はてなキーワード: 上陸とは
それに普通の市民を爆撃してみたって何の役にも立ちはしない――引き合わんよ」と京都市への投下には反対した。
記者会見でルメイは「戦争はソ連の参戦がなくても、原爆がなくても、二週間以内に終わっていたでしょう。原爆投下は、戦争終結とはなんら関係ありません」と答えている。
しかし晩年の1988年には、著書で「原爆を使用せずに戦争を終わらせることができたとしても、私は、原爆投下は、賢明な決定だったと思います。なぜなら原爆投下が降伏交渉を早めたのです」と語り、
原爆投下は、上陸作戦前に日本を降伏させ、百万のアメリカ兵の命を救った(=ダウンフォール作戦を決行せずに済んだ)というアメリカ合衆国連邦政府の公式説明を支持している
訓練されていないド素人を連れてきても戦力にならないだろうし、そもそも現代だとそうやって集めてきても上の命令にも従わないので混乱するだけだろう。
では、自衛隊の装備が何割か損傷し、アメリカも引き上げた時点で降伏宣言するのだろうか?
東京は首都ではないという議論はあるが、統治機構があるのだから、歩兵による占領はされるだろう。
中東を見ていると既存の統治機能を使わないと、戦争に勝ったとしても統治できない。
離島上陸は話が出ているので、敵は占領するのはわかるが、本土上陸して攻めるものなのだろうか?
空港に関しては爆撃されるのは、そうだと思う。制空権を取りに行く作戦はあるだろう。
奴隷落ちというのが漫画や小説ではあるが、占領後の日本人にそれを期待するのか?
もう重機が普及しているので、人手確保して資源を掘らせるという時代でもない。
さらし首にして恐怖で支配というのも短期ではあるだろうが、今どきの日本人への統治には合わないだろう。
現代で、戦争が起こったときに何が起こるのかがよくわかっていない。
最初に、諸島が占領されるのを想定して後退しながら米国など同盟国が参戦して取り返すとからしい。
映像がネットに溢れ、自衛隊や米軍の動向が逐一伝えられ、多くの人がそれについてコメントしていくのは想像できる。
映像の兵器について紹介するYouTuberも出てくるはずで、コメント欄に国内だけでなく海外からも溢れるのも想像できる。
戦争反対の動画やコメントも溢れるだろう。自衛隊を応援するコメントも出てくるはずだ。
株価も動くので連日稼げたとか、売り逃げしたとかコメントで溢れるはずだ。
輸入品は値上がりし、物がなくなるという情報が駆け巡り、転売も溢れるはずである。
円は危ないので仮想通貨でという売り込みも溢れるはずだ。
最初のうちは、勝つだの負けるだのという予想であ~だこ~だ言ってるはずだ。
自衛隊機に損害が出たり、死亡が伝えられると反戦気分は高まるだろう。
本土上陸までいかず、ある程度自衛隊に損害が出た時点で、日本は降伏宣言をするのだろうか?
で最近、ホームセンターでコンフィーってブランドよく見るなーって思ってて
イタリアの有名家電「 Comfee’(コンフィー)」ついに日本初上陸!
https://italianity.jp/lifestyle/comfee_italia
Comfee’(コンフィー)とは?
Comfeeは「世界最大の家電メーカーの1つであるMideaのフラッグシップブランドです。北イタリアのミラノとコモの中間あたりに位置するサロンノに拠点を置きます。洗濯機、冷蔵庫、冷凍庫、空調システムではイタリアのシェア・トップブランド。手ごろな価格、秀逸なデザイン、実用性が好まれる要因だとイタリア人はいいます。
Confee (中国電機大手 美的集団の家電ブランド) の電子レンジを買ったんだけと、注意書きの銘板に「アイリスコールにご相談ください」って書いてある!
1. アイリスオーヤマ製品と同じラインで作ってて貼り間違えた
2. 美的集団がアイリスの電子レンジのラベルをコピペした
どっちかな、、、、 pic.twitter.com/bZmLcyGWs8— shao / 澤田 翔 #FullyVaccinated (@shao1555) March 27, 2021
結局東芝なんかな
iPhoneの話題でAndroidとの比較を、日本のケータイの歴史も絡めた増田がホッテントリしていたけど、
個人的には、むしろAndroidがここまで普及したことのほうがにわかに信じがたい話だったりする。
自分は、大学で覚えたパソコンで2ちゃんどっぷりだったキモオタ系ということもあり、
すでにJK~20代の女性とっては当たり前になっていたガラケーも、仕事するようになって数年後、渋々持ち始めたくらいの代物。
だからそもそも、ガラケーの文字入力からして使いにくかったし、iモードに至ってはなにそれおいしいの?という感じ。
だからW-ZERO3とかBlackBerryといった、液晶画面+qwertyのハードウェアキーボードという当時のスマートフォンは、文字通り垂涎の的だった。
「本物のネットはパソコンの世界にあるもんだ、スマホはそこらへんをよくわかってる」
と胸踊らせたものだった。
しかし自分がいたキャリアはあくまでガラケー一辺倒=そういう機種は一切ラインナップに加えないので、本当に歯がゆかった。
そんな自分がアラサーのとき日本に上陸したiPhoneには、そりゃもう興奮した。
しかしまたしても「スマートフォンはまだ早い」とか言ってたキャリアが…。
さて、そんなiPhoneの後塵を拝す形でひっそり登場したのがAndroidなわけだが、これがモノになるなんて正直思えなかった。
海外ではすでにハードウェアキーボードのスマホが一定のシェアを持っていたことはなんとなく知っていたし、そういう従来のスマホとiPhoneの一騎打ちになると予想していた。
だってBlackBerryもNokiaもめっちゃ強かったから、まさかソイツらがブランドイメージ皆無なAndroidに全て駆逐されるなんて、ありえないと思うじゃん。
何よりAndroidがLinuxのスマホ向けディストリビューション、要は中身がLinuxということが、以下の理由でパっとしない感を更に強めていた。
あと全面液晶の「iPhoneクローン」なスマホだったら、Windowsのモバイル版が伸びるだろうと思ってたこともある。
Windowsはそこそこの値段でそこそこの使い勝手のデスクトップPC向けOSとして、当時はもちろん今もデファクトなわけだし、その実績からLinuxというCLIメインのOSよりも、ずっとスマホに近い場所にいると思ってたし。
それにスタープログラマのカトラーが文字通り人生を賭けて作ったOSなんだから、少なくとも院生のお遊びから始まったLinuxなんかよりは、モバイルでも上手くやるだろうと。
そういう当時を空気感を知っていて、かつ、ほぼXperiaしか触っていないとはいえ5年以上Androidスマホを買い替えつつ過ごした人間として、正直Androidなんて…と思っているわけで。
そして去年ようやく念願のiPhoneに乗り換え1年ちょっと経ち、「別にAndroidでいいじゃん」が「もうAndroidには戻れねえ」となった結果、更にその思いが強くなったと。
だから、AndroidとiPhoneをガチで比較してなお「Androidでいい」とか、ましてや「Androidがいい」という人は、一体何を見てそう思ったのか、心底理解できない。
PixelやGalaxyや中華スマホは触ったことないけど、Xperiaは国産スマホでは最高レベルに優れていると聞くし、そんな高級スマホと比較してもiPhoneのほうが全然使いやすいのだが。
むかし、「ツツ ノオ」3神が、神功皇后に新羅征伐を勧めたという話がある
ちょっと意味が分からないのは、貴船神社が海神を祀っているのに、住吉神社も海神を祀っていることだ
思うに、たしかに筒はツツと読むのだが、住吉は「墨江」とも書かれていたらしく、墨といえば文書だ
すると文章を書きしるすとか、一つにまとめるという意味で 綴(ツヅ)るという言葉がある
古代は、字は木簡などに墨で綴られ、木簡は紐で板状に綴られたりもした
だから、住吉神社の3人のツツノオの筒(ツツ) → 綴り(ツヅリ) ではないか?
「綴」はどうしてか、三国志にも出るし日本でもツヅルと呼んでいただろうに、古事記には出てこない漢字なのだ
古事記当時には、紙技術があった(技術者を連れてきていた)からだろうか
何をかいわんや
予想以上に凄惨だった
いまのウイグル人みたいなことされてんな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動
検索に移動
Erromango, Dillon's Bay. July 8th 1858. John Williams, Missionary, killed 1840 by Thomas Bent.jpg
座標 南緯18度48分50秒 東経169度7分22秒
州 Flag of Tafea Province.svg タフェア州
テンプレートを表示
エロマンガ島(エロマンガとう; 英: Erromango)は、南太平洋、バヌアツのタフェア州最大の島。ニューヘブリディーズ諸島の一つ。「エロマンゴ島」、あるいは「イロマンゴ島」とも表記される。そのエロ漫画を連想させる名称から、日本では特に珍地名の一つとして紹介されることがある。
目次
1 地理
2 歴史
3 行政
4 交通
5 言語
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
島の中心部に標高 837 mの火山がある小島で、周囲は珊瑚礁に覆われている。面積 887 km2、人口は2016年の国勢調査では2,109人[1]。主要な産業は牧畜業・農業で、肉牛を飼う大きな牧場が広がっている。西側のディロン湾に好錨地を持つ[2]。かつては全体が密林に覆われ上質な白檀が取れたが、乱伐によって現在はほとんど森がなくなり、白檀も取れなくなった。
18世紀にはイギリスとフランスの旧共同統治領になっていたが、実質上は無政府状態に近かった。ポリネシア系の住民が大昔から住み着いており最盛期には10,000人に達していた。
1830年代から各国が宣教師を送り込み教化を試みたが、送られてから数年以内に原住民の人間狩りに遭って虐殺されて食べられるという事件が頻発していた。犠牲者の中にはロンドン宣教師協会のジョン・ウィリアムズも含まれていた[3]。
1840年代から、宣教師や白檀目当ての商人たちが持ち込んだ赤痢やはしかなどの伝染病が、島中に蔓延するようになり、人口の減少が始まる。商人たちによる住民の虐殺なども頻発するようになった。1860年代には白檀の大半が伐採され森林は荒れ果ててしまった。これ以降は奴隷狩りによる人身売買が島を訪れる商人たちの主目的になっていく。1884年にフランス人宣教師が人間狩りに遭い、殺されて食べられるという事件が起きると、フランス軍が上陸し報復を行った。しかし、イギリスとの領有権問題から、イギリス側の抗議を受けたため、フランス軍は村をひとつ焼き払っただけで撤退した。
1887年に共同海軍委員会を設立して島の治安維持に当たることになった。しかし、住民を保護する法律もなければ行政機関もなく、住民が白人に危害を加えたときに報復するためだけの組織としてしか機能せず、実質的には無政府状態のままだった。
1906年にイギリスとフランスの間で共同統治領とする条約が調印され、各種の法律整備も進められ、行政機関が設置されて無政府状態が解消した。原住民に対してもキリスト教の布教を行い食人文化を禁止し、文明化をすすめたため、20世紀初頭には食人は完全になくなったといわれている。
最盛期には人口1万人に達した繁栄した島であったが19世紀から激減する。住民は現在でもキリスト教の宣教師を殺した神罰により衰退したと信じているが、実際の人口激減の理由はヨーロッパ人がもたらした伝染病による大量死、略奪、オーストラリア開拓のための奴隷狩り(ブラックバーディング)である。このため、島の社会は崩壊し、キリスト教化された住民の間にポリネシアの伝統文化などはほとんど残っていない。
秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本にわたり、
日本の各地には徐福が暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市の徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている
始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島と山東半島に挟まれた内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女(若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野と湿地)を得て王となったと記述されている。
この出来事は紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である。卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。
ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福が暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市の徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。
あくまで、伝承の人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在が疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷も自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福も司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である。
『史記』のほかにも徐福の記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくまで伝説上の人物という見方が強かった。
その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典』編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。
これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわかに徐福の実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。
海上封鎖で日本は程なく降伏せざるを得なくなってたさ。そうでなければ本土上陸作戦でドイツと似たような運命をたどってた。もちろんソ連も北から本土上陸作戦を敢行して日本は分割統治。いずれにせよ数ヶ月でカタがついたろう。
○新型コロナのワクチン接種率の低い国や地域が残っていると、その国・地域で新型コロナ感染症が大流行して経済や物流が止まり、
結局はワクチン接種率の高い国の経済や物流を止めることにもなる。
(自動車業界なんかはこの問題に今直面していて、部品が届かないから減産せざるを得なくなっているし、外国の購買力に頼っていた国内の観光業なんかはもっと分かりやすく危機に瀕しているよね)
○ある国・地域で大流行することによって、現状のワクチンが効かない(効きづらい)株が登場する可能性も高くなる。
○ワクチンの効かない(効きづらい)株が、ヒトやモノを介してワクチン接種率の高い国・地域へ上陸すれば、結局、ワクチン接種率の高い国・地域も経済・物流が止まり、死者も増える。
○そもそも、地球規模で言えば、新型コロナウイルスの「培地」を抱えているようなものだから、そこからいつ飛び火してくるかというリスクを抱え続けることになる
こういった要素を考えると、
ここで言う「保守の人とか」も(こそ)、自国でワクチンを抱えすぎることによって、
上記のようなリスクがどの程度高まり、国益を損なうのかを真剣に議論するべきだと、ずーーーーーーっと思っている。
のだけど、特に「他国がどうとかより自国のことだけ考えるべきでしょ」という思考回路の人たちは、
誤解を恐れずに言うと、頭が悪い(頭が悪いから、ファクターが重なると思考停止して「自国のみ」しか考えられなくなる)ので、
増田の言う「もっと何十倍も議論されるべきだろ」はもっともなんだが、議論のテーブルについたところで、あまり期待できないんだよなあ。
他に何があるかググってみた
すると淡路島には 五斗長垣内 舟木 など、鉄器生産所の遺跡があるという
工場の建物は、神宮式ではなく竪穴式らしいので、弥生人が作ったはず
ゴッサ(五斗長)、カイト(垣内・開拓)、フナ(舟)、ギ(木)からすれば、5隻の船で来た
イザナミ、イザナギ、その子のアマテラス、スサノオ、ツクヨミで、ちょうど5人だ
九州の オトクマテンドウマチ遺跡 は青銅器の遺跡だから、おそらく弥生人のものだったろう
その卑弥呼時代の国や、朝鮮半島の帯方郡は、鉄器製造技術の伝来のころ滅びているようにみえる
古墳時代に九州のウサツヒコ・ウサツヒメが建てた建物にしばらく滞在して、
つまり、イザナミ・イザナミ一族は、本部は九州、日向だったが、大阪に上陸する前に、淡路島にゴッサ基地をたてた