はてなキーワード: 能力主義とは
俺の中での仕事ができる人って調和させる能力が高い人のことで、
自身がそれなりに業務処理能力が高いのは当たり前で、組織の中でチームメンバーのケアや配置調整ができる人のことなんだよな。
でもやっぱりクソ零細企業弊社に中途で入ってくるようなバブル育ちの人たちからすると、
「仕事ができる人」ってブラインドタッチが早い人とか、暗算が早い人とか、エクセルのVLOOKUP関数が使える人、なんだよね。
自己評価も甘い人が多くて、お釣りを間違えずに素早く出せただけでちょっとドヤ顔してくるんですよね。
個人の能力主義なので、他人に役に立つ行動ができるかどうかとかあんまり考えない人たちなんだよね。
そういう人たちに「お前の仕事ってクソだな」って言いたくても言えないんですよね。令和ボーイの僕は。
いついかなる時でも暴力絶対反対というならまだ分かるんだけど、BLMの時は暴力を肯定する人がかなり多かったから矛盾を感じるんだよな。
しかも皮肉なのが、よりによってアカデミー作品賞を取ったのが聴覚障害をテーマにした『CODA』だって事。
あの作品は主人公こそ健聴者だけどその家族は聾者で、手話によらなければコミュニケーション出来ない。
そういう人達が侮辱されたらどうするの?少なくともその場で直接には言い返せないよね?
後日準備をして丁寧に抗議するしかない?そうこうしているうちに相手が何処かに行ってしまって行方知れずになるかもしれないのに?
「言葉で言い返せばいい」という理屈は言葉を適切に効果的に使える人に限定されるよね。
CODAの予告編にも下品な言葉で言い返すシーンがあったけどさ。
また、女性が侮辱された時にその夫や恋人が怒って行動に出るのも家父長制だとか言うのも。
じゃあ女性は男女の間には体力差腕力差があるのに、男から侮辱された時には常に自分一人だけの力で立ち向かわなければいけないの?あるいは力を借りる事が許される相手は女性だけ?
能力主義とは必然、力こそ全てという社会を容認するものであるから、
優秀な人間とそうでない人間に格差を作る能力主義バンザイな皆様に於かれましては
「よくやったぞプーチン、建前として戦争反対だがお前のやってることは正しい」
私達は力によるマウントを正しいものとして認めてきているではありませんか
人権?
人権はホームレスもヤクザも救わない、ましてや有事にあって庶民の命を守るものでもありません
守るものは何か?
武力ですよ
金ですよ
力ですよ
さあ明治に立ち返りましょう
使えねー奴は鉄砲玉にして殺す
いいことじゃないか
それを決めるのは力だ
力こそが全てだ
さあ来い
次はお前がやってやれ
結構昔からの友達に、色々ちゃんと自分で考えるタイプで、波長が合うし尊敬してるタイプの子がいるんだけど、その子の様子が最近ちょっと変わっていて。
何かというと、所謂『能力主義は正義か?』的な話(成功は本人の努力によるものではない的なやつ)と、フェミニズムにすごい傾倒してて。
こうやって、特に"フェミニズムに傾倒"って書くのは実はかなり抵抗がある。
というのは自分自身そういう考えを持ってるし、そもそもこうやって"フェミニズム"って日本語で書いた時、それが何を指すのか今はすごい曖昧になってしまってるからだと思う。
※ここでいう"フェミニズム"は、所謂揶揄されるときに使われる"行き過ぎたツイフェミ"みたいな意味ではなくて、女性の人権を守ろうとする考え方や運動、つまり本来の辞書的な意味のフェミニズムです。
そういう"真っ当な"ものだと考えているなら、なんで"傾倒"なんて言葉を使うのかというと、そうとしか言えない状態に友人が見えたからで、それがこんな長々と文章を書いて自分の考えをまとめようとしている理由でもある。
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その友達は昔から本当によく考える人で、ともすれば面倒臭い人なんて扱いを受けることも多かったそうだが、こちらも"自分の頭で考えずに生きるなんて"、という方だったのですごくウマが合った。
ウマが合うといってもずっと一緒につるんでいたわけでなく、中学の時から接触が増えたり減ったりしながら、社会人になった今でも繋がってるといる感じ。
で、最近電話で話し込む機会があったんだが、そしたらなんか友達がその、ちょっと変わっていた。
能力主義は正義か?という話も、フェミニズムも、今ある当たり前を疑うという話ではあるし、それ自体に自分もアレルギーがないどころか、特にフェミニズムについてはかなり友達と似た意見を持っていたはずだ。
ただなんだろう、自分の頭で考えていたはずの友達の口から、インターネットやそこらで聞き飽きたような話がつらつらと出てくるのには結構な違和感を感じてしまった。
能力主義のあれそれやフェミニズム的な話を"聞き飽きたような話"と書くのもすごく抵抗があるが、じゃあ例えばそれが何かというと、エリートへの怨嗟、結婚制度は家父長制を助長するであるとか、現状に対する特権側の無知厚顔さであるとか…。
それらの主張や感じ方自体に反対かというと、そうでないどころか自分も同じような考えを持っていさえする。
だから、所謂"ウワッフェミニズムの人だ!(笑)"みたいな気持ちには当然ならなかったし、途中までフンフンそうだよな的な気持ちですらいた。
のにも関わらず、だんだんと違和感が大きくなっていった。だって、あまりにもその、聞いたことあるし思ったことある話だから。
いやそりゃ、同じ問題について課題意識を持ってるんだから、同じことを考えるのは必然だろうというのもわかるし、それはそうだと思うんだが(例えばフェミニズムじゃなかったとしても)。
ただ、あまりにもその単語の全て、怒りの方向性、結論、雰囲気(としかいいようがない)などがあまりに既視感のあるもので。
似たような人間が同じ本を読んで感想を熱く語っているような、そんな印象を受けた。
で、じゃあその何が問題なのか?というと、それでその友達がものすっっごく生きづらそうだったのと、自分にも同じ生きづらさについて思い当たるところがあったというところ。
いやさ、フェミニズムなんて女性の生きづらさに対する考えや運動なんだからそれを意識すれば大変なのは当たり前で、でもそれに無関心、無知で生きるよりよっぽど良いだろと思うし、それは別に間違ってないとも思う。
ただその"フェミニズム"的考えが本当に全部自分のものなのか、考えたほうがいいなと思った。
別に自分の原体験じゃなくたって、他の人の怒りに同調することは全く悪ではないし、実際日本はジェンダー格差がやべ〜のは事実だし、それに怒ることはマジで大事だと思う。
でも、そういった考え方や感情のどこまでが本当に自分のものなのかを間違えたり、わからなくなると、なんというか現実までそれに歪められてしまって、目の前の人間や現実をそのまま受け入れられなくなってしまう気がする。
"よく考える人である"はずの友達をあらためて客観的に見た時に、あまりにも『能力主義は正義か?』とかフェミニズム的な考え…イデオロギーを外からガッツリインストールしてしまって、それに雁字搦めになっているように見えた。
そこで改めて自分や"フェミニズム"というものを顧みてみると、やっぱりかなり思うところがあった。
今のツイッターの"フェミニズム"ってさ、まぁあくまで自分の観測範囲内であることは先に強く言っておきたいけど、こんな感じじゃん:
・みんなが個々で色々考えて言っているように見えて、そのベースにはある程度共通のイデオロギーがある(ように見える)
・そのイデオロギーは別に特定の有名人一人の考えではないが、複数人拡散力の強い人はいる(本の著者やSNS上のインフルエンサーなど)
・対抗勢力めいたものがいる(その雰囲気を帯びた投稿にめちゃめちゃ噛み付くユーザとか)
・程度の差はあれ、現実の認識がそのイデオロギーに影響されている
これってさ…この特徴って、フェミニズムだけじゃないインターネット上の"運動"でよく見かける気がしないか?
ネトウヨとか、スピリチュアルとか、陰謀論とか、そういう、「自分の頭で考えれば良いのになぁ」って感じの人達。
↑の箇条書きのテーマをフェミニズムからこれらに読み替えてみてほしいけど、どれでも結構当てはまると思う。
まぁ、だからどうなのかと言われると、少し困る。
ジェンダー格差は現実の切実な課題としてそこにあることも、それを自分が問題に感じることも変わるわけじゃない。
ただ、少なくともインターネットで多く繰り広げられてる"フェミニズム的なもの"については、↑のような要素や部分も少なからず有るようには感じる。
人間というものがなんらかのイデオロギーを持って活動しようとすると、多かれ少なかれ似たようなことになるのかもしれないな、とも。
だから、これもどこかで聞いた話だが、"その怒り(じゃなくてもいいけどなにかの強い感情、そして多くの場合は怒り)は本当にあなた自身の怒りなのか?"というところがわからなくなったら、一旦距離を置くというのも(その人自身の人生にとって)良い選択肢なのではないかな、と思う。
別にインターネット上のフェミニズム自体を全く否定するわけではないし、拡散力がある以上その手の運動にとってインターネットの活用は不可欠だと思う。
具体的に名前が浮かぶアカウントも、普通に応援したいというか頑張れ…とは思っている。でも、俺は一旦離れようかな、という感じ。
こんだけつらつら書いて結論弱?!って感じだが(笑)、自分が信じ込んでるものについて、リアルで他人の挙動を見せられたのは結構衝撃だったし、それをみて自分にも思い当たるところ(振る舞いもだけどそれより特に考え方について)があったのも衝撃だったし、それを整理するのに分量が必要でした、という感じだ。
その友達も変わらず俺の大事な友達なので、別にそのイデオロギーめいた部分以外は変わってないし話してて楽しいし、同じ考えを持つことを強要されだすとかしない限りは(そしてそういうことはしない人だとは思う)、仲良くしていきたいと思う…(書いてて改めて思うけどほんと陰謀論の人とかに対する感じ方だな…)。
ちなみに自分の振る舞いや考え方で特に思い当たったのは、同性パートナー(男)への評価の仕方がなんか、毒されてるな(あえてこういう日本語を使う)と思った(し実際相手から微妙に指摘された)という感じです
こういうちょっとした違和感が重なっていた所に、ドーンと友人の挙動を見せられたのがトリガーになった感はある
蛇足にしたのは本編でしていたイデオロギー云々の話に、自分の個人的な話(特に属性)を入れると話が発散しそうだなと思ったので…
男でフェミニズム?モテたいの?とかよく言われるけどゲイだと結構色々思うところはある。
ただあんまりこの話をするとそもそもフェミニズムは女性の権利の回復の話であって(勝手に男のものにするな)、みたいな話にもなるし、別にその話をしたいわけじゃないのであまり脱線させたくなかった
近々のブクマカお喜び案件で言えば、マインドフルネス・アンガーマネージメントとかを無批判にありがたがっちゃう
キラキラ社会的弱者アドバイザーのヤツが該当 → これ anond:20220117131920
『万人に効果があるものでもないのに万人に効果があるように称している』、
もうこの時点でマインドフルネス・アンガーマネージメントについて言及いるか?って話なんですけど
それで察することができるような人は "極端に物を考えないヤツ" じゃあ無いですよね?
極端に物を考えない人たちは考えることを拒否している禅を極めし者たちなので、
短く区切ったところで頭に入りやしないのだけど、せっかく増田を書いたので書いておきます
上記の1〜5は誰でも到達する結論で、本来ならわざわざ口にするまでもない事なんですけど、
140文字を下回る100文字で大喜利ではなく何かの主義・主張をしようというブクマカさんたちは極端に物を考えない人達なので明示的にしないと理解しません
いえ・・・はっきり示したところで理解しません。考えることを拒否している禅を極めし者たちですからね
どうやったって頭に入りやしないのです
けれど『極端に物を考えない』は、特定の特性(キラキラ社会的弱者アドバイザーの言説によればADHDはワーキングメモリが少ないので短略思考になるらしい)の人に限った話でしょうか?
まぁこれも勿論、"NO" ですよね
極端に物を考えないはマイノリティーの特性ではありませんし、この特性を持つ人が社会的弱者かと言えばこれもまた "NO" です
でなければマインドフルネスアプリが630億とも言われる規模感になったりはしないです
もちろん、自身を律し自分の人生の手綱は自分で持とうという姿勢自体は非常に好ましい物だと思います
ただ、自由意志があるかどうか以前に、能力主義の傲慢以前に、自分の人生の手綱以前に、
自分自身が何言っているのか(反応しない・認知を変える・感情を手放すは高尚で高度な技能)、
自分自身が言っていることが実践できている・もしくは実践できる見込みがあるかどうかくらいは、
理解しようとしても損はしないはずです
近年多様性の重要性を説く人々が少なからずいる。その中には所謂マイノリティや女性に配慮することを求める者も少なくない。配慮の方法についても様々なものがあるが、女性比率を○○%にするといった形を採ることがある。
所謂多様性の重要性を説く方々は、多様性自体が良い結果をもたらすかのように考えているようだか、そんなに単純な話なのだろうか。
もし多様性が全ての問題を解決するような因子であるならば、誰もが取り入れるに違いない。
だが、そうはなっていない。
本来はどの様な場合でも、ある行為を行う上で最も適した人間が配置されるべきであり、その過程においてより健全な競争というものが求められるべきだと考える。
その結果、属性の偏りがあろうと何の問題もない。それが老いた男性でも、若い女性でも、マイノリティであってもだ。
その様な実力主義という文脈の上では、属性を理由に排除することはないだろう。排除するべき理由としては能力がないからだ。
見せかけだけの多様性に配慮し、実力がない人間を分不相応な地位に就かせることの方が問題であると思う。
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この場において健全な競争環境と何かについては述べてはいない。それはより実力主義に重点をおいたためである。また能力主義との違いは何かと問われると、明確な違いを指し示すのは難しい。
個人的には、現在の“教育による格差の再生産”を和らげ、階級上昇の機会に富んだ社会を健全な競争環境と考えている。
その目的を達成するための手段としては、公教育のさらなる拡充と科挙的な試験の実施等が考えられ、それらがより(現在との比較的として)公正で公平な競争環境を創るのではないだろうか。
『Apex Legends』の「能力主義」に対する批判――競技性の低いゲームがランク制度を採用するとき
https://jp.ign.com/apex-legends/56866/feature/apex-legends
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.ign.com/apex-legends/56866/feature/apex-legends
この記者は「漁夫や初動ファイトの運ゲーやだ!もっと正々堂々と勝負したい!」って言いたいみたいだが、ならVALORANTやるなりアリーナモードやるなりすればいいのである
それはそれとして現行のApexが人気を落としている原因は、漁夫よりも良ポジションに先に確保して一方的に撃ち伏せる戦術があまりに盤石すぎるのが理由にあると思う
そのために古くはジップラインで味方を高所に運搬するパスファインダー、戦術スキルで手軽に高所を取れるホライゾン、ジャンプパッドで素早く高所を制圧できるオクタン、
そしてなんと言っても現環境ではスカイダイブで長距離移動を容易に行えるヴァルキリーが圧倒的な優位性を持ってしまっており、
ランクマやスクリームではそれ前提とした戦術がガチガチに組まれてしまっていて、すでにゲームとしての煮詰まりを感じているのが正直なところ
それが露骨に出たのが新マップであるストームポイントであり、ランクマの舞台が恒例のワールドエッジに戻ってもそこに気づいてしまったユーザーが心離れしてしまったんではないだろうか