はてなキーワード: オヤジとは
要するに「お前もういい歳なんだから早く結婚しろ」ということだが、自分が池沼を疑われるレベルのコミュ障で終始キョドっていたので、見かねての発言だろう。
あと内向的フリーダム人間の叔父も「嫁さん大事にしろよ」と言われてたっけ。
これまた「(お前みたいな引きこもりキャラのオッサンを愛する女なんてまずいないんだから)嫁さん大事にしろよ」ということだろう。
こういう空気を読みつつ直球勝負でモノを言う人って、普通の人が中々言えないことを言うから、たまに会う程度なら新鮮だと思う。
それに直球勝負といっても、「童貞は幼女誘拐する前にソープ行け捗るぞ」と毎週のように絡んできた、自称ロックな元上司とかと比べたら全然控えめで上品(そりゃ僧職だから当たり前だけど)。
「ビジネスジャーナル」「サイゾー」運営者に求められる、明確なライター選考基準とは?
混迷の時代を生き抜く社会的弱者から文章を提供してもらって安い原稿料を払って利ざやで稼ぐ情報問屋である今一生が、昨今話題の「クラウドファンディング」をめぐる、ある人物に一方的に難癖つけて一儲けできないかと目をつけている。これは、ネットが生み出した新しい時代の妖怪なのか、飲み屋の酔っぱらいオヤジの個性的演説なのかーー。
最近、「クラウドファンディング」というwebサービスが人気を博している。個人・団体がプロジェクト内容を公開し、それに共感したネット市民がプロジェクトを実現する必要経費として、資金を提供する仕組みだ。
クラウドファンディングは、不特定多数の人から資金を集める行為である。群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、製品開発やイベントの開催、チャリティなどの用途で利用されることが多い。
日本では、東日本大震災の被災者支援のためにこのサービスが重宝され、多くの善意が集められてきた経緯がある。しかしそもそもクラウドファンディングは「少額のお金を多くの人から集める」というだけの仕組みで、社会公益のためにしか使えないものではない。
資金を提供したい人は何らかの商品(リターン)を購入する形になるのが原則で、このサービスの草分けである米国のKickstarterでも、チャリティーなどのプロジェクトに充てる利用は禁じられている。
そんな中、日本のクラウドファンディングのひとつ「CAMPFIRE」(運営:株式会社ハイパーインターネッツ)で、「ニートについての本を書いてるんですが制作費が欲しいです。」というプロジェクトがアップされた。起案者は「pha(ファ)」と名乗る33歳の男性。本人の書いたプロフィールには、こうある。
「日本一のニートを目指す。無職でネットで遊びまくり。インターネットが好きな人が集まって住むという『ギークハウスプロジェクト』提唱者。独学でプログラミングを学び『EasyBotter』『圧縮新聞』『ホッテントリメーカー』などのウェブサービスを多数開発。京都大学総合人間学部卒。できるだけ働かずに生きていきたいです」
本制作費用として、約63万8000円の資金を集めたphaさんのプロジェクト。
そんなphaさんが求めていた目標額面は10万円。すでにこの額面をクリアしており、最終的に249人のパトロンを集め、支援金63万8614円を調達した(このうち20%はCAMPFIREの運営者が手数料として受け取る)。
多くの人に支持されたphaさんのプロジェクト。だた、今一生という人物が上記の募集について重箱の角をつつくような質問メールをpha氏に送った。
ふつうなら無視してもおかしくない、一方的に悪者扱いするようなアホっぽいメールにもブログで多数の読者に公開しつつ真摯に答えたphaさんに対する今一生の反応は、『phaさんはブログで僕の質問に対してネタ的に回答してるのだけど、そのはぐらかしに乗せられて彼に共感してる人は、自分が罪深いことに加担してることに気づいてない。phaさん自身、僕の質問の意図を十分に理解してるとはいえないけど、やがてアップされるサイゾー記事の前パブとしてはアリ。』というものだった。
その質問メールとTwitterでの反応を見て唖然とするネット市民を尻目に、日本のサブカル系Webメディア「サイゾー」(運営:株式会社サイゾー)で、「自称ニートがネットで"生活費集め"はOKか!? (前編)」という記事がアップされた。
ライターは「今一生(いまいちなま)」と名乗る47歳の男性。本人の書いたプロフィールには、こうある。
「フリーライター、編集者。著書に『社会起業家に学べ!』他多数。編著に『日本一醜い親への手紙』等。『オルタナ』『環境ビジネス』等で連載中。講演、マンガ原作、連載、作詞の依頼は大歓迎。取材されるための技術を教える広報コンサルも。福岡の一般社団法人ストリート・プロジェクト理事。」
そんな今一生が慰めとしたのはFacebookだ。すでに自分の周りを同調してくれる人物で固めており、最終的にやっぱり実名じゃないと適当な事を書くからダメだなと、なんとか自尊心を維持した(しかし今一生自身は実名ではなくペンネームでFacebookを使っている)。
ここで、今一生の質問メールや記事の、内容の信憑性や妥当性について、主に2つの大きな疑問が生じる。
ひとつは、phaさんが「ニート」と自称しているのはおかしいのではないかと問題視している点。
約2年前の「日刊サイゾー」の取材で、phaさんは月収を聞かれ、こう答えている。
「だいたい10万円ちょっとくらいです。ブログのアフィリエイトやちょっとしたネットサービスを公開していたり、ネットで本を売ったり。それから時々原稿を書いたりしているのでパラパラと細かい収入があります」
phaさんは可能な限り人に雇われたくない自営業者であり、親のスネや生活保護に頼らず日々の生活費を得るためにアフィリエイトなどで多少の労働をしているという、限りなくニートに近い存在であることは明らかだ。
働けない理由、働きたくない理由は人それぞれであるにもかかわらず、ニートの原理的定義に単純にあてはめて弱者を排除しようとする思考は、労働にまつわる諸問題を矮小化することにも繋がる。
2つ目の疑問は、phaさんが求めたのは「制作費」なのかということを問題視している点だ。今一生は、集めた資金の使い道をこう記事にしている。
『書籍を書き下ろす場合、資料代は税申告の際に経費として計上できるし、phaさんのような低所得者の場合は赤字申告で還付金が入り、資料代程度の額面は相殺される可能性が高い。』
書籍を書き下ろす場合、ふつう印税が受け取れるのは発売から何ヶ月も経った後。さらに所得税の還付は翌年度以降となるため、phaさんのような低所得者の場合はまとまったお金が得られる前に危険な状態になる可能性が高い。
さらに今一生は、『通常、書籍の制作費といえば、遠方の取材に必要不可欠な交通費や宿泊費などを意味する。在宅でニートの本を執筆する際には、まず関係がない。他のほとんどの経費は生活費だ。「家賃や光熱費や通信費」「ファミレスやカフェ」「酒を飲んだり焼き鳥を食べたり」を「本の制作費」と言いきるには、語弊があるだろう。』と書いている。
しかし、CAMPFIRE上のphaさんのプロジェクトは、1500円以上の支援に対しては完成した書籍を一冊送ることになっているため、「他のほとんどの経費は生活費だ」というような記述は、悪意の篭ったミスリードである。
phaさんのプロジェクトを正確に表現するなら、「ギリギリの収入で生活している自営業者ですが、本を書きたいので仕事のかわりの収入源が必要になりました。とりあえず1カ月分の生活費が欲しいです。支援してくれたら本が完成次第お送りします」になる。
今一生はクラウドファンディングの正当性に上から目線で疑惑を投げかけられるような立場なのか?
今一生は『「制作費」を無制限に拡大解釈するプロジェクトが承認された今、食えないクリエイターが制作費として生活費を求める案件を拒む理屈が立たない。』などと勝手な思い込みを書いている。
このような記事の掲載が承認された今、食えないライターが生活費のために適当に書いた飛ばし記事を拒む理屈が成り立たない。
すると、ライターがTwitter上で取材対象に対して暴言ともとれる発言をしていたり、マトモに検証もしないで記事を掲載することを承認した審査基準の正当性を説明する社会的責任が、サイゾーには生じるのではないか?
その責任を放置すれば、「記事を書いてお金はほしいけど、結論ありきで適当に質問メールを送って返答は悪意のある解釈をする」という反・良識的な記事のライターを矢面に立たせて面白がるだけだ。Webメディア業界が築き上げてきたサービスの社会的価値を貶めているのは今一生その人なのだ。
では、株式会社サイゾーは、どんな基準でライターの記事を審査・承認しているのか?
このような、個人を事実無根の思い込みで貶める記事を複数の媒体で掲載しているサイゾーのライター選考基準には大いに問題がある。
そこで、サイゾーの運営元である株式会社サイゾー(東京都渋谷区道玄坂)に、「どのような形で新規に投稿されてくる記事の裏付けを把握・確認していますか?」「今後、取材の見返りもないのに最初から結論ありきの一方的な質問メールを送りつけて、一般市民を追い詰めるような記事が投稿されてきても受け入れていく方針ですか?」など、複数の質問をメールで送ってみるのもいいのではないだろうか......。
(文=今一増田)
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20120627/p1
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20120627/1340792476
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/conisshow/status/215341845142704131
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/conisshow/status/217818952804483072
ほぼ同意。親の忍耐力と子供の忍耐力は、その家族内で同じランクだと思う。忍耐力Aクラスの親にはそのクラスの子が、忍耐力0の親にはdqnな子が。
これに気づいた貴方はえらいんじゃあないすか?
忍耐力をつけさせる必要があるのに、親が忍耐力がないものだから、自分のしたいこと(お友達とのおしゃべり)を子供の教育・しつけよりも優先し、子供に忍耐力を養わせずに子供放置プレイの、騒がせまくりーの、うるさすぎたらiPadでもあてがっておけば黙るだろ?な貧困な発想しーの、子供は野放し状態で事故やらけがしてから気づいても親自身のせいだと気づかずに周囲のせいだと思い込みーのぉ~
というのが、最近見かける大体の親子状態だとおもわれるくらい、滅多にきちんとした子供を見かけることはなくなったのであった
さらにいえば、雷オヤジや近所のおせっかいおばさん絶滅危惧な状態も非常によろしくないです。DQNな子どもを見つけたらもっと周囲が叱っていいんだよ、もう
これだけで、知っている人はピンとくると思うが、そこはゲイが集まるハッテン場だ。
自販機に500円玉を入れ券を買い、スリへの注意を喚起されつつオバちゃんに券を渡す。
労務者風のオヤジからセーラー服姿の女装まで、色とりどりの見本市状態。
常連さんが多いのか、談笑している集団が目につく。
リラックスした雰囲気からドアを開け、超満員の館内に一歩入ると、雰囲気は一変。
異様なオーラがみなぎっていた。
座席では、近くでガン見しているギャラリーを従え、至る所で行為が同時進行中。
知的好奇心のみでその場に辿り着いた俺は、
好奇心の充足のためならば、股間や尻を触られる位は覚悟の上のつもりだった。
案の定、しばらくすると、後ろから尻を触る男が現れた。
ノーマルな俺は、尻の魅力とは、その丸みを帯びたフォルムだと思っていた。
しかし、俺の尻に対する認識は、その場の常識とは微妙に違っていたらしい。
彼らにとっての尻とは、つまり肛門。
人混みを押しのけながら、早足で館外へと向かう。
時折目に入る女装がいなければ。
コミュ障で元来ヲタコンテンツが好きな人間なのに、無駄に背伸びしてリア充系のグループと体育会系のグループに身を置き、かれこれ10年になる。そんな自分はもう30代半ば。
だけどもう限界だ。少なくとも今まで生きてきた時間と同じか、それ以上の時間をこれからもここで過ごすことを考えたら心底うんざりしてしまった。
なので別のグループを探すことにした。
人の情を全く理解できないのだ。
だから理屈と知識と情報の海で生きてきた。それしかうまくやる方法がなかった。
だけど世の中の多くの場所では、どうやら情を直感的に理解して、適切な対応を余裕でこなせる人=大人とみなされるらしい。社会性を備えた一人前の大人とは、そういうことのようだ。
理屈と知識と情報しか見ない人はマイノリティで、そういう人でも快適に過ごせるコミュニティは少ないと思う。
しかもそういう人は子供の頃いじめに遭うリスクを伴うし、成人しても周りから「あいつはそういう奴なんだ」と区別され、普通のコミュニティでのポジションは低い位置に留め置かれるわけだ。
そしてリア充も体育会系も、普通の人よりさらに情を重んじると来ている。
そう考えると羨ましいのは、18歳くらいで「大人」になってしまうDQNのお兄さん達だ。
すぐに彼女見つけて結婚して子供作って家庭を養う立場になるのはごく自然というか。
その代わり30過ぎた頃には立派なオッサンというかオヤジ化してしまうが、それはそれで貫禄あるから困ってしまう。
「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの変人」という育ち方をした自分からしてみたら、これ以上ないくらい青く見える芝生だったり。
とにかく、もう自分は情を重んじる社会で、情が分かったようなフリをして過ごすことに疲れた。
そして疲れる程度に工夫しようとも、ここに身を置く限り、どう頑張っても自分は子供同然なのだ。
子供に社会の重要なポジションを任せる奴なんかいない。せいぜい味噌っかすがいいところだ。
じゃあ死ぬまで子供だったら死ぬまで味噌っかす?そんなんやってられるか。
というわけで、これから「理屈と知識と情報しか見ない、世間一般から見ると子供っぽい人」が構成員の大多数を占めるコミュニティを探すことにした。
これ、「構成員の魔法使い率がやたら高いグループ」と読み替えてもらっても差し支えない。
自分の趣味嗜好に照らし合わせると、キモヲタ方面あるいはネトウヨ方面のグループだろうか。
そもそも自分は「この前の日曜ヒマだったからニコ動で○○系見てたら一日潰れちゃってさドゥフフwwww(秋葉原では「こんにちは最近調子どう?」の意味)」みたいに話しかけられることには全く抵抗感ないし、ガチでコアで濃い人のエンドレス薀蓄に知的()でウケる()相槌を打つことで「友達フラグ」を立てるのだけは得意だったりする(全く自慢にならないが)。
少なくともリア充や体育会系相手に色々気を遣いながら話すよりは全然ストレスを感じない。
10年頑張って結果が出なかったことで諦めがついたというか、諦めるのが遅すぎたくらいだ。
振り返ってみれば、なけなしの自分の強みをもっと活かすべきだった。憧れだけで欲を出した自分がバカだったのだ。
493 :最近 :2012/04/22(日) 12:40:31.98 ID:RCiOMZm20
何て言うか、
TPOに応じた住み分けや自重って良い事であって別に悪い事ではないと思うんだよな
女性向け同人に自重マナーや他者への配慮の意識があり男性向け同人にはそれがないとしたら
女性向けはしっかりしてる、それに比べて男性向けは…って男性向けsageになるのが普通だと思うんだが
そうはならずに女性向けの同調圧力いくない、これだから女はって方向になるんだよなー
バブルのオヤジギャルみたいに明け透けなエロがかっこいいの風潮といい
自重を蔑む女性ヲタって女性的なものは常にsageられるべきであるって
『すべての投稿に即「いいね!」 こんな「ソーハラ」オヤジは嫌われる』
http://www.j-cast.com/kaisha/2012/04/10128386.html?p=all
私に下心があるオヤジ二人のアピール合戦の場になってしまっている。
もう、まさにこの記事にあるような感じで、
まるで二人で競い合ってるかのように、ほんと即座に。
メッセージも、二人とも何気ないことでもよくメッセージしてくるし。
私が「どこどこに行きました。」
って投稿したら、「あれどこの店?」「誰と?」とかコメントしてくるし。
いやいや、場所書いてるんだから「どこの店?」とかググってよ。
それに「書いてない」ってことは詮索されたくない、
ってことなんだから察してよ。
あと、私の好きなモノとか聞いてきて話したことに対して、
目に付くような形で投稿して「意識されたい下心が見え見え」なのも同じ。
例えば、
A「確か、○○が好きって言ってたよね?なら、A店がお勧めだよ」
B「○○なら、A店よりもB店のほうがいいよ。今度案内しようか?」
みたいなコメントしてくる。
なんとか私に近づきたいって下心と
「相手よりも俺のほうが私のことわかってます」アピールというか、
「俺のほうが彼女に近い」アピールしてるみたいな、嫉妬の感情が
試しに、一回、2人にそれぞれ「(相手に)対抗してるの?」
って聞いてみたら図星だった。
なんか、
「アイツが私のFBに馴れ馴れしくコメントしてるの見たら、俺もコメントしたくなる」
子供を育てる時、その子供の能力(あるいは結果)を褒めるのではなく
子供の努力のみを褒めるべきだという定石のようなものがあると聞く
結果のみを褒められてしまうと、子供は努力をせずに時間をかけずに結果を出すことに力を注いでしまう
能力主義というのは酷く脆く、またそれが親に依るものだと自覚をした子供はより危うい
何故なら、社会に出た時に自分が能力のない子供だと示されてしまう事は即ち
「自分の能力を認めてくれた親にも見る目がなかった」という現実を突きつけられる事に他ならないからだ
そうなってしまえば、両親への罪悪感は避けられず、或いはそれの反転による両親への不信感・責任転嫁に逃げざるをえない
自分が何やりたいかそこまで考えてこなかったのが一番イタいよね。
能力面なんて、旧帝入れてそこまでこれたんだから「まずまず」以上だろうさ。ご自分で仰ってる透り
「贅沢な悩み」だと思うし、まーどっかしらに滑り込んだら多少問題はあったとしても
一端の社会人やってくんちゃう?いいと思うよ。自分にハナっから能力が大してないと
認めたうえで最低限を満たす程度に振舞うってのは。処世術としちゃアリっしょ。
ただ、それだと人生消化試合になるから、「目標」みたいなもんが必要になってくる気がするのね。
んで、結局自分が一番幸せな状況ってのはきっと「自分の一番とんがった能力」を「自分のやりたいことの上で」生かす
ってことなんだと思うのよ。結局、その理想的な状況を作るためにみんな結構ガンバったりするわけよ。
逆に、「一生懸命やるのはそもそもイヤだから、ダラっと働ける場所を目指す」ってのもアリアリっしょ。
民間ダルくて、でも旧帝入るくらいの勉強できるならとりあえず公務員でも入ってみたら?
いまどき公務員もラクじゃねーとは思うけど。
自分が働くことに関して、本音ベースでどーいうモンを求めてるか考えたらいいんじゃね。
「親を満足させて」「あまり個人の突出した能力が求められず」「そこそこ休める」くらいの
職場は望んでもバチ当たらないくらいのステータスなんだしさ。とりあえず、そこ目指してみたら?
"違いの分かる"女はOVER40男が好き!? 「an・an」が読者にオヤジをオススメ
http://www.cyzowoman.com/2011/05/post_3575.html
おんなごころのトレンド通信 - 2 - 40代メンズに恋する20代女子の事情。
http://webdacapo.magazineworld.jp/lifestyle/26283/
↑
女だって一般的には歳食った男より若い男の方が好きなもんだ
ああ、オヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。
キミが生まれた20年前、偉大なる社会主義国家、ソヴィエト連邦が消えた。ベルリンの壁崩壊から2年後のクリスマスに、かって革命を夢見た全共闘世代は涙したものだ。
新聞には「資本主義が勝利したのではない。アメリカの一極支配は必ずや滅ぶ」と投書が載った。
人民を革命へと駆り立てたのは、資産家や資本主義社会への反発、不信、抵抗。ゆるやかな社会改良による解決がないわけじゃないのに、プロレタリア独裁を宣言し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。ロシア民謡は小学校の教科書にも採用されたほどだ。
全共闘運動に詳しい社会学者の小熊英二さんは毎年、大学の授業で『共産党宣言』を読ませ、感想を問うてきた。ここ数年「暴力的なだけじゃないか」「私有財産の何が悪いのかわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、国家がノルマを課したころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
ソヴィエトはどこへ行ったのか。
全共闘世代の仙谷由人さんには「かつて若者は暴力装置であった」と言われそうだ。
「大学解体」と「自己否定」のスローガンで機動隊と攻防戦を繰り広げたのは過去。大学全入時代で自己実現を勘違いする若者に、暴力で社会を変革するエネルギーはない、と仙石さんは語る。
革命を夢見るよりも、自己責任を受け入れて、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
なるほどね。いくら「若者よもっと立ち上がれ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。
ともあれ、おめでとう。