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はてなキーワード: 黒い雨とは

2024-01-24

ゴジラ-1.0、おそらくアメリカ人にはハッピーエンドに見えるラスト

 ゴジラ-1.0、アカデミー賞視覚効果賞ノミネートおめでとうございます

 アメリカでの公開当初、最大瞬間風速でジブリが一位、ゴジラが二位をとったんでしたっけ。ロッテトマト評価も高く、米国で公開された非英語映画としても興行収入歴代5位となり、世界興行収入1億ドル超え、圧倒的公開映画館の差にもかかわらず興行成績でディズニーウィッシュに迫りそうな勢いのようです。

 海外の反応を読んでいると、人間ドラマパートがよくできているという意見をよく見かけますトラウマからの克服、家族再生物語……。アメリカ人には伝わってないんだな、そして、伝わらなくてもいい、それぞれ受け取り方が違ってもいい、良い映画なんだなと改めて思います

 海外意識高い系の厄介オタク解説とかしないんでしょうか。ゴジラ70周年にふさわしく、放射能に始まり放射能に終わる、眼に見えぬ脅威が全面に出てたゴジラ映画だと思いました。

 以下は私が受け止めた個人の感想なので、間違ってても笑って流してください。

 生きて、あらがって、終幕のあとたぶん二人はすぐに結婚するでしょう、でももう二人は永くはない。井伏鱒二を知る日本人にはそれがよく見えるが、海外の人には見えてない。最後映像であえて映された典子の首筋の黒い瘢痕、そして黒い雨を浴び、あれほど高濃度放射線の発生源に降下した敷島。熱戦発射時のゴジラなんてチェルノブイリの象の足みたいなものでしょう。たぶん健康で生きていられる時間ふたりともそう残されてはいない。

 たぶんあのあと、二人を亡くしたアキコは澄子さんとともに生きていくことになる。

 保護者がいてよかったと思います。そして圧倒的な災害下における我々日本人の『もちつもたれつ』『困ったときお互い様』のこころを描きたかったのかなとも思います


 ラストで悪しきものの復活を示唆するのは、ジュラシックパークなんかでもよく見たモダンホラーテンプレですが、あれは気づかない人向けラストでしょうか。わからない文化圏教育的素地の人にはあのモダンホラーテンプレラストとして機能するのかな。でも、病室のシーンで永くはないであろうことが“わかって”しまう我々には、その二人の余韻だけでもうなんかこみあげてくるものがあってたまらない。あえて首筋をじっくり映してたあたり、監督意図あきらかにそこにあったのではないかと思います

 全然関係ないけど25才ぐらいのとき新聞社仕事特攻隊員の生き残りの人にインタビューしたことがあります。正確には予科練生。特攻に出る前に終戦になり、広島に帰ったら家も親も何一つ残ってなかったと言っていました。予科練で、次に特攻に行く人はもうだいたい訓練生のなかで決まっていて、誰が行くか!って上官が問うたときに、行かないひとはみな一歩下がる。だから行くと決めた人だけが前に出る(残る)形になる。行くか、と問われて、皆の前で行かないなんて言えるはずもない。だから実際のところ、志願と言いつつ本当の志願ではないのだと。

 ……このあたりはどの本でも読んだことがないからたぶん現場にいた人のなまの声じゃないでしょうか。私は聞いただけで、実際のところの真偽はわかりません。

 それでも本当の志願でなくとも、『米軍本土にきたら男は殺され女は犯され女も子供もみんな死ぬ。どのみちみんな死ぬなら、自分たちが止めるしかない』という決死の思いは共通でみな持っていたのだと言います

 映画パラシュートは、脱出ポットに言及された伏線コックピットを見た橘さん目線からそうくるだろうなと思ったけれども、実際のところあの時代に実戦配備されて、パラシュートで敵陣の海中に降りても無意味だろうなとも思います。引き上げてくれる味方がいなけりゃ100%溺死するだけだろうし。人間魚雷回天とおなじく(靖国神社遊就館で見られます非人道的武器であり思想であるけれども、『自分たちが止めるしかない』というかつての予科練生の想いは、そのまま劇中の『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』という秋津さんや元海軍の皆さんの言葉につながります

 そういえばyoutubeで見られるんですよね。当時の米軍が記録していたと思われる神風映像。私は見るたびに泣いてしまます

https://youtu.be/yN-zEpXwf4s?si=stYhOmHLazLrLV0o

 ちなみに『男は殺され女は犯される』という言葉戦時日本プロバガンダだと思いきや、20世紀末に旧ユーゴスラビアで実際に起こりました。民族浄化っていいます。その後もコソボなどで起こりました。語源は第ニ次世界大戦中だとも言われています

 インタビューをしたあの方は、まだご存命でいらっしゃるでしょうか。もう亡くなられているのかな。連絡先ももうわかりません。

 特攻隊特攻隊員がゴジラと同じくフィクション世界に住人になっていく。

 でも、『自分たちが止めるしかない』『誰かが貧乏くじをひかなきゃならない』と生き方を決意した方々がいらっしゃったからこそ、今の我々が在る。

 大戦後、ビキニ諸島での原爆実験を経て産まれゴジラが、福島第二原発を経て70周年にこういう形で結実する。素晴らしい映画映画館で見られてよかったなと思います世界的な興行成績の成功もおめでとうございます

 特攻隊特攻隊員の想いも、遺っていきますように。

2023-08-29

差別する側の、「逆・心のノート」「逆・にんげん」を読んでみたい

原爆被曝者・何世だから、「被差別部落出身から朝鮮人からハーフから、このような差別に会った。社会無理解理不尽さ。悔しかった、悲しかった。あるいはこうして対応した。差別は許されない。」

…という文章はたくさんある。「道徳」の副読本であったり、人権授業で使われる読み物(「心のノート」とか)であったり。もっとわかる人向け(多分関西オンリー?)にいえば、「にんげん」みたいな読本などに載っている読み物。

ところで私は、この逆の立場の、差別を行ったとされる人々の気持ち、云わば「逆・にんげん」を読んでみたい。

差別理不尽さというのはすべて人間が生み出しているものだが、果して(近)現代人間の中で、人権と、差別との「妥協」はどのように行われているのだろうか。

一体どのようにして、差別正当化と、その追認が行われているのだろうか。知ってみたい。

それももちろん何か差別の悪を糾弾するとか反面教師皮肉としての読解ではなく、自然文体としての体験談で読んでみたい。

「娘が誰かと付き合っている。結婚するかもしれない。うちは名家だ。興信所を使って相手の素性を探ろう。それみたことか、「部落」だ。ダメダメだ、結婚絶対に認めない。これでウチは安泰だ…。」

原爆ダメだ。直接の被曝ダメだし黒い雨被曝ダメだ。実際に被害惨状や何かを見たわけではないが、とにかくダメだ。奇形児が生まれるかもしれない。病気うつされる。こういうもの収容所に閉じ込めて二度と出てこないように」

みたいな文章になるのだろうか。差別原始的かつ素朴な感情からまれるとはいっても、もっと複雑な何かがあるはずだが。

ここまで書いてみて、ヤフコメとかまさにこのはてな匿名ダイアリー絶対そんな部分があるよな、と思ったが、なんというか作為や露悪、学級会的な目配せもかなりありそうなので、何とも言えない。

国会図書館デジタルアーカイブなどで戦前書籍などを探れば、より平然とさも当然に行われる差別とその正当化が現れてきそうだし、大きな参考になりそうだが、私としては戦後の・建前上は完全に民主主義社会に染まってる人々の思考を探ってみたい。

なぜ、あなたは近所の知り合い、子ども結婚相手就職してくる相手出自や素性を知りたがり、そこに何かを見出したがり、そしてそれを排除したがることで安心したがるのかを。

それが明らかになることで…つまり何かそれを巨悪の告発などではなく、ただ反対の立場になっただけの「読本」として目に出来るだけで、道徳人権などの教育さらに一皮むけると思うのだが。

2023-08-09

anond:20230809022129

戦争反対じゃない人って戦争やりたいの?

そうじゃないよね?

戦争反対」っていう人の中には「いざ攻められたら戦うけど、戦争反対」の人も多いと思う。

だって戦争って勝っても負けても庶民は大損じゃん。戦中はみんなが大嫌いな共産主義みたいな方法で暮らすことになるし、今の超勝ち組みたいな抜け目ない連中しか得しないよ。今の弱者もっと弱者になる。

若い頃は自分も「戦争みたいな緊急事態になったら、おれ、本領発揮できちゃうかな」とか思ってたけど、多分まあ無理だわ。リアルに考えたら、ゴミみたいに扱われるだけだと思う。

戦争は嫌だよね」な気分は絶対に共有しておきたい。

もう、今の暮らしが嫌で破れかぶれで「戦争来てほしいな」とか思ってるなら、

大岡昇平野火』とか、井伏鱒二黒い雨』とか読んだ方がいいよ。

って書くとあれは負け戦だろって言う人がいるから勝った側のも書いてみると、『悪童日記』、『戦争は女の顔をしていない』とかでもいい。

だいたい第一次大戦時の日本庶民は、今の庶民みたいに戦争煽りを受けて生活苦しくなってたんだよね。富裕層は儲かってたけど。

んで、戦争で負けたら、富裕層もみんな損する。国の立て直しのために財産取られるからね。うちの一族、大損したクチ。ほんと、戦争は嫌だよ。

2023-08-06

原爆オッペンハイマーで感じるもにょもにょ

日本人として、広島長崎原爆を落としたアメリカに対して「ふざけんなよ」という気持ちはもちろんある。

が、

日本軍が先に開発に成功していたら間違いなく使っていただろうな、それも2発どころではなく。

原爆資料館展示物がいか凄惨かよく語られるが、通常兵器と比べてどれほどひどいと言えるのか?

・無論、のちのちまで残る放射線の影響や黒い雨、圧倒的な殺傷範囲などの特殊性はわかる。

しか通常兵器でも地獄のような苦しみを味わい、のたうち回って死んでいった人はいくらでもいるだろう。

侵略である日本がやたらと被害者ムーブだけ取るのはなんだかな。

人類死滅に至らしめる核戦争なんて最悪だし核廃絶できるならそれに越したことはないのだが。

核の傘

みたいなことがごちゃまぜになって「なんとも言えねぇ」ってなってしまう。

2022-11-07

虹(ニジ)と、ヘビと、ウナギの話

 この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。

 今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。

 その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩ランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホ画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象天体に関心を持ってくれたら嬉しい。

 ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称区別がある。

 漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。

 甲骨文字占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。

 残念ながら、私のデバイス文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。

 虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。

 「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。

 日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。

 例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。

 太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。

 若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである

 少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。

 新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。

 虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである

 長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことからネフスキー湖沼支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究から否定されたようであるしかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキー見方は意外に悪くないと思える。

 ネフスキーと同じ頃の時代宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。

 この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。

 とはいえ現代人の感覚から見れば、特に生物学動物分類学知識を通じて見れば、ヘビとウナギ同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。

 昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田落雷があれば、その場所注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。

 東北地方には、落雷のあった稲田神聖視する風習存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。

 この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田ウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。

 今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子状態存在しているため、そのままで植物栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法確立し、窒素肥料大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。

 最後になるが、もしも『ナギ系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガからその名が付けられたのか。

 妄想は尽きない。

【参考文献】小島瓔禮・編著『蛇の宇宙誌』(東京美術)

 今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。

栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545

2022-08-22

海沿いの民宿に泊まりたい

海沿いの民宿に泊まってやりたいことといえば、やっぱり早起きっすよねえ!!

早起きして、朝日を見たい

よく晴れてんだけどちょっと雲もあるような天気で、影になった結果ドス黒い雨雲みたいな色になってる雲、朝日の色に染まっている雲、太陽の周りの明るい色になっている空、太陽から離れたところの薄い青空

そういうものを見たい

イヌとか鳴いててもいい

部屋の窓からそういった諸々がみえると嬉しい

広縁があるとなお良い

広縁のラタン椅子に座って、備え付けのケトルで入れた謎の緑茶なんかを啜りつつ、外の景色を見たい

そんでそのあとまた布団に戻ったりしたい

朝飯はトラディショナルな品数の多いヤツだろうな

からこんなに食えねえよ、と思いながら食って、袋に入った味海苔が完全に余ったりするんだけど、最終的な印象としては結局悪くない まったく悪くないに違いない

でもチェックアウトはしたくねえなあ

チェックアウトする瞬間が嫌なんだよな

旅が終わらないでほしいんだよな

重い荷物が戻ってきてさあ、帰り道のことを考えないといけなくて、帰り着いたら帰り着いたで、翌日からまた仕事

やってらんないすよねえ

でもまあ、そこのところは考えなくていいや

まだ行ってないんだもんな 全てはこれからですよ

民宿だよなー民宿

でも、正直、コミュニケーションは取りたくねえなあ

かと言って、一切誰とも口利かずに民宿的なところに泊まるのは、ホンマにこれでええんか?って不安感が凄そう

まあ、いいや チェックインくらいは全然OKだな

もうちょい涼しくなったタイミングで、ぜひやりたい

早起きして朝日を眺めることをメインとした、海沿いの民宿の旅

それ以外はまあわりとなんでもいいや

2022-08-08

電報ってもらったことある

結婚式葬式以外ね。

どしゃぶりで風の強い夜、

遅い時間居間ちゃぶ台をかこんで

お茶を飲んでいると

ドンドンドンドンッと

誰がが玄関の扉をたたいて

何かしら?ってカラカラカラと開けると

黒い雨合羽を着たびしょ濡れの配達員

電報です!って手渡してくれるやつ。

だれか電報ください。

2022-05-24

アメリカ教育された

ガラスのうさぎ」とか「黒い雨」とか「この世界の片隅で」とか

あいうのを読んでたか

ウクライナまだそれだけで白人は大騒ぎ?とか思っちゃう

いや戦争は良くないけどさ。

2022-02-14

ワクチン頭痛発熱、体のだるさなどの症状の多くが、薬の直接の作用ではなく、接種への不安懸念といった「心理要因」

黒い雨の時と同じことを言ってるな

気にしすぎ

↓数十年後

やっぱり因果関係ありますた

2021-12-27

黒い雨」救済を何十年前と言ってるネトウヨは、拉致問題も数十年前なのを知らんのだろうか

被爆者と同じ世代の人らが騒いでるだろうに何でそっちは問題視

2021-08-16

anond:20210816151318

黒い雨みたいに70年後に認めるんだろ

そのころには今の1円が1万円になって居て4000万円も4000円の価値しかなくなっている

2020-10-11

日本核シェルター早く作って。

日本は、核兵器への関心が無さすぎる。

世界で唯一、戦術核を落とされた国なのに。

それも2回も。

更にはチェルノブイリ級の原発事故も起きた国なのに。

明日核兵器が落ちたとして、国民は一体どこに逃げればいいんだ?小学校か?

放射能黒い雨が降る中、小学校放射能まみれの人達と、川の字になって寝るのか。

チェルノブイリという現実にあった原発事故再現ドラマを観たが、放射能汚染された人のからだはそれそのもの放射能を撒き散らすようになるので、触れるだけで自分も癌など体調に甚大な悪影響が出るそうな。

とはいえ日本はどうせろくに隔離もしないだろう。コロナ発生源である例の船での初動対応を見るに。

せいぜい、体育館ブルーシートを敷いて、汚染された人も病気の人も全員ごっちゃで寝かせるぐらいだと思う。日本に出来ることは。

スウェーデンかどっかは、国民の大半を保護できる核シェルターを用意してるそうな。

では、日本は何か用意しているのか?

検討はしてるだろうな。検討は。いつになったら決定するんだろう。核兵器が落ちた後かな?

願わくば核兵器が落ちる前に、1つでもいいか庶民避難できる核シェルター建設決定して欲しい。

増税しまくるんなら、それに見合うぐらい国民...というか俺を安心させる施策をして欲しいわ。

日本核シェルター早く作って。

2020-09-10

何百万円も弁護士に払って何年も裁判してあっちこっち手続して、それでようやくドコモが弁償してくれる「可能性がある」だけ

被害を受けたと申告した人を無条件で救済するなどドコモは一度も言っていない

法律上の過失があればその分は弁償するといっているだけで被害者の救済をするなどドコモ銀行政府もそんなことを一言も言ってない

黒い雨訴訟みたいに何十年も裁判して正当性証明されたら返金される「可能性がある」だけ

2020-08-22

ひろしまタイムラインについて、なんか言っとくか

https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=21

事情あり今は横浜に身を寄せているものの、大学から10数年暮らしただけあって、広島という街には愛着がある。

そういうわけで、この#ひろしまタイムラインの3アカウント8月に入ってからは頻繁に覗いていた。

地理がそこそこ分かるということもあり、ああ、あの橋から市内に入ったのか、とか(広島は橋が多い)、"体調悪い"って、あの辺は黒い雨範囲ではないのでは? と思って調べてみたら、元々の認定範囲内だった、とか、そこから最近黒い雨訴訟の背景をまた調べ直したり…これはこれで、なかなか興味深いものを感じていた。

ただ、全国的には注目を集めることもなく、特に8月15日以降はひっそりと、インターネットの片隅に埋もれていくんだろう、とか思っていた。もちろん、はてブ話題に昇ることもない。そこにこの騒ぎだ。


ところで、この騒ぎを受け、どういう体制でこのアカウント群が運営されているかを初めて知った。

監修者…知り合いというほど深い仲ではないが、顔とお名前が一致するくらいではある。広島にいた時、演劇に多少関わったことがあるので。柳沼さんの名前を見て、少しニンマリとしてしまった。

IさんやSさんも、直接のお知り合いというわけではないけれど、知り合いの知り合いくらいにはなる。広島人間関係は非常に狭い。特にIさんは、若いころ、理想演劇を求めて闘っていた時期を存じ上げているので、あの日々がこの活動に結びついているのか、と思うと感慨深さもある。


運営に携わる者、彼らなりの誠実さは感じるものの、こういう事態になってしまった。

あるコンテキストの流れ、そこにある湿った共感でもって駆動していた共同幻想が、別のコンテクストにぶつかってしまった。これは明白に事故だと思う。

広島(に住う人々)は、原爆戦争というキーワードにはセンシティブな一方、相対的人種民族)を初めとするさまざまな差別問題には少し鈍感だ。

Twitterというグローバルなサービス使用しないならこの鈍感さでも良かったのだろうが…一時期界隈を賑わした、コンビニ冷凍庫に入って写真撮る輩のようではないか。"誰も見ていない"とタカをくくった結果が炎上、みたいな。


しかし、私はここが正念場だと思う。運営者は覚悟を決めて、乗り切れ、と言いたい。

実はこの逆の事態が、もう10年以上前にあった。要するに、よそから来た者が広島人に大バッシングを浴びた事件である

その当事者は、「Chim↑Pom」。

2008年Chim↑Pom広島市現代美術館での企画展を前にして、そこに展示する映像作品広島市内にて制作していた。その内容は、飛行機チャーターし、晴天の空に「ピカッ」という文字を描く、というもの

これには大抵の市民不快感を表した。"ピカ"は言わずもがな原爆連想させる。それを誰のものでもない空に、一方的に描くとは暴力に等しい…と。

当事者団体も抗議の声を上げるには上げたが、正直、そうではない一般市民感情の激しさの方が強かったと思う。

作り手には作り手なりの思いはあったようだが、当然、この作品はお蔵入り。企画展も中止。

ただ、彼らは、そこで終わらなかった。これを契機として当事者団体対話を始める。

その仕事は「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」という書籍として実を結ぶ。


原爆」に対してセンシティブ広島人、そうではない「Chim↑Pom」。

ここで起きたことも、それぞれの皮膚感覚の違い、流れるコンテキストの違いが引き起こし事故だった。

ならばChim↑Pomがどのようにして異なるコンテキストに向き合い、この事態を乗り切っていったかあなたがたが(もしくはこのいごこちのいい幻想なかにいる我々、広島人が)学ぶことはあるはずだ。


広島魂を見せろ。

2020-08-12

なんかゴネ得。

「亡くなった被爆者の思い踏みにじる」 原告ら怒りあらわ - 産経ニュース

https://www.sankei.com/west/news/200812/wst2008120017-n1.html

亡くなった被爆者出汁にしてるけど、既に82歳まで生きてるなんて健康のものだろ。

当時近くにいたからといって訴訟する姿は完全に老害

貴重な税金年寄りノスタルジーのために使うのはやめろ。

東京大空襲訴訟だって通ってないっつーのに。

見ろこの年寄り共の元気な姿。

黒い雨 - blackrain1 https://blackrain1.jimdofree.com/

欲しいのはこれだから、無くなった被害者関係ねえだろ。認定されたら幸せになれるロジック分からん

被爆者健康手帳 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E7%88%86%E8%80%85%E5%81%A5%E5%BA%B7%E6%89%8B%E5%B8%B3

2020-08-10

anond:20200810031753

30年くらい経過しないと後遺症評価不可能だよね

アスベスト黒い雨も被ばくしたその場では症状が出ない

2018-11-05

じいさんの経験した太平洋戦争

太平洋戦争最中、じいさんは広島県の呉にいた。海軍パイロット養成校(予科練と言っていた)に所属していたじいさんは、パイロットではなく整備工になるために入ったらしい。

呉は今では見る影もないが、当時は軍港としてかなり栄えていた。有名な大和武蔵もその目で見たらしい。建造していることは内緒だったが、あんなでかいんはバレバレじゃ、と笑っていた。武蔵山口の沖ですぐ沈んでのう、と目を細めながら言っていた。何人か、同期も武蔵と一緒に沈んだとも。

整備工になるために予科練に入ったじいさんだが、残念ながらじいさんが最高学年に上がる頃には戦況は悪化していて、訓練機すら飛ばせない状況だったらしい。

じいさんはその頃から毎日毎日軍事工場飛行機を作っていた。

元々、機械弄りは好きだったじいさんは飛行機を作るのは楽しかったらしく、メキメキと腕をあげたようだ。あまり戦争のことは話したがらない人だったが、海軍飛行機いかに苦心されて作られていたかは楽しそうに喋っていた。

戦争に負けるな、とは何となく感じていたが、上官が怖かったし、そんなことを口に出せる空気ではないころ、呉にアメリカ飛行機が不時着してきた。

勉強がてら、じいさんは同期と連れだってアメリカ飛行機(グラマンといっていた)を見学に行った。

そこでじいさんは「あぁ、この戦争は負ける。」と確信したそうだ。

「わしらはな、飛行機を手でネジを締めて作る。アメサンのはどうじゃ。リベットうちじゃ。ダダダダダ、と作るわけじゃ。作る数がそもそも違う。こんな戦争、勝てるわけがない。」

グラマンそもそも内地まで飛んで来とる。本土決戦で、みな死ぬ

それが、17歳のじいさんの太平洋戦争に対する結論だった。死にたくはないが、死ぬしかない。

昭和20年8月6日、じいさんは工場でいつも通り、朝の体操をしていた。突如として、工場ガラスが、ビリビリ、と音をたてて鳴った。なんだなんだ、と外に出ると、有名なキノコ雲が広島の街のほうにあがっていた。

原爆だ。

じいさんの生死を分けたのは、宇品工場に配属されなかったことだ。宇品に配属されていた同期は救出隊として投下直後の市内に入り、黒い雨を浴びてその後の10年でバタバタと死んだらしい。

運の悪い事にたまたま休暇で広島の市内に戻ってしまった同期は、大火傷を負って呉に帰ってきた。1ヶ月もしないうちに亡くなったそうだ。

そうして、知り合いや同期が死んでいく混乱のうちに、戦争は呆気なく終わった。

じいさん達の基地には進駐軍がやって来てキャンプをはったので、仕事もないじいさん達はキャンプに忍び込んでは物資をかっぱらい、闇市でさばいていたらしい。「あそこは元々わしらの基地じゃしのう。」とあまり悪びれずに言っていた。

実家に帰ってこないじいさんをひい祖父さんが連れ戻すまで、そうやって生計をたてていたらしい。

戦後予科練学校としては認められず、じいさんは小卒の学歴になってしまい、ずいぶんと苦労したらしい。職を転々としながら、職業訓練校に通って資格を手にし、最終的には水道工として定年まで勤めあげた。

飛行機を作っていた頃の経験が生きたのかは分からないが、子どもの頃のじいさんは自転車草刈り機の発動機やら、何でも直せる人だった。

じいさんは戦争によって勉強することも出来ず、学歴も手にすることが出来ず、戦争を恨んでいたのだろう。戦争の話はしたがらず、呉には生涯、足を運ばなかった。

本当は、京都大学物理学勉強たかったじいさんは、自分学歴の無さを生涯恥じながら、87歳でこの世を去った。

苦労しながら水道工として定年まで勤めあげ、身の回りのものは何でも修理できたじいさんは、恥ずべき事なく、立派な人生を歩んだと思う。

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