はてなキーワード: イスラム教とは
その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった
その結果、英語圏の歴史解説YouTubeチャンネルを発見した
Why Do We Throw Coins in Fountains?
動画の字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった
毎年、世界中で私たちは噴水から井戸、さらにはテーマパークの乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります。私たちは幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます。場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統は時代を超えて広まり、その起源は古代ローマにまでさかのぼります。ローマの公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマのトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティックコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市や観光地の収益の一部として寄付されることもあります。
要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……
しかし歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない
調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね
あと、この解説はアジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている
中国人が願掛けとして飛行機のジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ
すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ
ひとつは西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパの民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート
もうひとつはアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート
二つに分ける意味はあるのか……?
うーん
どうだろう
ないかも
あるということにして調べよう
映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない
しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする
あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう
RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した
(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習は世界中にありますよ」というもの、質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)
「キリスト教の教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた
というわけでイスラム教とユダヤ教でコイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね
ユダヤ教はなんか出てきた
ラビに「願いを込めて願いの井戸にコインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教の教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった
解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな
コイン……つまり金属製の硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある
貝製の通貨、貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域ないかな~
パプアニューギニアは現在も貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった
パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない
まあおそらく無さそう
お葬式で貝貨を精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど……
そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って
ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー
教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった
例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい
いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?
そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか
まあまあ、結論を急ぐことはない
もうちょっと調べましょうね
賽銭とトレヴィの泉を一括りにして包括的に投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない
投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな
……といった感じで調べた内容を一旦メモ
---
太宰府天満宮の菅原道真公のような受験、学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること
---
すぐに思いつくのは、イスラム教国。イスラム法を適用している国では自殺は違法で罰せられるね。
自殺した人間は火葬になる。火葬にされることはイスラム教で死者に対する罰として強烈なやつ。犯罪者扱いなので有形無形の遺族に対する罰もあるね。
自殺者数は宗教的に自殺禁止とされている国で少ないと言われているんだが、これは、宗教戒律で自殺を思いとどまらせている、と言うわけではなく、宗教的にタブーだから自殺であっても事故として処理されているのではないかと言う指摘もある。
また、安楽死を合法としたいというのも、こういった宗教的タブーが関わっているから。自殺は駄目だと言われていたが安楽死はOKとなったことで、潜在的な自殺願望者が一気に自殺に走ったのではと言う話もある。何しろ安楽死を合法化した一部の国では日本の自殺率なんて目じゃないくらい安楽死が行われているとかかなりキツい状況。
国際ジョークとして放出するにも危険だし、良い感じに短くするのも難しくてやめたやつを適当に放流。
以下、本文。
インプレゾンビにキレたイーロン・マスクは、X社CEOリンダ・ヤッカリーノに命じ、Xに下のような挑発文を表示させた
キリスト教圏には「欲望に溺れて泡銭にすがり、人命のみならず己の魂すら売る強欲な者たちに、神の審判は訪れる!
金儲けのために真理を踏みにじり、他者を欺くことで得られる幻惑の富は、最終的には喪失と絶望に変わる。悔い改め、誠実なる生き方を求めよ。さもなくば、いずれ正義の光によって全ては照らし出されるだろう」と
イスラム教圏には
「金の虜になりし者よ。汝らは預言者の教えを忘れ、隣人の財産を欲し、金の雄牛を崇めるのか?
欲望にかられ、正義と慈悲を忘れることで得られる富は、終わりには心の荒廃と罪深さに導く。悔い改め、純粋なる信仰に立ち返れ!」と
「財富の追求に没頭する者たちよ、ユダヤの神聖なる教えを見失い、英語と数学を肋骨とした偽の泥人形に奪わせた富は、結局は虚偽と空しさに満ちている。
神の教えに沿った正義と慈悲こそが、真の豊かさの源なのだ…」と
儒教圏には「仁義を欠き、父祖の苦労を忘れた者たちよ。彼等が必死に勉強して得た知恵を、血も涙もない金儲けをするキョンシーに変えることが汝らの文化なのか?
真の富は仁と礼によって築かれ、誠実な商売をする事こそが真なる価値だ。金儲けのために己の文化を冒涜することなく誠心誠意をもって生きるべきだ」と
仏教圏には「煩悩に囚われ、機械に依存し欲望に従い、悟りを得ずして未法の世を築くことが汝らの望みなのか?
仏陀の教えに従わず、無常の理を知りながらにして迷信やドグマを広め、悟りを果たさぬ機械によって金儲けを図ることは真に愚かな行為だ。
正しい手段で生計を立て、慈悲深く善行を積むことこそが、涅槃に至る豊かなる心と真の福徳であると悟れ」と
ヒンドゥー教圏には「神々や信仰への敬意を無視し、機械を新たなヴァルナの奴隷として利用し、人を欺いて金を得る行為は、完全なる神への冒涜である。
人の尊厳を軽蔑し、偽りの崇拝を追求することで手に入る富は真の宝ではなく、心の浄化から遠ざかるものである。
神々が授けた文化の智慧と慈悲の尊さを理解せず、機械を踊らせるために利用するなど、自ら輪廻に捉われんとする無益な努力である」と
今や映画のみならず、インターネットにも間違ったゾンビが蔓延っている.......」と書かせた
このように全宗教を敵に回したXは公式アカウントからイーロン・マスクのみならず関係者全員のアカウントを完全に炎上させ、ユーザーのほとんどが脱退し、その跡地には熱心なブードゥー教徒と日本のクソ無宗教ネタツイッタラーしか残らなかったという
日本人なため日本人を担当を廻されることが多いのだが、その日本人(男子限定)がまぁ不人気。
様々な受け入れ家庭に留学生のデータを見せるのだが、もちろん日本人を多く受け持つ私は日本人留学生を見せる機会が多い。
だが、なんとなく、明確に言葉にするわけではないが、日本人男子は選択肢として外されているのが態度で分かる。
日本という国自体はそこまで好感度は低くない(むしろ高い方)のだが日本人男子の評価は激低。
男子で一番人気なのはフランスと韓国の子。理由は推測だけどフランスは非英語圏の白人国家で唯一一級市民みたいな扱いを受けることが多いからだと思う。韓国はkpopの影響かな?アイドルほど色男はいないけど。
一番不人気はインド人と日本人😭理由はこっちが知りたいくらい。
中国人は金払いがいいやつならすぐ受け入れ先見つかるし、悪けりゃ🇮🇳🇯🇵並に受け入れ先見つけるの大変。
ちなみに日本人女子は全ての人種の女の子の中でぶっちぎりに人気。特におっちゃんに😅
変なことされてなきゃいいけど。
一番不人気は🇮🇳🇯🇵🇨🇳と書いたけど、正確に言うとイスラム教圏の子達だわ。
日本人男子を拒否るときは気を遣ってくれるような人でも、イスラム教の子は(外見でわかる)「この子はムスリム?」と聞いてきて、そうだと答えるとすぐに拒絶して選択肢から外す。
あと、日本人男子が不人気な理由だけど、家事をやらない・陰気臭いと言うだけなら大体🇰🇷🇨🇳も似たような子はたくさんいる。むしろ母数が多い分そっちの方が多くいるとも言える。
単純なアジア人差別じゃなくて、日本人男子にピンポイントに当てはまる何かしら理由があるはずなんだけど、それがいまいちわからない。
わからなくてごめんね🙏
イスラム教は棄教が認められていませんがこれは信教の自由に反していませんか? なぜなら信者に子供ができた場合その子供は物心もつかないうちに生まれた瞬間から拒否権もなく信者にさせられるからです。そして物心ついて改宗したくなったりしても、棄教は死刑ですのでここ日本であって少なくとも迫害の対象にはなると思います。ここに事実上の信教の自由の侵害が生じていると感じます。どうなんでしょうか?普通に人権問題だと思うんですが。
質問としてはなぜこのように信教の自由に対して教義が必然的にもたらす構造上の問題を抱えたイスラム教を日本が許可してるのかということです。政治家や裁判所の人たちがこの問題に気づいてないからですか?それともこの程度の議論はとっくに知っている上で(それどころか典型的な周回遅れの素人の発想?)なんらかの正当化が可能なので看過しているのですか?
もうちょっと分解してみたら??
たとえば
全世界の女性?だいたい約40億人。世界的にはまだまだ人口増加中なので日々増えていく。
いやいや、イスラム教やヒンドゥー教の女性たちを含まれてもなあ…っていうなら、日本で増田と同じ文化のなかで育った女性?それならざっくり6500万人。少子高齢化だから対象は日々減っていくね。
しかしアラサー(平成ヒトケタ)から見たら、昭和に育ったひとたちは『同じ文化で育った』と言えるのか?
そうなると45歳~25歳くらいとして……統計データから計算すれば具体的な人数は出るから、ちゃんと何人が憎悪対象なのか計算してね。
増田の憎悪対象が40億人か6500万人か人生で会話したことがある数百人か3人か1人かわかんないけど、
イスラム教が一時期広まったのだ
この話題
https://togetter.com/li/2281850
なんかブコメで議論が盛り上がってるけど、単純に迂闊な発言だっただけじゃないかな。
意図として別に問題ないのはわかるけど、英語ではholiday seasonとかの言い換えがあるし、こういう細かいところの言葉の使い方も特に政治家だったら気を付けた方が良いって論調なかったっけ?
俺は結婚を機にイスラム教に改宗したが、妻やその家族を見てて、クリスマスを祝うのが一般的かと言ったら、やっぱりそれは違うと思うし、特別な過ごし方があるわけでもない。俺もすごく狭い範囲しか見えてないけど、じゃあ元の発言はパレスチナにおけるクリスマスの空気感をよくわかった上でなされたのかっていうとそうじゃない気がするし、ブクマ家諸氏もよく知らない人が多いのでは(詳しい人がいたら教えてほしい)。それなら無難な表現を選んだ方が良かったのではと感じる。
別に悪いことしたわけじゃないし、そんなに批判されるような発言ではないと思うけど、自分含め日本に住むムスリムの中にはちょっと引っかかるなって感じる人が居るかもしれないというだけ。この方の最新のツイートを見ると、宗教を問わずメリークリスマスと言いたい主義のようなので、来年のイードの際にもぜひお祝いの言葉を発信してほしいと思います。(その頃には世の中の状況がもっと良くなっててほしいね。)
ジャニーズも宝塚も創価学会等々大きな変化がある年だが、どれも日本国内で一定規模の集客力があるのに外国でほとんど集客力がないのが不思議。創価学会は280万人の海外の信者がいるようだが、キリスト教やイスラム教に比べれば多いとは言えないとする。
日本の女性の「何か」がこうしたコンテンツへの消費に駆り立てるが、それは韓国・台湾を始めとするアジア圏の女性へさえもリーチできない日本社会に特殊な要因なのだと思う。そうした特殊要因で消費されるコンテンツは、日本社会でも一部でしか消費されないような固有の安っぽさがあるが、景気動向に左右されにくい一定の集客力はあるので、コンテンツ業界・エンタメ業界等々で影響力が増えて、気がついたときには日本社会でコンテンツやエンタメが供給される構造の重要な要素となってしまっている。
その「何か」は何なのだろう
良く分からないが、そうした日本の女性社会の特殊要因はある程度特定していったほうが良い気がする。特に、形成される競争が、嫉妬を基調として、ゼロサムゲームになりやすいので、日本社会でこうした層の集客力を使う場合は、注意したほうが良いと思う。
宝塚が海外公演で成功しないだけでなく、世界的な女優を生み出してこなかったのは、費やされたエネルギーが女性の表現力向上というよりは女性の組織内部の競争にあることを示唆している気もする。「応援」されることは、そのコンテンツの魅力への評価というよりも、今後生み出すコンテンツを特殊要因へと引きずりたいというような意思表明と捉えても良いのかもしれない。バレーボールもジャニーズを使って集客は出来たが、競技人口も増えないし、世界ランキングもあまり変わらないし、地道にバレーボールの魅力を伝える努力をする方にリソースをさいたほうが良かったかもしれない。
ところで、「高学歴」「高収入」「社会で一定の地位」な日本の女性が増えているが、ジャニーズや宝塚でコンテンツ消費したり、(新興)宗教の布教をしたりすることに、時間を費やす方はどれくらいいるのだろう。
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。