偉い人がこう言ってた」が馬鹿っぽい

人生意味とは」「客観現実存在するのか」「なぜないではなくあるなのか」などの命題を考えた時に、論理理論だけを展開するならまだわかる

でも「ニーチェがこう言ってた」みたいな、人物名で説明しようとするのが本当に馬鹿っぽいと思う

だってさ、本当に理論価値があるなら人物名に依存しないはずだろ?なんで「ニーチェ」が出てくるんだよアホか

2024-08-24

人間を「子どもたち」と思うと寛容になった

ネット上では様々な暴言が溢れているように見える。ある人は「チー牛はタヒね」と言い、別の人は「弱者男性キモい」と言う。これらの言葉は、現代社会の深層に潜む闇を映し出す鏡だ。人間本質的攻撃性や、社会の歪みが、匿名性という仮面の下で露わになる。しかし、最近はこういう低俗な連中にも寛容になってきた。彼らを「子どもたち」と思うようにしたのである

この視点の転換は、ある日突然訪れた。自分地域のbakusaiを覗き込んだときのことだ。そこには頭の悪そうな書き込みが溢れていた。その瞬間、啓示のように一つの考えが浮かんだ。愚かなことを言うのは頭が悪いからであり、頭が悪いということは、精神子どもだということだ。

この洞察は、人間本質に対する深い問いを投げかける。我々は本当に理性的存在なのだろうか。それとも、理性という薄皮の下に、原始的衝動感情が渦巻いているのだろうか。ネット上の暴言は、文明社会という仮面の下に潜む人間の野生性の表出なのかもしれない。

子どもたちは社会責任を持って育てていかなければならない。この命題は、単なる教育論を超えて、人間存在根本的な在り方を問うている。我々は、自らの内なる「子ども」とどう向き合うべきなのか。社会は、その集合的な「子どもらしさ」をどのように昇華させ、成熟へと導くべきなのか。

人間意識は、表層と深層が複雑に絡み合った多層構造を成している。表面に現れる攻撃的な言動は、その人の内面にある深い葛藤不安の一端に過ぎない。我々は、この意識の深層にまで降りていき、そこに潜む真の欲求や恐れを理解しようと努める必要がある。

さらに、個人意識の奥底には、人類全体が共有する原初的イメージ衝動が眠っているのかもしれない。この集合的無意識は、時として社会全体の行動パターン価値観を形作る。ネット上の暴言は、この集合的無意識現代社会という文脈の中で歪んだ形で表出したものだと考えることもできる。

しかし、この「症状」を単に抑圧したり、無視したりするのではなく、それを社会の成長のための機会として捉え直す必要がある。子どもたちが成長過程で様々な試行錯誤経験するように、社会もまた、こうした現象を通じて自己を再定義し、より高次の段階へと進化していく可能性を秘めている。

結局のところ、我々一人一人が「子どもたち」なのかもしれない。完璧大人など存在せず、皆が日々成長し続けているのだ。その意味で、ネット上の暴言を発する人々も、我々自身も、同じ宇宙船地球号に乗った旅人なのだ。互いの未熟さを認め合い、寛容さを持って接することで、人類全体がより成熟した段階へと進んでいけるのではないだろうか。

2024-08-23

量子力学数学抽象化

1. 圏論的枠組み

量子状態観測過程圏論的に記述するため、以下の圏を導入する:

2. 関手自然変換

観測過程を表す自然変換 η: F ⇒ G を定義する。

3. モノイド構造

エントロピー抽象化するため、モノイド (M, ·, e) を導入する。ここで、M は可能エントロピー値の集合、· は結合則を満たす二項演算、e は単位元である

4. 層理論

知識状態の変化を記述するため、位相空間 X 上の層 ℱ を導入する。ここで、X は可能知識状態空間を表す。

5. ホモトピー理論

観測による状態変化をホモトピー同値観点から捉えるため、位相空間の圏 𝕋op における弱同値を考える。

6. 圏論確率

量子確率過程記述するため、𝕧𝕟𝔸 上のマルコフ圏 𝕄arkov(𝕧𝕟𝔸) を導入する。

7. 量子論

量子命題を扱うため、オーソモジュラー格子 L を導入する。

8. 超関数理論

観測過程連続性を記述するため、超関数空間 𝔇'(X) を考える。

定理:量子観測普遍的特性

以下の普遍性を満たす圏 ℂ と関手 U: ℂ → 𝕄eas が存在する:

1. ℂ は完備かつ余完備である

2. U は忠実充満関手である

3. 任意対象 A, B ∈ ℂ に対し、自然な同型 Homℂ(A, B) ≅ Hom𝕄eas(U(A), U(B)) が存在する。

さらに、以下の性質を満たす ℂ の対象 Q (量子状態を表す)と射 f: Q → Q (観測を表す)が存在する:

4. H(G(F(Q))) ≅ U(Q) (量子状態と測度空間対応

5. f は Q 上のモノイド準同型誘導する。

6. f によって誘導される U(Q) 上の写像は測度を保存する。

系:エントロピー減少と世界選択抽象記述

上記定理の下で、以下が成り立つ:

1. エントロピーの減少:

∃m₁, m₂ ∈ M such that m₁ · m₂ = e and m₁ ≠ e

2. 知識獲得:

∃s ∈ Γ(X, ℱ) such that s|U ≠ s|V for some open sets U, V ⊂ X

3. 世界選択

∃h: I → I' in 𝕋op such that h is a weak equivalence and I ≇ I'

ここで、I と I' はそれぞれ観測前と観測後の可能世界空間を表す。

この定式化により、量子観測エントロピーの減少、知識の獲得、そして特定世界への「移動」を、最も一般的かつ抽象的な数学的枠組みで表現することができる。

この枠組みは、具体的な物理系や観測過程依存せず、純粋数学的な構造のみに基づいている。

2024-08-22

anond:20240821222708

命題の裏の真偽は必ずしも一致しないんで

2024-08-19

数学宇宙仮説についての考察

数学宇宙仮説を説明するには、宇宙をどのようにモデル化するかを考え、各理論役割を明確にする必要がある。

以下に、各概念説明し、物理宇宙数学的にどのように捉えるかを示す。

数学構造

数学宇宙仮説の中心にあるのは、宇宙数学構造のものであるという考え方である数学構造は、集合とその上で定義される関係演算の組み合わせである

具体例として、微分多様体を考える。微分多様体は、局所的にユークリッド空間に似た構造を持ち、滑らかな関数定義できる空間である物理学では、時空を微分多様体としてモデル化し、一般相対性理論の基盤としている。このように、宇宙全体を一つの巨大な数学構造として捉え、その性質研究する。

集合論

集合論は、数学の基礎を形成する理論であり、すべての数学対象を集合として扱う。特に、Zermelo-Fraenkel集合論(ZFC)は、集合の存在とその性質定義する公理である数学宇宙仮説では、宇宙を集合として捉え、その集合上の関係演算物理法則表現していると考える。

モデル理論

モデル理論は、形式的論理体系が具体的な構造としてどのように実現されるかを研究する。数学宇宙仮説では、物理宇宙がある論理体系のモデルである仮定する。具体的には、物理法則公理とする論理体系のモデルとして宇宙を捉える。これは、ペア算術公理系のモデルとして自然数存在するのと類似している。

カテゴリ理論

カテゴリ理論は、対象オブジェクト)とそれらの間の射(モルフィズム)を扱う理論であるカテゴリ 𝒞 は次のように定義される:

  • 対象の集合 Ob(𝒞)
  • 射の集合 Hom(A, B) (対象 A, B ∈ Ob(𝒞) 間の射)

射は合成可能であり、合成は結合的であるさらに、各対象に対して恒等射が存在する。

数学宇宙仮説では、宇宙を一つのカテゴリとして捉えることができる。カテゴリ対象は異なる数学構造であり、射はそれらの間の変換や関係を表す。これにより、異なる「宇宙」間の関係性を数学的に探求することが可能になる。

トポス理論

トポス理論は、集合論一般化であり、論理空間概念統一する枠組みであるトポスは、論理体系のモデルとして機能し、異なる数学構造統一的に扱うことができる。

数学宇宙仮説では、宇宙トポスとして捉えることができる。トポスは、論理体系のモデルであり、異なる物理現実表現するための柔軟な枠組みを提供する。トポス理論を用いることで、宇宙数学性質をより深く理解することが可能になる。

まとめ

数学宇宙仮説を抽象数学説明するためには、数学構造公理系、集合論モデル理論カテゴリ理論トポス理論といった数学概念を用いることが必要である

これにより、物理現実数学的に厳密に記述し、数学物理の深い関係を探求することができる。

この仮説は、数学対象物理実体として存在するという新しい視点提供するが、現時点では哲学的命題としての性格が強く、数学的に証明可能定理ではない。

2024-08-14

anond:20240814000034

それはことある事象の中の1スコープに限った話なので、命題を満たしてない。

国語が苦手だから知識がない訳では無いし、知識がないか国語が苦手でもない。

2024-08-09

A「生きてるだけで偉い」

B「お前は偉くないので死んでくださーい」←偉くないのに生きているという「生きていれば偉い」命題に対する反証を潰し、「生きてるだけで偉い」世界を守ろうとしている。アンチに見せかけたAの補完勢力

2024-08-07

命題:生きてるだけで偉い、皆優勝

逆:偉いから生きてる、皆優勝

裏:生きてるだけで偉くない、皆予選敗退

対偶:偉くないから生きてない、誰も予選敗退

2024-08-05

logic

生きてるだけで偉いので皆 優勝でーす

対偶

おまえは偉くないので、死んでくださーい

になる?

ってAIに聞いたら

その論理は正しくありません。元の文の対偶を正確に導くには、論理学の規則に従う必要があります説明しましょう:

元の文の論理構造

"生きているだけで偉い" という部分を P、"優勝" を Q とすると、

元の文は「全ての人について、P ならば Q」という形になります

対偶の導き方

命題「P ならば Q」の対偶は「not Q ならば not P」です。

正しい対偶

したがって、正しい対偶は:

「優勝していない人は、生きているだけでは偉くない」

とのことです

2024-07-30

多様性多様性を認めない人も多様性の一部として認めるべきか?

これってすごく重要な問いだと思わない?

多様性多様性って言ってる人たちって、なんか多様性を認めない人のことは認めない風潮あるじゃん

具体的にはネトウヨ的な人の価値観ことなんだけどさ

けど、実際世界を見渡してみると、ネトウヨ以上に保守的な人たちなんて当たり前にいるんだよな

特に宗教なんてそう

どの宗教とは言わないんだけどさ

信仰心の強い人たちを日本多様性として受け入れたとき絶対にその人たちは多様性価値観なんて受け入れないぞ

から多様性と言うなら、絶対条件として多様性を受け入れない人たちに寛容になる必要がある

これってすごく重要命題だと思うんだけど

お前らはこの問題をどうやって答だそうと思ってる?

2024-07-27

10年以上前に書いた小説を読み返した(追記あり

15年以上前アラサーだった自分新人文学賞などを目指して小説を書いていた。

土日の大部分は小説を書く作業と、小説を書く人が集まる社会人講座の授業に費やしていた。

5年位は続けていたが、やめてしまった。

自分が書くべきことが次第に思いつかなくなってしまたことと、他の受講者の作品本屋さんで売っている小説を読んでいるうちに、自分には向いていないしセンスがないことがだんだんわかってきたからだ。

ところが最近自分パソコンフォルダを漁っていたらその頃の小説pdfが出てきた。書くのをやめてばかりの頃は恥ずかしいし痛いから二度と読むまいと心に決めていたが、今の心情としては死ぬ前にあと1回位は読んでもいいかもしれない、小説の見え方も書いていた当時とは大分違うかもしれないと思い、斜め読みでもいいからとりあえず読んでみることにした。

読んだ作品はA、B、C、Dとして、以下にその感想を書く。

登場人物やあらすじについては触れない。

A

小説を書いてみたいと思って社会人講座に通い始めて間もない頃に初めて書いた。原稿用紙350枚ぐらい。

登場人物言葉遣いが汚い。直情的すぎる。登場人物の中でホモと疑われる教師がいたのだが、今の時代ではアウトすぎる表現だった。

物語の展開が都合良すぎる。

恋愛描写がくどい。多分これが、よく言われるところの、素人おっさんが初めて書く小説ありがちな痛さかもしれない。

書いてる時には恐らく頭の中で見えていたはずのもの文字になっていないからなんのことだかわからない記述がある。

過去の知り合いを物語の中で過剰に美化している。つまり自分の当時の人生観が未熟で甘いということだろう。

主人公がずっと目指していた目的地がいつの間にかすり替わっているのに物語中では一切理由がわからない。

親の心とかの描写が表面的すぎる。

内容をほとんど忘れていたので次の展開が読めないところは楽しみでもあった。

瑞々しい恋心みたいなのはちょっとよみがえった気がした。今よりも恋愛至上主義が強い世相の中で流されつつ抱いた渇望感みたいのを思い出した。

小説すばる新人賞に応募したが1次選考にも残らず。当時はなんで?なんで?って感じだったが(それも恐ろしいことだが)今読めば選考に残るわけないのは十分納得。

B

Aの2年後ぐらいに書いた。原稿用紙500枚。

主人公思考社会への目があまりにもすさんでいる。それは当時自分がそうだったことの裏返しだろう。

弱者執拗否定しようとする力の存在をことさら強調し絶大視しようとする描写がいくつかあって、それが自分人間的未熟さというか卑屈さを浮き彫りにした。

犯罪トリック稚拙USBメモリ紛失をでっち上げただけで大企業情報漏えい事件発生というのは無理がある。

簡単に人が死ぬ。こんなに登場人物をたくさん殺しているのにその必然性も後片付けもないと、当時通っていた講座の講師にも指摘された。

書いた当時の10年後つまりここ最近時代舞台なのに、現代キャッシュレス社会を予見できなかった。虹彩認証コンビニ1000万円までの現金を下ろせてしまうという設定にはあまりにも無理があった。

刑事がすぐに暴言を吐き暴力を振るう設定が安直すぎる。下手をすれば職業蔑視とも受け取られかねない。

いい奴の主人公最初のシーンだけめっちゃ嫌なやつ過ぎてその後のシーンでの性格とあまりにも整合性がつかなすぎる。

氷河期世代負け組アラサー男性絶望感と人生をやり直しの希望みたいのは出たと思う。

当時の自分成功したあっち側ではなく、だめなこっち側人間なんでこっち側の怒りや絶望を描いたつもりだったのが、その描写に卑屈なところがあるため、かえってこっち側の怒りを買いそうでなおかつあっち側から苦笑いか同情でもされそうな残念感が今も残る。

このミス大賞」に応募して、もちろん1次選考には通過しない。当時はそんなもんか、という印象だったが、今だったら通るわけないと十分納得。

C

Bを書いた後に、今度は誰も死なない話を、なるべく心温まる話を書こうと奮起して書いた。原稿用紙350枚。

登場人物で、モデルとなる実在人物がそれまでで一番多い。そのためか痛さが際立っている。

物語の展開にAやBほどまでの唐突さはないが、それでも十分唐突

今どき年寄りしか使わないような方言若者世代にまで喋らせていてあまりにも無理がある。

主人公恋人となる女子大学生の人物描写凡庸で表面的。

難しい命題を掲げておいて導き出した答えがあまりにも安直稚拙主人公大学生なのにこれじゃ中学生かよって感じがしてしまう。

書いている当時は見えていたものを本文に描写していない(書いた気になってる)のでなんのことかわからないシーンが一箇所あった。

主人公のイチャラブシーンがくどい。がそういうのがいい人はいるのかも知れない。ただし、人物描写に深みがないからやはり読む人が読めばつまらない。

もし登場人物モデルとなる実在人物にこんなのを読まれたらと思うと恐ろしい。

縁あって知り合いの編集者の方に読んで頂いたところ「よいところは何一つない」と断言され、大沢在昌小説入門のような書籍勉強することを真剣に勧められた。(一通り読んでみたが実践にまで及ばず自分の血肉とはならなかった)

小説すばる新人賞に応募し、もちろん1次選考に通過しなかった。当時の印象としては、やっぱそうだよなって感じだった。

D

Cを書いてから2、3年後に、通っていた講座の課題として書いた。原稿用紙100枚。

書くことがなくて無理やりひねり出した感が強く出てしまっている。

既存小説のシーンを堂々とパクっている(ある小説で、土砂を積んだダンプカーが横転して人が生き埋めになるのを見て笑う男のシーンがある)

書いている当時頭に思い浮かべていたシーンと実際に書かれた描写とでまだギャップがある。

 

(全体を通して…)

読み返す前は「小説家になろう」とかにupしてもいいかなーとか思ってたが、読んでみると、、やっぱり、、、無理だわ💦

追記

増田の反応が意外と生ぬるい称賛みたいのが多くて拍子抜けした。

きしょっ💦💦

クソワロタwwwwwww

みたいのを想像してた。

時間と労力をかけて書いたものでも、客観的に見るととても拙く、世に出るレベルに至ってないというのが、趣味としてやるにもなかなか難しいところであることを実感した。

しかもそうやって自分の作ったものをある程度客観視できるようになるのに10年以上も寝かせるというのもある意味めんどくさい。

よく、10000時間修練すればいろんな趣味技術はモノになる、というようなことを言われるけど、自分場合、多分10000時間には届いていないのでまだ努力を続ける余地はあったのかも知れない。

(今じゃほとんど)自分より若いデビュー小説家や芥川賞直木賞受賞者の方は努力もすごいがやっぱりセンスとか目指してるものとか見えてるもの自分とは全然違うんだろうなと改めて思う。

あと、時代の移り変わりが早いのを改めて実感した。

LGBT関係セクハラパワハラキャッシュレス社会スマホ携帯若者言動とか、書いてる当時は気にならなくてもたった10年程度で違和感ありありなのがすぐに浮き彫りになってしまう。

追記2)

ブコメの中で、自分以外の人に読んでもらったほうがいいというアドバイスをされた方がいたので補足すると、当時通ってた講座の受講生の方にはABCDいずれも読んでいただいたし、一部は友人数名に読んでもらう機会があった。授業で頂いた色んな人の講評などがノートに書かれていたはずだから、後でそれも引っ張り出して読んでみようと思う。特に、通っていた講座の講師先生には要所要所の指摘やアドバイスを頂き、温かい目で見守って頂けたので今でも感謝している。

つまんなそうとかこんな増田じゃものになるわけないみたいなブコメもあったが、まあその通りだと思っている。自分は、仮に誰もが有無を言わさず好きでも嫌いでもとにかく原稿用紙1000枚ぐらい書いてみればとにかく書きさえすれば100人中50人ぐらいは自分のより面白いのができると思っている。本当に違うのは、書くか書かないか、ただそれだけだと思ってる。

追記3)

E

ABCDより少し後に読み直した。

Dを書いたよりも1年前ぐらいに書いた。原稿用紙360枚。小説すばる新人賞に応募して、1次選考に通過しなかった。

地元に古くからあったドライブイン商業施設などを舞台として、20代の男女の恋愛とか和解などを描いた。

時代設定を明確に2011年としていたので当時と今とでは大きく時代が変わってしまたことを改めて実感した。

ブログとか掲示板、当時のネットスラング、どれもみな、今ではほぼ絶滅してるようなものばかりだった。

登場人物人間性に触れるような描写はそれまでの中では一番ましだったと思う。

一方で、あらゆる出来事現象理由理屈をつけなければならない、本文に記述しなければならない、というような思い込みを感じるところがあって、それが読者に違和感を感じさせる要因になるのではないかと思った。理屈じゃない出来事理屈説明しようとしている感じ。

ファッション料理に関する描写が出てくるシーンを書くのが難しかった。その方面知識経験の浅さ乏しさがどうしても浮き彫りになってしまう恥ずかしさがあった。

書き始めた頃よりは少なくなったが、登場人物の直情的で暴力的な部分への違和感が残った。自分の中で、世の中はそういうものだという固定観念がまだ残っているようだった。

ABCDに比べて、読むときもっと気恥ずかしさが残っていて、主観的視点が抜けきれてない感じがした。

物語テーマが大きく2つに割れしまっていて、片方は潔く捨てるべきだったのかも知れないが、どう捨てたらもっと面白くなるのかはちょっとよくわからない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん