はてなキーワード: スピーカーとは
大学の経済ゼミの同級生。私が発言した時に、たまたま言及の対象に彼の属性があてはまったり、彼の使ったフレーズ(一般用語だからだれでも使う)が含まれていたりすると、「俺の悪口言っただろ!」と突撃してくる。あるときは家の近くまで尾けられた。とつぜん目の前に飛び出してくるやいなや「侮辱罪で警察呼んだから!これでおまえも逮捕だ!」と叫ばれ、周りの人から冷ややかな視線を頂いた。
恨みを買った記憶はある。ゼミの発表会で、「前提となる定義の仕方が間違っているのでそれを前提とした理屈は間違いではないか?」と指摘をしたのだ。でも、その程度の指摘は彼だけでなくわたしや他のみんなも浴びせられるし、それで恨みを買う理由がわからない。しかも、その事についてたまたま話した際に、具体的指摘がなく間違えてると連呼してただけ!と言い出したのには呆れた。
被害妄想の被害は、他のみんなもあっている。深い関係でもないのに、平気で悩み事や考え方に口出ししてきて、ドン引きされたり否定されると逆上するのだが、自分が論理的で誠実だから嫌われていると勘違いして、悪口言ってるに違いない!と思い込むらしい。
食堂で、たまたま彼の話になったときに、いい加減みんな呆れ疲れていたのだろう、ここぞとばかりにめいめい愚痴りだしたら、突然携帯が鳴った。彼からだったので、スピーカーモードにして出ると「また俺の悪口か!おまえらの発言はすべて録音したからなぁぁぁ!」と叫び声が聞こえた。だれかがボソッと「あっこれキチガイだ」とつぶやいたのが、食堂の喧騒の中でいやに耳に残った。
どうもここのところ嫁の様子が変で、問いただしたらマルチ商法にひっかかってた。
誰も傷つかないし、家計の助けになるって言われたらしいんだけど、それにしたって、自分の身内は大丈夫と思ってただけにショック。
大学の先生が「体にいい」ってお墨付き出してたから、警戒が緩んだそうだ。
http://exfuze.jp/sp/event/index.html
新しい商品みたいで、具体的な被害報告はネットにみあたらないけど、あからさまにマルチ。
聞いたことない大学なんで調べてみたら、一コマだけだけど、フードバイオビジネスって科目で「フード・バイオベンチャーの起業を学ぶ」だって。
教科書の表紙は、子供の描いた絵だったけど、すごく綺麗で幻想的だった。どこかの誰かが描いた絵、こんな絵を描ける子が信じられないような子がいるんだなと思った。
色々な曲が載っていたけど、全てを習う訳じゃなかった。色んなやってみよう、のコーナーもあった。でもだいたいそういうのは飛ばして、先生の選んだことをやった。選んだ基準は分からない。
唱歌はまずCDでお手本を聴いた。お手本は子供の歌声なのに、やっぱり信じられないほど上手で綺麗な声だった。スピーカーの向こうは別世界で、とても美しい世界が広がっているのを想像した。たまに、野暮ったい歌声の時もあって、今思えば古い録音だったのかなと思うけど、がっかりした。
自分が聴いてみたいと思う曲の一つに、武満徹のノーベンバーステップス、という曲があった。授業で流すことはなかった。
きょう、NHKで武満徹の合唱曲を聴いて、あの頃のスピーカーの向こうの別世界のこととか、会うことのなかった信じられない子供たちの事を思い出した。もしかしてあの頃の子供達は今日歌っていた人だったのかもしれない。
イアホンと室内スピーカーが違う点は、耳を塞いでいるか否だよね。
イアホンは耳栓にスピーカーがついていると考えればわかりやすい。
DQNが車でものすごい音量で音楽を掛けてるのは耳塞いでるのと一緒に見えるけど、やっぱ違うでしょ。
小回りも効くし、自転車自身も音をほとんど出さない乗り物だから
音としては小さい、気配みたいなものが感じられないと、危険を回避できないからでしょ?
事故は双方が相手を認識して、お互いに危険回避することで未然に防ぐことができるもの。
自動車はエンジン音で周囲に危険を知らせるから、歩行者等が無意識にこれを回避できたけど、ハイブリッド車の発する音が少なすぎて危ないとなったじゃない。
音を発して自ら危険を周囲に知らせるわけでもなく、耳を塞いで自らも周囲に対する認識を怠るとか、どんだけ周囲に危険回避を委ねてるんだという話。
自転車イヤホンが禁止。前から条例でやってる都道府県もあった。その理由は周囲の状況が把握できないからだという。でもどうなんだろうか。それだったら、視力の悪い人は自転車運転時にメガネやコンタクトレンズをすることを義務付けるって話が先にでてもいいと思うし、自動車の車内でスピーカー運転中にならすのも禁止すべきだし、むしろ自動車は密室な分周囲の音が聞こえないのだから周囲の音を取り入れて車内スピーカーから流させることくらいしてもいいと思う。
統計的な根拠があるのかなって思って少し探してみたのだけれど、論文が出てきて、効果はあるが限定的なものだって結論だった。イアホン禁止政策は。
事故が減るならすべきなんだろうとは思う。
でも実際は、イヤホンをしている人が嫌いな人って結構いるんじゃないか。それが結構な要因となっての、禁止したほうがいいって流れなんじゃないのかな。ネットとか見ると「イヤホンは危ないだろうが」みたいな意見が多くて。意見と言うよりも感想が多くてどうして危ないのかの理由を書いてない。歩行者が危険に晒されるっていうのなら、歩行者って足音くらいしか立ててないよね普通。そんなのイヤホンつけてなくても聴けなくないか。車のクラクションとかに気づかないってのならさっきも書いたけど車内スピーカーもどうにかすべきだよね。
昔仕事中にイヤホンしながら仕事している人はどうか。みたいな記事が話題になったこともあったけど。なんかイヤホンをしている人をみると不快感とか嫌悪感とかイライラを感じる人が一定数いるんだと思う。
2025年から増田に書き込めたから、この時代の生活を教えてやる。
腕時計型の端末なんか使ってる奴はもう居ない。そもそもandroidもiOSもスマートウォッチからは撤退した。
辛うじてマイクロソフトだけスマートウォッチ用OSは出してる。誰も使っていないが。
眼鏡型端末も普及してない。ドローンも事故ばかりで物流どこも撤退。
2015年からの10年間で一番大きく生活が変わったのは家の中だった。
まず大型テレビを全く使わなくなった、というかそもそも置かなくなった。
もう誰も壁際にあの巨大な板を置いていない。
次に照明。LEDライトで10年戦えるとか言ってたけど、10年たたずに取り外すことになりました。
もうだれもでかくて丸いシーリングライト付けてません。
そこに取り付けてるのが2015年までのテレビモニタの代わり。
あれだ、こう「照明」+「プロジェクタ」+「スピーカー」+「Kinect」+「PC」+「音声認識」的な物が付いてます。(OSはandroid Zestfulflavoursspecialcake)
部屋の中を360度監視するKinect的なセンサーで人が何してるかチェックして輝度とか勝手に調整してくれる。(設定次第でOFFにもなる。)
でテレビ、というか映像や空間をなんとなく見たい時はプロジェクターとして機能します。部屋の一部or全体にプロジェクションして映像投影。
もう映像見るときはこれ使って見るのが当たり前になってるから、普通は「部屋の中の壁のどこか」に100インチくらい凹凸が無いスペースを用意しておいて、
集中して映像見たいときはそこに投影して映像見てます。(人によってはテーブルの上に映像投影するだけって人も居る。)
あと音声認識とジェスチャー認識の精度が上がっていて、大体の操作はなんとなくで指示すればいいように従ってくれる。
新車を買うことにした。
で、すぐに地図が古くなって空を走らせるカーナビなんていらないからスマホをカーナビの場所に貼っつけたいなと思ったんだ。
カーナビと連携しようとしてもスマホのOSを更新すると不具合でるからOS更新するなとか書いてあるし。
PioneerのAppleCarPlay対応オーディオなんて全然使いものにならないし。
同じくPioneerのスマホをミラーリングできる車載オーディオも不安定で評判は最悪ときたもんだ。
高い金を払ってストレスを買うバカがどこにいるんだよって話なの。
そこでオーディオレスカバーでスマホ貼り付け対応のものはないのかなと思って検索してみたんだが、これがないんだ。
カーナビの場所はスマホが貼り付けられてUSBポートがあってBluetoothスピーカーになれば十分なのよ。
作ってください。
ソニー、音質にこだわったmicroSDXCカード。「ハイレゾウォークマンに最適」
http://b.hatena.ne.jp/entry/av.watch.impress.co.jp/docs/news/20150219_688522.html
俺も数ヶ月前まではこういった商品の否定してたけど、車でUSBのノイズフィルターを使ったら劇的に音が変わったので、オカルトだとは思わなくなった。
この製品がその違いが分かる商品かどうかは別にして、デジタルだからノイズとか関係ないというのは間違いだと今では思っている。
詳しく分かる人がいたら教えて欲しいけど、自分のイメージでは音楽ファイル自体はノイズの影響なく取得できているけど、読み取り時に使われた電気がPCに伝わってスピーカーに悪さしているのだと思っている。
http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/1302/04/news083.html
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2015/01/01/072258
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20150101/p1
読んだ。
だいたい自分は上のお二方と似たような経過をたどってきたと思う。その後、諸事情によって引きこもらざるを得なくなった点だけが違う。そして「やってることが10年以上、本質的になにも変わらなかった」という点ではおそらく上記お二方以上。どれくらい変わらなかったかというと、その息苦しさとやらがそもそもわからなかったくらいだ。俺は昔から「だれが読んでいるか」を意識したことがあまりない。「どれくらい読まれているか」しか考えてこなかった。具体的にはPVのことだが、それは結局数字なので、100が1万になったところでいずれは慣れる。なので、本質的には変わらない。
毀誉褒貶があったことはとうぜん承知していたが、それがリアルのほうに影響を及ぼすとはまったく思っていなかったわけだ。俺の場合、その息苦しさとやらを感じなかった代償が、いきなり現実の罰としてやってきた。つまり、10年以上、書き手として意識をまったく変化させずに「書きたいこと書いたるわ!」などとやっていると、それを不快に思った人からの罰が下る。ブコメを読む読まないの問題ではなく、リアルに影響が及ぶ。それだけインターネットの人口は増えたってことだ。おもらしこどもぱんつ口に突っ込まれてようじょのおうまさんとして東奔西走したいなあさあお兄ちゃんのミッションレバーを握ってごらんウッいきなりバッテリー液漏れだぁなどといえば、それを気持ち悪く思う人間はかならずいるということだ(いるだろう、そりゃ)。
もっともこんなことには解決策はある。リアルの情報をいっさい封じればいい。自分が何歳で、どこに住んでおり、どんな仕事をしているのか、そういう情報をカケラも出さなければ、たとえば「あの人は女の子の放尿シーンのすばらしさについてのみ語る人だ」という認識ができる。
しかしうまくいかないもので「書きたいこと」のなかには、たとえば仕事に関することや、近所の公園で見た桜の花がきれいだったなんてことも含まれたりする。そしてどうかすると、その公園の滑り台の降り口のところでべったりと匍匐しており、上から降りてきたちっさいこのぱんつが見えた経験もまた書きたいことだったりする。そういうものが渾然一体となってひとりの人間であり「書きたい」という欲望を持つ人間は、往々にしてそのへんの区別をしない。桜の花の美しさに感動するのも自分なら、ロリゲーなのにヒロインが処女じゃないことに激怒するのもまた自分である。
もちろん社会生活のうえでは尿ゲーと謳っておきながら着衣失禁が一度もないことに激怒していたことなんかはだれにも言わない。インターネットがもはや電話と同じように単なるインフラなら、リアルとネットという二項対立に意味はない。よって、リアルで言うべきではないことは、ネットでも言うべきではない。
なので、実は俺自身は「ネットってものの質が変化したんだから、不自由もなにもない」という意見になる。不自由さ、息苦しさのようなものを感じるのは、かつては「俺ら」の隠れ家や理想郷めいたものがそこにあったと錯覚しているからだ。実際あったかもしれない。しかしそれは流入人口が少ないがために偶発的に発生した空き地のようなもので、その空き地ではエロ本を隠れて読もうがなにしようが、だれも見咎める人がいなかった、というだけの話だと思う。
2015年、インターネットから空き地は消えた。遊び場が欲しければ、どこぞのSNSという名のビルの何号室かに、外部から干渉されない場所が用意されている。妹キャラにはオナニー必須だと叫んでも外には聞こえない。安心していい。
そう断言する俺自身を含め、どうしても郷愁めいたものが残るのだとしたら、それでもその場所は密室でしかないということだ。広い空き地があって、空が見えて、エロ本探しに飽きたらキャッチボールをやってもいい、駄菓子屋で買ってきたうまい棒を食っててもいい。空き地の前の道路は町につながっているし、その町には鉄道の駅があって、ひょっとしたら空き地にだれか知らない人が遊びに来るかもしれない。空き地で大声をあげて遊んでいる「俺ら」を見て「おもしろそうなことやってるね」と近寄ってくる人だっているかもしれない。かつて、それがどれほど嬉しかったことだろう。
ビルの何号室かは、部屋の番号を知らなければ訪れようがない。
でも、そういうものだ。人口が増えたら都市化は進む。あたりまえの話だ。
PVが増えたというのは、立地のいい駅前広場で、出力の高いスピーカーを装備しているようなもの。観客を集めることはでき、多くの人に自分の声を届けることもできるだろう。本人にそのつもりがなくても、地声がでかければ結果は同じだ。その声をマイクで拾って拡散する人だっている。
いいとか悪いとかの問題ではなく、それはまったく「そういうもの」でしかない。必然の結果ってやつだ。そのぶん、多くの人に声は届く。
とまあ、かつてはマイクの前で大声をあげており、いまは部屋の窓から外を眺めているだけの俺はそう思う。もう、あの場所はいいや、とも。
みんなもパークにインしたときに少し気にしてみるととても楽しいよ。
とても凝った作りになっているものが多い。ワールドバザールの建物一つ一つを見ているだけで飽きない。実際は壮大な看板建築なわけですが、あれだけの建物を美しく維持するのは並大抵ではできない。城や現実にない建物なども同じものを注文しようと考えるととても困難なミッションであることがわかる。開園当初からあるものほど、異常なほどお金をかけている印象がある。
プラモデルなどのモデラーの人は、細部の塗装やウェザリングなどが参考になるというか、巨大な実物大見本だ。近づいてテクニックを確認するもよし、離れてその効果を堪能するもよし。
いつ行っても、花が咲き乱れ、枯れたものなどない。千葉?のどこかに巨大な温室があり、パーク中の花卉をものすごい計画性に基づいて栽培しているところがあるはず。
こんな壮大な植栽の演出のバックは途方もないプロジェクトに違いない。
昔買ったガイドによるとセントラルキッチンと呼ばれる大きな調理室があると書かれている。
1日に5万人以上が訪れるパーク内で、常に温かい食べ物をそれなり以上のクオリティで安定して出し続けることは、かなりの技術を要する。食材の手配、中間調理の方法、現場での短時間でのオペレーティングと品質の維持。興味は尽きない。
パーク内ではどこからともなくBGMが聞こえてくる。それぞれのテーマに合わせて選曲されている。どこにスピーカーがあるのか。これが一つ目のポイントだ。巧妙に隠されてるのと、複数のスピーカーから音を出してもズレがない。普段、このようなセッティングをすることは普通の人は一生ないので、何がすごいのか伝え難いが、ビックリする。これが80年代から行われている。
パレードのフロートからの音と沿道のスピーカーからの音の同期も別の音が出ているにもかかわらず取られている。固定のスピーカーと移動スピーカーの音をどうやって同期しているんだよ。気になって今夜も眠れないよ。
時代時代の最新最高のものが見れる。本当にマジック。9つのカメラで撮影したパノラマシアターが好きだった。映像と舞台を同期させた演出も先駆的だった。
3D映像もキャプテンEOの時代にあたりまえだった。最近だとリニューアルされたスターツアーズと、トゥーンタウンの子供向け射的アトラクションが映像技術的に見所だと思った。
あれだけの人間を採用、教育、オペレーションさせるという一連の流れ。近所のホールで行われる面接会はすごい規模。物議を醸し出すこともある教育マニュアル。一日も停まることのないオペレーション。それらと各種安全管理を日本の法律に適合させていること。
あれを最初から考えろといわれた時点で、卒倒してしまうだろう。
暇そうにポップコーンを売っているおねいさんすら、笑顔で手を振ってくる。近所のコンビニでそんなことできるか。そういうすさまじさは感じる。
さらにアレだけの忙しさがあっても対応を落とさない接客術はすごい。どう教育しているのか、企業の現場担当者は気にしておくべきだと思う。
コミケがー、コミケがーという人がいるだろうが、通年で混雑対応をしているここの対応術は一見の価値がある。駅、駐車場から人のコントロールは始まっていて、綿密な計画の下、混雑対応が図られている。訓練されていない普通の人を不満なく誘導する。企業のイベント担当者は必見だと思う。
混雑の中、仕方なくインする人は、上のポイントについて考えなら、パークを見るととても楽しいよ。普段の仕事をマネージメントするヒントが隠されているかもしれない。
ほかにも見所はあるけれどもこんなところで。
ははっ! そんじゃーねー
それなら確かに「自信がある」ことになる。
でも自己認識としてはいつも「俺はなんてカスなんだ」と思いながら日々生きてるよ。
元増田の言う「引き寄せる」とかいう類は自己認識での自信についての話だと思ったんだけども。
「根拠の無い自信がある」集合と、「根拠の無い不安がある」集合の直和は全体集合には一致しなくて、
本当は「根拠の無い不安が無い状態であることが重要」ということなんだろう。それなら話が通る。
ちなみにどうでもいいけどTOEIC900点ってとってみるとマジでゴミに毛が生えたくらいの価値しかないなって思うよ。
それとったくらいのレベル感の頃にイングリッシュスピーカーと会話してみるといかに自分が何も話せないか骨の髄まで思い知らされる。
要件を聞き、それに応答し、場合によっては担当者へ繋ぐか言付けを伝える
定型的で大したことはない動作なのだが、多くの人がこれで失敗するのを私は知っている
相手の名前が不明瞭であれば聞き返したり、自分の所属名を噛んでしまったり
用件を書くためにメモやペンを探し(この時片手は受話器を持ったまま)、ようやく用意ができたら受話器を頬と肩に挟みながらメモを取る
なんと面倒なことだろうか
予めペンとメモを用意しておくとかそういう解決方法はあるが、万全ではない
この万全ではない状態で、対面していない人間と、ある種のコミュニケーションを図るというのはなかなかにストレスのかかる仕事だ
「扱いやすさ」というのは具体的に言うと、文字送信機能の付いた通話サービスだ
メールではなく、電話で文字を送信したい、というシーンは意外と多い
相手の名前など向こうが文字で送ってくれば一々書き取る必要はないのだ
いちいち聞き返したり、珍しい名字の書き方を教わったり、カタカナでごまかす必要はなくなる
資料がないと対応できない込み入った要件ですら、その場で対応することも可能になる
電話をかける側も、電話をかけた相手の情報が文字として表示されれば、初めて入力した電話番号が合っているかどうか、相手が出るまでドキドキ待つ必要はない
黒電話やファックス機能付き電話の時代であれば、こういった発想はありえなかったと思うが、現在は携帯端末というものがある
通話相手に文字情報の送信など、ハードウェアとしてはとっくにクリアしているスペックのはずだ
なぜ我々は携帯端末で電話をかける時、ディスプレイを塞ぐという愚行を容認してきたのだろう
現在でもスピーカーやイヤホンを使えばディスプレイで他の操作をしながら電話をすることは可能だが、通話相手にそのまま文字情報を送信するといった機能はまだ付いていない
http://blog.plutan.org/entry/2014/11/08/125421
https://twitter.com/sakko_o/status/530520417149390848
個人ブログに鍵付けろって何様?お前ルール人に押し付けるな。読者はフォロワーだけじゃない。キャッシュのリンクまで貼る粘着にも吐気。元エントリーは普通の愚痴だがこのエントリーは不快でしかなかった。そもそもお前一人が元エントリー広めたんだろ。お前も(id:wm-hijiriko)(弱者)を殴ってる。陰で悪口言い放題しているのに私悪口言えませんってどの口が言う?暇潰しで八つ当たりいい加減にしろ。