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はてなキーワード: 古語辞典とは

2023-11-21

anond:20231121012244

じっ けん 【実験】


(名)


①実際に試み,考え方の正否を調べること。特に自然科学で,特定現象関係研究するため,人工的な一定の条件を設定し現象を起こさせて,観察し測定すること。仮説や理論検証し,新しい現象を探し出すために行われる。「実験室」


実際の経験「昼夜吸入器を掛けねばならない様な場合の気苦労は実験せねば解りません/一隅より」〔「英和対訳袖珍辞書」(1862年)にexperimentalの訳語として「実験上の」とある明治初期は「経験」と混用され,のちexperimentの訳語として現在意味で定着した〕


くび じっけん 【首実検】


(名)


①昔,戦場で討ち取った敵の首を大将の前で面識者に見せ,その首の主を確認させたこと。


②(容疑者などを)知っている人に会わせ,本人かどうかを確かめさせること。〔「首実験」と書くのは誤り〕


明治期の文書を読むなら国語辞書古語辞典漢和辞典スマホに入れとくと便利よ。

2023-08-11

anond:20230810220223

国語辞典にも古語辞典にも漢和辞典にも出てこないから、ショウロンという読みは無いと思う。

2021-09-12

国語偏差値は忘れたけれど。

国語偏差値が70云々という、はてなブックマーク話題を目にして「高校生の頃の偏差値をよく覚えているなあ」と感心した。私は自分偏差値を忘れてしまった。センター試験自己採点で国語数学英語がいずれも190点超えていたことは覚えている。しかし、わざわざそれを他人アピールする機会も意味も、私には無かった。

アピールする意味が無いのは、自分頭脳は良くないと自覚しているかである大学生になったは良いものの、私はイプシロンデルタ論法についていけず大学数学挫折した。数学以外も似たようなものであった。ペーパーテストではない、実験研究という大学の活きた学問は、まるでダメだった。地方国立大学入学できる程度には受験勉強が出来たし何とか卒業もしたものの、大学の本格的な勉学に挫折した私は、平凡な人間であった。

それで今更の話なのだが、現在の私は数学勉強し直している。別に仕事に役立てようとか、そういうつもりは全く無い。全くの自己満足である。では、自己満足の欲求の源は何処かといえば、それは私の両親である

私の両親は、高校中退である。私の両親の世代では、地方低所得者層に生れた子が、生家の経済的理由から学業を断念せねばならないというのは、珍しくない話であった。珍しくない話ではあったものの、やはり両親にとっては心の傷だったのだろうと思う。

父は、一冊の古い辞書を大切に持っていた。私が小学生の頃には既に、ページは手垢で黒ずみ、ボロボロ状態だったのを覚えている。母は、横溝正史松本清張文庫本を何冊も持っていて、これまたページはボロボロであった。学業不本意に断念させられたことの埋め合わせだったと、私の両親は言っていた。本物の勉学を経験した人たちから見れば、たか辞書推理小説を読む程度で勉学の埋め合わせを名乗るなどお笑い草かもしれない。しかし、私の目には、両親の姿が尊く見えた。親馬鹿ならぬ子馬鹿と言うべきであろうか。それでも構わない。私が今更ながら数学勉強し直しているのは、明らかに両親の真似である

就職して幾許かの金を自由に使えるようになった私は、両親の欲しいものリクエストに応えて買い物をした。平家物語を読みたいと言うので、古語辞典と一緒に買って送った。お経や論語も読んでみたいと言うので、これらの本や漢和辞典も買って送った。母はアガサ・クリスティ作品を読みたいと言うので、これも買って送った。父は写経したいと言うので、筆や硯も買って送った。いずれも大した額の買い物でもないのに、両親は大袈裟なぐらい喜び、何度もありがとうと言っていた。

しろありがとうと言うのは私の方である家族共用の本棚に、子供向け百科事典児童文学のセットを置いてくれて、子供の私が本を読むように育ててくれた。それに、私の読書趣味に決してケチをつけなかった。国語試験偏差値は忘れたけれど、本を読むことの楽しさならば私も忘れないだろう。本を読むことが楽しいと私に教えてくれて、ありがとう

蛇足だが、数学の再勉強ノートをとりながら「どこまで理解できているやら。これでは写経だな」と思い、父子で写経好きというのが何だか可笑しく感じた。

2021-08-08

外国人 は言った 「死ぬほどおいしい」 と

はははっ日本語言い回しお上手ですね。

ってのがファーストインプレッション

でもこういうのって翻訳前の原文が気になるのよね。英語しらんけど。

「絶賛」される日本のコンビニ 五輪海外メディアが「死ぬほどおいしい」 重労働など「影」の部分も知って:東京新聞 TOKYO Web

シンガポールジャーナリストは「ローソンフライドチキン死ぬほどおいしい」とツイート

どのツイートかわからなかったので「LAWSON fried chicken」で検索

それらしいツイートプロフィール確認

CNA(Channel NewsAsia)ジャーナリストで、これはシンガポールメディアらしいからおそらくこれ。

https://twitter.com/MatthewMohanCNA/status/1421430504872574976

Here’s what lunch looked likeLawson’s fried chicken is to die for. #Tokyo2020

"to die for"が「死ぬほどよい」という言い回しっぽいのね。

"to die for"の意味・使い方|英辞郎 on the WEB

to die for

〈話〉すてきな、非常に素晴らしい

・That fur jacket is to die for. : その毛皮のジャケットは最高にすてきだ。

・My friend has a figure to die for. : 私の友人は非常に素晴らしい体形[ナイスバディーの持ち主]です。

同じような表現に「to death」。

【英語】1分でわかる!「to death」の意味・使い方・例文は?ドラゴン桜と学ぶ英語主要熟語 - Study-Z ドラゴン桜と学ぶWebマガジン

端的に言えばこの熟語意味は「死ぬほど〇〇」だが、もっと幅広い意味ニュアンス理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

「to death」には、様々な言い換え方があります。「until 〇〇 die」で「〇〇が死ぬまで」や、「to the moon and back」で「月まで行って戻って来れるくらい」などが多く使われている表現です。「to the moon and back」は、死ぬほど何かが好きな時に自分の愛を届ける時に多く使われるのでよく会話や文章などで多く見かけるので頭に入れておく役に立ちますよ。

ふーむ。じゃあ日本語の「死ぬほど○○」と英語の「to die for」は別々の場所で発生したのか英語日本語に輸入したのか。まさかその逆か。

もちろんそんなことは私の検索能力では調べられないのである

同じ感性で生まれたって考えはロマンがあるけれど、まあ輸入かな。でも結構普遍的表現な気もする。

英語に関しては本当に調べる経験がなく手段が思いつかないのでgoogleの日付指定ぐらいしかできない。

書籍全文検索が発行年つきでできたりしたらそれを使うんだろうけど。

で、まあ大して意味もない検索結果としては1988に映画タイトルにはなってる。

蒼い牙 果てしない愛の物語 : 作品情報 - 映画.com

1988年製作アメリカ

原題:To Die For


日本語のほうはそうだな、比喩表現ということで青空文庫から

死ぬほど - Aozorasearch 青空文庫全文検索

翻訳作品を除くと、おおよそ1900年ごろから使われている表現に見受けられる。夏目漱石時代である

長谷川君と余

夏目漱石

...まさか死ぬほど寒いとは思わなかったかであるしか死ぬほど寒かっ...

初出: 「朝日新聞」1909(明治42)年8月

さら翻訳自体20世紀だが、元の表現を忠実に訳しているとするならば1500年台のフランスで同様の表現がされていたらしい。

エセー - Wikipedia

モンテーニュ随想録 07 随想録 第三巻

関根秀雄 モンテーニュミシェル・エケム・ド

...ことをきらい、屈従と束縛とを死ぬほど憎むからである人間が多いのを... / ...知った人々に誤解されるのを、死ぬほど恐れているだけなのである。  ... / ...からたよられることも、ともに死ぬほどきらいになった。わたしはどんな...

ふーむ。ついでにもうちょっと古い日本語情報がないか勘で調べてみる。

文章がよく残っていて古そうな時代といえば…平安時代かな?

ありますねぇ!

下痢をお漏らし!嫌いなヤツには石投げる!平安貴族が結構お下品【落窪物語】 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン

さらに典薬助は、ことの顛末を北の方とその侍女たちにいっさいがっさい話してしまます。すると彼女たちは「死にかへり笑ふ」「いとど人笑ひ死ぬべし」など、死にそうなほど笑ったことが書かれています。「死ぬほど笑った」という表現平安時代からあったことも面白いですね。

落窪物語ウィキペディアによると10世紀末頃に成立したとされる。

さらに「死にかへり」を調べると源氏物語が挙げられている。ご存知紫式部の著でこれも時代は1008年だそうだ。

死に返るの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

連用形副詞的に用いて〕死にそうなくらい苦しく。死ぬほど強く。

出典源氏物語 絵合

「しにかへりゆかしがれど」

[訳] 死ぬほど強く知りたがったが。

少なくとも英語の"to die for"などから日本語の「死ぬほど」が生まれたわけではないと考えてよさそうだ。

よく考えれば死は万人に訪れる避けがたい事象であって、言語関係くそれを強調の修飾として使うことは割と自然かもしれない。

死ぬほど君の処女が欲しい」「可愛すぎて死ねる」「死ぬほど痛いぞ」「ヤンデレ女の子死ぬほど愛されて眠れないCD

現代的で若者言葉のようなイメージがあったものの、1000年以上続く死ぬほど死なない言葉だったようだ。

以上今日自由研究でした。

2021-06-23

古文読めないのもディスレクシア症例に入れてほしい

こういった厄介事を乗り越えてなんとか文章全体の形態素が把握できても、文章論理構造現在とは異なっているから難儀する

結論が先じゃないから回りくどい」的な次元じゃなくて、現代語訳を見てもなお意味がつかめ

解説まで読んだところで「こういうことを言うのにこうやって文章を展開していくのか…」とかろうじて納得するので精いっぱい

ネット見てると言いたいことはあるのだろうことは分かるけど何が言いたいのかどうしても分からないって感じの文章出会うことがあるが、自分にとって古文は終始そんな感じ。

今日置昌一の「ことばの事典」などという和歌川柳がふんだんに引用されている事典を頭から読んでいるのだが、数千収録されているうちの7割以上は詩情が全く掴めない

受験業界では古文は暗記すれば読めるとかいうが、古語辞典でも首っ引きでも理解できない私も一種ディスレクシアいいんじゃない

普通場合は単に読解力が足りないと自己責任論を押し付けられるけども、病気となれば治療対象になるから

2020-09-29

ネギトロ」は「ねぎ取る」に由来するのか?

anond:20200929031443

RRD 皮や骨についた身は物理的に刺身に出来ず、貝殻や匙で剥ぎ取ったものがすきみ。剥ぎ取ることを古語で「ねぎ取る」と言ったところからネギトロという。

これは巷間まことしやかに囁かれる雑学だが本当なのだろうか。

ネギトロ発祥東京浅草の金太楼鮨とされる。

ところが、その肝心の金太楼鮨では「ねぎ取る」説が採用されていない。

ネギトロ - Wikipedia

ネギトロ巻きの誕生は、1964年昭和39年)、浅草本店がある『金太楼鮨』とされる。三ノ輪店で残った寿司種を手巻き寿司にして賄いで食していたが、鉄火巻きに使用する中落ち・すき身にネギを加えると、マグロの脂っぽさが打ち消された。それを客に提供したところ好評で、常連客を通じて本店にも伝わり、本店メニュー採用された。

偶然にできた寿司ネタ「ネギトロ」その由来の秘密(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社

ねぎとろ発祥の店と言われているのが、東京浅草に店を構える大正13年創業の金太楼鮨。昭和39年、当時の会長だった間根山貞雄氏が考案したという。その開発の経緯はこうだ。

同店ではまぐろ毎日大量に仕入れていたが、筋の部分は食感が悪く、刺身寿司に使えず、余っていた。叩いてペースト状にして食べれば、脂がのってトロトロで美味いが、今度は歯応えが皆無。

そこで仕方なく、巻きに使おうとしたところ、昼食用に茹でていたそばうどんに使うネギワサビなどの薬味を筋の部分にぶちまけてしまう。やむを得ず、ご飯にのせて醤油をかけて食したところ、これが美味い。そこで、大当たり間違いなしと、店で出すことに決めたという。

思いがけず生まれた新しい寿司ネタ。その命名について、間根山氏はこう語っている。

浅草には『麦とろ』という名前とろろ飯を売る店が戦前からあり、専門店としては珍しいので土地では一応知られていた。よし、これだと、麦とろ→ねぎとろと語呂を合わせて決定した」

というわけで、この説明によれば「葱」+「(麦)とろ」である

例の「チコちゃんに叱られる!」でもこの説が採用されたらしい。

ただし、この説明が本当に正しいかは分からない。

牽強付会な印象も無いではないし、「銀ブラ銀座ブラジルコーヒー」のように店が積極的デマを流している可能性もある。

この場合は、昭和39年1964年)以前に「ねぎとろ」という用例があれば、金太楼鮨の説明は疑わしいということになるはずだ。

が、そう都合よく見つかるはずもない。誰か探してくれ。

追記

国立国会図書館デジタルコレクション検索した。

1972年12月の『食の科学』。

青ジソは香りのよさが好まれてよく使われ、イカのにぎりの場合など、一葉添えられることが多くなった。この青ジソの葉を細く切っていりゴマを加えた、シソ巻ずしを台東区東浅草の金太楼鮨でやっている。また、生ネギトロとを巻いた「ネギトロ」も、ここの名物である。生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかないことなのだが、このネギトロというのが相性がいい。

1973年4月の『週刊文春』。

浅草の東、鮨·金太楼本店。(中略)「ねぎトロ」が日に、キロ以上とれて、さばけて行くのですからご立派。ちっと解説させて頂くなら、ねぎトロトロとは、まぐろをさばいたあと、皮や骨についている肉をこそげ取った身を寄せ集めたものです。(中略)ねぎトロは、いまいったトロにきざんだねぎを混ぜ、ゴマを加えたもの

1975年1月の『信用金庫』。

信用金庫 29(1) - 国立国会図書館デジタルコレクション

先日、仕事関係があって、浅草のあるおすし屋さんを訪ねた。そこで、ネギトロというものをたべた。たいへんおいしかったので、ほかであまりきかないけど、おたくだけのものときいてみた。若いご主人は次のように話してくれた。そうです。実はわたしたちも、すしにネギは禁物だと教わってきたのです。ところが、ネギのとても好きなお客さんがいらして、ネギを巻いてみてくれというご注文なのです、ついでにトロも一緒に入れてくれというので、試しに巻いたのです。ところが、これがなかなかいけるのですね。それで、その後いろいろ工夫してみました。トロをよくたたいてアブラをうかし、スジをとって、それからネギと一緒に巻くのです。これをわたしのところのレパートリーに加えました。ですから、これはお客さんに教えていただいたものといえますね。

いずれも「ネギ」が入っていることは明らかである

というより「生ネギをすしに使うなどはなかなか思いつかない」「すしにネギは禁物だと教わってきた」といった記述からすると、ネギを使うことこそがネギトロオリジナリティのようである

週刊文春記述からは、いわゆる腹部の「トロ」ではなく、現在のように中落ちや皮ぎしの肉を使っていたことがわかる。

信用金庫』の記述もかなり有力な証言だ。

浅草おすし屋さん」というのはおそらく金太楼鮨のことだろうが、現在説明されているネギトロ誕生経緯とはだいぶ異なっている。

追記終わり。

別の方向から考えてみよう。

RRD氏は「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」と書いている。

しか古語辞典にはその用法は載っていない。

ねぐの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典

ね・ぐ 【労ぐ】

ねぎらう。いたわる。

ね・ぐ 【祈ぐ】

祈る。祈願する。

「ねぐ」は、神社の「禰宜ねぎ)」や、「労う(ねぎらう)」「願う(ねがう)」といった言葉語源である

ちなみにヤマトタケル伝説で、景行天皇が、息子の大碓命が会食に出てこないことを懸念し、その弟の小碓命(=ヤマトタケル)に「ねぎ教へ覚せ」と命じた、という話がある。

この「ねぎ教へ覚せ」の「ねぎ」は、まさに「ねぎらう・いたわる」で、「(会食に出るよう)優しく教え諭せ」といった意味になる。

ところがヤマトタケルはこの命令を取り違え、兄の手足を引きちぎって殺してしまった。

「手足をねぎ取った」ということだろうか?

このときヤマトタケルがどう取り違えたかというのは「根切る」や「ねじ切る」といった説があるようだが、さすがに「剥ぎ取る」と結びつけることはないようである

というわけで「剥ぎ取ることを古語で『ねぎ取る』と言った」という説はかなり怪しい。

しか古語ではなくとも「ねぎ取る」という言葉があった可能性はある。

別の記事では「ねぎ取るは建築用語だ」とする説が紹介されている。

知ってた? “ネギトロ”は葱とマグロのトロの意味じゃない! “ねぎま”も焼き鳥じゃない | ガジェット通信 GetNews

元の語源建築用語で、地下構造物を作る時、地面より下の土を掘ることを「根切り」と呼んでおり、それが寿司業界にも広まりネギトロ」が誕生

建築用語としての「根切り」は確かにある。

根切り - Wikipedia

そもそも「根切り葉切り」という言葉もあるように、「根切り」には「根こそぎ」という意味があり、骨から肉をこそぎ落とすようなイメージは分からないでもない。

しかし、それが「ねぎ取る」に変化するだろうか?

そもそもねぎ取る」で検索しても「ネギトロ」以外の文脈ではほとんど引っかからない。

中間形態としてありそうな「根切り取る」などもやはり引っかからないのである

寿司屋の隠語なので表には出なかったのだろうか?

こちらは「俺は寿司屋をやって数十年の者だが『ねぎ取る』という言葉は確かにあるぜ」という人が出てきてくれれば確かめられるはずだ。

というわけで、1964年以前の「ねぎとろ」用例や、古くから寿司屋で「ねぎ取る」を使っていたという人が出てこないかぎり、暫定的に「葱」+「トロ」説を採用したい。

2020-07-12

ここは日本か?っていうくらいのど田舎育ちで同世代とすら話が通じない

俺の実家は(文明がなさすぎて)「ここは本当に日本なのか?」というレベルのど田舎だった。

1990年代電気・ガス・水道すら半分くらいしか整備されていなかった。汲み取り式のトイレが当たり前で、電気が通っている家庭でもしょっちゅう停電していた。お年寄りは訛りどころか古語を使うので(本当に古語辞典を調べて会話したことがある)何を言っているかからない。

こんなレベルなのでテレビ半年遅れで当たり前、ひどくなると年末にお正月特番をやっていた。もちろん東京では当たり前のテレビ番組が見れないなんて珍しくない。ちなみに東京まで行こうとすると3ヶ月かかる。

こんなど田舎から奇跡的に東京大学に進学できたのだが、周りの同期が何を話しているのかさっぱりわからない。これだけ情報格差があるんだから当たり前だ。あれから十数年、いまだにみんな知っていて当たり前のタレント漫画を知らないということが時々ある。情報格差は恐ろしい。

ちなみに、このど田舎にこの前ようやく道路が開通したらしい。

2018-06-15

anond:20180615001525

6月16日

 

小谷が言った。「お前、タイムリープしてるだろ?」

これが181回目の6月16日。どうやっても理科実験学校が爆発してしまって、俺だけが助かる。それ以来70年間引きこもった。タイムマシンを開発するために。

やり直すんだ。戻れ。それだけが信念だった。

 

小谷は続ける。「あのさ、俺も試したんだ。3日前に前兆があった。それに気づいた俺は5873回目の今日を繰り返している。お前、俺も死んだと思ってただろ? 残念。直前で逃げ出して、こうやって今日を繰り返してる」

「じゃあ、俺とお前の世界線は」

「異なる。俺が救おうとしている世界はお前が救おうとしてた世界ではないし、逆も然り。結局、自己満足なんだよ。だが」

小谷右手に持った分厚い古語辞典を振り上げる。

「お前に死んでもらえば全ては真実になる。世界は俺が操った世界線だけになる。邪魔なんだよ。偽物は要らない。お前に救われると迷惑なんだ。お前に救われた俺は今ここにいる俺ではないからな」

小谷は鈍器のようなもので俺を殺そうとしている。汗が頬を伝うのは暑さのせいだけではない。

2017-06-27

棒銀って強いんだっけ

https://anond.hatelabo.jp/20170626192037

こんばんは、id:sugimurasaburo さんからIDコールいただきました。ありがとうございます船橋海神id:cj3029412)です。本職はねこちゃんの保護趣味ブログで嘆くこと、在野で中世古文特に助詞助動詞研究を行っておりますキャッチフレーズは「(´;ω;`)」「でかいです」。将棋も大の好物です。

以下は私の私淑する大野晋先生およびその決定的名著/集大成であらせられますところの(敬語誤用)「岩波古語辞典増補版」(2016/1/12補訂版第23刷)に依ります

よろしくお願いします。

けりの基本性質=回想の助動詞

加藤一二三という男、ありけり」を訳してみましょう

(A)~(D)は上の引用解説を便宜的に分類した符号。【訳】は私のもの(一部、戯れ)です。

失礼かどうか

元増田氏の理解(「加藤一二三という男がいたそうだ」)(「伝聞の過去」になるんじゃないだろうか?)とは少うし違いますけれど、私も第一感、失礼…というか、そんなに遠い昔の話だっけ、という印象です。端的にいえばアホバカクズ受信料払わねえぞと申し上げています

現代語に残る「けり」

ちょっと一休しましょう)ちなみに、この日記に私が付けたタイトル「強いんだっけ」の「け」がそうです。「けり」の「り」が落ちました。

もし強引にありえるとしたら

米長邦雄永世棋聖くらいでしょう。米長先生が戯れに「加藤一二三という男、ありけり」とおっしゃる、これはありえます。「君たちは知らないだろうが、私もいま思い出したのだが、加藤一二三という男がいましてね」あるいは「あら、こんなところに加藤さん、(ずっと)い(らっしゃっ)たんですね(気づきませんでした)」。しかしこれも(ジョーク以外では)無理がありますね。ありえるとしたらかなり特殊な状況ということです。

(参考) https://www.youtube.com/watch?v=pr6-Bv3RVTw

場合によりけり」の「けり」

https://anond.hatelabo.jp/20170626193212

トラバ増田氏、慧眼です。古文研究をやっていてよかったなあと思う瞬間です。筋違いながら御礼を。

ネットスラングの【場合によるんだ(よ)なあ】で訳すのが一番しっくりくると思います。(過去)回想/気づきの原義は退き、(自分も気づいた)から同意/強意/念押しのニュアンスが全面に出てくる、その変化点が味わい深いですね。ちなみに、この線でお題の「加藤一二三という男、ありけり」の出るような状況を無理やり設定するとしたら、棒銀のことを話題にしているのにスレのだれも加藤先生のことを話題に出さない。そんなときに【加藤一二三という漢がいたんだよなあ】と、誰かがきっと書き込むでしょう。例えば、そんな感じです。これも、やっぱり例外的ですね。

まとめに代えて

「けり」は、幅の広い、陰影に富む助動詞です。それを、おそらく伊勢物語から(あるいは、伊勢であることすら忘れて何となく)「昔、男ありけり。」をただ引っ張ってきてNHKは使ったのではないか想像します。ここから物語論範疇ですが「昔、~けり」とやると、一気に作品世界が遠い昔/架空物語に飛ぶ。その効果を古人はよほど気に入ったのでしょう。いろんな作品が「昔、~けり」を使っていますNHKはさすがに「昔、」とやるのはおかしいということまでは感じた。ならば、もう一歩、脚を止めて考えるべきだったと思います

  • 降る雪や明治は遠くなりにけり(草田男、昭6)

お粗末さまでございました。

追記:翻って元増田氏へ

「けり」の思い出し(回想)効果は、いちど忘れていたことが前提になります。いま、加藤一二三先生のことを忘れてしまっている人はいませんね。ですから失礼というのは正しい直観だと僕は思います

「けり」を使うくらいですから、7/1のNHKは「神武以来の」と形容されたデビュー当時の、みんなが直接体験過去としては忘れてしまっていたところにフォーカスするのでしょうか。あるいは第19期名人戦大山康晴先生こてんぱんにやられたことを加藤先生述懐していただき秘話を発掘するといった「気づき」があるのでしょうか。よもや、升田幸三米長邦雄冥土鷺宮から召喚するのか。期待しないで待ちたいと思います

いずれにせよ、今回、元増田氏が感じたような、現代人の古語の扱い方に対する「もやもや」は、古語研究もっとも大切な礎の1つです。ぜひ今後とも大切になさってください。楽しかった\(^o^)/

 
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