はてなキーワード: ふすまとは
母親が「隣に聞き耳を立てられている」と言って、隣近所に聞こえるようわざと大きな音を立てて、押入れのふすまを開け閉めしたり、大声を張り上げたりする。
俺が「だったら『聞き耳を立てるな』と苦情を言いに行けばいい」と言うと、母親は「証拠がないから行けない」と言う。「証拠がないなら、それは妄想だ」と言うと、「絶対に妄想じゃない。そういう感覚がする」と言う。
そうして、母親は「聞いてんじゃねぇー!」と壁に向かって叫んで、押入れのふすまをバシバシするのを止めない。
前に住んでいた家では「隣から薬品を撒かれている」と言い出したので、ついには110番して警察を呼んだが、警察はまともに取り合ってくれなかった。俺は警官に「母親を病院に連れて行ってくれ」と頼んだが、有耶無耶にされた。
今住んでいる家でまた110番して警察を呼んでも同じことだろう。
こっちの気が狂いそうだ。
もうどうにかしてほしい。
どうにかならないものか。
増田家(八)の領土は史上最大となり、そして史上最大の危機にあった。
増田家(士)との戦争で本貫地を荒らされ、一度は決戦に敗れ、極限までの動員を強いられた。
なにより深刻なのは、かつての本拠地で継続している一揆の存在だ。
増田家(士)の横暴をうけて決起した彼らは独力で侵略者を追い払ったのだと過信し、
独立や自治の大幅な拡大を求めていた。
増田家は外敵から彼らを守る義務を一時放棄したわけで、しかたのない面はある。
だが、巨大な領主に戦功以上のものを認めるつもりは、さらさらなく、官僚たちにねばり強い交渉を継続させていた。
内憂に対して外患である増田家(四)も増河決戦後の無理が祟って活力を大幅に減じている。
それでも、増田島に一対一の存在になった事実は重く、早期の統一による平和を求める世間の圧力もあって、
最悪の場合、増田領(八)の内部で増田島の群雄割拠が再現されるだけなのだが、
相手が意識なき増田島の統合意思ではそれを指摘しても説得しようがない。
両者は神経と国力をすり減らしながら共に戦備を整える状況だった。
そんな中、キャスティングボートを握ることになったのが、西の祖国を取り戻した増田家(十)当主である。
彼は「主君」から再三の出兵を求められながら、言を左右にして逃げていた。
実際に旧増田領(士)の平定に手を焼いていることや、船団が嵐に遭い兵力の六割を失った事情があって、
兵の抽出は困難だった。
しかし、それだけではない。彼には増田家同士が消耗した状態で中央に打って出れば、
漁夫の利によって天下を得られるのでは?という野心が確かにある。
お家を再興できただけでも恵まれているのに天下を望んでしまう。
人の欲望には限りがない。あるいは傭兵となって天下を見てきたからこそ、
それを手に入れる夢を見てしまうのかもしれなかった。
少なくとも出兵の見返りに増田(九)領くらいは手に入れたいものだ。
甘い考えに溺れていた当主は鼻歌交じりに寝室に入ったところで、その鼻をひくつかせた。
「タレカアル!?」
不審を通り越して恐怖を覚えた当主はふすまを開けて人を呼んだ。
「ここに」とやってきた一人の男に安堵するも、よく見るとまったく知らない顔だ。
「お主は誰じゃ!?」
そいつは鍋が煮立つように笑う。
「拙者は増田。誰でもあり、誰でもない。時にはお主自身でもある……こぉんな風に!」
男の顔は当主の顔と、うり二つに豹変した。それでいて、まがまがしい瞳の奥は底が見えない。
「ぬぉおおおおっ!」じょばばばばば
当主は失禁しながら刀を振り上げた。――その動きが布団をはねのけて、彼は目覚めた。
「……夢か」
しんと静まりかえった寝室を見回す。そして気付く。
増田家(士)と同じように、忍びいくさでは「主家」に敵わないと判断したのだ。
もっとも忍びの働きも本人の解釈にすぎず、彼が来て見て嗅いだモノの正体は後世に至るも謎のままである。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160617032710
次回
賃貸物件を前からちょくちょく探していたのだけれど、昨晩「コレは!」というものを見つけた。
築44年! のアパート。古さは置いといて……。
面白いのが一階部分に6畳、階段登って二階に6畳、4畳(ふすまで仕切られている)の3K仕様なのだ。
更に都市ガス。
これで会社まで徒歩20分なんだからありがたい(地元の高校の通学路に面しているのがネックだけれど……)。
家賃は3万ぽっきり。
敷金10万はちょっと痛いけれど、きれいに使えば問題ないかな。
どうせ1年しかいないし。
同居する友達にさっそくURLを送ってGOサインが出たので、さっき不動産に電話して明日仕事終わりに物件を見せてもらうことにした。
順調順調~。
自分が子供の頃、毎年クリスマスになるとサンタさんにプレゼントをお願いしていた。
しかし、その願いが叶うことは一度もなかった。
サンタさんは、子供たちにおもちゃを運んできてくれる存在だと思っていたけれど、ウチに来るサンタさんはそうではなかった。
クリスマスの朝、目が覚めると、枕元にあるのは、図鑑だったり、色鉛筆だったり、そういった実用的なものばかりだった。
なんでだろう。なぜ願いを叶えてはくれないのか。ウチに来るサンタさんは絶対におかしい。
どうしてもサンタさんに一言いいたくなって、ある年のクリスマスイブ、意を決して夜通し起きておくことにした。
すると、夜も更けた頃、ふすま一枚隔てた両親が寝ている部屋からアンアンという声が聞こえた。お母さんの声だ。
4年生の終わりに転校してきた私に、唯一、話しかけてくれる子だった。
転校して間もない頃に一度だけ、A子ちゃんの家に遊びに行ったことがあった。
狭い団地だった。ふすまに水色の丸い紙がたくさん貼ってあった。A子ちゃんのお母さんによれば、座卓でA子ちゃんに勉強をさせて、できないとお母さんが座卓ごとA子ちゃんを蹴るのでふすまに穴があくのだという。しょっちゅう蹴るから穴だらけ、とお母さんは笑っていた。お母さんはA子ちゃんに中学受験をさせて『いい学校』に入れたいそうだ。
私は親に叱られることはあっても蹴られたことなんかなかったからかなりビビった。
5年生になるころから、靴や傘がなくなったり、体育の授業中に机に置いておいたメガネが壊されたりするようになった。
そういえば、少し高いところから飛び降りざるをえないように仕向けられて骨折したこともあったっけ。
親にも担任にもA子ちゃんが犯人だとは絶対に言えなかった。骨折も自分のドジということにしておいた。
親や担任に言ったら、A子ちゃんのお母さんにも話がいくだろう。受験の内申に響くからA子ちゃんはまた蹴られる。もっと酷い目に合わされるかもしれない。A子ちゃんの家で見た、たくさんの丸い水色の紙が頭を離れなかった。
我ながら単純でお人好しな発想だ。でも子供の考えることなんかそんなものだ。
で、中学受験は、私は第一志望の学校に合格した。A子ちゃんは、受験のギリギリまで成績が伸びず、かなり偏差値の低い学校を受けたが不合格だった。二次募集などあちこち受けたが全滅だったらしい。
中学受験が終わったあとの小学校生活はひどかった。クラスには他にも中学受験失敗した子が何人もいたから、そいつらからもいろいろされた。
勇気を振り絞って、親に「学校に行きたくない」と言ったら、何も理由を聞かずにあっさりOKされた。厳しい親だと思っていたから意外だった。親なりに何か感づいていたのかもしれない。それから卒業式まで一度も登校しなかった。
高校の頃、学校が大嫌いで行きたくなくて、でも親は絶対辞めさせてくれたり単位制に行かせてくれたりするような理解のあるタイプではなかったので、一年の終わりごろに決心して、二年の頭から一ヶ月休んだ
親には無断でね
両親は働いていて、うちは田舎だから毎朝母親が通勤がてら駅まで車で送ってくれる
そしたらあとは放課の時間までひたすら時間をつぶし、午後5時ごろになったら地元の駅まで帰り、母親に電話をして車で帰宅する
そういう一ヶ月だった
もちろん担任から家に電話があるわけだけど、うちはナンバーディスプレイを導入していたから、市外局番が違う電話はなるべく自分が取った
「子どもに言い聞かせますから! すみませんでした!」とか大人が電話でしゃべるような甲高い声で言うと、先生は気づいていたのかもしれないけど、黙って納得したふりをしてくれた
そういう電話を受けたら、学校の職員室に行って先生とちょっとしゃべる
でも次の日はまた行かないで、ヨーカドーとか公園とか、病院とか市役所をフラフラする
母親が作ってくれた弁当は、毎日公園とか駅の電話ボックスで一気に食べる
悲しいよ
朝は学生がいっぱいいるので通学するふりをして、学校を通り過ぎて公園で座る
真面目な学生っぽい見た目をしていたから、大人に声をかけられたら「今日はこれから病院に行くために早退して、今は親が来るのを待っている」とか言えばたいてい納得してくれる
田舎だから道を歩いている大人なんてほとんどいなくて、それは助かったな
携帯なんて持っていなかったから親にはつかまらないが、時間をつぶす術もない
ただボーっと座っているだけ
当たり前だが、結局親に見つかって7時間も正座で怒鳴られて、学校に行くことになったけどね
でも無断早退の常習犯になった
先生たちにはその場にいるだけでつらいということが判らないから、ひたすら「いるだけでいいから! 勝手にいなくならないで! せめてひとこと言って!」と言った
今なら先生の気持ちがよく判るけど、当時は「先生に帰りたいですと言ったら帰らせてくれるのかよ」と思っていたし他人としゃべることすら嫌だったから、無断で帰る
帰ると言っても、帰ると何よりも恐ろしい親にバレるので、やっぱり公園やヨーカドーをフラフラする
そして何事もなかったように地元の駅から親に電話をして、車で帰る
ひとりではできないことが多い体育なんか地獄でしかなくて、一度も参加しなかった
うちの保健室は先生がギャルみたいな茶髪できつめのメイクをしている人だったから、間違っても私なんかが近づける場所ではなかった
だから誰もいない教室とか、図書室で司書の目を盗んで隅っこの床に座っていたりした
トイレの個室で弁当を食べるのも何度かやったけど、あまりに悲しくなるので、弁当は食べずに持ち帰り、部活で腹をすかせた妹と分け合って食べた
悲しい理由は「みんなと同じように当たり前のこともできない自分は生きている価値がないのではないか」とかそういう感じ
一日で終わる遠足は参加しないで親にごまかしたが、二泊三日はごまかせない
無理やりおとなしそうな子達のグループに放られた
自分が行くのも嫌だったし、真面目でおとなしくて地味めのグループだとしても、クラスの腫れ物扱いだった私を混ぜられてしまった子達をかわいそうだと思った
だから修学旅行の計画から帰るまで、ずっと気を使って明るく振舞った
興味がないからね
そのあと、なんだかんだで卒業することはできたので最終的に「親が言ったことは間違ってなかったな」とは思うけど、私にもっと度胸があったら死んでたかもしれないね
なんたってなにがつらいのか自分でもよく判らないから、大人に「なにが嫌なの?」とか問い詰められても答えられないのがもっとつらかった
体育から逃げることを問い詰められて「この場にいるのが嫌だ」と言ったら「建物が嫌なの?」とか見当ハズレのことを言われて、もうなにも言うことはないなと思った
別にクラスメイトなんて名前も知らないし全部背景なので、嫌いな奴もいないしいじめられるわけでもない
勉強は嫌いだったけど、休み時間にひとりになるよりは、ずっと机に座っているだけで許される授業中は嫌いじゃなかった
友達がいなくてひとりなのがさびしい気持ちももちろんあったんだろうけど、たぶん「みんなが楽しそうに休み時間を満喫しているのに、自分はなにかをしゃべる相手を作ることすらできないダメなやつ」みたいな思考に陥るのが一番きつかった
4月から1ヶ月学校を休んだもんだから、2年生のころはクラスにひとりも友達がいなかった
今思えば、バイトをすればよかったなと思う
卒業してから、進学のために家を出てバイトを始めたら、世界が変わった
学校と家庭だけがすべてじゃなくて、親と先生以外の大人と触れ合ったり、他の学校の学生、自分よりも年下の学生、すでに働いている同世代がこの世にいるんだと思ったら、ちょっと楽になった
いろんな奴がいるし、親も人間
「親は私のことなんか判ってくれない」と思っていたけど、自分だって親のことなんか判ってなかった
そりゃあ、別個体からね、当たり前なんだけど、当時の自分は気がつかなかった
向こうから見たら中学まで自慢のいい子で通した私が急にこんなことになったら「まさかお前がこんなことをするなんて思わなかった」って絶望的な顔で言っちゃうよね
私にはその言葉が一番こたえたけどね
お宅の子どもなんかたいして優秀でもないのに、自分たちの娘は天才だと信じていた両親は「1位以外は意味がない。ビリと同じ」とよく言っていたけど、実際そうでもないから1位どころか100点だって取ったことない
30過ぎてから、一緒に酒を飲んだ母親から「うちはひとりも子育てに成功しなかった。全員失敗作だ」とか言われちゃってさ
でももう自分も大人だから「3人も子どもがいて全部失敗なんて、よっぽどアナタたちはダメな親なんだね」と思える程度には自分と親を切り離して考えることができるようになった
そんなこと絶対言わないけど
好きな時間に寝ていいし、学校が嫌なら落第しない程度に休めばいいし、バイトがめんどくさくなったら誰かにシフトを変わってもらうこともできた
まあでも、高校時代の自分はこの世のすべてを信用できなかったから、バイトなんか絶対しなかっただろうけど……
ネットなんかうちにはなかったから、こういう汚いことを考えているのは自分だけで、すごく異常なことなんじゃないかみたいな気持ちになった
19でネットを覚えたら、自分みたいなダメなやつもこの世にいっぱいいたし、それに気づくだけで全然違った
18までの自分はチュートリアルで、19からが本当の自分になったなあと思う
もし自分が高校生のころに、バイトをしていて、家にネットがあったら、もうちょっと違ったかもしれない
よくテレビで見る不登校の子は、学校に行きたくないと言ったら家にいても親が何も言わないっぽいけど、それほんとうらやましい
いいって言われてるんだから、好きなだけ堂々と休んだらいいと思う
うちは不登校がバレたとき、ふすまを投げつけられて、竹定規で殴られた
はあ、まあ、ダメな親だけどさ、それでもなんとか生きてる
あんな親でも生きていける世で、私が生きていけないわけないよってね
あと大槻っちに声かけて気絶したところを拉致してハイエース的な。
1年の島ちゃんには前衛書をエサに人気のないところに連れ込んでやっちまいましょう。
(どーでもいいが、勅使河原なんて苗字、GTOぶりに見たわ。冬月ちゃーん)
宮田ちゃんもユカリに片思いしてるからユカリを人質にするって体でいくか。
涙目で気丈に振る舞ってるの考えるだけで勃起がおさまらんわ。うぇひひひ
あとはそうだなー
百合でな。
ああ忘れてた、柔道部のあいつに望月がレイプされる展開もいるな。
いろんなとこで顰蹙かってそうだからな。
街で下手に正義感出したのが運の尽きで、多人数相手にはどうしようもなく、みたいな展開。
服装はあれだな。。。制服も水着もいいけど、作中でよく出てきたのと言えば、スパッツいいよね・・・
ふすまの向こうでめっちゃたくさん女子が寝てるとかね。たまりませんわ。
とりあえずこのあたりにしておくか。
百万畳ラビリンスっていうヤングキングコミックスからでてる漫画を買った。
上下巻なんだけど上巻呼んですぐに下巻も買った。
主人公たちは目覚めると畳のある部屋の中にいてそこから縦横どこまでも部屋が続いて脱出できない。
というか部屋の構造が迷路のようでふすまを開けると階段があったり畳をはがすと冷蔵庫が出てくる。
無機質な迷路っていうわけではなくふすまや畳のある部屋がごちゃごちゃになった見覚えのある景色が歪んでしまった世界。
外界はあるんだけど辺り一面が森。下に降りると水が張っている。水の中にも畳が敷いてある。
この世界観めちゃくちゃ好きだ。
部屋がどこまでも続いていたら面白いなーとか窓の外がいきなり部屋になってたらなーとか妄想していた俺にドンピシャリ。
しかも畳。全部和室。コンクリートの部屋じゃない。これがすごくいい。
畳っていいよね。地面がぜんぶ畳とか最高だ。
たぶん迷路だから緊張感ある話にできるんだろうけどこの畳の部屋が続くっていう感じがなんとも和む。
主人公の性格とか迷路に出てくる敵が怖くないってのも和みの要素だけど。
ぼんやりとした世界をただただ歩き回るっていうのがくっそいい。
下巻は残念ながら謎解きの答え合わせでもあり畳の部屋をぐるぐる探索っていう感じではない。
この謎解きの部分はやや淡白かなーと思わないでもない。
それこそ上巻では異次元的なものとか神の存在とかそういう抽象的で巨大な存在が関わってるんではないかとか
俺らの世界ってこういう裏世界あるんじゃね?って思わせてくれるワクワクがあったんだけど
まぁまとめるならしょうがないかな、と思う。
3年前の夏、私は実家に帰った。お仏壇のある部屋には、認知症の祖母が寝たきりの状態でいた。
その以前から遅々として認知症の症状が進んでいたが、その頃には私と弟の区別がまるで付かない状態でいた。
「誰かね。(弟)かね」「(私)だよ」
あれほど大好きな祖母が、私の事が分からないのが不思議だった。
「そうかね。(私)はオートバイで死んだよ」「ふふふ、おばあちゃん、違うよ。(私)はまだ死んでないよ」
その時、ふと目が覚めたように、祖母は私に気付いたようだった。
「ああ、(私)かね。(私)はいつからそこにいたのかね」「さっきからずっとここにいたよ」「元気かね。今、何をしてるのかね」「東京で仕事をしているよ」「ああ、東京でなんてね。大変だ、大変だあ」
私は、一瞬だけ元に戻った祖母の声を聞いて、涙を流した。声色を正すのに、精一杯だった。その後、意識が混濁した祖母は、弟の名前を叫んでいた。認知症の人は、いくつかのパターンにかなり明確に分けられるという。祖母は、火やガスの心配をしきりにするパターンであった。
祖母が死んだのを知ったのは、ある日の金曜の22時前であった。数人で残業していた時に、突然、母親から電話がかかってきた。母は涙声で、祖母が死んだと言った。私は部長に、祖母が死んだので今日は帰らせてください、と言うと、全員が弾けたように帰り支度を始めた。駅までの帰り道、先輩と上司が、自分たちの身内が死んだときの話をしてくれた。私はふわふわとした気持で、それを聞いていた。アパートに付くと、軽い食事だけして、すぐに寝た。化けた祖母は、夢の中にも出てこなかった。
実家近くの斎場に着くと、親戚が集っていた。祖母の死に顔を拝むと、瞼は空き、顎は開いた状態であった。濁った眼球は乾き、辛く天井を向いていた。まるで恐怖で引き攣ったようだった。肝臓が止まった状態で、2週間も祖母は生きた。凄い執念であったか、薬の力であったかは分からない。苦しかったかも、案外楽であったかも分からない。生きるのも死ぬのも勝手に選べなかったのは事実だと思う。
私は祖母の横で、父と一晩を過ごした。守りの番である。
会社のパソコンを持ってきたので、祖母がいる横の部屋で仕事をしていた。それが終わると、祖母の横たわる姿を眺めていた。夜の2時を過ぎたころ、ようやく眠れた。怖いとか、悲しいとか、そういう気分ではなかった。夜が長いことが辛かった。
親戚一同は、ふすまで区切られた横の部屋で待機していた。2、30分もしたころ納棺師の方に呼ばれると、祖母は見違える状態で眠っていた。見開かれた瞼はすっかり閉じられ、顎はしっかりと閉じていた。口に綿を詰めて頂いたらしく、化粧もあって、何歳も若返ったように、生き返ったようだった。
「お母さん、お化粧されたのね」
鬼の様の怖かった叔母が泣いていた。みんな喜んでいた。あの顔で焼かれちゃっじゃ困るな、と叔父が笑っていた。
私は祖母が、本当は生きているのではないかと思い始めた。
「あら、いつからそこにいたの。すっかり寝ちゃってたよ」
そう言いながら、起きるんじゃないかなあと思っていた。そうしたら、目が乾いてるから痛そうだし、すぐにお医者さんを呼ばなければと考えていた。
葬式が終わり、焼却所に行くことになった。たくさん人がいた。毎日、たくさん人が死んでいるのだなと思った。
祖母が、大きなオーブンに入ることになった。お坊さんがお経をあげながら、それに従い我々も手を合わせていた。葬儀場のコーディネータの人曰く、焼却所までお坊さんが来てくださるのは珍しいらしい。確かに、最後の最後までよくして頂けた素晴しい方だった。
私は、祖母が焼かれるのを少し待って欲しかった。本当は死んでいないのではと思っていたからだ。
まるで病院の待ち合いのような LED ランプの番号が光ると、我々はぞろぞろとオーブンの前に並んだ。
これが(祖母)様の喉仏のお骨です、こうして見ると仏様の形をしているようですから、喉仏と言われます、と説明してくださる方がいた。祖母の骨は、お棺の中に入っていた何かとくっついたかして、青い色が移っていたのがあった。
斎場に戻ると初七日を行い、御飯を食べた。豪華でとても美味しかったが、焼却所で軽く食べたおいなりさんのせいで、あまり食べられなかった。その後、実家に帰り、支度をすると、すぐに東京のアパートに戻った。その次の日から、また残業の毎日であった。
先日、一周忌があった。祖母の住んでいた離れが綺麗に掃除され、そこで親戚が集まり御飯を食べた。
私は親戚が自分の家で揃って、一緒に御飯を食べるのが好きだった。子供の頃は、それがお祭りみたいで楽しかった。それがこういう形で集まるのが寂しかった。ただ、祖母もこういう集りが好きだったから、喜んでくれたのかなと思う。
現実では見たことがない、訪れたことがないはずの場所に自分がいるということが何度もある。
窓がなく知り合いも居ない大学の後ろの方の席にいる。講義が終わったように周りがざわざわしだしたと思ったら、自分は焦燥感を覚えてその場を離れ、電車に乗る。
快速で8駅離れた駅まで乗り、そこから普通で3駅戻ると、閉塞感のある田舎の駅につく。大学の下宿先の木造アパートがある駅だ。
ここまでは、この設定の場合では共通している。しかし、ここから分岐する。
・砂利道を進んで下宿先に戻ると、大部屋がふすまのような木の引き戸に仕切られた一角へ体を下ろす。戸のすりガラスから周りの様子を伺えるが、誰もいないようだ。
・荷物を持って下宿先を後にする。砂利道を歩いて駅へ向かい(分岐1)、また電車に乗り大学へ向かうが、折り返しの駅でどの電車に乗ればいいのか分からなくなる。赤い■のマークが付いている路線表記の看板を見ながら電車に乗ると、名古屋についた。(分岐2)
・(分岐1の続き)どうやら忘れ物をしたようで、下宿先に戻らないといけない。戻るとやはり誰もおらず、焦燥感が訪れる。トイレに入ると、なぜかは分からないがものすごい恐怖感に襲われ、扉を叩くがなかなか開かない。やっとのことでトイレから出ると、転がるように下宿を後にし、砂利道を駆け出す。
・(分岐2の続きa)名古屋は夜になっていて、幹線道路のわきのネオンを横目に、坂道をとぼとぼと歩いていた。駅の地下街には行きつけのゲームセンターがあり、そこへ向かえば安息が得られるだろう(ゲーセン編割愛)
・(分岐2の続きb)名古屋は夜になっていて、幹線道路のわきのネオンを横目に、坂道をとぼとぼと歩いていた。夜なのでもう店は閉まりかけているが、どうしても本屋に行きたい。行きつけの本屋ビルの閉店まであと数十分というところだが、なんとか滑り込み、目的のフロアへ向かう(本屋編割愛)
と、だらだら書いたが、こういった夢をよく見る。祭りの最中に大量発生するゾンビからどうやって逃げるのか、などもよくあるシチュエーションだ。このバスに乗ればあの場面へ着き、前はああだったので今回は違う選択をしよう、などADVのような夢が多い。(大体夢のなかで、前の夢の結果を知っている)
特に電車に乗る部分は、路線から乗っている時間からどういった乗り換えなのかなど細かく覚えていて、現実でも(同じ環境があれば)夢の目的地へたどり着けると思う。
全部現実では訪れたことのない、見たことのない場所であるため、とても興味深い。(名古屋という場所は、名古屋と認識しているが現実の名古屋とは地形も景観も全く違う。現実では名古屋には何度も行ったことがある)
オカルト的な面白さもあるのだけど、トイレの下りを書いている時に尋常じゃない悪寒と震えが来たので、こういうのはあんまり考えないほうがいいのかもしれないと素人ながら思った。
ちょっと確認するけど、それ、双方のカップルとも「異性」には恋愛感情を抱かないって前提だよね?
だったら真実を隠しておけば済む話。
戦前から戦後すぐくらいのころは、兄弟姉妹で同じ家に同居なんて、ごくごく当たり前にあった。つまり、1軒の家に3組も4組も夫婦がいることも珍しくなかった。
古民家みたいな、ふすま開けたら大広間になるような家に住んで、そこで大家族みたいに、みんなでごろごろ寝てれば、誰と誰が「夫婦」なのか、なんて、子どもは気にもしないよ。
どのみち、子どもがいたら、夫婦でもラブホとか行かないと、落ち着いてセックス出来ないから、外ですることになるだろうし。
お父さん同士で出かけても、お母さん同士で出かけても、子どもは不審には思わないだろし。どのみち、子どもってのは、親から離れていくもんなんだから、そのうち居なくなるし。
どうして、他人同士で住んでるのか聞かれたら「ルームシェアだ」と言えば済むし。対外的には「いとこ」くらいに言っておけばいい。珍しいと思われるかも知れないが、ゲイのカップルほどレアじゃない。
家の苗字と猫の名前と電話番号が記された首輪は、契約のしるしみたいなものだと思っていた。
契約内容は、こんな感じ。
わたしたち家族は、猫に対し適切な居住空間とご飯と愛情を提供すること。期限は、神様の定める時間まで。
猫は、同じ家に住んでくれればいい。期限は、神様の定める時間まで。
昨日の朝、よろよろとだけど歩いていて、母にいつにないくらいかわいい声で「にゃん」と言ったらしい。
そのあと、わたしが起きてきたときは、ちょっと歩いては床の上にじっと伏せっていた。
寒くないのかなと思っていたら、よろよろとコタツにかけてある布団のうえにたどりついて、横になっていた。
そこから何度か起き上がろうとして、なんとか前脚と頭は起こしたけれど
立ち上がることは出来なくて、パタっとまた横たってしまった。
そして、それから2時間もしないうちに、変なセキみたいなのを小さく何度かして脚をちょっと動かしたのを最期に
もう二度と動かなくなってしまった。
猫の体を拭きおわって、母が「首輪をはずしてやろう」というので、はずした。
猫をかわいがっていた、ジジババが迎えにくるといいなと思った。
インターネットで見たような、ペット葬儀トラブルが頭をよぎったけど、そんな心配は無用だった。
お別れ前に、なでた体は、当たり前だけど冷たくて、やっぱり死んだんだなと思った。
肉球も冷たくなっていたけど、ぷにぷにしていて、まだその感触を思い出せる。
家に猫がきたのは、高校に入学した年。そんなわたしも今は、結婚して隣の県に住んでいるんだけど
夫が数日家をあける予定だったので、たまたま実家に帰っていたこと。
父は、とくに予定がなかったからいいとして、母は予定があったんだけど
たまたま前日お風呂で椅子に座りそこねて、たいしたことはないものの
予定をキャンセルして家にいたこと。
たまたまかもしれないし、自己満足かもしれないけど、家族で見送ることができてよかった。
らんまの隙間から出てきたり、ふすまをサッと開けたり、ウンチはいつも埋めない、
台所に人がいるとゴハンを要求してくる、猫好きの親戚のおじさんのあぐらの上で寝たり、
ばーちゃんの股のあいだに寝たり、父の背中に乗ったり、シーチキンの缶を開けたら目をらんらんとさせたり、
なでていてゴロゴロいってると思ったら噛んでみたり、毛玉ゲロってたこととか、
他にもたくさん思い出すと悲しいんだけど、猫と暮らせた時間はすごく幸せだった。
眠くないし、ちょっと気持ちの整理に。
・その彼女と交際して1週間目で、仕事先の会社社長(妻子持ち、30歳上、社員は社長と彼女の二人、通常の2LKDのアパートの一室が仕事場、一室が彼女の家)と5年間不倫していたことを告げられる。
・ちなみに、彼女は専門学校の講師だったその社長に授業を習い、卒業後そのままその社長の会社に入った。社長は当然狙っていたみたい。
・不倫関係を告げたのは彼女じゃなくて、その社長がその仕事場(一室)に俺を呼びつけてきて(以前バイトさせてもらったことがあった)、なんだろうと思ったら肌着一枚の社長と彼女がそこにいて、一方的に事実を告げられた
・彼女には俺が来ることを隠し、「すべて隠すこと無く裸で話しあおう」と言って裸にし、俺には彼女がいることを隠し呼びつけた。そうやって俺と彼女の精神的動揺を誘ったのだろう
・ほぼ5年前、彼女は妊娠したが社長はその子供をどうすべきか何も言わず、結局彼女が黙って中絶をしたという。
・その中絶した子を思って、くまのプーさんの人形(座高で40~50cmだろうか)を買ってきてその中絶した子供として二人の間で大事に「育てて」きたそうだ。もちろん名前付き。
・俺は彼女を否定しなかった。ただこれからどうしたいのかを聞いた。自分を選んでくれると言った。だから色々耐えた。
・彼女は後の彼女自身曰く「洗脳されていた」と表現すべき状態だった。俺と何をするのも「先生」(その妻子持ち)が良いと言わない、ダメと言うとダメとのこと。
・デート中にも電話がかかってきた。(デートと言っても車の中でまーーじめな今後についてのお話だったが)社長「今川の中にいる。僕はもう死ぬ。あとはあいつ(俺)と仲良く暮らすといい」 だとさ。彼女は社長のところへ行った。
・俺の留守電には 社長「今度君を見かけたらナイフで指す。覚悟しておくといい」 と入っていた。今なら笑ってどっかに音声アップするぐらいの余裕があるが、当時はまだ精神的にお子様で、ビビってた
・深夜に彼女と長電話していたとき、ひょんなところから「社長とのハメ撮り」ビデオがあることが判明した。日付なんてとっくに変わってる時間帯だけど、車を一時間飛ばし、彼女の家(当然ふすま一枚隣の部屋は会社)に行き、ビデオを廃棄した。ただし、彼女の目が離れた瞬間に10秒だけこの目に焼き付けて。その光景は今でも忘れらんない。
・で、半年待った。俺を選んでくれることを。自分から引っ越して会社と同棲生活をやめ、会社をやめ、自分の足で立ち上がる事を。
・でもダメだった。俺「なんで会社辞めないの?彼女「先生がダメって言うから」 俺「なんで未だに家一緒なの?」彼女「先生が心配だから」
(上の方でもちらっと触れたが、その社長はもうメンヘル的言動をしてた。演技だったかどうかまではわからない)
・てことで、半年待って無理やり引っ越させた。本当は自分から言い出して欲しかった
・で、さらに半年待って、仕事をやめて欲しいと言うが「先生がダメっていうから」が続いた。洗脳は解けていなかった。
・なので、別れた。
・この1年の間、誰にも(ほんとに誰にも)相談出来なくて、俺の精神的なダメージが結構デカかった
オチも別に何もないけど、そんな事があったなーとふと思って吐き出してみた。