はてなキーワード: ポッカリとは
やぁ、久しぶりだね。
順調にサ終、消滅へのカウントダウンを続け、シャニマスやら他のコンテンツに逃亡を続けてるクソ声豚諸君も、荒れに荒れてるが結果(売り上げ)はきっちり残してるデレステを叩いて現実逃避をしている自称ミリシタぺー諸君も元気してるかい?
田中琴葉Pだよ。
時代も令和に入り、いよいよミリシタサ終も現実味を帯びてきた。
いや、呪い続けてやるとは言っていたけどまさか本気でヤバイとは思わなかった、びっくりだねーww
やる事なす事全肯定してくれるミリシタ信者に調子こいて種田梨沙推し声豚を筆頭に頑張ってエグいガチャやイベントで搾り取ろうとしてみたけど金を出すことを知らない声豚の財布はついに開かなかったということで…www
まぁそんな事はいいんだ。
今日はな、そんな死にかけクソコンテンツでアイマスのお荷物ミリオンライブがグリマス時代にやらかした「田中琴葉の件」の真実を改めて日の元にさらしてミリオンライブがいかに運営も寄生してるオタクどもも気持ち悪いかを、アイマスペーはもちろん、その他のオタクにも触れてもらう事でミリオンライブは消えて然るべき、触れてはいけないオワコンである事を知らしめたいと思う。
まぁ私怨である事を否定はしないが、二次元コンテンツ、Vtuberなどにも繋がる問題であり、この事案を提示する事には一定の意味と価値があると考える。
まず、田中琴葉の件の概要を説明する前に声を大にして伝えておきたい。
ミリオンライブはとにもかくにも声優が命であり、声優の追っかけをしている声豚から金を搾り取るためにあると言っても過言ではない。
39プロジェクトだかなんだか知らんが、ミリオンライブに登場するアイドルはAS以外は全て声優を担ぐための神輿、いや、踏み台レベルかも知れない。
とにかく声優の都合で性格がブレブレ、キャラ崩壊など日常茶飯事、声優のためならなんとでもなる、最悪いなくてもいい存在としてしか見ていない。
あからさまな声優事務所の力関係が反映されたキャラクターの選抜、出番、セリフ、役回り、AS中心の物語を作るためのほぼ別人レベルのキャラ崩壊(可奈と志保は特に酷かった)
765の後輩という設定が完全に裏目に出ている。
そうでなくてもキャラクターの出番の格差や、キャラの作り込みの甘さ、ゲーム自体のつまらなさは同期のシンデレラガールズと比べても酷い物であり、声優ありきで作っているとしか思えない場面が多々あった。
最近のミリシタも口述する種田梨沙や新キャラ二人のためにイベントもガチャも回っており、三人をねじ込むために散々根回しやゴリ押しがされてきた。
シンデレラガールズの1/4程度の52人しかキャラクターがいないにもかかわらず、声優の人気に応じて露骨に出番に差があり、実質その人気キャラ十数名以外はモブと大差ない。にも関わらずミリシタ信者は都合のいい数字を持ち出して「デレステに比べれば平等!」と呪文のように唱え続ける。
ライブに足を運べば害悪、厄介、キチガイの声豚ばかり。誰もキャラクターに興味などなく、ペー独自の文化としてキャラグッズを身につけているが口を開けば出てくるのは声優の話ばかり。
ライブでもキャラ名ではなく声優名を呼んでクソコールやオタ芸で悦に浸る者がほとんどだ。
(アイマスPはどこにでも湧いてくる上に自分たちに都合の悪いことは隠蔽したり声高に叩く傾向にあるが「アイマス ライブ 厄介」で検索してみてほしい。某スクールアイドルのファンの方がよっぽどまともに見える行為がぼろぼろ出てくる)
そしてこうした事実を口に出すオタクを身内に見つけると彼らはあの手この手で排除しにかかる。某「外圧」でお馴染みの極悪ソシャゲもびっくりの新興宗教である。
そんな奴らが「田中琴葉」に何をしたか、これから話していこう。
きっかけは2016年9月1日、担当声優である種田梨沙が謎の病気により、活動休止を発表したことに始まる。
種田梨沙が参加していた他のコンテンツが次々に同氏の降板、代役の起用を発表する中、アイドルマスターは「種田梨沙の復帰を待つ。」という決断を下した。
当時私は愚かにも英断だと感じてしまった。琴葉の声を演じられるのは種田さんしかいない、いつかまた声が聞けることを信じてその日を静かに待とう、そう考えていた。
The@ter Activitiesの投票で決まっていた「普通の子」役を降板して可奈に譲ったことを皮切りに、運営は極力琴葉の話題を避け始めた。
ラジオや各種広告ではもちろん、本家ゲームのイベントでも琴葉に対する言及が減ったどころか、カードにも登場する機会が減り始めた。
私はいささか疑問だった。声優さんの事情と琴葉は全く関係ないのに、声優さんがいなかろうが、声が変わろうがミリオンライブの世界観に全く関係ない。なぜそんな雰囲気になるのか。
漠然と疑問を持っていたが、それを口にすることはできなかった。
それを口にしてはいけない雰囲気が既にペー共の間で確立されていたからだ。
コンテンツ内の掲示板のようなところでこの雰囲気に耐えきれず、次のライブまでに新しい声優を立ててもらおうと声を上げた者がいた。
しかし、声豚どもはその案を「運営の意志に従う」事を理由に袋叩きにして叩き潰し、黙らせた。
(その「運営の意志」の真意がいかなるものであったかは口述する)
そして迎えた4thライブ、ミリオンスターズにおいて最大の目標であり、ひとつの終着点、武道館でのライブ、その3日目。
私は現地で参戦した。人生においてトップ3に入るレベルの胸糞悪い一日だった。
現地における名刺交換、私が名刺を差し出して「琴葉担当です」と名乗ると相手は必ず「あっ.....」と言って伏し目がちになった。
そして口々にこう言った。
「残念でしたね。」
「きっと琴葉も見てくれてますよ。」
「49人での武道館ですけど、楽しみましょう」
腑が煮えくり返るとはこのことを言うのだろう。危うく怒りで前が見えなくなりそうだった。殴り倒してやりたかった。
ふざけるな、いないのは種田梨沙であって琴葉ではない。なぜ事情も知らない、知る気もない奴にそのようなことを言われなければいけない?
比喩ではない、文字通りお通夜のような雰囲気の中上記のセリフをうわごとのようにつぶやくのみだ
担当名乗っている人間が「琴葉だってここに来てます。」「俺が連れてきてるから」「奇跡はあります」その一言すら言えないのか。
お前たちが見ているのは結局種田梨沙であって琴葉ではないじゃないか。
もう最早ライブどころではなかったが、チケットの金は払ってしまった。時間になれば武道館に入場し、会場を迎えていた。
案の定、まともに楽しむことができなかった。応援なんてとてもじゃないができない。
きっと何か、琴葉もここにいるという意思表示をパフォーマンスで示してくれるはずだ。そう信じていた。
だが、その期待は最悪の形で裏切られることになった。
初日は乙女ストーム、2日目はクレッシェンドブルーのFLOODING、圧倒的エモさを爆発させていた枠だった。
流れたのは「ジレるハートに火をつけて」琴葉がセンターを務めるユニット、灼熱少女の曲だった。
琴葉以外のメンバー4人が迫真の表情で歌う中、琴葉がいるはずのセンターはポッカリと空いていて、スポットライトだけが煌々と照らされていた。
ふざけるな、ふざけるな。
ジレハじゃなくたって他にもシメを飾る曲はいくらでもあるじゃないか。他に演出の仕方はいくらでもあるじゃないか。
なぜ敢えてそれを選んだ!?なぜそれを選んだ?
なぜ敢えて琴葉の不在を強調させるような曲、演出を選んだのか。
ここで私は悟った、気づいてしまった。
運営は種田梨沙の復活を待つつもりはない、田中琴葉というアイドルをミリオンライブから消し去るつもりだったのだ。
今だからこそ言えるが、もうすでにこの時点でグリマスのサービス終了、ミリシタへの移行は確定していたと見られる。
だから運営はミリオンライブの展開についていけなくなった種田梨沙をグリマスの終了に伴って琴葉ごと切り捨てようとしていたのだ。
悪夢はなおも続いた。最後の挨拶で総合プロデューサーは「ミリオンライブは一歩一歩着実に前に進んでいきます。」という旨の発言をした。
手のひら返しというか、ダブルスタンダードというか。もう呆れて言葉も出なかった。
一歩一歩着実に前に進んでいくなら種田さんが復帰するのを待って100%の状態でリリースするのが筋ではないのか?
それとも歩みについていけない者は遠慮なく切り捨てるからついていくも降りるもお前次第だとでも言いたいのだろうか。
私はサイリウムを投げ捨て、最後のThank youを聞くことなく会場を後にした。
やってられないなんてものではない。あそこで最後のThank youのあの演出を見たところで冷める一方だったと思う。
とりあえずキャラ出しとけばお茶を濁せるとでも思ったのだろうか。
後述するが運営の対応は全てのメッセージが後手でちぐはぐ、声優種田梨沙や自分達に火の粉がかからないためのものであり、要するに自己保身だ。
田中琴葉というキャラクターや、琴葉本人を好きで追いかけてきたPやファンの気持ちをことごとく踏みにじるものだった。
いつだったか、引退したとあるPがちょうどこのブログだったか「アイマスは宗教である。」と言っていた。
まったくもってその通りである。下手すりゃ宗教よりタチが悪い。
あんなに堂々とアイドルの存在を否定しておいて、最後にちょろっとお涙ちょうだい演出をすれば大の大人が泣き喚きながら「ありがとう」「アイマス最高」と狂ったように連呼するのである。
あの演出を持って「琴葉はいた。」「4th最高だった。」と言っているペーは田中琴葉担当ではなく種田梨沙を信仰する信者であり、所詮種田梨沙しか見ていないにわか声豚である。
少し話がそれてしまった。
あのライブの後、私はあらゆる窓口でバンナムとグリーにクレームを入れた。
あれを肯定されては琴葉があまりにも浮かばれない。可哀想なんて言葉では表しきれない程に不憫だった。
だがいずれも返答が返ってきた事はなかった。
ミリシタに琴葉の存在は確認できない、グリマス終了時も琴葉のボイスだけ追加予定はなしとされた。
「田中琴葉は合流が遅れています。」などという取ってつけたような白々しい文章が踊っていた。
グリマスの方はともかく、4thの時点で3Dモデルを用意できたのならミリシタに実装するくらいわけもないはずだ。
「種田梨沙はいなくても田中琴葉はここにいる。」と主張するのなら、たとえ無言でもミリシタに琴葉のモデルだけでも実装し、メイン画面で歩き回ったり、劇場のメンバーと会話するモーションを用意することができたはずだ。
たとえ声がつかなくてもユニット曲で歌って踊る琴葉を見ていずれ戻ってくる種田梨沙に思いを馳せることができるならまだ前述の言葉にも説得力があった。
しかし、現実は劇場で琴葉の存在を確認することはできず、琴葉がここに居るという実感は皆無、そのくせTBなど中途半端なタイミングで中途半端に顔見せするから案の定ミリシタから入ったぺーは「誰?」状態だったわけだし、それどころか「こんな実装されてないキャラに参加権認めるのか」という不要なヘイトを貯めることになったわけだ。
そして、今年二月、どうも違和感のある中途半端なタイミングでようやく琴葉がミリシタに実装された。
完全に引退していたがようやく思いが届いた、これまでのことは水に流して改めてミリオンライブを始めよう。
そう呑気に思っていた私の心はすぐに打ち砕かれることになる。
あのさあ............
琴葉はずっと劇場にいたんだからお帰りもクソもねえよ!!バカか!!
ただ、本当に怖いのはここからだった。
どういったわけか、琴葉の存在がまるで悲劇のヒロインであるかのように扱われ始めたのだ。
そして運営はここぞとばかりに琴葉のことを猛プッシュし始めた。
まるで今までの遅れを取り戻すように。
思い出して欲しい、数行前の流れを
田中琴葉の存在を種田梨沙の不在を理由に否定したのはどこのどいつだ?
お前らじゃないか!!
反論があまりにも大きくて金になると嗅ぎつけたのか、復活した途端にこの扱い
信仰というのはここまでも人間を盲目にするのかともう、哀れみともつかぬ感情だけが胸を支配していた。
そして、私は本来であれは5thにも参加することなく、さっさとアイマスから足を洗うつもりだった。
でも、どういったわけか、ミリオンライブを昔布教してしまった後輩の声豚に無理やり連れられ、5th2日目を見させられた。
正直言って、まあ酷い、白々しい演出だった。
あれはミリオン5thという名の「種田梨沙お帰りライブ」だった。
白々しいセトリ、4thでは見られなかった景色を完全再現、琴葉はここにいるでしょ?完全復活したでしょ?嬉しいでしょ?ほら泣けよ
と言わんばかりのサムイ演出
それ以外は前日に徹夜で組んだのかと思えるレベルのテキトーっぷり
そんなことをするなら島原エレナにSTANDING ALIVEを歌わせてあげたほうがよっぽどよかった。
そしてそれに泣き崩れ、泣き喚くキモオタの群れを見て吐きそうになった。
もうやめてあげてくれ 田中琴葉がただただ可愛そうだ。
何もしていないのに、声を失ったから存在を否定され、忘れられ、かと思えば声優の都合で再び表舞台に引きずり出され
そして1周年迎えたら未来ちゃを差し置いてミリオンのセンターですか。
1年で4回も限定に当てられるくらいにはお金になる子だからここぞとばかりにゴリ押しですか。
なんの努力もしないでセンターに持ち上げられてしまう琴葉の表情はきっと散々なものだろう。
それで持ち上げられたが故に何も知らない別のキモオタに叩かれ、デレと比べられ、見下され.....
こんなボロボロのセンターを見てもあなたは脳死で「アイマス最高」「ありがとうミリオンライブ」と唱え続けるのだろうか。
さて、話が長くなってしまったが、ここまで読んでくれたということは私の話に少しでも賛同する意思がある人か、俺を論破したくて仕方ないクソ気持ち悪いマウント取りオタクのどちらかだろう。
もうもはやキモオタにつける薬などない、正直声豚は死んでも治らないからもう何も言うまい。
奴らは反省も後悔もしない、さも当たり前のようにコンテンツを食い潰し、飽きたらまた次のコンテンツに移動するだけだ。
まぁシンデレラガールズ然り、SideMしかり、どこに行っても声優の都合でキャラクターの扱いが決まり、荒れていない場所を探す方が難しい現状を見る限り、もはやアイマスというコンテンツそのものが声優ゴリ押しコンテンツになってしまった今、大多数のアイマスペー(笑)に何を言っても無駄なのかもしれない。
それでも俺はこの文を投稿する。
ミリシタが2周年を前にして死にそうになっている今こそ、俺はこの文章を投稿する。
もう少し、あともう少しでミリシタはくたばり、今度こそミリオンライブは死ぬ。
俺の3年越しの願いがようやく叶う。
ミリシタを、ミリオンライブを殺すのは俺一人ではできなかった。この文章を読んでバカにしてる声豚ども、ミリシタマンセーって口先だけで金を出さないキモオタども、お前ら一人一人がミリシタを殺した。俺のこの文章を妄想だとバカにしているお前らは結果的に俺の思い通りお前らが大好きな(好きなコンテンツに金も出さねえお前らの愛ってよくわかんねえけどな笑)ミリオンライブを殺してくれた。
ありがとう、そしてザマァ見ろ笑
「ちょ、ちょっと待って!? 自分も従業員ですよ。パンを盗める時間なんて無い!」
「でもアンタには、“アレ”があるだろう? ちょくちょく使ってるのを見たから知ってるんだよ」
オバチャン曰く、犯行推定時刻中は皆が目に見える場所にいたらしい。
犯人がこの中にいるにも関わらず、全員にアリバイがあるという状況。
大掛かりなトリックでも使えばアリバイは崩せるかもしれないが、パンを盗むためにそこまでやるとも思えない。
となると、もっと“手軽かつ特殊な方法”が使われたと考えるべきだろう。
そして、この従業員は『アポート』という、物体を瞬間移動させる力があった。
俺もこの従業員とは別件で関わったことがあるので、それが事実であることは知っている。
アポートをつかえば、アリバイを成立させつつパンを盗むことは可能かもしれない。
だが、この推理には一つ誤解がある。
俺は少し横槍を入れることにした。
「オバチャン、その従業員が犯人と決め付けるのは気が早いと思うよ」
「え、何でだい?」
「超能力は万能じゃないんだ……そうだろ?」
俺がそう言いながら目配せすると、従業員はバツが悪そうに説明を始めた。
「信じてもらえるかは分かりませんが……自分のアポートは『二つの非生物の位置を入れ替える』ことしかできないんです。そして、入れ替える対象は同じ大きさじゃなきゃダメだし、視界に両方収める必要もある」
そう、この従業員のアポートは、無条件に何でも移動させられるようにはなっていない。
アリバイを成立させつつ、パンを盗めるような超能力ではないんだ。
「もちろん、この従業員が全て本当のことを言っている保証はない。だけど、超能力にリミッターがあるのは確かなんだ」
「え、何それ?」
何となくそんな気はしたが、オバチャンは超能力のことは知っていても“リミッター”の概念は知らなかったようだ。
超能力は人によって性質こそ様々だが、いずれも何らかの制限がついている。
例えば弟のクラスメートにタオナケっていう超能力者がいて、そいつは裸眼で捉えた物質を破壊することができる。
ただし、そのためには数秒間、対象を睨み続ける必要があるんだ。
更には体調によって成功確率が変動し、普段はせいぜい5回に1回といったところ。
これはタオナケが超能力者としてポンコツだからではなく、身体的メカニズムとしてリミッターがかかっているからだ。
超能力はそのままだと強すぎるので、リミッターがないと人という器は耐えられないのである。
時を止めて自分だけ動くとか、人を生き返らせるといった規格外な超能力は存在し得ないのさ。
「……というわけでアポートには制約が多いので、誰にも気づかれないようパンを盗むのは常識的に考えて難しいかと」
「ええ~、ほんとにぃ~?」
「義務教育で覚える話ですよ」
「それ言われると、弱っちゃうなあ……」
「オバチャンの気のせいってことは? パンは本当に残っていなかったの?」
その後も、皆であーだこーだ言い合うが、話は平行線のまま進まない。
みんな疲弊するばかりであり、俺もこの状況にはかなり参っていた。
もちろん、俺は犯人じゃないことが確定しているから、このまま帰ってしまってもよかった。
帰りに適当な店でコッペパンを買ってもいいし、違うパンでも構わないとも思っている。
このまま何食わぬ顔で何かを食べても、表面上は腹を満たせるだろう。
だが、『食べようと思っていたものが食べられなかったという体験』が問題なんだ。
そんな心理的負荷を抱えたままレポートに取り組める図太さは俺にはない。
この事件を明らかにしない限り、俺の心にはポッカリと穴が空いたままになる。
……まあ、とどのつまりは意固地になってるだけなんだが。
俺がティーンエイジャーになって間もない頃の話だ。
「バイトでもしようと思ってるの」
母は俺たち家族にそう告げた。
「それはまた……どうして? 別に家計が苦しいわけではないだろう」
「有り体に言って、やることがないの。家事はほとんど機械がやってくれるんだもの。実質的に私がやっているのは、その補助と言ってもいいくらい」
母は専業主婦というやつで、少し前までは大忙しだった。
しかし、現代科学の賜物は母を楽にしていくと同時に、仕事に対するモチベーションも奪っていった。
そして、俺たち兄弟は成長していくと手がかからなくなり、自分で出来る範囲のことはやるようになった。
母が今までやっていたことは徐々に減っていき、自分だけの時間が大きくできたわけだ。
「子供が自立していくことは親として喜ぶべきなんでしょうけど、同時にメリハリもなくなっていくのよねえ」
しかし、そうして出来た時間は中身がなく、ポッカリと空いている状態だった。
「あなたは仕事で夜に帰ってくる。子供達は学校から帰ってきたら友達と外へ遊びに行く。キトゥンは躾ができてる上、子供達が世話するからエサをあげるくらいしかやることがない。自分の身体のメンテナンスだけで、残り時間は潰せないの」
「うーん、なるほど……だけどその空いた時間を仕事に費やさなくてもいいんじゃないか。自分だけの時間なんだから、趣味だとか、もっと有意義なことに使えば……」
「私に必要な“有意義”が、そういうものじゃないってことくらい分かってるでしょ?」
母は無趣味な人間で、やりたいこととやるべきことを直結させた人生を送ってきた。
それで充実していたし、不満もなかった。
以前、センセイがそう言っていたのを思い出す。
だけど、こうも言っていた。
『難点は、常にやるべきこと、やりたいことを追い求める人生になりやすいってところだな。やるべきことがなくなれば、やりたいこともなくなるからね』
まさに母はその体現者だったのだろう。
結局、反対する理由もなかったので、俺たちは母のやりたいようにさせた。
「うーん……丁度いい条件のがないなあ」
入り口近くに貼られた求人紙に目を通していくが、都合のいいものは中々見つからない。
「おや、マスダさん。珍しいところで出会いましたね」
声をかけてきたのはセンセイだった。
「そんなところです。とは言っても、ここに貼られているもので目ぼしいものはなさそうですね。良い条件なのは、既に持っていかれたのでしょう」
「そうなんですか……じゃあ、他のところで探した方がよさそうですね」
「後は相談窓口ですね。ここに貼られているもの以外を見繕ってくれることがあるので。それに期待しようかと」
「へえー、じゃあ私も行ってみようかしら」
母はセンセイと共に相談窓口へ向かった。
今まで全く手を掛けずにいたから、ちょっと手を掛けただけでもすぐに効果が出る。
手を掛けた分だけ、きちんと応えてくれる。
報われない片思い、評価されない仕事、ままならない人生の中で、半径30cm以内に、こんなに努力が報われる事があったのか、と。
全てを賭けて努力し続けた結果、結局叶わなかった夢。
これだけ頑張ってきたけど、向いていないことには変わらなかった。
今更婚活しようにも恋愛の仕方も分からなければ、モテたことすらない。いない歴アラフォー。
上目指そうとか思わない。
猫いるし、おひとりさまで楽しく生きていこうと思ってた。
今まで〇〇ダイエットを繰り返しては飽きて忘れてたけど、時間もエネルギーも有り余ってる今、栄養学から筋トレまできっちり勉強しながらやったらスルスル痩せた。
どんだけ今までやり方違ってたんだか。
苦しかった。
今、努力が目に見えて結果にでる。
それが嬉しいし、人生諦めかけてたけど、楽しくなった。
ミリオンライブとかいう声優ゴリ押しコンテンツと化したアイマスのお荷物
とりあえずこういうタイトルにしとけばアイマス信者は釣られてくれるよね(笑)
アイドルマスターミリオンライブが誕生して5年、後継アプリである音ゲーもどきことミリシタが実装されて早一年、アイマスP(笑)の皆さま如何お過ごしでしょうか。
ミリ5th、詩花イベ、シアターブースト(笑)など、相変わらずやらかしを重ねてまともなファンは離れ、残るはアイマス信者とクソ害悪声豚ばかりとなり、同じアイマスの系譜であるデレやMのファンから名指しで批判されるまでになり、アニメ化なんて夢のまた夢、アイマスにおける不良債権としてかつてない盛り上がり(n回目)(笑)を見せるミリオンライブ。私もついこの間まで「田中琴葉担当です(キリッ」などと薄ら寒いセリフを吐き、スマホがクラッシュすればあっという間に吹き飛ぶ画像データに何十万と金をつぎ込んで「爆死芸」だの「これが担当の意地」だのというパチンカスもびっくりなクソ浪費を繰り返してきましたが、タイトルにもあるとおり私が5年もの歳月と年収数年分の金額をつぎ込んで愛してきた「田中琴葉」というキャラクターに対する運営や声豚どもの扱いを見て現実に引き戻され、すべてのアプリを消去、グッズの類も処分しました。ぺーらしい言葉を使えば「引退」ってやつです。
そして相変わらずやらかし事案を繰り返し、開き直りを続ける運営を前にようやく目が覚めたのか昨日まで「アイマス最高!ミリオンライブはこれから!」などとほざいてた友人たちも引退し、周年イベを過ぎてミリシタに飽きた声豚たちが次の餌場を求めて移動している今、ふと思ったわけです。
「ミリシタから入ったぺーはミリオンライブをアイドルをプロデュースするゲームと本気で勘違いしている人が大半なのではないか。」
それは可哀そうだ、何も知らないでこんなところにいたらあれよあれよという間に時間も金も吸い取られてしまう。
早くミリオンライブの真実を教えて上げてもっとまともなコンテンツに逃げたほうがいいと警鐘を鳴らさなければいけない。
というわけで今回はミリオンライブが如何に(色々な意味で)ひどいものであるかをミリシタから入った人間にもわかりやすい「田中琴葉の件」を通して伝えていきたいと思う。
まず、田中琴葉の件の概要を説明する前に声を大にして伝えておきたい。
ミリオンライブはとにもかくにも声優が命であり、声優の追っかけをしている声豚から金を搾り取るためにあると言っても過言ではない。
39プロジェクトだかなんだか知らんが、ミリオンライブに登場するアイドルはAS以外は全て声優を担ぐための神輿、いや、踏み台レベルかも知れない。
とにかく声優の都合で性格がブレブレ、キャラ崩壊など日常茶飯事、声優のためならなんとでもなる、最悪いなくてもいい存在としてしか見ていない。
あからさまな声優事務所の力関係が反映されたキャラクターの選抜、出番、セリフ、役回り、AS中心の物語を作るためのほぼ別人レベルのキャラ崩壊(可奈と志保は特に酷かった)
765の後輩という設定が完全に裏目に出ている。
そうでなくてもキャラクターの出番の格差や、キャラの作り込みの甘さ、ゲーム自体のつまらなさは同期のシンデレラガールズと比べても酷い物であり、声優ありきで作っているとしか思えない場面が多々あった。
ライブに足を運べば害悪、厄介、キチガイの声豚ばかり。誰もキャラクターに興味などなく、ペー独自の文化としてキャラグッズを身につけているが口を開けば出てくるのは声優の話ばかり。
ライブでもキャラ名ではなく声優名を呼んでクソコールやオタ芸で悦に浸る者がほとんどだ。
(アイマスPはどこにでも湧いてくる上に自分たちに都合の悪いことは隠蔽したり声高に叩く傾向にあるが「アイマス ライブ 厄介」で検索してみてほしい。某スクールアイドルのファンの方がよっぽどまともに見える行為がぼろぼろ出てくる)
そんな奴らが「田中琴葉」に何をしたか、これから話していこう。
きっかけは2016年9月1日、担当声優である種田梨沙が謎の病気により、活動休止を発表したことに始まる。
種田梨沙が参加していた他のコンテンツが次々に同氏の降板、代役の起用を発表する中、アイドルマスターは「種田梨沙の復帰を待つ。」という決断を下した。
当時私は愚かにも英断だと感じてしまった。琴葉の声を演じられるのは種田さんしかいない、いつかまた声が聞けることを信じてその日を静かに待とう、そう考えていた。
The@ter Activitiesの投票で決まっていた「普通の子」役を降板して可奈に譲ったことを皮切りに、運営は極力琴葉の話題を避けるようになった。
ラジオや各種広告ではもちろん、本家ゲームのイベントでも琴葉に対する言及が減ったどころか、カードにも登場する機会が減り始めた。
私はいささか疑問だった。声優さんの事情と琴葉は全く関係ないのに、声優さんがいなかろうが、声が変わろうがミリオンライブの世界観に全く関係ない。なぜそんな雰囲気になるのか。
漠然と疑問を持っていたが、それを口にすることはできなかった。
そして迎えた4thライブ、ミリオンスターズにおいて最大の目標であり、ひとつの終着点、武道館でのライブ、その3日目。
私は現地で参戦した。人生においてトップ3に入るレベルの胸糞悪い一日だった。
現地における名刺交換、私が名刺を差し出して「琴葉担当です」と名乗ると相手は必ず「あっ.....」と言って伏し目がちになった。
そして口々にこう言った。
「残念でしたね。」
「きっと琴葉も見てくれてますよ。」
「49人での武道館ですけど、楽しみましょう」
腸が煮えくり返るとはこのことを言うのだろう。危うく怒りで前が見えなくなりそうだった。殴り倒してやりたかった。
ふざけるな、いないのは種田梨沙であって琴葉ではない。なぜ事情も知らない、知る気もない奴にそのようなことを言われなければいけない?
比喩ではない、文字通りお通夜のような雰囲気の中上記のセリフをうわごとのようにつぶやくのみだ
担当名乗っている人間が「琴葉だってここに来てます。」「俺が連れてきてるから」「奇跡はあります」その一言すら言えないのか。
お前たちが見ているのは結局種田梨沙であって琴葉ではないじゃないか。
もう最早ライブどころではなかったが、チケットの金は払ってしまった。時間になれば武道館に入場し、会場を迎えていた。
案の定、まともに楽しむことができなかった。応援なんてとてもじゃないができない。
きっと何か、琴葉もここにいるという意思表示をパフォーマンスで示してくれるはずだ。そう信じていた。
だが、その期待は最悪の形で裏切られることになった。
初日は乙女ストーム、2日目はクレッシェンドブルーのFLOODING、圧倒的エモさを爆発させていた枠だった。
流れたのは「ジレるハートに火をつけて」琴葉がセンターを務める、灼熱少女の曲だった。
琴葉以外のメンバー4人が迫真の表情で歌う中、琴葉がいるはずのセンターはポッカリと空いていて、スポットライトだけが煌々と照らされていた。
ふざけるな、ふざけるな。
ジレハじゃなくたって他にもシメを飾る曲はいくらでもあるじゃないか。他に演出の仕方はいくらでもあるじゃないか。
なぜ敢えてそれを選んだ!?なぜそれを選んだ?
なぜ敢えて琴葉の不在を強調させるような曲、演出を選んだのか。
ここで私は悟った、気づいてしまった。
運営は種田梨沙の復活を待つつもりはない、田中琴葉というアイドルをミリオンライブから消し去るつもりだったのだ。
今だからこそ言えるが、もうすでにこの時点でグリマスの終了、ミリシタへの移行は確定していたと見られる。
だから運営はミリオンライブの展開についていけなくなった種田梨沙をグリマスの終了に伴って琴葉ごと切り捨てようとしていたのだ。
悪夢はなおも続いた。最後の挨拶で総合プロデューサーは「ミリオンライブは一歩一歩着実に前に進んでいきます。」という旨の発言をした。
手のひら返しというか、ダブルスタンダードというか。もう呆れて言葉も出なかった。
一歩一歩着実に前に進んでいくなら種田さんが復帰するのを待って100%の状態でリリースするのが筋ではないのか?
それとも歩みについていけない者は遠慮なく切り捨てるからついていくも降りるもお前次第だとでも言いたいのだろうか。
私はサイリウムを投げ捨て、最後のThank youを聞くことなく会場を後にした。
やってられないなんてものではない。あそこで最後のThank youのあの演出を見たところで冷める一方だったと思う。
とりあえずキャラ出しとけばお茶を濁せるとでも思ったのだろうか。
後述するが運営の対応は全てのメッセージが後手でちぐはぐ、声優種田梨沙や自分達に火の粉がかからないためのものであり、要するに自己保身だ。
田中琴葉というキャラクターや、琴葉本人を好きで追いかけてきたPやファンの気持ちをことごとく踏みにじるものだった。
いつだったか、引退したとあるPがちょうどこのブログだったか「アイマスは宗教である。」と言っていた。
まったくもってその通りである。下手すりゃ宗教よりタチが悪い。
あんなに堂々とアイドルの存在を否定しておいて、最後にちょろっとお涙ちょうだい演出をすれば大の大人が泣き喚きながら「ありがとう」「アイマス最高」と狂ったように連呼するのである。
あの演出を持って「琴葉はいた。」「4th最高だった。」と言っているペーは田中琴葉担当ではなく種田梨沙を信仰する信者であり、所詮種田梨沙しか見ていないにわか声豚である。
少し話がそれてしまった。
あのライブの後、私はあらゆる窓口でバンナムとグリーにクレームを入れた。
あれを肯定されては琴葉があまりにも浮かばれない。可哀想なんて言葉では表しきれない程に不憫だった。
だがいずれも返答が返ってきた事はなかった。
ミリシタに琴葉の存在は確認できない、グリマス終了時も琴葉のボイスだけ追加予定はなしとされた。
「田中琴葉は合流が遅れています。」などという取ってつけたような白々しい文章が踊っていた。
グリマスの方はともかく、4thの時点で3Dモデルを用意できたのならミリシタに実装するくらいわけもないはずだ。
「種田梨沙はいなくても田中琴葉はここにいる。」と主張するのなら、たとえ無言でもミリシタに琴葉のモデルだけでも実装し、メイン画面で歩き回ったり、劇場のメンバーと会話するモーションを用意することができたはずだ。
たとえ声がつかなくてもユニット曲で歌って踊る琴葉を見ていずれ戻ってくる種田梨沙に思いを馳せることができるならまだ前述の言葉にも説得力があった。
しかし、現実は劇場で琴葉の存在を確認することはできず、琴葉がここに居るという実感は皆無、そのくせTBなど中途半端なタイミングで中途半端に顔見せするから案の定ミリシタから入ったぺーは「誰?」状態だったわけだし、それどころか「こんな実装されてないキャラに参加権認めるのか」という不要なヘイトを貯めることになったわけだ。
そして、今年二月、どうも違和感のある中途半端なタイミングでようやく琴葉がミリシタに実装された。
完全に引退していたがようやく思いが届いた、これまでのことは水に流して改めてミリオンライブを始めよう。
そう呑気に思っていた私の心はすぐに打ち砕かれることになる。
あのさあ............
琴葉はずっと劇場にいたんだからお帰りもクソもねえよ!!バカか!!
ただ、本当に怖いのはここからだった。
どういったわけか、琴葉の存在がまるで悲劇のヒロインであるかのように扱われ始めたのだ。
そして運営はここぞとばかりに琴葉のことを猛プッシュし始めた。
まるで今までの遅れを取り戻すように。
思い出して欲しい、数行前の流れを
田中琴葉の存在を種田梨沙の不在を理由に否定したのはどこのどいつだ?
お前らじゃないか!!
反論があまりにも大きくて金になると嗅ぎつけたのか、復活した途端にこの扱い
信仰というのはここまでも人間を盲目にするのかともう、哀れみともつかぬ感情だけが胸を支配していた。
そして、私は本来であれは5thにも参加することなく、さっさとアイマスから足を洗うつもりだった。
でも、どういったわけか、ミリオンライブを昔布教してしまった後輩の声豚に無理やり連れられ、5th2日目を見させられた。
正直言って、まあ酷い、白々しい演出だった。
あれはミリオン5thという名の「種田梨沙お帰りライブ」だった。
白々しいセトリ、4thでは見られなかった景色を完全再現、琴葉はここにいるでしょ?完全復活したでしょ?嬉しいでしょ?ほら泣けよ
と言わんばかりのサムイ演出
それ以外は前日に徹夜で組んだのかと思えるレベルのテキトーっぷり
そんなことをするなら島原エレナにSTANDING ALIVEを歌わせてあげたほうがよっぽどよかった。
そしてそれに泣き崩れ、泣き喚くキモオタの群れを見て吐きそうになった。
もうやめてあげてくれ 田中琴葉がただただ可愛そうだ。
何もしていないのに、声を失ったから存在を否定され、忘れられ、かと思えば声優の都合で再び表舞台に引きずり出され
そして1周年迎えたら未来ちゃを差し置いてミリオンのセンターですか。
なんの努力もしないでセンターに持ち上げられてしまう琴葉の表情はきっと散々なものだろう。
それで持ち上げられたが故に何も知らない別のキモオタに叩かれ、デレと比べられ、見下され.....
こんなボロボロのセンターを見てもあなたは脳死で「アイマス最高」「ありがとうミリオンライブ」と唱え続けるのだろうか。
さて、話が長くなってしまったが、ここまで読んでくれたということは私の話に少しでも賛同する意思がある人か、俺を論破したくて仕方ないクソ気持ち悪いマウント取りオタクのどちらかだろう。
もうもはやキモオタにつける薬などない、正直声豚は死んでも治らないからもう何も言うまい。
奴らは反省も後悔もしない、さも当たり前のようにコンテンツを食い潰し、飽きたらまた次のコンテンツに移動するだけだ。
まぁシンデレラガールズ然り、SideMしかり、どこに行っても声優の都合でキャラクターの扱いが決まり、荒れていない場所を探す方が難しい現状を見る限り、もはやアイマスというコンテンツそのものが声優ゴリ押しコンテンツになってしまった今、大多数のアイマスペー(笑)に何を言っても無駄なのかもしれない。
でも、それでも、俺はやめねえからな。
俺の想いが少しでも多くのオタクに届くまで、ミリオンライブが、ひいてはアイマスが潰れるまで何度でも、形を変えてでも言い続けるからな。この真実を。
ミリオンライブと声豚どもを呪い殺すまでやめないからな。この文章を投稿し続けることを
見ようとすればあらゆるものが見えるが距離感を誤ると呑み込まれてしまう
最近は他人からヘイト貰うような言動をする人が妙に露出してくる、ただ殺されてしまった人とそうでない人の差は闇との付き合い方だ
サロンブロガーに代表される身内で集まって何かする連中は闇に呑み込まれるリスクが抑えられるが不特定多数の人間と付き合う奴は非常に危険だ
一部のアフィブロガーやヘイト発言する人もよく見れば、身内でごそごそやっているだけで不特定多数が集まるような所には行っていない人が多い
勘違いウォッチャーがファンを集めたり不特定多数の集まりを催すことも増えたが、はっきり言って危険すぎる
なんで適度な距離感を持たず実名・顔出しでヘイト貰うような言動をするのか不思議でならない、そんなに目立ちたいならもっと言動に気を付けるべきだ
そうでないと遅かれ早かれ闇に呑み込まれる
今回の殺人事件はそれを教えてくれた、顔出しでネット論客を自称してる人は今回の件を教訓に「闇との付き合い方」を改めるべきだろう
税額15万が控除できないリスクを考慮するくらいの企業は、間違いなく零細。赤なら赤で金額の多寡は関係ない。結局、黒字になってもこの程度の税額に収まる想定で書かれている以上、零細を前提としているとしか判断できん。
はあ…?
大企業でも利益出てないとこ、法人税払ってないとこは普通にあるんだけど。
やっぱり常識がない。
この場合は企業がその選択をしないだけ、あるいは繰欠みたいに控除額を繰り越せる形(まー繰欠は所得控除だけど)なら普通にメリットは残るでしょ。繰欠が消えないくらい赤字決算が続くなら存続自体が危ういので、それは別問題になる。
同上
また、「法人税額出ない企業は全て存続が危ういのである」というバカ理論に乗るとしたら
君の施策は少しでも危なくなってる企業にとったらメリットゼロってことだね
潤沢な財源を背景に3年育休を行政指導で徹底していくとするなら
利益出てるとこはなんとかプラマイゼロで、そうでない企業は負担だけガーンとくるわけだ
シュンペーターかなにかキメておられる?
はあ…?
「3年間職場にこない奴に給料払って、その分は法人税額から引ける」
君の言ってるのはこれだろ?
プラマイゼロじゃん。(他まで考え出したらマイナスだがもう突っ込むのめんどくせーからなしでいいよ 細かいとこまで話していったら日が暮れるからな?)
説明してね。具体的に。
出来ずに逃げると予言する。
はあああ?
さっきの「別問題」でも引っ掛かったんだけどさー
自分の提案を実行したら容易に起きる事態を「別問題」「レベルが違う」つって流していいならそりゃ無敵だよね。
どんなに適当な施策でも穴が無くなる。「別問題」で説明終わりなんだもん。
アホか?
やっぱり君はまじめに考えてないの一言に尽きると思う。
えー何何、
結局「妊娠しそうな女は採用を避けろ」っていうシホンシュギの原理に回帰すればいいんすか?
そうだね、女を雇用から排除していけば待機児童問題はなくなるね
ここで外形標準出してくる意味がわからん。社保も企業の負担は大きいけど、税制を考える上では些事だよ。だってオペレーション的には両方入れても外してもいけるわけだし。
また新しい話が出てきたな
負担が大きいとわかってるなら3年ただ払い続けるのキツいのもわかるよね?
「些事だ」って言いながら欠点や盲点をコスト積み増しで解決する人のプランが上手くいくことってあるのかな
突っ込まれて「別問題」「別レベル」「どういう形にするか決める必要はあっても」なんてことしか言えない奴の提唱する「オペレーション」ってなんなの?
突っ込まれるたびに「別問題」って言い訳しか出来ないのはまともなオペレーションなの?
思慮も知識も足りない思いつきを垂れ流してるだけにしか見えないんですけどー
また新しい話が出てきたな
今だって問題が顕在化してないだけでお手盛り自体はあるのはあるけど、支給期間が3年かつ給与として全額支給となってくるとより格差が露骨になってくる。
金持ちの一族が身内にカネを回して節税することを世間がどう思うか?なんだよね。
俺は個人的にはそれで別にいいんじゃねーかと思うけど、問題視されるとしたら一番はここじゃね?誰よりも国税庁がすげぇ嫌いそう。
そうだね、君の言ってるみたいなガバガバ補助金はすぐ悪用されるよ。
格差っていうのはむしろ非正規雇用と正規雇用の間でとんでもなく生まれるね。
3年間フルタイム給与の額を貰ってゆうゆう子育て出来る世帯と、
バイトや派遣で時間と命削って自分の稼ぎで乳飲み子を食わせる世帯に分かれるわけだ
君が推奨するように「資本主義の話」で子供作りそうなリスキー社員がそもそも雇用されなくなるので派遣は滅茶苦茶増えるだろうしね。
そこのスケールに比べたら同族企業wなんか問題じゃないほどだよ。(同族企業も十分制度破綻させる要因になる程度にはでかいけどな)
「消費税10%にしてその上げ幅を財源として独占確保」という
という部分、答えられないからってまるまるスルーしてくださったね
出発点が甘えまくってて非現実的なことは相対的に重要度低下したけどね
君よりはずっと脳のスペックがよくて君の100倍は勉強してる官僚が必死で考えてるから
君が自分の専門分野(あるなら)生かして超真剣に考えたとしても一臂の助けになるかどうかというレベル
まして君は真剣に考えることすら出来てない
多分その習慣自体ないんだろう
障害者に関するお話です。不快に感じられる方はご注意ください。
障害者とひとくちに言っても多種多様ですが、ここでは身体や脳、精神などのものには限定しない事とします。
こんな内容の記事をエントリーしておいてなんですが、僕には一切障害がありません。
後ほど書きますが、障害があるのではと疑いをかけられたため様々な検査を受け、テストなども行った結果、一切障害はなく、発達障害などのものも無い、という結果でした。
なぜ結果を受ける必要があったか。端的に言えば『障害者ではないか』という疑いをかけられたためです。というより、それしかないですね。
事は小学生の頃、僕は周囲の人と行動を合わせるのがとても苦手でした。周りのすることと自分のしたいことが違うのだから、他人と行動が変わるのは当然のことだと考えていました。
そして、僕は笑うのが好きでした。周囲の人が笑っているのも好きでした。お笑い芸人になりたいと考えていたこともありました。
そして笑いを取りたいがため、様々な奇行に走ることもありましたし、自分で面白いと思うこともたくさんやってみました。
結果として僕と父は学校の校長室に呼ばれ、校長直々に『お宅の子は頭がおかしいので障害者クラスに入りましょう』とお達しをいただきました。
なんの障害なのかわかるまで検査をし、その間の1カ月ほどを障害者クラスで過ごしました。
僕自身は、障害者クラスであたらしい友達もできたし、時々検査に行けば面白いテストや見たことない機械にかけられ、変にワクワクしてたのを覚えています。
家族はそうではありませんでした。校長を相手にさまざまな話が進んで、危うく出るところまで出そうとしていた、とまで聞きました。
そして様々な検査を重ねた結果、僕には一切病名のつく障害は無く、単にそういう性格の子供だということがわかりました。
中学生になってもほとんどそれは変わらず、そんな自分のまま多感な時期を迎え、そんな自分のまま青臭い思いも甘酸っぱい思いも経験しました。
僕と仲良くしてくれる人ばかりではありませんでした。学校ではやはり、クソ障害者なんて呼ばれたこともありました。
でも仲良くしてくれる友達も数多くいたし、何よりそんな事を言ってくる子と仲良くする気は初めからなかったので、特に気にはなりませんでした。
高校生になり、そして大学へ行き、この時期でだんだんと、社会の姿が見えてきました。
そして知ったのは、社会というものが僕のようなタイプの人間に対してそれほど寛容ではない、ということでした。
小学生の時の校長先生のような人が大半を占めているんだと、知りました。
突然ですが、パラリンピックの水泳選手、一ノ瀬メイ選手という人がいます。
彼女は、障害の『害』の字をひらがなにするのが嫌いだと語っていた。
『私からしたら腕がないのが障害なんじゃなくて、それを持って生きていく社会が害』
『私からしたら障害は本人じゃなく社会やから、ひらがなに直して勝手に消さんといてほしい』
この話を初めて聞いた時の衝撃は忘れられません。
日本のスイミングクラブに入ろうとしても、腕がない人は困ると断られ、海外のスイミングクラブでは、ただタイムだけを聞かれOKをもらえた。
バリアフリーという概念が生まれたとはいえ、それは建築の話に限ってしまい、人の中にある社会というものは、いまだ障害者を障害者のままにしている。
社会というものに障害がある。その部分に生きている人を障害者と呼ぶ。
そしてそれらの障害に、病名がつけられることで初めて障害者だと認定される。
では、病名がつかなかった僕はどうなるのでしょうか。社会人になり、様々な新しい病気を知り、自分を知るためにそれら全ての検査を受け、結果健康体だと診断された僕は、なぜ社会から障害者だと認定されてしまうのでしょう。
僕には、社会が明確な障害を抱えているのにそれを認識せず、病名もつけられず、誰の助けも借りられない、理解者もいない、そんな部分がポッカリと開いている気がします。
そしてそれは、社会の障害なのに障害と認めてもらえない、『透明な障害者』と言えるのではないでしょうか。
そんな『透明な障害者』は、社会がどうしても生きづらくて、苦しかったりしんどかったりしても誰も頼れず、理解も得られず、今でも苦しんでいると思います。
そしてそれは、その人個人の問題とは言えず、やはり障害を抱えてそれを見ようとしない社会の問題だと思うのです。
少なくとも、僕は今でもそれを感じる時があります。心無い言葉をかけられることも、冷たい目を向けられることもあります。
どうか、もしあなたがこれから先の人生で、自分の常識的価値観から逸れた行動をする人が現れ、その人が障害者だろうと頭の中でレッテルを貼りそうになった時、どうかそんな『透明な障害者』のことを思い出してください。
上顎の傾いて生えてた親知らずは、磨きづらくて何度も虫歯や炎症を引き起こし、隣の正常な歯に悪影響だからと抜歯するのを勧められて抜いた。
麻酔してクイクイって引っ張られたかと思ったらすでに抜けててた。全く痛くなかった。
抜歯後一週間ぐらいは抜いたところがポッカリ空いてるのがどうにも気になったり、血餅が取れないかなと心配になったり…
レントゲン写真を見ると下顎にも横向きになった親知らずが埋没していることが判ったが、現状問題ないので抜かない方針となった。
気がつけば25歳になっていた。今まで小学校・中学校の義務教育を経て高校・大学へ進み、今は就職して働いている。
仕事をしている時や、ふと何気ない瞬間に中学・高校の頃を思い起こそうとするのだが、ポッカリと穴が開いてしまっているかのように記憶が無いことに気がついた。
正しくは、要所要所の嫌な記憶はあるのだが、楽しかったエピソードや自分がどういう人間だったのかという記憶が無い。
成人式の時「増田は雰囲気が変わったな。落ち着いた」と言われた。
「中学校の頃のこと覚えてる?ほら増田は○○してたじゃん?」と言われたが、全く思い出すことができなかった。
皆は、私の覚えていない思い出を共有していて、しかも本来であれば私もその記憶を共有しているはずなのだが、私にはそれができず、大変モヤモヤした。
高校の同級生と久々にご飯を食べたときも同じような経験があった。
皆は私のしらない私を知っていて、私はそれが本当かどうかもわからない。
そのくせ、保育園児・幼稚園児の頃の記憶は残っていて、私はそこから置いてけぼりを食らっている気持ちになる。
庭で押し車を押していた記憶、火遊びをして怒られた記憶、徒競走で女子に抜かれた記憶。
幼稚園の記憶は鮮明なのに、それよりも後の時系列である中学・高校の頃の記憶が不鮮明というのは、何なのだろうか。
原因を考えたが、別段目立った原因のようなものは無い。
覚えてるのは大きく2つ
1個目
閉店間際の駅の売店にいったら、こんにゃくピザが半額になっていた
よくカロリーオフのこんにゃくラーメンとかあるけどあれのピザ版
直径10cmくらいのピザが4つ入った真空圧縮パックみたいな感じ
迷って、買わなかった
2個目
泳いでるのは自分とあと2,3人
目の端でちらちら盗み見てた
そしたら小田さんが、にこにこしながら急に何かをポーンと投げた
なんだなんだと近づいたらおっぱいだった
(正確には人間を寝かせて輪切りにした胸部部分)
うひょっ!!!と思って興奮した
その後すぐ、いや待てよ・・・ここにおっぱいがあるってことは・・・と思って小田さんを振り返った
そしたら小田さんが、
「おっぱいはいいけどさすがに股間はダメだよ~」みたいに言いながら股間を両手で隠してた
そっかー残念って思った
なんでこんな夢みたかと考えるに、
たまたま同じスイミングスクールに通ってて偶然同じ時間のレッスンだったときに乳首が立ってたのに興奮した、子供時代のまばゆい記憶が、今こんなゆがんだ形で夢となって現れたと思うと、何か不思議な感じがする
今日、会社の唯一頼りになる先輩であり、大切な友人が退社した。
先日、5年付き合った彼女に別れを告げられた。
"ポッカリと穴が空いた"なんて言うけれど、近しい人を失った瞬間というものは
毎日のように飲み歩き、過酷な時期には深夜までかけて仕事を達成したという経験。
毎日のように喧嘩しながらも、乗り越えた先で何よりも楽しく、幸せな時間を過ごせたという経験。
ちっぽけなものでありながら、
昔から誰かに、何かに依存しなければ満たされない自分は、どうしてもこれらの
だけど、その執着心とは裏腹に、人との縁は残らない。
小中高と過ごした地元の"元"仲間達とはどうしてもウマが合わず離脱した。
1年間毎日飲み歩いたバイト先の仲間とは恋煩いで自分から別れを告げた。
次のバイト先でも仲が良いと思っていたのは自分だけだったのか自然と消滅。
一人の恋人には別の彼氏ができ、一人の片思い相手には犯罪者と罵られた。
数えだしたらキリがないが、どうやら自分は人との関係性を残すことができないタチなのか生まれらしい。
だからきっと、今回も何も残らないのだろう。濃密に過ごした時間の分だけ虚しい何かに置き換わるのだろう。
ただひとつ、今までと違うことは、ふたりともネガティブな理由が原因じゃないことだ。
二人とも、"今"という時間を大切に、"今"しかできないコトをするために。
きっと彼、彼女らにとって、何よりも輝く時間を得るために"別れ"を選ぶのだ。
おとなになった自分は「素晴らしいことだ、彼らのためだ」「エールをおくろう」「前を向こう」とアルコールで自分に言い聞かせる。
そして周りから聞こえてくる「なんとかなる、きっとみんなあなたを助けてくれる」の声。
騙しながら、偽りの笑顔を浮かべながらもこれから0になる彼らとの関係性に思いを馳せる。
彼らはチリにも満たない人間の人生の一節に、生々しい傷跡を残して、前へと進んでいく。
僕は次に消えるべく出会いと、人との関係に恐怖をしながら変わらない毎日を過ごしていく。
またぼくは0からだ。
「別れの季節なんて大嫌い。」
「こんなこと。」
バァアン
右手の痺れが収まるのを待ってから、俺はシリンダーを取り出す。装弾数を確認した。
「5発。」
一つだけ空洞になっているレンコン模様の穴の先に、先ほど休日をどう過ごしたかを聞いていた同僚の姿が見える。
ジワジワと首から溢れ出す血流が、回転する穴からみると、コマ切れのアニメーション映像のようだ。カクカクして目に映る。
「メタルギア。」
「...。」
撃鉄を親指でゆっくり引き起こす。ドラム状の弾倉が重々しく回転する。
銃口を彼女の眉間から離さず、アナコンダの弾丸の位置を確認する。
「左...2発」
「右...2発」
今、発射位置に弾丸は入っているのだろうか。下の位置はフレームに隠れて確認できない。
図らずも、この女は今、ロシアンルーレットを受けているのだ。
確率は二つに一つ。"当たり"か、"外れ"か。
「好きです。」
女はそう呟くと、眉毛一つ動かさず、キーボードをカタカタと叩きはじめる。
メガネに反射して白い画面が映る。俺はその白い四角の枠を眺めていた。
白と青の模様。あれはなんだろう。Webサイトだろうか。
「そう。」
バァン
外で鳩が飛び立つ音が聞こえる。
「当たったか?」
部長は葉巻を燻らせ、窓を眺める。
「ええ。」
「"当たり"よ。」
悪に堕ちる。復讐のために。
タバコ止めました
理由は、ここ最近口の周りが腫れたような違和感があって、歯科に行ったところ
歯周病がかなり進行していて、このまま放置すれば歯が全部無くなると言われ
怖くなってタバコを止めました
さすがに歯が無くなってしまうのは、きつい
歯周病の進行は、中程度のもので歯を支えている歯槽骨が溶けて、だいぶ歯ぐきが痩せてしまった
歯周ポケットも5~7ミリあり、味噌汁などの汁物が歯に染みるので、飲めなくなった
今は炎症の元になっていた歯石を取り除いて、進行は止まりましたが、溶けた歯槽骨は復活しないそうです
タバコは歯周病の進行を加速させるので、怖くなって吸えなくなった
昨日までスパスパ吸っていたのに、次の日には、もう一生吸わないとスッパリ止めた
ただ、突然止めたので、ニコチンが切れて一時的にドーパミンが出にくくなったのか
精神的にかなり参ってしまった、胸にポッカリ穴が空いたように、苦しかったです
「ああ、こんなに苦しいんじゃ、生半可な気持ちで禁煙が続かないわけだ」そう実感した
さすがに歯が無くなったら、ものを食べる楽しみが奪われてしまいますからね
20代30代は体が健康だから、タバコを吸ってても特に問題が無い、とも言えますね
だから、ニコチン依存してる人は、自分の意思では止めるのは難しいでしょう
僕は40代前半ですが、もうタバコが吸えない体になってしまいました
逆に言うと、年取ってもタバコ止めない人は、健康なんだろうなぁと
まあ、ある日突然、タバコを止める日が来るかも知れないですね
だから、禁煙なんてしないで、タバコを吸える内に、タバコの美味しさを堪能しておく
くらいの気持ちで良いんじゃないでしょうか
あと、最低1年に1度は歯科に行って歯石とってもらったほうが良いです
気がついた時には、歯周病がかなり進行していたっていうケースは多いんで
奴隷の作り方は簡単だ。
「組織に依存するような人格を幼少期からじっくりと植えつける」だけでいい。
まず親世代に「親に感謝すべき。親は子供に感謝されるべき」という思想を植え付ける。
そしてすると親は我が子に対して「感謝しろ。感謝しろ」とうい態度で接するようになる。
子供が親に感謝していない態度を取れば親は不機嫌になり、感謝している態度を取れば上機嫌になる。
その幼児に今度は「夢も持て!持ってない奴はゴミだ!デカい夢を持て!」と洗脳する。
成長していくにつれてその夢を諦めた時、その夢があった場所には心の隙間が残る。
ビッグじゃない夢には価値がないと洗脳されているので、身の丈にあった人生の目標すら立てられなくなる。
そして小中学校にあがったら「人の役に立つ人間になれ!迷惑をかける奴はゴミだ!人の目を気にして生きろ!」と洗脳する。
自尊心にはポッカリ穴が空き、人生の目標すらない、そんな彼らの心の奥底にこの言葉が流れこむ。
この時期は反抗期と重なるため表面上この言葉は届いていないように見えるが、意識の深い所にしっかりとそれは根を張っていく。
ここでは「うまく行かなかったら自己責任。全部お前が悪い!」と洗脳する。
そして戦いに敗れブラックに辿り着いた連中は「そうか、俺が悪いのか」と運命を受け入れる。
こうして彼らは一度完全に壊れるまでその人生を日本経済を回すために消費していくのである。
だがこの時途中で出来損ないが生まれる。
社会の上流や中流にも行けず、下流で奴隷として生きることも出来ない失敗作、それがNEETである。
日本社会が率先して行っている奴隷量産政策によって自尊心を粉々に破壊されながらも奴隷としての首輪を授けられなかったもの。
ないしは、自身が奴隷にされかけていると気づくも上流中流へ行くことは叶わなかった人間がNEETとなる。
そのため彼らはレールの上しか歩くことが出来ない。
現代社会において人間が子供を完璧に育てるのはもう無理だと思う。
時間が足りない。
娯楽は沢山あるし、仕事も沢山ある、通勤の時間だってあるし、メールチェックもしないといけない。
一応形だけ育てることは出来る。
ここで言う「完璧」とは「子供が本当に必要としてる時に親が自分の時間を無限大に子供に提供すること」を指す。
たとえばほんの幼少期に数回「今忙しいから後にして」と言われただけで一生治らない傷が残るほどに幼い頃のダメージは深刻だ。
思い出せる心の傷は何度も枕に頭をうずめてジタバタしていればそのうち乗り越える方法を思いつく。
だけど思い出せない傷は放置された虫歯みたいに絶対に治らない。
そして神経を失いボロボロになってポッカリと隙間が出来たまま死ぬまで放棄されてその穴から次々と心のエネルギーが漏れだしていく。
そういった原因不明の心の欠陥を抱えまま生きている人間が現代の大多数だ。
そして彼らは突然湧き上がる正体不明の怒りに突き動かされて自他を傷つけだす。
その突発的なキチガイの発生が人類が幸福になることの足を大きく引っ張っている。
駅の周りは道が狭く、雑居ビルがところ狭しと並んでいる
そんな狭いところに駅直通のデッキを作ってしまって、デッキ上では周りの小汚いビルが目に入ってしまい
飲食店は軒並みラーメンと居酒屋、カフェバーとか言うただ高いだけのランチボックスに淘汰された
どうあがいてもつめ込まれたブロイラーのくせに、イメージだけは立派なところも気にいらない
それらの穴は現れては消え、現れては消え、その度に街にポッカリと穴を開けていく
まるで俺が記憶障害を起こしているかのように、あった店が消え、穴だったところに詰め込まれていく
夜になれば裏通りから風俗の呼び込みが現れ、天下の往来で立ち止まり品定めをする
駅から5分も歩けば、死んだような個人経営の店と、人が住んでいるのかどうかも定かではないような生気のない家が立ち並ぶ
典型的な旧道だ
人の姿のない細い道を車が列をなして進んでいくのは、ディストピアのベルトコンベアのようだ
薄暗く、埃っぽく、生気がない
古いだけの旧家が多いせいで区画整備も出来ず、人が十分に生活できるスペースを作れないために生活環境と線路が密接してしまっている
この陰鬱な映画から抜け出すには、目の前の事を少しずつ片付けるしか無い
部屋の引き払いまであと3週間
いつの日だろう、ある休日の昼下がり、1匹の野良猫がうちの庭にやってきた。
頭から尻尾の先まで真っ黒で、おちんちんをぷらぷらさせる野良猫。しかし、やせ細った身体でトテトテと這いよるその骨川筋右衛門は、明らかに衰弱していた。
いろいろ考えた結果、田舎ゆえ周辺に住宅が少ない、そして何より自分がネコ好きということで彼を放っておくことができず、かつお節ご飯と水を与えた。そのガッツキようは今でも覚えている。さながら、ホットドッグを爆食いする小林尊のようであった。
腹をすかしてはフニャアフニャアと鳴き、エサを催促した。食べると満足するのか、うちの庭のど真ん中でドテンと横たわり、お日様の下、完全無防備状態で爆睡する(つついても起きない)。日が傾きはじめる頃、ふと見るとどこかに消えた。しかし次の日には、同じようにフニャアフニャアとやってくる。こちらもいつしか、スーパーで一番安く売られる缶詰を買うようになり、また首輪も買った。同時に、「クロ」といかにもな名前をつけた。
クロは日に日に肥えていった。ぷよぷよした姿は、もう完全にデブ。肥満が問題なのは重々承知だが、「まあ野良猫だし…しかもカワイイし…」という素人考えでエサを与え続けた。また、大きめの木箱に毛布を敷いて寝床をつくってやると、夜はそこで寝るようになった。
いつ頃からか、自分が仕事から帰ってくるとクロが出迎えはじめた。車からおりると、そのでぶでぶした巨体を左右にゴロンゴロンさせながら、お腹をみせつけてくる。ハイハイわかったわかった、と十二分になでたあと家に入ろうとすると、入れさせんとばかりに頭をすり寄せてくる。その一連の姿がなんとも愛らしく、どれだけ仕事で疲れていても、自然と笑みがこぼれた。
クロはよく周囲を冒険をしていた。時に他の猫と喧嘩したのだろう、右頬の肉がえぐれるなど、大怪我を負って帰ってくることもあった。ジュクジュクした傷から出る膿をガーゼで拭いてやり、「負けんなよ、俺も負けねえから」と1人意味不明なことを語りかけては、フニャ、とクロは鳴いた。クロが生活の一部、いや、人生の一部になっていた。そうして数ヶ月がたっていった。
もういっそのこと飼い猫にしようか、と考えていたちょうど5日前、クロがふと姿を見せなくなった。いつもは「クローーッ!」と手をパンパン叩くとドテドテ走り寄ってきたのだが、その気配が全くない。まあ野良猫だし帰ってくるだろう、と自分に言い聞かせながら、当然のことだが我が子を思うように心配で心配でもう仕方なかった。
そして昨日。ちょうど仕事に行く前、家の裏の日陰に横たわるクロを発見した。すぐさまかけ寄ると、フゥフゥフゥと呼吸が荒く、目も半分しか開けていない。ヨダレもたらしている。ずっと横たわっていたためか、体は多くのアリにたかられていた。ふと怒りを感じた自分は、無造作に払い落としたアリを踏みつけて殺し、クロの体をふきながら口元に水をやった。すると最初は横たわった状態でペロペロと水をなめていたクロは、ヨロヨロと自分で立ち上がり、自力で水を飲んだ。大丈夫か?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。これから俺は仕事だけどどこにも行くな?とつぶやくと、フニャ…、と弱々しく鳴いた。そこはかとなく、クロは笑っていたような気がした。
クロを一心に思いながら仕事を終わらせ即帰宅すると、クロはどこにもいなかった。
そして今日の早朝、近所のジイさんがやって来て「おめえんとこのネコだっぺ、オレんちの前で死んでんどや」と教えてくれた。確認するまでもなく、クロだった。
ジイさん曰く、近頃近所では一斉に除草剤をまいているようで、その草でも喰ったせいじゃないか、とのことだった。いずれにせよ、クロは死んだ。
月並みだが、心にポッカリと穴があいてしまった。もう仕事から帰ってきてもゴロンゴロンする姿はない。恥ずかしながら心内を語れる唯一の存在も消えた。
クロの亡骸は火葬してもらい、今はこの眼の前に骨としてある。
言葉では如何様にも語れるし、また避けられないことは自明の理である。しかし、やはり”愛する”存在の”死”は、わかっていても耐えられないよなあ、と。
元増田だけどそれはレイヤーの違う話だな。心を建物にたとえると俺の言ったのは1階で君の言ったのは2階。2階こそ大事なのだという人間は、1階という基礎的感性がちゃんと出来てるか、出来てないけど問題と感じたことがないか、どちらかだろうな。俺は1階がまるで出来てない人間だったからこういう考えに至ったわけよ。ま、なんにせよ俺と君の話は特に矛盾してないよ。と言ってもピンと来ないかもしれないけど。それはそうと、2つ目の好きは探すものって考えは強く同意する。体当たり大事。冒険大事。と同意したところで、おそらく安穏とした狭い日常でふわふわ逃避的に生きることに「異義あり」だったのかな、と気付いた。ところがどっこい、俺の提案した1階はチャレンジ精神にあふれた2階を否定してないわけで。なにしろ日常は非日常の入り口だから。「冒険は やってみないと わからない」。日常もナメられがちだけど興味もってみれば至る所に非日常へ通じる穴がポッカリ空いてる。インテリアに興味持ってインテリアコーディネーターの勉強してそういう関連の人の集まりに参加するようになったり。そういうチャレンジもある。興味から始まる冒険。一方で、自分は狭い世界で突き詰めたいし余裕ないから関係ないことは興味持たなくていいやって人もいる。それも否定しない。冒険して本当に好きなもの見つけたら突き詰めたくなるのは当たり前。誰がそれを否定できようか?いや誰もいない。
なぜ田村ゆかりは世界一かわいいのかって言ったら、世界一かわいいわけじゃないのに、世界一かわいいアイドルをやっているところが、世界一かわいいんだろうな。
世界一かわいいわけじゃないってことは、周りから言われるまでもなく本人が誰よりもわかっているにもかかわらず、それでもなお世界一かわいいという役柄というか役割というか存在をやり続けることが、冗談抜きで、人によってはそれが田村ゆかりを世界一かわいいたらしめるんだろう。
ロンブーの亮が結婚した淳に対して、結婚が似合わないキャラである田村淳が結婚したということは少しさみしさを感じると共に、田村淳個人のことを優先してくれたようで嬉しかった、って話と一緒の感じはある。弟の子どものことを嬉しそうに話したりする田村ゆかりさんじゅうななさいを見ていると。
でもそれも叶わない気がする。確かに多くのファンは同じように寂しがりつつも祝福はしてくれるだろう。一部はCDを割りポスターを破りわめきちらすかもしれない。でもそいつらは比較的軽症だろう。わめいて騒いで疲れていつしか傷は癒える。問題は寂しがりつつも祝福して、心にポッカリと穴をあけて、というか人生にポッカリと穴をあけたまま、静かに去る連中、あるいは、去らずにそれでもファンを続ける連中の方だろう。後者の方が重傷であり、致命傷である。
國府田マリ子のコピペのように熱心なファンは少なからず人生の一部をファン活動にコミットしている。もちろん、そこから多くを得ただろうが、コミットすることで失ったもの、機会や時間や一般的な生活での経験等がある。そこから他の声優の追っかけをするにしろ、他の趣味に没頭するにしろ、そういったのは大した問題ではない。ポッカリと空いた穴を抱えつつ、結婚したゆかりんの話を聞き、ゆかりんが産んだ子どもの話を聞き、静かにラジオを切る。そんなやつらが生まれることが問題であり、それこそが、そういったゆかりんの結婚が叶わないと思う理由である。
ゆかりんはおまえらである。少しでもラジオを聞いたことがある人はわかるだろう。暗くネガティブでいじめられて人見知りで社会と上手くやっていくのが得意な方ではない。時折はさむ自虐ネタでわかるように世界一かわいいわけでもないし、今現在のこの人気が、ファンやスタッフさんにちやほやされているのは、一時的なものでありいつかは終わり誰も見向きもしてくれなくなることを誰よりもわかっている。そんなゆかりんは、おまえらでありおれらであるゆかりんは、そんなやつらを放っておくことができないんじゃないかと思ってしまう。自身だけが幸せになり、人生にポッカリと穴を空けたまま静かにラジオを切るやつらを放っておくことが。
もちろん勝手な、トンデモな妄想である。あっさりと結婚するかもしれないし、その方がずっといいと思ってはいる。弟ネタが実は彼氏の話で、弟の子どもは隠し子だったらいいなとすら思う。でもこの現状が続く限り、この妄想が現実的に否定されえない限り、心のどこかでは、そんな風に思えてしまう。ゆかりんはおまえらと殉じるのではないだろうかと。この物語が続く限り、田村ゆかりは世界一かわいい存在であり続ける。
なぜ田村ゆかりは世界一かわいいのか?世界一かわいいわけじゃないのに、世界一かわいいアイドルをやっているところが、そしてそんな田村ゆかりを世界一かわいいと思うファンのために、世界一かわいいアイドルでいつづけているところが、田村ゆかりが世界一かわいい所以だろう。
参考