はてなキーワード: 神の子とは
ヤマーッス
半神のネタ切れのように見えて、これも神の子なんですよね。太陽神の子なんだとか。
一番最初に死んだ人間で最終的に?現在進行形で?死者の王になったんだと、閻魔大王のことですね
本当はヤミーさんも入れたかったけど、そこまで入れたらなんかこう、ややこしいよね
大体兄妹婚って時点でややこしいんだ、ヤミーさんは女神だったりするし、そうなると半神っていうか、というかお母さんのサラニューも女神だったりするし、でもそうなると神と神との間に生まれたはずなのになんで人間が生まれるのよって話にもなる訳で
似通うこともあるもんだなぁと
たまに調べては想像力を掻き立てられる面白いコンテンツだなぁと思います
ということで本日は【人間関係の整理よいか】でいきたいと思います。
それと一妻多夫を組み合わせて何とか島の女王みたいな物語を紡ぎたいな。
タロウA、タロウB、タロウC、タロウDはどれも単性生殖で増えた者だから、事実上1個体だと民法が認め、この4人が同時に1人の女性と婚姻関係を結ぶの。
体の大きなその女性がタロウA~Dと同時に契りを交わし、見事な満月の夜に4つ子を出産するの。
周囲の人は異父兄弟の誕生を大いに祝福するのだけど、いざお医者さんが遺伝子鑑定をしてみると、どの子もお父さんまで一緒という変な鑑定結果が出る。
普通の4つ子と変わらないじゃん。
周囲の人は落胆するが、4人は悪魔の子として忌み嫌われることもなく、神の子として持ち上げられることもなく、協力して穏やかな老後を過ごす。
生まれてこのかたカスの私は「明らかに乞食目的のクラファンページを見る(金は出さない)」という悪趣味があるのだが、その最中に出会ったVtuberが彼女(仮にV子としておく)であった。
大好きな歌を歌ってみんなに届けたい!
そんなキラキラした夢がありつつも資金が足りずPCや機材が準備できないV子は、ついにクラファンに手を出すことにしたのだろう。
高校生か大学生だろうか、少ない貯金をやりくりしてでもどうしてもVtuberをやりたいのだ、なんて健気な子なんだ。やたら顔文字を使っておりイマイチ真剣みが感じられないところにも、若さというか幼さが感じられる。
V子に興味が湧いたカスオタクは、リンクから彼女のTwitterを覗いた…のだが。
ネットリテラシーって知ってる?と思うほど、個人情報が出るわ出るわ(本名の下の名前、生年月日、血液型、身長、胸のサイズ、最終学歴、居住都道府県)!
マジ…………?
二十代のいい歳なのに、「この衣装は戦う時にはフォームチェンジして〜(以下クソ長くてどうでもいい設定)」だの、「神界生まれだからお勉強は苦手なんだ(//∇//)」だの、中学2年生がノートにまとめててもアイタタタ…となるような設定がてんこ盛りだった。
加えてその超重要(笑)な設定は徹底されておらず、普通に中の人の情報までペラペラ喋っている。神の子なのに派遣社員なんだ…しかも中卒なんだ…みたいな、赤裸々な事情が丸わかりである。
など、いやマジで社会人か!?背伸びした中学生でなく!??と壮大な釣りを疑ってしまったが、V子は至って真剣だ。毎日のようにクラファン支援のリツイートをし、達成率0.1%のまま数ヶ月頑張っている。こいつに支援するやつもなかなか勇気と根性があると思う。
さらにV子は、「専業Vtuber目指します☆」とまでのたまっている。すごすぎる。神界生まれの彼女の目には、人間界の現実など見えていないのであろう。貯金額は約10万(これもツイートしていた)、歌ってみたは現時点で全てカラオケ収録(しかも全部2桁再生)の彼女が、専業Vtuber!?
私は震えた。
人は安定を求めるものではないのか。学歴がなくとも地道に資格を取るなどして働く、結婚して家庭に入り主婦になる、など無難かつ堅実な道を選択するものだとばかり思っていた。芸事の道を選ぶものなど一握りだと決めつけていた。
けれど、V子は違う。
インターネットリテラシーも資格も金も技術もない、他人に勝るような部分は自己肯定感ぐらいの彼女が、Vtuberで飯を食おうとしている!
なんて無謀なんだろう。社会人のくせに化粧もしない、貯金もないし友達もいない、やることといえばゲームかお世辞にも上手とはいえない二次創作ぐらいのV子。
可哀想に……。
Vtuberのコンテンツとしてはクソほども面白くないが、彼女の生き様は見ていて興味深い。以前バズった某メガネをかけたbotと似たようなスリルを味わえる。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
増田氏が貼ったBBCの記事では以下のことにも触れられている。
「教皇フランシスコ1世は昨年10月に上映されたドキュメンタリーの中で、同性カップルにも婚姻関係に準じた権利を認める「シビル・ユニオン」を認めるべきだとの考えを明らかにしていた。」
「また昨年のドキュメンタリーでは、「(同性愛者)は神の子であり、家族の一員になる権利がある。誰も見捨てられたり、惨めな思いをさせられたりしてはならない」と述べた。」
「ローマ教皇庁はこのドキュメンタリーの上映後、教皇の発言は文脈から引き離されて引用されたものであり、同性婚を支持するものではないと説明した。」
とも書かれている。
以上から、教皇自身は同性愛者の存在自体を神の子として認めており、迫害の対象であってはならないと考えている。またローマ教皇庁の公式見解も「同性愛関係には「前向きな要素」がある」と述べることによって、同性愛者の存在を受容する方向を示している。と同時に、あくまで「婚姻」という制度概念において教義的に「祝福できない」と言っているのだ。
増田氏は「キリスト教の同性愛忌避は歴史的に同性愛者への迫害と差別の一番大きい要因だった」と言ってるが、少なくともそのようなことを繰り返してはならないという意志は、公式見解や教皇の過去の発言からははっきりと読み取れる。しかし教義上、子孫を残すための男女間の関係を「婚姻」として神が祝福を与える制度としているため、子孫を残さない同性愛者のパートナー関係を「婚姻」という制度と認めて祝福することができないとしているのである。
もちろんその教義自体が既に差別じゃないか、と言われればそうかもしれないが、そもそも古い価値観で石頭になってるのは、クリスチャンでも宗教的でもない、世俗的価値観で生きてるつもりの、増田氏も含めた現代人もそうなんじゃないだろうか?つまり「婚姻」という制度概念自体に頭を縛られ過ぎなのだ。
「婚姻」という言葉に基づく制度は、「子孫を残すための男女間の関係」に限定したままでも別にかまわない。それとは別に、世俗的法制度では性別に関係なく生活を支え合うパートナシップ関係に法的保護を与えればよいのだ。その点教皇は「シビル・ユニオン」というパートナシップ制度を認めるべきだと言ってるわけで、宗教的教義とのバランスにおいて、実質的な権利のあり方に踏み込んでるのである。
また「子孫を残すため」という点では、あくまで出産・子育て支援制度として、パートナーシップ制度とは別に親権者へ法的保護や優遇措置を与えればよい。実子がいない夫婦も養子縁組で親権者になれるのだから、同性愛カップルが親権者になって孤児を育てることだって可能だろう。ヴァチカンの公式見解も、このような方法を否定するものではない。
先日負の感情のスパイスの混じったとある二次創作作家さんのツイートに触れて、同人女歴20年選手の私が個人的に感じたあれやこれやを書いてみる。
二次創作をやっていて、常に誰かからの感想がほしい気持ち。わっっっかる。死ぬほどわかりますその気持ち。
「感想なんて貰えなくても、自分は自分の描(書)きたいものをかくんだ」と言い切れたならどれだけ格好いいかと思うけれど、残念ながら自分はそんなストイックな同人女にはなれない。いいね一つでもつけば嬉しいし、マシュマロが来れば飛び跳ねて喜んでしまう。
描(書)いたものに対してリアクションが返ってくる喜び、ファン同士の共鳴感がもたらす多幸感ってちょっと他では味わえない。
こればっかりは、創作に手を染めた人間にしか味わえない特権だなって思う。
ただ感想が来ないことに落ち込んで、推しを十分に楽しめない域に達してしまったのなら、「感想を欲しがる自分」をもっと俯瞰的に見た方がいい気がする。
一人でも多くの人からたくさんの感想をシャワーのように浴びたいのか。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいのか。
はたまた「同人女の感情」のように、自分の追いかけてる特定の作家さんを、自分の作品で振り向かせてみたいのか。
不特定多数からとにかくより多くの感想が欲しいなら、まずその自分の渇望を満たしてくれるジャンルから選びから始めた方がいい。
ファンの総人口が多い流行ジャンルで描(書)き続ければ、絶対にいいねは付きやすいし、感想をもらえる機会も増える。
人気のない山奥で自分の描いた絵を展示して、誰も観てくれないと嘆いても仕方がない。
感想が欲しければ、マシュマロなどの窓口を設置して、感想が欲しいと明確に伝え続けることも大事だ。
ただ、街中には当然人が多い分、自分より素晴らしい個展を開いている作家も大勢いる。
その人の個展はいつも大盛況なのに、どうして自分のところは人が来ないのか。どうして感想がもらえないのか。
そんな理由は考えるまでもない。単純に、その人の作品が自分より素晴らしいからだ。技量か、作風か、作品を通して伝わる人間性か、自分にはない何某かの魅力が、人気の作家さんのもとにはあるからだ。
たくさんの人から愛されている作家さんやその作品に、羨望を抱く気持ちは悪いものじゃないと思う。嫉妬と憧れは、きっと自分の創作物を磨くときのいい研磨剤になる。
けれど、その羨望をうまく飲み干せないのなら、他の人の作品を見るのはやめた方がいい。
まあでも見たいよね。だってきっと同じ界隈に住んでいるからには、自分の読みたいものを人気の作家さんは書いているから。
同じ界隈の作家さんたちから感想を貰うことで繋がりを感じたいなら、単純な話、自分が界隈の作家さんに感想を送っているかどうかを考えた方がいい。
自分が他の作家さんの作品を楽しんだ後、きちんと感想を送っているか?RTしているか?していないのに、自分の元には感想がこないと嘆きはしていないか?
ある程度関係性を築いていたら、儀礼的ではあっても感想は貰える。
自分は引っ込み思案でフォロイーさんに感想を送れない、でもフォロイーさんからの感想は欲しい。その場合は、フォロイーさんたちが感想を思わず送らずにいられないくらいに、圧倒的に魅力的な作品を描(書)くしかない。
あなたが神作家になれば、きっと感想は勝手についてくる。もしかしたら憧れる作家さんだって、自分の作品を読んでくれるかもしれない。
簡単に神作家になれたら苦労はしない!ときっと思うだろう。じゃあ神作家と呼ばれる作家さんたちは、どうして苦労していないと思うのか。
四六時中どうしたら魅力的なものが描(書)けるかを考えて、手を動かして、いろんなインプットを重ねた結果、神作家は神作家になったんじゃないのか。
自分より年若い人が自分より絵が上手いことが、文章が上手いことがショック???生きてる時間なんて何の参考にもならない。問題はその時間をどんな割り振りでどう使ったかじゃないのか。
自分がそこそこ勉強してそこそこの大学に通っていたとして、がむしゃらに勉強して東大に入った人間を妬んでどうする。
神作家の筆が自分の3倍早いなら、それは神作家がそれだけ作品のために手を動かしてきた証拠だ。
自分だって毎日練習をしてる?それは本当に効果的な練習か?自分の描(書)きやすいものばかりかいて、同じところをグルグル回ってはいないか。自分の苦手な構図、話を克服するための分析をした上で創作を重ねているか?推しの魅力をさらに二次創作で搾りとってやろうという気概がそこにあるのか?
仕事があるから、育児があるから、学生みたいに二次創作に時間をかけられない?じゃあ限られた時間で何を描(書)くかを吟味しているのか?
どうして学生なら時間があると無条件に言い切れるのか?社会人より忙しい学生だって山ほどいる。
他人の見えない部分に勝手なラベルをつけて羨むことほど虚しいことはない。
まあたまに本当に努力知らずの神に愛された天才も存在するけど、それはもう仕方がない。神の子は同じ土俵に立たせる存在じゃなく、ただ崇めておくべき存在だから。
私は二次創作活動は徹頭徹尾自分のために行うべきだと思ってる。
ただ本当に幸せな二次創作活動っていうのは、単純に推しが好きで、推しの魅力を形にして吐きださずにはいられない状態でやる活動のことをいうと思う。
周りの目なんて一切気にせずに、バーサーカーモードで勢いだけで描(書)いたものって、何故か脂がのってて美味しい。
自分の純粋な狂気を、あとから誰かに楽しんでもらえて一緒に狂えたら最高だなって思う。
それが本来の同人女のあるべき姿だろうと思うし、周りからの評価>推しへの愛になってしまったなら、単純に狂気の火力不足。薪を絶やすな。狂気を燃やせ。