2016-04-23

別れの季節

今日会社の唯一頼りになる先輩であり、大切な友人が退社した。

先日、5年付き合った彼女に別れを告げられた。

"ポッカリと穴が空いた"なんて言うけれど、近しい人を失った瞬間というもの

本当に空虚自分に心がないような錯覚に陥ってしまう。

毎日のように飲み歩き、過酷な時期には深夜までかけて仕事を達成したという経験

毎日のように喧嘩しながらも、乗り越えた先で何よりも楽しく、幸せ時間を過ごせたという経験

ちっぽけなものでありながら、

から誰かに、何かに依存しなければ満たされない自分は、どうしてもこれらの

経験」に裏付けられた関係性に執着心を持ってしまう。

だけど、その執着心とは裏腹に、人との縁は残らない。

小中高と過ごした地元の"元"仲間達とはどうしてもウマが合わず離脱した。

1年間毎日飲み歩いたバイト先の仲間とは恋煩い自分から別れを告げた。

次のバイト先でも仲が良いと思っていたのは自分だけだったのか自然消滅

一人の恋人には別の彼氏ができ、一人の片思い相手には犯罪者と罵られた。

数えだしたらキリがないが、どうやら自分は人との関係性を残すことができないタチなのか生まれらしい。

からきっと、今回も何も残らないのだろう。濃密に過ごした時間の分だけ虚しい何かに置き換わるのだろう。

どんな相手でも終わったあとには胸の穴しか残らない。

ただひとつ、今までと違うことは、ふたりともネガティブ理由が原因じゃないことだ。

二人とも、"今"という時間を大切に、"今"しかできないコトをするために。

それが自分と同じ時間を過ごしていると達成できないがために。

きっと彼、彼女らにとって、何よりも輝く時間を得るために"別れ"を選ぶのだ。

おとなになった自分は「素晴らしいことだ、彼らのためだ」「エールをおくろう」「前を向こう」とアルコール自分に言い聞かせる。

そして周りから聞こえてくる「なんとかなる、きっとみんなあなたを助けてくれる」の声。

騙しながら、偽りの笑顔を浮かべながらもこれから0になる彼らとの関係性に思いを馳せる。

さようならありがとう。」

彼らはチリにも満たない人間人生の一節に、生々しい傷跡を残して、前へと進んでいく。

僕は次に消えるべく出会いと、人との関係に恐怖をしながら変わらない毎日を過ごしていく。

またぼくは0からだ。

「別れの季節なんて大嫌い。」

たった一人。真っ白な六畳一間で、過去と、今と、これから繰り返す未来を思いながら寒くもないのに震えている。

自分の最も輝いた時間に悔いを、関係性への諦めを噛み締めながら、次の出会いに恐怖している。

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