はてなキーワード: 能力主義とは
令和の世で封建主義全開にされても困るのだわ
とりあえず暇でパソコン嫌いじゃないならAIとかデータサイエンスとか公的な機関がやってる無料のもの含めて
いろいろ講座あるからやってみたらどうか?って思う
あと司法試験とかの難関資格にのんびり挑んでみるとか、なんかの言語の翻訳者目指してみるとか
本当だったら辛い。本当だったらお悔やみ申し上げます
ガチだったら今はなにも聞きたくはないだろうけど老体に鞭打ったお母様は増田の幸せしか願ってないと思う
40代は全然若者なので心配するのは60歳手前になってからでいいぞ
まずは現状を、ありのままの自分を、"そのままで良い" と認めることが大事というかすべてのスタートラインなんだけど、
トンデモねー毒親持ちだったり、社会的にいろいろ虐げられていると、
・・・ってなっちゃって既にスタート時点でコケちゃうから完全に詰みなんだよな
子に安全地帯を用意できないヤツは本当は人の親になっちゃあいけないんだぞ?
しかし、子は毒親をまともな親にチェンジして生まれ直すことも出来ない
周囲も世の中のあらゆる不幸・不条理をミラクルパワーで無くすことも出来ないし、
リアルでは可能な限りは人に優しくしたいとは思うけど、結局は"出来る限り"だ (自分の能力で出来ないことを無理にしたら潰れるので)
だとしたら、運に恵まれたヤツから、能力主義の宗教信仰から降りるべきなんだよな
ぼく・わたしはただ単に運が良かっただけだと
人間は、親が選べないように、才能も能力も選べないし、(我々がイメージするような)自由意志も持たない、環境の生き物だと
運に恵まれた人が能力主義から降りたところで、現代社会でお金を得やすい条件から外れてしまった人の状況が改善するわけではないし、
国ガチャ・親ガチャ・環境ガチャがハズレてしまった人の不遇/不安定な状況を魔法みたいに解決出来るわけでもない
でもすべてのスタートラインだと思うんだよな、能力主義から降りるのは
ひきこもりの背景要因となる自己愛性とはこの傷つきやすく受身的・回避的な自己資性パーソナリティ傾向だと思われます。
これは、甘やかして育てられた人、傷つくことなく育てられた人のパーソナリティ傾向と誤解されがちですが、
実際には健全な自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、
特に思春期青年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つのが普通です。だから自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が特別であるということにこだわりながら、傷つくことを非常に恐れているのです。
なお、ひきこもる中でこうした自己愛性が二次的に高まっていく心理過程もありうると思われます。
患者は大きな業績という空想(圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること、名声や影響力をもつこと、または素晴らしい恋愛を経験すること)にとらわれています。自分が、普通の人とではなく、自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えています。患者はこのような並はずれた人々との付き合いを、自尊心を支え、高めるために利用します。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は過度の賞賛を受ける必要があるため、患者の自尊心は他者からよく思われることに依存しています。このため、患者の自尊心は通常は非常に壊れやすいものです。患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており、自分がどれだけうまくやっているかを吟味しています。
自己愛性パーソナリティ障害の患者は、他者による批判、また恥辱感や敗北感を味わう失敗に敏感であり、これらを気にしています。怒りや軽蔑をもって反応したり、荒々しく反撃したりすることがあります。または、自尊心を守るために、引きこもったり、表向きはその状況を受け入れたりすることもあります。患者は失敗する可能性のある状況を避けることがあります。
診断
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛への欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
- 自分の重要性や才能について、誇大な、根拠のない感覚を抱いている(誇大性)。
- 途方もない業績、影響力、権力、知能、美しさ、または素晴らしい恋という空想にとらわれている。
- 自分が特別かつ独特であり、最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている。
- 無条件に賞賛されたいという欲求をもっている。
- 特権意識をもっている。
- 目標を達成するために他者を利用する。
- 共感性に欠けている。
- 他者を嫉妬しており、また他者が自分を嫉妬していると信じている。
- 傲慢かつ横柄である。
単なる事実の話しかしていないし、理解出来ないなら無理をしなくていい
なんか毎度毎度繰り返しだよな
長文も理解出来ないし、ワンステップずつ短く区切っても理解が出来ない
ただ下記のようには思っているよ
俺、実は投資家でとか石油王でとかネトウヨプリンスみたいな虚言を吐くことはあるかもだが
バカや無能は尋常じゃなく学歴・知的コンプが強いから自分が頭がいいとは勘違いしないぞ
むしろ、彼らが本心から自分が頭がいいと思うことができたらなら立ち振る舞いが変わると思うよ
能力主義の呪縛は社会全体に深く浸透し、多くの人々の自信を失わせている
運良く勝ちの席に座った連中は幸運を忘れ驕るし、席を得れなかった人たちは怒り腐る
舞台設定に関しては、テッド・チャン「不安は自由のめまい」の《プリズム》で観測できる平行世界というのが元増田の
やりたいことに合致してそうな気がする。
未読だったけど、おもしろそうなので調べて見たら、むちゃんこガジェットが似てて草
ちなみにPrismaticallization(プリズマティカリゼーション)がどういうギャルゲーかというと、
・・・と、だいたいこんな内容。めっちゃ似とらん?www (まぁ、さっきも書いた通りタイムリープ物ならみんなどこかしら似るか)
マクロなスケールで考えれば原理的に始まりから終わりまで決まっているよね
⭐️やはり前回書いた増田(https://anond.hatelabo.jp/20221012002410#)同様に "大差ない" と "時戻し" の定義による⭐️
自由意志は現代の標準的な物理的世界観と論理的に矛盾する。お前と言う存在(自由意志)は気のせいだから"我"があるように振る舞うな😡以前に、
そもそも、我々が現在、"日常" と認識する世界においても、単純に I/私 は連続していない
過去の自分・今の自分・未来の自分は組織からして物理的に違うし、人間の記憶は同じだから連続した存在(同じ存在)とするのもだいぶ無理がある
記憶は五感を伴うものであり、身体の組織が違っていれば、思い出しても当然感じ方は違うし、
(似たような環境で育てたとしても完全に同じ個体にならない理由がまさにこれ)
そもそも記憶のインディックスを失い、正しく記憶を読み取れなくなるかもしれない(いわゆる"忘れる")
早い話が人間は、身体も記憶も連続していない。少なくとも、連続性を保証するものは何も無い
しかし、それでもなお、誰も "I/私" を無い物として放り投げやしないでしょ。ワイはそれを『希望』と呼んでいる
もちろん、現代の標準的な物理的世界観と論理的に矛盾するけど自由意志はあると思ったらある!としても、
壁をすり抜けたりとかトンデモないことは出来ない
(もしかしたら出来ちゃったりするのかもしれないが、1秒間に100億回壁にぶつかりつづければ、宇宙が始まってから現在までに1回ぐらい壁抜けが出来るかもしれないみたいな類に
我々が現在、"日常" と認識する世界でチャレンジする予定は今のところ無い)
でも、ボタンをただ押すみたいな単純で小さな小さな事なら出来ると思って生きているし、それがどんな変化をもたらすのか非常にワクワクして楽しい
それは不確定な未来について不安に思うとかではなくて、 "I/私" は世界に介入する力があるのだから、
世界で認知し得るすべての不幸は、 "I/私" の行動・望んだ結果だからだ
言うても壁をすり抜けたり等トンデモな事は出来ない(と思われる)ので、ボタンをただ押すみたいな単純で小さな小さな行動しかできないけどね
どちらも非常に難しいでしょうね。能力主義 FUCK だよ
だからこそ、口にするほど出来てはいないけれど、自分に足りない物を嘆くのではなく、自分が持っているものに感謝したいし、
自分の能力でできる範囲(出来ないことしようとしたら潰れる) で困っている人は助けたい
あと単純にもっともっと楽しくワクワクしたいので、今よりも少し自分も世界も良くしたい
しかめっ面しながら、うぉぉぉぉぉぉ積み重ねるぞーとやっても何も楽しくないので自分が認知している今を楽しみながら、
でも、出来たらちゃんとなんらかの積み重ねが出来ているようにバタバタやっていきたい
ほんと『言うは易く行うは難し』だよな
結局あらゆる事は自分がどうありたいかってだけの話でしか無いは常に自分の中心に据えたいと思っている
"大差ない"と"時戻し"についてそこそこかっちり目な定義がいる気がするんやで
まぁフワッとしているからこそみんなでワイワイ出来るのやけど
人間は環境の生き物は同意だよ。生まれも環境も選べないし才能も選べないよ。能力主義 FUCK だよ
口にするほど出来てはいないけれど、自分に足りない物を嘆くのではなく、自分が持っているものに感謝したいし、
自分の能力でできる範囲(出来ないことしようとしたら潰れる) で困っている人は助けたい
少なくとも宇宙全体に共通の今は無いし、過去から未来に向かって一方向に流れてはいない
時間は人間の主観であるから、増田と言う人間の自由意志が存在しない場合、観測以前にそもそも時戻しが実現出来ないのでは?
標準的な物理的世界観の外にいるのだから大差ありありのありーじゃないだろうか?
「世の中の理不尽さ」や「不都合な真実」を強調して、それでどうするの?(読書メモ:『ただしさに殺されないために』)
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/06/17
ブログよりもはてな匿名ダイアリー派なのだが、あちらでも非モテを専門に扱う書き手がいて、はてなブログランキングの増田部門を席捲することがある。
非モテ(性淘汰ネタ)に限らず、能力主義の方だと出生ガチャで人生はほぼ決まってるとか、あのフェミニストが気持ち悪いとか、半出生主義とか、ジメジメとした暗いネタは勘弁してほしい。居たたまれない気持ちになる。彼ら彼女らはブコメ欄でキズを舐め合ってるんだろ。
何も解決しないじゃないか。いや、キズを舐め合うのが必要なのは間違いないけど、著名ブロガーがそればかりやってるのを見ると悲しい気分になる。
勝つのが難しくても、負けるのがみっともなくても、戦い続けていることが一番大事だ。やり続けてさえいれば、いつかは弱い自分を肯定できる時もくる。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220616/1655367972/123531
当日記のタイトルなんだけど、もしかしてシロクマ先生はモテない経験を何度もしたんじゃないか、と邪推するようになった。
本人的に「まだ40代半ばだし、精神科医だし、お金持ってるし、サブカルに詳しいし、恋愛いけるっしょ」と思っていたら、若い子にアタックして撃沈を何度も繰り返した挙句が、ブログ投稿の性淘汰ネタの不穏さに現れてるんじゃないだろうか。いや、あくまで邪推なんだけど。
これを読んでる人で、もしシロクマ先生やメロンダウトの人が、最近よくSNSその他で発表してる意見を積極的に読みたくなっているのだとしたら、それは貴方が精神的に低いレベルに落ち込んでいる証ではないか――と、一度もバズったことのない一増田は感じる。
ファンの人がいたら申し訳ない。批判が多いようであれば当日記は削除します。ごめんね。
【余談】
参考までに、女の人生はイージーモードなんて言うヤツがいるけど、とんだ間違いだ。
モテる男の人生も生まれた瞬間に勝ちみたいな論点もあるけど、やはり誤っている。
女性は可哀そうな存在だと思う ※人並にモテると思われる女性の話。女の人生は難しい。
https://anond.hatelabo.jp/20210402211311
女性の瞳を見ることができない ※異常なほどにモテる男性の話。オチが衝撃だった。
https://anond.hatelabo.jp/20220502214152
男性も女性も人生の難易度は同じだ。経済的に見ても、恋愛的に見ても。
女の子は、自分からアタックができないわけだろう。基本的には。男の方から来るのを待つしかない。
でも、いい男が声をかけてきたとして、次は自分を幸せにできるかを見極めないといけない。誰にでもコナをかけてる奴だとしたら最悪だ。
さらに彼氏ができても、その見極めが正しいかわかるまでに時間がかかる。その頃には取り返しがつかなくなっている可能性もある。
男も女も、恋愛は辛いんだよ。人生には、色んな葛藤とか、解決できないこととか、あることのために別の何かを諦めないといけない状況がいくつもあって、そういう制限こそが人間が生きるうえでの本質なんだよ。
いつも葛藤があって、あるモノを得ようとしたら別のナニカを失ってる。人はそういう状況に苦悶しながら、常に何かを選び続けて、自分を制御しながら生きていく。そういうゲームを生きている。
偉そうになってしまってすまんな。
中絶の権利に関するコメントを見ると「胎児も生命」といった素朴なプロライフ的意見に対して「であれば乳児や受精卵は?」といったプロライフの極北を問う指摘が寄せられることが多いように思う。個人的にはこの生命の境界事例論争はあまり筋の良い議論には成りえず、理性(能力)を基準に動物や障害者が持ち出されるとそれ以上理詰めで話を進めることは難しくなってしまう。
他方あまりコメントがつかない印象なのはプロチョイス側の極北である。中絶の権利は直接的には「妊娠した子供を産まない権利」であるが、この権利の本丸は「多くの時間と労力を擁する出産育児を自身の人生において行うのか、行うとしていつにするかを決定する権利」つまり「人生の決定権をより個人に帰属させること」にある。
したがってプロチョイスの極北は「自らの人生に置いていつ何をするのかは個人が決定権を有する」ということになる。これは古典的リベラリズムの理想といって良い。よってここからの議論はかなり能力主義に関する議論に近接する。「現に我々の多くは人生の自己決定権など大して持ち合わせていないし、将来的にも実現不可能である」と不完全な理想として批判するか、「仮に各人が完全に人生を自己決定できたとして、そのような完全な自己責任である人生は多くの凡人にとって地獄である」と幸福論に進むか、「各人が自分の人生に対し十全の自己決定権を発揮した場合、そのような個人の集団は社会を維持できない」と集合行為問題に進むか、である。
プロライフに比べると議論が直感的ではないし、前提も長くなるので字数制限があるsns向きではないとは思うが、プロライフの極北だけでなくプロチョイスの極北についても中絶の権利を考える際には重要であると考えている。