はてなキーワード: シリンダーとは
ずっと自殺したかった。気がついたら医学部にいた。友人はできたが人と向き合うのが怖く一人でいることが多かった。今でも自殺したいと思っている。解剖用のメスを買い、実習先からいらないシリンダーと針をもらい、管理の甘くなりがちな麻酔薬置き場まで把握した。あとは適当に麻酔して動脈を掻っ切れば絶対に死ねる。無麻酔でも痛いだろうが頸動脈を切ればすぐに落ちるだろう。
人に話すと止められた。止めた人も離れて行った。なぜ止めたのだろう。あなたの人生に私は不要だったでしょう?私がずっと死ななかったら、麻酔科医になって独立した暁には、安楽死をする人間になりたい。それだけが過去の自分への追悼になるだろう。死にたいという欲望を肯定してあげたい。
https://anond.hatelabo.jp/20240227112810
の続きです。
今回は壁紙について。
じゃあなんで壁紙をテーマにしたかっていうと、壁紙の張替え費用は退去トラブルの原因になりやすいからだ。はてなブックマークでもたまに「退去費用を、取り戻す。」みたいなテクニック集が上がってくるよな。
俺は自慢じゃねえが、自主管理を始めてから退去時の敷金返金についてお客さんからクレームをもらったことが一回もない。そのカラクリはめちゃくちゃ簡単で、敷金を全額返しているからだ。
賃貸住宅の退去時の費用負担については国土交通省からクッソ細かいガイドラインが出ている。壁紙についてだと、6年で価値がなくなるものとされている。これを言葉通り解釈すれば、6年以上住んだら、お客さんが壁紙をどんだけ汚していたとしても、壁紙の張替え費用は請求できないという事になる。
じゃあ、2年とか3年で出ていくお客さんだった場合、どの程度汚したら、どれくらい原状回復費用を請求すればいいんだ?
いちいち全部お客さんと現場で対面で話し合って、「うーんここが汚れてますね。国土交通省のガイドラインを一緒に見てみましょう。こういうルールになってるんですよ~。◯◯円負担してください。こういう計算式になってまして…」なんてやるのか?
めんどくせえ!!
そんなのいちいちやってられっかよ。
俺のやり方はクッソシンプルだ。
退去立会いはやらねえ、引っ越しが終わった後のカギの返却もいらねえ。そのまんま捨ててもらってる。
カギは俺んとこに緊急用のが1本ある。だから、契約期間が終わったらその翌日か翌々日にはそれを使って中に入り、カギはその場で俺が新しくシリンダーを交換して従前のカギでは中に入れなくして、古いカギは捨てちまう。まあ、契約期間が終わってから室内に入ろうとするお客さんはいないと信じているが、いちおうな。
あとは室内の汚損状態や設備の状況を確認して、次のお客さんを募集するにあたり直すべきところは、馴染みの業者さんに修理や交換を発注する。
そこまで終わったら、その日か翌日には預かってた敷金をお客さんに全額振り込んでいっちょあがりだ。ここまで、契約終了日から1週間もかからない。
全部返ってくるならトラブルになりようがないよな。
ただまあ、これには俺なりの考えがある。
仮にこれを折半してお客さん5万、俺5万の負担にしましょうって事で話をまとめたとしようか。ほとんどのお客さんの場合、その5万円の原資となるのは勤め先からもらってる給料って事になるんだけど、これは税引き後の金だ。
だから壁紙の張替え代5万円を業者に払っても、その金額が今年の所得から控除されて、その分来年の税金が安くなったりするわけじゃねえんだな。ここが大きく違う。
一方で俺の場合は、壁紙の張替え費用は今期の不動産所得を計算するのに費用として計上できる。その分所得が減るので、早い話が来年の税金も減る。そういう意味で、同じ費用を負担するにしても所得から控除できる分、制度的に俺の方が有利なのよ。
それなら、負担区分をいちいち話し合うのもめんどくせえし、俺が負担するって事でいいよ、ってのが俺の考えだ。
理屈はわかるが、そんなやり方で大丈夫なのか?って思う人も当然いると思う。ほとんどのお客さんの場合はこのやり方で全然大丈夫だ。
もちろん、中にはすげえ汚く使う奴もいるよ。「これ、次のお客さんに貸せる状態に戻すのにいくらかかるんだよ……」って冷や汗をかいた事もある。たとえば俺んとこはペット禁止だが、過去には勝手に犬を飼っていて退去時にその犬を室内に残していった超クソ野郎や、ゴミ屋敷にしたまま出ていった超バカもいた。世の中にはこういう人間のクズがいる。
確かにそういう客ばっかりだと、所得が減れば税金も減るからオッケーオッケーなんて悠長な事は言ってられなくなる。場合によってはこっちが破産しちまうから、そういう奴に対しては入居者負担分の原状回復費用をルール通り適用して、きっちり回収する。
だが、しばらくこの仕事やってると、そういう「ルールを守れないクズ」には職業や特性に一定の傾向がある事が見えてくるんだな。
だからそういう奴が今後入ってこないように、一回痛い目を見たらきっちり記録を残し、以後に似たような属性の奴らから申し込みが来た時は入居審査時に断るようにしている。
そうするとだんだん入居者層が洗練されてくる。
そしたら、契約終わったら敷金は速攻で全部返してオシマイ!なんていうイージーな方針でやってても、全然ビジネスとして回る。
(ちなみにそのあたりの入居審査ウラ話を去年の夏ごろに増田に書いたら、差別だあ!とか言われてぴえんになりました。チッ、反省してまーす)
俺のこのサッパリしてるやり方は、お客さんにはそれなりに好評だ。なので、転勤で俺の物件から引っ越す事になったが、また何年かしてこっちに戻ることになり、その時に「空いてる部屋があるなら増田さんとこで」って客付けの不動産屋で俺の物件を指名して、また入居してくれる人もいる。ありがたいことだ。
あと、全国に支店のあるような超大手企業が、単身赴任者のための部屋を借りる事がある。そういう場合、社宅代行会社という代理人的な会社がいて、そいつらがその大手企業の代わりに諸々の手続きを代行することが多い。
で、社宅代行会社なんてのはなるべく多く敷金を取り戻して、クライアントの大手企業様にお褒めいただくのが仕事だ。だから解約通知を入れてくる時などは「解約じゃ!戦争じゃ!このクソ大家かかってこいや!」って感じでもう鼻息がフンフンしているのがわかるw
そこに対して、俺なんかは早けりゃ契約終了日の翌日には全額返しちまうので向こうもだいぶ拍子抜けしている。
ただ相手にしてみれば話が早くてこりゃいいわって事なんで、そういうとこを気に入ってくれた法人のお客さんが、俺の物件を指名してくれて何部屋かまとめて借りてくれる事もある。そういう大手企業のお客さんなんかは当然滞納なんてないし、実際に入居する社員の人もまともで入居中のトラブルはまったくないしでこっちも前前前世、じゃなくて大大大歓迎だ(おもしろくねえな、スマン)
俺のやり方だとこういうメリットもあるし、さっき書いたみたいなクソ客に思わぬ損害を与えられるというデメリットもあるということだな。
ただ、こういうやり方ができるのは自主管理であるがゆえにスピーディに決断ができるからで、他の大家に同じようにやれって言ってもなかなか厳しいと思う。でも世の中的には退去時の諸々の費用はどんどん貸主が負担する方向になっていってるから、こっちもそれなりに対応していかないとね。壁紙なんかはめんどくせえから、俺なんかはもう全部大家負担にしといていいんじゃねえのって思っちゃうけどね。
みんな~!
厳密に言えば、15年くらい前の高校時代に2週間くらい友人間で流行ったり、
10年くらい前の大学時代に1週間くらいサークル内で流行ったりしたんだけど、
毎日毎日遊戯王をやるという生活は小学生以来のことだ!楽しい!
でも、わかってたことだけど、今の遊戯王は当時とは全然違うのな!
ヂェミナイ・エルフやブラッド・ヴォルスを並べた友人にボコられたり、
カオス・ソルジャー儀式セットを積み込んでズルしようとしたけど地割れで死んだり、
なんだあのドライトロンとかいうデッキは!止めても止まらないじゃないか!
そして出てくるデクレアラー!やることなすこと全部防がれるぜ!
なんだあの鉄獣戦線とかいうやつは!なんかわからないけどいつの間にかやられてるぜ!
アクセスコードトーカー!?破壊に高火力にとやりたい放題じゃないか!
ヌメロンはマジックシリンダーで跳ね返したいけどなかなかその機会がない!
アーゼウス?ロンゴミ?未来龍皇?意味不明のカード達に今日もボコボコにやられてるぜ!
そもそもなんだ!この展開力は!みんな血の代償でも使ってんのかってくらいポコスカ特殊召喚してくるぞ!
たまにブラックマジシャンを見て「お~懐かしい」とか思ってたら、昔と展開力が全然違うぞ!
黒魔族のカーテンで2000払って出すのがやっとじゃないのか!なんで毎ターン出てくるんだよ!おい魔法族の里やめろ!
おい!サンドラ!お前どうなってんだ!除外しても出てくるのはもう除外じゃねえ!
でもよ!俺だってやられっぱなしじゃねえ!
すごいぞー!かっこいいぞー!
うららもゴキブリも3枚積む!墓穴の指名者も2枚積みだ!壊獣も1枚入れてるぜ!
ニビルは効果なので意外と止められるから入れたり入れなかったりだ!
勝てる!勝てるんだ!
俺の先攻!ソリティアしてヴァレルロード・S・ドラゴンとアーデク並べてうらら握ってターンエンド!勝ったな!
相手の金満で謙虚な壺は通してやる!なにが来ても妨害できるかr……おい!今ラヴァゴが見えたぞ!
やめろ!ラヴァゴを選ぶnああああああああ城之内ふぁいやああああああああああ
歳を重ねていくと遊戯王なんてみんなやめてくだろ!自分だってそうだった!
それでも時々やりてえなって思うんだよ!だけどそう思ったところで相手もいないしカードもないんだ!
それが!遊戯王マスターデュエルなら!相手もいる!カードもある!
夜中にデュエルしたくなってもすぐにできる!
本の置き場所は変わり、机の上にはしまっておいたはずの空き箱があり、ちょうどよく乱れていた居心地の良い布団は、無機質なほど冷たく、丁寧に敷き直されていた。机のそばの床に丁寧に積み重ねられていた古紙は私の宝物で、これは日々の勉強で費やされた計算用紙なのだが、それは無残にも崩れ散らかっていた。
祖母に確認してみたら、悪びれもなく「うん、はいったよう」と答えた。今まで何回も何回も何回も、自分の部屋に入るな、物をいじるなと訴えてきたのに、この期に及んで悪びれもしない様子には腹も立たなかった。
祖母の言い分によると、私の部屋が余りにも汚いために、ホコリなどがふすまの隙間を通じて祖母が暮らすエリアに流出しているらしい。だから、我慢ならずに私の部屋に無断で立ち入り、部屋を掃除してしまったのだという。ちなみに、私の部屋から汚れが流出する様子を観測できる人間は、我が家では祖母しかいない。
それについ先週、祖母の訴えにより粘着ローラーで私の「汚い」部屋を掃除した際、あまり粘着ローラーに汚れが付かなかったことを祖母と共に確認したばかりである。祖母の言う「汚れ」とは、物理的なものではなく、精神的な、スピリチュアルなものである可能性はさらに強くなった。
祖母(以下、「甲」という。)は、私(以下、「乙」という。)の部屋を掃除する前に、必ず乙にこの事を相談しなくてはならない。
という内容の口約束を結んでいたはずである。だが今回の事に関して、私は一切の説明を祖母から受けていない。今回の事件の経緯と祖母からの事情聴取から察するに、齢80の祖母が私との約束をすっかり忘れてしまっていることは、想像に難くないだろう。
もうこれ以上対話を試みても努力の無駄だとしか思えないので、ドアノブを鍵付きのものに交換することになった。両親は一連の問題について前々から把握してくれていたため、ドライバー一本で行う素人工事の許可は簡単に出た。しかし、交換するドアノブの代金は、なぜか私が持つことになってしまった。
4000円弱の大枚をはたいて生産性のない仕事に取り組むことは、ひどく理不尽で虚しいものだったが、部屋のドアにうまく合うドアノブが簡単に手に入ったことは、まさに不幸中の幸いだった。作業も素人としては上出来の出来栄えで終わり、誇らしげに設けられたシリンダー錠もきちんと機能している。ふすまは、養生テープで隙間を塞いだ後、木材で簡単なつっかえ棒を作り封鎖した。
平穏な生活の訪れを祝うために、かねてから欲しかった好きなバンドのアルバムを2つダウンロードした。ドアノブ代4000円は、本来このアルバムに使われるはずだったのだ。
アルバムの感想は2つとも素晴らしいとしか言いようが無く、2つ合わせて4000円くらいだったが実質10000円くらいの値打ちはあったので、ドアノブ代を含めても2000円分の得となり、私は精神的大勝利を収めることができたのだった。
昔からある言葉はしょうがないけど、現代で海外から入ってくる言葉を無理にカタカナ表記にして、一見日本語っぽくするのをやめろ。
今、リコンファーム(reconfirm: [予約など]を再確認する)が話題になってて、そもそもカタカナとか英語とかじゃなくて「再確認」でええやろと思うけど、どうしても英語で言いたいならreとcon-firmに意味があるわけだからreconfirmって書けやって思う。
まあ発音は日本式でもいいけどさ、たとえば「ハロー効果」ってあるけど、日本人ってまずこれ見たたときhelloか波浪と連想するよね?でも実際にはhaloで「後光」って意味。後光って意味を知らずに「はろー効果」っていう言葉だけ覚えるのむずかしいと思うわけよ。「ハロー注意報」と同じぐらい難しいんじゃない?
ホールケーキもさ、hole cakeだと思ってるんだろうな。a whole cakeで「ケーキまるごと1つ」って意味だから、カタカナにするともう1回英語に戻さないとわけわからなくなる。これは昔からある言葉だからしょうがないんだろうけど……そうだから、サイクリング(Cycling)、ライフサイクル(Life Cycle)、シリンダー(Cylinder)、サイクロン(Cyclone)、シクロアルカン(Cycloalkane)とかの共通点を見いだせず、1つ1つバラバラに覚えるハメになる。
「パルスオキシメーター」とかさ、pulse oximeter[パルスオキシメーター]って併記したりルビふって書けばいいじゃん。pulseが波/振動、oxiが酸素、meterが計測器なんだから、「パルスオキシメーター」ってカタカナにして暗号化する必要ないじゃん。クリアホルダーとかな、clear folderで、clear(透明な)、fold(折りたたんで収納する)、er(やつ)なのに「ホルダー」とか書いてあるから「hold」と勘違いして、PCの「フォルダー」とは全然無関係なものだと感じてる人が多いんじゃないか。
こういうのって、せっかく漢字で書けるのにわざわざカタカナにしてるのと同じなんだよな。外国人向けにわかりやすくなると思って「誤解を招く発言をしてしまい失礼しました」を「ゴカイをマネクハツゲンをシテシマイシツレイシマシタ」みたいに変えたり、「巨漢の男性が玄関の扉をぶち破った」を「キョカンのダンセイがゲンカンのトビラをブチヤブッタ」って変えるぐらい迷惑。ヨミニクイイガイはモンダイナイノデコウシタヒョウキでもドッカイジタイはカノウダトオモウケド。
中国出身の人が、習近平を「シーチンピンってカタカナっぽく言わないで、わからない」っていうふうに言ってたけど、本当に外来語、特に英語を誰のためにカタカナにしてるのか理解できない。英語がわかってる人もカタカナにされるとわからなくなる。発音が違うから認識できないし、普段カタカナで話さない英語をカタカナにされると迷惑。potatoはポディトゥって聞こえるから、ポテトって言われてもポディトゥのことだと認識できないって感覚。誰にとっても迷惑。情報にたどり着きにくくなるだけではっきり言ってうざい。「この記事はポテトだ」って言っても「何が芋なんだ?」ってわけわかんないけど、「この記事はpotatoだ」なら、なんか日本語じゃない意味があるんだろうなって推測できるじゃん?
「ゴ・ジューのトオ」って書かれて何かすぐわかる?「ケンドウ・モツカナェイ」って書かれて何かすぐわかるか?
もとが外国語のカタカナは意味がある。マーチャンダイザーっていうのは「merchandiser(商品[merchandise]計画をする人)/ merchant: 商人」だし、インテークマニホールド(エンジンへ空気を取り込む複数の弁[Intake: 吸入、manifold: 多様体])とか、インフォームド・コンセント(Informed[知らされた]、Consent[同意])とかさ。コロナ(Corona: かんむり)でいうとバリアント(Variant: 変異体、vary: に変える/を多様にする)もそう。ジングルベルも「Jingle: チリンチリン」で、チリンチリンって鳴るベルだし、全部意味があるのにカタカナで台無し。スペルの1つ1つに歴史や意味があるのに消してるんだよなあ。
マジみんな、なんのために今まで日本語に存在してなかった外来語をカタカナにしてんの。インディビジュアルなオピニオンのタームスでは、エジュケーションにアットオールでコントリビュートしないからナンセンスだとコンシダレイトなんだが?イディオット?マストゲットリドオブでは?ファック。
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。