はてなキーワード: 下僕とは
部屋を掃除する。
ソファやねこタワー、キッチンテーブルを寄せ、箒でフロアを隅々まで掃き、清め、空気を入れ替え、洗濯物は洗濯を、洗い物は洗い物をして、ゴミ出しをする。
そうしてものを元の位置に戻す。ねこは模様替えがきらいである。だから極力、もとの通りに。
それまで洗濯物が積まれていた座布団の上、猫の毛がたまっていた絨毯やフローリングの端、隅、ものを寄せて生まれた新たな動線。
ひとまわりし、こちらにいちど立ち寄って頬を寄せてから、新天地に鎮座し、そのうしろあたまさんは、まるで隣に寝そべる下僕を守護する者の象徴のようでもある。
新鮮な水に汲み換えながら、下僕は思う。「また、こまめに掃除をしよう。なんていい気分だ。こんなことなら、ねこちゃんのために、もっと早くすればよかった」
そして下僕は別れた女や、亡くした母親のことを思い出す。わざわざ、思い出すことなんてないのに。
「おれに片付けをさせるのに、やいのやいのいわなくてもよかったんだ。ね、○○ちゃん」
「にゃーん」
そういうことなんだろうねぇ。
非常時にはまず現金化を狙うから投資関係の人間マジで困ってるんだろう。現金化って、投資から足を引いて、証券を売り払って現金にするってことだから証券会社食い上げだもの。投資状況が不景気見えてて儲からないというのに加えて。
この期に及んでオーナーだとかエンジェルとか抜かす奴がいるのには失笑ものだ。オーナーだとかエンジェルだとか抜かすのは自分が1000万円ぐらいもって他人に投資してからほざけ。
どうせふわふわしたコンテンツしか見てねーか、好景気の時に起業が増えるってのを逆に見て、起業が増えれば好景気になるって呪術をしてる役人どもとそいつらの下僕だろうが。
とりあえず社内でオンライン会議とかメッセンジャーソフトとか普及させてほしい。わざわざ管理職が会議のために本社とかに出張する時間が無駄。昼間ほとんど席にいない人に伝言するために一番効果的な方法がメモとかを書いてパソコンに貼ることなのもどうにかしてほしい。メールを送ることはできるのだが、あまりチェックしない人もいるので、結局紙に頼ることになる。
うちの職場のシステムを職員の自宅とかとつなぐのは至難の業だけど、元々ネットワークがつながっているところぐらいどうにかしてほしい。出来ればメッセンジャーソフトとかでオンラインかどうかとか、「離席中」「会議中」とかいう状況が自分の席から確認できると良い。
昼間席にいて電話をとることが多いのに、上司や同僚が席にいるかどうか隣の部屋までいちいち確認に行くのがアホくさい。現場にいないとできない仕事が多いので、出勤するのはしょうがないが、連絡をとりたい相手となかなか連絡がとれないのがストレスだ。
しかも昼間席にいない連中は夕方からデスクワークで本気を出すので、こっちが帰る時間帯になってプリンタやコピー機の調子が悪いとか使いたい紙がないとか言ってくる。うぜえ。こっちは勤務時間終了なんだよ。せめて前の晩に気付いて「○○の調子が悪いので修理を頼んでください」とか「△△の紙がないので補充してください」とかメモを置いてほしい。
どうせ夜とか土日にそういうこと言われても修理業者とか紙売ってる業者とかも動いてないから。スマホみたいにいろいろできなくて良いから、ガラケーでSMS が送れるやつとか持ち歩いてこっちからガンガン用事を送りつけられるようになってほしい。私は昼間席にいない連中の下僕じゃないけど、結局向こうが多数派なので、顎で使われてる感が強くて面白くない。こっちに気を使って礼儀正しく頼んでくる人もそれなりにいるんだが、役割分担的に向こうが主役でこっちが脇役なのでどうしようもない。
在宅勤務とか外出自粛のGWとかを経験すると、こんな仕事でもやらせてもらえるだけありがたいと思わないといけないんだろうが、職場が本格稼働体制になればなるほどイラつきは増す。仕事を楽しめる感受性の持ち主が羨ましい。
ずっと自分本意で生きてきたから友達が出来なかった。そんなときに手を差し伸べてくれたGちゃんは、自分のことをサンドバックだと思ってた。
あの時反撃してたら人生変わったんだろうか。一人になるのが嫌で彼女にすがり付いて。友達だからって思い続けて。それで搾取され続けて。馬鹿みたいだな、本当。でも、ある意味共依存だったのかもな。彼女と。他の友達と遊んだら何か怒ってたし。下僕扱いの癖にさ。
苛めてた側は自覚ないんだよね、こっちがずっと引きずってることも。中学生になったときDSを返して欲しいと言ったらポカンとしてたもん。未だに引きずってるのが本当に馬鹿らしいな。でも当時辛かったのは本当だし、今でも人に馴染めなくて死にたくてたまらない。
彼女のことは恨んでないけど、貴重な子供時代を無駄にされた感半端ないな。他にもっと青春出来たかもしれないのに。謝らなくて良いから時間を返して欲しいわ。
最近よその家族とご飯を食べたが、私の知ってる家族と違いすぎてカルチャーショックを受けた。
そこのおうちのお嬢様がお母様に「そういう言い方はよくない」と注意する。
お母様もそれを聞いて「そうかもしれないね」と受け止める。
実家では親に進言するとこうだ。機嫌がいいときは「いいこちゃんぶって」と嫌味で返され、機嫌が悪いときは「子供は黙っていればいいんだ」といわれる。
そもそも30歳近くなってもまだ子ども扱いで、一人旅に行きたいので親の許可を撮ろうとすると引率の大人がいないならダメだといわれる(無視して行った)。昼食のラーメンに入れるネギを小口切りにしたかどで全裸でベランダに締めだすというしつけを受ける。
大学卒業を機に一人暮らしをして1,2年に1回帰省するだけだがそれすら最近は我慢できなくなってきた。早く死ねばいいのにと思われている家にどうしても帰りたくない親不孝者だ。
よそのおうちでは顔色を窺わなくてよい、大きな足音や物音で不機嫌アピールする人がいない、そもそもイライラしてる人がいない。
ゆっくり過ごしてほしいということだったので通された仏間で甘えて横座りだが足音がしたので跳ね起きてすぐ正座した。そこのおうちのご令息はごろごろしたままだった。足音だけで部屋に入ってくることはなかったが、この家の人は足音を恐怖に思ってないんだと愕然とした。親が一見したとききちんとしてないと叱られることはここの家ではないのだ。
小学校低学年の女児が「この遊びがやりたい」と口に出していた。
家族でできるボードゲームだったので家族みんなでやりはじめた。
一時期豊田真由子の怒声がテレビをにぎわせていたがあれが話題になっていたのは異常だったからだ。
母のしゃべり方は豊田真由子そっくりなので私は報道を正視することができなかった。
職場の人は笑い話のように豊田真由子の話をするが私には笑えなかった。子供のころからああやって怒鳴られていたから。
十二国記には梨蓉という登場人物がいる。彼女は数代前の王を支えた高名な仙人だが性格がきつく今は洞を与えられて幾人かの下僕をいじめながら暮らしている。
下僕の一人、鈴は屈辱的なあだ名をつけられたり無理難題を申し付けられたりしながら暮らしているがある時耐え切れずに出奔する。鈴は自分を憐れむが、物語が進んで出会った一人の少年に諭される。
その内容が私はまだ受け止めきれる度量がないのだが、その挿話があるため私は十二国記のことが大好きだともいえる。
こういう親の元で育ったことを人に言われたときにどう受け止められるかがわからない。
親とすら仲良くできない欠陥品だから、人間の失敗作だから関わらないようにしようと思われても仕方ないと思う。
私は厳しくしつけを受けて育ったが、親をだまして女子高の特進クラスに入った。あまつさえ大学に進学し東京に就職して独立してしまった。いつまでも一緒にいてアップルパイを焼いてくれる優しい娘が母は欲しかったのに。地元の地方公務員と結婚して親とはスープの冷めない距離で仲良くする友達親子を期待してたのに。私はその期待を裏切ったのだ。死ねといわれても仕方がないと納得しないといけないはずなのに納得できないのが親にもたぶん透けて見えていて、さらにしつけを助長する。
あのポスターも、「もっと先輩(献血者)を蔑むような目つきで」書かれていたはずが、リテイクで書き直され、嘲笑う程度の目つきになったんでしょう。
普通の場所に掲示するのを考えて、あえて普通の表情にしたのが間違いでしたね。
可能ならばもっと上から見下ろすような構図で、踏まれている先輩に対して汚物を見るような表情で、少年誌なので鞭とか蝋燭は不可でも、△定規とか丁定規とか黒板消しとか上履きとか靴下とか……
セリフとしては「さあ、今すぐお前の汚らしいマゾブタの血を献血しなさい、ブタッ!、犬っ!」「ブヒーブヒー」「キャインキャイン」なども必要ですね。
献血センターでは、「さあお飲み、わたくしの黄金水(ドクター秩父山)」ならケロタンが獣貫路通ってトラックで買い付けに来て、秋葉原でやってたみたいに、女性の等身大ポスターの股間からレモンジュースが出て、検尿コップで飲める上級者なら、献血コーナーに行列ができて「ただいま1時間待ち」プレイでも、よく調教されたM奴隷なら放置プレイも楽々こなせたでしょう。
ちなみに私の友人は40歳超えのお局様と結婚して、毎朝ご主人様のために朝食をご用意して、買い物や炊事洗濯掃除もしてご奉仕しています。
私がご自宅にお邪魔した時は、お使いを命じられていたレシートを一瞥して、特売100円のパンを買うはずが、山高の138円のパンを買ってしまったのを詰られ、公開プレイとして、ご主人様は椅子に座って背もたれ握って詰問。下僕と私は床板に正座したまま説教を拝聴しておりました。
しかしいま、こねこを迎えておとなねこになったうちの愛猫(あいびょう)を見るとちょっと違うんじゃないかと思うて書いてみる。
生まれたときは80gとか100gとか。うちの場合はミルクボランティアさんに育ててもらって300gくらいのときにうちに来たのかな。
両方の手のひらにちょうど収まるくらいだった。
いま、4歳半。2015/5/7(推定)に生まれた女の子。体重はちょっといえない。
かかりつけの獣医の先生からはいつも「立派に育って。お水を飲む量の変化には気を配ってくださいね」と指導を受ける。
大きいもふもふが、小さいときの甘え方で、あとをついてきたり、サイレントで鳴いたり、ごはんをねだったり、見つめてきたりする。
なんか、得した気分。
仕事で顔が見られない時間帯は、ツイッターで「(ねこの名前)ちゃん(´;ω;`)」てつぶやきます。
朝晩に水を換え、神と崇めます。
ねこの4歳半は、人の30歳過ぎ。
避妊手術を受けてもらったことは、いまだに答えのない問いとして、下僕の胸の一部を占めることも。
なんとなくだけど、下僕のことをパートナーと思ってくれている節を近頃は感じます。
うち、3にゃんいるんだけど、その中で自分が正妻(?)と思ってる感じ。あー叩かれそうだw
先々の杞憂だけれど、おばあちゃんねこになって、身体が少しずつ、しぼんでいくのかな。
まだ、先の話だけど。でも、この4年半は、とっても早かった。
絵柄がイマイチだなと思って敬遠していたが、つい最近読み始めた。
さて、キングダムにはさまざまな魅力的な武将、人物が出てくる。
キングダムは史実をもとにアレンジしている。当然と言えば当然であるが、そのアレンジも歴史の流れを理解する能力がなければ魅力的な人物を描くというのは大変難しいと思う。
中国に伝わる物語をアレンジした漫画といえば封神演義を思い出すが、あちらに関してはどうやって物語を着地させるのか、そっちが気になって仕方がなかったのを覚えている。ただしキングダムに関しては仙術のたぐいはほとんど出てこないので、超技術でどうこうという話にならないのが確定的な分、安心して読んでいられるのが救いと言えば救いか。
さてそんなキングダムのキャラ、読者はそれぞれお気に入りの人物がいると思うが、私なりにいろいろ考察したことをつらつらと書いていこうと思う。ちなみに私は史書(原作)を読んだことがないので悪しからず。
・信
三国志なんかでもそうだが、古代中国の人物の名前は概ね姓名各一文字の二文字の名前が多く、稀に姓が二文字の人物が出てくる、という感じだ。
その中でも漂や信は下僕であったので、姓がない・・・のかと思ったが、騰はまだしも貴族の出である壁など、意外と一文字の人物が出てくる。
彼は最初、政を助けた後に将軍職を望むが、説得されて結局は戸籍と家をもらうことになる。あまり細かくは語られていないが、これはかなり重要なことだと思う。
物語が進んでいくとよくわかるが、各将軍には有能な副官、部下がいる。彼らの働きこそが将軍たちを支えているのであり、将軍単体でまともな仕事をする人物というのはなかなかいない。ヒョウコウはとくに優秀な副官らしい人物は出てこずヒョウ公自身がひっぱっている感じで描かれているが、その裏では岳雷をはじめ彼のことを理解し補佐する副官たちが存在したはずだということはわかる程度になっている。
仮にあの時点で信がポンと将軍職をもらっていたとすると、部下のいない将軍が出来上がる。それでは夢の大将軍にはなれないので、イチから始めなさいと言われたわけだ。
当時は下僕に限らず、よっぽどの家に生まれない限りはまともな教育など受けられないはずだが、それを差し引いて考えてもおバカなのである。
物語上、登場人物にとっては当然のこと、常識であっても読者にとってはそうでないことを説明させるのに便利なのだ。キングダム内に置いては、特に地理の説明などに重宝していると言えるだろう。また、序盤はそうでもないが、それなりに話が進んでくると登場する人はたいていそれなりの役職にいる人=優秀な人であるので、説明せずとも理解しないで話が進んでしまうこともままある。それでは読者が置いてけぼりになってしまうので、主人公、あるいはそれに近い人物が物を知らないのは大事なのだ。他の作品で言うと、ワンピースの主人公ルフィはおバカなので、要所要所でナミやそのほかの人に解説を受けている。(その多くをルフィは理解していないが)
・昌文君
彼と王の出会い、心酔するに至るエピソードは明らかになっていない。あえて言うなら紫夏の回想のくだりで初対面を果たしているはずだが、その部分はあの話にとって重要ではないのでまったく語られていない。
登場時点ですでに文官に転じているため、基本的に戦闘シーンはない。時代的にも文官だからといって剣は持たないというようなこともないので、ちょくちょく佩剣しているのを見かけるが、信のように一騎打ちするシーンは出てこない。
(元)武官らしい働きをするのはサイの防衛戦くらいか。彼が武官としてどの位置まで上がったかも今のところ語られていないが、風向き有利な西壁において抜かれている辺り、やはりそんなにでもないのかな・・・なんて思ってしまう。
文官としても、時折シシに諫められていたり、超一流ではないことを伺わせるシーンが折々に挟まれている。リシに頭を下げるシーンなど、彼が文官として(も)頂点に上り詰めるほどの才がないことを強く感じさせるが、そんな完璧超人でない部分が重要な人物であるように感じる。完璧でないからこそ彼の脇を支える壁やシシの働きが際立つのであろう。
信からも「オッサン」と呼ばれ侮られている感があるが(盟友である漂を殺される原因となった人物であり、諸手をあげて尊敬することはできないだろう)、その信も昌文君こそが政を支え、自分も手助けしてくれる存在であることを認知している。特に冒頭に述べた「一の臣」であることを信すらもが認めていることがわかるシーンがある。加冠の儀を終え、アイ国軍を鎮圧したあとの「あんたの口から言ってくれよ」というセリフだ。あのシーンは呂不韋との政争の勝利宣言であるが、勝利宣言というのは勝った側の、頂点に立つ人が行うものである。つまりあの場にいる一番は誰なのかという問題であった。殺されてはならない王族を救った信でもなく、実際に反乱軍を鎮圧するのに必要不可欠であった将を打ち取った昌平君でもなく、政に長く寄り添い、支え続けた昌文君に託され(しかも信から)、彼の口から行われることに意味があった。バカな信でもそのことを理解していた。
長年の苦難を回顧し、その一部を共にしてきた読者にとって、勝利を実感している彼の姿はやはり感動的なものがある。映画版がどこまで話を追うことができるかわからないが、このシーンはぜひとも再現して欲しいと思っている。
・壁
昌文君を大王政の一の臣と評したが、その昌文君の一の臣である。
文官となった昌文君に代わり、「武」を司る人物となるべく存在しているはずだが、実際のところそのあたりはだいたい信に取られてしまっている。王センに捨て駒にされたり、食料を焼かれたりと頼りないシーンが多く、出番の割に見せ場は少ない。合従軍戦でも当て馬にされている。
しかしいぶし銀な働きで大王を支える昌文君を支えるだけあって、地味だが必要な仕事をこなし続ける。合従軍戦においてはヒョウ公と信と共に南道に入り、ヒョウ公を討たれ激情に駆られた信を諫め王都に向かい、サイの守城戦では信の南壁に続く東壁を守り抜いた。また、アイ国戦においては本人の出番はないが、旧友に根回しして軍を率いる将を確保している。
今後の彼に見せ場はあるのだろうか。
・龐煖
ある意味において面白みのないキャラだな、という感じはする。個人的には最初から最強のキャラはかなり好きなのだが、非常に自分本位なキャラであり、どうしても強さ以外に魅力がない。
が、おもしろいなと思う部分はある。彼自身が信が説得され諦めた「ポンと手に入れた、部下もいない大将軍」なのである。幸いなことに李牧という強力な参謀の駒として動くことになるためついてくる部下がいるが、もし彼がいなければ本当に裸の大将だっただろう。
そういう対比という点においてはよいキャラだと思う。
あとは気が向いたら
毎朝、ねこちゃんが「ふにゃーん」といって、下僕のベッドの横にちょこんと座ってこちらを見上げている。
朝、4時30分頃の儀式。
うちのねこちゃんたちは、それ以上、爪を立てたり、腹の上に乗ったり、頬をなめたりということをしない。
ただ、近くに佇んでいるだけ。
「くーちゃん、もう少しがまんしようか。もうちょっとで、朝だよ」
僕がそういうと、
「にゃーん」
といって、そのままこちらを見ている。
僕は切なくなって、頭をなでる。そして水を換え、ご飯を出してしまう。
くーちゃんは、ご飯を出されたことに安心してか、少しのあいだ匂いを嗅ぐと、ロフトか、窓辺のほうへ、おしりを振りながら歩いていってしまうことが多い。
くーちゃんのお世話をすると決めたときに、ひとつ、自分に誓ったことがあります。
それは、このねこちゃんのことは、何があっても一生傷つけない、悲しい思いをさせないということです。
ねこは、生きて20年。僕はその頃42歳で、だからまず、自分が死の想念から卒業しなくてはと思いました。
お酒をやめたり、書物に耽溺悪酔いしたり、キャバクラ通いや、いかがわしい界隈を帰り道に散歩することも、やめました。やめたというより、船橋駅のシャポー口までくると、駆け出して一刻も早く、くーちゃんに会いたい。
外から窓辺を見上げると、くーちゃんが内側から見ていることが多くなりました。僕よりも、どこかもっと遠くを見ている感じのする眼差しです。そのくーちゃんが、僕に気づくと「はっ」として目を合わせてくれる。
そんなときにふと、下僕が思い出すのは、カズオ・イシグロ「日の名残り」のことです。そうして、階段を上がりながら追いかけてくるやわらかい視線に、何かに仕えることのできる喜び、生の充足と、その拠りどころを噛み締め、確かめます。
「ふにゃふにゃ」
ドアを開けるとくーちゃんが足元に歩み寄り、爪を研いで、甘えてきます。
下僕は「ただいま」といって、水を換え、ドライとウエットの2皿のご飯を用意し、くーちゃんが食べるのを離れて見守ります。
申し遅れました。僕は、これまで、くーちゃんに5つ、辛い思いをさせました。
どのひとつをとっても、万死に当たるでしょう。それなのに、くーちゃんは毎晩、僕の毛布に潜り込んできてくれます。
「かわいいさん」「すきすきー」「にゃーん」を、1日に100回、あるいはそれ以上、4年半のあいだ、続けてきました。くーちゃんは、ときに、僕にとっては神の化身と見紛う、何か特別な雰囲気を身にまとった存在と感じられるほどになりました。
はなちゃんは、シャーシャーねこちゃんだ。一緒に暮らしてもらってからもうやがて満5年になる。2015年2月21日に家にきてくれた。ねこの日と、僕が大好きな、亡くなった男の子が2ちゃんねるに降臨した間の日を選んだ。
いちども、(ただの、ではなく)ほぼ、いちども、触れていない。指先で、2、3度ちょいちょいした覚えがある。その瞬間にはなちゃんは総毛立ち身をすくめ、僕が身を引くといくつかの怯えた眼差しと姿勢の段階を経て、同じ住まいの僕からいちばん遠いところへと隠れていった。
はなちゃんは、人が嫌いなのである。10代の頃は歩く尖ったナイフと、20代では人形ヒトガタをしたハリネズミ、30代では「まだ衰えないか」と陰に陽に呼ばれた僕は、だからはなちゃんのことがある意味わかる。いや、わからない。ねこのことは人にはわからない。
はなちゃんは、美人なのである。写真を見せたい。しかしここは増田なので見せられない。実に残念だ。
そのはなちゃんは、僕がくーちゃんのことを抱いてなでなでしたあと優しくリリースすると、自分のほうに歩んで挨拶にきたくーちゃんのことを、丁寧に毛づくろいする。
「はなちゃんは、いいお姉さんだなあ」と、しばらくの間は思っていた。
どうやらそれは勘違いらしかった(いいお姉さんであることは、それはもう、間違いない)。毛づくろいの間、はなちゃんは僕から目をそらそうとしない。はなちゃんは、僕のことが嫌いで、むしろくーちゃんから下僕の匂いを消そうとしている可能性が高い。
はなちゃんは「だいすきなくーにゃん😺」「はな姫のくーちゃん😺」と思っていることだろう。くーちゃんは、はなちゃんにあやされるとき、いつも「ふにゃふにゃ😺」と満足そうな顔を浮かべる。
おれの負けである。
それでもいいのである。10月下旬を迎え、部屋に3箇所(どこでも一番好きなところでリラックスできるようにと)仕掛けた「ほかほかのわな」、人間界でいうホットカーペット(小型)の上で、はなちゃんが落ち着いているのを離れた場所から見ることがある。はなちゃんは、小さいころの外暮らしでずいぶん辛い思いをしてきたに違いない。はなちゃんはもうそろそろ「自分が雨に濡れる」感覚を忘れてくれただろうか。
おれのはなちゃん😺
お前の飼ってるペットとお前、どっちがいい暮らししてるかってことだよ
なんの仕事もせずただ家でぐうたらしてるだけの人間に飯と寝床を用意し、病気になったら病院に連れて行き、必要に応じて構ってやれ って言われたら嫌だろ なんでそんなことしないといけないんだと思うだろ
ペットも同じだよ かわいさに騙されるな 身銭を切ってなんの役にも立たない存在を養っているということに目を向けろ 自分を「猫ちゃんの下僕」 だなんて呼ぶな 本当に偉いのはお前だよ お前だけが偉い 猫は偉くないんだ まったく偉くない 人間だったらクズ中のクズだよ 本当にカスみたいなゴミクズだ
うちの猫さま、じゃなくてうちの見た目だけは可愛い下等生物、だ
偉いのは人間だ お前だ (俺は偉くないです) それを忘れるな
うちには、はなちゃん、くーちゃん、みーちゃんという3人のねこがいる。私は彼女たちの下僕である。
初めは、はなちゃんが家にやってきた。はなちゃんは「シャーシャー」ねこであり、撫でるところか、触れさせてもくれない。
触れるばかりか、近寄ることさえできない。
寂しくないといったら強がりになる。精神的に、私はそんなに強くない。
そこで、くーちゃんをお迎えした。くーちゃんのかわいさといったらない。
筆舌に尽くしがたいので、語らずに私は漱石「こころ」の先生のように、ただその美しさを祈って手紙を書き、届いたころにはこの世にいない作法を選ぶ。
みーちゃんはとにかく、独占欲が強い。そして構ってちゃんである。態度だけならまだいいが、手(すなわち柔らかくて少し痛い爪)が出る。
いまも私の足元に香箱を構えて、たまにふくらはぎやひざの表裏に「むー」と喉を鳴らしながら爪を立てる。
私がしばしみーちゃんの尾てい部分をリズミカルに「とんとん」してあげると、収ま…らない。もっとやってくれとせがまれる。
かわいい。
それでも、家に来てくれて初めのころからすると、ずいぶん落ち着いたように思う。
落ち着いたは落ち着いたのだが、私を独占しようとする気持ちが、しっかりと、前面に出てきたこともまた確かだ。
前には、「自分はくーちゃんの次」という意識(?)も見られた。いまは同格か、それ以上のポジションだと自分では思っているだろう。
実に愛おしい。