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はてなキーワード: 訃報とは

2023-04-04

坂本龍一

自分坂本龍一ファンでもないし、その音楽も有名な映画音楽ヒット曲などしか知らない

音楽好きではあるので時々アルバムを聞いたりすることはあったけど、どちらかといえば細野さんのほうが好きだ

坂本龍一訃報最初に知ったのはTwitterTHE MAD CAPSULE MARKETSAA=上田剛史さんのツイートだった

目にしたときはきっと違う坂本さんなんだろうと思ったけど坂本龍一アカウントページを見ると

January 17 1952 - March 28 2023

と固定ツイートに書かれていて、ああ亡くなったんだとハッキリわかった

しばらく考えるでもなく頭の中に勝手に、自分人生の中で時折見かけたり、聞こえたりしていた坂本龍一の断片的な記憶が泡みたいに浮かんでくる

そうしてるうちになぜか涙が流れた

なぜだか自分でも分からない、坂本龍一検索して亡くなったという事実確認するたびに涙が出てきてしまった

感傷的な気持ちになったつもりもないのだけど、なんだか死なない人が死んでしまったような感じで、奇妙な喪失感がある

一番最初坂本龍一という人を認識したのは、たぶん母親に聞かされたYMOだったと思う

当時はYMOが大流行していて、母は僕の髪型テクノカットと呼ばれてた坂本龍一っぽい髪型にしてたのが写真に残っている

ただ自身では何曲か好きな曲はあったものの、それほど強く印象に残っていたわけではなかった

そして戦場のメリークリスマスを見たり、忌野清志郎とのコラボ「い・け・な・いルージュマジック」をテレビで見かけたりして

「なんなんだろうこの人は」という感じで、自分にはちょっと理解が及ばないミステリアスアーティストとしての認識けが残った

すごい人っぽいふるまいで、実際にすごい人で、教授なんて呼ばれてる

なのにダウンタウンコントパンツうんこがついてるキャラクターで登場したりもする

矢野顕子夫婦だった、これもなんだかやたらかっこいいなと思った

でもまあ、その程度の事しか知らないのだ

でもなんていうか、きっと純粋でかわいらしい人だったんだろうなという気はしている

これから色んなメディアで追悼特集がされるんだろうな

サンレコとかで特集されたらそれは読みたいか

こんな風に色んな人がすこしずついなくなっていくんだな

さようなら坂本龍一

2023-04-03

自分の中のいくつかが坂本龍一で一つになった瞬間

ドラマとか見ない自分ではあったが、推理小説が好きなのもあって推理サスペンスドラマは見てた

その中の一つ「ケイゾク」。風呂に入らずに髪はボサボサ、でもめちゃくちゃ頭が良くて「私、わかっちゃったんですけど」というのがカッコよかった

その主役が中谷美紀演じる柴田純。OP中谷美紀が歌う「クロニックラブ」、この時は何となく好き程度だった

ロボットアニメも好きでロボが出てくるアニメはだいたい見てた

その中の一つ「エウレカセブン」数年前に劇場アニメ化されて、劇場に行くほどじゃないけど配信は心待ちにして見てた

2作目の「アネモネ」、とあるシーンの劇伴が「どっかで聞いたことあるなあ……」ってモヤモヤしながら数日たった

ふと気づいた!「クロニックラブ」だよ「ケイゾク」のOPだよ!

おっと、俺ときたらパクリ見つけちゃいましたか

と思って調べたらクロニックラブ作曲坂本龍一で、もともとは「バレエメカニック」という曲をアレンジしたものらしい

もうわかったと思うけど、エウレカセブン48話のタイトルは「バレエメカニック

エウレカセブン登場人物アネモネの感動エピソードの回

そのアネモネを主役にした劇場版がアネモネで、劇伴に48話タイトルの元になった「バレエメカニック」を使ったって事らしいんだわ

そりゃ坂本龍一バレエメカニックを知ってた人なら当時からわかってたと思うけど、自分自身はここでケイゾクエウレカセブンまさか坂本龍一で繋がったんだ

なんか自分人生に埋め込まれていた伏線が回収された瞬間に思えた

坂本龍一訃報を聞いて思い出した昔話

冥福をお祈りいたしま

複数訃報ページがホッテントリに上がるのさすがにノイジーなのでひとつにまとめてクレメンス

2023-03-25

anond:20230324134042

いやー明らかにウルトラマンにかこつけてそう言ってるだけでしょ。しかキモい

というか普通の人の訃報に星になったとか言わないだろ馬鹿が。

例えばウルトラマンに出てたことに触れた追悼 でも幾原邦彦みたいに「ウルトラ五つの誓い忘れません」みたいな内容ならそこまでキモくないんだよ、何故なら尊厳を守ってるから

2023-03-24

団時朗氏の訃報へのブコメを見て

団時朗と言えばウルトラマン、ってのは分からないでもないんだが

それにかこつけて「星へ帰った」とかいうのはマジで何かじゃないか

オタク故の気持ち悪さというか何というか。

2023-03-23

兄弟葬儀

彼は長男として色々な期待と重圧を受けながらも、両親からとても愛されて育ってきたのだろう。

兄弟だった彼は、幼かった頃は隣県に住んでいた事もあり、盆や正月には叔父と共によく遊びに来たものだし、私達も両親と一緒に遊びに行ったものだった。

ところが私が中学に上がった頃、叔父の転勤と共に簡単に往復できる距離ではなくなったこから、“もっとも、当時の我が家の状況を鑑みると、理由はそれだけではないようだが”彼との音信は完全に途絶えてしまい、無事就職が決まって今は勤務先の新潟に居るらしい、という事を叔父から伝え聞いていただけだった。

彼の訃報を受け、私は両親と共に叔父の元へ赴くことになったのだが、私達が斎場へ到着した時にはまだ親族関係者の誰の姿もなかった。

斎場職員に案内された通夜会場には故人の亡骸が納められた棺だけがあり、叔父の到着を待たずに棺の窓を開けて故人と対面した。

いたことに、十数年振りに見る故人は少なくとも私の記憶にある幼い丸顔の彼ではなく、彫りが深くてひげの濃い、独身だった頃の私の兄と瓜二つの容貌だった。

甥の顔を久しぶりに見た両親も、死に化粧所為かもしれないが、と前置きしつつ、本当に寝ている兄のような顔だと。

気がつくと叔父は私達の後ろに立っていた。

正確に言えば会釈するまで、“少なくとも私は”叔父だということに気づかなかった。そのくらいにやつれてしまっていたのだ。

故人の仕事を後押しして遠方に送り出した叔父は、何度も何度もうわ言のように後悔の言葉を口にするばかりで、先に到着していた私の兄と叔母の弟に辛うじて支えられているような状態だった。

その日の夜行われた通夜には、身内だけだと言いながらも、叔父夫婦関係者のみならず、沢山の故人の同級生や友人達が訪れ、予想していなかったのであろうか、叔父は引きつった表情ながらも、その日一度だけ笑顔を見せた。

通夜が終わった夜遅くに私達は叔父夫婦に家へ招かれ、二人は故人の思い出話、そして故人の最後と、再び自分の後悔の言葉を口にした後で、長男に先立たれた現実を、まるで自分達に言い聞かせるように話してくれた。

実は私の両親は、今日まで叔父の家を一度も見たことがなかった。

叔父には、一度だけでも兄夫婦に自らが努力の末に築いたささやかな城を見て欲しい、そういう思いがあったのかもしれない。

実は数年前、私は一度だけ妹を連れ、叔父の家に遊びに行ったことがある。その時故人はおらず、叔父夫婦が私達の相手をしてくれた。

当時の記憶は薄れ掛けていたが、部屋を案内されて少しずつ思い出してきた。

しかし、リビングキッチン荷物が散乱した様は几帳面な筈の叔母のそれではなく、二人の心境をそのまま表しているのが見て取れた。

その後、叔父は一人葬場へ戻り、冷たくなった息子と一緒の最後の夜を過ごした。

翌日の告別式の席上、叔父喪主挨拶の途中で言葉を詰まら号泣したが、振り絞るような声で最後まで読み上げ、叔父、叔母、叔母弟の家族一同で深々と弔問客へ頭を下げた。

皆で献花台の花を分けて棺に詰めて故人を飾ったのだが、沢山の花と思い出の品で個人の顔以外が埋め尽くされた棺の蓋を、叔父夫婦は中々閉じることができなかった。

火葬前にもう一度お顔を見られますから、と葬儀屋に促されてようやく蓋を閉じ、友人と親族で棺を黒い霊柩車まで運んだ。私も棺を持った一人なのだが、両手で抱えた棺は青年となった故人が納棺されているとは思えない程に軽かった。

故人と喪主は黒い霊柩車に、その他はマイクロバス揺られ、住宅街を抜けた郊外にある広い霊場に到着した。

途方も無く広くて、幼い子供たちが芝生の広場で遊んでいる、公園と見紛うような穏やかで緑豊かな風景が.だからこそ余計に、冷たい打ち放しコンクリートの壁で覆われた霊場の中で、故人の棺を囲む我々との落差を大きく感じさせる。

最後に皆で別れを告げ、叔父夫婦もしばらく名残惜しそうに棺の蓋の窓を開けて顔を見つめていたが、叔父が意を決したように閉じ、そのまま故人は荼毘に付された。

火葬が終わった後に行われる骨上げは、当然ながら丁重に死者を敬って厳かに執り行われる儀式であるが、この霊場における骨上げは、霊場職員ステンレス製の台に乗せられた遺骨の部位一つ一つを細かく説明しながら骨壷に納めていく、という正直なところ厳かとは少々距離を、いや、ある意味では場違いエンタメ性すらも感じさせるもので、さながらテレビで見る検死のワンシーンか、解剖実習のようにも見えた。

詰め込み始めて間も無く、若かった所為もあって立派な故人の遺骨は骨壷に納まりきらないだろうことが、誰の目にも明らかに映った。

目の前で全てを納めるように親族一同懇願したのだが、霊場職員は、納めるには遺骨を砕くしかないですが、と説明し、少々躊躇った後で、遺骨を擂り粉木のような棒を使ってバリバリ音を立てて潰しながら骨壷に詰め込み始めた。

“恐らくこれは霊場ではよくある光景に違いない”とはいえ、私でさえギョっとしたそれは、叔父夫婦にはたまらなく暴力的に映ったのだろう、叔母は声にならない悲鳴を上げて顔を真っ青にし、叔父はたまらず席を外してしばらく骨上げの場に戻れなくなってしまった。

しかしながら、骨になって無残に打ち砕かれた息子に背を向けて震える叔父にも、今にも卒倒してしまいそうな叔母にも、声を掛けられる者は、私を含めて誰も居なかった。

ただ骨を潰す不気味な音だけが響き、霊場職員は黙々と骨壷に遺骨を詰め込み、皆無言のままそれを見つめる他無かった。

来場した時と同じバスに揺られながら、来た道を骨壷を抱えて斎場まで戻るとすぐに、父は叔父夫婦に手短に別れの挨拶を告げ、足早にその場を後にした。

時間が迫る訳でも無い筈。いくらなんでも実の弟になんと冷やかな…そう私は思いながらも叔父達に頭を下げ、父の背中を追って車に乗り込んだ。

すると父は、私の気持ちを察したように車内で私と母に、こう諭した。

冷たいかもしれないが私達が居ても何の慰めにもならない。他の親族の足止めになるだけだ、と。

実は、集まった親族の顔ぶれは叔母関係者が中心を占め、叔父側で駆けつけたのは私達と兄だけという、どちらかというと叔母側の意向が強く見て取れる葬儀と、叔父夫婦現在関係性は薄っすらと私にも理解できていたが、父はこの場においてもその事について一切触れなかった。

そして悲嘆に暮れる弟に対する同情の言葉を口にし、人のために涙する父の姿を生まれて初めて見た。

故人の命日は何の因果誕生日の前日、24年と364日の本当に短い人生だったが、彼にとっては辛くて長い戦いの日々だったのかも知れない。

故人の御冥福を謹んでお祈り申し上げます

実家に戻ると家を空けていた間に、少々痴呆気味で放って置けない祖父の面倒を見ていてくれていた妹が迎えてくれた。

両親に促されて、“もっとも、父も母も叔父と会話できるような心境になく、私にこの役目を押し付けただけなのかもしれないが”無事帰宅したこと叔父電話で告げると、本当に良かった、と喜んでくれたが、これから色々と大変でしょうが…と言ったきり私は言葉が続かなかった。

私の様子を察したのか叔父は、今日ありがとう、それじゃあ、とだけ言い、電話は切れた。後日私の兄から聞いた話では、電話の後すぐに叔父は眠ってしまったらしい。

この3日間殆ど眠れていなかったのだから当然だろう。

叔父長男との淡い思い出を夢に見ながら目を閉じたのか、それともこれから差迫るであろう、暗い現実想像しながら横になったのかは、私にも分からない。

※ 一部修正しました。

2023-03-22

菅原さん、何で亡くなったねん。。

最近の数々の訃報でも一番ショック

天満神様に食い倒れの神様として合祀したいでマジ

2023-03-13

anond:20230313152344

江戸時代って人口3000万人弱だから

今の4分の1程度

訃報もそれに伴って少なくなる

2023-03-11

宏洋と添い寝してデートする夢見た。ガチ恋になりそう。

【前提】

大川隆法訃報を機に宏洋氏の動画を見まくりのひび昼間宏洋の動画をつけっぱなしで昼寝

【夢の内容】

宏洋と一緒に寝て自分が起きたら宏洋が自分の小指をずっとモミモミしている

寝たふりをしてもずっと小指をモミモミ

起きてみると優しくしてくれる

宏洋がボートの乗り方を一から教えてくれて乗ってみる

なんか1人乗りっぽい感じのボートだった

機械毛糸を刺すやつでラグを作る(ドスドスやるやつ)

【結果】

宏洋にガチ恋っぽい感じになってときめく

顔がかっこいいし、早口カミカミな口調が可愛いと感じるようになる

宏洋さま…とさま付けで心の中で呼んでしまうようになる

また動画を見まくる

完全に手が届かない存在で病む

でも好き←いまここ

2023-03-08

anond:20230308220010

ジャニー死ぬまで糾弾されなかった問題は完全に男主導って話なだけだよ。

テレビでの訃報の扱いマジでグロかったわ。

anond:20230308215835

多分あれ知らない人も多いと思うわ。

ジャニーズファンが集まってるジャニー訃報掲示板で、聖人扱いマジやだなーとジャニーのあれについて書き込んだら、なにそれ知らないって子が多数だったし、知ってそうな人は裁判には勝った、やってない悪魔の証明ができなかっただけとか騒いでて、通報されてバンされた。

報道したの文春くらいだったと思うし、テレビで大々的に報道糾弾していたらアイドル冬の時代のうちに潰れて、ジャニーズの今の地位はなかったよ。

2023-03-04

50-60年代ジャズにハマり出したけど、名盤が多過ぎて「あとで聴く」が溜まってヤバい

ディスクガイド本を見ながらサブスクで試し聞きして気に入った曲をポイポイとプレイリストに入れていったら30時間分くらいになるし、そこからさらアルバムを深掘りして聞いたり、後の時代のものを聞いたりしたら無限に聞くべきものが出てくる。

昨日は「ウェイン・ショーターって人のNight Dreamerってアルバムジャケットも含めてかっこいい… あ、ウェザーリポートってこの人のバンドなんだ、名前だけ知ってるわ」と思ってたら訃報ニュースがあって驚いた。もはや伝説時代の人で生きていると思ってなかったから。せっかくだから聞きこんでおくことにする。

2023-03-03

著名人の間で「今週は誰と誰が死ぬ?」ってローテがひそかに決まってんの?

去年の後半あたりから訃報ラッシュがすさまじいのだけれど…

2023-03-02

大川隆法と私

私は幸福の科学信者でもないし大川著作を読んできたわけでもないが、ある時期、すこし彼に執着していろいろ調べたことがあるので、訃報に触れて思い出すことを書いておく。すべてうろおぼえの話を書くのでいろいろ間違っているとは思うが(ツッコミが入りそうな予感はする)。

幸福の科学いちばん面白いのは教祖である大川存在とその頭の中身だと思っている。そして、人間として大川性格のようなものは、幸福の科学教祖になった後、意図的対外的自己像をつくり直した過程によくあらわれていると思う。そのあたりの展開は『太陽の法』の初版改訂版現在の版につづく)を比較するとよく分かる。もし大川の人となりを知りたい者がいれば、おそらく『太陽の法』の初版以上に有用資料は少ないだろう。

彼は徳島田舎誕生するが、たしか父親GLA(かGLA系の何か)に入れ込むスピリチュアルな人で、一時期は共産主義に傾倒したあと精神世界にのめり込んだという、ある意味で救いを求めて生真面目にさまよう人間だった。そして本人は運動もできない、体も弱い、勉強もそれほどできないという劣等感を抱える子どもだった。一念発起してガリ勉に転じ、それでも浪人した末にようやく東大合格するのだが、その後、デキる東大生の中で劣等感に苛まれるという「田舎勉強できる子が東大に入ったらただの人だった」の典型的パターン踏襲することになる。そして、たしか在学中に司法試験を受けるもの合格せず、ようやくのことで卒業して拾われるように商社就職する。会社でも卯建のあがらない存在であり、そのうちGLAかに出入りしているうちに天啓を受ける(おそらくノイローゼの末の自動筆記のような状態になる)。そして、それを知った父親の後押しもあり、次第に宗教家としての自覚に目覚めていく。ある意味父親教祖としての大川プロデューサー的な存在だったと思われる(神懸かりになった者を教祖に立てて、実質的教義や教団はその近親や側近が整えるというパターンは珍しくない)。

この辺のプロセスが『太陽の法初版には赤裸々に語られていて、本人のエリートへのコンプレックスのようなものが後の幸福の科学の「予備校」ぽさにつながっていることがよくわかる。つまり一般的に「頭がいい」といわれる人でなくても、あるいは学歴社会能力主義の中で挫折した人でも、決められた本を読み、順番に「勉強」していけば霊的な高みに至れるという教義は、彼自身挫折を埋め合わせるものなのだ。そしてそれゆえに、受験就職などの競争疲弊していた若い社会人に人気を博していくのである幸福の科学独自性とその人気は、時代要請に加えて、ある種の本人の「素質」とビジネス勘のようなもの合致によって実現されたものだった。

そして、大川はある時期に『太陽の法』につづられていた赤裸々なコンプレックスをすべて削除して、「東大では見事な成績だった」「会社にぜひ来てくれと言われた」といった大言壮語で埋め尽くしてしまう。

用事が入ったので続きはまた後で書くかもしれない)

2023-02-26

anond:20230226115412

ネットは各所で一回話題になったらそれまでですぐ次の話題が出てくるけど、テレビは同じ内容を一日中繰り返すから

ぼーっとテレビだけ見てる人のところには、芸能人が一人死ぬたびに十数人分の訃報が届くことになる

2023-02-22

いつかルパン3世も歌舞伎になるのかな

ちょうど訃報が重なっててたまに思うんだけど

例えばルパン三世自分子供の頃聞いてた声の方は

すべていなくなって、いまは全て新しい声になっているけど

今の声をやっている方々も自分よりは年が上の方がいて

自分が運良く長生きできれば、更に新しい声の方が演じるルパン聞くことになるんだろうなとか考えてると

さら自分が死んだあとも4代目ルパン三世とか5代目ルパン三世とかが出てきて

これは何かに似てるなと思ったときに思い出したもの歌舞伎だった

そのうちルパン伝統芸能的なものになって若い人は見ないコンテンツになって

未来ファイナルファンタジー的なものルパンで上演になるのかなとか考えてると

心の奥底から正体不明の震えが湧いてくるんだが、皆さんいかがですか

2023-02-21

anond:20230221031745

タラちゃん貴家堂子さんも亡くなるまで生年と年齢が間違っていたからね

訃報が出てようやく訂正されたけど、Wikipedia記述のまま年齢を間違えて記事を書いていた社があり、その記事Yahoo!トピックスに載ってしまっていた

事務所サイトプロフィールを参照していれば間違えなかったのに

2023-02-20

訃報で言うのもなんやけど

『「遠く時の輪の接する処でまた巡り会える」』って言葉大丈夫

どこかに元ネタあったりしない?訴訟されない?

有名人訃報を聞いて、猫の安否しか気にしない猫キチほんと怖い

現在進行形作品を連載している人の訃報

過去IPで食べてる人の訃報

2023-02-14

隠しの超絶テクニックを持っている実母はCIA2世だと思っている

法律でできた外交会社に勤め、子の名で銀行口座を作り、生命保険契約を作り、大金脱税する

日本キリスト協会柏木教会信者で子に訃報欄を読ませるのが趣味

地元活動家として朝○新聞に出てみたり、研究員父親監視したり忙しいらしい

今日訃報を知った人と一緒に写真撮ったことあるけど、それを写真付きでツイートしたらなんかはしたないなーと思ってやめた。

2023-02-10

anond:20230210120011

タモリ森田一義)さんの弔辞(故 赤塚不二夫さんへ)

弔辞 8月の2日にあなた訃報(ふほう)に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではあります回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代赤塚先生作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑い世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑い世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。自分人生にも他人人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております

 赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたマージャンで勝ったところを見たことがありません。

 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります金銭的にも大きな打撃を受けたこともありますしかあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。

 あなた生活すべてがギャグでした。たこちゃんたこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたギャグによって物事を無化していったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味世界から解放され、軽やかになり、また時間前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます軽井沢で過ごした何度かの正月伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞あなたのものとは、夢想だにしませんでした。

 私はあなた生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます

 赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 私もあなたの数多くの作品ひとつです。

 合掌。

 平成20年8月7日

 森田一義

2023-02-08

ウクライナはかわいそうだったけど

トルコ震災で死にまくってるのはかわいそうとは思えんのだよな

別にまあみろと喜んでるわけでもないが

知らん人の訃報を見るような感じ

2023-02-07

[]ツイッター不当凍結の恨みつらみ

先週の木曜深夜、なーんもしてないのに13年使ってたツイッターアカウント凍結され(マシュマロ連携のせいか?)、急にインフラの一つを壊された感じがして、ぶっちゃけ持病の精神疾患(双極性障害)が悪化し、ホルモンにも急激なストレスがかかって不正出血までした。抗うつ系の薬(本当は躁転するからよくない)も増量になった。

新垢の方は凍結が解除され、とりあえず旧知の相互さんをフォローしたが、とてもじゃないが全員のアカウント名を覚えてるわけじゃないし、鍵垢なんてどうしようもない、探しようもない。

フォロー返ししてくれる人も本当に旧知の人ばかりで、それはありがたいんだが、リアルでも会いたいねとか、やりとりしていた人はフォロー返してくれなかった。ショックだった。

とりあえず凍結後作ったマストドン垢やdiscord垢を使って凍結についてクダまいたり情報交換したりして、それまで絵だけ上げていたインスタも活用し始めた。

そうすると、とりあえずツイッターなくて困るのは、有名人訃報声優アニメクリエイターの近況をいち早く知れないことだけと気付いた。

そんなこんなでツイッター離れ対策を行っていると、解凍された新垢に紐づけされたメールアドレスに、ツイッターからツイッターで会話してみませんか?」と使用を促すメールが届いていた。うっせーんじゃ、今更なんなんだよボケカス

本垢の凍結については毎日、何もしていないのに凍結されたと英語で異議申し立てしている(幸い、英語を使う仕事をしているので不自由ない)が、自動メールが延々と返信されるだけで、効果あるのかどうかがわからない。懸念は、色々と調べものの成果をtogetterにまとめていたから、そのtogetterまとめが無惨な状態になっていることだ(画像が表示されない)。

同じ内容はブログにも上げているから、そこはいいんだが、togetterPVがそこそこあったから、読んでくれていた人に申し訳ない。

一刻も早い本垢解凍は悲願だが、解凍されても、もう積極的な使い方はしない。不特定多数の力で成り上がって、そして有名人金持ち政治家活動家優遇する今のツイッターなんか、誰が盛り上げようとするかよ。くたばれツイッターさらツイッター。もう終わりだよ。老害と金持ちと自称インフルエンサーよろしくやってろや。

若い子がインスタやtiktok中心なのがようやくわかったわ。イーロン体制で最低なソーシャルメディアに成り下がって、やはり栄枯盛衰盛者必衰の理は真だなと思った。

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