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はてなキーワード: 住吉神社とは

2022-06-29

[] そのさんびゃくよんじゅうさん

フゥルグルーッス

 

今日佃煮の日ですって

あと聖ペテロ聖パウロ祝日ですって

佃煮って佃島ってところで生まれたか佃煮なんですねぇ

聖ペテロ聖パウロ祝日とはあります殉教した正確な日はわかっていないようです。

佃島にある住吉神社創建されたのが正保3年の6月29日だったのでそこに因んでいるらしいです。

ユリウス暦使用する正教会では7月12日が聖ペトロ祝日みたいです。

 

つの話を一度にバラバラにして話すと話がどこかに行っちゃいますね。

ちゃんと順序立てて説明しましょう。

 

ということで本日は【わかりやす説明いか】でいきたいと思います

わかりやす説明いか!わかりやす説明ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-06-17

anond:20220616175653

伊勢町伊勢神宮系の神社がある

住吉町住吉神社系の神社がある

諏訪町諏訪大社系の神社がある

寺町←寺がいっぱいある

本郷町最初に切り開かれた中心街

元町←中心が移される前の元々の街

本町←中心の町

新町←中心から近めの新しく作られた街

片町←片隅の街、夜の街の隠語

丸の内町堀の内側の街

鍛冶町鍛冶屋がある

紺屋町←染物屋がある

2022-06-16

anond:20220616175653

二日市五日市(毎月2日、5日に市場が開かれたから)

橋本(橋の本なんだろう)

住吉住吉神社由来)

天神天満宮由来。本拠大阪)北九福岡久留米

2022-02-17

anond:20220217151100

住吉会すみよしかい)(東京都港区赤坂に総本部を置く博徒指定暴力団)とは関係ない。

住吉神社に由来する地名



福岡県内の指定暴力団 は· 1 五代工藤會 · 2 道仁会 · 3 太州会 · 4 四代目福博会 · 5 浪川会


どれも田川とか飯塚とか北九州の方。

2021-11-05

anond:20211105065144

それで阿波岐原の住吉神社の筒男三神は、矢筒や弓の造神だと思うよ(神田の葦で作るとか)

でも御用学者はなんでかそのあたり言わない

もっと日に当たろうぜ

2021-10-25

邪馬台国真実

邪馬台国には7万の家があったとされているから、その場所には諸説ある

ひとまず邪馬台国亡きあとに、大分宮崎範囲にあった豊日別(トヨヒワケ)は、十分な広さがあるので、ここだと仮定する

 

トヨヒワケ南部日向(ヒムカイ、ヒムカ)だが、ヒミコの名に似ている

北部大分(オオワケ)は貿易港が発達しており海神貴船神社住吉神社が多い

まり邪馬台国ヒミコは、ヒムカイの祖母山天皇祖母の山)あたりを本貫として、オオワケの海で貿易漁業をしていたと思われる(玄界灘の伊都国も栄えていたが)

魏人は、伊都国からオオワケの別府(別の府)に着いて、おそらく温泉や船を試していたために、ヒムカイに至るまで「水行10日陸行1月」になってしまったので、距離ではなく日数だけ書いたんだ

そしてヒミコのヒムカイの部族は、鹿児島のハヤト(隼人)のように、ヤマト山人)と呼ばれていたはず 

それで飛鳥遷都したとき政権ヤマト朝廷と呼ばれた

一方、ヤマト漢字は、大分をもじって「大和」にした

2021-10-24

むかし、「ツツ ノオ」3神が、神功皇后新羅征伐を勧めたという話がある

住吉神社で「海神」とされている「筒男」3神のことだ

ちょっと意味が分からないのは、貴船神社海神を祀っているのに、住吉神社海神を祀っていることだ

 

思うに、たしかに筒はツツと読むのだが、住吉は「墨江」とも書かれていたらしく、墨といえば文書

すると文章を書きしるすとか、一つにまとめるという意味で 綴(ツヅ)るという言葉がある

古代は、字は木簡などに墨で綴られ、木簡は紐で板状に綴られたりもした

綴った木簡丸めれば、筒(ツツ)にもできるわけだ

そういう「綴り」があれば貿易や、他の国への上陸にも便利だ

 

から住吉神社の3人のツツノオの筒(ツツ) → 綴り(ツヅリ) ではないか

木簡のツヅリの技術の神、ツヅリ部民の神ではないか

「綴」はどうしてか、三国志にも出るし日本でもツヅルと呼んでいただろうに、古事記には出てこない漢字なのだ

古事記当時には、紙技術があった(技術者を連れてきていた)からだろうか

何をかいわんや

2017-12-27

満員電車って単語

満員電車」って単語を見ると、なぜか故郷阪堺電車を思い出す。

あの路線が満員になるってちょっとあり得ないんだけど、なぜかあの電車が頭の中に浮かんでくる。

住吉神社参りぐらいしかそんな場面はないと思うんだけどな。

そういや「神と和解せよ」系の看板を初めて見たのもあの辺りだった。

2010-12-27

佃渡しで 吉本隆明

佃渡しで娘がいつた

〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉

そんなことはない みてみな

繋がれた河蒸気のとものところに

芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう

ずつと昔からそうだつた

〈これからは娘に聴えぬ胸のなかでいう〉

水は黒玄(くろ)くてあまり流れない 氷雨の空の下で

おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるし

この河の入りくんだ掘割のあいだに

ひとつの街がありそこで住んでいた

はまだ生きていてそれをとりに行つた

そして沼泥に足をふみこんで泳いだ

 

佃渡しで娘がいつた

〈あの鳥はなに?〉

かもめだよ〉

〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉

あれは鳶だろう

むかしもそれはい

流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)を

ついばむためにかもめの仲間で舞つていた

〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉

水に囲まれた生活というのは

いつでもちよつとした砦のような感じで

夢のなかで掘割はいつもあらわれる

橋という橋は何のためにあつたか

少年が欄干に手をかけ身をのりだして

悲しみがあれば流すためにあつた

 

〈あれが住吉神社

祭りをやるところだ

あれが小学校 ちいさいだろう〉

これからさきは娘に云えぬ

昔の街はちいさくみえる

掌のひらの感情頭脳生命の線のあいだの窪みにはいつて

しまうように

すべての距離がちいさくみえる

すべての思想とおなじように

あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる

わたしが生きてきた道を

娘の手をとり いま氷雨にぬれながら

いつさんに通りすぎる

 
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