はてなキーワード: セーラー服とは
・HIGH RISK REVOLUTIONをどんなサークルだと思ってるんだ?
・表紙を描かれてるのは氏の配偶者です。このタッグでいつも同人誌を作っている。ゲーム史関連も成人向けも。
・この本だから、じゃなくて岩崎さんところはずっとそうなんだぜ?ただの通常運転だ。
・文脈という奴を読み取る努力を怠るとこの増田のように思わぬところで恥をかくという例ですね、はてなーの皆さんも気を付けましょう
・「岩崎夏海氏の本を訂正する内容で、ポニテ・茶髪・セーラー服の女の子」だから、もしドラの女の子のパロディしかないでしょ/ゲーム界隈もっていうか、古くから少年マガジンの表紙にアイドルが微笑んでるのと同じよ
・表紙がもしドラのパロディと気付かない&長年氏と絵師がタッグを組んでいることに気付かないの二飜です
・「ゲームの歴史」への指摘事項の一つに日本の美少女ゲーム史をまるっきり無視してるってのもあったので、その辺の皮肉にもなってるのかなと
・もしドラを擦りまくってる表紙に気づけ無い程度のレベルなら買うだけムダだと思うよ。
・こんな分かりやすい「もしドラのパロディ」が、それと気付けない無知さを露呈していてとても面白い。追記で更に恥を晒しているのも素晴らしい
・「世の中に正しいゲームの歴史を広めなければ」素晴らしい意義のもと出てきたのが美少女表紙同人誌なところに圧倒的な断絶を感じる。ちょっとお気持ち表明しただけで煽り散らかされるなんておぞましい界隈ですね。
・絵柄もキャラデザも古臭くて文脈も意味不明でオタクですら誰も喜ばない謎美少女なんだよね。どういう発注したらこのイラストが上がってくるのか想像もつかないけど素晴らしく著者を表現出来てる表紙だとは思う。
・もしドラこすってるのはわかるが、確かに「うへえ」だな。受け取る側がそういう象徴に反応しなければ廃れていくとは思うが、そうならないのは、そういう事なんだろう。
・うへえとは思わんけど、なんか古めかしさを感じる。近年だとこういう系統でも、わりと中性的なキャラ絵になるかな、という印象。紀伊カンナみたいな
・ペラペラな美少女を貼り付けないといけないみたいな強迫観念を感じることはあるのよな。「僕もオタクですよー、仲間ですよー、これはお遊びですよー」みたいな卑屈さ。
・あんまり上手くない絵だから。この絵は上手いためにここにいるのではなく、萌えさえあれば良いからここにいるのである、と感じるから。でもそれは森元が小渕優子に「女でさえあれば」というのと同じだから反感を買う
・同人誌だから好きにしろなんだけど、女性で言うと中身が超真面目なカエサルの考察本で表紙がキラキライケメンカエサルだとああ所詮は美形だからハマったんですね感が出てくるような。萌えが入るんだみたいな、
・氏の同人誌は結構持ってるけれど、正直「うへえ」はわかる。散々擦られたオタク符牒へのもういいよ感。猫も杓子も、という状況があっての「うへえ」なので、今回の表紙一つに対する解説は芯を食ってないと思う。
mng_dog 自分も「うへえ」側だけど、二次元美少女好きを「気持ち悪い」と表明するのは、LGBTを「気持ち悪い」と表明するのと同じくらい良くないこと、と思い直した。
・ブコメ見てて、お2人が籍を入れたことを今知った。ググったら4年前にご報告が。マジやん! ずっと「同人相方 兼 同居人」のままなのかと思ってた。おめでとうございます!
この週末にお姉チャンバラと片腕マシンガールを見た。どちらも2008年。
とても分かりやすい話に雑なスプラッタでとてもB級、いやB級すぎてもはやC級と思えるような作品だった
でも面白いのだ
それで十分じゃないかと思えた
そもそも世の中字幕や吹替でしか洋画見れないくせに邦画の演技を下に見る人多すぎ
若けりゃ下手なのはどっちも変わらんよ
という事で若手女優を「どうせ死ぬ恋愛映画」に出すくらいならセクシーな格好でアクションさせりゃあ良いと思った
インドって言ったら髭がダンスでアメリカって言ったらCGみたいな映画界のイメージの中で日本といったらビキニとかセーラー服という文化をもっと広めていってほしい
とはいえハイキックガールや空手ガールのように細々と続いてはいるんだよな
せめて俺だけでも応援を続けていきたい
キモすぎるでしょ……
アラサーやアラフオーの人はちょっと想像して欲しいんだが、自分らが子供の時に「このポケモンえっちすぎる~~^p^」とか言ってる中年いたらもう軽蔑以外無かっただろ?
アリエルやシンガンクリムゾンズみたいな人間キャラじゃなくてミニーとかキティーちゃんとかで「こんなのもうエロ同人出せと言ってるようなもんじゃん」と言ってる人を想像してくれな。
ヤバイだろ……?
ヤバイのはそれを描いたやつじゃなくて、それにヤバサを見出すお前なんだよって確信しか無いじゃん。
もう一度言うけど、マスカーニャがエロく見えるってことはお前がそういうヤバイ奴ってことだから。
言ってしまえばパクチーが美味いと思ってるのと同じようなもんだよ。
異常者としての自分を自覚して、異常者目線で物を見てるだけで世界がおかしいんじゃなくて自分がおかしいだけだって理解してくれよ。
パンツじゃねえと言い張ってスク水セーラー服の女が脚にメカメカしいタケコプター履いてた写真貼ってた頃に比べたらよっぽどマシだわ。
どちらかと言えばセーラー服かな
吉良よし子が「こういうのはまずいよねという合意をつくっていきたい」と発言した時、みんなどうした?
そりゃそうだ。国から「禁止しまーす」ってお達しが出るかもしれないんだからな。
エロ描いたら逮捕はないにしても、例えばpixiv運営に国から「お手紙」「表明」が届いて、「r18は投稿禁止です」となる可能性は十分にある。
fanboxでr18描いて金稼ぐなんて間違いなく許さないでしょ。
https://alter-web.jp/products/208/
女子高生の島村卯月にこんなスケスケ超ミニセーラー服のドスケベ衣装、絶対アウトでしょ。
海外向けの漫画アプリで着せ恋の喜多川海夢のビキニ谷間に黒海苔規制かけるんだから、間違いなくアウトでしょ。
海外では二次元のJKにビキニ着せたらポルノ扱いらしいからね。うん。100%アウトでしょ。
合意を作らせたら飯を食いっぱぐれる。だから反対したんでしょ?
いわゆるヨxistとか左翼系のだいたいあの手の「オタク」の人たち、一言で言っちゃうと「学者」なのよ。
アニメの論評・考察・考証が大好き、やたら社会問題に結び付けたがる。言っちゃ悪いけどオタクはオタクでも鉄道だとか電子工作だとかそっち系。
子供のころにバラエティ番組やファミコンにはまらず、プログラミングとかに行ってしまう。
いや、プログラミングも遊びなんだけど、所謂一般的な遊び・娯楽じゃなくてちょっと勉強が絡んだ方向に行ってしまう。もう根っからの勉強大好き体質ってこと。
萌え絵なんて「おぞましいミソジニーに取りつかれた男性の残虐なる女性蔑視」みたいな感じに思ってるのよ。
それが高じて晴れて学者になった人たちにとって、愚の骨頂である萌え絵が氾濫していて日本学術会議問題などで学問がないがしろにされがちな今の社会って
思いっきり飯を食いっぱぐれそうな方向に行ってるわけよ。
そりゃなにがなんでも変えようと抵抗するよ。
矛盾しているような言説でも何が何でも通す。だって通さないと飯食えないし、通らなかったら飯食うために自分を変えなくちゃいけないんだから。
(最近呂布カルマが左利きの人に「なんで右手の練習しないんですか?」「世界を変えるより自分を変えるほうが早い」っていってたけど、自らの根幹たるアイデンティティを変えるなんて早々できない。しかも、あの人たちの普段の言動からしてそういうの嫌ってるよね)
吉良よし子の件でいうと、左翼側で「けん制のために共産党に入れるって言う手もあるんだよ?」って言ってた人いたなぁ。
その人はっきり言って萌え絵大っ嫌いってタイプの人だから、けん制もクソも自分の方向にもっていきたいだけだろう、ってなってた。
元増田よ、まだ見ていたらぜひ聞いてくれ。
俺も高校を卒業するまでは彼女ができなかったので、気持ちはとても分かる。恋多き少年だったし、性欲は人一倍あったし、高校生の時は家庭の事情で放課後に学校に長居することはできなかったしで、青春時代を謳歌できなかった。
いつだったかTwitterで、家庭の方針でクリスマスがなかった人たちを集めてクリスマスパーティーをやった話が話題になっていたのを知っているか? 主催者もそんな家庭で育った人で、参加者には内緒でサンタクロースをサプライズで呼んだそうだ。サンタに扮した男性にプレゼントを渡された参加者は、いい歳をした大人なのにみんな泣き始めたという。その涙はみんなの魂を洗い清めたことだろう。
子供の頃に叶えられなかった夢は、大人になっても澱のように心の底にどろりと残る。子供時代に戻ってその夢を叶えることはできなくても、疑似体験をすることでその澱を洗い流すことができると信じている。
俺の場合は、当時短大生だった彼女に短大の制服を着てもらってセックスをした。それ自体は単なるコスプレセックスだが、運がよかったことに、彼女もコスプレセックスに興味があったようで、セーラー服を着てみたいと言う。中古のセーラー服を入手し、彼女の希望を叶えた。
俺が通っていた中学と高校は、女子の制服はブレザー、体操着はブルマだった。ブレザーやブルマ、スクール水着プレイに進むのに時間はかからなかった。
スクール系のコスプレセックスを通じて、心の呪縛が少しずつほどけていくのを感じた。敢えて大げさな表現をするならば、青春時代を取り戻したような、あの頃叶わなかった夢を別の形で実現したような、そんな気持ちだ。
もちろん、中高生の頃に欲しかった女の子の代用品として彼女を利用しているのではない。元増田には分かってもらえると信じている。
子供の頃にクリスマスを祝ってもらえなかった人にとってのサンタクロースや、私にとってのスクール系コスプレセックスは、当時手に入れたかったものとは違う。違うけれど、過去の渇望はその後の人生において別の形で補填することができる。元増田にとっては、奥さんに制服を着てもらうことで魂の渇きを癒やせるはずだ。
ただ、多くの人が助言してくれているように、いきなり制服姿で青空の下に出るのはハードルが高い。まずは寝室やホテルで制服を着てもらってイチャイチャするところから始めることをおすすめする。初回はセックスまでいかなくてもいい。むしろそのほうが高校生らしくていいかもしれない。
外で制服デートをするのなら、最初は自宅から離れた場所、できれば別の県へ旅に出て、非日常の空間で実行してみてほしい。テーマパークや遊園地もいいだろうし、あまり人が多くない地方都市を歩くのもいいと思う。
ちなみに俺とスクール系コスプレセックスをしてくれた当時の彼女は、今の妻である。妻は増田夫妻より何歳か年上で、私は妻より10歳上。今でもスクール系コスプレセックスを楽しんでいる。いい歳して気持ち悪い、って? 他人のセックスは基本的に気持ち悪いものだ。人のセックスを笑うな。
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
そもそも実在ポルノ規制と不実在ポルノセーフの概念からツッコミどこ多いと思うねんなw
男はみんな隠してるけど
不実在ポルノで日々抜いてたら子供やいつも抜いてるモチーフに近い女はオカズに見えるし、実在似た奴は人じゃなくてもうエロいだけの3次元ポルノにしか見えんよな。多分キモいと思われてると思うわ。バレなきゃリコーダー舐めるしパンツも盗むだろうな。
お気に入りのおかずになったら、より抜けるものを追求するんだから、実在ポルノにより近いものよりクオリティの高いものを求めるのが普通だし、市場競争始まるのが普通だでなあ
リアルな不実在ポルノって、一度も女を見たことない奴は女を描けないんだからさ、結局今まで見たことある女の概念集合体の伝言ゲームしてるんで、どこかの女には何かの要素で似るわけで
それが今のところはセーラー服かもしれんし、年齢かも髪型かもしれんし性格かもほくろかもしれんけど
不実在ポルノのクオリティを追求していけばリアル嗜好になっていずれ似た雰囲気の女の実在ポルノのデフォルメと現品の出来はほぼ同じなんじゃねと
そもそも実在ポルノ規制と不実在ポルノセーフの概念からツッコミどこ多いと思うねんなw
男はみんな隠してるけど
不実在ポルノで日々抜いてたら子供やいつも抜いてるモチーフに近い女はオカズに見えるし、実在似た奴は人じゃなくてもうエロいだけの3次元ポルノにしか見えんよな。多分キモいと思われてると思うわ。バレなきゃリコーダー舐めるしパンツも盗むだろうな。
お気に入りのおかずになったら、より抜けるものを追求するんだから、実在ポルノにより近いものよりクオリティの高いものを求めるのが普通だし、市場競争始まるのが普通だでなあ
リアルな不実在ポルノって、一度も女を見たことない奴は女を描けないんだからさ、結局今まで見たことある女の概念集合体の伝言ゲームしてるんで、どこかの女には何かの要素で似るわけで
それが今のところはセーラー服かもしれんし、年齢かも髪型かもしれんし性格かもほくろかもしれんけど
不実在ポルノのクオリティを追求していけばリアル嗜好になっていずれ似た雰囲気の女の実在ポルノと現品の出来はほぼ同じなんじゃねと