はてなキーワード: 自己肯定感とは
親ガチャっていうけど、実質的には家庭環境ガチャって言ったほうが正しいんじゃね?
家族関係は円満? 大人が大人として機能してる? 裕福? 貧乏? 都会? 田舎?
基本的には貧富の差より家族関係がうまくいっていることや大人が子供に役割を押し付けてないことのほうが家庭環境ガチャにおいては当たり。
よくうちは貧乏だったけど新聞配達して勉強頑張って今では年収いくらだぜ~! みたいな奴が湧くけど稼いだ金を搾取する大人や子供の意欲を無意識にでも削ぐ大人が周囲にいなかった時点でそれは裕福でも未熟な大人に囲まれているより当たりなんじゃないか?
まあそれでもやっぱり同じ親なら金が無いよりはある家庭のほうが当然当たりだと思うよ。
明日食事ができるかどうかみたいな家は論外だけど、(子供だけの)部屋とか小遣い(自由になる金)は子どもにはかなりの逃げ場になるから。
現実には裕福な家庭ほど心に余裕があるから家庭も円満になりやすい傾向があって、単純な経済力以上に自己肯定感も得られるから本人もいろんなことに挑戦できるっていうポジティブループもあると思ってる。
逆にあんまりカネもなくて大人が大人としての役目を放棄してるような家だと連綿と続くネガティブループから抜け出すのは大変って話だ。
NHK「それでも子どもをもちたい 広がるSNS精子提供」を見ててぼんやり考えてたらちょうど親ガチャがトレンド入りしてたので消化させてくれ。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4582/index.html
わたしは平成生まれ この国の景気は下がったニュースしかほぼ聞いたことがなく、
豊かさは一部のものでしかないハリボテで、その実ずっと昏く見える。
エンタメですらわかりやすくかみ砕いたもので満足して、他人の感想や解釈を読むことですべてわかったような顔をして、
政治家でも芸能人でも失言をしようものならヤフコメで重箱の隅をつつき回し、追い込み打ちのめしたことで正義面をしている。
親ガチャなんて言葉が生まれるくらい目に見える格差があること自体、あるべき国の体制として破綻していると思うけれど
島国特有とも言われる排他的な体質・価値観は、多様性を認める今の時代にフィットするまで多分まだまだ時間がかかるのだろう。
わたしのうちは生まれてからずっと貧乏で、何かにつけうちは貧乏なんだから、と言われて育ってきたし実際そうだったんだと思う。
それでも今思うとネグレクトもされず貧乏なりにお金をかけてもらったと思うが
(この国に於いての子育て、本当にお金がかかるよね 世の親の立場の人たち、本当にすげーという気持ちしかない)
いわゆる“普通”レベルのくらしをしてきた家庭とは常に一本、うっすらと線が引かれているように感じていた。
友達からそれを態度で示されたこともなかったので実際にその線を引いていたのは自分なのだろうけど
普段の会話の端ばし、おさがりでない服や持ち物の買い替え頻度などから生活水準の違いを子供ながらに感じてしまっていた。
幼いころの母親の影響力は大きかった。
母は若くから働いていたらしく、本人曰く学がなかった。
(そこで困ったことも多かった経験からか習い事はいろいろさせてもらった、というかさせられた)
母が自分を卑下して言うので母には学がないのだと染みついていて見くびっていたのだと思う、
母はわたしを褒めたけど、母自身を貶めて褒められる自分に対して自己肯定感を育てることはできなかった。
なぜならその人間から生まれた自分の程度なんてたかが知れているとわかっていたからだ。
進路で悩んだときに、進学するという考えは生まれもしなかった。
頭の出来はまあ普通だったので進学をしようと思えばできたのだろうし
進路指導の先生には進学を進められたりもしたけれど おおよそそんな余裕があるとは思えなかったし、
奨学金をもらってまで進学したところで程度の知れている自分に何ができるとも思わなかったので、そのうち諦めることばかりが上手になった。
結局、それはずっとコンプレックスとして残り続けている。
いまだに学歴でふるいにかけられることは少なくないし、給与体系やキャリアの選択肢が異なるのもざらだ。
学歴でふるいにかけ続けた職を転々とし、取り繕った生活をしては逃げて、を繰り返してきた。
(と言いつつ、バックレる胆力はないのでこちとらいつでも円満退職よ)
一番薄っぺらなのはわたしの方で、自分を変える努力なしに何者かになれるわけでもないのだから何をか言わんやだが
一緒に仕事をしていてどんなに頭の回転が遅く要領の悪い人間も、実はみなそれなりの暮らしをしていたりする。
この身で思い至る前にそれを知りたかったが、知る努力を諦めたのは自分の方だ。
人生を変えるのは努力次第、努力は決して裏切らないというのは耳ざわりのよい言葉で
これらは100%の嘘ではないけれど、この場合の努力とは、何かを犠牲にする程のたゆまぬ努力が結実された場合を指すことが多いと思う。
しかし低賃金に明け暮れる人間には血のにじむような努力をする余裕はない。
(あとは運要素もあるだろうが、諦めスキルレベルがカンストすると運に対するスルースキルも高確率で発動してしまう)
運で親ガチャの話に戻るが、思い返してもわたしは「この親じゃなかったら」と思うこともあるし
親が云々よりそもそも生まれてきてしまったことを恨めしく思う。
人生の先輩に出会うと、結婚しても子供を産まない選択肢もあると言ってもらえたり、
子供を産み育ててからの方が人生が楽になった話を聞かせてもらったりもして、
人生の主役から一度自分を解放してやりたいと思うことはあった。
多分これも親ガチャから報われる乱数調整の方法のひとつなのだろう。
でもわたしは誰かと生きることも考えていないし、子供を産む気もない。
この経験を共有したところで所詮わたしだけのものだし、もし子供を産んでも自分のような人間を増やすだけで幸福にしてやれるとは思えない。
結局傷つくくらいなら最初から誰にも何にも期待しない方が楽だからだ。
ネグレクトの末にわが子に手を・・というニュースを見るたび、自分はそっち側になる可能性が存分にあるぞと己を戒めている。
親にかけてもらったお金を返せるわけでも、孫の顔を見せてあげられるわけでもなく
貧乏なのに子供を産んだのだからしょうがないと思ってもらうしかない。
ここまでの無思考他責的で浅慮な言葉が出てきてしまうほど、わたしには生れ落ちてしまったことが恨めしい。
だってやっぱり土壌が整っていないのに生みたい・育てたいはエゴだと思うもの。
その土壌を少しでも肥沃にするのは国の務めだとは思うんだけどね
中身が古いままなのにラベルだけ張り替えて先進国のような顔をするな
サスティナブルとか言ってないで先ず自国を持続可能な形に整えてくれ
できれば産み育てる環境が整っていて子供を持つことを望む方たちには母子ともに健康に、
難事なく産み育んでいただきたくお祈り申し上げたいところですが
今はひとりでも楽しいことを見つけて生きているけど、人間はみないつかは死ぬ。
死ぬまでずっとお金の苦労には付きまとわれる、しかも老いるにつれてランニングコストはどんどん膨らむばかりだ。
息が止まるということは単純に苦しいのでわたしは積極的に迎えたくないけれど
せめて安楽死できる国に行く旅費と費用くらいは賄えるようになりたい
なんてあかるい未来なんだ。
狂ってなきゃオタクやってられない、自己肯定感強いオタクみたいなムーブメントたしかにある。
狂ってなきゃ同人誌出せない、徹夜するもの、みたいなの全然良い慣習でもないし、そうじゃないことむしろ誇りに思っててもいい。
「同人女の感情」とか見てると「自分が自分の作品の一番のファンでいてあげなきゃ!!!(キラキラキラキラキラ)」みたいなのがまじでよくわかんない。
というかそんなこと押し付けないでほしい。好きになってればいいけどそれはお前がそう思うんならそうなんだろって話で万人がそうしろってことじゃなくない?
自分は好きなもの書いて(描いて)満足はしてるけど自分の力量のなさとか拙さを痛感して全然好きにはなれないし振り返るのとか怖くて無理。
今以上の下手さに卒倒してしまう。
圧倒的に同じ内容のものを他人が、それももっと技量のある人が描いてくれたらええのにとしか思わない。ないから仕方なしに描いてなんとか腹を満たしてるだけで、そのたびにこんなド下手くそじゃなきゃもっと満足できるのに最悪だ…くらいの気持ちにしかならないし、そういうこと言わないほうがいいみたいな風潮もめんどくさい…。
自分の拙さを理解しては~やっぱ下手すぎて無理だわ~って受け止めることの何がいかんの?
自分が自分のファンでいる必要性まったくなくないですか?この自己肯定感強いワタクシ!最高に楽しい!!みたいなムーブメントなんなんだろう。
二次創作書く(描く)ときも同人誌買うときも推しのグッズ買うときもいつでも冷静さ持っていたい。そのほうが良いことではないのか?わからんわー。
○ご飯
朝:なし。昼:カロリーメイト。おやつ:牛乳寒天みかん。チロルチョコ。夜:サラダチキン。袋ラーメン。卵。
○調子
朝一から上司のすねすねモードが頂点に達してて、非常に辛そうだった。
なので、彼を褒めて褒めまくり、さらに仮想敵を作ってそいつらが間違ってる点への非難をしまくり、これらを何度もおこなった。
無事「俺は悪くない! アイツらが悪い!」と自己肯定感を取り戻し元気になってくれた。(自己肯定感ってこういうことじゃないけど)
結果は以下の通り。
SSR新加入が、エルモート、バレンタインメドゥーサ、バレンタインスカーサハ、バレンタインメリッサベル、バレンタインモニカ、バレンタインアグリヴァル、リッチ、ブローディア。
SSR石が、セト(初入手)、マキュラマリウス2個(四凸済み)、アルテメス(初入手)、ギルガメッシュ(2凸目)、ハデス(1凸目)、カリュブティス(2凸目)、ケルベロス(初入手)、ハンサ(4凸済)、グラニ(2凸目)。
いやあああああ、マジかってぐらい上振れた。
SSRの個数だと25個も引けてるし、キャラもめっちゃ引けたし、サプ不可石まで。
PUがほんとんど引けて、なんとこれで未入手のバレンタインキャラはバレンタイングリムのみ。
ハデス編成組めないから関係ないと思ってたんだけど、マグナでも普通に強そうなんだよね。
全然2本目もあり得そうなので、まだ交換期限はあるので悩もうと思う。
○しんげきのバハムート
私はもっぱら読み専だったのですが、ある作品にドハマリし、いきなり創作意欲が湧いてきて、書くというよりは書かされているといった方が近いような勢いで二次創作を書き上げてしまいました。
自分の「好き」をありったけぶち込んで作り上げたモノにはそれなりに愛着があり、せっかく出来たんだから発表しようとしましたが、ここでひとつ問題がありました。
私は自己肯定感がとっても低いのです。
自己肯定感が地よりも低くなるとどうなるかというと、作品を好意的に評価されても額面どおり受け取れなくなるのです。
大昔、個人サイト全盛期の頃、ちまちまと小品を作って公開したことがありました。オンラインで友達になった方やサイトを訪れた方から褒められると、「私に気を遣っているのではないか」「私と交流するために閲覧しているだけではないか」と、どうしても「評価されるはずがない私」というフィルターがかかってしまい、自己嫌悪に陥るばかりでした。
最初は純粋に楽しくて始めた二次創作もだんだん辛くなってきて、それで読み専になったのです。
久しぶりに出来た二次創作も、このまま普通に発表すると、たとえ高評価を得ても「私なんかの作品が褒められるはずがない」と落ち込み、作品を晒しておくのが辛くなるのが目に見えています。
そこで私は、本垢とはまったく別の垢を作り、そこで公開することにしました。ブクマもフォローもしない、作品だけを置いた垢です。
ありがたいことに「好き」と書き込んでくださる方がいました。「私」という存在を無にした状態で作品を褒めてもらえるのは、作品単体をまっとうに評価してくれた気持ちがして、とてもスッキリしました。
私は私自身を好きになれません。でも私の「好き」を詰め込んだ作品は好きです。「私」という人格と作品を切り離して初めて、そう思えるようになりました。
本垢とは別の、秘密の創作垢を作ることで、二次創作を公開した後の自己嫌悪が薄れ、それからモリモリ創作できるようになりました。本垢ではそこそこ交流しますが、創作垢ではしません。
作品の公開についての問題は解決したのですが、本垢で活動しているとたまに私の作品についての言及を耳にすることがあり、「それは私が書きました」とも言えず、スルーしています。なんだかみんなを騙しているような気がして少し罪悪感があります。文章のクセなどで実は私が書いているとバレているのではないかとヒヤヒヤしたりもします。
正体を明かすと、安住の地を奪われるような気がして怖いです。でも、仮面をかぶって活動することにも後ろめたさがあります。
この秘密は墓まで持っていくつもりですが、ひとりで抱えておくのもだんだん辛くなってきたので、ここで吐き出すことにしました。
解決法は求めていません。このジレンマは解消する手段が無いことは承知の上です。誰かに話を聞いてほしかっただけです。
ただ、こういう感じで秘密の創作垢を持つことってよくあることなのか、ちょっと気になります。もし、そんなに珍しいことでもないのだとしたら、私は少し楽になるかもしれません。
周囲に整形バレするリスクはあったが一生アイプチと添い遂げる胆力も自分には無かった
保証期間(5年)は過ぎたものの、加齢でまぶたがくぼんだのか最低限の二重幅は今も残っている
手足ワキうなじの毛を抹殺したことで他人の視線に恐怖することが減った
家庭用脱毛器は使用を怠ると速攻で生えてくるので飽き性ウーマンにはおすすめできない
教室に通う系。要領がいい女と不器用な自分の対比がつらくなりすぐ辞めた
当然覚えたスキルもすぐに忘れていくが「なんか色々やったなあ」という記憶は残るので
定期的に新しいことに挑戦してみるのは精神衛生上いい気がする
正直飽きているが辛うじて週1回くらいは起動するようにしている
安くも高くもないお気に入りのドリップコーヒーやティーバッグを買い溜めている
美少女アニメアイコンの奴は男の汚いところを凝縮したような奴だし
旭日旗アイコンの奴は戦闘どころか体育の実技すらまともにできなさそうだし
トランプアイコンの奴は虎の威を借りんと何も言えない臆病者だし
私もオーナーだけど、いままでトラブルは1回だけ、しかも保証対応で費用かからず。
たしかにオイル代からワイパー代、工賃まで何から何まで高い。国産ディーラの1.5倍位。
ある程度お金に余裕のある人むけって感じが客層みても思うが、自分もようやくそこまで
登ってこれたなあと思ったら自己肯定感ある。
今、仕事に関する悩みを抱えている。
しかし悩みの解決は困難で、悩みを打ち明けられる人というのもいない。
(例えば頼ってくれる恋人や世話をしなければいけない子供がいれば、精神状態は違ったと思う。
悩みの解決は出来なくても、一時的に忘れたり、問題内容を置き換えたりできたのではないかと)
一人で悩んで出す答えというのは、たいていの場合“逃避”になる。
今の私もそうだ。
悶々と自分のせい、相手のせい、会社のせい、社会のせい・・・あらゆる理由をつけて「逃避するしかない」という結論を出そうとしている。
単純なAorBという選択だけでなく、問題を保留したり、置換したり、Cという全然違う答えを出したり
しかし、相談する相手がない、自己の中でしか答えを出せない状況になると
結局はAorBの単純な解決策しか導き出せない。そうしたAorBという答えは大抵その場しのぎでしかなく、大局的には破滅に向かっていく。
つまり、孤独な人間は悩みの解決の仕方ですら劣等生であるということ。
SNSが浸透して思ったが「俺は有能」みたいなスタンスで世間に発信してる奴が多すぎる
その自己肯定感のまま政治家を無能よばわりしたりして、挙句アホな事を言って識者に指摘されようものなら「国民は政治家を監視する義務があるからな」とか言い出す「国民様」になってる奴が大多数いる
骨を切る整形をすることにした。カウンセリングの結果、費用は400万円弱。
韓国でやれば半分で済むが、どうしても失敗したくないので国内で倍値を払う。現在の貯金が150万円なので、残り250万円はローンを組むことになる。
生まれてからずっと自分の顔の骨格が嫌いだった。魚で言うとブダイに似ている。
BLACKPINKのような韓国アイドルやファミンちゃんのような美少女への憧れが一生捨てられない。可愛くてかっこいい女の子になりたかった。顔が良くないままこの先送る人生が本当に嫌になった。
骨を切る手術はダウンタイムが本当に辛いらしい。顔から四六時中体液が出続け、呼吸は詰まり、何度も自分の液で溺れそうになるし、眠れないし、顎は動かせないので固形物が食べられないとか。
その上400万円である。
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整形することに決めてから、かなり大きな心境の変化があった。
その結果、まず、痩せた。
今まではダイエットなんかしても…どうせブダイだし…と思ってやる気が出ないでいたが、顔が変わるかもしれないというだけで食事制限からハードな運動まで、それこそ韓国アイドルのような生活が苦もなくできるようになった(1日サラダと炭酸水だけとか。それを1ヶ月以上)。
そうなると今度はおしゃれが楽しくなる。
毎日家から出なくてもちゃんと着替えて化粧して仕事するようになった。ピアスも毎日つけている。これのおかげでパッと外に出る用事を先送りにしなくなり、生活がよく回るようになった。ストレスも減った。化粧を落とすために毎日風呂に入るので、洗濯も頻繁にするようになって、家の中が明るくなった。
KPOPダンスを始めて、いくらか踊れる曲が増えた。自分が意外と運動神経がいいことをここで初めて知る。
今まで運動とは陽キャがやるものだと思っていたので、一切挑戦しようと思ったことはなかったが、顔が良くなるかもしれないと言う希望から始めてみたら、とにかくハマった。痩せるし、汗をかくので毛穴がしこたま綺麗になった。
嬉しくて毎日(リモワなのに)日焼け止めを欠かさず全身に塗っていたら、肌が真っ白になった。
コロナが終わったら、ダンススタジオとかにも行ってみたいと思うようになった。
そもそもご飯を食べないし、化粧品や衣類を見ても「私は整形するからここでお金は使わないんだ」と思うことで購買意欲がなくなった。
勉強が楽しくなった。
お金を貯めなければならないので、お金を使わない遊びとして高校時代にやったような日本史や外国語の勉強をしている。これが意外と楽しくてハマっている。
一つずつ賢くなることで自己肯定感も増すし、SNSで外国の人と繋がって話したりもできる。社交性が上がった。
またお金を稼ぐために夜に副業をして、スキルが増えていくのも楽しいなと思う。
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整形することはまだ親にも友人にも伝えていない。恋人はもう5年いない。恋愛が億劫だった。自分の写真を見るたび消えたかったから。
整形は、誰にもやましくないけど、誰にも知られたくない。しかしいま20代の前半という若さで顔を変える決意をした自分のことはとても誇りに思っている。成長期では顔が歪むかもしれないし、アラサーになってからでは減価償却的に考えてコスパが悪くなってしまうからだ。
顔を治すと決めるにあたり、思ったことや変化を色々記録しておきたかった。
顔を直して得られる幸福と不幸はイーブンとどこかの整形オタクが言っていたが、本当にそうなのだろうか?
また無事に顔を治せたら読み返そうと思う。