はてなキーワード: 突っ込みとは
映画、フリーガイ見てきた。ゲイっぽい親友、QAが昼間にサーバーを再起動できるガバガバセキュリティ、仮想化すらしていないベアメタルサーバーに不自然な処理落ち、滑りまくって飽きたイディオットキャラクター、押井守のアヴァロンじゃん!アヴァロン小説版じゃん!アヴァロンじゃん!って一分に一回くらい突っ込みいれてた長いエンディング、そういったものを吹き飛ばすくらいにはあのキスシーン好き。
学生。
先学期は、多くの授業が部分的にオンラインになったが、定期的に研究室でのゼミはあった。
対面でやれたこと自体は、得るものがあってよかったと思っている。
けれども、部屋にいた数人の先輩が、水分補給や食事の前後でマスクを外したまましゃべることがあった。
換気をしているとはいえ不安はあった。しかしながら、相手の思想信条も知らないので、批判したらどういう反応があるか分からず、突っ込みづらかった。
Twitterで「ワクチン 迷ってる」というキーワードで検索していたところ「一生迷ってる」という表現を複数の人が使っていた。
気になったので今度は「一生迷ってる」で検索したら山ほどヒットした。
何か元ネタのある流行り言葉なのか? わざと大袈裟な言い回しをする面白さを楽しんでいるのか? などと思っていたところ、22歳の方のコロナ体験記にこのような表現が出てきた。
熱が下がってから3日経てば感染の心配はなくなるらしく、それまで病院で過ごす。最終日にやっとモニターも外れる。そのまま退院。結局声は一生出ないままだった。
シリアスな記事にも関わらず「病院で死んじゃったんかい!」と突っ込みたくなってしまったが、もしかして若者は誇張の意識すらなく当たり前に「一生」を「ずっと」という意味で用いるのか???
なお、べつに私自身がワクチンを打とうか迷っているわけではない。おじさんに迷う余地などない(特別な事情が無ければ)。
増田講座を参考にしてリンクを貼ったんだが、「自由なタイトル」という部分を削り忘れてしまった。恥ずかしい……。ブログ主さん、すまない。
なるほど、格闘ゲーム界隈由来っぽいのか。
上の世代の多いオタク界隈が使っていた言葉をオタクでない若者が使い始めるパターンを見掛けるようになったことにも、時代の変化を感じてしまうおじさんである。「スパダリ」とか。
しかし「昨日 一生」で検索してみたところ、やっぱり単なる「大袈裟な言い回し」で済まない意味の変化が生じてるっぽいんだよな。
追記2
この記事が、病み上がりの方に余計な心労を与えてしまったことは申し訳ない。若者の「一生」を考察するにしても、配慮に欠いた例示だった。
当方、高校卒業まで虐待を受けて死ぬか死なないかの瀬戸際で気を張り詰め続けてた人間なんだけど
反骨精神で大学入学して親から離れて生活できたはいいものの、大学の知人友人の家庭環境や生活環境との差に衝撃を受けたり、フラッシュバック、うつ病等の新たな弊害が発症。
「普通の家庭で育ち性格も普通の元気な子」になろうと努力し、実際に他人からはそう見られたので側から見れば普通の人間関係が築けてたと思うんだけど、
見てくれを気にしすぎてついに倒れた。
実家が貧乏なので大学4年間は生活費を稼ぐためにバイト+ゼミで忙殺(学費はもちろん奨学金だよ!)だったので体力的にも死んでたし、就活ではまともなアピールポイントもなく(生存には長けてたとは言えないし)、さらに倒れる。他にも諸々あるけど割愛。
数人のまだ信頼はおけそうな友人と教授、恋人には、さっき書いた軽く過去と現状を伝えたが、ずっっっっっっっっっとどこかで慰めや肩代わりしてくれる(というか一緒に背負ってくれる)ことを期待してたこともあり、思った反応と対応はこなかった。身近にそういう人がいなかったから衝撃がデカかったみたい。ちょっと絶望した。
まあでも、冷静に考えれば、そんな面倒ごとに首突っ込みたくないし、賢い人は自分ができることは限られてると知ってるし、明日の自分の生活や地位や金に影響が出ない人じゃなきゃ助けるなんてできないよなぁと実感。じゃなきゃ相手の心も引きづられてマイナスになるし、貴重な時間も潰れるしね。当たり前だけど。ただ自分が他人に支えてもらおうと考えたのがまずかった。
てなことがあったので、過去に死ぬ思いをした皆!!!助けて欲しいのはめちゃくちゃわかる!!!
褒めて欲しいし慰めてほしいしこんな地獄が世の中普通にあることを知ってほしいし!!!でも!!どれだけ親密でも他人は他人!!!自分自身の生活でカツカツな人が日本ほとんどだから!!!!真の意味で救ってくれるのは地位やお金、生活が脅かされない余裕のある金持ちだけだから!!!!まず助けとかないことを知ってくれ!!!自助団体とか精神科とかあるが根本的な解決に大きく期待しない方がいい!!他力本願は自分を永遠に苦しめるだけだから!!!過去を自分でどう精算つけるかを少しでいいから考えなきゃいけないから!、!!!マジで!!!!
しょうがなかったこととして過ごすか?復讐するか?それでも誰かに救いを求めて期待を裏切られてを続けるか?突然心入れ替えて前向きに進むのか?自殺するか?
どれもどれも苦渋の決断すぎるけれど、他人の協力なんて悩みの根源に対しての効力は微々たるものすぎるから、他のことにも言えるけど最終的には自分でどうにかしなくちゃいけないよ。
世間は虐待で死んだ子供に対して悲しむし虐待を悪だと声を上げてくれるけれど、生き延びてしまった人のその後や元に受けてる人に関してはほとんど興味持たれないからね。虐待でも何でもいいけど、ニュース等で何か事件を知ってその時は真剣に考えても人間次の日は忘れてるもんだよ。私もそうだけど。
悲しいけど遠い未来でアフターケアが重視され、質の良いアフターケアが一般的に受けられる世の中を期待するしかないからね。
ちなみに私は復讐することを選びました!親には苦しんでこの世を去ってもらいます!
【追記】
プロは今のところ頼ってます!薬もらって元気になったんでまた頑張ります〜アドバイス感謝です
皆さんのおっしゃる通り、素人に何もかも求めるのはダメということを学んで自分でどうするか決めろよな!ってこと伝えたかった投稿でした。文章下手くそで申し訳ないです。
そこに青葉2号が突っ込みそう
(ここではABという表記は順番不問でAとBの組み合わせを指すものとする)
俺はAというキャラが好きだ。組み合わせだとABが特に好きだ。他にACというのもあり、そっちのほうが大手というかメジャーなのだが、俺はまぁ普通ぐらい。
で、ABの供給があったとき、毎回「このやり取りにCがいたら〜」とか「ABが仲良くするからcが妬いて〜」みたいに、それをまるでACの供給であるかのように話を始める人たちがいて、正直うんざりする。ABじゃなくてもADでもAEでもする。適宜自衛はしてるのだが、ABをパブサするとたくさん見つかるので嫌でも目に付く。
AC好きにはなぜかこの傾向の人が多くて、とてもうんざりしている。そういう人たちはえてしてCの好きな人たちで、C絡みの一番メジャーな組み合わせがACだから、Aの供給=Cの供給、という方程式がその人たちの中では出来上がってしまっているのだろう。もちろんABという関係とは別にACを語る人もいるが、まるで百合の間に男を挟む如くABの間にCを突っ込み、あまつさえそこからBCを開発しようとする人もいて、辟易してしまう。
まあ、公式供給自体が多くはないから、少しでもCに関係する供給に喜ぶのもわからんでもないけどさあ、そこはわきまえてくれよ。AはCだけのものじゃないし、ABとACは別モンなんだよ。ABという関係にとりあえすマヨのごとくCを突っ込んでBCを開拓するのはやめてくれ。いやBCを開拓するのはいいけど、それはAのいないところでやってくれ。AはCの友人紹介所じゃないんだよ。
私はどっちも嫌いでミュートブロックTL厳選を駆使して徹底的に上記2作の情報避けてた無双のオタク
トレンドに戦国無双が上がってて、新情報が出たかと覗いてみたら無双と刀剣のコラボゲーが出るって情報と大量の大喜利に被弾した
こんなん避けよう無いだろ
BASARAは今さら語る必要ないし、刀剣も随所から色んな要素をパクってるるのは有名な話だと思う
パクりゲーなのに両方ファンが大きなツラのどや顔しながらコラボだクロスオーバーだので他の作品にマウント取った二次するオタクが集まってる傾向があるから、そんなところが苦手でできる限り関わらないようにしてきた
が、今回のコラボだ
決まったものは仕方ないのでしばらくは黙って別ジャンルに移動し、熱が収まるのをすれば良い
ただこれだけはどうしても突っ込みたい
無双ファンで、バサラにキッパリとNOを突きつけてるオタクが刀剣コラボを喜んでる様に違和感しかない
あれだけ執拗に無双をパクり続けたバサラを嫌うのはわかる、私も嫌いだし名前も見たくない
あちらも他所の作品の美味しい部分をつまんだツギハギパクりゲーという意味ではバサラと同じ穴の狢にしか見えないし、なんで今回のコラボを歓迎できるか全くさっぱり理解できない
無双からパクってないからか?(刀剣の情報は数年間完全にシャットダウンしてるから最新のキャラについては全く知らないけど)
だとしら自分達の好きなゲームがパクられるのは嫌だけど、興味のない作品がパクられるのは全く問題ないし気にも止めないのか
無双もバサラも両方好きって人はもう宗派と倫理観が完全に合わないので先制ブロックしてお互い合うことが無いようにすれば良いんだけど、片方のパクりはよくてもう片方のパクり大好き許す!はなんかおかしくない?
主張の筋が通ってなくないか?
考えれば考えるほど疑問はつきないし
ずっとバサラからのパクりに悩まされた無双がまさかパクりゲーの刀剣とコラボするなんて悪夢にも程がある
いっそパクりゲー同士仲良くバサラと刀剣でコラボしてりゃ良かったのに
これまでコラボ無双と本家無双のキャラコラボは無かったし、Orochiも基本コエテクガストと自社キャラのみで完結してるけど
ここからずーっと無双新作出る度に刀剣の話題がチラつくと思えばすごく陰鬱な気分になる、今後どうやって無双の話題から刀剣を切り離せば良いんだろうな
登場人物がのっぺりしている。
https://www.tbsradio.jp/articles/42492/
宇多丸氏は
#たとえば今回の、悪事を働いているっていうことになっている、「竜」が出てくるわけですね。でも、これ2度目に見ると特に「まあ、そうだよな」と思うんだけど、この竜、実はよくよく考えてみると、そんなに大きい悪事を働いたわけじゃないんですよね。
その、試合ですごい汚い勝ち方をしたとか、ひどい叩きのめし方した、というだけで。たとえば、今までの作品にあったような、ネット空間全体になにかを及ぼすようなものであるとか、あるいは、なんかミサイルを撃ってくるとか、そんなことをしたわけじゃないんですよね。じゃあ、なんであんなに“悪”ってなっているのかというと、「“悪”認定をされたから、悪になっている」存在なんですよ。いわゆる、まさしく「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアーズ」といった佇まいの、警察的な、自警団的なことをやっている集団によって“悪”認定をされて、逃げ回ってる過程であの騒ぎが起こるので。「“悪”認定されたことによって、より悪になっているだけ」というところも、面白いですよね#
この見方は面白い。薄っぺらなのは薄っぺらなネットを活写している。監督はそれを狙っていたのだ、と。
★脚本の人そこまで考えてないと思うよとは、漫画「月刊少女野崎くん」での台詞である。
「月刊少女野崎くん」第60号(6巻134ページ)での佐倉の台詞。
演劇部の鹿島が、野崎の書いた脚本を読んで悩んでいるときの佐倉の言葉。
野崎の書いた脚本に対して複雑な感情表現を要求されていると思い悩む鹿島に対して、ネタに詰まった野崎が深く考えずに思いつきで変な方向に突っ走ることを知っている佐倉が入れた突っ込みである。
野崎の執筆スタイルを知る佐倉からすれば的はずれな指摘ではなかったのだが、野崎は鹿島の疑問に対して詳細に解説を行っており、佐倉が決めつけただけで実は野崎(=脚本の人)はちゃんと考えていたというシーンである。
インターネット上では、逆に脚本を書いた人を指して「作った人はそこまで考えて作ってないのではないか」(だから考察しても意味がない)という意味で使われることが多い。★
それはそれとして、ジャスティンのセリフは徹頭徹尾バカのセリフである。内心を吐露するセリフもない。
例えば「ドラゴンボールの敵はなぜ二人一組なのか」にみられるような、ジャスティンチーム内の会話もない。
従って何の奥行きもない説明でしかない。監督(脚本)の思想の代弁者。段取りを進めるマシーン傀儡でしかない。
竜(佐藤健)の父親はラスボスであるがただの粗暴な装置である。
初登場シーンからすれば「外面ソトヅラはよく、幸せ家族を演じている一方、息子たちだけに横暴」という設定の筈だが、ラストでの対決シーンでは初対面の主人公には初手から仮面をかなぐり捨てて暴言を浴びせている。
ダブルバインドという言葉がある。「愛しているよ」と言葉を掛けながら暴力を振るったりするやつだ。
アニメ史上もっとも有名なのは「再会、母よ」に出てくるアムロ・レイの母親だろう。
アムロに対して「愛している」と台詞で明言し、アピールを重ねつつ、アムロの行動を否定する母親(間男がいるまで設定した富野喜幸!)
ジョジョ4部5部にも「単純なド外道」でないが故に怖さを増す、魅力的な敵がいた。2部の粗暴なだけの敵はカマセ・前座・引き立て役であり到底ラスボスの器ではない。
「私はこんなに息子たちを愛しているんだ」「妻を亡くしてからも必死に頑張ってきたんだ」と竜父がアピールすれば、より不気味な、より手ごわい敵になったはずだ。
児相を追い返したのを佐藤健の説明セリフ以外で観客に伝える説得力も生まれるし、主人公を怯ませることもできる。
それすら乗り越えたという主人公がより大きく成長したクライマックスにできたかもしれない。
僕はコンシューマ、モバイルゲームのプランニングをかれこれ10年ほど仕事にしてきた。
コンポーザーやサウンド関係者ではないが、ビデオゲームとゲーム音楽を愛するものとして、
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
もちろんゲーム開発者の総意ではない。僕と正反対の考えを持つ人もいるだろうから、
記事全体を通して、あまりに政治色が強いことは言うまでもない。
「ハードコアゲーマーのためのWebメディア」を標榜できる記事か?主目的が選挙活動になってないか?
と思わなくはないが、メディアとしての方針はひとまず置いておこう。
さて、多くの人が指摘する「開会式エアプ」問題も確かに引っかかるのだが
故意か意図せずか、突っ込みどころの多いこの記事で、僕が一番に問題だと感じるのは
同業のゲームライターたちをはじめとして、ゲームファン、クリエイター、インフルエンサー、場合によっては作曲家当人もが、この件に感動しここまで指摘してきた諸問題を見なかったかのように「ゲームが認められた」というような論旨の発言を恥ずかしげもなく振りまきだしたこと
この部分だ。 "恥ずかしげもなく" "振りまきだした" 。
つまり、記者はオリンピック開会式に使われたゲーム音楽を楽しんだ人々、喜んだ人々は恥を知れと。
多くのゲームファン、ゲームクリエイターたちを愚弄し、侮辱し、見下す、許しがたい、呪いに満ちた1文だ。
不祥事や問題点の多いオリンピックなのは事実だろう。コロナ渦に悪影響がなかろうはずもない。
しかし、オリンピック開会式に選手の入場曲としてゲーム音楽が使われたことを
数多の素晴らしい音楽を差し置いてゲーム音楽が採用されたことを、純粋に喜ぶゲームファンに
僕自身、開会式を見ていて安直なゲーム音楽の採用という懸念を感じなかったわけではない。
他の演出にゲーム的要素が無く、文脈的に浮いていたように思う(全体的にちぐはぐだが)。
しかしそれはそれ、これはこれ。ゲーム音楽とオリンピックの是非は分けて考えるべきだ。
必要以上に政治的な意味合いを「一方的に」含ませ批判するのは、マッチポンプに等しいのではないか。
また、この記者はオリンピックに関わった全てに政治的関連性を見出し、憎み、批判しているのだろうか。
開会式の大工、タップダンス、ドローン、ジョンレノン、パントマイム、マンガ……。
スポーツ、各スポンサーの商品を買う人々、なんなら東京都民全てを呪っているのか。
結局、「ゲーマーは簡単に論破できそう」「ちょろそう」だから政治色の強い記事をぶちこんではいないか。
ゲーム音楽の政治利用と批判しているが、僕にはどちらかというとこの記事の方がゲームの政治利用に見えて仕方がない。
別の箇所を引用しよう。
そんなことはない。
開会式で採用されたゲームシリーズだけ見ても、反権威的な作品もあれば、権威迎合的な作品もある。
ここらへんから、ビデオゲームというあまりに漠然とした概念の中に反権威的な自己の理想を投影している記者が
勝手に裏切られたと感じて癇癪を起こしている稚拙な文章だと言わざるをえない。
全てのゲームが同じ思想のもと作られているわけがない。それは記者の認識よりも自由でカオスな存在なのだ。
秋には衆院選がある。もちろん選択は自由だが、老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ。オリンピック開会式が本当にゲーム文化をリスペクトしたものであったか、そしてそもそも東京オリンピックがこのまま行われるべきなのか、今一度考えてみてほしい。
おそらくここが一番主張したい部分なのだろうが、ご覧の通り選挙活動である。
投票数の中のゲームファン比率など集計されるわけがないので、これは卑怯な詭弁だ。
開会式やオリンピックを楽しんだとしても与党・野党どちらに投票しても良く、そこに矛盾はない。
ゲーム文化云々ではなく、税制や政策を見てそれぞれが決めれば良いことだ。
余計なお世話かもしれないが、このような煽り文章で記者の支持政党が有利になるとは僕は思えない。
行き着く先は分断と争いであって、改心と一致団結ではないだろう。
この問題の根が深いところは
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/27/110661.html
宮崎 紘輔