はてなキーワード: 能力主義とは
自由(の享受)は特権化され、負け組にとっては自由は手に入れることすらできないものとなった。努力しても手に入らないのならば、自由の重要性や優先順位が下がるのは当然と言える。
そもそも手に入らないのだから「自由は二の次」となる。中国に自由はないと言われても、拒絶するハードルは低くなるだろう。
民主的な政府への不信、幻滅が、オルタナティブとしての中国を魅力的に見せる
3)中国の巨大さ
中国の統治の特徴は、自由を代償にした豊かさと治安の追及に収斂する。
政治権力を握るトップエリートは、現代の民主主義諸国の場合と異なり、民主的な選挙制度の下での国民の投票によって選出されていない。
(現在の有権者は、大統領であれ国会議員であれ、能力や徳を基準に選んでいるわけではないし、選ぶこともできない)
中国において政治エリートのトップになるためには、能力試験にパスし、数十年におよび行政実務を経験する必要がある。そこから先にも熾烈な競争がある。
選挙でなく、実力本位の選抜をパスした政治エリートによる支配こそが、中国の統治モデルである。
コロナの制圧に失敗した米国、数十年停滞してきた日本。従来の民主主義制度は不信感をもたれている。
エリートたちもそう思い始めている。
1)
資本主義市場経済は民主主義体制と良好な関係があり、資本主義市場経済が発展することで(中産階級の成長を通じて)民主化が進む…はずだった(非民主的ー軍事独裁―国家から民主化の進んだ例:韓国・台湾など)。しかし中国はどうだろう?
資本主義市場経済は発展しているが民主主義体制ではないではないか。その二つの間には因果関係はなかったのだ。金儲けのために民主主義体制を選ばなくてもいいわけだ。
新自由主義化した社会で厳しい競争に打ち勝ってきたエリートは、当然能力主義、成果主義に親和が高い。自分たちと同じように、政治家も能力・業績本位の競争によって選抜される方が望ましいと思うかもしれない。それは、今の民主制度と同じとは言えない ―結果として現在の中国的な制度の方に近い。
多様性を尊重せよ、という主張。あれって結局能力主義の別名なんですよ。
例えば、とある人種だけで構築されたコミュニティがあったとします。そして、そのコミュニティの構成員には能力の高低がある。
このコミュニティをより強くしたいと思ったらどうします?コミュニティの構成員をとある人種の人に限るという不合理なしばりを止めて、人種関係なく能力のある人を募るでしょう。そして能力の低い人は追い出す。
それを能力主義という名目でやると角が立つから、多様性を尊重しようというお題目を生み出したわけです。
追い出される側の人は当然文句を言いますが、そういう人たちには「多様性を尊重できないから文句を言っている」というレッテルを張ればお題目のもとに排除できるわけです。
多様性を尊重できるコミュニティは強い、と彼らが言うことの正体はこれです。
だって、その多様性を尊重できるコミュニティとやら、誰でも入れるコミュニティのふりして、結局ゲーテッドコミュニティだったりしません?
そもそも世の中自分とは全然違う人ばかりなのに、とりわけ多様性を尊重しようと主張するのが変ですってば。それって主張する本人の周りは均質な人間しかいないコミュニティだってことを逆に示してません?
そういう均質なコミュニティが行き詰まりを見せたから自己改革をしていかねばならないけど、そこで多様性の尊重をうたえばきれいなお題目の元能力主義改革を進められるわけです。
俺は風俗で若くて慣れてない女に当たった時、歴が浅いのかと聞いたら、この仕事を始めて2日目だと言われたことがあった
何でこんな仕事を?と問うこともなく、うわっ、せっかく金払ってるのに素人やん、と思った
風俗では100%奉仕させる派の俺は、女の子に何もせず、ひたすら色々してもらった
今の気持ちいいと言ったら10分くらいそれをされたからあきれた
まず40分の時間をどうペース配分するか?という視点がなさすぎて噛み合わなかった
ぎりぎりで騎乗位でがんばられたけど何も良くなかった
時間近づいても射精できそうになかったから、しゃあないな、という感じで嬢を寝かせて正常位で射精したわ
自分が「萌え系」と呼ばれる表現が好きだから、それを作ってるクリエータも「そういうもの」が好きなはずだ、
という前提で話をする人がいるけど、おかしくないですか?
生活の安定を諦めてでもクリエータとしてエンタメの世界で生きていこうという覚悟があるような人は、
かなりの確率でハードコアな SF ファンだったり、ファンタジーならハイファンタジーというタイプだったり、
好きにやらせてもらえるなら、萌えキャラや人気声優が入り込む余地のない玄人好みの、
できることなら SF、ファンタジー、映画の歴史に残るような、「本格○○」をやりたいんじゃないの??
彼らが所謂「萌え系」の表現をやるのは、そうしないとビジネスとして成立しない(そもそも何も出来ない)
からで、では何故ビジネスとして成立しないかというと、ロリ美少女キャラに人気声優の声をあてて
キャピキャピやらせればそれで満足するような程度の低いお客さんが多いからですよね?
つまり、「乳が揺れた」だの「ほとんどパンツが見えそうな超ミニスカ」だので悦んでる
オーディエンスのレベルの低さが間接的に(直接的?)クリエータの手足を縛ってるわけで…
そういうことの方が、よっぽど「表現規制」だという見方もできるわけです。
最近話題のサンデルの本の英語タイトルは『The Tyranny of the Meritocracy』(直訳:能力主義の専制・強権統治)
だけど、自分たちの何気ない「可愛いは正義」みたいな選択が、市場原理を経由して(映像作家を志す者に対して)
「Tyranny」として現れることがある、という自覚はあってもいいと思う。
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誤り①『女性役員を増やせ、女性議員を増やせという主張は、それ自体が男性がそういう役職に就くことを妨害するものではない。あくまでも能力主義で実力がある人間を取り入れ、多様性のある決議を行うべきだ、ということ』
指摘①女性であるというだけで、役員や議員等の権力のある立ち位置に推挙するというのは「能力主義」とは真逆である。
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誤り②『女性に対する性犯罪をなくせという話も、即ち男性への性犯罪を軽視しているということにはならない』
指摘②文面からするとその通りだが、男性のシェルター建設運動がフェミニストによって潰された事例が海外にある。イギリスの第二波フェミニストであったエリン・ピゼイは、1982年「Prone To Violence(暴力を受けやすい体質)」という本でDVの男性被害者についての著作を発表したところフェミニストによって激しい中傷にあい、移住を余儀なくされた。また日本でも、被虐待男児のシェルターが少ない事を指摘したツイートに対して、フェミニストから激しい中傷が寄せられた事は記憶に新しい。これらの事実から、フェミニストは男性の犯罪被害を軽視しているというのは紛れもない真実だろう。
https://note.com/neroreport/n/n40cc76224f4c
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誤り③『松戸市のVtuberの起用などがその例である(中略)アンチフェミはどちらの例においても「どこが女性搾取であるのか」という具体的な説明を求め』
指摘③まず、当該のVtuber「戸定梨香」氏を交通安全啓発キャンペーンに起用したのは千葉県警松戸警察署だ。松戸市が当該プロジェクトに初めて関与したのは、松戸市議であり、また全国フェミニスト議員連盟共同代表である増田薫氏によるクレームが初めての事である。また、署名活動のページを見ればわかる通り、「どこが女性搾取であるのか」ではなく、「女性搾取と断定した理由」「性犯罪を誘発するとみなした理由」を主として尋ねるものであり、事実認識に誤りがある。
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誤り④『Vtuberの例でも、女性の平均的身体からかけ離れた、過度にセックスアピールを強調した描写がされているのは疑いようもないことだ。(中略)そうした表現が一般的に社会には受け入れられるものではなく、むしろ嫌悪の対象となることは理解しているはずである。』
指摘④実際にNHKが松戸市駅頭で動画を往来者に見せてインタビューを行ったところ、20人中19人は「問題ない」と回答した。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211004/k10013281331000.html)この事からも、『嫌悪の対象となる』事の方が、一般的ではない事は明らかである。
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誤り⑤『(もしそうした影響がないと主張するのであれば、根拠をアンチフェミ側が示すべきである。)』
指摘⑤アニメ等メディアからの情報によって、性犯罪やセクハラといった犯罪を犯しやすくなるというのは、所謂「メディア効果論」の事だと思われるが、これは否定されている(参考:有田(2021))。また、通常、このように「ある事柄Aが原因でBという結果が生じている」という疑義を呈するときには、疑義を呈した側に立証責任があるのではないだろうか。
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ざっと読んだだけでもこのくらい、事実誤認・思い込みが含まれた文章であることが分かった。
私の文章もお世辞にも褒められたものではないと思うが、この返信を読んで、事実に基づき、表現規制には断固として反対する同志が増えることを望む。
立民は格差是正とよく訴えているけど、ピンとくる日本人そんなにいるのかな。
サンデルが能力主義批判していたけど、あれはしくじると家すら失い、医者にも行けなくなり、路上で野垂れ死ぬしかないアメリカの超格差社会での話であって、正直日本の格差は能力の差で納得できちゃうんじゃねえの?って思っちゃうんだよな。
でも、親ガチャ失敗してもネグレクトや虐待が無ければ屋根があるところに住めるし、病院に行けるでしょ?
数値や統計では格差がいろいろ現れてくるのはわかってるけど、実感することがあまりない。
コロナだってせいぜい中等症の綾瀬はるかが入院したとか、その程度の話しかなくて大体金持ちも貧乏人も救われてるし、死ぬときは病床が空いてない時でそれは金持ちにも貧乏人にも平等に降りかかっていた問題だし。
アメリカみたいに金が払えないから貧乏人が死ぬなんて自体はほぼなかったはず。
むしろたくさんあると思う。
いや、死んでる人はいるかもしれない。
ただ、リアリティがない。
ホームレスが冬凍死してました、とかわかりやすく格差を実感する機会が周りにない。
その実感のない格差是正を訴えられても、まぁ生活辛いと言えば辛いからとりあえず金くれぐらいしか言えないんだよね。
ただ、正直死ぬほど困ってるわけじゃないから優先順位としては低い。
まず考えられるのは給料の差かな。
部長は年収1000万でヒラの俺が500万しか稼げないことを格差とするのか。
別業種で働いている同い年のアイツが800万稼いでることが格差なのか。
正規社員と非正規とか何かしらの格差が潜んでいるのかもしれないが、金だけの話だとそこに大きな問題があると断定しにくいんだよな。
でも生活保護があるでしょ?
命までは取らないよね。
わかりやすく格差を実感し、リアルで重大な問題だと思える状況=格差による死の日常化が日本にはあまりないんだよな。
誰かが飢え死にした、というニュースならたまに見たことがある。
ただ、これは日常のリアルではなく、ニュースになるような特殊な事態だということであり、更に格差問題を現実から遠ざけている。
アメリカでは飢え死んだホームレスをわざわざニュースに取り上げないと思う。
数値ではいろんな格差が現れているのに、なぜ格差を金でなく死という形でリアルに感じられないのか不思議だが、自分の実感としてはこんな感じ。
他の人も案外こんな感じなんじゃないかな。
ただ、その不思議な感じがある日突然崩壊して、死という形で格差を実感する日が来るかもしれない。
ただ、この不思議な感じが続く限り、格差是正は大した売り文句にならないと思うし、格差はあってもみんな生きていけてるんだから他にやることがあるだろと言われ続けると思う。