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2024-03-26

anond:20240326120823

俺に祈りを捧げるなら、お供え物も寄越しな!

俺が神だ!

2024-03-03

うちの実家は太かった

古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しか戦後農地改革ほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族墓地くらいのもの田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。

少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公訪問する田舎一族イメージとしてはアレに近い。正月一族で集まり当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族健康繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。

しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。

父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。

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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキー釣りを楽しんでいた。

自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道ピアノ幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。

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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。

他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。

世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。

これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。

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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。

子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族墓地には入っていない。

2024-03-01

パソコンの前に毎日お供物をすると、StableDifussionからの出力が良くなるような気がする。

神棚を作って毎日お茶と炊きたての御飯お供えしてお祈りしてる。

2024-02-16

<चलो फिर भी एक आकर्षक झूठ के साथ जियें>

タイトルは魔除け。

それはそれは昔、深夜の神社に向かう100段の階段の途中、下から12段ぐらいで私は妹を待っていた

風が、雲を押していた。月は半分だけ顔を隠しているような夜だった。

「お待たせ〜」と階段を上ってきた妹は片手にビール缶を持っていた。メーカーは覚えてない

生憎小銭がなくて。ごめんね」と言いつつ

妹は申し訳なさそうには全くしていなかった。

だが、責めるのも私には出来ないので

「どうして神社自販機ビールが売ってるんだ

おかしいじゃあないか」とめちゃめちゃな事を言ってしまった。それに対し妹は「?」といった顔をし「お供えにしたり花見で飲んだりするからでしょ。変なこと言うね〜」なんて言うもんだ

それを聞いてやっと私は妹に少し腹が立っているんだなと気づいて、顔をしかめたのだった

それにしたってビールを一缶だけ買って誰が飲むのだろう。私だけか妹しか飲めなくなるが

「で、私思ったの。このビールを半分だけ○○(私の名前)が飲んで、残りの半分を私が飲めば

酔いすぎないかなって」

ああ、そういうことだったのか。ろくでもねぇな

と思いつつ、私はビールを開けて飲んだ

世界がぐるぐるしてこないぐらいにはあったまるでしょ。酔いすぎちゃうと久しぶりに会った記憶が消えちゃうからね」と妹

かに次第に酔いが回ってくると、身体がなんだかあったかくなってきた。なるほど

「じゃ、次あたしが飲む〜」ぐいっと残り半分を

飲み干した妹、すぐに顔が真っ赤になった

「ひもちいい〜○○肩貸してぇ」

妹は私の肩に凭れかかった

「弱いくせに一気に飲むなよ…」私は呆れながら

妹の肩に手を回した

ロシア式倒置法ってあるじゃん

「ん、あるね」

「あれでひくと…二人がほひそらをみてるってことはぁ…ほしぞらが二人をみてるってなるよねぇ」

「そりゃ素敵な話だ」

二人は笑った

「ねぇ…○○ちゃんねがいら」

「なんだよ」

「酔いが醒めて、また二人が冷たくなったら冷たい互いのてをにぎってくれまへせん…か」

妹がこんな事を言う時は大抵酔っている。

私は空のビール缶で妹の頭をコツッと叩いた

「そりゃ好きな人とやるもんだろ。兄弟でやるもんじゃねぇよ」

「けちんぼ」

神社階段には本当に人が来なかった

それだけがこの日、運が良かった理由である

2024-01-19

関孝和のお墓に紙とペンお供えしたら喜んでくれそう

こすると消えるペンも喜んでくれそう

2024-01-14

たまに墓地についてる焼却場みたいな小屋

あれなんだろう

荼毘するには設備が小さいし、お供え物燃やすには大袈裟すぎる

2024-01-05

anond:20240105083334

摂取しないとネタがないと言いながら私の初詣はお参り行ったのはカカリコ村女神像だったわよってそしてリンゴお供えしたのも言うことをすっかり忘れていた初詣の話があったのをそれでおもいだした山脈に向かってヤッホー!って叫んだわよ

2023-09-24

秋分の日🐈

洗濯機

洗濯機が欲しいよー。6-7㎏で。

いま手洗いしているのです。

だんだん寒くなりそうで、どうしよう🐈😿

【待ちに待ったアプリ

関西人希望の星ICOCAものはしのイコちゃんかわいいんだ

せっかくアプリになったのに…のに。

🐈の📱が微妙に古くてアプリ対応なのだ

nanacoアプリも同じで、使いたいのになー。ほんとどうにかしないと。

最新iOSにしたらいいんだけど。

てか

新しいiPhoneかいっそandroidにすりゃいいのだけど

ぜんぜん使える今のiPhoneなんかもったいない気もするのよ

(言いつつ機種変したらめちゃウキウキですごい凄いいうんだろう👻)

秋分の日

ちいさいみかんを食べたら、もう秋の味で

みかんのほんといい香り。🍊

両親と一緒に🍊食べてたときを思い出してちょっとうるうるしてしまう。

香りってこんな風にわーっと思い出を引き出すこともあるんだなぁ。

お彼岸なので

お供え和菓子でもと思ったのに

売れてた

考えたらHallowe'enのお菓子でもよかったか

大事なこと】

水道代を支払ってきました。

2023-09-01

みそきんが許せない

我が子の友達が亡くなった

まだ10歳にも満たないとてもとても可愛い子だった

の子はこの春5月に発売されたみそきんをずっと食べたいと言っていた

結局この時は買えずじまいだった

8月10日再販の日、あの子はもうこの世にはいなかった

せめてお供えに買ってあげようと、私は我が子と一緒に再販の日の朝早くからコンビニに走った

どこにもなかった

なんなんだ

たかだか300円のラーメンを買いたいというだけの小さな子供の願い一つ叶えてやれない

今みそきんを買えるのは馬鹿みたいに高い値段になっているインターネットの中だけだ

こんなものを買って子供の仏前にお供えしろというのか

出来れば生きてる間に食べてほしかった

それができないならお供えに持っていってあげたかった

もっと売ってる数があれば

転売なんてなければ

こんな思いしなくてよかったのか

いっそ最初からこんなラーメンなんてなかったほうが良かった

恵方巻きは掃いて捨てるほど大量に作るくせに

みそきんが許せない

こんなに少ない数しか用意出来なかったことが許せない

転売してる奴らはもっと許せない

限定発売商品を作る人達は「次」がもうない人間がいることを覚えておいてほしい

転売してる奴らは欲しいのに手に入らなくて悲しい思いをしているのは大人だけでなく子供にまでいることを知ってほしい

誰にも言えないので匿名で書き殴らせてもらいにきました。

2023-08-17

アドバイス実家に高級線香お供えしたいけどどれ買ったらいいのかわからない

とりあえず 沈香 翠風ってやつ買ってみた。

2023-07-13

anond:20230713120815

お盆お供え物みたい」じゃないんだよ

お供え物なんだよ

🙏

昼ごはんキュウリ丸ごとかじてってたら笑われた

自席で1人、できるだけ音を立てないようにして食べてるんだけど、バレてるんだな

「美味しいですか?」じゃないんだよ

美味しいよ

切るの面倒だし、塩さえあれば食えるから楽なんだよ

ちなみにトマトも丸ごと持ってきてる

もらったお土産まんじゅうもある

なんかデスクお盆お供え物みたいになってる

もうすぐ夏か

2023-06-15

猫の一周忌がくる

なんか寝れないから吐き出し。

本当は良くないの知ってたんだけど、元野良猫なのもあり好き勝手外に出れるようにしてた(避妊済み)

私のことを子供と思ってるのか、夜に学校から帰ってくると必ず家の前で待ってた。

何時だろうが必ず迎えにきた。

近づくと玄関まで誘導してくれるんだけど、止まったり隠れたりすると「ちゃんとついてこい」と言わんばかりに戻ってきて、私が動き出すまでじっとこちらを見てた。

名前を呼ぶと絶対返事をするし、離れていても様子を見にきてくれた。会話のできる猫だった。

尻尾が短くて不器用で、なぜか人のコップで水を飲むのが大好き。でも飲むの下手くそなのでまわりびしょびしょにした。ご飯食べるの遅くて、弟分の猫にとられてた。喧嘩弱いのに私が外にいると偉そうに野良猫の前を歩いた。なんなら自分から煽りに行くイキリ野郎だった。年をとってもなお紐で遊ぶのが好きだった。腹がいつも禿げてて、病院に行ったけど治らず原因不明だった。お腹が弱い子だったのかもしれない。

去年の今頃、すでに私は家を出ていたが、家の大掃除をするとのことで久しぶりに家に帰った。といっても隣の県でよく帰ってるので1ヶ月ぶりという感じ。

実家に着くと猫が風呂場の水を飲ませろとずっと大きな鳴くようになったと家族に言われた。本当にすごい大きな声だった。

もともと流水が好きで、お風呂場の蛇口の味を覚えたか…と思った。大きな声なのは祖父母が耳が遠くなっていて、普通にないても気づかれないからだろうと思った。それで、なき癖について調べたら要求に応えるとさら悪化すると書いてあったので、大声で泣き出したらお風呂場に入れて水あげてたけどやめようと家族と話をした。いつもの飲み水あるし。その日は大型家具を一掃して家に帰った。

その次の日にご飯を食べなくなったらしく、その翌日に実家から電話が来た。様子を見てたが全然ご飯を食べないしずっと寝てて反応が薄いと。明日の朝病院に行くと。すでに16歳なので、無理に病院には行かないと言われた。天命に任せると言われた。

色々思うところはあったが確かに最近はよろよろで老衰と言われても不思議はなかった。明日の朝1番に連れて行ってくれると言われたので判断は任せた。そのまま明け方に亡くなった。「一瞬おかしなっちゃって、その後動かなくなった」と言っていた。死ぬ前の痙攣のことだと思った。それでも朝病院に連れて行ってくれて、老衰だと診断された。

その日、私は朝から入院してる家族病院先生の話を聞かないといけなくて。始発で行くべきかなとおもったけど、朝病院連れて行ってくれるなら昼過ぎでも大丈夫かなと思ってて。病院の最寄りに着いた時に電話がきて、病院に着いた時はまだ暖かかったけどダメだったと言われた。

あの時、お風呂場の水を飲みたいと言ってたのは、ワガママじゃなくて本当に喉が乾いてたんだと思った。好きなだけ飲ませてあげればよかった。しか大掃除で大きな環境の変化もあったか寿命を早めてしまったんだと思った。

次の日に火葬にすることになり、一晩一緒に過ごした。最後からお供え用のいい刺身を買ったらおばあちゃんがほぼ食べたのを見てマジで殴ろうかと思った。全部猫のやつに決まってんだろ。でも、おばあちゃんはその頃には愛猫を失った可哀想な私モードで、会話にならんかったので諦めた。ていうか、家に着いて猫を抱いて泣いてる私の横で「病院火葬手配をしてくれた。この病院はい病院で、私はこんな世話をした。私もピンピンコロリ死にたい、死に際を教えられた」という話を15回くらいはしてたし、最終的に火葬の手配なんて1ミリもされてないしで発狂しそうだった。猫の刺身も「いい刺身が食える」程度にしか思ってなさそうだった。家を出て猫の世話を一任してた身としてはあまり文句をつけないつもりだが、刺身の件だけは一生許さないと思ってる。

火葬用の段ボールに大好きな麻紐と手紙ご飯を入れて送り出した。入院中の家族退院したときに何もないのは辛いかと思い、共同墓地に入れずに骨を返してもらった。ちなみに、入院中の家族不安にさせないために猫の死は言うなと言ってたが速攻でおばあちゃんバラした。速攻で私に言い訳電話してきたのでボケてんのかボケてないのかわからなかった。正直言っちゃうだろうと思ってたが1週間も持たなくて草だった。

後半おばあちゃん愚痴だったんだけども。

今週で猫の一周忌を迎えるので、これを機に骨壷の片付けをしようと思う。ペット用共同墓地は行きづらいので、骨を少しだけもらって、亡くなったペットの骨を入れる用のペンダントかに入れたいと思う。

2023-06-03

犬が亡くなった日の日記

家族として暮らしていた柴犬が死んだ。

17歳と8ヶ月の犬生は大往生と言えると思う。

一昨日に体調を崩して、昨日は少し持ち直した。

今朝、母に抱かれて外の空気を吸い、多分そのまま旅立ったのだと思う。

家に戻ってきて様子を見たらもう呼吸も心臓も止まっていたらしい。

私は実家から1時間弱の場所暮らしていて、弟から死んじゃったみたい、と連絡を受けた。

本当は昨晩実家に帰るつもりだった。大雨で帰るのは今日に延期した。

犬と最後にふれあったのはゴールデンウィークが明ける前の土曜日だった。

犬は1年前くらいから歩くのが下手になり、半年はひとりで立ち上がることもできない状態だった。

でも噛む力だけは衰えず、老衰で力加減を忘れた分、若いときよりずっと危険だと家族と笑いあった。

いつだかシルバーバングルに不意に噛み付いて、傷を付けていた。

外につれていくと歩こうと前脚を動かすので、四足歩行体制になるように支えて歩かせた。

人間の方がよほど疲れると母と笑いあった。

犬は数年前に腫瘍が見つかっていて、視覚嗅覚は衰えていた。

それでも老犬なりに動けないなりに、それなりに元気な老後だったと思う。

とにかく牛乳が好きな犬だった。

犬に牛乳はあまりよくないというのを知った頃には牛乳が大好きな犬になっていた。

老いからは犬用の粉ミルクに切り替えていたけれど、それまで我が家冷蔵庫牛乳を消費しているのはほぼ犬だった。

煮干しの頭が嫌いだった。

頭だけ器用に残して食べていたので、一時期我が家リビングには煮干しの頭が転がっていた。

鮎を貰って大喜びしていた。

近所のおじさんに冷凍した小さな鮎をよく貰って、人間より良いものを食べているなと笑った。

さつま芋が好きだった。

人間食べ物にあまり興味を示さなかったが、焼き芋干し芋だけは盛んにアピールをして食べていた。

抱っこが嫌いだった。

抱き上げると器用に身をよじり、脱出する様子はうなぎのようだった。

個人主義者だった、と思う。

我が家人間はそれぞれ好きなことを自分のスペースでやるタイプで、犬もそんな感じだった。

好きにしていて、人間が集まったタイミングで犬も参加してきた。

甘噛が直らなかった。

さなかった。塩対応の犬だったが、人間帰宅した時は甘噛で出迎えた。それがうれしかった。

お手とおかわりと両手タッチと待てはできた。伏せはおぼえなかった。

テレビの前の机の下が定位置だった。

老いからはよく母の後をついてまわっていた。

目がよく見えなくなったとき家中の隙間や椅子に挟まって助けを呼んでいた。

風呂場や台所玄関で寝こけていた。

夏の暑い日は、縁側の下に潜り込んで寝ていた。

雷や花火の音に怯えて家中をウロウロしていた。

シャンプー大嫌いで普段はあまり鳴かないのに大鳴きしていた。

よく額の毛に指を突っ込まれて穴模様を作られていた。

ブラッシングも嫌いで特に後ろ脚はよく怒っていた。

換毛期に顔に謎の模様が浮き上がることがあった。

はっきり模様が出たときは、近所の住民にこどものイタズラでペンで書いたものだと思われていたらしい。

キツネみたいな顔だった。

たまに顔がまんまるになっていた。

濃茶色の毛並みなのに、背中は焦げたみたいに毛の先端が黒かった。

しっぽの先端も黒かった。

額と耳の、濃茶色の短い毛がいちばんやわらかくてふわふわの毛並みだった。

から腹は白い長めの毛で、綿花みたいだった。

散歩に行くとたまに雑草をかじっていた。

犬に会うと尻の匂いを嗅ぎに行くのに嗅がれるのは嫌がって飛び退いていた。

犬よりも人間のほうが好きみたいだった。

亀に恐る恐るちょっかいを出し、猫には負けていたがよく猫を探していた。

そういえば散歩中、我が家の犬と同名の犬に会ったのを思い出した。

黒と茶色マーブルの同じくらいの体格の犬。まだ元気かな。

歩くのが下手になってからはよく側溝に落ちかけていた。

散歩で遠くまで歩けなくなっても、家の周りのパトロールは入念に行っていた。

近所の仲の良かった犬たちの中では最も長生きをした。

しばらく前に亡くなったボクサー犬の飼い主が、お供えと言っておやつを持ってきてくれた。

祖父祖母も顔を見に来てくれていた。

今日は犬の思い出を探して、家族みんな写真グループラインで共有していた。

古いカメラ携帯を引っ張り出してデータサルベージしては、思い出を語り合った。

家族は、午前のうちに気持ちを整理したようだった。さっぱりと涙を流して、

写真を見て笑い合って、腐敗を遅らせるために保冷剤を添えた犬に声を掛け、やっぱりたまに泣いた。

今、リビングに安置されている犬のそばにいるのではなく、日記を書いているのは、

犬がまだこの家にいるうちに自分記憶を書き出さないと駄目な気がしたからだ。

犬は明日には灰なって、もうこの家には帰ってこない。

冷たい犬の額を撫でるたび、その事実が脳に布を掛けるような涙になる。

私は犬のいる家が好きだった。

母と父がリビングで寛いでいて、二人の弟はそれぞれの部屋で遊んでいて、たまに降りてきて会話を交わす。

そして犬は定位置か母の近くで寝ていて、起きたときには、チャカチャカとフローリングを爪ではじく軽快な音を響かせる。

この光景永遠になれと願った。この家族の揃った家が私の永遠だった。

もう犬の魂はこの家を離れて、明日には身体も無くなってしまう。

今朝、犬は母に連れられて雨上がりの空気を吸い、少し地面に触れて、再び母に抱えられた。

そうして自分の足が動くことに気が付いて、母の腕を離れ、軽快に力いっぱい走って、虹の橋を渡っていったのだと夢想する。

自由に走ることができて大喜びだっただろう。遊びに誘うような笑顔で振り向いてくれただろうか。

犬の友達は向こうにいるし、もとよりひとりでいても困らない性格から心配はいらない。

不自由な肉体から解放された犬を明るい顔で見送る家族

私も、この別れは限りなく良いかたちだと思っている。

それでも私は、もっとこの家にいてほしかった。ずっといてほしかった。

家族はもう気持ちを整理できたようだった。水をさしたくないので、

この日記を書きながらひとり部屋で泣いている。私の永遠が終わってしまった。

ずっといてほしかった。ずっと5人と1匹の家族でいたかった。

別れたくないのに引き留められる場所にはもういない。いたって私には手段がない。

納得しているのに受け入れがたい。

去らないでほしい。ずっとリビングにいて、家族みんなに呼びかけられていてほしい。

犬が夜鳴きして、私ひとりが起きてきた夜のことを思い出す。

ずっと記憶にある思い出。

玄関腰掛けふたりで月を見た夜。

あの月を見たときは、犬と会話ができていたような気がしている。

意思の疎通ではなくて、おもいをひとつにするとか、そういう感じの。

もういない。

2023-05-18

天才数学者の墓とか銅像スマホお供えしたら頭良くしてくれそう

スマホに令和最新版最終定理を残してくれるかもしれない

2023-04-18

人生の転機を迎えた俺が辿った自己探求の旅

ある日、俺は海辺で老人に出会い不思議洞窟に連れて行ってもらった。洞窟の中には、輝く宝石や貴重な宝物がたくさんあった。

しかし、宝物を手に入れるためには、海神様にお供え物をする必要があると教えられた。俺は老人の助言を受け、鯨に乗って海の奥深くまで進んでいった。

鯨に乗りながら、透き通る海水やきらめく魚たちを見ながら、不思議感覚を味わっていた。そして、俺たちはついに海神様のいる場所に到着した。俺は、鯨を降り、海神様にお供え物をしました。すると、海神様は俺たちに宝物を授けてくれた。

宝物を手に入れた俺は、それを売却して大金を手に入れ、自由時間を更に楽しむことができた。しかし、そのお金で遊んでいるうちに、自分が何をしたいのか、何を求めているのか、見失ってしまった。

そんな時、宝物の力で時空を超えた海底神殿に辿り着いた俺は、偉大な先人たちが残した賢者言葉出会い自分自身の本当の価値を見つけることができた。

その後、俺は自分のやりたいことに真剣に向き合い、多くの困難を乗り越えながらも、自分自身を成長させることができた。そして、俺は老人に感謝しながら、またどこかに冒険に出かけることを夢見ている。




ChatGPTに吐かせた物語。さて、ベースとなっている昔話は何?

2023-02-08

自動車会社が車をお供えしている場合

神様仏様が運転しはっているのかもしれない

2023-01-01

子が亡くなり 仏壇を買った

当方30歳前後

子供が亡くなった。病気を持って生まれてきて、一生懸命治療をしていたが亡くなってしまった。もうすぐ1歳だったが その一生涯を病院で過ごしたため生きているうちに家に連れて行くことは出来なかったし、それどころか呼吸器をつけていたため抱っこすら出来なかった。それでも急変だったから、心の準備なんて出来ていなかった。

第一子。自分たちの両親にとっては初孫妊娠中 たくさんの人たちが御札やお守りも買って子が元気に生まれてくるように祈ってくれた。だが生まれた子は難病。闘病中だって 良くなって退院できることをたくさん祈ったけど、亡くなってしまった。

神も仏もいない。人並みに真っ当に生きてきたよ。なのにこの仕打ち絶対神なんていないだろ。

というのが 子が亡くなってからスタンス

元々信じている教えも宗教もないしね。

死んだら基本的に無である そんな気がしている。

子が亡くなった次の日の、配偶者は居ても立っても居られなくて、仏壇屋に行って資料をもらってきた。確かに私達は親としてしてあげられたことってほとんどなかったし、何かしてあげたいっていうのはあるよね。

自分子供を想うスペースは必要と思ったけど、別に仏壇って形である必要はないと思ってた。けど配偶者仏壇がいいって言うから、話し合いの末 仏壇を購入した。

仏壇を買ったりして思ったけど、一般的な死後の考え方があまり受け入れられないなって。

仏壇の1番上 奥には仏様をおいてその下には位牌。位牌には亡くなった人の魂が入る。一段上の仏様が亡くなった人を導いてくれる。

→死んでからも誰かから指導されたりするの?

チーンとならすおりんは極楽浄土まで音が届く。

→届くか?

死者は香りを食べる。だからお線香をあげて手を合わせる。ご飯お供えする。

香り届くか?

あの世で7日ごとに極楽浄土に行けるかどうかの裁判があり、49日はその最後裁判

→現世的すぎない?

おりんをならす行為 お線香をあげる行為子供に心の中で語りかけたりするから、すべてが無駄だとは思わないけど なんか都合が良すぎないか?とは思ってしまう。

49日に至っては、子は赤ちゃんなのに裁判にかけられるなんて酷すぎないかと思ってちょっと嫌な感じするし。人の子勝手に裁くな。

小さい頃から仏壇がある家で育った配偶者と、仏壇に馴染みのない自分と、仏壇に関する考え方が違いすぎて、どれにするか どのものを置くか まとまるまで少し言い争う事もあった。

私は 赤ちゃんの子供に厳かすぎる仏壇にしてしまうと、子が遠いものに感じてしまうような気がしていたため 何か子の象徴のような形にしたかった。配偶者ちゃんとした仏壇にして子を弔いたいと言う気持ちがあった。


まあお互い言っている事はわかる。

相互妥協してちゃんとした仏壇にポップ目(ピンク色の仏具 パンケーキの香喰等)な仏具を置くことでまとまった。仏様は置かず 位牌も置かない。100センチ程の仏壇の上にはぬいぐるみを並べた。

だがおりんは置きお線香もあげられる。子を想い手を合わせる場所にした。お骨は仏壇に置いた。お骨は 夫婦生き残ったほうが先に死んだ方の骨と一緒に子のお骨も処理する とした。

私は今の形である程度納得している。配偶者もそうであってほしい。


亡くなったのが赤ちゃんだったか一般的感覚とは少し違うのかもしれないけど、死んだら現世の煩わしさとか辛さ痛さからは 「無」だから何もしなくても開放されると思ってる。でも仏壇は親側の気持ちの行き場所 何もしてあげられなかったから誠意 手を合わせたいみたいな部分で意義があって買って良かったと思う。

けど、一つ一つのもの 事に対してはこじつけだしご都合主義過ぎないかちょっと思っちゃったな。

仏壇に仏様置かないと導いてくれる存在がいなくて良くないって仏壇屋さんには言われてそれってどうなのって思ったし、それって仏様買わないことに対する脅しみたいなもんじゃんって。

納骨は子のためにした方がいいっていう親族もいた。

わかるよ。わかるけどね。

死や死後に対する考え方は人それぞれだと思う。正解なんて誰も知らないし ないのかもしれない。

夫婦という二人の間だけでもそれなりに揉めたのに、親が亡くなり、その子供が何人もいてその配偶者が絡んできてなんて場合、多くの人の考え方があって 墓や仏壇一つ買うのもすごい大変なんだろうなって思った。

2022-11-22

anond:20221120112217

草太は伝承を正しく受け継げていないので要石を単なる封印の道具とみなしていて全然敬意をいだいていない。

それが原因で封印がゆらいでいる。

それが初期状態

これについては、一切の描写がない

まるで提示された自明の前提のように書いているが

しwらwなwいwよw

って感じ



なのですずめがさわっただけで要石はぬけてしまう。

後半の常世でのシーンでもわかるとおり、ほんらい要石は人の力で抜こうと思ってもぬけるものではない。

それがあっさりぬける。

自由になった神は痩せ衰えた姿で彼女の家を訪れる。

そこでの敷居をまたぐ誘いとお供え物、とどめに「うちの子になる?」というすずめの言葉

これにいたく感動し再び力を得たダイジンは、彼女を新たな巫女として戸締まりを続けることにする。

要石? それはこの無礼な前任者をあてればいい。

後半抜けないという事実から、前半の理由を推測することは可能ではあるが

普通に考えれば、単に力が弱まっていた程度に落ち着くだろう

お供え物で契約だ」に至っては、普通であれば妄想の域

仄めかしにしても何にしても、伝えたい事があるのなら、伝わるように描け



しかしすずめは「うちの子になる?」といった言葉も忘れ、草太を失った悲しみでダイジンも拒絶する。

再び痩せ衰えるダイジン

それを見ていたサダイジンは、怒って「養い親に拒絶された子供気持ちを味わってみろ」と環をあやつって黒い本音を言わせたりもする。

「環をあやつって黒い本音」あたりもブレブレでさ

環の内面ほとんど描写されないのに

いやむしろ、良い叔母としてしか描かれていないのに

あそこで唐突に「言わされる」わけさ

普通だったら、気持ちが弱ったところにそれを幻視させられて、鈴芽が拒絶するところを

環が愛情で解きほぐすとかそんな流れにしない?

でも、鈴芽はそれにダメージを受けるでもなく、何もかんも放り投げて元鞘

描きたかったのは

震災

震災孤児

震災孤児と引取り手との確執

みたいなもんだと思うんだよ

でも、①と②は鈴芽が母親を亡くした喪失感ほとんど見せないのと、地震への恐怖を全く見せないので、単に設定に書いてあるだけのものになってしまっている

そして、③についても、環が善性の典型的な良い大人として描かれるため、全く予兆を見出せない

普通は、良い格好し過ぎているとかで、内面の闇を感じさせるものだが、それをしていない

んで、サダイジンの暗躍で、あの本音とやらが上っ面だけの寒いものになってしまっている

ただただ下手くそ

2022-11-20

anond:20221119161631

>すまん!今まで要石やってくれとったダイジン、サダイジン!またやってくれ!

了解!!

>おわり。

>は?

えー。この物語はいくつもストーリーラインがあるが、その一つが神からの拒絶と再契約。それが全然読み取れてないな。

神は人からの敬意と信仰をもって力となす。が、草太は伝承を正しく受け継げていないので要石を単なる封印の道具とみなしていて全然敬意をいだいていない。それが原因で封印がゆらいでいる。それが初期状態

なのですずめがさわっただけで要石はぬけてしまう。後半の常世でのシーンでもわかるとおり、ほんらい要石は人の力で抜こうと思ってもぬけるものではない。それがあっさりぬける。自由になった神は痩せ衰えた姿で彼女の家を訪れる。そこでの敷居をまたぐ誘いとお供え物、とどめに「うちの子になる?」というすずめの言葉。これにいたく感動し再び力を得たダイジンは、彼女を新たな巫女として戸締まりを続けることにする。要石? それはこの無礼な前任者をあてればいい。

しかしすずめは「うちの子になる?」といった言葉も忘れ、草太を失った悲しみでダイジンも拒絶する。再び痩せ衰えるダイジン。それを見ていたサダイジンは、怒って「養い親に拒絶された子供気持ちを味わってみろ」と環をあやつって黒い本音を言わせたりもする。

その拒絶関係にある神との関係を修復したのは「私が要石になるよ」の一言。自らの身を御供として差し出すすずめの心をみて、ダイジンは再び要石になる。自らいちど要石になりその気持ちを知った草太の「お頼み申し上げます」には、物語の当初にはない真摯さがあった。故に二匹の猫は要石にもどったのだ。

物語以降の二人は、いままでと違った意味で要石に思いを寄せることとなるであろう。それが神との再契約だ。

2022-10-06

僕は、互いに観察しあうロナルド・レーガンを横目に見ながら、田んぼの稲の間を縫うように歩いて行った

買えるタチヤあいがもたちが足にまとわりついてくる

ぼくたちはなかまだもんげ

みんな生きているんだ

鉄の女がこっちを見ている

幼馴染のさっちゃん

いつもぼくのバナナを食べてもらっていた

そんな彼女もも大人になって遠くに行ってしまった

今目の前にいる彼女はすでに殊勝な当時の姿ではない

アルゼンチン代表の彼と飛行機に乗って行ってしまった

ぼくはいまだにウォータースライダーの中を滑り降りているというのに

途中で着替えることもできずに

何を目指してこれから生きていけばいいのだろう

タガメプールに浮いている

いやタイコウチだった

もう肌寒いのになぜプールに入らなければいけないのか

牛が鳴いている

自分で体をかけるようにブラシが牛舎のはしっこにくっつけてある

ラジオがながれている

牛はラジオを解するのだろうか

近寄ってじっとみる

隣には墓地がある

無縁仏雑然と並んでいる

誰がお供えをしているのだろう

道を挟んで向かいを降りていけばそこは海だ

向こうに見えるのは島なのか大陸なのか

シベリアはもう遠くに行ってしまって二度と戻れない

きっと僕は二度と許されることはない

ユースケ・サンタマリアマグノリアトムクルーズトムとジェリーメリーに首ったけ

サンは俺には救えない

モロのあそこをモロに見てしまたか

神々しい

光の中に沈む

さようなら

さようなら

さようなら

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