ナショナリズムの定義がよくわからんからナショナリズムと、個人の権利との対応がわけわからんことになってるぞ。
ホッブスの「万人の万人に対する戦い」と消極的自由と、積極的自由の話ぐらい踏まえてるよな。
個人の自由をフルで認めると権利同士の衝突となるから、共同体に一部権利を預けて衝突を回避する。共同体のことをナショナル= 国 全体 または 国家 に属するとするならそれもよかろう。
君の言う左派ののナショナルな団結と、右派のナショナリズムを前提としてその権利を認めるという話の違いはないように見えるがな。
その上で、「「縛りや邪魔がない」という自由」を指向する消極的自由主義と「「自分の意志で好き勝手にできる」という自由」を指向する積極的自由主義のどちらを取るかだ。
消極的自由主義は金持ちが好き勝手できるということで強者寄りで右翼とも言えるが、もはや右翼左翼なんて対立校は邪魔なだけだ。
いわゆる左派の主張する大きな政府とか福祉国家というビジョンはフランス革命以後の国民国家を前提にしていて、その限りでナショナリズム自体は左派にも内在している。順序として...
ナショナリズムの定義がよくわからんからナショナリズムと、個人の権利との対応がわけわからんことになってるぞ。 ホッブスの「万人の万人に対する戦い」と消極的自由と、積極的自...