はてなキーワード: 人間とは
・目茶苦茶よかったし面白かったが特に感想が無い…良すぎて特に言う事…無いっすね感
・主人公女の人のビジュアルで「この人は欲しがり屋さんです!」っていうのがスタイリッシュに伝えられてきてスタッフさんすげえや!ってなった 大ぶりのピアスとかゴリゴリの指輪とか赤色が入った服を多くて着てる・たっぷり布を使ったデザイナーものっぽカジュアル服+前髪短め+短め太め眉毛+濃いめアイメイクがすごいよかった
・この映画を観ただけで少し良い人間になったような錯覚を覚える
・すまんな…極力置き配とコンビニ受け取りにするわ
・知人から「コナン映画みたいな感じ」って聞いてて「ほ〜ん、キャラ映画ってコト、ね…」って若干ナメて観始めてたけど目茶苦茶よかった
・最後のロッカー落書きに魅入られかけアカンアカン!ってなるイケメン君ともう少し時間経過したらレーン「止め」そうな五十嵐さん闇深や…環境がもう深淵なんや…
・(爆弾12 11個の下り理解しきれてないなんて、い、言えないよおっ…!)
・共感したセリフ→「欲しいものは特に無いっすね」からの「そのモチベーションが欲しいっすよ」(物欲はない、あえて言うなら気持ち(概念的な物が欲しい))
n=3で申し訳ないが、少なくとも私と、その友人2人はかなり以前から反AIになりしまして、
AI推進派やAIに中立的な発言をした人間に対して、誹謗中傷として訴えられない範囲で対立を煽ってきたし、
反AIの過激で間違った思い込みを全肯定拡散してエコチェンバー化を促してきたし、
今回のナウルの件でもナウルのアカウントにクソリプ飛ばしてたアカウントのいくつかの中身は私だ。
勘違いしないで欲しいが、他の2人が先鋭的な技術信奉者であり、
新しい技術を頭ごなしに否定する反AIに対して明確な強い敵意を持っているのに対し、
私はただの愉快犯であり、AIに対しては特別何の思想も持っていない。
いかにも訴える能力も気力もなさそうなAI学習禁止を掲げる弱個体の絵師に、
言われなければ本人でもそうと認識できないような再現性もクソもないゴミみたいなLoraを適当なサイトに登録して、
なりすましアカウントで本人に「◯◯さんの絵柄がパクられています!AIモンキーは本当にひどいですね!」って垂れ込めば、
そのLoraによる出力内容を確かめもせずに、
「絵柄がパクられた!無断学習された!画像生成AIユーザーはみんな敵だ!」と発狂する。
まー、おもしろいよね。
なにせ当の本人が「自分の絵柄を定義づける特徴はなにか」理解できてないのが露呈する訳だから。
少なくともそのLoraには当人の絵は一枚も含まれていないんだぜ?
「絵柄がパクられた」と思い込んでいるだけ。
あるいは絵柄と呼べる程の際立った特徴がないハンコ絵とも言える。
こんな奴が絵柄パクリ云々言うんだぜ?
くさ生えるわ。
しかも大体絵が下手くそで、masterpieceを指定しているとそのレベルの絵が出ないからネガティブに入れて、
ポジティブにlow quality, bad anatomy, bad hands,uglyとかわざわざ入れる必要があるんだぜ?
絵師として絵柄を語りないなら、せめて低品質タグをネガティブに設定できるレベルになってから出直してこい。
サンプルページに本人が描いた最新の10枚くらい絵と、髪の毛・髪型・瞳の色が同じで、服装が似た系統なら、
もう「無断学習された!私も被害者だ!」で思考が固定されて、そこからどこにも動かなくなるんだもん。
悪趣味と思うだろうけど、
狙い通りに絵師を過激な反AIに落として、疑心暗鬼に陥りXやpixivから絵を下げたり、
エコチェンバーにはめてどんどん過激化して壊れていくのを眺めるのは、
それはなりすましアカウントの運用に毎日数時間の時間を費やす程度のコストに対して、
あまりに気持ち良すぎるし、しかも違法とされる根拠は何も無い。
後まぁ、画像生成AI界隈に関しては非常になりすまししやすい。
何せホームに1枚でも画像生成の画像があれば、脳死で推進派に認定されるし、
ホームに規制派の過激な発言のRPや賛意がいくつかあれば脳死で規制派に認定される。
推進派も規制派もアカウントの取得日時やフォロー・フォロワーの内容すら見もしない。
取得半年以内で、フォロー・フォロワーが「フォロバ率100%系」で7~8割占めるアカウントがまともな訳無いだろ。
最低限のネットリテラシーもないチンパンジー共が、かたや法をかたや倫理を掲げて殴り合いしているんだから本当に笑えるよ。
これからもなりすまししてどんどん憎悪煽っていくから、私みたいなキチガイにいいように乗せられたくなかったら、
接客業に向いてるだの向いてないだのは論点のすり替え。その上、人格批判。
交流を求めてないTPOにそぐわないタイミングで余計な自分語りや自己弁護をいちいち挟んでくる自己主張/被害妄想つよつよパーソンが疎まれるのは一般的な肌感覚として間違いないが
接客ということだと一定数そういう人間がいることは誰でも織り込み済みだし、老人なんかはそういう捻くれた絡み方してくる人間が多いことは誰でも体感的に理解してるから、面と向かっていちいち話し方にケチをつける人はまずいない。
でも受け入れているとはいえ、ネットで陰口的な感じで「こういうやつら何なんだよ」と毒を吐くくらいのことは誰だってしうると想像できるだろ
相対的剥奪の問題を考えている。相対的剥奪とは、例えばこのようなものだ。専業主婦Aがママ友と一緒にランチに行ったとする。そこで、他のママ友から、夫の職業が医者だとか、いつも家に居てくれるだとか、そういう話を聞かされる。オマケに、家事も手伝ってくれるのだという。専業主婦Aは今まで幸福だったが、それら全て持っていなかった。なぜ私の旦那は年収が500万ちょっとしかないのだろう。家にはいないし、家事も手伝ってくれない。不幸である。これが相対的剥奪と、相対的不幸である。そして、ママ友とのランチとは比べ物にならないレベルでこれが日常的に発生している。SNSである。
「人と比べない」のは極めて難しい。これを堂々と掲げている人の多くは、人と比べても大概は勝てる地位にいるが、一部には負けるぐらいで、「比べても仕方ないよな」となっている人である。そして、大概の人は人と比べる。それでも、昔は、上位20%ぐらいの人間は、このマウントゲームに勝てたし、もしくは、上位50%の人間は争わずに済んだであろう。問題なのは、インターネットにおいて、身近に人生の勝者が跋扈している現代である。この時点において、少なくとも99%は敗者である。もしくは、勝者がいない可能性すらある。レペゼン地球、青汁社長、HIKARU、コムドット、幸福なのだろうか。幸福そうではあるが、実際の所は分からない。
この相対的剥奪によって何が起こるかを考えてみよう。まず、男は今まで以上に男性的魅力を求められる。なぜなら、インターネットを見れば、それを持つ男性が多くいるからである。SNSで身長が180cmの男を見た。よって、男の身長は最低でも170cm以上。SNSで年収が1億の男を見た。よって、年収は最低でも1000万は欲しい。あと、超絶イケメンの自撮り上げてる男とFF。フツメン(つまり、ほぼイケメン)でなければ却下。学歴はMARCH以上。これは昔からそうかもしれない。なんにせよ、
ここまで酷くはないかもしれない。もしくは、女性について書かないのはアンフェアかもしれない。女性は容姿のハードルが上がっている。でも、上がったハードルに適応して、皆可愛くなっている。当然、男性が女性に求めるものは、性格や容姿ぐらいなので、その二つは対応可能である。男性は対応不可能である。これが尋常でない少子化の一要因になっているのは、言うまでもない。
とはいえ、カップルが成立しない訳ではない。しかし、強者男性と強者女性以外のカップルは、大抵メンヘラカップル化する。何を隠そう、私も、数年前までメンヘラカップルを営んでは、破綻して別れる事に定評があった。SNSで周りを見れば、メンヘラがゴロゴロといて、皆で不幸を分かち合っている。弱者男性は基本的に発狂し、相対的剥奪の影響をあまり受けていない女性は、ごく一部のみメンヘラ化しているが、大半は幸せそうにチー牛を煽っている。
ここが分水嶺である。ここで、女性に憎しみを燃やすのは、自然現象ではあるのだが、正気を保っている弱者男性の多くは、この欲求に抵抗し、自分の幸せを探し求める道を選ぶ。これが正しい道である。なぜなら、ここからは推察だが、チー牛煽りをしている女性も、恐らく大して幸せではないからだ。そんな女性に憎しみを燃やすのは、不幸なもの同士で刺激しあっているに等しい。全部忘れて、他で幸せを作った方が良いに決まっている。結局のところ、最終的な解決策は仏教的である。女に対する執着を捨てるのだ。その上で、空から女が降ってくるのを待とう。弱者男性はもう、自らの努力で女性を手に入れるのを諦めるべきだ。それで、自らが幸せになったら、当然、幸せな人には人が寄ってくる。まずは幸せになるべきだ。女性なしで。男も勝手に幸せになろう。
認知症患者の祖母は物忘れがひどくトイレに行く度に蓋を閉め忘れる。しかも言った事をすぐ忘れるのでデイサービスの車が来る時間を想定して起こしても起きてこないなんて事がザラにある。
後平日はデイサービスの出迎えもあり、その時間付近はそれに合わせて行動しないといけないので非常に怠い。
そんな祖母に対して優しく接しなければいけないと親は言うが私にはそれが分からない。
優しく寄り添う必要のない人間なのに、さっさと死んでくれたら振り回される事もなくなるので楽になるのに何でそんな奴にまで優しくしないといけないんだろうといつも思っているので最近は「症状が悪化して老人ホームにさっさとぶち込まれたらいいのに」と願いながら接している。
アジア人は人間扱いされません、日本人は差別されて当たり前です、そして世界中から憎まれています
先週は平日睡眠バランスが崩れて平均3~4時間しか眠れていなかった。
土曜日は1日中家の中でゴロゴロして寝たり起きたりを繰り返して過ごした。
日曜の朝方に目が覚めて、脳も体もなにかを欲してるような感覚があった。こういう時はとにかく外に出てしまったほうがいいと経験で分かっている。
スマホだけ持って外に出ると朝焼けが建物の間から見える。夜の名残で空気はまだ少しひんやりしている。
たくさん寝たせいで体が少し軽く感じる。ジョギングに向かうおじさんや、仕事に向かうらしい人とすれ違う。
コンビニの前を通った時、店内で60代くらいのおばさんが棚の整理をしてるのが見えた。あのおばさんのシフトは夜勤なんだろうか。
珍しい時間帯の風景が好きだ。新宿で夜間働いていた頃、夜中ビルの隅っこに座りこんで一人で弁当を食べていたホストの男を思い出す。
ボサボサの髪でのり弁を食べていた彼はその後ホストとして成功したんだろうか、それともまったく違う仕事をしてるんだろうか。
早朝は働く人間の足跡が見えやすい。人の少なさが眠ってる人の多さを想像させる。どんな人間でも眠っていると想像するとなんとなく人間がかわいく思えて好きだ。
配送のトラックが走ってる。ナンバープレートを見てその道程を想像する。
空を見上げるときれいな虹が出ていた。雨なんて降っていたんだろうか?
虹を見たのは3年ぶりくらいかもしれない。3年前心のバランスを崩して仕事を辞めていった同僚と、久しぶりに会った待ち合わせの駅で見た虹以来だった。
あの時は夕方でたくさんの人が虹の写真を撮っていた。僕らは二人とも写真すら撮らなかった。
今日の虹は誰も見ていない。さっきのコンビニのおばさんに虹が出てますよと教えたくなった。それくらいきれいな虹だった。
色の境界はあるのかないのか分からないようなグラデーションで、でもハッキリとオレンジから紫まで色の帯が感じられる。
色が溶けているとしか言いようがなく、曖昧と明瞭が同時に存在してるような不思議さがある。
子供の頃、水たまりに油膜が張っているのを見てこれが虹の最初だと思ったことがある。
それは汚水かなにかだと思うけど油膜が虹色になっていたから、どこかに大きな水たまりがあって、そこから虹は伸びていくんだなと思っていた。
思い返すと、そういった事を大人に話さない子供だった。バカにされると思っていたわけではない。誰に話す必要もないと思っていたんだと思う。
でもそういう事を話してれば大人はかわいいと思ってくれたのかもしれない。そういう意味ではちょっと損したかもしれない。
自然の景色は子どもの頃見たのとまったく変わっていない。自分がどうであろうと虹は勝手に出たり消えたりし続ける。
美しいと思うならどうぞご勝手に、と言われてるような気がして、それがなおさら美しいと感じられる。おお人間は哀れなり。
お腹が空いてる気がしたので吉野家に入って朝定を食べた。店には朝帰りっぽい女の子が一人いた。
少し崩れたアイラインと牛丼の組み合わせが妙に色っぽく見えた。
その後店を出てセブンでアイスコーヒーを買って飲みながら家に帰った。
自分は生きていて、こういうなんでもない時間になにかよくわからないものが染み渡っていき、心を豊かにしてくれるという実感がある。
別にさ、反ワクチンでもなんでも好きに主張したらいいと思うけどさ、周りがワクチンを打ってくれているから流行を抑えられている病気があるわけで反ワクチンも自分のふざけた主義主張を振り翳せるわけじゃん。
そういう公衆衛生にタダ乗りしておきながら「ワクチンは毒!」とか「政府の陰謀!」とか言うのってあまりにも恥ずかしいし情けないし、みっともないじゃん。
そんなにワクチンが嫌ならアマゾンの奥地にでも引っ込んで独自のコミュニティを形成して生きて行けば良くない?
なんでそれをしないの?
ワクチンを打った人からも影響があるなら人がいないところに行けばいいのにさ、なんでしないの?
体質や病気で出来ないなら仕方ない。
でもさ、他者にも影響を及ぼす可能性のある病気というものに対してただの我儘で協力したくない!って言うなら、出て行けよって思うじゃん。
人を変えようなんてのは傲慢でしかないんだから、自分がその輪から出て行けよって思うんだけど、なんでやらないんですかね?
街コンに行くと、いつも何を話すべきか迷う。
人が集まる場だし、みんな軽い話題で盛り上がってるんだろうけど、俺はいつも違う。
女性たちは不思議そうな顔をしていたけど、そんなのはお構いなしだ。
だって、これは美の根本に関わる話なんだから。誰でも分かるだろう。いや、分からなきゃおかしい。
「たとえば、ピタゴラスの定理。a² + b² = c² なんて、中学生でも知ってるでしょ?でも、あの定理が持つ幾何学的な美しさ、理解してます?ただの数式じゃないんですよ、これは宇宙の秩序そのものを象徴してるんです。直角三角形の辺の比が、どうしてあんなに完璧に収まるのか、その背後にあるシンメトリーとバランス、これはただの計算じゃ説明できないんです。幾何学は、自然界に隠された美を可視化する手段なんです。あなたの顔のすべてのパーツはそれを示しています。もしかしてお気づきになっていませんか?」
女性たちは相変わらずポカンとしていたが、そんなことは全く気にしない。
「それに、円と黄金比ですよ。黄金比の美しさって聞いたことありますよね? φ(ファイ)という無理数、1:1.618...っていうあの比率は、自然界でも至るところに現れるんです。貝殻の螺旋や、ヒマワリの種の配置、果てはギリシャのパルテノン神殿まで。これらすべてが、幾何学的な美しさの証明なんですよ。建築家や芸術家たちは、何千年も前からこの黄金比に魅せられてきたんです。それが美の基準なんです。たとえば、あなたが好きな絵画も、おそらく黄金比に従って構図が決まっているはずですよ。あなたのお顔もまさにそのとおりで、僕はあなたが数学的に美しいことを証明できます。」
ここまで来ると、女性の一人が「えぇ〜?本当ですかぁ〜?」と、曖昧な笑みを浮かべているのが目に入る。
だが、その目に理解の色はない。いや、むしろ遠ざかっているかもしれない。
それでも俺は一歩も引かない。だって、幾何学は俺の人生そのものなのだから。
「次はもっと複雑な話をしましょうか?ユークリッドの『原論』はご存知ですか?あれは古代ギリシャで書かれた数学書で、数千年の間、数学の基礎として使われてきたんです。『原論』の最初の定義は、点は幅を持たないもの、線は幅を持たず長さを持つもの。これをもとに、無限に広がる空間の中で幾何学的な図形を描くんです。そして、その空間の中に、あらゆる美が存在するんです。アポロニウスの円錐曲線における楕円の美しさなんか、誰でも感動するはずです。見てください!ほらあなたの腕はアポロニウスと言えるし、あなたの全身は原論の誕生にすら資するべき存在と言えるでしょう」
彼女たちは完全に引いていたが、そんなことはもう気にしない。
「俺にとって幾何学は、ただの学問じゃないんです。これは美を追求する哲学であり、生き方なんです。人々がモナ・リザやアフロディーテ像に美を見出すように、俺はピタゴラスやユークリッドにその美を見出しているんです」
幾何学の美しさを語り終えた頃、ようやくふと我に返り、周囲の反応を確認してみた。
皆、頬に赤みを浮かべているが、目は明らかに遠く、何か別の世界に意識を飛ばしているかのようだった。
ひとりは下半身をチラッと確認し、もうひとりは、首元の鎖骨の付け根あたりをいじっている。
こちらを見ている女性もいたが、彼女の表情はどう見ても「本当にこの人何を言っているの…」という困惑そのものだった。
「ええ、そうですね……幾何学って、すごいですね……」と、一人がようやく口を開いたが、その声には熱意も、理解も、ましてや感銘など微塵も感じられない。
表面的に場を繋ごうとするその言葉は、俺が夢中で語っていた美の真髄が、まるで真空の中に吸い込まれたかのように、何も響いていないのをはっきりと感じさせた。
もう一人が、さらに微妙な笑みを浮かべ、「あ、そうなんですか……それで、その定理って、なんでしたっけ……?」と、曖昧に質問してくる。
しかし、それは好奇心ではなく、ただ適当に話を引き延ばすための、無理やりな興味に過ぎないことは明白だった。
俺はその瞬間、すべてを理解した。
ああ、やっぱりこうなるのか、と。彼女たちの心を動かすことは簡単でも、幾何学的美しさを彼女たちに理解してもらうことはできないんだと。
俺の語るピタゴラスの定理も、黄金比の神秘も、彼女たちにとってはただの退屈な講義に過ぎない。
彼女たちは、たぶん俺の年収や、俺の背景、俺の地位の話を楽しみにしていたのだろう。それが街コンで求められる「会話」なのだ。
「まあ、こういう話、ちょっと難しいですかね……」と自分から話を切り上げるが、内心、虚しさと諦念がこみ上げてくる。
俺は分かっているんだ。結局、幾何学の美を理解できる人間は、ここにはいない。
諦めが胸に染み渡り、俺はふと目の前のグラスを手に取る。
冷たい水が喉を通り、ほんの一瞬だけ現実感を取り戻すが、同時に心の中でつぶやいた。
俺は幾何学を愛している。それだけで十分だ。理解されなくてもいい。これが俺の誇りなのだから。
女性たちがどれだけ俺に興味を持ったかなんて、もうどうでもよかった。
最終的に、女性たちがどれだけ幾何学に興味を持ったかは知らない。
だが、俺の中では確信がある。
幾何学こそが、真の美であり、それを理解しない者は本当の美を知らないのだと。
彼女たちには理解できない美が、俺の中にある。それだけで、俺は満たされているんだ。
俺は腰を振りながらそう思った。
これ、視野が狭くなりすぎる……
こればっかりはしょうがないんだろうなぁ
今はそういう状態の人を
ふーん、そういう考え方なんだねと見ているけど
どういう価値観でもいいし、あっていい。
だがまあ自分が一瞬病気と手術で働けず社会と接点ないまま一年過ごした感覚だと
社会との接点がないと、何かどんどんずれていって
そのずれに気づかないまま一年過ぎてて、戻れた今ハッとしたんだ。
なんか、ちょっと前やばかったな?と。
薬の影響で多少の体重増加はあっても大幅な体重増加はどう考えてもそれまでの生活習慣によるものでしょ。
それなのにデブは世の中に対して「配慮を求める側」として君臨しているんだよね。
おかしくねえか?
世の中に「配慮する側」だろどう考えても。
電車で同じ料金しか払ってないのに2人分の空間を専有し、常に身体は汗臭くてベトベトしてる。
血糖値のバランスが壊れているからいつもイライラしてるし、なんかボーっとしてることも多い。
肌が汚いからフラれたのを「ルッキズムで差別するな」と体重のせいにするし、食べ尽くしを咎められたら「俺は人より沢山食べるんだ」と暴れ出す。
いつも不満そうな顔をしていて、周りから親切心を巻き上げることばかり考えている。
心が醜いんだよね。
人間として劣悪すぎるよ。
それって嫌がる女を虐げたいっていう支配欲だからな〜。しっかり性犯罪暴力コンテンツに性癖歪められてるじゃん。君は一生女性と人間同士の深い繋がりを待てないだろうね。結婚したとしても。お大事に。
ガキすぎんだろ。痴漢で気持ちいいやつなんていねえよ。おまえも50歳くらいの男に触られて恐怖や嫌な思いをしたときに、こんな揶揄されることを言われたらいやだろ?
どんな場所でも、被害者を揶揄する、攻撃する、馬鹿にするみたいな行為は最低だよ。
おまえがどんな生活を送ってきたかはわからないし、おまえの人生のことなんて何もしらないが、とにかく最低最悪の人間だ。
生きている価値がないくらいひどい。このような、インターネットの掃きだめみたいなところですら、おまえはひかれているし、排除されてほしいと思われていることをもっと真摯に向き合え。
ブラジルとかで過ごしてみ。スラムの人たちが常時スリや拉致、暴行をしようとしてくる中で過ごしていると、スラムの人間をみたら泥棒だと思うようになるぞ。それをスラムの人間が「全員がそういう人間ではない」「ただ財布が落ちそうだったから教えようとしただけなのに冤罪だ」といわれても信じられないんだよ。これは理屈じゃなくて感情であり防衛反応。