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2018-04-03

anond:20180403003449

自分の遠い昔の頃を思い出してみると(バブル前ぐらい)

女子はそこそこの短大に行く風潮な時期で(4大は少数、看護公立ですら短大だった)

短大に行ってなにを学んでどうなるんだろう、が全く想像つかなくて

それこそ国公立クラスに居たけど、担任イヤミもまったく気にせず手に職をつける系の学校にとっとと決めて

何十年もその仕事生業として生活できてるから、当時の自分チョイスが「幸福な進路選択」にはなってたと思う。

しろ、周りが女子短大を選べた理由を知りたかたかな。

そしてやっぱり相談する相手が居なかったんだな。

今も。

      

友達の姪っ子が、教育大出たけど普通に地元IT企業就職して戻ってくる、なんて話も聞いて

え、教育大って先生になりたい人が行くんじゃないんだ!って驚いたのが最近の話。

在学中に本人がやりたいことを見つけて、それが教師じゃなかったってだけのことかな。

(または、教師になりたくないことを見つけて、別な業種を選んだか)

教育大に入る前に気づけば別の学校チョイスもあったかもだけど、

入ってみないとわかんなかったのかな

(なんか、本当に教師になりたかった人が不合格だったとして、

 この姪っ子ちゃん合格したことで枠が一人分減ってたらちょっと恨むかも。

 いや、そこは受験時の実力の話だから別の問題か。そうか。)

    

高校の進路選択って、そこまで考えてないというか

2年生にあがるときに文/理ざっくり決めて

夏休み前の三者懇談でだいたいの志望校決めて、ぐらいで

「決め方」って誰も教えてくれないか

増田の言う

国立大学に限れば大学学部選びは全然決定的な要素ではないはずです。

要は入学後に当人が何するかにほぼ完全に依存します。

なんて情報があれば全然違うのになあ、って思うな。

そんなナマの情報の方が選定には大事なのに。

    

あなたが、もしかして一番「信用できる大卒のひと」かもしれないw

たとえ書いてくれた長文が自称ウソでもさ、目から鱗を落としてくれるぐらいの威力は充分ありました

入学式行って来るよ、ありがとう!!

2018-03-15

ガルパン絵描き、始めました

最近ガルパンに嵌まった。今やSSイラストを漁る毎日を過ごしている。ある日、いつも通りTwitterイラストを漁っていると衝撃的な一枚のイラスト出会った。余りにも大きすぎる目、デフォルメというより崩れた絵柄、白背景に上半身のみの典型的下手糞なイラストである。ただし衝撃的なのはそこだけではない。リツイートやふぁぼが明らかに釣りいなほど付いていてさらにはお褒めのコメントまで寄せられているところにもだ。作者の増長っぷりも凄まじい。理解に苦しむと同時に、自分の中の一つのハードルが大幅に下がった。

絵描きになろう。

自分の中では絵描きというものは才能溢れる人間が手を伸ばせる高等な行為でそれに対する賛辞も当然のものである。故に限られた人間にのみ許された趣味だと考えていた。しかしそれは違った。小学生レベル落書きでも良いのだ。これには目から鱗

今日から頑張ってみようと思う。まずはゴマスリ練習からだ。

2018-03-07

モバマスとデレステをやめて二週間経った

プロデューサーという概念体と、私という存在が、少しずつ乖離していく気がしました。


私が今まさに葛藤しているのはこれかー!と目から鱗っていう感じだったので

古いエントリーに便乗してごめんと思いつつも吐き出してみる。

自分場合デレマスではなくエムマスです。

アニメ化以降ゲームも楽しめなくなって今は楽曲ほとんど聞いてない。

あんなにしていた課金も一切しなくなってしまいました。

担当アイドルアニメに出てないのが気に食わなかったのだろうなと

思っていたけど、それは理由の一つではあれ直接的な原因じゃなくて

プロデューサー男性だったことへの違和感もやもやの正体だったんだ。

何で今まで気が付かなかったのか自分なりに考えてみんだけど、

元増田と違ってプロデューサーという存在自己投影をしているつもりが

なかったからだと思う。プロデューサー自分ではなくて

あくまプロデューサーゲーム内で描かれているあの人物

でも、私の中ではあの人は女性という認識だった。

自己投影をしてもしなくても、私は彼女を通して物語を楽しんでいた。

その”視点”がアニメ男性Pとして描かれることで崩壊してしまった。

自分の中で「プロデューサーという概念体」を築けなくなったのが

アニメ化前と同じ気持ちプレイ出来なくなった原因だったのかー!なるほど!


ってわかったところで何もスッキリしないよ!困ったね!!!!!

2018-03-01

弟のこと

3つ下の弟がいる。小さい時は特別むちゃくちゃ可愛らしい子だった。長ずるにつれて残念な感じに成長してしまった。

そう思っていたのだけれど。

自分の子供が生まれて、めちゃくちゃ可愛いわけである自分と弟のアルバム写真子供のことを見比べていて気が付いた。小さい頃の弟は別にむちゃくちゃ可愛いらしいわけでもないのである。小さい子は大抵可愛らしいが、弟もその一般的な可愛らしさを持ち合わせていただけであった。

身びいきで弟は特別可愛いと思い込んでいたのである目から鱗が落ちた気分であった。

2018-02-08

anond:20180208151353

ネット適当にやる、中途採用だと詳しい、分断されずに地続きになると安心する、

めちゃくちゃ詳しいアドバイスありがとう目から鱗だったよ。

就活しなきゃと不安になって体調崩したことがあるから就活ハードルが下がる助言がとても嬉しい。

2018-02-06

anond:20180206011658

成る程、目から鱗でした。少しだけ期待してもいいのかな。

2018-02-04

(追記)ガンダム攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼氏の話

https://anond.hatelabo.jp/20180203125454

おはようございますガンダム攻殻が同じに見える彼氏がいる元増田?です。

実は増田投稿するのは初めてでして、思っていた以上に反応をいただき、有難い限りです。同意批判考察、助言、お叱り、励まし、独り言、全部読みました。

こんなふうに追記をするという行為がこの場所に相応しいものか正直よくわかっていないのですが、拙い愚痴に足を止めて心情を吐露してくださった皆さんへの、ささやか独りよがり感謝の意として、軽く流してください。

私が増田に件の記事投稿したのは、これまで彼と一緒にいて、この類いの強いショックを感じたことがなく、そのこと自体に衝撃を受けてしまったといいますか、ともかく私が感じた自然な心を、なるべく嘘をつかないように残しておきたかたからです。この件について第三者がどう感じるのか、本音を聞いてみたいという打算も含んでいます

おかげさまで、私が考えもしなかったご意見いただき目から鱗です。何度もハッとさせられました。面白いネタもあってニヤけました。

「誰もが自分視野限界を、世界限界だと思い込んでいる」とは有名な哲学者言葉ですが、まさにその通りだなあとしみじみ感じています

あとはこれをどれだけ私の肥やしにできるか、でしょうか。できる限りがんばりたいです。

さて、まずは彼の擁護をさせていただきます

彼とは、今回書かせていただいた「物語」とは異なる部分で、たくさんのことを共有することができています。共に過ごした時間はもちろん、やっているスポーツだったり、必ず笑ってしまお笑い芸人ネタだったり、好きなかき氷の味だったり、下らないことから大切なことまでたくさん。

共有できない部分もあります。私は堺雅人さんの演技がとても好きですが、彼は大袈裟に思えて好きではないそうです。彼は大塚製薬商品パッケージ全般が洗練されていて美しく感じるとのことですが、私にとっては手元に無ければ詳細を思い描けない程度の些末事です。こちらも大小様々です。

私と彼にとって、感性の違いは、既に互いに認識していることです。当然のことです。

なのに、わかっていたはずなのに、この件に関して私はショックを受けた。それが意味するものが何なのか、明確な答えを私は持ち得ない。

からこれは、彼の問題というより、まず私の問題なのだと思います

件の記事ははごちゃごちゃした状態で書いてしまったので私の恣意的フィルターがかかっていますちょっと狙った狡いタイトルにしてしまいました。ここで私の罪悪感を軽くしておきたい。悪口書いちゃってごめんね。


ちなみに、答えはまだはっきりと出せていません。

わかっていたつもりなだけで、私が何もわかっていなかっただけなのか。彼と何かが違うということに、嫌な気持ちを抱いたのはなぜか。その気持ちの源泉はなにか。

この一件は、他のすべてを帳消しにするほど、私にとって大きなことなのか。私の中から生じた嫌な気持ちを、わたしはどう扱うべきなのか。どう扱うことができるのか。

また、もしかすると、彼にとっての大塚製薬パッケージは、私にとっての物語と同等の存在なのかもしれない。私が感じた気持ちと似たものを、彼も感じていたとしたら。

そして、この件を彼と共有すべきなのか。自分ですら折り合いがつけられていない気持ちを、正しく伝えることができるのか。そもそもなぜ伝えるのか、その必要はあるのか。私は私の問題について、彼に何かを求めているのか。だとしたら、何を求めているのか。

書くことで整理できると思っていたのですが、余計散らかってしまったような気もします。考えすぎと言われてしまえばそこまでですが。自分ことながら難儀なものです。

まあ、ガンダム攻殻及びパトレイバーの違いと彼の認識について、ちょーっとがっかりしたのは事実なので、いつか興味を持ってもらえた暁には、渾身のパワポプレゼンでもしようと思いますボトムズも添えて。

それではみなさん、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。またどこかで。

2018-01-16

anond:20180114161100

おい、ふなぽん!

貴様、思いっきフツメンじゃねーか!

ていうか、鼻は高いし形が整ってるし、耳の形も綺麗だし、骨格が整ってるよアンタ。

このくらいの肌の人なんて普通にいるか全然気になんねー。

こちとら鼻は低いわ耳は異様にちっちゃいわ家が貧乏から矯正できずにガチャ歯のままだわ皮膚生検したときパンチ穴が顔にあるわ首には頸部リンパ節生検した時の跡があって首切り未遂して失敗した人みたいになってるわ尻には骨髄穿刺した時の丸い跡がいくつも残ってるわコンプまみれじゃコラ!!!

あとステロイドいっぱい飲んでた時は額と顎にニキビ大量発生してたわ。

知ってるか? ステロイドざ瘡(ニキビ)はステロイドの量が減るか飲むのを止めるかしない限り、薬を塗っても治んないんだよな。

でも主治医は一応ビタミン剤抗菌薬(ダラシンTゲル)とか出してくれてた。もちろん、大量のステロイドの前にはそんなもの無力だったがね。

そのうちステロイドの量が減ってきて、今じゃ維持量5mgしか飲んでなくて顔面ニキビMAX状態からは脱したが、顎ニキビけが治らん。飲んでる免疫抑制剤関係してるのかもしれないし、してないのかもしれない。食生活めっちゃ気をつけててもお肌の洗顔とお手入れを入念にしても顎ニキビだけは治らん。なのでこの件で3年前に皮膚科受診した。そしたらディフェリンゲルダラシンTゲルが処方されたんだけど、このディフェリンゲルが超やばいやつだった。顎にしか塗ってないのに顔中真っ赤にただれて(?)、皮膚が剥けまくって痛いのなんの。皮膚科からは中止しましょうと言われたが、「もうちょっと頑張ってみたいです!」と言ってしまった。詳しくは書けないが、そのあと皮膚が大変なことになって、それが完治するまでに1年半かかった。そしてつい先月のことだ。顎ニキビだけはなんとかしたいと、今度は近所の皮膚科クリニックにかかった。前回はディフェリンゲルで大変な目に遭ったが、その後、国内承認された「ベピオゲル[」という新しいニキビの薬に期待を持っていたのだ。

皮膚科医には、ステロイド免疫抑制剤使用であること、ディフェリンゲルで肌がえらい目にあったこと、今までビタミン剤抗菌薬などを使用してきたが顎ニキビは何をやっても治らなかったことなどを伝えた。医師は期待通り「ベピオゲル試してみようか」と言ってきた。予想外だったのが「抗生剤も飲んでみる?」と言われたこと。正直、飲んでも飲まなくてもどっちでもいいわと思ったが、いま飲んでる薬の量がハンパなく多いので持参したお薬手帳を見せたところ「今回はやめとこっか」となった。だよね。今、薬14種類飲んでるし。

「ベピオゲルアクアチムクリーム出すので、これで治らなかったら抗菌薬の服用をまた考えましょう。ディフェリンゲルの話からすると皮膚が刺激に弱いようなので、ベピオゲルは塗ってから15分経ったら洗い流しちゃってください。それでも十分効きますから。15分で大丈夫だったら30分、1時間というふうに時間を伸ばしていきましょう。アクアチムクリームは1日何回塗ってもいいです」

えー、そんな方法あるんだ! それ裏技?すげえ、目から鱗

それで言われた通りに15分で洗い流して、そのあと保湿を兼ねてアクアチムクリームを塗りたくっているけど、あれだけひどかった顎ニキビめっちゃマシになっとる。マジかよって感じ。顎の角質がいつも固かったのが柔らかくなってきてるし。あとディフェリンと違って全然刺激感ないし、皮膚も赤くならない。15分で洗い流してるんだから当たり前? でもニキビにはしっかり効いてる。一昨日から時間を30分に伸ばしたが皮膚に刺激感なし。あー、ディフェリンの件で顎ニキビ治療を諦めなくて良かったあ、と思ったのでした。

にしても、今度から新しい免疫調節薬をスタートさせるのでそれが皮膚にどんな影響を及ぼすやら。持病持ちは原病だけではなく副作用とも共存していかなきゃいけないから大変だ。そりゃ憂鬱にもなるさ。そう自分に言い聞かせながら今日も生きるワイであった。

ふなぽんはいつも自分語りばっかて他人の話なんか全然聞きやしないからワテも思いっき自分語りしたったわ、ハッハッハーッ。

2018-01-09

anond:20180109134517

嫁さんとつき合い始めたとき、「そんな見方もあるんだなー」て目から鱗というか新鮮な事は度々あった。ので一面では同一。違う属性の人とつき合うのは新しい視座が得られる面がある(別に女性じゃなくても良い)

ただ過去、付き合った女性で驚くほど視点が狭い女性もいて、なんつーか頭の良さによりませんかね?(君の彼女は頭がいいんじゃないの?という可能性が)解像度は人によるんではないかな。

あと男女で興味が異なる場合もある、私が好きな趣味に対する嫁さんの解像度たるや、とかね。

2018-01-06

anond:20180106104803

一つ前の増田です。反応してくれてありがとう

姉がいて、すでに孫がいる&遠方にいるにもかかわらずこき使われてるんだけど、

当の本人が「うちの」孫じゃないという認識らしくて。

共働きについては、本人は周りに負担をかけない範囲でやりたいらしい。(しかしそれはたぶん父親生活を支えるため。。。)

世間的に女性実家に頼る感じで共働きしているところが多いのも理解してる。(なにせうちの姉も無理矢理そうしてるから!)

女性側の親については、それほどの悪気なく(!)本人が相当不遇な目に合わされてるにも関わらず、縁切る気がこれっぽっちもなさそうなのが悩みどころ。(逆に言えば問題はそこだけとも言える)

両親を説得することについては当然考えてみたところなのだけど、息子と娘がいてどっちの子供もちゃんと自分たちの孫だと思えないんじゃ申し訳ないという気持ち自分の中では勝ってる状態

追記:うちの事情に照らしたとき女性実家の介入を遮断やすい点でむしろ都合が良い、というのは目から鱗でした。ありがとう

2017-12-27

anond:20171227163551

丁寧な解説ありがとう

「そのまま怒られ続ける」がある意味正解だったのですね

それは目から鱗でした

 

ただ当時の自分そもそも、何を怒られているかについて大きく誤解していたので、躾としてあの叱責が有効だったかどうかはやや疑問です

見当違いな方向へ思考を進める動機付けしかならなかったような気がしま

損害については、話の通じない厄介な子供を持ってしまうという損害を親に与えていますが、その場で改善のための有効提案はできませんでした

叱責が親のストレスを軽減する役に立っていたのなら、せめてもの慰めです

2017-12-15

https://anond.hatelabo.jp/20171215002640

目から鱗スクショとりました。

衝動で書き込んでしまいましたが色々な人に迷惑がかかる記事なので消しました

意見ありがとうございます自分の思う、強く賢い人になりたいです。

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

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